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ボーフォート公爵 - Wikipedia

ボーフォート公爵こうしゃく英語えいご: Duke of Beaufort)は、イングランド貴族きぞく公爵こうしゃくくらい

ボーフォート公爵こうしゃく
Duke of Beaufort
創設そうせつ時期じき1682ねん12月2にち
創設そうせつしゃチャールズ2せい
貴族きぞくイングランド貴族きぞく
初代しょだいヘンリー・サマセット(3だいウスターこう)
げん所有しょゆうしゃヘンリー・サマセット英語えいごばん(12だいボーフォートこう)
相続そうぞくじんヘンリー・サマセット(ウスターこう)
相続そうぞく資格しかく初代しょだい公爵こうしゃく直系ちょっけい嫡出ちゃくしゅつ男系だんけい男子だんし
付随ふずい称号しょうごうウスター侯爵こうしゃく
ウスター伯爵はくしゃく英語えいごばん
邸宅ていたくバドミントン・ハウス英語えいごばん (17世紀せいきから)
きゅう邸宅ていたくラグランじょう英語えいごばん (1646ねんまで)
モットー変節へんせつ恐怖きょうふはじとせよ
(Mutare Vel Timere Sperno)

だい3だいサマセットこうヘンリー・ボーフォート嫡出ちゃくしゅつチャールズ・サマセット1514ねんじょされたウスター伯爵はくしゃく英語えいごばん前身ぜんしんとする。5だいウスターはくヘンリー・サマセットだい1642ねんにウスターこう爵位しゃくいあたえられ、3だいウスターこうヘンリー・サマセットだい1682ねんにボーフォート公爵こうしゃくあたえられた。以来いらいどう公爵こうしゃくはその子孫しそんによって継承けいしょうされ、現在げんざいいたっている。2019ねん現在げんざい当主とうしゅだい12だいボーフォートこうヘンリー・サマセット英語えいごばんである。

ランカスターこうジョン・オブ・ゴーントエドワード3せいよんなん)の子孫しそんであるだい3だいサマセットこうヘンリー・ボーフォート1464ねんヘクサムのたたか敗北はいぼくにより処刑しょけいされ、ついでそのおとうとだい4だいサマセットこうエドムンド・ボーフォート1471ねんテュークスベリーのたたか敗北はいぼく処刑しょけいされ、サマセット公爵こうしゃく相続そうぞくじん途絶とだえた[1]

しかしだい3だいサマセットこうには嫡出ちゃくしゅつチャールズ・サマセット(1460-1526)があった(かれのサマセットせいちち爵位しゃくいからっている)。かれ嫡出ちゃくしゅつであるためサマセット公爵こうしゃく相続そうぞくけんはなかったが、ヘンリー7せい又従兄弟またいとこにあたるという関係かんけいから1514ねん2がつ1にちあらたにイングランド貴族きぞく爵位しゃくいウスター伯爵はくしゃく英語えいごばん(Earl of Worcester)あたえられた[1][2]

そのである2だいウスターはくヘンリー英語えいごばん(1496-1549) は、ウスター伯爵はくしゃく継承けいしょうまえ1512ねん3月21にちははエリザベス英語えいごばんからだい4だいハーバート男爵だんしゃく(イングランド爵位しゃくい)を継承けいしょうしている[3]

3だいウスターはくウィリアム (1526-1589) は、初代はつよサマセットこうエドワード・シーモアだい4だいノーフォークこうトマス・ハワード大逆だいぎゃくざいわれた裁判さいばん関与かんよし、とりわけサマセットこう裁判さいばんにおいては有罪ゆうざい主張しゅちょうする最右翼さいうよくだった(このけん後述こうじゅつするサマセット公爵こうしゃく復権ふっけんをめぐる両家りょうけあらそいから現在げんざいいたるまでサマセット公爵こうしゃくとボーフォート公爵こうしゃくなかわるく、和解わかいっていない)[4]

4だいウスターはくエドワード (1550-1628) は、ジェームズ1せいからセヴァーンがわ渡航とこうりょう徴収ちょうしゅうけん獲得かくとくしており、この権利けんり20世紀せいきまでつづいた[5]

