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ドキュメンタリー - Wikipedia

ドキュメンタリー英語えいご: documentary)は、事実じじつ特定とくてい主題しゅだいについてリポートする映画えいがテレビ番組ばんぐみラジオ番組ばんぐみ[1]

東京とうきょうオリンピック記録きろく映画えいが)の撮影さつえい車両しゃりょう1964ねん

特定とくてい主題しゅだい設定せっていして(選択せんたくてきに)事実じじつ記録きろくした映画えいが・テレビ番組ばんぐみ・ラジオ番組ばんぐみ、ということである。

ドキュメンタリーという用語ようごがどのように誕生たんじょうしたか説明せつめいすると、そもそも英語えいごで「ドキュメント document」というのは「情報じょうほう証拠しょうこ、あるいは公式こうしき記録きろくなどを提供ていきょうする、手書てがきの文書ぶんしょ印刷物いんさつぶつ電子でんし媒体ばいたいなどによる、一品いっぴん[2]」という意味いみであり、それの形容詞けいようしが「ドキュメンタリーdocumentary」であり、つまり「ドキュメントてきな」という表現ひょうげん、ドキュメントにじゅんずる、という表現ひょうげんであり、それが名詞めいししたのが、つまり形容詞けいようし名詞めいししたのがドキュメンタリー という用語ようごであり、もとは、ドキュメントにじゅんずるもの、という表現ひょうげんである。

ドキュメントというものは歴史れきし非常ひじょうながく、文字もじ発明はつめいされて以降いこう、もともともっぱら文字もじ記録きろくされていたものなのだが、(19世紀せいきまつあたりに)映像えいぞう記録きろくする技術ぎじゅつ開発かいはつされたのちには、その技術ぎじゅつ使つかって、従来じゅうらい文字もじだけでおこなわれていたドキュメント作成さくせい映像えいぞうでもおこなうようになり、それをドキュメンタリーとぶようになった、ということなのである。

映画えいがかんしては「記録きろく映像えいぞう」「記録きろく映画えいが」ともわれる。テレビ番組ばんぐみ場合ばあいは「ドキュメンタリー番組ばんぐみ」「ドキュメンタリー」「記録きろく映像えいぞう」などとばれる。ドキュメンタリーには、録音ろくおんしてラジオ放送ほうそうするもの、たとえば街頭がいとう録音ろくおんナレーション録音ろくおんなどで構成こうせいしたラジオ番組ばんぐみもあり、それは「ラジオ・ドキュメンタリー[3][4] radio documentary」とばれている。

媒体ばいたいごと、作品さくひんごとに、さまざまな手法しゅほうがある。

なお、一般いっぱんてきにドキュメンタリーは「 "制作せいさくしゃ意図いと主観しゅかんふくまぬ"事実じじつ描写びょうしゃ」と認識にんしきされ、他方たほう劇映画げきえいが (Drama filmドラマ創作そうさくフィクションである」と認識にんしきされているが、制作せいさくしゃ意図いとはいむ、一種いっしゅうそをついてしまうことがある、というてんではいともり達也たつやなど実務じつむしゃらからは指摘してきされている[5]

ドキュメンタリーの歴史れきし

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黎明れいめい

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ドキュメンタリーの歴史れきし映画えいがともにはじまった。リュミエール兄弟きょうだいによる歴史れきしじょう最初さいしょ映画えいが工場こうじょう出口でぐち』(1895ねん)は、そのとお工場こうじょう出口でぐちにカメラを設置せっちして、従業じゅうぎょういんらがてくる様子ようすをワンショットで撮影さつえいしただけのものである。つづく『ラ・シオタえきへの列車れっしゃ到着とうちゃく』(1896ねん)では観客かんきゃくはスクリーンの映像えいぞう現実げんじつのものと間違まちがえて大騒おおさわぎしたという。これらは上記じょうき定義ていぎにおいてはドキュメンタリーである[ちゅう 1]。リュミエールらが撮影さつえいしたその映像えいぞう家族かぞく会食かいしょくしている場面ばめんなど)も一種いっしゅ記録きろく映画えいがえる。

初期しょき映画えいがにおいては世界せかい各地かくち風景ふうけいさかんに撮影さつえいされ、大衆たいしゅうけて興業こうぎょうされた。これも紀行きこうドキュメンタリーのさきがけともいえる。

