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ヴィム・ヴェンダース - Wikipedia

ヴィム・ヴェンダース

ドイツの映画えいが監督かんとく (1945-)

ヴィム・ヴェンダースWim Wenders, 1945ねん8がつ14にち - ) は、ドイツ映画えいが監督かんとく

ヴィム・ヴェンダース
Wim Wenders
Wim Wenders
本名ほんみょう エルンスト・ヴィルヘルム・ヴェンダース
Ernst Wilhelm Wenders
生年月日せいねんがっぴ (1945-08-14) 1945ねん8がつ14にち(79さい
出生しゅっしょう 連合れんごう国軍こくぐん占領せんりょうのドイツ
ノルトラインしゅう英語えいごばん
デュッセルドルフ
職業しょくぎょう 映画えいが監督かんとく脚本きゃくほんプロデューサー
ジャンル 劇映画げきえいがドキュメンタリー
活動かつどう期間きかん 1967ねん -
配偶はいぐうしゃ Edda Köchl (1968ねん - 1974ねん
リサ・クロイツァー (1974ねん - 1978ねん
ロニー・ブレイクリー1979ねん - 1981ねん
Isabelle Weingarten (1981ねん - 1982ねん
ドナータ・ヴェンダース (1993ねん - )
公式こうしきサイト 公式こうしきウェブサイト
おも作品さくひん
都会とかいのアリス
さすらい
アメリカの友人ゆうじん
ことの次第しだい
パリ、テキサス
ベルリン・天使てんし
どきつばさにのって/ファラウェイ・ソー・クロース!
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
ミリオンダラー・ホテル
Pina/ピナ・バウシュ おどつづけるいのち
だれのせいでもない
世界せかいの涯ての鼓動こどう
PERFECT DAYS
 
受賞じゅしょう
カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい
パルム・ドール
1984ねんパリ、テキサス
審査しんさいんグランプリ
1993ねんどきつばさにのって/ファラウェイ・ソー・クロース!
監督かんとくしょう
1987ねんベルリン・天使てんし
「ある視点してん部門ぶもん 特別とくべつしょう
2014ねんセバスチャン・サルガト/地球ちきゅうへのラブレター
国際こくさい映画えいが批評ひひょう連盟れんめいしょう
1976ねんさすらい
1984ねん『パリ、テキサス』
エキュメニカル審査しんさいんしょう
1984ねん『パリ、テキサス』
2023ねんPERFECT DAYS
ヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい
きむ獅子しししょう
1982ねんことの次第しだい
国際こくさい映画えいが批評ひひょう連盟れんめいしょう
1972ねんゴールキーパーの不安ふあん
1982ねん『ことの次第しだい
1995ねんあいのめぐりあい
ロベール・ブレッソンしょう
2002ねん
ベルリン国際こくさい映画えいがさい
ぎんぐましょう審査しんさいんしょう
2000ねんミリオンダラー・ホテル
名誉めいよきんくましょう
2015ねん
ヨーロッパ映画えいがしょう
監督かんとくしょう
1988ねん 『ベルリン・天使てんし
ドキュメンタリーしょう
1999ねんブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
2011ねんPina/ピナ・バウシュ おどつづけるいのち
全米ぜんべい映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
ドキュメンタリー映画えいがしょう
1999ねん『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
ニューヨーク映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
ドキュメンタリー映画えいがしょう
1999ねん『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
ロサンゼルス映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
外国がいこく映画えいがしょう
1988ねん 『ベルリン・天使てんし
ドキュメンタリーしょう
1999ねん 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
放送ほうそう映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう
ドキュメンタリーしょう
1999ねん『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
英国えいこくアカデミーしょう
監督かんとくしょう
1984ねん『パリ、テキサス』
ゴヤしょう
長編ちょうへんドキュメンタリーしょう
2007ねんInvisibles
セザールしょう
ドキュメンタリーしょう
2014ねんセバスチャン・サルガト/地球ちきゅうへのラブレター
日本にっぽんアカデミーしょう
最優秀さいゆうしゅう監督かんとくしょう
2023ねん『PERFECT DAYS』
ブルーリボンしょう
外国がいこく作品さくひんしょう
1989ねん『ベルリン・天使てんし
そのしょう
ナショナル・ボード・オブ・レビューしょう
ドキュメンタリー映画えいがしょう