5だいウスターはくヘンリー (1577-1646)1642ねん3月2にちにイングランド貴族きぞく爵位しゃくいウスター侯爵こうしゃく(Marquess of Worcester)じょせられた[6][7]

2だいウスターこうエドワード(1602-1667)は、1645ねんグラモーガン伯爵はくしゃく (Earl of Glamorgan) 」にじょされた。くわえて従属じゅうぞく爵位しゃくいとしてグロスモント子爵ししゃく (Viscount Grosmont) 」もしくはモンマスしゅうにおけるカルデコートじょうのボーフォート男爵だんしゃく (Baron Beaufort, of Caldecote Castle in the County of Monmouth)あるいはその両方りょうほうあたえられた。(この一連いちれん爵位しゃくいはその有効ゆうこうせいおよ存在そんざいせい議論ぎろんがある)[7]かれはさらに1660ねん王政おうせい復古ふっこさい先祖せんぞのサマセット公爵こうしゃく復権ふっけんけることをねらったが、シーモアもサマセット公爵こうしゃく復権ふっけん運動うんどうおこなった。結局けっきょくチャールズ2せいはシーモアハートフォード侯爵こうしゃくウィリアム・シーモア初代はつよサマセットこうエドワード・シーモアの曾孫そうそん)にサマセット公爵こうしゃく復権ふっけんみとめ、2だいウスターこう主張しゅちょうとおらなかった[5][8]

 
グロスタシャーバドミントン英語えいごばんにある自邸じていバドミントン・ハウス英語えいごばんをバックにだい10代ボーフォートこうヘンリー・サマセット

3だいウスターこうヘンリー (1629-1700) は、1682ねん12月2にち先祖せんぞせい由来ゆらいするイングランド貴族きぞく爵位しゃくいボーフォート公爵こうしゃくあたえられた。これがボーフォート公爵こうしゃくはじまりとなった[5][9][10]かれ襲爵しゅうしゃくまえには庶民しょみんいん議員ぎいんであり、王政おうせい復古ふっこさいおう党派とうはとして活躍かつやくした。以降いこうもステュアートあさ支持しじおう党派とうはとして行動こうどうし、トーリーとう代表だいひょうてき政治せいじとなった。名誉めいよ革命かくめいさいにもジェームズ2せい廃位はいいウィリアム3せい即位そくい断固だんこ反対はんたいした[11]。またかれグロスタシャーバドミントン英語えいごばん広大こうだい領地りょうち邸宅ていたく英語えいごばん入手にゅうしゅし、以降いこうここが公爵こうしゃく本拠ほんきょとなっている[5]

3だいおおやけヘンリー (1707-1745) は、だい3だいスカダモー子爵ししゃくジェイムズ・スカダモー英語えいごばんむすめフランセスと結婚けっこんしたが、彼女かのじょ浮気うわき理由りゆう離婚りこん。その離婚りこん訴訟そしょうなかでフランセスから性的せいてき不能ふのうしゃあつかいされたことに激怒げきどし、6にん医師いしからみずからが不能ふのうしゃではないことを証明しょうめいしてもらうさわぎになり、話題わだいとなった[12]

5だいおおやけヘンリー (1744-1803)1803ねん6月4にち爵位しゃくい保有ほゆうしゃ不在ふざい (abeyant) になっていたボトトート男爵だんしゃく(イングランド爵位しゃくい)を継承けいしょうした[13]

7だいおおやけヘンリー (1792-1853)襲爵しゅうしゃくまえハリエット・ウィルソン英語えいごばんとの恋愛れんあいスキャンダルで話題わだいとなった[14]

8だいおおやけヘンリー (1824-1899)いえげい狩猟しゅりょうをはじめとして様々さまざまなスポーツに精通せいつうした。「バドミントン」のられるスポーツもかれだいにバドミントンで発足ほっそくしたものである[15]

9だいおおやけヘンリー (1847-1922) は、ボーフォート公爵こうしゃくりょう鉄道てつどう通過つうかさせたがっていた鉄道てつどう会社かいしゃとの交渉こうしょうによって1903ねん事実じじつじょう公爵こうしゃく専用せんようとなるバドミントンえき英語えいごばんつくらせた(1968ねん大幅おおはば赤字あかじくるしむ英国えいこく国鉄こくてつが10代公爵こうしゃく交渉こうしょうした結果けっかどうえき廃止はいしされている)[16]