初期しょき映画えいがにおけるフィクション・ノンフィクションの境界きょうかい曖昧あいまいであり、のちにまれる様々さまざまなジャンルへは分化ぶんか状態じょうたいにあった。この段階だんかいではただ映像えいぞううつっていること、物珍ものめずらしいものがうつっていることに観客かんきゃく関心かんしん始終しじゅうした(このながれのなかで、演劇えんげき固定こていカメラによって撮影さつえいした映像えいぞうから劇映画げきえいがまれていくことになる)。

パイオニアたちの時代じだい

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やがて映画えいがという媒体ばいたいついくつかの可能かのうせい明確めいかくになるなかで、記録きろく媒体ばいたいという要素ようそ重視じゅうししながらみずからの問題もんだい意識いしき作品さくひん投影とうえいする意志いしった制作せいさくしゃあらわれてきた。ドキュメンタリーのちちわれたロバート・フラハティ(アメリカ、1884ねん - 1951ねん)やヨリス・イヴェンス(オランダ、1899ねん - 1989ねん)、ジガ・ヴェルトフ(ソビエト、1896ねん - 1954ねん)などである。

フラハティは代表だいひょうさくである『極北きょくほく怪異かいい (Nanook of the North』(1922ねん)を、イヌイットナヌーク一家いっかいち年間ねんかんとも生活せいかつしながら制作せいさくした。イヴェンスは当初とうしょはし』(1928ねん)や『あめ』(1929ねん)によってアヴァンギャルド映画えいが作家さっかとしての評価ひょうかたが、これらの映像えいぞう制作せいさくはその一貫いっかんした記録きろく映画えいが作家さっかとしての活動かつどう序章じょしょうとなっている。ヴェルトフは代表だいひょうさくカメラをったおとこ (en:Человек с киноаппаратом制作せいさくなどをとおして、現実げんじつ徹底的てっていてき記録きろく至上しじょうとする記録きろく映画えいが主義しゅぎ映画えいが」を提唱ていしょうし、記録きろく映画えいが作家さっかたち影響えいきょうあたつづけている。

こうした1920年代ねんだい成果せいかをもとに1930年代ねんだいいたって、イギリスの記録きろく映画えいが作家さっかポール・ローサ (Paul Rothaジョン・グリアスン (John Griersonらが提唱ていしょうした「英国えいこくドキュメンタリー映画えいが運動うんどう」など、映画えいがのもつ教育きょういく効果こうか宣伝せんでん効果こうか利用りようして社会しゃかい変革へんかくする意図いとをもった映画えいが制作せいさく隆盛りゅうせいした。現代げんだいの「ドキュメンタリー」という用語ようごはこの運動うんどう発祥はっしょうとされる。

ふたつの世界せかい大戦たいせんとドキュメンタリー

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こうしたドキュメンタリーの技法ぎほう技術ぎじゅつ確立かくりつされるにともなって、映画えいが大衆たいしゅう宣伝せんでん能力のうりょく注目ちゅうもくされ、国家こっかてきプロパガンダ目的もくてきとした作品さくひんおおくあらわれた。とくだいいち世界せかい大戦たいせん以降いこうそう力戦りきせん遂行すいこう可能かのうにする施策しさくひとつとしてプロパガンダ映画えいが製作せいさく重視じゅうしされた。

たとえば、レニ・リーフェンシュタール(ドイツ、1902-2003)の作品さくひん意志いし勝利しょうり』(1935ねん)はナチスとう大会たいかい記録きろくした映像えいぞうであるが、当時とうじとしてはきわめて洗練せんれんされた映像えいぞう作品さくひんとして仕上しあげられており、その美的びてき印象いんしょうによって大衆たいしゅうナチズム誘導ゆうどうしたとされる。そのためいまだにドイツでは上映じょうえい禁止きんしされている[ちゅう 2]

ナチス・ドイツはみずからの活動かつどうについて詳細しょうさい映像えいぞう記録きろくのこしたが、このなかにはユダヤじん強制きょうせい収容しゅうようしょ映像えいぞうなどもふくまれていた。こうした、もともとはナチスの記録きろく宣伝せんでんようとしてられた記録きろく映像えいぞう素材そざいとして使用しようし、反対はんたいにその犯罪はんざいせい告発こくはつした記録きろく映画えいが代表だいひょうさくアラン・レネ(フランス、1922-2014)の『よるきり』である。