1999ねん『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
備考びこう
だい42かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい 審査しんさ委員いいんちょう1989ねん
だい65かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい 審査しんさ委員いいんちょう2008ねん
だい36かい東京国際映画祭とうきょうこくさいえいがさい 審査しんさ委員いいんちょう2023ねん
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ベルリンにあるヴェンダースのスター

経歴けいれき

編集へんしゅう

デュッセルドルフ医者いしゃ息子むすことしてまれ、冷戦れいせんした西にしドイツそだった。米国べいこくあこがれ、子供こども時代じだいアメリカンコミックス夢中むちゅうだった。ギムナジウム卒業そつぎょう大学だいがくでは1963ねんから1964ねんまで医学いがくを、1964ねんから1965ねんまで哲学てつがく専攻せんこうしたが、いずれも断念だんねんした。1966ねん10月に画家がかこころざしてパリした。しかし、高等こうとう映画えいが学院がくいん (IDHEC) の入試にゅうし失敗しっぱい。そのモンパルナスにあるJohnny Friedlaenderのスタジオで彫刻ちょうこくまなんだ。このころ、1にち5ほん以上いじょうもの映画えいが生活せいかつおくっていた。旧作きゅうさく上映じょうえいする「シネマテーク・フランセーズ」の常連じょうれんになり黒澤くろさわあきら監督かんとく作品さくひんなど1せんほん以上いじょう名作めいさく鑑賞かんしょうした[1]1967ねんユナイテッド・アーティスツのデュッセルドルフ・オフィスではたらくためにドイツに帰国きこく同年どうねんあきにはミュンヘンテレビ・映画えいが大学だいがく (Hochschule für Fernsehen und Film München, HFF) に入学にゅうがく1970ねんまで『FilmKritik』や『みなみドイツ新聞しんぶん』、『Twen magazine』、『デア・シュピーゲル映画えいが批評ひひょう執筆しっぴつした。また、1967ねんからは映画えいが監督かんとくとしての活動かつどう開始かいしし、1969ねんまでの3年間ねんかんで『警察けいさつ映画えいが』(1969ねん)や『アラバマ:2000光年こうねん』(1969ねん)、『3まいのアメリカのLP』(1969ねん)など8ほん短編たんぺん映画えいが製作せいさくした。

1970ねん16じゅうろくミリモノクロった『都市としなつ』で長編ちょうへん映画えいが監督かんとくデビューをたす。1972ねん友人ゆうじんでもあるペーター・ハントケ同名どうめい小説しょうせつ映画えいがした『ゴールキーパーの不安ふあん』でだい32かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさい国際こくさい映画えいが批評ひひょう連盟れんめいしょう受賞じゅしょうした。以後いごもハントケはヴェンダースのいくつかの作品さくひん脚本きゃくほんがけるようになる。アメリカからオランダへとたびする青年せいねん少女しょうじょえがいた『都会とかいのアリス』(1974ねん)、戦後せんごドイツを表象ひょうしょうした『まわりみち』(1975ねん)、『さすらい』(1976ねん)の「ロードムービーさんさく」を監督かんとくしたことでフォルカー・シュレンドルフヴェルナー・ヘルツォークライナー・ヴェルナー・ファスビンダーらとともにニュー・ジャーマン・シネマ旗手きしゅとして一躍いちやく注目ちゅうもくされるようになった。とくに『さすらい』はカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい国際こくさい映画えいが批評ひひょう連盟れんめいしょうシカゴ国際こくさい映画えいがさいゴールデン・ヒューゴしょうなどを受賞じゅしょう1977ねんの『アメリカの友人ゆうじん』では、それまでのロードムービーから一転いってんし、パトリシア・ハイスミス原作げんさくもとサスペンス映画えいが監督かんとくアメリカ俳優はいゆうであるデニス・ホッパー招聘しょうへいした。