10代こうヘンリー (1900-1984)いえげい狩猟しゅりょうちかられ、ラトランド公爵こうしゃくのビーヴァー・ハントとならぶバドミントン・ハントの主催しゅさいしゃとして著名ちょめいとなった[17]。20世紀せいき税金ぜいきん攻勢こうせい貴族きぞく所有しょゆう半減はんげんさせたいえおおいが、ボーフォート公爵こうしゃくかれ財産ざいさんたくみに運用うんようしたおかげで5まん2,000エーカーの土地とち手放てばなさずにすんだばかりか、1,000エーカーの土地とち増加ぞうかさせている[16]だい世界せかい大戦たいせんなかにはメアリーおうふとしきさき親族しんぞくのボーフォート公爵こうしゃくのバドミントン・ハウスに疎開そかいしてきた。彼女かのじょどう屋敷やしきおんな主人しゅじん同然どうぜんごし、屋敷やしきつた無断むだんらせるなど勝手かってなことをして公爵こうしゃく頭痛ずつうのタネとなった[18]

10代こう子供こどもめぐまれず、8だい公爵こうしゃく次男じなん子孫しそんにあたるデイヴィッド・サマセット英語えいごばん(1928-2017) が11だい公爵こうしゃく継承けいしょうした[19]。なおボトトート男爵だんしゃくハーバート男爵だんしゃくは11だいこうにはがれておらず、ボトトート男爵だんしゃくは10代こうとともにその姉妹しまいあいだ優劣ゆうれつがつかず保有ほゆうしゃ不在ふざい (abeyant) となっている一方いっぽう、ハーバート男爵だんしゃく同様どうようであったが、2002ねんにデイビッド・ジョン・サイフレッド=ハーバートがだい19だいハーバート男爵だんしゃく承継しょうけいすることが確定かくていした。

2017ねんの11だいこう死後しご、その長男ちょうなんヘンリー・サマセット英語えいごばんが12だいおおやけ継承けいしょうした。かれ現在げんざい当主とうしゅである[10]

  • 初代しょだいボーフォートこうヘンリー以来いらいトーリー気質きしつ家柄いえがらられ、9だいボーフォートこうヘンリーは、ホイッグとう幹部かんぶだい3だいサンダーランド伯爵はくしゃくチャールズ・スペンサー子孫しそんにあたるウィンストン・チャーチルについて、200ねんまえうらみから「できたら猟銃りょうじゅうきにしてやりたい」とかたったという[20]

げん当主とうしゅ保有ほゆう爵位しゃくい

編集へんしゅう

現在げんざい当主とうしゅである12だいボーフォートこうヘンリー・サマセット英語えいごばん以下いか爵位しゃくい保有ほゆうしている[10]

  • だい12だいボーフォート公爵こうしゃく (12th Duke of Beaufort)
    (1682ねん12月2にち勅許ちょっきょじょうによるイングランド貴族きぞく爵位しゃくい)
  • だい14だいウスター侯爵こうしゃく (14th Marquess of Worcester)
    (1643ねん5月2にち勅許ちょっきょじょうによるイングランド貴族きぞく爵位しゃくい法定ほうてい推定すいてい相続そうぞくじん儀礼ぎれい称号しょうごう)
  • だい18だいウスター伯爵はくしゃく (18th Earl of Worcester)
    (1514ねん2がつ1にち勅許ちょっきょじょうによるイングランド貴族きぞく爵位しゃくい)
  • だい13だいグラモーガン伯爵はくしゃく (13th Earl of Glamorgan)
    (1645ねん1がつ10日とおか勅許ちょっきょじょうによるイングランド貴族きぞく爵位しゃくい有効ゆうこうせい議論ぎろんり)
  • だい13だいグロスモント子爵ししゃく(13th Vicount Grosmont)
    (1645ねん1がつ10日とおか勅許ちょっきょじょうによるイングランド貴族きぞく爵位しゃくい有効ゆうこうせいとその存在そんざい議論ぎろんり)
  • モンマスしゅうにおけるカルデコートじょうだい13だいボーフォート男爵だんしゃく (13th Baron Beaufort, of Caldecote Castle in the County of Monmouth)
    (1645ねん1がつ10日とおか勅許ちょっきょじょうによるイングランド貴族きぞく爵位しゃくい有効ゆうこうせいとその存在そんざい議論ぎろんり)

