もともとの意味 いみ は冒頭 ぼうとう で示 しめ した定義 ていぎ 文 ぶん のように「電磁波 でんじは による無線 むせん 方式 ほうしき の送受信 そうじゅしん 」全般 ぜんぱん を意味 いみ する言葉 ことば である[2] 。しかし、日本 にっぽん において一般 いっぱん 的 てき には、電波 でんぱ による音声 おんせい 放送 ほうそう (ラジオ放送 ほうそう )とその受信 じゅしん 機 き (ラジオ放送 ほうそう 受信 じゅしん 機 き )を指 さ して使 つか っていることが多 おお い[2] 。
当 とう 記事 きじ ではいずれも扱 あつか う。つまり、音響 おんきょう (音声 おんせい や音楽 おんがく など)を電磁波 でんじは の信号 しんごう に変換 へんかん し無線 むせん でつまり送信 そうしん 側 がわ と受信 じゅしん 側 がわ を電線 でんせん で繋 つな いだりせずに信号 しんごう を送信 そうしん ・受信 じゅしん する技術 ぎじゅつ 、その技術 ぎじゅつ を用 もち いた放送 ほうそう 、その放送 ほうそう を受信 じゅしん するための装置 そうち 、いずれも扱 あつか う。
電磁波 でんじは による無線 むせん 方式 ほうしき の送受信 そうじゅしん 技術 ぎじゅつ
ラジオ放送 ほうそう
いくつかの方式 ほうしき があり、最 もっと も歴史 れきし の長 なが いのは振幅 しんぷく 変調 へんちょう による中波 ちゅうは 放送 ほうそう (AM放送 ほうそう )で、基本 きほん 的 てき な方式 ほうしき は100年間 ねんかん ほど変 か わらなかったが、同 おな じく振幅 しんぷく 変調 へんちょう 方式 ほうしき であるが波長 はちょう の短 みじか い短波 たんぱ 放送 ほうそう (SW放送 ほうそう )も(国境 こっきょう を越 こ えるような放送 ほうそう で)使 つか われ、さらに1937年 ねん には周波数 しゅうはすう 変調 へんちょう 方式 ほうしき のFM放送 ほうそう も登場 とうじょう し、地域 ちいき 放送 ほうそう などで活用 かつよう されるようになった。→#ラジオ放送 ほうそう の種類 しゅるい 。
ラジオ放送 ほうそう 受信 じゅしん 機 き
ラジオ放送 ほうそう の種類 しゅるい に応 おう じて、AMラジオ(- 受信 じゅしん 機 き )、SWラジオ(短波 たんぱ ラジオ受信 じゅしん 機 き )、FMラジオ(- 受信 じゅしん 機 き )などがあり、複数 ふくすう の方式 ほうしき を受信 じゅしん できるマルチバンド受信 じゅしん 機 き もある。→#ラジオ放送 ほうそう 受信 じゅしん 機 き の種類 しゅるい
語源 ごげん や表記 ひょうき
無線 むせん 電信 でんしん の英語 えいご 表記 ひょうき であるradiotelegraphy の短縮 たんしゅく 語 ご を語源 ごげん とする[3] 。
カタカナでは「レディオ」「レイディオ」と表記 ひょうき される場合 ばあい もあり、戦前 せんぜん はラヂオ などと表記 ひょうき した[注 ちゅう 1] 。
1950年 ねん (昭和 しょうわ 25年 ねん )施行 しこう の日本 にっぽん の電波 でんぱ 法 ほう では、当 とう 記事 きじ で扱 あつか っていること(無線 むせん で音声 おんせい を送 おく ・受信 じゅしん すること)は「無線 むせん 電話 でんわ 」と呼 よ んでいる。古 ふる くは、現在 げんざい のラジオ放送 ほうそう の前身 ぜんしん にあたるものを「放送 ほうそう 無線 むせん 電話 でんわ 」などとも呼 よ んだ[4] 。
ラジオ放送 ほうそう の種類 しゅるい
編集 へんしゅう
ラジオ放送 ほうそう 受信 じゅしん 機 き の種類 しゅるい
編集 へんしゅう
真空 しんくう 管 かん ラジオ
東京通信工業 とうきょうつうしんこうぎょう (現 げん ・ソニー )のTR-52 (1952年 ねん 発売 はつばい )。日本 にっぽん 製 せい トランジスタラジオ の1号機 ごうき 。
分類 ぶんるい 史 し
1950年代 ねんだい までは基本 きほん 的 てき に次 つぎ のように分類 ぶんるい していた。
鉱石 こうせき ラジオ / 真空 しんくう 管 かん ラジオ
鉱石 こうせき ラジオは受信 じゅしん したものを増幅 ぞうふく せず鉱石 こうせき 検波 けんぱ 器 き やゲルマニウムダイオード 等 とう で直接 ちょくせつ 検波 けんぱ し、クリスタル・イヤホン等 とう で聴取 ちょうしゅ するもの。それに対 たい して真空 しんくう 管 かん ラジオは真空 しんくう 管 かん で増幅 ぞうふく 回路 かいろ を組 く み増幅 ぞうふく を行 おこな うものだった。真空 しんくう 管 かん ラジオは、使 つか う真空 しんくう 管 かん の数 かず で(1球 きゅう /2球 きゅう /3球 きゅう /4球 きゅう /5球 きゅう ...と)分類 ぶんるい された。
トランジスタを用 もち いたトランジスタラジオ が登場 とうじょう した1950年代 ねんだい なかごろ以降 いこう は基本 きほん 的 てき に次 つぎ のように分類 ぶんるい された
鉱石 こうせき ラジオ / 真空 しんくう 管 かん ラジオ / トランジスタラジオ
そしてトランジスタラジオはやはり、用 もち いるトランジスタの数 かず で(1石 せき /2石 せき /3石 せき /4石 せき /5石 せき /6石 せき ...などと)分類 ぶんるい されることになった。
回路 かいろ の方式 ほうしき による分類 ぶんるい
編集 へんしゅう
真空 しんくう 管 かん やトランジスタなどを用 もち いるラジオ受信 じゅしん 機 き は、主 おも に増幅 ぞうふく 回路 かいろ の方式 ほうしき により次 つぎ のように分類 ぶんるい できる(鉱石 こうせき ラジオも、異質 いしつ な回路 かいろ ながら併 あわ せて列挙 れっきょ することがある)。
ストレート
受信 じゅしん した周波数 しゅうはすう のまま検波 けんぱ し増幅 ぞうふく ・復調 ふくちょう を行 おこな う。戦前 せんぜん は殆んどがこのタイプが主流 しゅりゅう だった。戦後 せんご は電子 でんし 回路 かいろ を理解 りかい するための電子 でんし 工作 こうさく で製作 せいさく する程度 ていど の利用 りよう のみ。正 せい 帰還 きかん を用 もち いた再生 さいせい 検波 けんぱ も広 ひろ く用 もち いられた。
レフレックス
ラジオ搬送波 はんそうは と復調 ふくちょう 後 ご の音声 おんせい の周波数 しゅうはすう 帯域 たいいき が異 こと なるのを利用 りよう し、検波 けんぱ 前 まえ の高周波 こうしゅうは 増幅 ぞうふく と検波 けんぱ 後 ご の音声 おんせい 増幅 ぞうふく を一 ひと つの増幅 ぞうふく 素子 そし で兼 か ねる方式 ほうしき 。増幅 ぞうふく 素子 そし には真空 しんくう 管 かん やトランジスタ 等 ひとし を用 もち いる。昔 むかし は高価 こうか だった増幅 ぞうふく 素子 そし を節約 せつやく するために考案 こうあん された。原理 げんり 的 てき にはストレート、スーパーヘテロダイン共 ども にレフレックス方式 ほうしき とする事 こと が可能 かのう ではある。
スーパーヘテロダイン
受信 じゅしん した周波数 しゅうはすう を一定 いってい の周波数 しゅうはすう (中間 ちゅうかん 周波数 しゅうはすう )に変換 へんかん した上 うえ で増幅 ぞうふく ・復調 ふくちょう を行 おこな う。太平洋 たいへいよう 戦中 せんちゅう は規制 きせい されており、戦後 せんご に主流 しゅりゅう となる。
ダイレクトコンバージョン
受信 じゅしん した周波数 しゅうはすう に近 ちか い高周波 こうしゅうは を発生 はっせい させ、直接 ちょくせつ 、音声 おんせい 信号 しんごう を取 と り出 だ す。近年 きんねん 、技術 ぎじゅつ 革新 かくしん により安定 あんてい して高周波 こうしゅうは を作 つく り出 だ すことが容易 ようい となり、中間 なかま 周波数 しゅうはすう に変換 へんかん する部品 ぶひん が省 はぶ け小型 こがた 化 か できるメリットから携帯 けいたい 電話 でんわ などに盛 さか んに用 もち いられるようになった。
デジタル信号 しんごう 処理 しょり (DSP)
受信 じゅしん した周波数 しゅうはすう を一定 いってい の周波数 しゅうはすう (中間 なかま 周波数 しゅうはすう )に変換 へんかん し増幅 ぞうふく ・復調 ふくちょう をデジタル信号 しんごう 処理 しょり して再 ふたた びアナログ信号 しんごう に変換 へんかん してから音声 おんせい 信号 しんごう を取 と り出 だ す。近年 きんねん 、ソフトウェアラジオ などに用 もち いられている。
チューニング方式 ほうしき による分類 ぶんるい
編集 へんしゅう
チューニング(tuning、同調 どうちょう 、選 せん 局 きょく )方式 ほうしき による分類 ぶんるい は以下 いか の通 とお りである。
アナログ
アナログラジオ回路 かいろ の例 れい
可変 かへん 容量 ようりょう コンデンサ(バリコン)や可変 かへん インダクタンス(μ みゅー 同調 どうちょう 器 き )やバリキャップ と可変 かへん 抵抗 ていこう 、などで選 せん 局 きょく するもの。大 おお まかに振 ふ られた目盛 めも りを頼 たよ りに(「コリンズ」のように精密 せいみつ なものもあるが)選 せん 局 きょく する。昔 むかし からあるタイプ。
デジタル表示 ひょうじ 式 しき アナログ
同調 どうちょう 回路 かいろ はアナログと同様 どうよう であるが、デジタル表示 ひょうじ の周波数 しゅうはすう カウンタが内蔵 ないぞう されたもの。デジタルのように周波数 しゅうはすう を数字 すうじ で確認 かくにん しながらの直感 ちょっかん 的 てき な選 せん 局 きょく が可能 かのう だが、テンキーやメモリによる選 せん 局 きょく は出来 でき ない。また、中間 なかま 周波 しゅうは の周波数 しゅうはすう をカウントし定数 ていすう を足 た して(または引 ひ いて)受信 じゅしん 周波数 しゅうはすう として表示 ひょうじ するものであるから、調整 ちょうせい がズレていると正確 せいかく ではない。PLLシンセサイザが安価 あんか になる以前 いぜん に、高級 こうきゅう 機 はた やBCL ラジオなどで採用 さいよう が見 み られたが、次 つぎ に述 の べるデジタル式 しき の普及 ふきゅう により1980年代 ねんだい 末期 まっき にはほとんど見 み られなくなった。しかしPLLシンセサイザは消費 しょうひ 電力 でんりょく が多 おお くコスト高 だか になるため、この方式 ほうしき を選択 せんたく した商品 しょうひん が近年 きんねん に入 はい り再度 さいど 見 み られるようになってきている。2018年 ねん から発売 はつばい された中国 ちゅうごく 製 せい マルチオーディオプレイヤーの複数 ふくすう の機種 きしゅ (Bearmax、とうしょう など)は、これで表示 ひょうじ されている。
アナログ表示 ひょうじ 式 しき デジタル
2021年 ねん 、東芝 とうしば エルイートレーディングはデジタル表示 ひょうじ の周波数 しゅうはすう カウンタは備 そな わっていないが、手回 てまわ しで選 せん 局 きょく するタイプのデジタルチューナーラジオを発表 はっぴょう した[7] 。FMのみならずAMにも同調 どうちょう 表示 ひょうじ が出現 しゅつげん する。
デジタル(PLLシンセサイザ )
基準 きじゅん 周波数 しゅうはすう を元 もと に、一定 いってい ステップの周波数 しゅうはすう を合成 ごうせい して同調 どうちょう 回路 かいろ を構成 こうせい するもの。高級 こうきゅう 機 き や、近年 きんねん は薄型 うすがた 機 き にも多 おお く使 つか われる。民生 みんせい 機 き では1970年代 ねんだい 後半 こうはん 頃 ごろ から登場 とうじょう している。オート選 せん 局 きょく 機能 きのう が備 そな わったラジオもある。
形態 けいたい による分類 ぶんるい
編集 へんしゅう
厳密 げんみつ な線引 せんひ きは必 かなら ずしもないが、形態 けいたい によりおおよそ以下 いか に分類 ぶんるい できる。
大型 おおがた
部屋 へや などに置 お いて使 つか う大型 おおがた のもの。真空 しんくう 管 かん 時代 じだい は殆 ほとん どこれに属 ぞく する。
コンポーネントオーディオとして製品 せいひん 化 か されたチューナーの一 いち 例 れい 。AM放送 ほうそう とFM放送 ほうそう に対応 たいおう している。周波数 しゅうはすう を選択 せんたく するためのダイヤルや、信号 しんごう 強度 きょうど 、同調 どうちょう の具合 ぐあい を示 しめ す計器 けいき などが付属 ふぞく している(SANSUI製 せい TU-307)。
チューナー
コンポーネントオーディオのコンポーネントのひとつ。ラジオの受信 じゅしん 機能 きのう のみ。アンプ を通 とお してスピーカー を鳴 な らす。
ポータブル
VHS カセット - タバコ の箱 はこ 位 い の大 おお きさ。乾電池 かんでんち で動作 どうさ 可能 かのう 。真空 しんくう 管 かん 時代 じだい にも電池 でんち 管 かん という電池 でんち で動作 どうさ するミニチュア管 かん やサブミニチュア管 かん を使 つか い、数 すう 十 じゅう ボルト程度 ていど の積層 せきそう 乾電池 かんでんち を用 もち いたものがあったが、消費 しょうひ 電力 でんりょく の少 すく ないトランジスタ の登場 とうじょう により電池 でんち 管 かん ラジオは急速 きゅうそく に衰退 すいたい し、代 か わってトランジスタラジオが急速 きゅうそく に普及 ふきゅう していった。
薄型 うすがた
シャツ の胸 むね ポケット に入 はい る程度 ていど のもの。スピーカーを内蔵 ないぞう していないイヤホン 専用 せんよう のものもある。
