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ラジオ - Wikipedia

ラジオ

無線むせん通信つうしんにより音声おんせい送受信そうじゅしんする技術ぎじゅつ

ラジオえい: radio

  1. 電磁波でんじはによる信号しんごうの、無線むせん方式ほうしきによる送信そうしん受信じゅしん[1]
  2. 電磁波でんじはを、音響おんきょう信号しんごう変換へんかんして無線むせんつたえるのに使つかうこと[1]
  3. うえ説明せつめいした)電磁波でんじはによる信号しんごう受信じゅしんするための装置そうち[1]
ラジオのしくみ。音響おんきょうマイクロフォン電気でんき信号しんごう送信そうしん変調へんちょう)→送信そうしんアンテナ電磁波でんじはによる無線むせん方式ほうしき伝送でんそう受信じゅしんアンテナ→受信じゅしん復調ふくちょう)→電気でんき信号しんごうスピーカー音響おんきょう
ラジオ放送ほうそうきょくスタジオ
ラジオ放送ほうそうきょく送信そうしん
ラジオ放送ほうそう送信そうしんアンテナ(AM、米国べいこく
ラジオ放送ほうそう受信じゅしん

概要がいよう 編集へんしゅう

もともとの意味いみ冒頭ぼうとうしめした定義ていぎぶんのように「電磁波でんじはによる無線むせん方式ほうしき送受信そうじゅしん全般ぜんぱん意味いみする言葉ことばである[2]。しかし、日本にっぽんにおいて一般いっぱんてきには、電波でんぱによる音声おんせい放送ほうそうラジオ放送ほうそう)とその受信じゅしんラジオ放送ほうそう受信じゅしん)をして使つかっていることがおお[2]

とう記事きじではいずれもあつかう。つまり、音響おんきょう音声おんせい音楽おんがくなど)を電磁波でんじは信号しんごう変換へんかん無線むせんでつまり送信そうしんがわ受信じゅしんがわ電線でんせんつないだりせずに信号しんごう送信そうしん受信じゅしんする技術ぎじゅつ、その技術ぎじゅつもちいた放送ほうそう、その放送ほうそう受信じゅしんするための装置そうち、いずれもあつかう。

電磁波でんじはによる無線むせん方式ほうしき送受信そうじゅしん技術ぎじゅつ
ラジオ放送ほうそう

いくつかの方式ほうしきがあり、もっと歴史れきしながいのは振幅しんぷく変調へんちょうによる中波ちゅうは放送ほうそう(AM放送ほうそう)で、基本きほんてき方式ほうしきは100年間ねんかんほどわらなかったが、おなじく振幅しんぷく変調へんちょう方式ほうしきであるが波長はちょうみじか短波たんぱ放送ほうそう(SW放送ほうそう)も(国境こっきょうえるような放送ほうそうで)使つかわれ、さらに1937ねんには周波数しゅうはすう変調へんちょう方式ほうしきFM放送ほうそう登場とうじょうし、地域ちいき放送ほうそうなどで活用かつようされるようになった。→#ラジオ放送ほうそう種類しゅるい

ラジオ放送ほうそう受信じゅしん

ラジオ放送ほうそう種類しゅるいおうじて、AMラジオ(- 受信じゅしん)、SWラジオ(短波たんぱラジオ受信じゅしん)、FMラジオ(- 受信じゅしん)などがあり、複数ふくすう方式ほうしき受信じゅしんできるマルチバンド受信じゅしんもある。→#ラジオ放送ほうそう受信じゅしん種類しゅるい

語源ごげん表記ひょうき

無線むせん電信でんしん英語えいご表記ひょうきであるradiotelegraphy短縮たんしゅく語源ごげんとする[3]

カタカナでは「レディオ」「レイディオ」と表記ひょうきされる場合ばあいもあり、戦前せんぜんラヂオなどと表記ひょうきした[ちゅう 1]

1950ねん昭和しょうわ25ねん施行しこう日本にっぽん電波でんぱほうでは、とう記事きじあつかっていること(無線むせん音声おんせいおく受信じゅしんすること)は「無線むせん電話でんわ」とんでいる。ふるくは、現在げんざいのラジオ放送ほうそう前身ぜんしんにあたるものを「放送ほうそう無線むせん電話でんわ」などともんだ[4]

ラジオ放送ほうそう種類しゅるい 編集へんしゅう

アナログ変調へんちょう
デジタル変調へんちょう
衛星えいせいデジタル放送ほうそう地上ちじょうデジタル放送ほうそうではテレビジョン放送ほうそうのみでなく、ラジオ放送ほうそうにももちいられる。

ごくちょう短波たんぱ以上いじょうもちいる地上波ちじょうは放送ほうそうは、電波でんぱ性質せいしつじょう適当てきとうであるために過去かこ実施じっしされていたものもふくめてどのくにでもおこなわれていない。

ラジオ放送ほうそう日本にっぽん法規ほうき
日本にっぽん電波でんぱほうでは「電話でんわ」という用語ようご変調へんちょう方式ほうしきなどもふくめてしている→電話でんわ (電波でんぱ型式けいしき)

ラジオ放送ほうそう受信じゅしん種類しゅるい 編集へんしゅう

 
真空しんくうかんラジオ
 
東京通信工業とうきょうつうしんこうぎょうげんソニー)のTR-52(1952ねん発売はつばい)。
日本にっぽんせいトランジスタラジオの1号機ごうき
分類ぶんるい

1950年代ねんだいまでは基本きほんてきつぎのように分類ぶんるいしていた。

鉱石こうせきラジオ / 真空しんくうかんラジオ

鉱石こうせきラジオは受信じゅしんしたものを増幅ぞうふくせず鉱石こうせき検波けんぱゲルマニウムダイオードとう直接ちょくせつ検波けんぱし、クリスタル・イヤホンとう聴取ちょうしゅするもの。それにたいして真空しんくうかんラジオは真空しんくうかん増幅ぞうふく回路かいろ増幅ぞうふくおこなうものだった。真空しんくうかんラジオは、使つか真空しんくうかんかずで(1きゅう/2きゅう/3きゅう/4きゅう/5きゅう...と)分類ぶんるいされた。

トランジスタをもちいたトランジスタラジオ登場とうじょうした1950年代ねんだいなかごろ以降いこう基本きほんてきつぎのように分類ぶんるいされた

 鉱石こうせきラジオ / 真空しんくうかんラジオ / トランジスタラジオ 

そしてトランジスタラジオはやはり、もちいるトランジスタのかずで(1せき/2せき/3せき/4せき/5せき/6せき...などと)分類ぶんるいされることになった。

回路かいろ方式ほうしきによる分類ぶんるい 編集へんしゅう

真空しんくうかんやトランジスタなどをもちいるラジオ受信じゅしんは、おも増幅ぞうふく回路かいろ方式ほうしきによりつぎのように分類ぶんるいできる(鉱石こうせきラジオも、異質いしつ回路かいろながらあわせて列挙れっきょすることがある)。

ストレート
受信じゅしんした周波数しゅうはすうのまま検波けんぱ増幅ぞうふく復調ふくちょうおこなう。戦前せんぜんは殆んどがこのタイプが主流しゅりゅうだった。戦後せんご電子でんし回路かいろ理解りかいするための電子でんし工作こうさく製作せいさくする程度ていど利用りようのみ。せい帰還きかんもちいた再生さいせい検波けんぱひろもちいられた。
レフレックス
ラジオ搬送波はんそうは復調ふくちょう音声おんせい周波数しゅうはすう帯域たいいきことなるのを利用りようし、検波けんぱまえ高周波こうしゅうは増幅ぞうふく検波けんぱ音声おんせい増幅ぞうふくひとつの増幅ぞうふく素子そしねる方式ほうしき増幅ぞうふく素子そしには真空しんくうかんトランジスタひとしもちいる。むかし高価こうかだった増幅ぞうふく素子そし節約せつやくするために考案こうあんされた。原理げんりてきにはストレート、スーパーヘテロダインどもにレフレックス方式ほうしきとすること可能かのうではある。
スーパーヘテロダイン
受信じゅしんした周波数しゅうはすう一定いってい周波数しゅうはすう中間ちゅうかん周波数しゅうはすう)に変換へんかんしたうえ増幅ぞうふく復調ふくちょうおこなう。太平洋たいへいよう戦中せんちゅう規制きせいされており、戦後せんご主流しゅりゅうとなる。
ダイレクトコンバージョン
受信じゅしんした周波数しゅうはすうちか高周波こうしゅうは発生はっせいさせ、直接ちょくせつ音声おんせい信号しんごうす。近年きんねん技術ぎじゅつ革新かくしんにより安定あんていして高周波こうしゅうはつくすことが容易よういとなり、中間なかま周波数しゅうはすう変換へんかんする部品ぶひんはぶ小型こがたできるメリットから携帯けいたい電話でんわなどにさかんにもちいられるようになった。
デジタル信号しんごう処理しょり(DSP)
受信じゅしんした周波数しゅうはすう一定いってい周波数しゅうはすう中間なかま周波数しゅうはすう)に変換へんかん増幅ぞうふく復調ふくちょうをデジタル信号しんごう処理しょりしてふたたびアナログ信号しんごう変換へんかんしてから音声おんせい信号しんごうす。近年きんねんソフトウェアラジオなどにもちいられている。