一覧いちらん

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ウスターはく(1514ねん

編集へんしゅう
肖像しょうぞう 爵位しゃくい代数だいすう
名前なまえ
なま没年ぼつねん
受爵期間きかん 続柄つづきがら その爵位しゃくい
  初代しょだいウスター伯爵はくしゃく
チャールズ・サマセット
(Charles Somerset)
(1460-1526)
1514ねん2がつ1にち
- 1526ねん4がつ15にち
3だいサマセットこう嫡出ちゃくしゅつ
だい2だいウスター伯爵はくしゃく
ヘンリー・サマセット英語えいごばん
(Henry Somerset)
(1496-1549)
1526ねん4がつ15にち
- 1549ねん11月26にち
先代せんだい ハーバート男爵だんしゃく
  だい3だいウスター伯爵はくしゃく
ウィリアム・サマセット
(William Somerset)
(1526-1589)
1549ねん11月26にち
- 1589ねん2がつ21にち
先代せんだい
  だい4だいウスター伯爵はくしゃく
エドワード・サマセット
(Edward Somerset)
(1550-1628)
1589ねん2がつ21にち
- 1628ねん3月3にち
先代せんだい
  だい5だいウスター伯爵はくしゃく
ヘンリー・サマセット
(Henry Somerset)
(1577-1646)
1628ねん3月3にち
- 1646ねん12月18にち
先代せんだい ウスターこう
ハーバート男爵だんしゃく
1643ねん3月2にちにウスター侯爵こうしゃくじょされる。以降いこうウスター侯爵こうしゃく継承けいしょうしゃおなじ。下記かきのウスター侯爵こうしゃくらん参照さんしょう

ウスターこう(1643ねん

編集へんしゅう
肖像しょうぞう 爵位しゃくい代数だいすう
名前なまえ
なま没年ぼつねん
受爵期間きかん 続柄つづきがら その爵位しゃくい
  初代しょだいウスター侯爵こうしゃく
ヘンリー・サマセット
(Henry Somerset)
(1577-1646)
1642ねん3月2にち
- 1646ねん12月18にち
ウスターはく
ハーバート男爵だんしゃく
  だい2だいウスター侯爵こうしゃく
エドワード・サマセット
(Edward Somerset)
(1602-1667)
1646ねん12月18にち
- 1667ねん4がつ3にち
先代せんだい
  だい3だいウスター侯爵こうしゃく
ヘンリー・サマセット
(Henry Somerset)
(1629-1700)
1667ねん4がつ3にち
- 1700ねん1がつ21にち
先代せんだい ボーフォートこう
ウスターはく
ハーバート男爵だんしゃく
1682ねん12月2にちにボーフォート公爵こうしゃくじょされる。以降いこうボーフォート公爵こうしゃく継承けいしょうしゃおなじ。下記かきのボーフォート公爵こうしゃくらん参照さんしょう