受信 じゅしん 周波数 しゅうはすう による分類 ぶんるい
編集 へんしゅう
1バンド
多 おお くは中波 ちゅうは (530 - 1605kHz きろへるつ )AMのみ、またはFMのみの製品 せいひん で、安価 あんか な携帯 けいたい ラジオやライトバン・トラックなどの商用 しょうよう 車 しゃ のカーラジオに多 おお い。その他 た 、ラジオNIKKEI受信 じゅしん 専用 せんよう の短波 たんぱ ラジオ も市販 しはん されていて(受信 じゅしん 周波数 しゅうはすう が固定 こてい されておりスイッチ切 き り替 か えだけで済 す む代 か わり、周辺 しゅうへん の局 きょく を聴 き くことは出来 でき ない)、数 かず は少 すく ないが、製造 せいぞう は続 つづ いている。近年 きんねん はチップセット に実装 じっそう されたFM放送 ほうそう 受信 じゅしん 音声 おんせい 出力 しゅつりょく 機能 きのう を使用 しよう 可能 かのう にした携帯 けいたい 電話 でんわ 機 き (特 とく にスマートフォン )がある。
2バンド
中波 ちゅうは +FMが多 おお い。アナログ チューニングの機器 きき のFM受信 じゅしん 周波数 しゅうはすう 範囲 はんい は76 - 108MHzまでのものが主流 しゅりゅう である。FM放送 ほうそう の周波数 しゅうはすう 範囲 はんい は76 - 90MHzだったが、隣接 りんせつ する周波数 しゅうはすう 帯 たい を利用 りよう するアナログテレビ放送 ほうそう 1チャンネルから3チャンネルまでの音声 おんせい を受信 じゅしん することを想定 そうてい して108MHzまで受信 じゅしん できるように設計 せっけい されていた。しかし、アナログテレビ放送 ほうそう の終了 しゅうりょう した2011年 ねん 7月 がつ 以降 いこう は90MHzまでのラジオが増 ふ えてきた。その後 ご 、2015年 ねん 頃 ころ からFM補完 ほかん 中継 ちゅうけい 局 きょく 用 よう にFM放送 ほうそう の周波数 しゅうはすう 割 わ り当 あ てが拡大 かくだい されたことにより108MHzまで、あるいはFM補完 ほかん 中継 ちゅうけい 局 きょく の当初 とうしょ の割 わ り当 あ てである95MHzまで受信 じゅしん できるものが再 ふたた び出 で 始 はじ めている。FMステレオが受信 じゅしん できるものや、わずかではあるがFM・AMともにステレオで受信 じゅしん できるものがある。デジタルチューニングのうち、一部 いちぶ の携帯 けいたい ラジオやラジカセなど90MHz以降 いこう が「テレビ (TV)1ch - 3ch」のようにチャンネル(音声 おんせい 周波数 しゅうはすう )が決 き まっているものは海外 かいがい では受信 じゅしん できない。なお、FM放送 ほうそう 開始 かいし 以前 いぜん の1960年代 ねんだい 前半 ぜんはん [注 ちゅう 3] までは中波 ちゅうは +短波 たんぱ (3.9 - 12MHz)が多 おお かった。現在 げんざい でも、中波 ちゅうは +短波 たんぱ (ラジオNIKKEI受信 じゅしん 用 よう )のラジオは市販 しはん されている。中波 ちゅうは +FMのホームラジオ、ポケットラジオ、クロックラジオは2019年 ねん 以降 いこう も新 しん 製品 せいひん がどこかのメーカーから投入 とうにゅう され、需要 じゅよう に衰 おとろ えがない。
3バンド
3バンドラジオ
かつては中波 ちゅうは +FM+テレビの1 - 12chの音声 おんせい が受信 じゅしん できるもの、または中波 ちゅうは +FM+短波 たんぱ の3バンドを搭載 とうさい したホームラジオが多 おお く市販 しはん された。中波 ちゅうは +FM+複数 ふくすう の周波数 しゅうはすう 域 いき の短波 たんぱ (3.9 - 12MHzが主 おも であるが、メーカーによってはBCL向 む け短波 たんぱ ラジオとして、それよりも上 うえ の22MHz、あるいは30MHzまでの後述 こうじゅつ 「4バンド以上 いじょう 」に準 じゅん じたものもある)が、現在 げんざい OEMの形態 けいたい で市販 しはん されている。現在 げんざい は中波 ちゅうは +FM+短波 たんぱ (ラジオNIKKEI受信 じゅしん 用 よう )のラジオが市販 しはん されているほか、2012年 ねん に入 はい ってからは中波 ちゅうは +FM+テレビUHF(ワンセグ )の音声 おんせい が受信 じゅしん できるラジオも、少数 しょうすう 市販 しはん されている。短波 たんぱ を搭載 とうさい した3バンドラジカセ、という商品 しょうひん もかつてはあったが、現在 げんざい では希少 きしょう な存在 そんざい になっている。
4バンド
4バンドラジオ
中波 ちゅうは +FM+短波 たんぱ 放送 ほうそう のバンド75 - 13Mの各 かく バンド、あるいは長波 ちょうは ・中波 ちゅうは ・短波 たんぱ の150 - 530 - 30000kHz きろへるつ を連続 れんぞく 受信 じゅしん 可能 かのう な、「ゼネラルカバレッジ」と呼 よ ばれるもの。2019年 ねん 現在 げんざい の日本 にっぽん ではAIWA ほか。他 た にはソニーのICF-890V(生産 せいさん 終了 しゅうりょう )や、一部 いちぶ のラジカセなどで中波 ちゅうは +FM+テレビVHF(1 - 12ch)+テレビUHF(13 - 62ch)というタイプもあったが、1 - 3chを除 のぞ く(ハワイ 及 およ びアメリカ 本土 ほんど では88 - 108MHzまでが放送 ほうそう バンドである。超 ちょう 短波 たんぱ 放送 ほうそう 参照 さんしょう )VHFバンドとUHFバンドは2011年 ねん 7月 がつ 24日 にち (岩手 いわて ・宮城 みやぎ ・福島 ふくしま の各 かく 県 けん は2012年 ねん 3月 がつ 31日 にち )に地上 ちじょう デジタルテレビ放送 ほうそう への完全 かんぜん 移行 いこう による地上 ちじょう アナログテレビ放送 ほうそう の終了 しゅうりょう で受信 じゅしん できなくなるため生産 せいさん が打 う ち切 き られ、中波 ちゅうは +FM+テレビVHFの - 12chの音声 おんせい が受信 じゅしん できる3バンドラジオや中波 ちゅうは +FM+短波 たんぱ (ラジオNIKKEI受信 じゅしん 用 よう )+テレビVHFの4バンドラジオも同様 どうよう の理由 りゆう で生産 せいさん が打 う ち切 き られた。このため4バンドラジカセは絶滅 ぜつめつ した。厳密 げんみつ な意味 いみ の4バンドとは、FM+中波 ちゅうは +短波 たんぱ +長波 ちょうは を搭載 とうさい したラジオを指 さ す。他 た のメーカーで5バンド以上 いじょう を謳 うた う社 しゃ は存在 そんざい するが、短波 たんぱ を周波数 しゅうはすう 帯 たい で細 こま かく割 わ っている[8] だけである。
5バンド
中国 ちゅうごく のメーカーTECSUN 、XHDATA 、RADIWOW には中波 ちゅうは +FMステレオ+エアバンド+長波 ちょうは +短波 たんぱ の5バンドに対応 たいおう しているものが複数 ふくすう 発売 はつばい [9] [10] [11] されており、流通 りゅうつう 量 りょう は少 すく ないが入手 にゅうしゅ は可能 かのう である。日本 にっぽん メーカーの5バンドはELPAの2014年 ねん 発売 はつばい 機種 きしゅ のみ入手 にゅうしゅ できる[12] 。
ワイドバンドレシーバ
基本 きほん 的 てき に無線 むせん 電波 でんぱ 通信 つうしん 広帯域 こうたいいき 受信 じゅしん 機 き で、ラジオ放送 ほうそう ・TV放送 ほうそう 以外 いがい の業務 ぎょうむ 用 よう 無線 むせん 電波 でんぱ 通信 つうしん などの受信 じゅしん 再生 さいせい に対応 たいおう し、受信 じゅしん 可能 かのう 電波 でんぱ 帯域 たいいき が広 ひろ いだけでなく、多様 たよう な変調 へんちょう 方式 ほうしき にも対応 たいおう する事 こと を目指 めざ している。前述 ぜんじゅつ の「ゼネラルカバレッジ」の概念 がいねん を更 さら に押 お し広 ひろ げた物 もの である。バンド数 すう というより、対応 たいおう 広帯域 こうたいいき バンドの一部 いちぶ が技術 ぎじゅつ 的 てき 理由 りゆう で途切 とぎ れているか、自主 じしゅ 規制 きせい でマスクされていると理解 りかい すべき。
通信 つうしん 用 よう 受信 じゅしん 機 き
編集 へんしゅう
送信 そうしん 機 き と組 くみ にする無線 むせん 設備 せつび としての性能 せいのう を重視 じゅうし したもので、外観 がいかん としてはチューニング・ダイヤルが大 おお きく操作 そうさ しやすい、読 よ みとりやすい周波数 しゅうはすう 目盛 めも りがあるかデジタル表示 ひょうじ になっている、感度 かんど や選択 せんたく 度 ど を可変 かへん できるつまみ類 るい が付 つ いている、電波 でんぱ 型式 けいしき を切 き り替 か えるスイッチがある、外部 がいぶ アンテナ端子 たんし があるなどの特徴 とくちょう がある。ただし必 かなら ずしもこれらすべてを満 み たしているとは限 かぎ らず、また機能 きのう が豊富 ほうふ なものではよりたくさんのつまみ、スイッチ、接続 せつぞく 端子 たんし を備 そな えているものもある。一般 いっぱん に「レシーバー」とも呼 よ ばれ、ラジオ放送 ほうそう 帯 たい 域外 いきがい にも対応 たいおう する事 こと が多 おお い。出力 しゅつりょく 音質 おんしつ は重視 じゅうし されない事 こと が多 おお い。
無線 むせん 電話 でんわ の始 はじ まり
編集 へんしゅう
1900年 ねん 、歪 ゆが みはひどいものの世界 せかい で初 はじ めて電波 でんぱ [注 ちゅう 4] に音声 おんせい を乗 の せることに成功 せいこう したのは、カナダ 生 う まれでエジソンの会社 かいしゃ で技師 ぎし として勤 つと めたこともある電気 でんき 技術 ぎじゅつ 者 しゃ レジナルド・フェッセンデン であった。これが無線 むせん 電話 でんわ の始 はじ まりである。
フェッセンデンは引 ひ き続 つづ き、ヘテロダイン検波 けんぱ 方式 ほうしき や、電動 でんどう 式 しき の高周波 こうしゅうは 発振器 はっしんき を開発 かいはつ して改良 かいりょう に取 と り組 く み、1906年 ねん 12月24日 にち に、アメリカ・マサチューセッツ州 しゅう の自己 じこ の無線 むせん 局 きょく から、自 みずか らのクリスマス の挨拶 あいさつ を無線 むせん 電話 でんわ で送信 そうしん した。フェッセンデンはこの日 ひ 、レコード でヘンデル 作曲 さっきょく の「クセルクセスのラルゴ 」と、自身 じしん が演奏 えんそう するヴァイオリン と歌唱 かしょう で“O Holy Night”をそれぞれ流 なが し、聖書 せいしょ を朗読 ろうどく した。この実験 じっけん はあらかじめ無線 むせん 電信 でんしん によって予告 よこく されたもので「世界 せかい 初 はつ のラジオ放送 ほうそう 」であっただけでなく「最初 さいしょ のクリスマス 特別 とくべつ 番組 ばんぐみ 」でもある。フェッセンデンは「史上 しじょう 初 はつ のラジオアナウンサー でプロデューサー 」と言 い える。
ラジオ放送 ほうそう の始 はじ まり
編集 へんしゅう
しかし、ヒューゴー・ガーンズバック が1905年 ねん 11月より一般人 いっぱんじん 向 む けて通信 つうしん 販売 はんばい を始 はじ めた大衆 たいしゅう 無線 むせん 機 き 「テリムコ 」の受信 じゅしん 機 き は電波 でんぱ から音声 おんせい を復調 ふくちょう できないコヒーラ検波 けんぱ 器 き [注 ちゅう 5] によるものである。またグリーンリーフ・ホイッティア・ピカード が電波 でんぱ に乗 の せた音声 おんせい を復調 ふくちょう する鉱石 こうせき の検波 けんぱ 作用 さよう を発見 はっけん しその特許 とっきょ を得 え たのは遅 おそ く、1906年 ねん になってである。1906年 ねん 当時 とうじ のアマチュア無線 むせん 家 か らはまだコヒーラ検波 けんぱ 器 き を使 つか っており[13] [14] [15] 、彼 かれ らの受信 じゅしん 機 き が鉱石 こうせき 検波 けんぱ 器 き へ切替 きりか わったのは1910年 ねん 頃 ごろ であった[16] 。こういった時代 じだい 背景 はいけい を勘案 かんあん すると、フェッセンデンの実験 じっけん は広 ひろ く聴取 ちょうしゅ 者 しゃ に向 む けて送信 そうしん される「ラジオ放送 ほうそう 」というよりも、限定 げんてい された技術 ぎじゅつ 者 しゃ ・通信 つうしん 士 し を対象 たいしょう とした「無線 むせん 電話 でんわ 」の実験 じっけん に属 ぞく するとも考 かんが えられる。
一般人 いっぱんじん で無線 むせん の受信 じゅしん 機 き を所有 しょゆう していたのはアマチュア無線 むせん 家 か 達 たち のみであった[注 ちゅう 6] 。アマチュア無線 むせん は第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の勃発 ぼっぱつ で禁止 きんし されていたが、その終戦 しゅうせん で1919年 ねん 4月 がつ 12日 にち より、まず受信 じゅしん 活動 かつどう が解禁 かいきん された[注 ちゅう 7] 。戦後 せんご は一般 いっぱん アマチュアでも真空 しんくう 管 かん が入手 にゅうしゅ できるようになり、鉱石 こうせき 式 しき 受信 じゅしん 機 き から真空 しんくう 管 かん 式 しき 受信 じゅしん 機 き への置 お き換 か えが急速 きゅうそく に進 すす んでいた。