チューニング方式ほうしきによる分類ぶんるい 編集へんしゅう

チューニング(tuning、同調どうちょうせんきょく方式ほうしきによる分類ぶんるい以下いかとおりである。

アナログ
 
アナログラジオ回路かいろれい
可変かへん容量ようりょうコンデンサ(バリコン)や可変かへんインダクタンス(μみゅー同調どうちょう)やバリキャップ可変かへん抵抗ていこう、などでせんきょくするもの。おおまかにられた目盛めもりをたよりに(「コリンズ」のように精密せいみつなものもあるが)せんきょくする。むかしからあるタイプ。
デジタル表示ひょうじしきアナログ
同調どうちょう回路かいろはアナログと同様どうようであるが、デジタル表示ひょうじ周波数しゅうはすうカウンタが内蔵ないぞうされたもの。デジタルのように周波数しゅうはすう数字すうじ確認かくにんしながらの直感ちょっかんてきせんきょく可能かのうだが、テンキーやメモリによるせんきょく出来できない。また、中間なかま周波しゅうは周波数しゅうはすうをカウントし定数ていすうして(またはいて)受信じゅしん周波数しゅうはすうとして表示ひょうじするものであるから、調整ちょうせいがズレていると正確せいかくではない。PLLシンセサイザが安価あんかになる以前いぜんに、高級こうきゅうはたBCLラジオなどで採用さいようられたが、つぎべるデジタルしき普及ふきゅうにより1980年代ねんだい末期まっきにはほとんどられなくなった。しかしPLLシンセサイザは消費しょうひ電力でんりょくおおくコストだかになるため、この方式ほうしき選択せんたくした商品しょうひん近年きんねんはい再度さいどられるようになってきている。2018ねんから発売はつばいされた中国ちゅうごくせいマルチオーディオプレイヤーの複数ふくすう機種きしゅ(Bearmax、とうしょう など)は、これで表示ひょうじされている。
アナログ表示ひょうじしきデジタル
2021ねん東芝とうしばエルイートレーディングはデジタル表示ひょうじ周波数しゅうはすうカウンタはそなわっていないが、手回てまわしでせんきょくするタイプのデジタルチューナーラジオを発表はっぴょうした[7]。FMのみならずAMにも同調どうちょう表示ひょうじ出現しゅつげんする。
デジタル(PLLシンセサイザ
基準きじゅん周波数しゅうはすうもとに、一定いっていステップの周波数しゅうはすう合成ごうせいして同調どうちょう回路かいろ構成こうせいするもの。高級こうきゅうや、近年きんねん薄型うすがたにもおお使つかわれる。民生みんせいでは1970年代ねんだい後半こうはんごろから登場とうじょうしている。オートせんきょく機能きのうそなわったラジオもある。

形態けいたいによる分類ぶんるい 編集へんしゅう

厳密げんみつ線引せんひきはかならずしもないが、形態けいたいによりおおよそ以下いか分類ぶんるいできる。

大型おおがた
部屋へやなどにいて使つか大型おおがたのもの。真空しんくうかん時代じだいほとんどこれにぞくする。
 
コンポーネントオーディオとして製品せいひんされたチューナーのいちれい。AM放送ほうそうとFM放送ほうそう対応たいおうしている。周波数しゅうはすう選択せんたくするためのダイヤルや、信号しんごう強度きょうど同調どうちょう具合ぐあいしめ計器けいきなどが付属ふぞくしている(SANSUIせい TU-307)。
チューナー
コンポーネントオーディオのコンポーネントのひとつ。ラジオの受信じゅしん機能きのうのみ。アンプとおしてスピーカーらす。
ポータブル
VHSカセット - タバコはこおおきさ。乾電池かんでんち動作どうさ可能かのう真空しんくうかん時代じだいにも電池でんちかんという電池でんち動作どうさするミニチュアかんやサブミニチュアかん使つかい、すうじゅうボルト程度ていど積層せきそう乾電池かんでんちもちいたものがあったが、消費しょうひ電力でんりょくすくないトランジスタ登場とうじょうにより電池でんちかんラジオは急速きゅうそく衰退すいたいし、わってトランジスタラジオが急速きゅうそく普及ふきゅうしていった。
薄型うすがた
シャツむねポケットはい程度ていどのもの。スピーカーを内蔵ないぞうしていないイヤホン専用せんようのものもある。

受信じゅしん周波数しゅうはすうによる分類ぶんるい 編集へんしゅう

1バンド
おおくは中波ちゅうは(530 - 1605kHzきろへるつ)AMのみ、またはFMのみの製品せいひんで、安価あんか携帯けいたいラジオやライトバン・トラックなどの商用しょうようしゃのカーラジオにおおい。その、ラジオNIKKEI受信じゅしん専用せんよう短波たんぱラジオ市販しはんされていて(受信じゅしん周波数しゅうはすう固定こていされておりスイッチえだけでわり、周辺しゅうへんきょくくことは出来できない)、かずすくないが、製造せいぞうつづいている。近年きんねんチップセット実装じっそうされたFM放送ほうそう受信じゅしん音声おんせい出力しゅつりょく機能きのう使用しよう可能かのうにした携帯けいたい電話でんわとくスマートフォン)がある。
2バンド
中波ちゅうは+FMがおおい。アナログチューニングの機器ききのFM受信じゅしん周波数しゅうはすう範囲はんいは76 - 108MHzまでのものが主流しゅりゅうである。FM放送ほうそう周波数しゅうはすう範囲はんいは76 - 90MHzだったが、隣接りんせつする周波数しゅうはすうたい利用りようするアナログテレビ放送ほうそう1チャンネルから3チャンネルまでの音声おんせい受信じゅしんすることを想定そうていして108MHzまで受信じゅしんできるように設計せっけいされていた。しかし、アナログテレビ放送ほうそう終了しゅうりょうした2011ねん7がつ以降いこうは90MHzまでのラジオがえてきた。その2015ねんころからFM補完ほかん中継ちゅうけいきょくようにFM放送ほうそう周波数しゅうはすうてが拡大かくだいされたことにより108MHzまで、あるいはFM補完ほかん中継ちゅうけいきょく当初とうしょてである95MHzまで受信じゅしんできるものがふたたはじめている。FMステレオが受信じゅしんできるものや、わずかではあるがFM・AMともにステレオで受信じゅしんできるものがある。デジタルチューニングのうち、一部いちぶ携帯けいたいラジオやラジカセなど90MHz以降いこうが「テレビ(TV)1ch - 3ch」のようにチャンネル(音声おんせい周波数しゅうはすう)がまっているものは海外かいがいでは受信じゅしんできない。なお、FM放送ほうそう開始かいし以前いぜん1960年代ねんだい前半ぜんはん[ちゅう 3]までは中波ちゅうは+短波たんぱ(3.9 - 12MHz)がおおかった。現在げんざいでも、中波ちゅうは+短波たんぱ(ラジオNIKKEI受信じゅしんよう)のラジオは市販しはんされている。中波ちゅうは+FMのホームラジオ、ポケットラジオ、クロックラジオは2019ねん以降いこうしん製品せいひんがどこかのメーカーから投入とうにゅうされ、需要じゅようおとろえがない。
3バンド
 
3バンドラジオ
かつては中波ちゅうは+FM+テレビの1 - 12chの音声おんせい受信じゅしんできるもの、または中波ちゅうは+FM+短波たんぱの3バンドを搭載とうさいしたホームラジオがおお市販しはんされた。中波ちゅうは+FM+複数ふくすう周波数しゅうはすういき短波たんぱ(3.9 - 12MHzがおもであるが、メーカーによってはBCL短波たんぱラジオとして、それよりもうえの22MHz、あるいは30MHzまでの後述こうじゅつ「4バンド以上いじょう」にじゅんじたものもある)が、現在げんざいOEMの形態けいたい市販しはんされている。現在げんざい中波ちゅうは+FM+短波たんぱ(ラジオNIKKEI受信じゅしんよう)のラジオが市販しはんされているほか、2012ねんはいってからは中波ちゅうは+FM+テレビUHF(ワンセグ)の音声おんせい受信じゅしんできるラジオも、少数しょうすう市販しはんされている。短波たんぱ搭載とうさいした3バンドラジカセ、という商品しょうひんもかつてはあったが、現在げんざいでは希少きしょう存在そんざいになっている。
4バンド
 
4バンドラジオ
中波ちゅうは+FM+短波たんぱ放送ほうそうのバンド75 - 13Mのかくバンド、あるいは長波ちょうは中波ちゅうは短波たんぱの150 - 530 - 30000kHzきろへるつ連続れんぞく受信じゅしん可能かのうな、「ゼネラルカバレッジ」とばれるもの。2019ねん現在げんざい日本にっぽんではAIWAほか。にはソニーのICF-890V(生産せいさん終了しゅうりょう)や、一部いちぶのラジカセなどで中波ちゅうは+FM+テレビVHF(1 - 12ch)+テレビUHF(13 - 62ch)というタイプもあったが、1 - 3chをのぞく(ハワイおよアメリカ本土ほんどでは88 - 108MHzまでが放送ほうそうバンドである。ちょう短波たんぱ放送ほうそう参照さんしょう)VHFバンドとUHFバンドは2011ねん7がつ24にち岩手いわて宮城みやぎ福島ふくしまかくけんは2012ねん3がつ31にち)に地上ちじょうデジタルテレビ放送ほうそうへの完全かんぜん移行いこうによる地上ちじょうアナログテレビ放送ほうそう終了しゅうりょう受信じゅしんできなくなるため生産せいさんられ、中波ちゅうは+FM+テレビVHFの - 12chの音声おんせい受信じゅしんできる3バンドラジオや中波ちゅうは+FM+短波たんぱ(ラジオNIKKEI受信じゅしんよう)+テレビVHFの4バンドラジオも同様どうよう理由りゆう生産せいさんられた。このため4バンドラジカセは絶滅ぜつめつした。厳密げんみつ意味いみの4バンドとは、FM+中波ちゅうは+短波たんぱ+長波ちょうは搭載とうさいしたラジオをす。のメーカーで5バンド以上いじょううたしゃ存在そんざいするが、短波たんぱ周波数しゅうはすうたいこまかくっている[8]だけである。
5バンド
中国ちゅうごくのメーカーTECSUNXHDATARADIWOWには中波ちゅうは+FMステレオ+エアバンド+長波ちょうは+短波たんぱの5バンドに対応たいおうしているものが複数ふくすう発売はつばい[9][10][11]されており、流通りゅうつうりょうすくないが入手にゅうしゅ可能かのうである。日本にっぽんメーカーの5バンドはELPAの2014ねん発売はつばい機種きしゅのみ入手にゅうしゅできる[12]
ワイドバンドレシーバ
基本きほんてき無線むせん電波でんぱ通信つうしん広帯域こうたいいき受信じゅしんで、ラジオ放送ほうそう・TV放送ほうそう以外いがい業務ぎょうむよう無線むせん電波でんぱ通信つうしんなどの受信じゅしん再生さいせい対応たいおうし、受信じゅしん可能かのう電波でんぱ帯域たいいきひろいだけでなく、多様たよう変調へんちょう方式ほうしきにも対応たいおうすること目指めざしている。前述ぜんじゅつの「ゼネラルカバレッジ」の概念がいねんさらひろげたものである。バンドすうというより、対応たいおう広帯域こうたいいきバンドの一部いちぶ技術ぎじゅつてき理由りゆう途切とぎれているか、自主じしゅ規制きせいでマスクされていると理解りかいすべき。