1982ねんの『ハメット』では、フランシス・フォード・コッポラ依頼いらいけ、ゾエトロープしゃ製作せいさく監督かんとくつとめた。しかし、製作せいさく方針ほうしんをめぐりコッポラと衝突しょうとつ撮影さつえいなん中断ちゅうだんされると、この期間きかんポルトガルにて映画えいが製作せいさく現場げんば舞台ぶたいにした『ことの次第しだい』を製作せいさくどうさくだい39かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさいきむ獅子しししょう受賞じゅしょうした。1984ねんサム・シェパード脚本きゃくほんもとに、アメリカを舞台ぶたいにしたロードムービー『パリ、テキサス』がだい37かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいにてパルム・ドール受賞じゅしょうよく1985ねんドキュメンタリー東京とうきょう』では敬愛けいあいする小津おつあん二郎じろうささげた。1987ねん、10ねんぶりにドイツで製作せいさくしたファンタジーベルリン・天使てんし』でだい40かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいにて監督かんとくしょう受賞じゅしょう1989ねんにはファッションデザイナー山本やまもと耀司かんするドキュメンタリー『都市としとモードのビデオノート』を発表はっぴょうした。

1993ねんには『ベルリン・天使てんし』の続編ぞくへんとなる『どきつばさにのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』がだい46かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい審査しんさいんグランプリ受賞じゅしょう1995ねんの『あいのめぐりあい』では、ミケランジェロ・アントニオーニ指名しめいけてかれの13ねんぶりの長編ちょうへん一部いちぶ監督かんとく1999ねん音楽おんがくドキュメンタリー『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』はアカデミー長編ちょうへんドキュメンタリー映画えいがしょうにノミネートされた。

2000ねんU2ボノ原案げんあんもと監督かんとくした『ミリオンダラー・ホテル』がだい50かいベルリン国際こくさい映画えいがさい審査しんさいんしょう受賞じゅしょう2003ねん音楽おんがくドキュメンタリー『ソウル・オブ・マン』はマーティン・スコセッシのプロジェクトの一環いっかんとして監督かんとくした。2005ねんの『アメリカ、家族かぞくのいる風景ふうけい』では、『パリ、テキサス』以来いらいおよそ20ねんぶりにサム・シェパードと監督かんとく脚本きゃくほんとしてタッグをんだ。また、同年どうねんにはロカルノ国際こくさい映画えいがさい名誉めいよひょうしょう受賞じゅしょう

2011ねんの20ねんにわたって企画きかくっていたピナ・バウシュかんするドキュメンタリー『Pina/ピナ・バウシュ おどつづけるいのち』と、2014ねんジュリアーノ・リベイロ・サルガド共同きょうどう製作せいさくしたドキュメンタリー『セバスチャン・サルガド/地球ちきゅうへのラブレター』が監督かんとくさくとしては連続れんぞくアカデミー長編ちょうへんドキュメンタリー映画えいがしょうにノミネートされ、後者こうしゃかんしてはだい67かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいの「ある視点してん部門ぶもん出品しゅっぴんされ、特別とくべつしょう受賞じゅしょう[2]翌年よくねん2015ねんにはだい65かいベルリン国際こくさい映画えいがさい名誉めいよきんくましょう授与じゅよされ[3]映画えいがさいでは自身じしんはつ3D映画えいがだれのせいでもない』も上映じょうえいされた。

2012ねん、「映画えいが写真しゃしんなどのライフワークをまとめ、一般いっぱんひとがアクセスできるようにする」ため、写真しゃしんつま、ドナータとともにヴィム・ヴェンダース財団ざいだん設立せつりつし、20ほん映画えいが復元ふくげん、デジタルした[1]

2017ねん6がつにはベルリン国立こくりつ歌劇かげきじょう指揮しきしゃダニエル・バレンボイム依頼いらいで、ジョルジュ・ビゼー作曲さっきょく真珠しんじゅとり》(主演しゅえんパトリツィア・チョーフィ)でオペラ演出えんしゅつとしてデビューした[4]

2022ねん9がつ15にちロードムービー第一人者だいいちにんしゃとしてだい33かい高松宮たかまつのみや殿下でんか記念きねん世界せかい文化ぶんかしょう受賞じゅしょうした[5][1][6]