人類じんるいがく映画えいが

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1930年代ねんだいから、映画えいがカメラは文化ぶんか人類じんるいがくのフィールドワークにも活用かつようされるようになった。こうした映像えいぞう活用かつようした人類じんるいがくとく映像えいぞう人類じんるいがく (Visual anthropologyばれ、撮影さつえいされた映像えいぞう人類じんるいがく映画えいがぶ。ここでは映像えいぞう記録きろくしゃ主観しゅかんてき解釈かいしゃく影響えいきょうされることのない絶対ぜったいてき客観きゃっかんせいをもった記録きろく手段しゅだんとしてとらえられている。

人類じんるいがく映画えいが純粋じゅんすい学術がくじゅつてき記録きろくであり、今日きょうてき意味いみでのドキュメンタリーとは一線いっせんかくするが、ドキュメンタリー映画えいが作家さっかたちに一定いってい影響えいきょうあたえてきたとわれる。

現代げんだいのドキュメンタリー

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だい世界せかい大戦たいせん、ドキュメンタリーは、産業さんぎょう映画えいが教育きょういく映画えいがばれる分野ぶんやから、しん植民しょくみん主義しゅぎ資本しほん主義しゅぎへの異議いぎとなえるものにいたるまで多様たようし、さらにテレビジョン登場とうじょう普及ふきゅうによってテレビ・ドキュメンタリーという放送ほうそう前提ぜんていとした作品さくひん分野ぶんや登場とうじょうした。

そのなかで、古典こてんてきスタイルのドキュメンタリー制作せいさく深刻しんこく社会しゃかいてき問題もんだい連動れんどうしてさかんに制作せいさくされた。たとえばベトナム戦争せんそう時代じだいにはヨリス・イヴェンスはべいぐんきたばくさらされるハノイはいり、市民しみん日常にちじょう撮影さつえいし て『ベトナムからとおはなれて』(1967ねん)や『北緯ほくい17』(17e parallèle: La guerre du peuple 1968ねん)を制作せいさくした。なかでも『ベトナムからとおはなれて』はクリス・マルケルジャン=リュック・ゴダールなどフランスの気鋭きえい映画えいが作家さっかたちとのともさくとなった。

日本人にっぽんじんでは、牛山うしやま純一じゅんいちがテレビドキュメンタリーとして『みなみベトナム海兵かいへい大隊だいたい戦記せんき』を制作せいさくした。日本にっぽんにおいてはほかに『えが子供こどもたち』を制作せいさくした羽仁はにすすむ水俣病みなまたびょう追及ついきゅうつづけた土本どもと典昭のりあき三里塚さんりづか闘争とうそうえがいた小川おがわしんかい、『ゆきゆきて、かみぐん』のはら一男かずおなどが活躍かつやくした。

さらに8ミリ映画えいが16じゅうろくミリ (16 mm film映画えいがビデオカメラなど廉価れんかあつかえる機材きざい普及ふきゅうしたことで、きわめて私的してき世界せかいあつかった個人こじん映画えいが勃興ぼっこうした。たとえばジョナス・メカス (Jonas Mekasの『リトアニアへのたび追憶ついおく』(Reminiscences of a Journey to Lithuania 1972ねん)はアメリカにらす作者さくしゃ自身じしんまれ故郷こきょうであるリトアニアたずねる様子ようすみずからの撮影さつえい構成こうせいした。一見いっけんホームビデオてき作品さくひんであるが、世界中せかいじゅう個人こじん映画えいが記念きねんてき作品さくひんとして支持しじされた。