通信つうしんよう受信じゅしん 編集へんしゅう

送信そうしんくみにする無線むせん設備せつびとしての性能せいのう重視じゅうししたもので、外観がいかんとしてはチューニング・ダイヤルがおおきく操作そうさしやすい、みとりやすい周波数しゅうはすう目盛めもりがあるかデジタル表示ひょうじになっている、感度かんど選択せんたく可変かへんできるつまみるいいている、電波でんぱ型式けいしきえるスイッチがある、外部がいぶアンテナ端子たんしがあるなどの特徴とくちょうがある。ただしかならずしもこれらすべてをたしているとはかぎらず、また機能きのう豊富ほうふなものではよりたくさんのつまみ、スイッチ、接続せつぞく端子たんしそなえているものもある。一般いっぱんに「レシーバー」ともばれ、ラジオ放送ほうそうたい域外いきがいにも対応たいおうすることおおい。出力しゅつりょく音質おんしつ重視じゅうしされないことおおい。

歴史れきし 編集へんしゅう

無線むせん電話でんわはじまり 編集へんしゅう

1900ねんゆがみはひどいものの世界せかいはじめて電波でんぱ[ちゅう 4]音声おんせいせることに成功せいこうしたのは、カナダまれでエジソンの会社かいしゃ技師ぎしとしてつとめたこともある電気でんき技術ぎじゅつしゃレジナルド・フェッセンデンであった。これが無線むせん電話でんわはじまりである。

フェッセンデンはつづき、ヘテロダイン検波けんぱ方式ほうしきや、電動でんどうしき高周波こうしゅうは発振器はっしんき開発かいはつして改良かいりょうみ、1906ねん12月24にちに、アメリカ・マサチューセッツしゅう自己じこ無線むせんきょくから、みずからのクリスマス挨拶あいさつ無線むせん電話でんわ送信そうしんした。フェッセンデンはこのレコードヘンデル作曲さっきょくの「クセルクセスのラルゴ」と、自身じしん演奏えんそうするヴァイオリン歌唱かしょうで“O Holy Night”をそれぞれながし、聖書せいしょ朗読ろうどくした。この実験じっけんはあらかじめ無線むせん電信でんしんによって予告よこくされたもので「世界せかいはつのラジオ放送ほうそう」であっただけでなく「最初さいしょクリスマス特別とくべつ番組ばんぐみ」でもある。フェッセンデンは「史上しじょうはつのラジオアナウンサープロデューサー」とえる。

ラジオ放送ほうそうはじまり 編集へんしゅう

しかし、ヒューゴー・ガーンズバックが1905ねん11月より一般人いっぱんじんけて通信つうしん販売はんばいはじめた大衆たいしゅう無線むせんテリムコ」の受信じゅしん電波でんぱから音声おんせい復調ふくちょうできないコヒーラ検波けんぱ[ちゅう 5]によるものである。またグリーンリーフ・ホイッティア・ピカード電波でんぱせた音声おんせい復調ふくちょうする鉱石こうせき検波けんぱ作用さよう発見はっけんしその特許とっきょたのはおそく、1906ねんになってである。1906ねん当時とうじのアマチュア無線むせんらはまだコヒーラ検波けんぱ使つかっており[13][14][15]かれらの受信じゅしん鉱石こうせき検波けんぱ切替きりかわったのは1910ねんごろであった[16]。こういった時代じだい背景はいけい勘案かんあんすると、フェッセンデンの実験じっけんひろ聴取ちょうしゅしゃけて送信そうしんされる「ラジオ放送ほうそう」というよりも、限定げんていされた技術ぎじゅつしゃ通信つうしん対象たいしょうとした「無線むせん電話でんわ」の実験じっけんぞくするともかんがえられる。

一般人いっぱんじん無線むせん受信じゅしん所有しょゆうしていたのはアマチュア無線むせんたちのみであった[ちゅう 6]。アマチュア無線むせんだいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつ禁止きんしされていたが、その終戦しゅうせんで1919ねん4がつ12にちより、まず受信じゅしん活動かつどう解禁かいきんされた[ちゅう 7]戦後せんご一般いっぱんアマチュアでも真空しんくうかん入手にゅうしゅできるようになり、鉱石こうせきしき受信じゅしんから真空しんくうかんしき受信じゅしんへのえが急速きゅうそくすすんでいた。

1920ねん1がつ17にちワシントンD.C.アナスコティアにある海軍かいぐん飛行場ひこうじょうから、海軍かいぐんしょう娯楽ごらく音楽おんがく放送ほうそう NOFはじめた。これをもって国営こくえい放送ほうそう嚆矢こうしとするが[17][18]、そのリスナーそう自分じぶん受信じゅしんてたアマチュア無線むせんであった。なお、1923ねん1がつ3にち、アナコスティア海軍かいぐん航空局こうくうきょく NOF本来ほんらい航空こうくう無線むせん研究けんきゅう専念せんねんすることとなり、娯楽ごらく放送ほうそう終了しゅうりょうしている[19]

また、一部いちぶのアマチュア無線むせん無線むせん電話でんわ実験じっけんするようになり、無線むせん電話でんわで「放送ほうそうしたい」アマチュア無線むせんと、モールス電信でんしんで「交信こうしんしたい」アマチュア無線むせん混信こんしん問題もんだいはじまったのもこのころである[ちゅう 8]

民間みんかん企業きぎょうによる商業しょうぎょう放送ほうそうとして世界せかい最初さいしょ許可きょかされたものは、ウェスティングハウス電気でんき製造せいぞう会社かいしゃが1920ねん11月2にちにアメリカ・ペンシルベニアしゅうピッツバーグ放送ほうそう開始かいししたKDKAである。その中波ちゅうは送信そうしん同社どうしゃ技術ぎじゅつしゃフランク・コンラッド設計せっけいし、開局かいきょく初日しょにち番組ばんぐみ大統領だいとうりょう選挙せんきょ開票かいひょう情報じょうほうで、ハーディング候補こうほ当選とうせんつたえた。

選択せんたく分離ぶんり性能せいのう)がくない受信じゅしんきる、商業しょうぎょう放送ほうそう周波数しゅうはすう833kHzきろへるつ)とアマチュア無線むせん放送ほうそう周波数しゅうはすう1,500kHzきろへるつ)の混信こんしん問題もんだいもくすぶっていたが、1922ねんと1923ねんほう改正かいせいでアマチュア無線むせんのオペレーター資格しかくでは放送ほうそうできないことになり、おおくのアマチュア無線むせん商業しょうぎょう放送ほうそうきょくのオーナーや技術ぎじゅつしゃ転向てんこうしたため、問題もんだいはやや軽減けいげんした。さらに、1923ねん6がつ28にち規則きそく改正かいせい[20]では、アマチュア無線むせん短波たんぱ申請しんせいする権利けんりうしなったかわりに、1,500 - 2,000kHzきろへるつ帯域たいいき免許めんきょ獲得かくとくした。同時どうじ毎夜まいよ2000ふんから2230ふんと、日曜にちよう午前ごぜん礼拝れいはいタイム[ちゅう 9]送信そうしん禁止きんしとして、ラジオ放送ほうそうとアマチュア無線むせん混信こんしん問題もんだい一応いちおう解決かいけつをみた。

短波たんぱラジオ放送ほうそう 編集へんしゅう

ごく長距離ちょうきょり伝送でんそうできる短波たんぱラジオ放送ほうそう最初さいしょったのはオランダ国営こくえい放送ほうそうで、1927ねん11月から海外かいがい植民しょくみんけに放送ほうそう開始かいし[21]よく1928ねんには当時とうじオランダりょうであったインドネシアジャワ島じゃわとうでの受信じゅしん成功せいこうする。この実績じっせき追随ついずいしてドイツソ連それんフランスイタリアイギリスひとしが1929 - 1932ねんにかけて植民しょくみん放送ほうそう海外かいがい宣伝せんでん放送ほうそう短波たんぱ開始かいししている。

FMラジオ放送ほうそう 編集へんしゅう

1902ねん周波数しゅうはすう変調へんちょう方式ほうしき(FM方式ほうしき)がフェッセンデンによって考案こうあんされた。しかし、実用じつようてきなFMラジオは1933ねん12月26にちにアメリカのエドウィン・H・アームストロング特許とっきょ取得しゅとくした技術ぎじゅつによる[21]。アームストロングは世界せかいはつのFMラジオきょく W2XMNを1937ねん開局かいきょくさせ放送ほうそう開始かいしした[21]