1920年 ねん 1月 がつ 17日 にち 、ワシントンD.C. アナスコティア にある海軍 かいぐん 飛行場 ひこうじょう から、海軍 かいぐん 省 しょう が娯楽 ごらく 音楽 おんがく 放送 ほうそう NOF を始 はじ めた。これをもって国営 こくえい 放送 ほうそう の嚆矢 こうし とするが[17] [18] 、そのリスナー層 そう は自分 じぶん で受信 じゅしん 機 き を組 く み立 た てたアマチュア無線 むせん 家 か であった。なお、1923年 ねん 1月 がつ 3日 にち 、アナコスティア海軍 かいぐん 航空局 こうくうきょく NOF は本来 ほんらい の航空 こうくう 無線 むせん の研究 けんきゅう に専念 せんねん することとなり、娯楽 ごらく 放送 ほうそう を終了 しゅうりょう している[19] 。
また、一部 いちぶ のアマチュア無線 むせん 家 か は無線 むせん 電話 でんわ を実験 じっけん するようになり、無線 むせん 電話 でんわ で「放送 ほうそう したい」アマチュア無線 むせん 家 か と、モールス電信 でんしん で「交信 こうしん したい」アマチュア無線 むせん 家 か の混信 こんしん 問題 もんだい が始 はじ まったのもこの頃 ころ である[注 ちゅう 8] 。
民間 みんかん 企業 きぎょう による商業 しょうぎょう 放送 ほうそう として世界 せかい で最初 さいしょ に許可 きょか されたものは、ウェスティングハウス電気 でんき 製造 せいぞう 会社 かいしゃ が1920年 ねん 11月2日 にち にアメリカ・ペンシルベニア州 しゅう ピッツバーグ で放送 ほうそう を開始 かいし したKDKA である。その中波 ちゅうは 送信 そうしん 機 き は同社 どうしゃ の技術 ぎじゅつ 者 しゃ フランク・コンラッド が設計 せっけい し、開局 かいきょく 初日 しょにち の番組 ばんぐみ は大統領 だいとうりょう 選挙 せんきょ の開票 かいひょう 情報 じょうほう で、ハーディング 候補 こうほ の当選 とうせん を伝 つた えた。
選択 せんたく 度 ど (分離 ぶんり 性能 せいのう )が良 よ くない受信 じゅしん 機 き で起 お きる、商業 しょうぎょう 放送 ほうそう (周波数 しゅうはすう 833kHz きろへるつ )とアマチュア無線 むせん 家 か の放送 ほうそう (周波数 しゅうはすう 1,500kHz きろへるつ )の混信 こんしん 問題 もんだい もくすぶっていたが、1922年 ねん と1923年 ねん の法 ほう 改正 かいせい でアマチュア無線 むせん のオペレーター資格 しかく では放送 ほうそう できないことになり、多 おお くのアマチュア無線 むせん 家 か が商業 しょうぎょう 放送 ほうそう 局 きょく のオーナーや技術 ぎじゅつ 者 しゃ に転向 てんこう したため、問題 もんだい はやや軽減 けいげん した。さらに、1923年 ねん 6月 がつ 28日 にち の規則 きそく 改正 かいせい [20] では、アマチュア無線 むせん 家 か は短波 たんぱ を申請 しんせい する権利 けんり を失 うしな ったかわりに、1,500 - 2,000kHz きろへるつ の帯域 たいいき 免許 めんきょ を獲得 かくとく した。同時 どうじ に毎夜 まいよ 20時 じ 00分 ふん から22時 じ 30分 ふん と、日曜 にちよう 午前 ごぜん の礼拝 れいはい タイム[注 ちゅう 9] を送信 そうしん 禁止 きんし として、ラジオ放送 ほうそう とアマチュア無線 むせん の混信 こんしん 問題 もんだい は一応 いちおう の解決 かいけつ をみた。
短波 たんぱ ラジオ放送 ほうそう
編集 へんしゅう
極 ごく 長距離 ちょうきょり を伝送 でんそう できる短波 たんぱ ラジオ放送 ほうそう を最初 さいしょ に行 い ったのはオランダ の国営 こくえい 放送 ほうそう で、1927年 ねん 11月から海外 かいがい 植民 しょくみん 地 ち 向 む けに放送 ほうそう を開始 かいし [21] 。翌 よく 1928年 ねん には当時 とうじ オランダ領 りょう であったインドネシア ・ジャワ島 じゃわとう での受信 じゅしん に成功 せいこう する。この実績 じっせき に追随 ついずい してドイツ 、ソ連 それん 、フランス 、イタリア 、イギリス 等 ひとし が1929 - 1932年 ねん にかけて植民 しょくみん 地 ち 向 む け放送 ほうそう や海外 かいがい 宣伝 せんでん 放送 ほうそう を短波 たんぱ で開始 かいし している。
1902年 ねん に周波数 しゅうはすう 変調 へんちょう 方式 ほうしき (FM方式 ほうしき )がフェッセンデンによって考案 こうあん された。しかし、実用 じつよう 的 てき なFMラジオは1933年 ねん 12月26日 にち にアメリカのエドウィン・H・アームストロング が特許 とっきょ を取得 しゅとく した技術 ぎじゅつ による[21] 。アームストロングは世界 せかい 初 はつ のFMラジオ局 きょく W2XMNを1937年 ねん に開局 かいきょく させ放送 ほうそう を開始 かいし した[21] 。
周波数 しゅうはすう 変調 へんちょう および超 ちょう 短波 たんぱ 放送 ほうそう (FM放送 ほうそう )を参照 さんしょう
2000年代 ねんだい に入 はい って、先進 せんしん 国 こく で地上 ちじょう デジタルラジオ 放送 ほうそう が開始 かいし された。また、アメリカのシリウスXMラジオ のような衛星 えいせい デジタルラジオサービスも開始 かいし されている。
2000年代 ねんだい にインターネットにおけるストリーミング配信 はいしん を使 つか ってラジオ番組 ばんぐみ を配信 はいしん する方法 ほうほう が考案 こうあん され、法人 ほうじん ・個人 こじん 含 ふく め様々 さまざま なラジオ局 きょく が開設 かいせつ された他 ほか に、従来 じゅうらい から電波 でんぱ を用 もち いて放送 ほうそう してきたラジオ局 きょく もサイマル放送 ほうそう などで次々 つぎつぎ と参入 さんにゅう した。PCやスマートフォンで手軽 てがる に聴取 ちょうしゅ でき、従来 じゅうらい の電波 でんぱ ラジオより音質 おんしつ も良 よ いことから、2010年代 ねんだい 後半 こうはん 以降 いこう はインターネットラジオ が主流 しゅりゅう になった。アメリカ では各局 かくきょく のWebサイト でラジオ番組 ばんぐみ を配信 はいしん しており、日本 にっぽん ではradiko が一括 いっかつ して加盟 かめい 局 きょく のラジオ番組 ばんぐみ のサイマル放送 ほうそう を行 おこな っている。
アメリカのラジオ放送 ほうそう
編集 へんしゅう
日本 にっぽん のラジオ放送 ほうそう
編集 へんしゅう
国民 こくみん のラジオ熱 ねつ (免許 めんきょ 制 せい 以前 いぜん )
編集 へんしゅう
日本 にっぽん のアマチュア無線 むせん 家 か は1920年代 ねんだい 初期 しょき から自作 じさく の無線 むせん 機 き で個人 こじん 間 あいだ の無線 むせん 交信 こうしん を行 おこな っており、1922年 ねん にはラジオ受信 じゅしん 機 き の製作 せいさく に関 かん する情報 じょうほう 誌 し 『ラヂオ』が創刊 そうかん されている[23] 。
その後 ご 、現在 げんざい はオーディオ雑誌 ざっし に変 か わっているが誠 まこと 文 ぶん 堂 どう 新光 しんこう 社 しゃ 刊 かん の『無線 むせん と実験 じっけん 』などが数多 かずおお く発売 はつばい され、また新聞 しんぶん 社 しゃ による独自 どくじ のラジオ中継 ちゅうけい が行 おこな われたりした。1924年 ねん には、大阪 おおさか 朝日新聞 あさひしんぶん による皇太子 こうたいし 裕仁 ひろひと 親王 しんのう (昭和 しょうわ 天皇 てんのう )御 ご 成婚 せいこん 奉祝 ほうしゅく 式典 しきてん や大阪毎日新聞 おおさかまいにちしんぶん による第 だい 15回 かい 衆議院 しゅうぎいん 議員 ぎいん 総 そう 選挙 せんきょ 開票 かいひょう の中継 ちゅうけい をはじめ、数 すう 多 おお くの実験 じっけん 的 てき 要素 ようそ の強 つよ い中継 ちゅうけい が行 おこな われている。
1923年 ねん 12月、逓信 ていしん 省 しょう は放送 ほうそう 用 よう 私設 しせつ 無線 むせん 電話 でんわ 規則 きそく を制定 せいてい 。翌年 よくねん 、当面 とうめん 東京 とうきょう 、名古屋 なごや 、大阪 おおさか の3地域 ちいき で、公益 こうえき 法人 ほうじん として各 かく 1事業 じぎょう 者 しゃ ずつ、ラジオ放送 ほうそう 事業 じぎょう を許可 きょか する方針 ほうしん を打 う ち出 だ した。
日本 にっぽん 初 はつ のラジオ放送 ほうそう
編集 へんしゅう
1925年 ねん のラジオ番組 ばんぐみ 表 ひょう 。『朝日 あさひ 年鑑 ねんかん 大正 たいしょう 14年 ねん - 大正 たいしょう 15年 ねん 』より。“米 べい 突”はメートルの当 あ て字 じ 。つまり375m=800kHz きろへるつ 、385m=779kHz きろへるつ
日本 にっぽん 初 はつ のラジオ放送 ほうそう は、1925年 ねん 3月22日 にち 9時 じ 30分 ふん [24] 、社団 しゃだん 法人 ほうじん 東京 とうきょう 放送 ほうそう 局 きょく (JOAK:現在 げんざい のNHK東京 とうきょう ラジオ第 だい 1放送 ほうそう 。略称 りゃくしょう :AK)が東京 とうきょう ・芝浦 しばうら の東京 とうきょう 高等 こうとう 工芸 こうげい 学校 がっこう (千葉大学 ちばだいがく 工学部 こうがくぶ の前身 ぜんしん )内 ない に設 もう けた仮 かり 送信 そうしん 所 しょ から発 はっ した京田 きょうだ 武男 たけお アナウンサー によるもので、第一声 だいいっせい は
アーアー、聞 き こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送 とうきょうほうそう 局 きょく であります。こんにち只今 ただいま より放送 ほうそう を開始 かいし 致 いた します
だった。波長 はちょう は375m(周波数 しゅうはすう 800kHz きろへるつ )、空中線 くうちゅうせん 電力 でんりょく (出力 しゅつりょく )約 やく 220W だった。当時 とうじ の受信 じゅしん 機 き の性能 せいのう に比 ひ して出力 しゅつりょく が弱 よわ かったため、東京 とうきょう 市 し 内 うち でないとよく聞 き こえなかった。
元々 もともと は3月1日 にち に放送 ほうそう を開始 かいし する予定 よてい だったが、購入 こうにゅう する予定 よてい だった、当時 とうじ 日本 にっぽん に1台 だい しかないウェスタン・エレクトリック (WE)社 しゃ 製 せい の放送 ほうそう 用 よう 送信 そうしん 機 き が、前年 ぜんねん 12月 がつ に同 おな じく設立 せつりつ 準備 じゅんび 中 ちゅう の社団 しゃだん 法人 ほうじん 大阪 おおさか 放送 ほうそう 局 きょく (JOBK:現在 げんざい のNHK大阪 おおさか 放送 ほうそう 局 きょく 、略称 りゃくしょう :BK)に買 か い取 と られてしまった。そこで東京 とうきょう 放送 ほうそう 局 きょく は、東京 とうきょう 市 し 電気 でんき 局 きょく 電気 でんき 研究所 けんきゅうじょ が放送 ほうそう 実施 じっし のために購入 こうにゅう したゼネラル・エレクトリック 社 しゃ 製 せい の無線 むせん 電信 でんしん 電話機 でんわき を借 か り放送 ほうそう 用 よう に改造 かいぞう して使用 しよう することにしたが、2月 がつ 26日 にち の逓信 ていしん 省 しょう の検査 けんさ で「放送 ほうそう 設備 せつび が未 み 完成 かんせい のため3月 がつ 1日 にち の放送 ほうそう 開始 かいし は時期 じき 尚早 しょうそう 」と判断 はんだん された。既 すで に3月 がつ 1日 にち から放送 ほうそう を開始 かいし すると発表 はっぴょう しており、また、大阪 おおさか 放送 ほうそう 局 きょく よりも先 さき に日本 にっぽん 初 はつ のラジオ放送 ほうそう を行 おこな いたいということで、「試験 しけん 送信 そうしん 」の名義 めいぎ で逓信 ていしん 省 しょう の許可 きょか を受 う け、何 なに とか3月 がつ 1日 にち から放送 ほうそう を開始 かいし することができた。
3週間 しゅうかん の試験 しけん 放送 ほうそう の後 のち 、逓信 ていしん 省 しょう の検査 けんさ に合格 ごうかく し、3月22日 にち に仮 かり 放送 ほうそう (仮 かり 施設 しせつ からの正式 せいしき な放送 ほうそう という意味 いみ )を開始 かいし し、7月 がつ 12日 にち に東京 とうきょう 府 ふ 東京 とうきょう 市 し 芝 しば 区 く (現在 げんざい の東京 とうきょう 都 と 港 みなと 区 く )の愛宕山 あたごやま からの本 ほん 放送 ほうそう が開始 かいし された。これには改 あらた めて購入 こうにゅう した出力 しゅつりょく 1kWのWE社 しゃ 製 せい 送信 そうしん 機 き を使用 しよう した。
大阪放送 おおさかほうそう 局 きょく はその年 とし の6月1日 にち から仮 かり 放送 ほうそう を出力 しゅつりょく 500Wで開始 かいし した。
さらに、社団 しゃだん 法人 ほうじん 名古屋放送局 なごやほうそうきょく (JOCK:現在 げんざい のNHK名古屋放送局 なごやほうそうきょく 、略称 りゃくしょう :CK)も同年 どうねん 7月 がつ 15日 にち に、出力 しゅつりょく 1kWのマルコーニ 社 しゃ 製 せい 送信 そうしん 機 き を使用 しよう して放送 ほうそう を開始 かいし した。