2023ねんには、「THE TOKYO TOILET」プロジェクトから企画きかくはじまった日本にっぽん舞台ぶたい監督かんとくさくPERFECT DAYS』がだい76かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい出品しゅっぴんされ、主演しゅえんつとめた役所広司やくしょこうじ男優だんゆうしょう受賞じゅしょうした。だい96かいアカデミーしょうでは日本にっぽん代表だいひょう作品さくひんとして国際こくさい長編ちょうへん映画えいがしょうにノミネートされ、自身じしん作品さくひんとしてはドキュメンタリー以外いがいアカデミーしょうにノミネートされたはつ作品さくひんとなった[7][8]。また、自身じしんだい47かい日本にっぽんアカデミーしょう最優秀さいゆうしゅう監督かんとくしょう外国がいこくじん監督かんとくとしてはじめて受賞じゅしょうした。

写真しゃしんてん尾道おのみちへのたび

編集へんしゅう

2006ねん4がつ29にちから5がつ7にちにかけて、東京とうきょう表参道おもてさんどうヒルズ本館ほんかん地下ちか3かいのオー「O」で開催かいさいされた。

写真しゃしんであるつまドナータ・ヴェンダースともに、京都きょうとから尾道おのみち鞆のうら直島なおしまたびをした道中どうちゅうの、古都こと瀬戸内せとうちげん風景ふうけいおさめた写真しゃしん展示てんじした。作風さくふうとしてはヴィムが風景ふうけいを、ドナータがモノクロ写真しゃしんでの人物じんぶつ表現ひょうげんした。日立造船ひたちぞうせん向島むこうじま西にし工場こうじょう跡地あとちの『おとこたちの大和やまと』のロケでの写真しゃしん展示てんじされた。

また、高橋たかはし栄樹えいきによるドキュメンタリー作品さくひん製作せいさくされた。『東京とうきょう物語ものがたり』のだい舞台ぶたいとなった尾道おのみち風景ふうけいとともにヴェンダースによる尾道おのみちへのオマージュを表現ひょうげんしたもので、『東京とうきょう物語ものがたり』に登場とうじょうする浄土寺じょうどじ裏山うらやまのぼるシーンも記録きろくされている。