周波数しゅうはすう変調へんちょうおよびちょう短波たんぱ放送ほうそう(FM放送ほうそう)を参照さんしょう

デジタル 編集へんしゅう

2000年代ねんだいはいって、先進せんしんこく地上ちじょうデジタルラジオ放送ほうそう開始かいしされた。また、アメリカのシリウスXMラジオのような衛星えいせいデジタルラジオサービスも開始かいしされている。

インターネットラジオ 編集へんしゅう

2000年代ねんだいにインターネットにおけるストリーミング配信はいしん使つかってラジオ番組ばんぐみ配信はいしんする方法ほうほう考案こうあんされ、法人ほうじん個人こじんふく様々さまざまなラジオきょく開設かいせつされたほかに、従来じゅうらいから電波でんぱもちいて放送ほうそうしてきたラジオきょくもサイマル放送ほうそうなどで次々つぎつぎ参入さんにゅうした。PCやスマートフォンで手軽てがる聴取ちょうしゅでき、従来じゅうらい電波でんぱラジオより音質おんしついことから、2010年代ねんだい後半こうはん以降いこうインターネットラジオ主流しゅりゅうになった。アメリカでは各局かくきょくWebサイトでラジオ番組ばんぐみ配信はいしんしており、日本にっぽんではradiko一括いっかつして加盟かめいきょくのラジオ番組ばんぐみのサイマル放送ほうそうおこなっている。

アメリカのラジオ放送ほうそう 編集へんしゅう

3だいネットワークの誕生たんじょう 編集へんしゅう

アメリカでは1926ねん11月5にちRCA子会社こがいしゃとしてNBC設立せつりつされ2(NBC red networkおよびNBC blue network)の放送ほうそう開始かいしした[21]

また、1927ねん9月18にちCBSがラジオ放送ほうそうをスタートさせた[21]

1940ねんにはNBC red networkとNBC blue networkが分割ぶんかつされ、1945ねん6月15にちにRCAはNBC blue networkを売却ばいきゃく[21]。NBC blue networkは社名しゃめいをThe Blue Networkとし、ネットワークめいABCとした[21]

FMラジオの規格きかく普及ふきゅう 編集へんしゅう

アメリカでは1961ねん連邦れんぽう通信つうしん委員いいんかい(FCC)がFMのステレオ技術ぎじゅつ規格きかくしてすうひゃくのFMきょく開局かいきょくした[22]。この規格きかくではゼネラル・エレクトリックゼニスしゃ共同きょうどうもとづく「AM-FM」方式ほうしき標準ひょうじゅんステレオ方式ほうしきとして採用さいようされた。

1966ねんには連邦れんぽう通信つうしん委員いいんかい(FCC)がFMの放送ほうそう内容ないようをAMと分離ぶんりすることを決定けっていし、FM放送ほうそう視聴しちょうしゃえるきっかけとなった[22]

日本にっぽんのラジオ放送ほうそう 編集へんしゅう

歴史れきし 編集へんしゅう

国民こくみんのラジオねつ免許めんきょせい以前いぜん 編集へんしゅう

日本にっぽんのアマチュア無線むせんは1920年代ねんだい初期しょきから自作じさく無線むせん個人こじんあいだ無線むせん交信こうしんおこなっており、1922ねんにはラジオ受信じゅしん製作せいさくかんする情報じょうほう『ラヂオ』が創刊そうかんされている[23]

その現在げんざいはオーディオ雑誌ざっしわっているがまことぶんどう新光しんこうしゃかんの『無線むせん実験じっけん』などが数多かずおお発売はつばいされ、また新聞しんぶんしゃによる独自どくじのラジオ中継ちゅうけいおこなわれたりした。1924ねんには、大阪おおさか朝日新聞あさひしんぶんによる皇太子こうたいし裕仁ひろひと親王しんのう昭和しょうわ天皇てんのう成婚せいこん奉祝ほうしゅく式典しきてん大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶんによるだい15かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ開票かいひょう中継ちゅうけいをはじめ、すうおおくの実験じっけんてき要素ようそつよ中継ちゅうけいおこなわれている。

1923ねん12月、逓信ていしんしょう放送ほうそうよう私設しせつ無線むせん電話でんわ規則きそく制定せいてい翌年よくねん当面とうめん東京とうきょう名古屋なごや大阪おおさかの3地域ちいきで、公益こうえき法人ほうじんとしてかく1事業じぎょうしゃずつ、ラジオ放送ほうそう事業じぎょう許可きょかする方針ほうしんした。

日本にっぽんはつのラジオ放送ほうそう 編集へんしゅう

 
1925ねんのラジオ番組ばんぐみひょう。『朝日あさひ年鑑ねんかん 大正たいしょう14ねん - 大正たいしょう15ねん』より。“べい突”はメートルの。つまり375m=800kHzきろへるつ、385m=779kHzきろへるつ

日本にっぽんはつのラジオ放送ほうそうは、1925ねん3月22にち930ふん[24]社団しゃだん法人ほうじん東京とうきょう放送ほうそうきょく(JOAK:現在げんざいNHK東京とうきょうラジオだい1放送ほうそう略称りゃくしょう:AK)が東京とうきょう芝浦しばうら東京とうきょう高等こうとう工芸こうげい学校がっこう千葉大学ちばだいがく工学部こうがくぶ前身ぜんしんないもうけたかり送信そうしんしょからはっした京田きょうだ武男たけおアナウンサーによるもので、第一声だいいっせい

アーアー、こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送とうきょうほうそうきょくであります。こんにち只今ただいまより放送ほうそう開始かいしいたします

だった。波長はちょうは375m(周波数しゅうはすう800kHzきろへるつ)、空中線くうちゅうせん電力でんりょく出力しゅつりょくやく220Wだった。当時とうじ受信じゅしん性能せいのうして出力しゅつりょくよわかったため、東京とうきょううちでないとよくこえなかった。

元々もともと3月1にち放送ほうそう開始かいしする予定よていだったが、購入こうにゅうする予定よていだった、当時とうじ日本にっぽんに1だいしかないウェスタン・エレクトリック(WE)しゃせい放送ほうそうよう送信そうしんが、前年ぜんねん12がつおなじく設立せつりつ準備じゅんびちゅう社団しゃだん法人ほうじん大阪おおさか放送ほうそうきょく(JOBK:現在げんざいNHK大阪おおさか放送ほうそうきょく略称りゃくしょう:BK)にられてしまった。そこで東京とうきょう放送ほうそうきょくは、東京とうきょう電気でんききょく電気でんき研究所けんきゅうじょ放送ほうそう実施じっしのために購入こうにゅうしたゼネラル・エレクトリックしゃせい無線むせん電信でんしん電話機でんわき放送ほうそうよう改造かいぞうして使用しようすることにしたが、2がつ26にち逓信ていしんしょう検査けんさで「放送ほうそう設備せつび完成かんせいのため3がつ1にち放送ほうそう開始かいし時期じき尚早しょうそう」と判断はんだんされた。すでに3がつ1にちから放送ほうそう開始かいしすると発表はっぴょうしており、また、大阪おおさか放送ほうそうきょくよりもさき日本にっぽんはつのラジオ放送ほうそうおこないたいということで、「試験しけん送信そうしん」の名義めいぎ逓信ていしんしょう許可きょかけ、なにとか3がつ1にちから放送ほうそう開始かいしすることができた。

3週間しゅうかん試験しけん放送ほうそうのち逓信ていしんしょう検査けんさ合格ごうかくし、3月22にちかり放送ほうそうかり施設しせつからの正式せいしき放送ほうそうという意味いみ)を開始かいしし、7がつ12にち東京とうきょう東京とうきょうしば現在げんざい東京とうきょうみなと)の愛宕山あたごやまからのほん放送ほうそう開始かいしされた。これにはあらためて購入こうにゅうした出力しゅつりょく1kWのWEしゃせい送信そうしん使用しようした。

大阪放送おおさかほうそうきょくはそのとし6月1にちからかり放送ほうそう出力しゅつりょく500Wで開始かいしした。

さらに、社団しゃだん法人ほうじん名古屋放送局なごやほうそうきょく(JOCK:現在げんざいNHK名古屋放送局なごやほうそうきょく略称りゃくしょう:CK)も同年どうねん7がつ15にちに、出力しゅつりょく1kWのマルコーニしゃせい送信そうしん使用しようして放送ほうそう開始かいしした。

1925ねん、ラジオ聴取ちょうしゅ契約けいやくしゃ東京とうきょう13まん1373、大阪おおさか4まん7942、名古屋なごや1まん4290けん受信じゅしん鉱石こうせきしき10えん真空しんくうかんしき120えん[25]

1945ねんまで 編集へんしゅう

 
1920年代ねんだいまつのラジオ放送ほうそう収録しゅうろく風景ふうけいみぎ粟島あわしますみ中央ちゅうおう)ら松竹しょうちく蒲田かまた撮影さつえいしょ映画えいが俳優はいゆうたちによるラジオドラマ、ひだり演奏えんそうちゅう新橋しんばし芸者げいしゃたち。
 