1925年 ねん 、ラジオ聴取 ちょうしゅ 契約 けいやく 者 しゃ は東京 とうきょう 13万 まん 1373、大阪 おおさか 4万 まん 7942、名古屋 なごや 1万 まん 4290件 けん 、受信 じゅしん 機 き は鉱石 こうせき 式 しき 10円 えん 、真空 しんくう 管 かん 式 しき 120円 えん [25] 。
1920年代 ねんだい 末 まつ のラジオ放送 ほうそう 収録 しゅうろく 風景 ふうけい 。右 みぎ は粟島 あわしま すみ子 こ (中央 ちゅうおう )ら松竹 しょうちく 蒲田 かまた 撮影 さつえい 所 しょ の映画 えいが 俳優 はいゆう たちによるラジオドラマ、左 ひだり は演奏 えんそう 中 ちゅう の新橋 しんばし 芸者 げいしゃ たち。
社団 しゃだん 法人 ほうじん 東京 とうきょう ・大阪 おおさか ・名古屋放送局 なごやほうそうきょく は翌年 よくねん の1926年 ねん に「社団 しゃだん 法人 ほうじん 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 」として統合 とうごう された。これは実質 じっしつ 的 てき には政府 せいふ 機関 きかん 的 てき な性格 せいかく を持 も っていた。「全国 ぜんこく 鉱石 こうせき 化 か 」(日本 にっぽん 全国 ぜんこく のどこでも鉱石 こうせき 受信 じゅしん 機 き によるラジオ聴取 ちょうしゅ を可能 かのう とするインフラの整備 せいび )を目標 もくひょう [注 ちゅう 10] に日本 にっぽん 各地 かくち に放送 ほうそう 局 きょく を開設 かいせつ したほか、外地 がいち の南 みなみ 樺太 からふと (豊原 とよはら 放送 ほうそう 局 きょく )や南洋 なんよう 群島 ぐんとう (パラオ放送 ほうそう 局 きょく )にも置 おけ 局 きょく した。さらに、朝鮮 ちょうせん には朝鮮 ちょうせん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 、台湾 たいわん には台湾 たいわん 放送 ほうそう 協会 きょうかい が設立 せつりつ され、日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい の番組 ばんぐみ を多 おお く中継 ちゅうけい した。
1927年 ねん 8月 がつ 、ラジオで全国 ぜんこく 中等 ちゅうとう 学校 がっこう 優勝 ゆうしょう 野球 やきゅう 大会 たいかい が中継 ちゅうけい された(初 はつ のスポーツ中継 ちゅうけい )[26] 。
1928年 ねん 11月には昭和 しょうわ 天皇 てんのう の即位 そくい の礼 れい が全国 ぜんこく 中継 ちゅうけい された(初 はつ の本格 ほんかく 的 てき な全国 ぜんこく ネット放送 ほうそう )[26] 。また、1930年 ねん 2月 がつ にはロンドン軍縮 ぐんしゅく 会議 かいぎ の中継 ちゅうけい が行 おこな われた(初 はつ の国際 こくさい 中継 ちゅうけい )[26] 。
受信 じゅしん 機 き としては、交流 こうりゅう 商用 しょうよう 電源 でんげん や大 だい 容量 ようりょう 電池 でんち によって作動 さどう する真空 しんくう 管 かん を使 つか ったものが登場 とうじょう し、鉱石 こうせき 式 しき のイヤホン に代 か わって、スピーカー で大 おお きな音量 おんりょう の放送 ほうそう が聞 き けるようになる。ラジオ受信 じゅしん 機 き 自体 じたい は国内 こくない メーカーによって生産 せいさん が可能 かのう となった。
アマチュアによる受信 じゅしん 機 き 自作 じさく も当時 とうじ から趣味 しゅみ の一 いち ジャンルとして広 ひろ まり始 はじ めていた。雑誌 ざっし 『無線 むせん と実験 じっけん 』に1930年 ねん 、匿名 とくめい 男性 だんせい が寄稿 きこう した「ラジオをつくる話 はなし 」は、岡本 おかもと 次雄 つぐお が当時 とうじ のアマチュアと東京 とうきょう のラジオ商 しょう の様子 ようす を見事 みごと に描 えが いているとして『アマチュアのラジオ技術 ぎじゅつ 史 し 』(1963)に収録 しゅうろく した。
ラジオ聴取 ちょうしゅ 契約 けいやく 者 しゃ は1931年 ねん に100万 まん を突破 とっぱ した[25] 。聴取 ちょうしゅ 世帯 せたい 数 すう は1932年 ねん 2月 がつ には100万 まん 、1935年 ねん 2月 がつ には200万 まん 、1939年 ねん 1月 がつ には400万 まん を突破 とっぱ [26] 。ラジオ受信 じゅしん 機 き の普及 ふきゅう が進 すす み、音楽 おんがく 、演芸 えんげい 、スポーツ中継 ちゅうけい 、ラジオドラマなどの多彩 たさい なプログラムが提供 ていきょう されるようになったことで娯楽 ごらく の主役 しゅやく となった[27] が、1941年 ねん の太平洋戦争 たいへいようせんそう (大 だい 東亜 とうあ 戦争 せんそう )開戦 かいせん とその後 ご の戦局 せんきょく の進行 しんこう と共 とも に大本営 だいほんえい 発表 はっぴょう を行 おこ なうための機関 きかん と化 か しプロパガンダ 的 てき な番組 ばんぐみ が増 ふ えた。この傾向 けいこう は終戦 しゅうせん まで続 つづ いた。1941年 ねん 12月25日 にち 、NHKは全国 ぜんこく を軍 ぐん 管区 かんく にしたがって5群 ぐん に分 わ け各 かく 群 ぐん ごとに同 どう 一 いち 周波数 しゅうはすう 放送 ほうそう を実施 じっし した[25] 。
聴取 ちょうしゅ 世帯 せたい 数 すう は1940年代 ねんだい にも増加 ぞうか し続 つづ け、1940年 ねん 5月には500万 まん 、1941年 ねん 8月 がつ には600万 まん 、1943年 ねん 3月 がつ には700万 まん を突破 とっぱ した[26] 。しかし、1945年 ねん 4月 がつ になると放送 ほうそう 時間 じかん は大幅 おおはば に減少 げんしょう し、1945年 ねん 5月 がつ には名古屋 なごや 中央 ちゅうおう 放送 ほうそう 局 きょく が空襲 くうしゅう により焼失 しょうしつ [26] 、8月 がつ 6日 にち には広島 ひろしま 中央 ちゅうおう 放送 ほうそう 局 きょく が広島 ひろしま 原爆 げんばく で大 だい 打撃 だげき を受 う けた(25時 じ 間 あいだ 後 ご に再開 さいかい )[28] [29] 。
1945年 ねん 8月 がつ 15日 にち に終戦 しゅうせん ノ詔勅 しょうちょく (いわゆる玉音 ぎょくおん 放送 ほうそう )が放送 ほうそう され、戦後 せんご は海外 かいがい 領土 りょうど を失 うしな う。「社団 しゃだん 法人 ほうじん 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 」は連合 れんごう 国軍 こくぐん 最高 さいこう 司令 しれい 官 かん 総 そう 司令 しれい 部 ぶ (GHQ)の管理 かんり ・監督 かんとく 下 か に置 お かれ言論 げんろん 統制 とうせい が行 おこな われた。アメリカ軍 ぐん とイギリス軍 ぐん を中心 ちゅうしん とした(中華民国 ちゅうかみんこく 軍 ぐん 及 およ びソビエト連邦 れんぽう 軍 ぐん は日本 にっぽん に進駐 しんちゅう していない)、いわゆる進駐軍 しんちゅうぐん 向 む け放送 ほうそう 局 きょく が主要 しゅよう 都市 とし に置 お かれた。アメリカ軍 ぐん 向 む けは後 のち にFEN、現在 げんざい のAFN の前身 ぜんしん である。一部 いちぶ の局 きょく については日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい から施設 しせつ や役務 えきむ の提供 ていきょう が行 おこな われた。
1945年 ねん - 1959年 ねん
編集 へんしゅう
1955年 ねん 頃 ごろ のラジオ受信 じゅしん 機 き 、5球 きゅう スーパー式 しき 。FM放送 ほうそう が始 はじ まる前 まえ の機種 きしゅ なのでバンドは中波 ちゅうは と短波 たんぱ のみ
戦後 せんご 、ラジオ受信 じゅしん 世帯 せたい 数 すう は減少 げんしょう しており1946年 ねん 7月 がつ には538万 まん であった[26] 。
1950年 ねん に「社団 しゃだん 法人 ほうじん 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 」が公共 こうきょう 企業 きぎょう 体 たい としての「特殊 とくしゅ 法人 ほうじん 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 」に改組 かいそ され、翌 よく 1951年 ねん には9月1日 にち 朝 あさ に中部日本放送 ちゅうぶにっぽんほうそう (現在 げんざい のCBCラジオ )、同日 どうじつ 昼 ひる に新 しん 日本 にっぽん 放送 ほうそう (現在 げんざい のMBSラジオ )が日本 にっぽん 初 はつ の民間 みんかん 放送 ほうそう を開始 かいし した。東京 とうきょう では、民間 みんかん 放送 ほうそう の申請 しんせい を目指 めざ す会社 かいしゃ が乱立 らんりつ 。新聞 しんぶん 社 しゃ 系 けい の放送 ほうそう 会社 かいしゃ の一本 いっぽん 化 か が行 おこな われたこともあり、同年 どうねん 12月25日 にち になってラジオ東京 とうきょう (現在 げんざい のTBSラジオ )に開始 かいし された[30] 。1953年 ねん にはテレビ放送 ほうそう も開始 かいし されたが、白米 はくまい 10kg680円 えん 、銭湯 せんとう の入浴 にゅうよく 料 りょう 15円 えん 程度 ていど だった時代 じだい にテレビ受像 じゅぞう 機 き の価格 かかく は20 - 30万 まん 円 えん 程度 ていど と高価 こうか で一般 いっぱん には買 か えず、ラジオが一家 いっか の主役 しゅやく であり続 つづ けた。
民間 みんかん 放送 ほうそう 開始 かいし 以前 いぜん にはラジオ受信 じゅしん 機 き の所持 しょじ には政府 せいふ の許可 きょか が必要 ひつよう であり、聴取 ちょうしゅ 料 りょう を納 おさ める必要 ひつよう があったが、無料 むりょう で聴 き ける放送 ほうそう の開始 かいし によってラジオへの関心 かんしん が高 たか まり、『初歩 しょほ のラジオ』『模型 もけい とラジオ』など少年 しょうねん 向 む けのラジオ製作 せいさく 雑誌 ざっし が相次 あいつ いで創刊 そうかん された[23] 。当時 とうじ は物品 ぶっぴん 税 ぜい が高価 こうか で、メーカー製 せい 完成 かんせい 品 ひん を購入 こうにゅう するよりは秋葉原 あきはばら などから真空 しんくう 管 かん などの部品 ぶひん を買 か い集 あつ めて自作 じさく したほうが安 やす かったために、受信 じゅしん 機 き を製作 せいさく する人 ひと が多 おお かった。彼 かれ らは「少年 しょうねん 技師 ぎし (後 ご のラジオ少年 しょうねん )」とも呼 よ ばれ、高度 こうど 成長 せいちょう 期 き の日本 にっぽん のエレクトロニクス 産業 さんぎょう の発展 はってん の基礎 きそ を作 つく る要因 よういん の一 ひと つともなった[23] 。
1955年 ねん には東京通信工業 とうきょうつうしんこうぎょう が日本 にっぽん 初 はつ のトランジスタラジオを発売 はつばい [26] 。1958年 ねん 11月にはラジオ受信 じゅしん 契約 けいやく 数 すう が1481万 まん 件 けん を越 こ えピークとなった[26] 。しかし、当時 とうじ の皇太子 こうたいし ・明仁 あきひと 親王 しんのう が1959年 ねん に正田 しょうだ 美智子 みちこ と結婚 けっこん しパレード のテレビ中継 ちゅうけい が行 おこ なわれたのをきっかけに、テレビ受像 じゅぞう 機 き が普及 ふきゅう し始 はじ め、ラジオは斜陽化 しゃようか の時代 じだい を迎 むか える。
超 ちょう 短波 たんぱ を使用 しよう したFMラジオ放送 ほうそう については、1957年 ねん 12月にNHK-FMが東京 とうきょう で試験 しけん 放送 ほうそう を開始 かいし し、翌 よく 1958年 ねん 12月には学校 がっこう 法人 ほうじん 東海大学 とうかいだいがく により、放送 ほうそう 教育 きょういく を目的 もくてき とした「東海大学 とうかいだいがく 超 ちょう 短波 たんぱ 放送 ほうそう 実験 じっけん 局 きょく 」が放送 ほうそう を開始 かいし した。1960年 ねん には日本 にっぽん 最初 さいしょ の民放 みんぽう FM局 きょく [注 ちゅう 11] であるFM東海 とうかい となる。
1960年 ねん - 1974年 ねん
編集 へんしゅう
この頃 ころ 、部品 ぶひん のトランジスタの普及 ふきゅう が進 すす み、これを使 つか ったトランジスタラジオ の商品 しょうひん 化 か や、さらにモータリゼーション により、カーラジオ が普及 ふきゅう するなど、ラジオは一家 いっか に一 いち 台 だい から一人 ひとり に一 いち 台 だい というパーソナル化 か の方向 ほうこう へ向 む かう。ラジオ放送 ほうそう は家族 かぞく をターゲットにした編成 へんせい から、個人 こじん をターゲットにした編成 へんせい へと転換 てんかん していく。情報 じょうほう トーク番組 ばんぐみ や音楽 おんがく 番組 ばんぐみ が増 ふ えた他 ほか 、ターゲットを絞 しぼ った深夜 しんや 放送 ほうそう も盛 さか んになった。