作品さくひん

編集へんしゅう

長編ちょうへん

編集へんしゅう

短編たんぺん

編集へんしゅう

製作せいさく

編集へんしゅう

著書ちょしょ

編集へんしゅう
  • 天使てんしのまなざし:ヴィム・ヴェンダース、映画えいがかたる』梅本うめもと洋一よういちほかへん構成こうせい、フィルムアートしゃ、1988ねん
  • 映像えいぞう(イメージ)の論理ろんり三宅みやけ晶子あきこ瀬川せかわ裕司ゆうじわけ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1992ねん
  • 『エモーション・ピクチャーズ』松浦まつうら寿ことぶきあきらわけ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1992ねん
  • ヴィム・ヴェンダース、ピーター・カーレイ『ゆめの涯てまでも』、蒔岡雪子ゆきこわけ集英社しゅうえいしゃ、1992ねん集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 田村たむら源二げんじつばさにのって:ファラウェイ・ソー・クロース!』ヴィム・ヴェンダースほか原案げんあん脚本きゃくほん、ギャガ・コミュニケーションズ、1994ねん
  • つばさにのって:ヴィム・ヴェンダース写真しゃしんしゅう』ヴィム・ヴェンダース撮影さつえい、ビクターエンタテインメント、1994ねん
  • ゆめ視線しせん瀬川せかわ裕司ゆうじやく河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1994ねん
  • 『かつて…』宮下みやしたまことわけ、PARCO出版しゅっぱん、1994ねん
  • 小泉こいずみすみれ『ベルリン・天使てんし:Wings of desire』ヴィム・ヴェンダースほか原案げんあん脚本きゃくほん、ギャガ・コミュニケーションズ、1994ねん
  • 『「あいのめぐりあい」撮影さつえい日誌にっし:アントニオーニとの時間じかん池田いけだ信雄のぶお武村たけむら知子ともこともやくキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1996ねん
  • 『ヴィム・ヴェンダース:たびする視線しせん-映画えいが写真しゃしんによるトラベローグ:映像えいぞう工夫くふうかん作品さくひんてん:photographs in the 90s』ヴィム・ヴェンダース撮影さつえい東京とうきょう写真しゃしん美術館びじゅつかん企画きかく編集へんしゅう東京とうきょう歴史れきし文化ぶんか財団ざいだん東京とうきょう写真しゃしん美術館びじゅつかん、1998ねん
  • 新井あらい敏記としのりひとたびる:『Switch』インタビュー傑作けっさくせん講談社こうだんしゃ、2005ねん
  • サム・シェパード, ヴィム・ヴェンダース『アメリカ、家族かぞくのいる風景ふうけい稲吉いなよし明子あきこ田中たなか尚美なおみ八木やぎ正三しょうさんわけ、ブルース・インターアクションズ、2006ねん
  • 新井あらい敏記としのり『SWITCH STORIES:かれらがいた場所ばしょ新潮社しんちょうしゃ、2011ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ あ-67-1)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 演劇えんげき映像えいぞう部門ぶもん ヴィム・ヴェンダース ロードムービーの第一人者だいいちにんしゃ. 産経さんけいニュース (産経さんけいデジタル). (2022ねん9がつ15にち). https://www.sankei.com/article/20220915-MEWYDEM6HJOBDGCJER6DB2DTRU/ 2024ねん1がつ28にち閲覧えつらん 
  2. ^ THE SALT OF THE EARTH - Festival de Cannes 2014”. Cannes. 1 November 2014閲覧えつらん
  3. ^ BERLINALE 2015: HOMAGE AND HONORARY GOLDEN BEAR FOR WIM WENDERS”. Berlinale. 1 November 2014閲覧えつらん
  4. ^ Smale, Alison (2017ねん6がつ20日はつか). “Wim Wenders, Film Visionary, Makes His Operatic Debut” (英語えいご). ニューヨーク・タイムズ (ニューヨーク・タイムズ・カンパニー). https://www.nytimes.com/2017/06/20/arts/music/wim-wenders-film-visionary-makes-his-operatic-debut-berlin-staatsoper-bizet-pearl-fishers.html 2024ねん1がつ28にち閲覧えつらん 
  5. ^ 高松宮たかまつのみや殿下でんか記念きねん世界せかい文化ぶんかしょう 映画えいが監督かんとくのヴェンダースら6にんまる”. 産経さんけいニュース (産経さんけいデジタル). (2022ねん9がつ15にち). https://www.sankei.com/article/20220915-B37K3B3ZHJJZPNRB6RRUE2XSNM/ 2024ねん1がつ28にち閲覧えつらん 
  6. ^ ヴィム・ヴェンダースなど5部門ぶもん6めい受賞じゅしょうしゃ発表はっぴょうだい33かい高松宮たかまつのみや殿下でんか記念きねん世界せかい文化ぶんかしょう”. スクリーンオンライン (2022ねん9がつ16にち). 2022ねん9がつ17にち閲覧えつらん
  7. ^ “ヴィム・ヴェンダース、『PERFECT DAYS』のオスカーノミネートに「大変たいへん光栄こうえい」”. ザ・ハリウッド・リポーター・ジャパン (ハーシー・シガ・グローバル). (2024ねん1がつ25にち). https://hollywoodreporter.jp/movies/31098/ 2024ねん1がつ28にち閲覧えつらん 
  8. ^ “【だい96かいアカデミーしょう】「PERFECT DAYS」が国際こくさい長編ちょうへん映画えいがしょうにノミネート! ヴィム・ヴェンダースがよろこびのコメント発表はっぴょう. 映画えいが.com (エイガ・ドット・コム). (2024ねん1がつ23にち). https://eiga.com/news/20240123/23/ 2024ねん1がつ28にち閲覧えつらん 
  9. ^ “ベンダース7ねんぶり劇映画げきえいがだれのせいでもない」11月公開こうかい J・フランコら豪華ごうかキャスト共演きょうえん. 映画えいが.com. (2016ねん8がつ23にち). https://eiga.com/news/20160823/7/ 2016ねん8がつ23にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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