社団しゃだん法人ほうじん東京とうきょう大阪おおさか名古屋放送局なごやほうそうきょく翌年よくねん1926ねんに「社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい」として統合とうごうされた。これは実質じっしつてきには政府せいふ機関きかんてき性格せいかくっていた。「全国ぜんこく鉱石こうせき」(日本にっぽん全国ぜんこくのどこでも鉱石こうせき受信じゅしんによるラジオ聴取ちょうしゅ可能かのうとするインフラの整備せいび)を目標もくひょう[ちゅう 10]日本にっぽん各地かくち放送ほうそうきょく開設かいせつしたほか、外地がいちみなみ樺太からふと豊原とよはら放送ほうそうきょく)や南洋なんよう群島ぐんとうパラオ放送ほうそうきょく)にもおけきょくした。さらに、朝鮮ちょうせんには朝鮮ちょうせん放送ほうそう協会きょうかい台湾たいわんには台湾たいわん放送ほうそう協会きょうかい設立せつりつされ、日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい番組ばんぐみおお中継ちゅうけいした。

1927ねん8がつ、ラジオで全国ぜんこく中等ちゅうとう学校がっこう優勝ゆうしょう野球やきゅう大会たいかい中継ちゅうけいされた(はつのスポーツ中継ちゅうけい[26]

1928ねん11月には昭和しょうわ天皇てんのう即位そくいれい全国ぜんこく中継ちゅうけいされた(はつ本格ほんかくてき全国ぜんこくネット放送ほうそう[26]。また、1930ねん2がつにはロンドン軍縮ぐんしゅく会議かいぎ中継ちゅうけいおこなわれた(はつ国際こくさい中継ちゅうけい[26]

受信じゅしんとしては、交流こうりゅう商用しょうよう電源でんげんだい容量ようりょう電池でんちによって作動さどうする真空しんくうかん使つかったものが登場とうじょうし、鉱石こうせきしきイヤホンわって、スピーカーおおきな音量おんりょう放送ほうそうけるようになる。ラジオ受信じゅしん自体じたい国内こくないメーカーによって生産せいさん可能かのうとなった。

アマチュアによる受信じゅしん自作じさく当時とうじから趣味しゅみいちジャンルとしてひろまりはじめていた。雑誌ざっし無線むせん実験じっけん』に1930ねん匿名とくめい男性だんせい寄稿きこうした「ラジオをつくるはなし」は、岡本おかもと次雄つぐお当時とうじのアマチュアと東京とうきょうのラジオしょう様子ようす見事みごとえがいているとして『アマチュアのラジオ技術ぎじゅつ』(1963)に収録しゅうろくした。

ラジオ聴取ちょうしゅ契約けいやくしゃは1931ねんに100まん突破とっぱした[25]聴取ちょうしゅ世帯せたいすう1932ねん2がつには100まん1935ねん2がつには200まん1939ねん1がつには400まん突破とっぱ[26]。ラジオ受信じゅしん普及ふきゅうすすみ、音楽おんがく演芸えんげい、スポーツ中継ちゅうけい、ラジオドラマなどの多彩たさいなプログラムが提供ていきょうされるようになったことで娯楽ごらく主役しゅやくとなった[27]が、1941ねん太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう開戦かいせんとその戦局せんきょく進行しんこうとも大本営だいほんえい発表はっぴょうおこなうための機関きかんプロパガンダてき番組ばんぐみえた。この傾向けいこう終戦しゅうせんまでつづいた。1941ねん12月25にち、NHKは全国ぜんこくぐん管区かんくにしたがって5ぐんかくぐんごとにどういち周波数しゅうはすう放送ほうそう実施じっしした[25]

聴取ちょうしゅ世帯せたいすうは1940年代ねんだいにも増加ぞうかつづけ、1940ねん5月には500まん1941ねん8がつには600まん1943ねん3がつには700まん突破とっぱした[26]。しかし、1945ねん4がつになると放送ほうそう時間じかん大幅おおはば減少げんしょうし、1945ねん5がつには名古屋なごや中央ちゅうおう放送ほうそうきょく空襲くうしゅうにより焼失しょうしつ[26]、8がつ6にちには広島ひろしま中央ちゅうおう放送ほうそうきょく広島ひろしま原爆げんばくだい打撃だげきけた(25あいだ再開さいかい[28][29]

1945ねん8がつ15にち終戦しゅうせん詔勅しょうちょく(いわゆる玉音ぎょくおん放送ほうそう)が放送ほうそうされ、戦後せんご海外かいがい領土りょうどうしなう。「社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい」は連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)の管理かんり監督かんとくかれ言論げんろん統制とうせいおこなわれた。アメリカぐんイギリスぐん中心ちゅうしんとした(中華民国ちゅうかみんこくぐんおよソビエト連邦れんぽうぐん日本にっぽん進駐しんちゅうしていない)、いわゆる進駐軍しんちゅうぐん放送ほうそうきょく主要しゅよう都市としかれた。アメリカぐんけはのちにFEN、現在げんざいAFN前身ぜんしんである。一部いちぶきょくについては日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかいから施設しせつ役務えきむ提供ていきょうおこなわれた。

1945ねん - 1959ねん 編集へんしゅう

 
1955ねんごろのラジオ受信じゅしん、5きゅうスーパーしき。FM放送ほうそうはじまるまえ機種きしゅなのでバンドは中波ちゅうは短波たんぱのみ

戦後せんご、ラジオ受信じゅしん世帯せたいすう減少げんしょうしており1946ねん7がつには538まんであった[26]

1950ねんに「社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい」が公共こうきょう企業きぎょうたいとしての「特殊とくしゅ法人ほうじん日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい」に改組かいそされ、よく1951ねんには9月1にちあさ中部日本放送ちゅうぶにっぽんほうそう現在げんざいCBCラジオ)、同日どうじつひるしん日本にっぽん放送ほうそう現在げんざいMBSラジオ)が日本にっぽんはつ民間みんかん放送ほうそう開始かいしした。東京とうきょうでは、民間みんかん放送ほうそう申請しんせい目指めざ会社かいしゃ乱立らんりつ新聞しんぶんしゃけい放送ほうそう会社かいしゃ一本いっぽんおこなわれたこともあり、同年どうねん12月25にちになってラジオ東京とうきょう現在げんざいTBSラジオ)に開始かいしされた[30]1953ねんにはテレビ放送ほうそう開始かいしされたが、白米はくまい10kg680えん銭湯せんとう入浴にゅうよくりょう15えん程度ていどだった時代じだいテレビ受像じゅぞう価格かかくは20 - 30まんえん程度ていど高価こうか一般いっぱんにはえず、ラジオが一家いっか主役しゅやくでありつづけた。

民間みんかん放送ほうそう開始かいし以前いぜんにはラジオ受信じゅしん所持しょじには政府せいふ許可きょか必要ひつようであり、聴取ちょうしゅりょうおさめる必要ひつようがあったが、無料むりょうける放送ほうそう開始かいしによってラジオへの関心かんしんたかまり、『初歩しょほのラジオ』『模型もけいとラジオ』など少年しょうねんけのラジオ製作せいさく雑誌ざっし相次あいついで創刊そうかんされた[23]当時とうじ物品ぶっぴんぜい高価こうかで、メーカーせい完成かんせいひん購入こうにゅうするよりは秋葉原あきはばらなどから真空しんくうかんなどの部品ぶひんあつめて自作じさくしたほうがやすかったために、受信じゅしん製作せいさくするひとおおかった。かれらは「少年しょうねん技師ぎしのラジオ少年しょうねん)」ともばれ、高度こうど成長せいちょう日本にっぽんエレクトロニクス産業さんぎょう発展はってん基礎きそつく要因よういんひとつともなった[23]

1955ねんには東京通信工業とうきょうつうしんこうぎょう日本にっぽんはつのトランジスタラジオを発売はつばい[26]。1958ねん11月にはラジオ受信じゅしん契約けいやくすうが1481まんけんえピークとなった[26]。しかし、当時とうじ皇太子こうたいし明仁あきひと親王しんのう1959ねん正田しょうだ美智子みちこ結婚けっこんパレードのテレビ中継ちゅうけいおこなわれたのをきっかけに、テレビ受像じゅぞう普及ふきゅうはじめ、ラジオは斜陽化しゃようか時代じだいむかえる。

ちょう短波たんぱ使用しようしたFMラジオ放送ほうそうについては、1957ねん12月にNHK-FMが東京とうきょう試験しけん放送ほうそう開始かいしし、よく1958ねん12月には学校がっこう法人ほうじん東海大学とうかいだいがくにより、放送ほうそう教育きょういく目的もくてきとした「東海大学とうかいだいがくちょう短波たんぱ放送ほうそう実験じっけんきょく」が放送ほうそう開始かいしした。1960ねんには日本にっぽん最初さいしょ民放みんぽうFMきょく[ちゅう 11]であるFM東海とうかいとなる。

1960ねん - 1974ねん 編集へんしゅう

このころ部品ぶひんのトランジスタの普及ふきゅうすすみ、これを使つかったトランジスタラジオ商品しょうひんや、さらにモータリゼーションにより、カーラジオ普及ふきゅうするなど、ラジオは一家いっかいちだいから一人ひとりいちだいというパーソナル方向ほうこうかう。ラジオ放送ほうそう家族かぞくをターゲットにした編成へんせいから、個人こじんをターゲットにした編成へんせいへと転換てんかんしていく。情報じょうほうトーク番組ばんぐみ音楽おんがく番組ばんぐみえたほか、ターゲットをしぼった深夜しんや放送ほうそうさかんになった。