ボーフォートこう(1682ねん

編集へんしゅう
肖像しょうぞう 爵位しゃくい代数だいすう
名前なまえ
なま没年ぼつねん
受爵期間きかん 続柄つづきがら その爵位しゃくい
  初代しょだいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・サマセット
(Henry Somerset)
(1629-1700)
1682ねん12月2にち
- 1700ねん1がつ21にち
ウスターこう
ウスターはく
ハーバート男爵だんしゃく
  だい2だいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・サマセット
(Henry Somerset)
(1684-1714)
1700ねん1がつ21にち
- 1714ねん5月24にち
先代せんだいまご
  だい3だいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・サマセット=スキューダモア
(Henry Somerset-Scudamore)
(1707-1745)
1714ねん5月24にち
- 1745ねん2がつ24にち
先代せんだい
  だい4だいボーフォート公爵こうしゃく
チャールズ・ノエル・サマセット
(Charles Noel Somerset)
(1709-1756)
1745ねん2がつ24にち
- 1756ねん10月28にち
先代せんだいおとうと
  だい5だいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・サマセット
(Henry Somerset)
(1744-1803)
1756ねん10月28にち
- 1803ねん10月11にち
先代せんだい ウスターこう
ウスターはく
ハーバート男爵だんしゃく
ボトトート男爵だんしゃく
  だい6だいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・チャールズ・サマセット英語えいごばん
(Henry Charles Somerset)
(1766-1835)
1803ねん10月11にち
- 1835ねん11月23にち
先代せんだい
  だい7だいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・サマセット
(Henry Somerset)
(1792-1853)
1835ねん11月23にち
- 1853ねん11月17にち
先代せんだい
  だい8だいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・チャールズ・フィッツロイ・サマセット
(Henry Charles FitzRoy Somerset)
(1824-1899)
1853ねん11月17にち
- 1899ねん4がつ30にち
先代せんだい
  だい9だいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・アデルバート・ウェリントン・フィッツロイ・サマセット
(Henry Adelbert Wellington FitzRoy Somerset)
(1847-1924)
1899ねん4がつ30にち
- 1924ねん11月24にち
先代せんだい
  だい10代ボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・ヒュー・アーサー・フィッツロイ・サマセット
(Henry Hugh Arthur FitzRoy Somerset)
(1900-1984)
1924ねん11月24にち
- 1984ねん2がつ5にち
先代せんだい
  だい11だいボーフォート公爵こうしゃく
デイヴィッド・ロバート・サマセット英語えいごばん
(David Robert Somerset)
(1928-2017)
1984ねん2がつ5にち
- 2017ねん8がつ16にち
先代せんだい又従兄弟またいとこ ウスターこう
ウスターはく
だい12だいボーフォート公爵こうしゃく
ヘンリー・ジョン・フィッツロイ・サマセット英語えいごばん
(Henry John FitzRoy Somerset)
(1952-)
2017ねん8がつ16にち
- 受爵ちゅう
先代せんだい

爵位しゃくい継承けいしょう順位じゅんい

編集へんしゅう
  1. ウスター侯爵こうしゃくヘンリー・ロバート・フィッツロイ・サマセット(Henry Robert FitzRoy Somerset, Marquess of Worcester, 1989-) げん当主とうしゅ長男ちょうなん
  2. アレグザンダー・ローン・サマセットきょう (Lord Alexander Lorne Somerset, 1995-) げん当主とうしゅ次男じなん
  3. エドワード・サマセットきょう (Lord Edward Somerset, 1958-) げん当主とうしゅおとうと
  4. ジョン・サマセットきょう (Lord John Somerset, 1964-) げん当主とうしゅおとうと
  5. ライル・サマセット (Lyle Somerset, 1991-) 上記じょうき息子むすこ

これ以降いこうは5だいこうからの分流ぶんりゅう継承けいしょう資格しかくしゃ

家系かけい

編集へんしゅう
ウスター伯爵はくしゃく侯爵こうしゃく・ボーフォート公爵こうしゃくサマセット
 
 
イングランドおう
エドワード3せい
(1312-1377)
 
 
 
 
 
 
 
初代しょだいランカスターこう
ジョン・オブ・ゴーント
(1340-1399)
 
 
 
 
 
 
 
初代はつよサマセットはく
ジョン・ボーフォート
(1371ごろ-1410)
 
 
 
 
 
 
 
2だいサマセットこう
エドモンド・ボーフォート
(1406 -1455)
 
 
 
 
 
 
 
3だいサマセットこう
ヘンリー・ボーフォート
(1436-1464)
 
 
 
 
 
 
 
1514ねんウスター伯爵はくしゃく
 
 
初代しょだいウスターはく
チャールズ・サマセット
(1460ごろ–1526)
 
 
 
 
 
 
 
2だいウスターはく
ヘンリー・サマセット英語えいごばん
(1495ごろ–1548)
 
 
 
 
 
 
 
3だいウスターはく
'ウィリアム・サマセット
(1526ごろ–1589)
 
 
 
 
 
 
 
4だいウスターはく
エドワード・サマセット
(1553–1628)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1642ねんウスターこう
 
1626ねんサマセット子爵ししゃく英語えいごばん
初代しょだいウスターこう
5だいウスターはく
ヘンリー・サマセット
(1577–1646)
 
初代はつよサマセット子爵ししゃく
トマス・サマセット
(1579–1651)
 
 
 
2だいウスターこう
6だいウスターはく
エドワード・サマセット
(1601–1667)
 