1950年代 ねんだい 後半 こうはん から試験 しけん 放送 ほうそう を続 つづ けていたFMラジオ放送 ほうそう は、1969年 ねん にNHK-FM の本 ほん 放送 ほうそう が開始 かいし され、同年 どうねん には民放 みんぽう でもFM愛知 あいち が開局 かいきょく 。1970年 ねん には、FM大阪 おおさか 、FM東海 とうかい を東海大学 とうかいだいがく から引 ひ き継 つ いだFM東京 とうきょう 、FM福岡 ふくおか の3局 きょく が相次 あいつ いで開局 かいきょく した。いずれも音楽 おんがく を中心 ちゅうしん とした編成 へんせい で、高音 こうおん 質 しつ のステレオ放送 ほうそう により、レコード に次 つ ぐHi-Fi 音源 おんげん として人気 にんき を集 あつ めることになる。同 どう 時期 じき に登場 とうじょう したラジカセ の普及 ふきゅう によって、放送 ほうそう される楽曲 がっきょく をオープンリール テープやカセットテープ で録音 ろくおん する「エアチェック 」も流行 りゅうこう し、エアチェックを目的 もくてき として放送 ほうそう される楽曲 がっきょく が載 の ったFM情報 じょうほう 誌 し も創刊 そうかん された[23] 。しかし、民放 みんぽう 局 きょく を中心 ちゅうしん に「楽曲 がっきょく そのものを楽 たの しむ」から「トークの合間 あいま に楽曲 がっきょく が流 なが れる」など番組 ばんぐみ スタイルの変化 へんか などから、次第 しだい にエアチェックという言葉 ことば 自体 じたい が廃 すた れていくようになる。
1975年 ねん - 1981年 ねん
編集 へんしゅう
代表 だいひょう 的 てき なBCLラジオ ソニー スカイセンサー5900
1970年代 ねんだい 後半 こうはん に、中東 ちゅうとう 戦争 せんそう やオイルショック をきっかけとして海外 かいがい の国際 こくさい 放送 ほうそう を受信 じゅしん するBCLブームが中学生 ちゅうがくせい ・高校生 こうこうせい を中心 ちゅうしん に起 お こった。この時期 じき には、日本 にっぽん 向 む け日本語 にほんご 放送 ほうそう の充実 じゅうじつ を図 はか る放送 ほうそう 局 きょく も多 おお く、時事 じじ ニュースに留 と まらずその国 くに の文化 ぶんか などの理解 りかい を深 ふか めるうえで一定 いってい の役割 やくわり を果 は たした。また、受信 じゅしん 報告 ほうこく 書 しょ を送 おく ると受 う け取 と れるベリカード の収集 しゅうしゅう も盛 さか んに行 おこな われた。さらに、送信 そうしん 方向 ほうこう が日本 にっぽん 向 む けではないなど、一般 いっぱん 的 てき には受信 じゅしん 困難 こんなん な放送 ほうそう を工夫 くふう を重 かさ ねて受信 じゅしん しようとするマニアも増 ふ えた。これに応 おう じ、受信 じゅしん 周波数 しゅうはすう 帯域 たいいき の広 ひろ いラジオ受信 じゅしん 機 き 、いわゆるBCLラジオが各社 かくしゃ より発売 はつばい され、戦後 せんご 2回 かい 目 め の黄金 おうごん 期 き だった。しかし、日本 にっぽん からの海外 かいがい 旅行 りょこう の一般 いっぱん 化 か や通信 つうしん 自由 じゆう 化 か を遠因 えんいん とする国際 こくさい 放送 ほうそう の縮小 しゅくしょう などで、BCLブームも終 お わりを遂 と げ、BCLラジオメーカーも次々 つぎつぎ と撤退 てったい した(2006年 ねん 時点 じてん で国内 こくない メーカーはソニー以外 いがい は撤退 てったい )。
1978年 ねん 11月23日 にち には国際電気 こくさいでんき 通信 つうしん 連合 れんごう (ITU)の取 と り決 き めによりAMラジオの周波数 しゅうはすう 一斉 いっせい 変更 へんこう (10kHz きろへるつ 間隔 かんかく →9kHz きろへるつ 間隔 かんかく 。通称 つうしょう :9キロヘルツセパレーション)が行 おこな われた[31] 。
1982年 ねん - 1999年 ねん
編集 へんしゅう
1982年 ねん のFM愛媛 えひめ を皮切 かわき りに全国 ぜんこく に民放 みんぽう FM放送 ほうそう 局 きょく が相次 あいつ いで開局 かいきょく する。1988年 ねん には東京 とうきょう で2番目 ばんめ となるエフエムジャパン(現在 げんざい のJ-WAVE )が開局 かいきょく 、大都市 だいとし 圏 けん では複数 ふくすう の民放 みんぽう FM局 きょく が開設 かいせつ されるようになり、対象 たいしょう セグメント の多様 たよう 化 か が進 すす んだ。
1991年 ねん 、衛星 えいせい 放送 ほうそう による有料 ゆうりょう ラジオ放送 ほうそう 「セント・ギガ 」開始 かいし 。1992年 ねん にはコミュニティ放送 ほうそう が制度 せいど 化 か され、都道府県 とどうふけん 単位 たんい よりもかなり狭 せま い地域 ちいき を対象 たいしょう としたラジオ放送 ほうそう が行 おこな われるようになった。同 おな じく1992年 ねん にはAMステレオ放送 ほうそう 開始 かいし 、1995年 ねん にはFM文字 もじ 多重 たじゅう 放送 ほうそう もスタートするなど新 しん 技術 ぎじゅつ 導入 どうにゅう が相次 あいつ ぐ。
1995年 ねん の阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい では、災害 さいがい 時 じ における情報 じょうほう 伝達 でんたつ メディアとしてのラジオの重要 じゅうよう 性 せい がクローズアップされる結果 けっか となった。以降 いこう 、各局 かくきょく とも災害 さいがい への対応 たいおう を重点 じゅうてん に置 お くようになる。また災害 さいがい 時 じ の情報 じょうほう 発信 はっしん 用 よう として大都市 だいとし 圏 けん に外国 がいこく 語 ご FM局 きょく が開局 かいきょく したが、後 のち に経営 けいえい 難 なん に苦 くる しむこととなる。
2000年 ねん - 2009年 ねん
編集 へんしゅう
iPodにおけるラジオ受信 じゅしん 装置 そうち (左 ひだり のリモコン)
不 ふ 況 きょう に加 くわ えメディアの多様 たよう 化 か が起因 きいん となりラジオ離 ばな れ の動 うご きが顕在 けんざい 化 か し、それに伴 ともな い広告 こうこく 費 ひ も減少 げんしょう し続 つづ けていることから、ラジオ局 きょく は厳 きび しい運営 うんえい 状 じょう 況 きょう を強 し いられていく(詳細 しょうさい はラジオ離 ばな れ を参照 さんしょう )。
2000年 ねん 12月、BSデジタル放送 ほうそう によるBSデジタル音声 おんせい 放送 ほうそう が開始 かいし されたが、2003年 ねん にセント・ギガが終了 しゅうりょう するなど衛星 えいせい ラジオは市場 いちば 規模 きぼ が小 ちい さいまま終 お わり、他 た 局 きょく も2005年 ねん 以降 いこう 順次 じゅんじ 廃 はい 局 きょく した。FM文字 もじ 多重 たじゅう 放送 ほうそう や、その後 ご 登場 とうじょう した地上 ちじょう デジタルラジオ も失敗 しっぱい に終 お わっている。
AMステレオ 放送 ほうそう を実施 じっし していた放送 ほうそう 局 きょく も会社 かいしゃ の合理 ごうり 化 か に加 くわ え、送信 そうしん 機 き 更新 こうしん の際 さい に必要 ひつよう な装置 そうち が2000年 ねん 半 なか ばまでに生産 せいさん 中止 ちゅうし になったのに伴 ともな い、AMステレオ放送 ほうそう を終了 しゅうりょう して元 もと のモノラル放送 ほうそう に戻 もど す放送 ほうそう 事業 じぎょう 者 しゃ も2000年代 ねんだい 後半 こうはん に九州 きゅうしゅう 地区 ちく で出 で てきた。
一方 いっぽう で2000年代 ねんだい にはインターネットによるインターネットラジオ が普及 ふきゅう していった。
2010年 ねん - 2020年 ねん
編集 へんしゅう
2010年 ねん 3月 がつ 15日 にち 0時 じ (3月 がつ 14日 にち 24時 じ )より、地上波 ちじょうは のラジオ放送 ほうそう と同 どう 内容 ないよう をインターネットを利用 りよう してサイマル配信 はいしん するIPサイマルラジオ「radiko 」の実証 じっしょう 実験 じっけん が開始 かいし された(同年 どうねん 12月 がつ 1日 にち より本格 ほんかく 的 てき に開始 かいし )[32] 。radikoは当初 とうしょ 、本来 ほんらい の放送 ほうそう エリア内 ない での無料 むりょう 配信 はいしん のみとしていたが[注 ちゅう 12] 、2014年 ねん 4月 がつ 1日 にち からは放送 ほうそう エリア外 がい からも有料 ゆうりょう で聴取 ちょうしゅ が可能 かのう になるエリアフリーサービス「radikoプレミアム」がスタートした。
またこれとは別 べつ に、RNBラジオ では、独自 どくじ で2010年 ねん 10月1日 にち にCATVサイマル放送 ほうそう を、同年 どうねん 12月18日 にち から2011年 ねん 3月 がつ 31日 にち までIPラジオ実験 じっけん 放送 ほうそう をした。
一方 いっぽう 、2010年 ねん 、AMステレオ 放送 ほうそう を断念 だんねん してAMモノラル放送 ほうそう へ復帰 ふっき する局 きょく が相次 あいつ いだ。MBSラジオ とHBCラジオ が2月 がつ 28日 にち 深夜 しんや (3月1日 にち 未明 みめい )、ABCラジオ が3月14日 にち 深夜 しんや (3月15日 にち 未明 みめい )、STVラジオ が3月28日 にち 深夜 しんや (3月29日 にち 未明 みめい )の放送 ほうそう をもってAMステレオ放送 ほうそう を終了 しゅうりょう した。終了 しゅうりょう の理由 りゆう としてステレオ放送 ほうそう 対応 たいおう のための機材 きざい の生産 せいさん が終了 しゅうりょう していてメンテナンスの保証 ほしょう がなくなった事 こと があげられている[33] 。2011年 ねん 1月 がつ 30日 にち 深夜 しんや (1月 がつ 31日 にち 未明 みめい )にはTBSラジオ も終了 しゅうりょう し、縮小 しゅくしょう していった。
AM放送 ほうそう については「都市 とし 型 がた 難聴 なんちょう 対策 たいさく 」・「外国 がいこく 波 は 混信 こんしん 対策 たいさく 」・「地理 ちり 的 てき ・地形 ちけい 的 てき 難聴 なんちょう 対策 たいさく 」・「災害 さいがい 対策 たいさく 」の観点 かんてん から、2012年 ねん までに終了 しゅうりょう したアナログテレビ放送 ほうそう の周波数 しゅうはすう 帯 たい の一部 いちぶ を利用 りよう してFM波 なみ による補完 ほかん 放送 ほうそう が行 おこな われることになり、2014年 ねん 12月1日 にち の北日本放送 きたにほんほうそう ・南海放送 なんかいほうそう を皮切 かわき りに、翌 よく 2015年 ねん に名古屋 なごや ・東京 とうきょう ・広島 ひろしま ・長崎 ながさき ・鹿児島 かごしま など、2016年 ねん には大阪 おおさか ・福岡 ふくおか など全国 ぜんこく 各地 かくち でスタートしている。これらの放送 ほうそう は一般 いっぱん 的 てき に「ワイドFM」と呼 よ ばれる。
2020年 ねん 以降 いこう 流行 りゅうこう した新型 しんがた コロナウイルス への感染 かんせん 対策 たいさく として、2020年 ねん 4月 がつ 以降 いこう は収録 しゅうろく 時 じ におけるアクリル板 ばん 設置 せっち やリモート出演 しゅつえん などの措置 そち をとる所 ところ もみられた。
2021年 ねん 6月 がつ 15日 にち 、民間 みんかん 放送 ほうそう のAM局 きょく のうち北海道 ほっかいどう ・秋田 あきた の3社 しゃ (北海道放送 ほっかいどうほうそう ・STVラジオ ・秋田放送 あきたほうそう )を除 のぞ く44社 しゃ が2028年 ねん 秋 あき を目処 めど にAM放送 ほうそう からFM放送 ほうそう に転換 てんかん し、在京 ざいきょう 局 きょく (TBSラジオ、文化放送 ぶんかほうそう 、ニッポン放送 にっぽんほうそう )を含 ふく む一部 いちぶ の社 しゃ ではFM放送 ほうそう に一本 いっぽん 化 か することを発表 はっぴょう した[34] [35] 。既 すで に各社 かくしゃ ともワイドFMを実施 じっし しているが、広告 こうこく 収入 しゅうにゅう の低下 ていか が続 つづ く中 なか でFMとAMの二 に 重 じゅう 投資 とうし になっていること、特 とく にAM送信 そうしん 施設 しせつ の立地 りっち (水害 すいがい に弱 よわ い河川敷 かせんしき など広 ひろ い土地 とち が必要 ひつよう )や設備 せつび 更新 こうしん 費用 ひよう の高 たか さ、放送 ほうそう を継続 けいぞく したままでの設備 せつび 更新 こうしん が問題 もんだい となるのに対 たい し[34] 、FMは簡易 かんい な設備 せつび で費用 ひよう が抑 おさ えられることがメリットとしている[35] 。一方 いっぽう で、ワイドFMが受信 じゅしん 可能 かのう なラジオ受信 じゅしん 機 き の普及 ふきゅう は2019年 ねん (平成 へいせい 31年 ねん )2月 がつ 調査 ちょうさ の段階 だんかい で53%にとどまり、受信 じゅしん 機 き 買 か い替 か えのために周知 しゅうち 期間 きかん も必要 ひつよう として、2021年 ねん 6月 がつ の段階 だんかい で発表 はっぴょう したとしている[34] 。2022年度 ねんど にはAM局 きょく がFM局 きょく へ転換 てんかん できるよう制度 せいど を改正 かいせい し、2023年 ねん には停 とま 波 なみ の実証 じっしょう 実験 じっけん を行 おこな う考 かんが え[35] 。