1950年代ねんだい後半こうはんから試験しけん放送ほうそうつづけていたFMラジオ放送ほうそうは、1969ねんNHK-FMほん放送ほうそう開始かいしされ、同年どうねんには民放みんぽうでもFM愛知あいち開局かいきょく。1970ねんには、FM大阪おおさか、FM東海とうかい東海大学とうかいだいがくからいだFM東京とうきょうFM福岡ふくおかの3きょく相次あいついで開局かいきょくした。いずれも音楽おんがく中心ちゅうしんとした編成へんせいで、高音こうおんしつのステレオ放送ほうそうにより、レコードHi-Fi音源おんげんとして人気にんきあつめることになる。どう時期じき登場とうじょうしたラジカセ普及ふきゅうによって、放送ほうそうされる楽曲がっきょくオープンリールテープやカセットテープ録音ろくおんする「エアチェック」も流行りゅうこうし、エアチェックを目的もくてきとして放送ほうそうされる楽曲がっきょくったFM情報じょうほう創刊そうかんされた[23]。しかし、民放みんぽうきょく中心ちゅうしんに「楽曲がっきょくそのものをたのしむ」から「トークの合間あいま楽曲がっきょくながれる」など番組ばんぐみスタイルの変化へんかなどから、次第しだいにエアチェックという言葉ことば自体じたいすたれていくようになる。

1975ねん - 1981ねん 編集へんしゅう

 
代表だいひょうてきなBCLラジオ ソニー スカイセンサー5900

1970年代ねんだい後半こうはんに、中東ちゅうとう戦争せんそうオイルショックをきっかけとして海外かいがい国際こくさい放送ほうそう受信じゅしんするBCLブームが中学生ちゅうがくせい高校生こうこうせい中心ちゅうしんこった。この時期じきには、日本にっぽん日本語にほんご放送ほうそう充実じゅうじつはか放送ほうそうきょくおおく、時事じじニュースにまらずそのくに文化ぶんかなどの理解りかいふかめるうえで一定いってい役割やくわりたした。また、受信じゅしん報告ほうこくしょおくるとれるベリカード収集しゅうしゅうさかんにおこなわれた。さらに、送信そうしん方向ほうこう日本にっぽんけではないなど、一般いっぱんてきには受信じゅしん困難こんなん放送ほうそう工夫くふうかさねて受信じゅしんしようとするマニアもえた。これにおうじ、受信じゅしん周波数しゅうはすう帯域たいいきひろいラジオ受信じゅしん、いわゆるBCLラジオが各社かくしゃより発売はつばいされ、戦後せんご2かい黄金おうごんだった。しかし、日本にっぽんからの海外かいがい旅行りょこう一般いっぱん通信つうしん自由じゆう遠因えんいんとする国際こくさい放送ほうそう縮小しゅくしょうなどで、BCLブームもわりをげ、BCLラジオメーカーも次々つぎつぎ撤退てったいした(2006ねん時点じてん国内こくないメーカーはソニー以外いがい撤退てったい)。

1978ねん11月23にちには国際電気こくさいでんき通信つうしん連合れんごう(ITU)のめによりAMラジオの周波数しゅうはすう一斉いっせい変更へんこう(10kHzきろへるつ間隔かんかく→9kHzきろへるつ間隔かんかく通称つうしょう:9キロヘルツセパレーション)がおこなわれた[31]

1982ねん - 1999ねん 編集へんしゅう

1982ねんFM愛媛えひめ皮切かわきりに全国ぜんこく民放みんぽうFM放送ほうそうきょく相次あいついで開局かいきょくする。1988ねんには東京とうきょうで2番目ばんめとなるエフエムジャパン(現在げんざいJ-WAVE)が開局かいきょく大都市だいとしけんでは複数ふくすう民放みんぽうFMきょく開設かいせつされるようになり、対象たいしょうセグメント多様たようすすんだ。

1991ねん衛星えいせい放送ほうそうによる有料ゆうりょうラジオ放送ほうそうセント・ギガ開始かいし1992ねんにはコミュニティ放送ほうそう制度せいどされ、都道府県とどうふけん単位たんいよりもかなりせま地域ちいき対象たいしょうとしたラジオ放送ほうそうおこなわれるようになった。おなじく1992ねんにはAMステレオ放送ほうそう開始かいし1995ねんにはFM文字もじ多重たじゅう放送ほうそうもスタートするなどしん技術ぎじゅつ導入どうにゅう相次あいつぐ。

1995ねん阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいでは、災害さいがいにおける情報じょうほう伝達でんたつメディアとしてのラジオの重要じゅうようせいがクローズアップされる結果けっかとなった。以降いこう各局かくきょくとも災害さいがいへの対応たいおう重点じゅうてんくようになる。また災害さいがい情報じょうほう発信はっしんようとして大都市だいとしけん外国がいこくFMきょく開局かいきょくしたが、のち経営けいえいなんくるしむこととなる。

2000ねん - 2009ねん 編集へんしゅう

 
iPodにおけるラジオ受信じゅしん装置そうちひだりのリモコン)

きょうくわえメディアの多様たよう起因きいんとなりラジオばなうごきが顕在けんざいし、それにともな広告こうこく減少げんしょうつづけていることから、ラジオきょくきびしい運営うんえいじょうきょういられていく(詳細しょうさいラジオばな参照さんしょう)。

2000ねん12月、BSデジタル放送ほうそうによるBSデジタル音声おんせい放送ほうそう開始かいしされたが、2003ねんにセント・ギガが終了しゅうりょうするなど衛星えいせいラジオは市場いちば規模きぼちいさいままわり、きょくも2005ねん以降いこう順次じゅんじはいきょくした。FM文字もじ多重たじゅう放送ほうそうや、その登場とうじょうした地上ちじょうデジタルラジオ失敗しっぱいわっている。

AMステレオ放送ほうそう実施じっししていた放送ほうそうきょく会社かいしゃ合理ごうりくわえ、送信そうしん更新こうしんさい必要ひつよう装置そうちが2000ねんなかばまでに生産せいさん中止ちゅうしになったのにともない、AMステレオ放送ほうそう終了しゅうりょうしてもとのモノラル放送ほうそうもど放送ほうそう事業じぎょうしゃ2000年代ねんだい後半こうはん九州きゅうしゅう地区ちくてきた。

一方いっぽうで2000年代ねんだいにはインターネットによるインターネットラジオ普及ふきゅうしていった。

2010ねん - 2020ねん 編集へんしゅう

2010ねん3がつ15にち0(3がつ14にち24)より、地上波ちじょうはのラジオ放送ほうそうどう内容ないようをインターネットを利用りようしてサイマル配信はいしんするIPサイマルラジオ「radiko」の実証じっしょう実験じっけん開始かいしされた(同年どうねん12がつ1にちより本格ほんかくてき開始かいし[32]。radikoは当初とうしょ本来ほんらい放送ほうそうエリアないでの無料むりょう配信はいしんのみとしていたが[ちゅう 12]2014ねん4がつ1にちからは放送ほうそうエリアがいからも有料ゆうりょう聴取ちょうしゅ可能かのうになるエリアフリーサービス「radikoプレミアム」がスタートした。

またこれとはべつに、RNBラジオでは、独自どくじで2010ねん10月1にちにCATVサイマル放送ほうそうを、同年どうねん12月18にちから2011ねん3がつ31にちまでIPラジオ実験じっけん放送ほうそうをした。

一方いっぽう、2010ねんAMステレオ放送ほうそう断念だんねんしてAMモノラル放送ほうそう復帰ふっきするきょく相次あいついだ。MBSラジオHBCラジオ2がつ28にち深夜しんや3月1にち未明みめい)、ABCラジオ3月14にち深夜しんや3月15にち未明みめい)、STVラジオ3月28にち深夜しんや3月29にち未明みめい)の放送ほうそうをもってAMステレオ放送ほうそう終了しゅうりょうした。終了しゅうりょう理由りゆうとしてステレオ放送ほうそう対応たいおうのための機材きざい生産せいさん終了しゅうりょうしていてメンテナンスの保証ほしょうがなくなったことがあげられている[33]。2011ねん1がつ30にち深夜しんや1がつ31にち未明みめい)にはTBSラジオ終了しゅうりょうし、縮小しゅくしょうしていった。

AM放送ほうそうについては「都市としがた難聴なんちょう対策たいさく」・「外国がいこく混信こんしん対策たいさく」・「地理ちりてき地形ちけいてき難聴なんちょう対策たいさく」・「災害さいがい対策たいさく」の観点かんてんから、2012ねんまでに終了しゅうりょうしたアナログテレビ放送ほうそう周波数しゅうはすうたい一部いちぶ利用りようしてFMなみによる補完ほかん放送ほうそうおこなわれることになり、2014ねん12月1にち北日本放送きたにほんほうそう南海放送なんかいほうそう皮切かわきりに、よく2015ねん名古屋なごや東京とうきょう広島ひろしま長崎ながさき鹿児島かごしまなど、2016ねんには大阪おおさか福岡ふくおかなど全国ぜんこく各地かくちでスタートしている。これらの放送ほうそう一般いっぱんてきに「ワイドFM」とばれる。

2020ねん以降いこう流行りゅうこうした新型しんがたコロナウイルスへの感染かんせん対策たいさくとして、2020ねん4がつ以降いこう収録しゅうろくにおけるアクリルばん設置せっちやリモート出演しゅつえんなどの措置そちをとるところもみられた。

2021ねん - 編集へんしゅう

2021ねん6がつ15にち民間みんかん放送ほうそうのAMきょくのうち北海道ほっかいどう秋田あきたの3しゃ北海道放送ほっかいどうほうそうSTVラジオ秋田放送あきたほうそう)をのぞく44しゃ2028ねんあき目処めどにAM放送ほうそうからFM放送ほうそう転換てんかんし、在京ざいきょうきょく(TBSラジオ、文化放送ぶんかほうそうニッポン放送にっぽんほうそう)をふく一部いちぶしゃではFM放送ほうそう一本いっぽんすることを発表はっぴょうした[34][35]すで各社かくしゃともワイドFMを実施じっししているが、広告こうこく収入しゅうにゅう低下ていかつづなかでFMとAMのじゅう投資とうしになっていること、とくにAM送信そうしん施設しせつ立地りっち水害すいがいよわ河川敷かせんしきなどひろ土地とち必要ひつよう)や設備せつび更新こうしん費用ひようたかさ、放送ほうそう継続けいぞくしたままでの設備せつび更新こうしん問題もんだいとなるのにたい[34]、FMは簡易かんい設備せつび費用ひようおさえられることがメリットとしている[35]一方いっぽうで、ワイドFMが受信じゅしん可能かのうなラジオ受信じゅしん普及ふきゅうは2019ねん平成へいせい31ねん)2がつ調査ちょうさ段階だんかいで53%にとどまり、受信じゅしんえのために周知しゅうち期間きかん必要ひつようとして、2021ねん6がつ段階だんかい発表はっぴょうしたとしている[34]。2022年度ねんどにはAMきょくがFMきょく転換てんかんできるよう制度せいど改正かいせいし、2023ねんにはとまなみ実証じっしょう実験じっけんおこなかんが[35]