一方いっぽうで、観客かんきゃく劣情れつじょううったえる娯楽ごらくとしてのドキュメンタリー映画えいがもテレビ・ドキュメンタリーの普及ふきゅう以前いぜんには流行りゅうこうした。これらは世界せかい各地かくち大都市だいとしよる風俗ふうぞく退廃たいはいてきかいなイベント、欧米おうべい以外いがいのアジア(日本にっぽんふくむ)やアフリカの民族みんぞくの「野蛮やばんな」風習ふうしゅうったものである。とくグァルティエロ・ヤコペッティの『世界せかい残酷ざんこく物語ものがたり』(1962ねん)は海外かいがい旅行りょこうめずらしい時代じだい世界せかい奇習きしゅう紹介しょうかいしてだいヒットを記録きろくし、以後いご1980年代ねんだい前半ぜんはん衰退すいたいするまでこののドキュメンタリーは数多かずおお制作せいさくされた(これらの映画えいがモンド映画えいがばれている)。

これらのモンド映画えいが当初とうしょからおおくのやらせふくんでいたほか、ヨーロッパのがわからおとった東洋とうようやアフリカをるというオリエンタリズムてき視線しせんがあったことが批判ひはんされている。モンド映画えいがブームの後半こうはんにはやらせのうちせるなかばフィクションてきなものが登場とうじょうしたほか、観客かんきゃくもやらせの存在そんざい暗黙あんもく了解りょうかいとしてたのしむようになり、やがてテレビによるショッキングな特集とくしゅう番組ばんぐみなどに吸収きゅうしゅうされてえていった。

また、ドキュメンタリーの制作せいさく技法ぎほうステレオタイプし、手持てもちカメラなどドキュメンタリーに特有とくゆう技法ぎほう逆手さかてって臨場りんじょうかん本物ほんものかんのあるフィクション(ドラマ)が制作せいさくされるようなケースが1970年代ねんだい以降いこうあらわれ、こうした手法しゅほうはすでにハリウッドなどでも一般いっぱんしている。さらに日本にっぽんにおいては1980年代ねんだいころから伝統でんとうてき取材しゅざい構成こうせい形式けいしきほかに、ドラマとともに構成こうせいされた「ドキュメンタリードラマ (Docudrama(アメリカでは1970年代ねんだい確立かくりつされた形式けいしきである)、クイズやスタジオでのトークショーなどをぜた「ドキュメントバラエティー」などが登場とうじょうし、それぞれ一般いっぱんしている。

1990年代ねんだい以降いこう、テレビ放送ほうそうでは「リアリティーショー」とばれる、一定いってい極端きょくたん設定せっていのもとでの、台本だいほんなし(という建前たてまえ)の、視聴しちょうしゃからつのった素人しろうと出演しゅつえんしゃなど登場とうじょう人物じんぶつ言行げんこう固定こていカメラで観察かんさつするというスタイルが世界せかいてき流行りゅうこうした。この技法ぎほう真実しんじつらしく表現ひょうげんするという意味いみでは、その監視かんしカメラてき映像えいぞうゆえ斬新ざんしんであったが、演出えんしゅつされた(または虚構きょこうの)撮影さつえい対象たいしょう表現ひょうげん手法しゅほうよって真実しんじつらしくせてしまう実例じつれい目立めだつ。

リアリティー番組ばんぐみ実話じつわ再現さいげん番組ばんぐみ警官けいかん密着みっちゃく番組ばんぐみ日本にっぽん警察けいさつ24、アメリカでは全米ぜんべい警察けいさつ24 コップス)などの隆盛りゅうせいにより、人々ひとびと台本だいほんのあるドラマよりも真実しんじつやドキュメンタリーらしくえるものをこのみつつある傾向けいこうあきらかになってきた。また、2001ねんアメリカ同時どうじ多発たはつテロ事件じけん影響えいきょうでドラマは打撃だげきけ、一方いっぽう監督かんとく本人ほんにん素人しろうと社会しゃかい問題もんだいなどに突撃とつげきするリアリティー番組ばんぐみたスタイルのドキュメンタリー映画えいが興行こうぎょう成績せいせきすようになった。『華氏かし911』や『スーパーサイズ・ミー』などはそのれいである。

ラジオ・ドキュメンタリー

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ドキュメンタリーと報道ほうどうちが

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社会しゃかい問題もんだいげるというてんにおいてはドキュメンタリーも報道ほうどうおなじだが、もり達也たつやは、ドキュメンタリーは制作せいさくしゃ主観しゅかん世界せかいかん表出ひょうしゅつすることがさい優先ゆうせん順位じゅんいにあるのにたいして報道ほうどう可能かのうかぎ客観きゃっかんせい中立ちゅうりつせいつね意識いしきかなければならないというちがいがあるとべている[5]