また、NHKもAM放送 ほうそう は第 だい 1放送 ほうそう と第 だい 2放送 ほうそう を2025年 ねん 度 ど に一本 いっぽん 化 か する方針 ほうしん を示 しめ している[35] 。
複数 ふくすう の放送 ほうそう 波 は によるステレオ放送 ほうそう (立体 りったい 放送 ほうそう )
編集 へんしゅう
二 に 波 は 利用 りよう のステレオ受信 じゅしん 機 き
1950年代 ねんだい 、NHKラジオ第 だい 1放送 ほうそう ・第 だい 2放送 ほうそう や民放 みんぽう 各社 かくしゃ などが、2つの放送 ほうそう 波 は を使 つか ったステレオ放送 ほうそう (当時 とうじ は立体 りったい 放送 ほうそう と呼 よ ばれた)を行 おこな った。NHKの例 れい でいえば第 だい 1放送 ほうそう が左側 ひだりがわ の音声 おんせい 、第 だい 2放送 ほうそう は右側 みぎがわ の音声 おんせい をそれぞれ放送 ほうそう し、2つのラジオを並 なら べて置 お いたり、2台 だい 分 ぶん のチューナーを搭載 とうさい したレシーバー を使 つか ってステレオ音声 おんせい を受信 じゅしん するものだった。テレビ放送 ほうそう が開始 かいし されると、ラジオとテレビを併用 へいよう した立体 りったい 放送 ほうそう も実施 じっし された。番組 ばんぐみ の冒頭 ぼうとう では「左 ひだり のラジオを○○放送 ほうそう に、右 みぎ のラジオを○○放送 ほうそう に合 あ わせ、私 わたし の声 こえ が中央 ちゅうおう から聞 き こえるように、受信 じゅしん 機 き の音量 おんりょう を調節 ちょうせつ して下 くだ さい」といったアナウンスと、受信 じゅしん 機 き の調整 ちょうせい のための音楽 おんがく が流 なが された。
この方式 ほうしき では「モノラル放送 ほうそう との互換 ごかん 性 せい がとれず、受信 じゅしん 機 き を2台 だい 用意 ようい しないと片方 かたがた のチャンネルしか聞 き くことができない」「左右 さゆう の受信 じゅしん 機 き に位相 いそう 特性 とくせい 、周波数 しゅうはすう 特性 とくせい 、レベル等 とう の特性 とくせい 差 さ があると、正 ただ しいステレオイメージが得 え られない」「NHKを除 のぞ き、2局 きょく が協力 きょうりょく しないと実現 じつげん できない」などの問題 もんだい が多 おお かった。1963年 ねん 以降 いこう 、FMラジオ放送 ほうそう で、これらの問題 もんだい 点 てん を解決 かいけつ したステレオ放送 ほうそう が行 おこな われるようになったことで、2つの放送 ほうそう 波 は による立体 りったい 放送 ほうそう は終了 しゅうりょう した。
日本 にっぽん では1963年 ねん 6月25日 にち から当時 とうじ のFM東海 とうかい によってこの方式 ほうしき による試験 しけん 放送 ほうそう が開始 かいし される。
日本 にっぽん においてステレオ放送 ほうそう が開始 かいし された当初 とうしょ は、電電 でんでん 公社 こうしゃ のステレオ中継 ちゅうけい 回線 かいせん が整備 せいび されていなかったため、ステレオでの生放送 なまほうそう は東京 とうきょう 近辺 きんぺん のごく限 かぎ られた地域 ちいき でしか聴取 ちょうしゅ できなかった。ステレオ収録 しゅうろく された番組 ばんぐみ を放送 ほうそう する場合 ばあい 、NHKでは各 かく 拠点 きょてん 局 きょく (札幌 さっぽろ 、仙台 せんだい 、東京 とうきょう 、金沢 かなざわ 、名古屋 なごや 、大阪 おおさか 、広島 ひろしま 、松山 まつやま 、福岡 ふくおか )にパッケージテープを送 おく り、各 かく 地方 ちほう 局 きょく ではテープを流 なが している拠点 きょてん 局 きょく の電波 でんぱ を再生 さいせい する「放送 ほうそう 波 は 中継 ちゅうけい 」方式 ほうしき がとられていた。また、FM東京 とうきょう をはじめとする民放 みんぽう でもパッケージテープを再生 さいせい する方式 ほうしき がとられた。
その後 ご 、1978年 ねん 10月1日 にち からFM放送 ほうそう 用 よう のPCMステレオ回線 かいせん が整備 せいび され、パッケージテープの送付 そうふ が廃止 はいし される。1980年代 ねんだい には全国 ぜんこく のNHK及 およ び民放 みんぽう FM局 きょく に、PCMステレオ回線 かいせん 設備 せつび が導入 どうにゅう され、全国 ぜんこく でステレオ音声 おんせい での生放送 なまほうそう が聴取 ちょうしゅ できるようになっている。
1960年 ねん 8月 がつ - FM東海 とうかい が、アメリカ・クロスビー研究所 けんきゅうじょ が開発 かいはつ したFM-FM方式 ほうしき によるステレオ実験 じっけん 放送 ほうそう を開始 かいし (1961年 ねん にAM-FM方式 ほうしき が標準 ひょうじゅん ステレオ方式 ほうしき になるまで実施 じっし )。
1963年 ねん
5月17~19日 にち - NHK東京 とうきょう FM放送 ほうそう 局 きょく が、この期間 きかん 中 ちゅう に行 おこな われるNHK放送 ほうそう 技術 ぎじゅつ 研究所 けんきゅうじょ の技研 ぎけん 公開 こうかい にて、米 べい のFCCが1961年 ねん に規格 きかく 決定 けってい した、AM-FM方式 ほうしき (現在 げんざい のステレオ方式 ほうしき )によるステレオ試験 しけん 放送 ほうそう を、毎日 まいにち 2時 じ 間 あいだ 半 はん に渡 わた って行 おこな う(翌月 よくげつ の6月 がつ 12日 にち にも、当時 とうじ の皇太子 こうたいし 明仁 あきひと が同 どう 研究所 けんきゅうじょ を参観 さんかん した際 さい に、同 おな じくステレオ試験 しけん 放送 ほうそう を2時 じ 間 あいだ 半 はん に渡 わた って行 い った[51] )。
6月25日 にち - FM東海 とうかい が、AM-FM方式 ほうしき によるステレオ実験 じっけん 放送 ほうそう を開始 かいし 。
12月16日 にち - NHK東京 とうきょう FM放送 ほうそう 局 きょく が、AM-FM方式 ほうしき によるステレオ放送 ほうそう を開始 かいし 。
1964年 ねん - NHK-FMが全国 ぜんこく に放送 ほうそう 局 きょく を相次 あいつ いで開局 かいきょく させ(この時 とき に同時 どうじ にステレオ放送 ほうそう を開始 かいし した局 きょく も多 おお い)、遂 つい にFMステレオ放送 ほうそう が全 ぜん 都道府県 とどうふけん で聴 き けるようになる。
1969年 ねん 3月1日 にち - 全国 ぜんこく のNHK-FMの本 ほん 放送 ほうそう 開始 かいし 。
1977年 ねん 12月 - 全国 ぜんこく のNHK-FMのローカル放送 ほうそう ステレオ化 か 工事 こうじ 完了 かんりょう 。NHK-FMのローカル番組 ばんぐみ が全局 ぜんきょく でステレオで放送 ほうそう できるようになる。これに伴 ともな い、NHK沖縄 おきなわ のFM放送 ほうそう でもローカル番組 ばんぐみ のみステレオで聴 き けるようになる(全国 ぜんこく 放送 ほうそう はモノラル放送 ほうそう のまま)。
1978年 ねん 10月1日 にち - NHKのFM放送 ほうそう 用 よう PCMステレオ回線 かいせん が東京 とうきょう -名古屋 なごや -大阪 おおさか 間 あいだ で開通 かいつう し、運用 うんよう を開始 かいし する。
1979年 ねん 12月24日 にち - 全国 ぜんこく のNHK-FMの基幹 きかん 局 きょく 全 すべ てにFM放送 ほうそう 用 よう PCMステレオ回線 かいせん が開通 かいつう し、運用 うんよう を開始 かいし する。これに伴 ともな い、ステレオ放送 ほうそう 開始 かいし 当初 とうしょ から行 い っていた各 かく 基幹 きかん 局 きょく へのパッケージテープの送付 そうふ が廃止 はいし される。
1980年 ねん - FM民放 みんぽう 4局 きょく 間 あいだ (FM東京 とうきょう - FM愛知 あいち - FM大阪 おおさか - FM福岡 ふくおか )にFM放送 ほうそう 用 よう PCMステレオ回線 かいせん が開通 かいつう 、運用 うんよう 開始 かいし 。
1984年 ねん - NHK沖縄 おきなわ にFM放送 ほうそう 用 よう PCMステレオ回線 かいせん が開通 かいつう し、同 どう 県 けん 及 およ び鹿児島 かごしま 県 けん の奄美 あまみ 大島 おおしま 地域 ちいき がようやく全国 ぜんこく 放送 ほうそう のFM番組 ばんぐみ がステレオでの放送 ほうそう が可能 かのう になった。
1985年 ねん 頃 ころ [いつ? ] - 全 すべ てのNHK放送 ほうそう 局 きょく に、FM放送 ほうそう 用 よう PCMステレオ回線 かいせん が導入 どうにゅう される。
2010年 ねん 頃 ころ [いつ? ] - 全 すべ てのNHK放送 ほうそう 局 きょく でこれまで使用 しよう していたFM放送 ほうそう 用 よう PCMステレオ回線 かいせん から、AM(ラジオ第 だい 1・第 だい 2)・FMラジオ共用 きょうよう の光 ひかり デジタル回線 かいせん に切 せつ 換 かわ 。
日本 にっぽん では1990年代 ねんだい から一部 いちぶ で導入 どうにゅう されたが、普及 ふきゅう しなかった。
インターネットを利用 りよう した展開 てんかい
編集 へんしゅう
インターネット回線 かいせん を利用 りよう して放送 ほうそう や配信 はいしん を行 おこな う。ネット回線 かいせん の強力 きょうりょく さから、日本 にっぽん でも2010年代 ねんだい より有力 ゆうりょく な聴取 ちょうしゅ 手段 しゅだん となっている。
ラジオメディアの特性 とくせい
編集 へんしゅう
室外 しつがい アンテナが主流 しゅりゅう のテレビと異 こと なり、受信 じゅしん 機 き に備 そな え付 つ けのアンテナを使 つか った室内 しつない での受信 じゅしん が普通 ふつう なので、受信 じゅしん 環境 かんきょう がチャンネル選択 せんたく に影響 えいきょう を及 およ ぼす。放送 ほうそう 区域 くいき 内 ない だからといって必 かなら ずしも全 すべ ての局 きょく が安定 あんてい して受信 じゅしん できる訳 わけ ではない。そのため、そういった環境 かんきょう 下 か では、チューニングしやすい局 きょく がよく聴 き かれる傾向 けいこう にある。特 とく に、室内 しつない で受信 じゅしん する場合 ばあい 、建物 たてもの (鉄筋 てっきん コンクリート等 とう )によって電波 でんぱ が遮 さえぎ られたり電気 でんき 製品 せいひん などのノイズを受 う けたりすることも多 おお く、電波 でんぱ 状態 じょうたい の良好 りょうこう な局 きょく が好 この まれる。受信 じゅしん 環境 かんきょう は別売 べつう りの外部 がいぶ アンテナを使用 しよう したり、FMの場合 ばあい はVHFアンテナを使用 しよう し改善 かいぜん できる場合 ばあい もある(電界 でんかい 強度 きょうど の弱 よわ い地域 ちいき ではVHFアンテナを使用 しよう しても改善 かいぜん できない場合 ばあい がある。この場合 ばあい はFM帯域 たいいき に対応 たいおう した外部 がいぶ アンテナが必要 ひつよう となる)。ただし、VHFアンテナはアナログテレビ放送 ほうそう の終了 しゅうりょう にともない、2010年 ねん に大手 おおて メーカー各社 かくしゃ が相次 あいつ いで生産 せいさん 打 う ち切 き りを発表 はっぴょう した。
仕事 しごと や作業 さぎょう をしながらでも番組 ばんぐみ を楽 たの しむことができるため、職場 しょくば やカーラジオなどで聴取 ちょうしゅ されることも多 おお い。首都 しゅと 圏 けん では10:00 - 11:00にテレビの視聴 しちょう 率 りつ よりもラジオの聴取 ちょうしゅ 率 りつ が高 たか くなる。地域 ちいき ・放送 ほうそう 内容 ないよう ・機器 きき などの影響 えいきょう により、長時間 ちょうじかん にわたり1つの局 きょく を聴取 ちょうしゅ する傾向 けいこう のリスナーもいる。番組 ばんぐみ ごとのスタッフ数 すう は、テレビと比較 ひかく して少 すく ない[52] 。
放送 ほうそう 局 きょく の選 せん 局 きょく は、ダイヤルを回 まわ してチューニング(いわゆる同調 どうちょう )するタイプが安価 あんか なものを中心 ちゅうしん に多数 たすう 採用 さいよう されており、テレビ同様 どうよう プリセット式 しき で局 きょく をボタンで一発 いっぱつ 選 せん 局 きょく (いわゆる電子 でんし チューナー )できる受信 じゅしん 機 き もある。
短波 たんぱ による国際 こくさい 放送 ほうそう の場合 ばあい 、同 おな じ内容 ないよう の放送 ほうそう を同時 どうじ に複数 ふくすう の周波数 しゅうはすう で放送 ほうそう し、聴取 ちょうしゅ 者 しゃ が最 もっと も受信 じゅしん 状態 じょうたい の良好 りょうこう な電波 でんぱ を選 えら んで受信 じゅしん できるようにしているのが一般 いっぱん 的 てき である。
音声 おんせい と画像 がぞう を記録 きろく するテレビ番組 ばんぐみ は予 よ 約 やく 可能 かのう で録画 ろくが 機器 きき が独立 どくりつ /内蔵 ないぞう レコーダー・パソコン・ワンセグ対応 たいおう 機器 きき などとなっているが、音声 おんせい のみ記録 きろく のラジオ番組 ばんぐみ を予約 よやく 録音 ろくおん できる商品 しょうひん はラジカセ・CD/MDラジカセ ・コンポ ・ICレコーダー ・HDDレコーダー ・パソコン対応 たいおう 機器 きき などの種類 しゅるい がある。また、ラジオ機器 きき とタイマー ・録音 ろくおん 可能 かのう な機器 きき などの機材 きざい を組 く み合 あ わせて予 よ 約 やく 録音 ろくおん を行 おこな うことも可能 かのう であり、録音 ろくおん 機器 きき としてカセットデッキ やMDデッキ 以外 いがい にもテープ部分 ぶぶん が機械 きかい 式 しき のラジカセ・ビデオデッキ・DVDレコーダー・HDDレコーダー・パソコン(適切 てきせつ なソフトが必要 ひつよう )が活用 かつよう できる場合 ばあい もある。