 
 
1682ねんボーフォートこう
初代しょだいボーフォートこう
3だいウスターこう
7だいウスターはく

ヘンリー・サマセット
(1629–1700)
 
 
 
ウスター侯爵こうしゃく(儀礼ぎれい称号しょうごう)
チャールズ・サマセット英語えいごばん
(1660–1698)
 
 
 
2だいボーフォートこう
4だいウスターこう
8だいウスターはく

ヘンリー・サマセット
(1684–1714)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3だいボーフォートこう
5だいウスターこう
9だいウスターはく

ヘンリー・サマセット=スキューダモア
(1707–1745)
 
4だいボーフォートこう
6だいウスターこう
10代ウスターはく

チャールズ・サマセット
(1709–1756)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5だいボーフォートこう
7だいウスターこう
11だいウスターはく

ヘンリー・サマセット
(1744–1803)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1852ねんラグラン男爵だんしゃく
 
6だいボーフォートこう
8だいウスターこう
12だいウスターはく

ヘンリー・サマセット英語えいごばん
(1766–1835)
 
初代しょだいラグラン男爵だんしゃく
フィッツロイ・サマセット
(1788–1855)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ラグラン男爵だんしゃく
 
7だいボーフォートこう
9だいウスターこう
13だいウスターはく

ヘンリー・サマセット
(1792–1853)
 
 
 
 
 
 
 
 
8だいボーフォートこう
10代ウスターこう
14だいウスターはく

ヘンリー・サマセット
(1824–1899)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9だいボーフォートこう
11だいウスターこう
15だいウスターはく

ヘンリー・サマセット
(1847–1924)
 
ヘンリー・サマセット英語えいごばん
(1849–1932)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10代ボーフォートこう
12だいウスターこう
16だいウスターはく

ヘンリー・サマセット
(1900–1984)
 
ヘンリー・サマセット
(1874–1945)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヘンリー・サマセット
(1898–1965)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11だいボーフォートこう
13だいウスターこう
17だいウスターはく

デイヴィッド・サマセット英語えいごばん
(1928-2017)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12だいボーフォートこう
14だいウスターこう
18だいウスターはく

ヘンリー・サマセット英語えいごばん
(1952-)
 

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ a b もり(1987) p.85-86
  2. ^ Heraldic Media Limited. “Worcester, Earl of (E, 1513/4)” (英語えいご). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019ねん9がつ16にち閲覧えつらん
  3. ^ Lundy, Darryl. “Henry Somerset, 2nd Earl of Worcester” (英語えいご). thepeerage.com. 2015ねん1がつ8にち閲覧えつらん
  4. ^ もり(1987) p.87-88
  5. ^ a b c d もり(1987) p.88
  6. ^ Lundy, Darryl. “Henry Somerset, 1st Marquess of Worcester” (英語えいご). thepeerage.com. 2015ねん1がつ7にち閲覧えつらん
  7. ^ a b Heraldic Media Limited. “Worcester, Marquess of (E, 1642/3)” (英語えいご). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015ねん12月14にち閲覧えつらん
  8. ^ もり(1987) p.63-64
  9. ^ Lundy, Darryl. “Henry Somerset, 1st Duke of Beaufor” (英語えいご). thepeerage.com. 2015ねん1がつ7にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Beaufort, Duke of (E, 1682)” (英語えいご). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015ねん12月14にち閲覧えつらん
  11. ^ もり(1987) p.88-89
  12. ^ もり(1987) p.91-92
  13. ^ Lundy, Darryl. “Henry Somerset, 5th Duke of Beaufort” (英語えいご). thepeerage.com. 2015ねん1がつ8にち閲覧えつらん
  14. ^ もり(1987) p.93-97
  15. ^ もり(1987) p.103
  16. ^ a b もり(1987) p.104-105
  17. ^ もり(1987) p.106-108
  18. ^ もり(1987) p.108
  19. ^ もり(1987) p.109
  20. ^ もり(1987) p.90

参考さんこう文献ぶんけん

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  • もりまもる英国えいこく貴族きぞく おくれてきた公爵こうしゃく大修館書店たいしゅうかんしょてん、1987ねんISBN 978-4469240979 

関連かんれん項目こうもく

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