またもりは、中国人ちゅうごくじんつくったドキュメンタリー映画えいが文化庁ぶんかちょう助成じょせいしたことを自民党じみんとう一部いちぶ議員ぎいん疑問ぎもんした結果けっかとして複数ふくすう映画えいがかん上映じょうえい中止ちゅうしになった事案じあん発生はっせいさいし、ドキュメンタリーの本質ほんしつについて以下いかのようにべた[6]

自民党じみんとう有村ありむら治子はるこ議員ぎいん国会こっかいで、被写体ひしゃたいとなった刀匠とうしょう自分じぶんうつっている場面ばめん削除さくじょしてほしいと主張しゅちょうしていると発言はつげんして、おおきな波紋はもんひろげています。ドキュメンタリーをつく立場たちばからえば、これはとても重要じゅうよう問題もんだい提起ていきしています。事前じぜん被写体ひしゃたいせて了解りょうかいをとる。これが前提ぜんていなら映画えいがをつぶすのなんて簡単かんたんですね。ドキュメンタリーというジャンルは確実かくじつほろびます。ぼくも、はら一男かずおマイケル・ムーアもみんな転職てんしょくせねばならなくなる。自作じさく映画えいが「A」いにします。中盤ちゅうばん警察官けいさつかんによる不当ふとう逮捕たいほのシーンがあります。あの警官けいかんが「おれうつっているシーンは使つかうな」とってきたら、ぼくはどうすればいいのでしょうか。あるいはうつんでいるおおくのメディア関係かんけいしゃかれらの了解りょうかいていません。もちろん編集へんしゅうみの映像えいぞうせていない。ならば上映じょうえいできないのでしょうか?ドキュメンタリーは現実げんじつって、その断片だんぺん素材そざいさい構成こうせいした自己じこ表現ひょうげんです。人権じんけん規範きはんさい優先ゆうせんにしていてはなにれなくなる。稲田いなだ議員ぎいん試写ししゃかいまえにこういました。「客観きゃっかんてきでなければドキュメンタリーではない」と。ぼくはこれでキレました。冗談じょうだんじゃない。ドキュメンタリーは主観しゅかんです。つくがわおもいです。メディアについてもっと鋭敏えいびん感覚かんかくたなければならない政治せいじが、この程度ていどリテラシーしかないのならあまりになさけない。 — もり達也たつや創出そうしゅつばん映画えいが靖国やすくに上映じょうえい中止ちゅうしをめぐるだい議論ぎろん』「2008ねん4がつ14にちMIC/JCJ主催しゅさい集会しゅうかいでの講演こうえん」p58-60

サブジャンル

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ドキュメンタリーにはいくつかのしょうジャンルが存在そんざいする[7]。 (リアリティ番組ばんぐみ#「構成こうせいのない」ドキュメンタリー参照さんしょうのこと)

  • ダイレクトシネマ英語えいごばん(direct cinema)- ナレーションインタビューBGM排除はいじょしたドキュメンタリー。日本にっぽんではそう田和たわひろし観察かんさつ映画えいがしょうして制作せいさくしている。
  • セルフドキュメンタリー(Self documentary/Participatory documentary)- 作者さくしゃみずからや家族かぞくなどの周辺しゅうへん人物じんぶつ撮影さつえい対象たいしょうとしたドキュメンタリー。参加さんかがたドキュメンタリーとも。
  • フェイクドキュメンタリー (Mockumentary)- モキュメンタリ―とも。ドキュメンタリー調ちょう制作せいさくされたフィクション。
  • リアリティーショー(Reality television) - 現実げんじつこっている劇的げきてき状況じょうきょう一般人いっぱんじん出演しゅつえんしゃたち(無名むめい芸能人げいのうじんなどもふくむ)が直面ちょくめんするさまをうつしたドキュメンタリー。おもにテレビ番組ばんぐみ放送ほうそうされる。恋愛れんあいリアリティーショーや調査ちょうさ捜索そうさく番組ばんぐみなどがおもれいである。
  • インタビュードキュメンタリー(Interview documentary) - インタビューを基調きちょうとして構成こうせいされたドキュメンタリー。TBSの「まる」(1967ねん2がつ9にち)など。
  • エッセイスティックドキュメンタリー(Essayistic documentary) - 作者さくしゃによるエッセイのようなナレーションによって進行しんこうするドキュメンタリー。エッセイ映画えいが
  • リフレクシブドキュメンタリー(Reflexive documentary) - ドキュメンタリーの信憑しんぴょうせい懐疑かいぎし、作品さくひん構成こうせい注意ちゅういけさせるドキュメンタリー。
  • ハイブリッドドキュメンタリー(Hybrid documentary) - なに理解りかいするべきか明確めいかくではない、作者さくしゃ視聴しちょうしゃあいだ対話たいわまれるドキュメンタリー。
  • パフォーマンスドキュメンタリー(Performative documentary) - コンサート演劇えんげき記録きろくしたドキュメンタリー。
  • アニメーションドキュメンタリー(Animation documentary) - アニメーションによって構成こうせいされたドキュメンタリー。
  • 教育きょういくドキュメンタリー(Educational films) - 教育きょういく目的もくてき制作せいさくされたドキュメンタリー。