世界 せかい 的 てき にテレビがデジタル放送 ほうそう を開始 かいし しているのに対 たい して、衛星 えいせい 放送 ほうそう を除 のぞ きラジオのデジタル化 か は普及 ふきゅう していない。過去 かこ に何 なん 度 ど か地上波 ちじょうは によるデジタルラジオ の試験 しけん 局 きょく が開設 かいせつ されているが、多 おお くは実用 じつよう 化 か に至 いた らないまま放送 ほうそう を終了 しゅうりょう し、モバイル回線 かいせん の台頭 たいとう により必要 ひつよう 性 せい も薄 うす れてしまっている。
送信 そうしん システムは比較的 ひかくてき 簡単 かんたん な構造 こうぞう で、仮 かり に地震 じしん などで放送 ほうそう 局 きょく が破壊 はかい されても、肩 かた に担 かつ げる程度 ていど の大 おお きさの小型 こがた 送信 そうしん 機 き から放送 ほうそう することも可能 かのう 。これを活 い かし、大 だい 規模 きぼ 災害 さいがい の発生 はっせい 時 じ には臨時 りんじ 災害 さいがい 放送 ほうそう 局 きょく が開設 かいせつ されることがあり、東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい 以降 いこう 、この開局 かいきょく が盛 さか んとなっている。一部 いちぶ のラジオ放送 ほうそう 局 きょく ではこの特長 とくちょう を利用 りよう し、自分 じぶん 以外 いがい の局員 きょくいん が全員 ぜんいん 操作 そうさ できない状態 じょうたい になっても、1人 ひとり いれば、全 すべ てを遠隔 えんかく 操作 そうさ して放送 ほうそう が続 つづ けられるようになっている。
ラジオをテーマにした作品 さくひん
編集 へんしゅう
映画 えいが
演劇 えんげき - ラヂオの時間 じかん (1993年 ねん 初演 しょえん )
テレビドラマ
小説 しょうせつ
ラジオそのものを題材 だいざい としてはいないが、ラジオに関 かん する話題 わだい が度々 たびたび 出 で てくる。翌年 よくねん に民放 みんぽう ラジオ99局 きょく の順次 じゅんじ 放送 ほうそう でラジオドラマ化 か 。
漫画 まんが
音楽 おんがく
^ 戦前 せんぜん は多 おお く用 もち いられた。日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい (NHK)編 へん 『放送 ほうそう 五 ご 十 じゅう 年 ねん 史 し 資料 しりょう 編 へん 』(日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1977年 ねん 3月 がつ 10日 とおか 発行 はっこう )p.686によれば、1941年 ねん (昭和 しょうわ 16年 ねん )4月 がつ 1日 にち 、文部省 もんぶしょう の用語 ようご ・用字 ようじ 統一 とういつ 方針 ほうしん に従 したが い、NHKでは「ラヂオ」を「ラジオ」、「スタヂオ」を「スタジオ 」表記 ひょうき に改定 かいてい した、としている。日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 発行 はっこう の『ラヂオ年鑑 ねんかん 』は、昭和 しょうわ 16年 ねん (1941年 ねん )版 ばん 以前 いぜん は「ラヂオ年鑑 ねんかん 」表記 ひょうき であったが、昭和 しょうわ 17年 ねん (1942年 ねん )版 ばん からは「ラジオ年鑑 ねんかん 」表記 ひょうき に改 あらた められている。 『朝日新聞 あさひしんぶん 』では1941年 ねん 4月 がつ 1日 にち 夕刊 ゆうかん 2面 めん に「ラヂオはラジオに 国民 こくみん 学校 がっこう 教科書 きょうかしょ も国語 こくご 音 おん へ」という見出 みだ しの記事 きじ が掲載 けいさい されて以降 いこう 「ラジオ」という表記 ひょうき が増 ふ えたという(『朝日新聞 あさひしんぶん 』2015年 ねん 2月 がつ 5日 にち 朝刊 ちょうかん 、10面 めん )。
^ 振幅 しんぷく 変調 へんちょう に比 くら べ占有 せんゆう 周波数 しゅうはすう 帯 たい 幅 はば が10倍 ばい 必要 ひつよう なので超 ちょう 短波 たんぱ 未満 みまん での運用 うんよう はきわめて困難 こんなん である。
^ FM東海 とうかい が動 うご き出 だ したのが1958年 ねん 末 すえ 、NHK-FMが動 うご き出 だ したのが1969年 ねん 。
^ 当時 とうじ は火花 ひばな 放電 ほうでん による電波 でんぱ 。
^ コヒーラは電波 でんぱ の有無 うむ を検出 けんしゅつ するだけで音声 おんせい を取 と り出 だ せない。
^ 1912年 ねん 12月に施行 しこう された無線 むせん 通信 つうしん 取締 とりしまり 法 ほう (Radio Act of 1912)により、無線 むせん をするにはオペレーター資格 しかく 試験 しけん と無線 むせん 局 きょく の免許 めんきょ 状 じょう が必要 ひつよう となり、1905年 ねん から1911年 ねん 頃 ごろ までアメリカ で発売 はつばい されていた大衆 たいしゅう 無線 むせん 機 き テリムコは、無 む 資格 しかく ・無 む 免許 めんきょ では使 つか えなくなった。
^ アマチュア無線 むせん の送信 そうしん 解禁 かいきん は同年 どうねん 10月 がつ 1日 にち 。
^ アマチュア無線 むせん 家 か は1,500kHz きろへるつ 以上 いじょう の任意 にんい の周波数 しゅうはすう を申請 しんせい し、許可 きょか を受 う けることができた。許可 きょか される最下 さいか 限 げん の1,500kHz きろへるつ に人気 にんき が集中 しゅうちゅう し大変 たいへん 混雑 こんざつ していたところへ、無線 むせん 電話 でんわ も参入 さんにゅう したため1,500kHz きろへるつ は大 だい 混信 こんしん となった。
^ 日曜 にちよう 午前 ごぜん は教会 きょうかい に出向 でむ けないリスナーのために、KDKAなど多 おお くの局 きょく が教会 きょうかい から生 なま 中継 ちゅうけい し、人気 にんき 番組 ばんぐみ となっていた。
^ この思想 しそう は現在 げんざい も放送 ほうそう 法 ほう の第 だい 15条 じょう に残 のこ っている。
^ ただし、FM東海 とうかい は当時 とうじ 実用 じつよう 化 か 試験 しけん 局 きょく として運用 うんよう されており、民間 みんかん 企業 きぎょう によるFM放送 ほうそう は1969年 ねん 開局 かいきょく の愛知 あいち 音楽 おんがく エフエム放送 えふえむほうそう (現在 げんざい のエフエム愛知 えふえむあいち )が最初 さいしょ となる。また放送 ほうそう 免許 めんきょ ではないが1953年 ねん から長岡 ながおか 教育 きょういく 放送 ほうそう が超 ちょう 短波 たんぱ 放送 ほうそう を実施 じっし していた。
^ 但 ただ し、大都市 だいとし 圏 けん の一部 いちぶ の県域 けんいき ラジオ局 きょく では当初 とうしょ から近隣 きんりん のエリア外 がい でも無料 むりょう 配信 はいしん を実施 じっし している。
^ 作 さく :内村 うちむら 直也 なおや 、作曲 さっきょく 及 およ び音楽 おんがく 指揮 しき :芥川 あくたがわ 也寸志 やすし 、演奏 えんそう :NHKサロン・アンサンブル、演出 えんしゅつ :山口 やまぐち 淳 あつし 、出演 しゅつえん :尾崎 おざき 勝子 かつこ 、須永 すなが 宏 ひろし 、佐藤 さとう 美恵子 みえこ 、名古屋 なごや 章 あきら 、ほか。
^ 各 かく 放送 ほうそう 局 きょく のスピーカーをき手 きて の左 ひだり ・中央 ちゅうおう ・右 みぎ にそれぞれ置 お いて行 おこな うもの。
^ スピーカー位置 いち 左 ひだり :KR、中央 ちゅうおう :LF、右 みぎ :QR
^ スピーカー位置 いち 左 ひだり :LF、中央 ちゅうおう :KR、右 みぎ :QR
^ スピーカー位置 いち 左 ひだり :LF、中央 ちゅうおう :QR、右 みぎ :KR
^ a b c Merriam Webster, radio (noun 名詞 めいし )
^ a b 『日本 にっぽん 大 だい 百科全書 ひゃっかぜんしょ 』【ラジオ】
^ 『広辞苑 こうじえん 』「ラジオ」
^
精選 せいせん 版 ばん 日本 にっぽん 国語 こくご 大 だい 辞典 じてん 【放送 ほうそう 無線 むせん 電話 でんわ 】[1]
^ ラジコム「今更 いまさら 聞 き けない!AMとFMの違 ちが いとは?」[2]
^ “長波 ちょうは 帯 たい で受信 じゅしん 出来 でき るもの ”. 2022年 ねん 2月 がつ 9日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “大 だい 音量 おんりょう &高音 こうおん 質 しつ !便利 べんり なLEDライトもついたステレオホームラジオ ”. tlet.co.jp . tlet.co.jp. 2021年 ねん 6月 がつ 20日 はつか 閲覧 えつらん 。
^ “短波 たんぱ ラジオ ”. www.ando-catalogue.com. 2019年 ねん 1月 がつ 24日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Tecsun pl-660 ”. www.tecsunradios.com.au. 2019年 ねん 3月 がつ 13日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Xhdata D-808 ”. swl.net.ru. 2019年 ねん 3月 がつ 13日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “RADIWOW R-108 ”. radiwow.com. 2019年 ねん 3月 がつ 13日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “ER-C57WR ”. www.elpa.co.jp (2019年 ねん 3月 がつ 11日 にち ). 2019年 ねん 3月 がつ 12日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Thomas Matthew "Home-Made Coherers" Wireless Telegraphy For Amateurs and Students 1906 Thomas M.ST.JOHN pp125-136
^ T.E. O'donnell "The Amateur's Workshop:An Experimental Wireless Telegraph Outfit" Electrician and Mechanic Aug.1907 Sampson Publishing Co. pp41-42
^ V.H. Laughter "Wireless Telegraphy Made Simple - Part 1: Construction of a Simple Wireless Telegraph Set" Popular Electricity May 1908 Popular Electricity Publishing Co. pp32-36
^ James D. Thomas "A Silicon Detector" Modern Electrics Dec.1909 Modern Electrics Publication pp426-427
^ C. Austin ”The Romance of the Radio Telephone” Radio Broadcast May,1922 p16
^ 栄谷 さかえだに 平八郎 へいはちろう 『ラジオ発展 はってん 史 し 』 1947 通信 つうしん 教育 きょういく 振興 しんこう 会 かい p48
^ S.R.Winters The Passing of "NOF" As a Broadcasting Station Radio News Mar.1923 p1623
^ "Regulations Governing General and Restricted Amateur Radio Stations and Amateur Operators" Radio Service Bulletin (No.75) July.2,1923 Department of Commerce p16
^ a b c d e f g 高木 たかぎ 利弘 としひろ 『スマートTVと動画 どうが ビジネス 次世代 じせだい メディアをデザインするのは誰 だれ か?』2012年 ねん 、インプレスジャパン、205頁 ぺーじ
^ a b 高木 たかぎ 利弘 としひろ 『スマートTVと動画 どうが ビジネス 次世代 じせだい メディアをデザインするのは誰 だれ か?』2012年 ねん 、インプレスジャパン、206頁 ぺーじ
^ a b c d 溝尻 みぞしり 真 ま 也 飯田 いいだ 豊 ゆたか (編 へん )「声 こえ を伝 つた える/技術 ぎじゅつ を楽 たの しむ」『メディア技術 ぎじゅつ 史 し :デジタル社会 しゃかい の系譜 けいふ と行方 ゆくえ 』 改訂 かいてい 版 ばん 第 だい 1刷 さつ 北 きた 樹 じゅ 出版 しゅっぱん 2017 pp.76 - 81.