また、NHKもAM放送ほうそうだい1放送ほうそうだい2放送ほうそう2025ねん一本いっぽんする方針ほうしんしめしている[35]

ステレオ放送ほうそう 編集へんしゅう

複数ふくすう放送ほうそうによるステレオ放送ほうそう立体りったい放送ほうそう 編集へんしゅう

 
利用りようのステレオ受信じゅしん

1950年代ねんだい、NHKラジオだい1放送ほうそうだい2放送ほうそう民放みんぽう各社かくしゃなどが、2つの放送ほうそう使つかったステレオ放送ほうそう当時とうじ立体りったい放送ほうそうばれた)をおこなった。NHKのれいでいえばだい1放送ほうそう左側ひだりがわ音声おんせいだい2放送ほうそう右側みぎがわ音声おんせいをそれぞれ放送ほうそうし、2つのラジオをならべていたり、2だいぶんのチューナーを搭載とうさいしたレシーバー使つかってステレオ音声おんせい受信じゅしんするものだった。テレビ放送ほうそう開始かいしされると、ラジオとテレビを併用へいようした立体りったい放送ほうそう実施じっしされた。番組ばんぐみ冒頭ぼうとうでは「ひだりのラジオを○○放送ほうそうに、みぎのラジオを○○放送ほうそうわせ、わたしこえ中央ちゅうおうからこえるように、受信じゅしん音量おんりょう調節ちょうせつしてください」といったアナウンスと、受信じゅしん調整ちょうせいのための音楽おんがくながされた。

この方式ほうしきでは「モノラル放送ほうそうとの互換ごかんせいがとれず、受信じゅしんを2だい用意よういしないと片方かたがたのチャンネルしかくことができない」「左右さゆう受信じゅしん位相いそう特性とくせい周波数しゅうはすう特性とくせい、レベルとう特性とくせいがあると、ただしいステレオイメージがられない」「NHKをのぞき、2きょく協力きょうりょくしないと実現じつげんできない」などの問題もんだいおおかった。1963ねん以降いこうFMラジオ放送ほうそうで、これらの問題もんだいてん解決かいけつしたステレオ放送ほうそうおこなわれるようになったことで、2つの放送ほうそうによる立体りったい放送ほうそう終了しゅうりょうした。

沿革えんかく 編集へんしゅう

FMステレオ放送ほうそう 編集へんしゅう

日本にっぽんでは1963ねん6月25にちから当時とうじFM東海とうかいによってこの方式ほうしきによる試験しけん放送ほうそう開始かいしされる。

日本にっぽんにおいてステレオ放送ほうそう開始かいしされた当初とうしょは、電電でんでん公社こうしゃのステレオ中継ちゅうけい回線かいせん整備せいびされていなかったため、ステレオでの生放送なまほうそう東京とうきょう近辺きんぺんのごくかぎられた地域ちいきでしか聴取ちょうしゅできなかった。ステレオ収録しゅうろくされた番組ばんぐみ放送ほうそうする場合ばあい、NHKではかく拠点きょてんきょく札幌さっぽろ仙台せんだい東京とうきょう金沢かなざわ名古屋なごや大阪おおさか広島ひろしま松山まつやま福岡ふくおか)にパッケージテープをおくり、かく地方ちほうきょくではテープをながしている拠点きょてんきょく電波でんぱ再生さいせいする「放送ほうそう中継ちゅうけい方式ほうしきがとられていた。また、FM東京とうきょうをはじめとする民放みんぽうでもパッケージテープを再生さいせいする方式ほうしきがとられた。

その1978ねん10月1にちからFM放送ほうそうようのPCMステレオ回線かいせん整備せいびされ、パッケージテープの送付そうふ廃止はいしされる。1980年代ねんだいには全国ぜんこくのNHKおよ民放みんぽうFMきょくに、PCMステレオ回線かいせん設備せつび導入どうにゅうされ、全国ぜんこくでステレオ音声おんせいでの生放送なまほうそう聴取ちょうしゅできるようになっている。

沿革えんかく 編集へんしゅう
  • 1960ねん8がつ - FM東海とうかいが、アメリカ・クロスビー研究所けんきゅうじょ開発かいはつしたFM-FM方式ほうしきによるステレオ実験じっけん放送ほうそう開始かいし(1961ねんにAM-FM方式ほうしき標準ひょうじゅんステレオ方式ほうしきになるまで実施じっし)。
  • 1963ねん
    • 5月17~19にち - NHK東京とうきょうFM放送ほうそうきょくが、この期間きかんちゅうおこなわれるNHK放送ほうそう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ技研ぎけん公開こうかいにて、べいのFCCが1961ねん規格きかく決定けっていした、AM-FM方式ほうしき現在げんざいのステレオ方式ほうしき)によるステレオ試験しけん放送ほうそうを、毎日まいにち2あいだはんわたっておこなう(翌月よくげつの6がつ12にちにも、当時とうじ皇太子こうたいし明仁あきひとどう研究所けんきゅうじょ参観さんかんしたさいに、おなじくステレオ試験しけん放送ほうそうを2あいだはんわたってった[51])。
    • 6月25にち - FM東海とうかいが、AM-FM方式ほうしきによるステレオ実験じっけん放送ほうそう開始かいし
    • 12月16にち - NHK東京とうきょうFM放送ほうそうきょくが、AM-FM方式ほうしきによるステレオ放送ほうそう開始かいし
  • 1964ねん - NHK-FMが全国ぜんこく放送ほうそうきょく相次あいついで開局かいきょくさせ(このとき同時どうじにステレオ放送ほうそう開始かいししたきょくおおい)、ついにFMステレオ放送ほうそうぜん都道府県とどうふけんけるようになる。
  • 1969ねん3月1にち - 全国ぜんこくのNHK-FMのほん放送ほうそう開始かいし
  • 1977ねん12月 - 全国ぜんこくのNHK-FMのローカル放送ほうそうステレオ工事こうじ完了かんりょう。NHK-FMのローカル番組ばんぐみ全局ぜんきょくでステレオで放送ほうそうできるようになる。これにともない、NHK沖縄おきなわのFM放送ほうそうでもローカル番組ばんぐみのみステレオでけるようになる(全国ぜんこく放送ほうそうはモノラル放送ほうそうのまま)。
  • 1978ねん10月1にち - NHKのFM放送ほうそうようPCMステレオ回線かいせん東京とうきょう-名古屋なごや-大阪おおさかあいだ開通かいつうし、運用うんよう開始かいしする。
  • 1979ねん12月24にち - 全国ぜんこくのNHK-FMの基幹きかんきょくすべてにFM放送ほうそうようPCMステレオ回線かいせん開通かいつうし、運用うんよう開始かいしする。これにともない、ステレオ放送ほうそう開始かいし当初とうしょからっていたかく基幹きかんきょくへのパッケージテープの送付そうふ廃止はいしされる。
  • 1980ねん - FM民放みんぽう4きょくあいだFM東京とうきょう - FM愛知あいち - FM大阪おおさか - FM福岡ふくおか)にFM放送ほうそうようPCMステレオ回線かいせん開通かいつう運用うんよう開始かいし
  • 1984ねん - NHK沖縄おきなわにFM放送ほうそうようPCMステレオ回線かいせん開通かいつうし、どうけんおよ鹿児島かごしまけん奄美あまみ大島おおしま地域ちいきがようやく全国ぜんこく放送ほうそうのFM番組ばんぐみがステレオでの放送ほうそう可能かのうになった。
  • 1985ねんころ[いつ?] - すべてのNHK放送ほうそうきょくに、FM放送ほうそうようPCMステレオ回線かいせん導入どうにゅうされる。
  • 2010ねんころ[いつ?] - すべてのNHK放送ほうそうきょくでこれまで使用しようしていたFM放送ほうそうようPCMステレオ回線かいせんから、AM(ラジオだい1・だい2)・FMラジオ共用きょうようひかりデジタル回線かいせんせつかわ

AMステレオ放送ほうそう 編集へんしゅう

日本にっぽんでは1990年代ねんだいから一部いちぶ導入どうにゅうされたが、普及ふきゅうしなかった。

インターネットを利用りようした展開てんかい 編集へんしゅう

インターネット回線かいせん利用りようして放送ほうそう配信はいしんおこなう。ネット回線かいせん強力きょうりょくさから、日本にっぽんでも2010年代ねんだいより有力ゆうりょく聴取ちょうしゅ手段しゅだんとなっている。