日本にっぽん以外いがい代表だいひょうてきドキュメンタリー

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日本にっぽん代表だいひょうてきドキュメンタリー作品さくひん

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映画えいが
テレビ
インターネット番組ばんぐみ

ドキュメンタリーも対象たいしょうとする映画えいがさい映像えいぞうさいしょう

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(テレビ・ドキュメンタリーもふくむ)

日本にっぽん以外いがい

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毎年まいとし長編ちょうへんドキュメンタリーしょう短編たんぺんドキュメンタリーしょう授与じゅよされている。
  • アムステルダム国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさいInternational Documentary Film Festival Amsterdam、オランダ)
  • アジアテレビしょう(Asian Television Awards、シンガポール)
  • オーバーハウゼン国際こくさい短篇たんぺん映画えいがさい(International Short Film Festival Oberhausen、ドイツ)
  • ミュンヘン国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさい(Munich International Documentary Film Festival、ドイツ)
  • クレテイユ国際こくさい女性じょせい映画えいがさい(Creteil International Women's Film Festival、フランス)
  • シェフィールド国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさい(Sheffield International Documentary Festival、英国えいこく
  • ワイルドスクリーン(Wildscreen、英国えいこく
  • テサロニキ・ドキュメンタリー映画えいがさい(テサロニキ・ドキュメンタリー映画えいがさい、ギリシャ)
  • アテネ国際こくさい映画えいがさい(Athens International Film Festival、ギリシャ)
  • トロイア国際こくさい映画えいがさい(Troia International Film Festival、ポルトガル)
  • ビルバオ国際こくさい映画えいがさい(Bilbao International Festival of Documentary and Short Films、スペイン)
  • キエフ国際こくさい映画えいがさい(Molodist Kyiv International Film Festival、ウクライナ)
  • クラクフ国際こくさい映画えいがさい(Cracow Short Film Festival、ポーランド)
  • アンカラ国際こくさい映画えいがさい(Ankara International Film Festival、トルコ)
  • テルアビブ国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさい(Tel Aviv International Documentary Film Festival、イスラエル)
  • ニューヨーク国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさい(The New York International Documentary Festival、アメリカ)
  • ワールドフェスト・ヒューストン国際こくさい映画えいがさい(WorldFest Houston International Film Festival、アメリカ)
  • ホットスプリングス・ドキュメンタリー映画えいがさい(Hot Spring Documentary Film Festival、アメリカ)
  • サンタフェ映画えいがさい(Santa Fe Film Festival、アメリカ)
  • シネマ ドゥ リール (Cinéma du réel、フランス)
  • DCインディペンデント映画えいがさい(DC Independent Film Festival、アメリカ)
  • しんラテンアメリカ国際こくさい映画えいがさい(Festival Internacional del Nuevo Cine Latinoamericano、キューバ)
  • みなみアフリカ国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさい(South African International Documentary Festival、みなみアフリカ共和きょうわこく
  • 北京ぺきん国際こくさい科学かがく映像えいぞうさい中国ちゅうごく
  • 台湾たいわん国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさい(Taiwan International Documentary Festival、台湾たいわん
  • ソウル・インディペンデント・ドキュメンタリーフェスティバル(Seoul Independent Documentary Festival、韓国かんこく
  • ムンバイ国際こくさい映画えいがさい(Mumbai International Film Festival、インド)

日本にっぽん

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関連かんれん文献ぶんけん

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  • 河村かわむら雅隆まさたか 『ドキュメンタリーとはなにか--テレビ・ディレクターの仕事しごとブロンズしんしゃ、1995ねん8がつISBN 4893091026
  • 佐藤さとうしん『ドキュメンタリー映画えいが地平ちへい--世界せかい批判ひはんてきけとめるために〈うえ〉』 凱風社がいふうしゃ、2001ねん1がつISBN 4773625058
  • 佐藤さとうしん『ドキュメンタリー映画えいが地平ちへい--世界せかい批判ひはんてきけとめるために〈した〉』 凱風社がいふうしゃ、2001ねん1がつISBN 4773625066
  • 今野こんのつとむ 『テレビのうそ見破みやぶる』 新潮社しんちょうしゃ、2004ねん10がつISBN 4106100886
  • もり達也たつや 『ドキュメンタリーはうそをつく』 くさおもえしゃ、2005ねん3がつ22にちISBN 4794213891
  • 竹林たけばやし紀雄としお日本にっぽん映画えいが叢書そうしょ5 映画えいが世界せかい記録きろくする』(村山むらやま匡一きょういちろうへん)より10しょう「テレビ・ドキュメンタリーのあたらしい相貌そうぼうもりはなししゃ、2006ねん9がつ20日はつかISBN 4916087674
  • 現代げんだい思想しそう 2007ねん10がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう そう特集とくしゅう=ドキュメンタリー』 青土おうづちしゃ、2007ねん10がつISBN 479171170X

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 被写体ひしゃたいとなった群衆ぐんしゅうのなかにリュミエールらが仕込しこんだ関係かんけいしゃふくまれることは映画えいがにおける史上しじょう最初さいしょ演出えんしゅつともいわれる。
  2. ^ こうした映画えいがではかならずしも現実げんじつをありのままに記録きろくしているとはかぎらず、制作せいさくしゃ体制たいせい思想しそう沿うように現実げんじつ歪曲わいきょくしてえがかれる傾向けいこうつよい。
  3. ^ つじ典子のりこ本人ほんにん出演しゅつえんしているが、一部いちぶフィクションである。

出典しゅってん

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  1. ^ Lexico, documentary, NOUN
  2. ^ [1]A piece of written, printed, or electronic matter that provides information or evidence or that serves as an official record.
  3. ^ 丸山まるやま友美ゆみラジオ・ドキュメンタリー「録音ろくおん構成こうせい」の成立せいりつ:NHK『街頭がいとう録音ろくおん』と『社会しゃかい探訪たんぼう」『マス・コミュニケーション研究けんきゅうだい95かん日本にっぽんマス・コミュニケーション学会がっかい、2019ねん、143-162ぺーじdoi:10.24460/mscom.95.0_143ISSN 1341-1306NAID 130007733954 
  4. ^ ラジオドキュメンタリーってなにだろう 2011.10.18 東京大学とうきょうだいがく大学院だいがくいん情報じょうほうがくたまき学際がくさい情報じょうほう学府がくふ
  5. ^ a b もり達也たつや 『ドキュメンタリーはうそをつく』 くさおもえしゃ、2005ねん3がつ22にち、85-95・160ぺーじISBN 4794213891
  6. ^ もり達也たつや鈴木すずき邦男くにお宮台みやのだい真司しんじ田原たはら総一朗そういちろう しる篠田しのだ博之ひろゆき へん映画えいが靖国やすくに上映じょうえい中止ちゅうしをめぐるだい議論ぎろん』(初版しょはん有限ゆうげん会社かいしゃ創出そうしゅつばん東京とうきょう、2008ねん6がつ23にち原著げんちょ2008ねん4がつ14にち)、58-60ぺーじISBN 9784924718883。"「靖国やすくに上映じょうえい中止ちゅうし問題もんだいの〝ねじれ〟4がつ14にちMIC/JCJ主催しゅさい集会しゅうかいでの講演こうえん"。 
  7. ^ [2]Documentary genres

関連かんれん項目こうもく

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