^ 『学研 がっけん まんがでよくわかるシリーズ94 正露丸 せいろがん のひみつ』(2014年 ねん 3月 がつ 31日 にち 、学研 がっけん パブリッシングコミュニケーション発行 はっこう )62ページより。
^ a b c 日本 にっぽん 放送 ほうそう 史 し 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 編 へん
^ a b c d e f g h i “放送 ほうそう 90年 ねん シンポジウム「ラジオは未来 みらい の夢 ゆめ を見 み る」 ”. 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい . 2019年 ねん 9月 がつ 10日 とおか 閲覧 えつらん 。
^ 1932年 ねん 5月 がつ 1日 にち 、放送 ほうそう 協会 きょうかい は第 だい 1回 かい 全国 ぜんこく ラジオ調査 ちょうさ を実施 じっし した。嗜好 しこう 番組 ばんぐみ の1位 い は浪花節 なにわぶし 57%、以下 いか 講談 こうだん ・落語 らくご ・人情噺 にんじょうばなし ・義太夫 ぎだゆう ・民謡 みんよう など。日本 にっぽん 放送 ほうそう 史 し 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 編 へん 。
^ NHK広島放送局 ひろしまほうそうきょく 開局 かいきょく 80年 ねん ラジオドラマ「放送 ほうそう を続 つづ けよ ―広島 ひろしま 中央 ちゅうおう 放送 ほうそう 局 きょく の8月 がつ 6日 にち ―」
^ 白井 しらい 久夫 ひさお 「幻 まぼろし の声 こえ ―NHK広島 ひろしま 8月 がつ 6日 にち ―」岩波 いわなみ 新書 しんしょ
^ 「新 あら たにラジオ東京 とうきょう 新聞 しんぶん 関係 かんけい 一本 いっぽん で申請 しんせい 」『朝日新聞 あさひしんぶん 』昭和 しょうわ 26年 ねん 1月 がつ 11日 にち
^ 中村 なかむら 禎 ただし 昭 あきら 、「中波 ちゅうは 放送 ほうそう 用 よう 周波数 しゅうはすう の変更 へんこう 」『テレビジョン学会 がっかい 誌 し 』 1978年 ねん 32巻 かん 10号 ごう p.902 - 904, NAID 110003697789 , doi :10.3169/itej1978.32.902 。
^ “IPラジオ「radiko」好 こう 反響 はんきょう 、初日 しょにち 聴取 ちょうしゅ 人数 にんずう 105万 まん 人 にん 、急 せ きょシステム増強 ぞうきょう ” . 文化 ぶんか 通信 つうしん .com . (2010年 ねん 3月 がつ 17日 にち ). オリジナル の2010年 ねん 3月 がつ 22日 にち 時点 じてん におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100322213450/http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=38868 2022年 ねん 12月11日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “AMステレオ終了 しゅうりょう のお知 し らせ ”. www.mbs1179.com. 2019年 ねん 1月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c “全国 ぜんこく の民放 みんぽう AMラジオ、令 れい 和 わ 10年 ねん までにFM転換 てんかん ” . 産経 さんけい ニュース (産経 さんけい デジタル). (2021年 ねん 6月 がつ 15日 にち ). https://www.sankei.com/article/20210615-7LYQHU44IVJTHLII7DXG6QCDZU/ 2021年 ねん 6月 がつ 15日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c d “民間 みんかん AM局 きょく の大半 たいはん 、7年 ねん 後 ご までにFM化 か へ 対応 たいおう 端末 たんまつ 必要 ひつよう ” . 朝日新聞 あさひしんぶん デジタル (朝日新聞社 あさひしんぶんしゃ ). (2021年 ねん 6月 がつ 15日 にち ). https://www.asahi.com/articles/ASP6H5R4MP6HUCLV009.html 2021年 ねん 6月 がつ 15日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 放送 ほうそう 文化 ぶんか 調査 ちょうさ 研究所 けんきゅうじょ 放送 ほうそう 情報 じょうほう 調査 ちょうさ 部 ぶ 『NHK年鑑 ねんかん '54』日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1954年 ねん 、191頁 ぺーじ 。
^ 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 放送 ほうそう 文化 ぶんか 調査 ちょうさ 研究所 けんきゅうじょ 放送 ほうそう 情報 じょうほう 調査 ちょうさ 部 ぶ 『NHK年鑑 ねんかん '54』日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1954年 ねん 、192頁 ぺーじ 。
^ 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 総合 そうごう 放送 ほうそう 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ 放送 ほうそう 史 し 編修 へんしゅう 部 ぶ 『NHK年鑑 ねんかん '54』日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1954年 ねん 、28,31頁 ぺーじ 。
^ 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 総合 そうごう 放送 ほうそう 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ 放送 ほうそう 史 し 編修 へんしゅう 部 ぶ 『NHK年鑑 ねんかん '55』日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1955年 ねん 、204,235頁 ぺーじ 。
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 1953年 ねん 8月 がつ 23日 にち 朝刊 ちょうかん P.5 ラジオ・プログラム 番組 ばんぐみ 表 ひょう 及 およ び「ききもの『音 おと のロケに大 だい 苦労 くろう 立体 りったい 放送 ほうそう 内 ない 村 むら 作 さく の「死 し んだにわとり」』」(朝日新聞 あさひしんぶん クロスサーチにて閲覧 えつらん )
^ 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 総合 そうごう 放送 ほうそう 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ 放送 ほうそう 史 し 編修 へんしゅう 部 ぶ 『NHK年鑑 ねんかん '56』日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1956年 ねん 、131,132頁 ぺーじ 。
^ 宮坂 みやさか 榮一 えいいち 「放送 ほうそう の音声 おんせい 方式 ほうしき : アナログ放送 ほうそう からディジタル放送 ほうそう まで」『日本 にっぽん 音響 おんきょう 学会 がっかい 誌 し 57巻 かん 9号 ごう 』 日本 にっぽん 音響 おんきょう 学会 がっかい 、2001年 ねん 9月 がつ 、p.597-603、doi :10.20697/jasj.57.9_597
^ 東京放送 とうきょうほうそう 社 しゃ 史 し 編集 へんしゅう 室 しつ 『東京放送 とうきょうほうそう のあゆみ』東京放送 とうきょうほうそう 、1965年 ねん 5月 がつ 10日 とおか 、583頁 ぺーじ 。
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 1954年 ねん 11月27日 にち 朝刊 ちょうかん P.5 ラジオ・プログラム 番組 ばんぐみ 表 ひょう 、「聴 き きもの見 み もの」番組 ばんぐみ 紹介 しょうかい 欄 らん 及 およ び 文化 ぶんか 放送 ほうそう (JOQR)番組 ばんぐみ 広告 こうこく 「三 さん 元 げん 立体 りったい 放送 ほうそう 」(朝日新聞 あさひしんぶん クロスサーチにて閲覧 えつらん )
^ 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 総合 そうごう 放送 ほうそう 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ 放送 ほうそう 史 し 編修 へんしゅう 部 ぶ 『NHK年鑑 ねんかん '56』日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1956年 ねん 、131,132,274,275頁 ぺーじ 。
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 1958年 ねん 9月 がつ 15日 にち 朝刊 ちょうかん P.6 ラジオ・プログラム 番組 ばんぐみ 表 ひょう 及 およ び「ききものみもの」番組 ばんぐみ 紹介 しょうかい 欄 らん (朝日新聞 あさひしんぶん クロスサーチにて閲覧 えつらん )
^ 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 総合 そうごう 放送 ほうそう 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ 放送 ほうそう 史 し 編修 へんしゅう 部 ぶ 『NHK年鑑 ねんかん '60』日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1960年 ねん 、351,352頁 ぺーじ 。
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 1959年 ねん 11月9日 にち 朝刊 ちょうかん P.5 ラジオ・テレビ欄 らん (朝日新聞 あさひしんぶん クロスサーチにて閲覧 えつらん )
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 1964年 ねん 6月 がつ 19日 にち 朝刊 ちょうかん P.7 ラジオ・テレビ欄 らん (朝日新聞 あさひしんぶん クロスサーチにて閲覧 えつらん )
^ 朝日新聞 あさひしんぶん 1965年 ねん 10月 がつ 24日 にち 朝刊 ちょうかん P.9 ラジオ・テレビ欄 らん (朝日新聞 あさひしんぶん クロスサーチにて閲覧 えつらん )
^ 日本 にっぽん 放送 ほうそう 協会 きょうかい 総合 そうごう 放送 ほうそう 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ 放送 ほうそう 史 し 編修 へんしゅう 部 ぶ 『NHK年鑑 ねんかん '64』日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1964年 ねん 、206頁 ぺーじ 。
^ 番組 ばんぐみ 制作 せいさく における多様 たよう な雇用 こよう 形態 けいたい -中堅 ちゅうけん ラジオ局 きょく の事例 じれい を中心 ちゅうしん に- - 2008年 ねん 5月 がつ 久本 ひさもと 憲夫 のりお (京都 きょうと 大学 だいがく 大学院 だいがくいん 経済 けいざい 学 がく 研究 けんきゅう 科 か 教授 きょうじゅ )、川島 かわしま 広明 ひろあき (日本 にっぽん 民間 みんかん 放送 ほうそう 労働 ろうどう 組合 くみあい 連合 れんごう 会 かい 近畿 きんき 地方 ちほう 連合 れんごう 会 かい 執行 しっこう 委員 いいん )
^ 片手 かたて にラヂヲ♪Kraftwerk
^ 明石 あかし 政紀 まさのり 『ドイツのロック音楽 おんがく またはカン、ファウスト、クラフトワーク』 p.139。