ラジオメディアの特性とくせい 編集へんしゅう

テレビとのちが 編集へんしゅう

室外しつがいアンテナが主流しゅりゅうのテレビとことなり、受信じゅしんそなけのアンテナを使つかった室内しつないでの受信じゅしん普通ふつうなので、受信じゅしん環境かんきょうがチャンネル選択せんたく影響えいきょうおよぼす。放送ほうそう区域くいきないだからといってかならずしもすべてのきょく安定あんていして受信じゅしんできるわけではない。そのため、そういった環境かんきょうでは、チューニングしやすいきょくがよくかれる傾向けいこうにある。とくに、室内しつない受信じゅしんする場合ばあい建物たてもの鉄筋てっきんコンクリートとう)によって電波でんぱさえぎられたり電気でんき製品せいひんなどのノイズをけたりすることもおおく、電波でんぱ状態じょうたい良好りょうこうきょくこのまれる。受信じゅしん環境かんきょう別売べつうりの外部がいぶアンテナを使用しようしたり、FMの場合ばあいはVHFアンテナを使用しよう改善かいぜんできる場合ばあいもある(電界でんかい強度きょうどよわ地域ちいきではVHFアンテナを使用しようしても改善かいぜんできない場合ばあいがある。この場合ばあいはFM帯域たいいき対応たいおうした外部がいぶアンテナが必要ひつようとなる)。ただし、VHFアンテナはアナログテレビ放送ほうそう終了しゅうりょうにともない、2010ねん大手おおてメーカー各社かくしゃ相次あいついで生産せいさんりを発表はっぴょうした。

仕事しごと作業さぎょうをしながらでも番組ばんぐみたのしむことができるため、職場しょくばやカーラジオなどで聴取ちょうしゅされることもおおい。首都しゅとけんでは10:00 - 11:00にテレビの視聴しちょうりつよりもラジオの聴取ちょうしゅりつたかくなる。地域ちいき放送ほうそう内容ないよう機器ききなどの影響えいきょうにより、長時間ちょうじかんにわたり1つのきょく聴取ちょうしゅする傾向けいこうのリスナーもいる。番組ばんぐみごとのスタッフすうは、テレビと比較ひかくしてすくない[52]

放送ほうそうきょくせんきょくは、ダイヤルをまわしてチューニング(いわゆる同調どうちょう)するタイプが安価あんかなものを中心ちゅうしん多数たすう採用さいようされており、テレビ同様どうようプリセットしききょくをボタンで一発いっぱつせんきょく(いわゆる電子でんしチューナー)できる受信じゅしんもある。

短波たんぱによる国際こくさい放送ほうそう場合ばあいおな内容ないよう放送ほうそう同時どうじ複数ふくすう周波数しゅうはすう放送ほうそうし、聴取ちょうしゅしゃもっと受信じゅしん状態じょうたい良好りょうこう電波でんぱえらんで受信じゅしんできるようにしているのが一般いっぱんてきである。

音声おんせい画像がぞう記録きろくするテレビ番組ばんぐみやく可能かのう録画ろくが機器きき独立どくりつ/内蔵ないぞうレコーダー・パソコン・ワンセグ対応たいおう機器ききなどとなっているが、音声おんせいのみ記録きろくのラジオ番組ばんぐみ予約よやく録音ろくおんできる商品しょうひんラジカセ・CD/MDラジカセコンポICレコーダーHDDレコーダー・パソコン対応たいおう機器ききなどの種類しゅるいがある。また、ラジオ機器ききタイマー録音ろくおん可能かのう機器ききなどの機材きざいわせてやく録音ろくおんおこなうことも可能かのうであり、録音ろくおん機器ききとしてカセットデッキMDデッキ以外いがいにもテープ部分ぶぶん機械きかいしきのラジカセ・ビデオデッキ・DVDレコーダー・HDDレコーダー・パソコン(適切てきせつなソフトが必要ひつよう)が活用かつようできる場合ばあいもある。

世界せかいてきにテレビがデジタル放送ほうそう開始かいししているのにたいして、衛星えいせい放送ほうそうのぞきラジオのデジタル普及ふきゅうしていない。過去かこなん地上波ちじょうはによるデジタルラジオ試験しけんきょく開設かいせつされているが、おおくは実用じつよういたらないまま放送ほうそう終了しゅうりょうし、モバイル回線かいせん台頭たいとうにより必要ひつようせいうすれてしまっている。

災害さいがいたいせい 編集へんしゅう

送信そうしんシステムは比較的ひかくてき簡単かんたん構造こうぞうで、かり地震じしんなどで放送ほうそうきょく破壊はかいされても、かたかつげる程度ていどおおきさの小型こがた送信そうしんから放送ほうそうすることも可能かのう。これをかし、だい規模きぼ災害さいがい発生はっせいには臨時りんじ災害さいがい放送ほうそうきょく開設かいせつされることがあり、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい以降いこう、この開局かいきょくさかんとなっている。一部いちぶのラジオ放送ほうそうきょくではこの特長とくちょう利用りようし、自分じぶん以外いがい局員きょくいん全員ぜんいん操作そうさできない状態じょうたいになっても、1人ひとりいれば、すべてを遠隔えんかく操作そうさして放送ほうそうつづけられるようになっている。

ラジオをテーマにした作品さくひん 編集へんしゅう

フォネティックコード 編集へんしゅう

和文わぶん通話つうわひょうで、「」をおくさいに「ラジオのラ」と発声はっせいする。

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 戦前せんぜんおおもちいられた。日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい(NHK)へん放送ほうそうじゅうねん 資料しりょうへん』(日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1977ねん3がつ10日とおか発行はっこう)p.686によれば、1941ねん昭和しょうわ16ねん4がつ1にち文部省もんぶしょう用語ようご用字ようじ統一とういつ方針ほうしんしたがい、NHKでは「ラヂオ」を「ラジオ」、「スタヂオ」を「スタジオ表記ひょうき改定かいていした、としている。日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい発行はっこうの『ラヂオ年鑑ねんかん』は、昭和しょうわ16ねん(1941ねんばん 以前いぜんは「ラヂオ年鑑ねんかん表記ひょうきであったが、昭和しょうわ17ねん(1942ねんばん からは「ラジオ年鑑ねんかん表記ひょうきあらためられている。
    朝日新聞あさひしんぶん』では1941ねん4がつ1にち夕刊ゆうかん2めんに「ラヂオはラジオに 国民こくみん学校がっこう教科書きょうかしょ国語こくごおんへ」という見出みだしの記事きじ掲載けいさいされて以降いこう「ラジオ」という表記ひょうきえたという(『朝日新聞あさひしんぶん』2015ねん2がつ5にち朝刊ちょうかん、10めん)。
  2. ^ 振幅しんぷく変調へんちょうくら占有せんゆう周波数しゅうはすうたいはばが10ばい必要ひつようなのでちょう短波たんぱ未満みまんでの運用うんようはきわめて困難こんなんである。
  3. ^ FM東海とうかいうごしたのが1958ねんすえ、NHK-FMがうごしたのが1969ねん
  4. ^ 当時とうじ火花ひばな放電ほうでんによる電波でんぱ
  5. ^ コヒーラは電波でんぱ有無うむ検出けんしゅつするだけで音声おんせいせない。
  6. ^ 1912ねん12月に施行しこうされた無線むせん通信つうしん取締とりしまりほう(Radio Act of 1912)により、無線むせんをするにはオペレーター資格しかく試験しけん無線むせんきょく免許めんきょじょう必要ひつようとなり、1905ねんから1911ねんごろまでアメリカ発売はつばいされていた大衆たいしゅう無線むせんテリムコは、資格しかく免許めんきょでは使つかえなくなった。
  7. ^ アマチュア無線むせん送信そうしん解禁かいきん同年どうねん10がつ1にち
  8. ^ アマチュア無線むせんは1,500kHzきろへるつ以上いじょう任意にんい周波数しゅうはすう申請しんせいし、許可きょかけることができた。許可きょかされる最下さいかげんの1,500kHzきろへるつ人気にんき集中しゅうちゅう大変たいへん混雑こんざつしていたところへ、無線むせん電話でんわ参入さんにゅうしたため1,500kHzきろへるつだい混信こんしんとなった。
  9. ^ 日曜にちよう午前ごぜん教会きょうかい出向でむけないリスナーのために、KDKAなどおおくのきょく教会きょうかいからなま中継ちゅうけいし、人気にんき番組ばんぐみとなっていた。
  10. ^ この思想しそう現在げんざい放送ほうそうほうだい15じょうのこっている。
  11. ^ ただし、FM東海とうかい当時とうじ実用じつよう試験しけんきょくとして運用うんようされており、民間みんかん企業きぎょうによるFM放送ほうそうは1969ねん開局かいきょく愛知あいち音楽おんがくエフエム放送えふえむほうそう現在げんざいエフエム愛知えふえむあいち)が最初さいしょとなる。また放送ほうそう免許めんきょではないが1953ねんから長岡ながおか教育きょういく放送ほうそうちょう短波たんぱ放送ほうそう実施じっししていた。
  12. ^ ただし、大都市だいとしけん一部いちぶ県域けんいきラジオきょくでは当初とうしょから近隣きんりんのエリアがいでも無料むりょう配信はいしん実施じっししている。
  13. ^ さく内村うちむら直也なおや作曲さっきょくおよ音楽おんがく指揮しき:芥川あくたがわ也寸志やすし演奏えんそう:NHKサロン・アンサンブル、演出えんしゅつ:山口やまぐちあつし出演しゅつえん:尾崎おざき勝子かつこ須永すながひろし佐藤さとう美恵子みえこ名古屋なごやあきら、ほか。
  14. ^ かく放送ほうそうきょくのスピーカーをききてひだり中央ちゅうおうみぎにそれぞれいておこなうもの。
  15. ^ スピーカー位置いち ひだり:KR、中央ちゅうおう:LF、みぎ:QR
  16. ^ スピーカー位置いち ひだり:LF、中央ちゅうおう:KR、みぎ:QR
  17. ^ スピーカー位置いち ひだり:LF、中央ちゅうおう:QR、みぎ:KR

出典しゅってん 編集へんしゅう

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関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう