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土井敏邦 - Wikipedia

土井どい 敏邦としくに(どい としくに、1953ねん1がつ8にち - )は、日本にっぽんフリージャーナリストフリーライター映画えいが監督かんとく政治せいじ活動かつどうパレスチナ問題もんだい慰安いあん問題もんだい東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい以降いこう福島ふくしまけんおも取材しゅざいしている。日本にっぽんビジュアル・ジャーナリスト協会きょうかい会員かいいん

土井どい 敏邦としくに
生誕せいたん (1953-01-08) 1953ねん1がつ8にち(71さい
日本の旗 日本にっぽん佐賀さがけん小城おぎぐん牛津うしづまち
げん小城おぎ
別名べつめい 砥川とがわ春樹はるき
教育きょういく 広島大学ひろしまだいがく総合科学部そうごうかがくぶ
職業しょくぎょう フリージャーナリスト映画えいが監督かんとくジャーナリスト政治せいじ活動かつどう
配偶はいぐうしゃ 土井どい幸美ゆきみ[1]
子供こども なし
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経歴けいれき

編集へんしゅう

佐賀さがけんきゅう小城おぎぐん牛津うしづまち砥川とがわげん小城おぎ牛津うしづまちまれ[2][3]神奈川かながわけん横浜よこはま神奈川かながわ在住ざいじゅう[4]1965ねんきゅう牛津うしづ町立ちょうりつ砥川とがわ小学校しょうがっこうげん小城おぎ市立しりつ砥川とがわ小学校しょうがっこう卒業そつぎょう[3]、1968ねんきゅう牛津うしづ町立ちょうりつ牛津うしづ中学校ちゅうがっこうげん小城おぎ市立しりつ牛津うしづ中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょう[5]1971ねん佐賀さが県立けんりつ小城おぎ高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう[2]医学部いがくぶへの入学にゅうがく目指めざして3なみをしていたがかなわず、1974ねん広島大学ひろしまだいがく総合科学部そうごうかがくぶに6がつ入試にゅうしによって1期生きせいとして入学にゅうがく在学ざいがくちゅう医学部いがくぶへの進学しんがくというゆめれず仮面かめん浪人ろうにんおこなっていたが断念だんねんした[6]広島大学ひろしまだいがく在学ざいがくちゅうはほとんど講義こうぎ出席しゅっせきせず無為むいごし、飲酒いんしゅれた生活せいかつおくっていたと述懐じゅっかいしている[7]広島大学ひろしまだいがく比較ひかく文化ぶんか研究けんきゅうコース在学ざいがくちゅうガボンケニアウガンダタンザニアザイールなど世界せかい放浪ほうろうする[8]なかで1978ねんイスラエルキブツ半年はんとしほど滞在たいざい期間きかんちゅうガッザ地区ちくたずねたことがきっかけでパレスチナ問題もんだい関心かんしんいだく。広島大学ひろしまだいがく復学ふくがくしてから、マルクス主義まるくすしゅぎしゃであり日本にっぽん共産党きょうさんとう党員とういんであった芝田しばたすすむうま指導しどう教授きょうじゅとして卒業そつぎょう論文ろんぶん「パレスチナじん人権じんけん侵害しんがいかんするいち考察こうさつ[6]仕上しあ1981ねん卒業そつぎょうした。

大学だいがく卒業そつぎょう半年はんとしフォトジャーナリストこうかわ隆一りゅういち編集へんしゅうちょうつとめていた月刊げっかんフィラスティン・ビラーディ」(発行はっこうパレスチナ解放かいほう機構きこう(PLO)駐日ちゅうにち代表だいひょう[9]記者きしゃとなる。以降いこう朝日あさひジャーナル嘱託しょくたく記者きしゃなどをてフリー。1985ねんはじめてジャーナリストとしてパレスチナに渡航とこうし、ヨルダン川よるだんがわ西岸せいがん地区ちく取材しゅざい以後いご断続だんぞくてきべ5ねん以上いじょうイスラエルとその占領せんりょうパレスチナ)の難民なんみんキャンプむら滞在たいざいして取材しゅざいおこなった。 また、出生しゅっしょう地名ちめい砥川とがわ」にちなみ「砥川とがわ春樹はるき」というペンネームで執筆しっぴつ活動かつどうおこなっていた。当時とうじ日本にっぽんではパレスチナといえば日本にっぽん赤軍せきぐん印象いんしょうつよく、公安こうあん調査ちょうさ対象たいしょうだったためとべている[10]

また1986ねんからのべ12カ月かげつあいだ、アメリカ各地かくちユダヤじんパレスチナじん取材しゅざいし、のちに『占領せんりょう民衆みんしゅう:パレスチナ』、『アメリカのユダヤじん』、『アメリカのパレスチナじん』のさんさく完成かんせいさせた。

1989ねん4がつから広島ひろしまYMCAビジネス専門せんもん学校がっこう英語えいご教師きょうしく。同年どうねん6がつ天安門てんあんもん事件じけんこると、授業じゅぎょう一環いっかんとしてすわみデモに生徒せいとれて参加さんか問題もんだいされた[11][12]

1990ねん追加ついか取材しゅざいアメリカ滞在たいざいちゅうイラククウェート侵攻しんこうこり、在米ざいべいユダヤじん社会しゃかいアラブじん社会しゃかい反応はんのうを『朝日あさひジャーナル』に寄稿きこうする。翌年よくねん1がつ湾岸わんがん戦争せんそうでは同誌どうし特派とくはいんとして、イスラエル占領せんりょうパレスチナじんとイスラエル国民こくみん反応はんのう取材しゅざい連載れんさい。3月から2カ月かげつあいだNHKスペシャル「アメリカのパレスチナじん制作せいさくをコーディネイト。

1993ねんパレスチナ暫定ざんてい自治じち合意ごういふたたパレスチナガザ地区ちく難民なんみんキャンプやイスラエル国内こくない長期ちょうき滞在たいざい取材しゅざいETV特集とくしゅう失業しつぎょう解放かいほうの1ねん-パレスチナ難民なんみんエルアグラ場合ばあい」(1994ねん)「パレスチナ和平わへいかげで──ある家族かぞくの6ねん」(1999ねん)、また「ニュースステーション」(テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ)の特集とくしゅうで6かいにわたって現地げんち報告ほうこく

2010ねん6月5にちあさのう梗塞こうそく発症はっしょうして入院にゅういんするが、会話かいわのできる状態じょうたい病状びょうじょうおさまった。2015ねんには、日本にっぽんぐん慰安いあんかんするドキュメンタリー映画えいが記憶きおく”ときる』の公開こうかいやトークショーをおこなった[13]長年ながねんにわたって制作せいさくしてきた様々さまざま映像えいぞう作品さくひんを、よりおおくのひと視聴しちょうしてもらうため2016ねん12月5にちに「土井どい敏邦としくにオンライン・ショップ」をげている[14][15]

日本にっぽんにおける活動かつどう

編集へんしゅう

また日本にっぽん国内こくないかんする映画えいがでは、東京とうきょう教育きょういく委員いいんかい職務しょくむ命令めいれいによるきみ斉唱せいしょう監視かんし強制きょうせい拒否きょひする3めい教師きょうし根津ねづ公子きみこ佐藤さとう美和子みわこおよ土肥どい信雄のぶお)の姿すがた記録きろくする映画えいが『“わたし”をきる』を制作せいさくし、2010ねんに「高円寺こうえんじドキュメンタリーフェスティバル奨励しょうれいしょう」を受賞じゅしょうし、2011ねんに「山形やまがた国際こくさいドキュメンタリー映画えいがさい」に正式せいしき出品しゅっぴんした[16]。そして、土井どい根津ねづたいして親近しんきんかんいているということを表明ひょうめいした[11]

その東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいおよ福島ふくしまだいいち原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこかんする映画えいがとして2012ねんに『飯舘いいたてむら 放射能ほうしゃのうむら』を制作せいさくし、「ゆふいん文化ぶんか記録きろく映画えいがさい だい5かい 松川まつかわしょう」を受賞じゅしょうした。そしてどうさく英語えいごばんとしてThe Town of Iitate Radiation and the Return Home制作せいさくした[17]。さらに2018ねん福島ふくしまだいいち原発げんぱつ事故じこかんするドキュメンタリー映画えいが福島ふくしまかたる』をリリースし、被災ひさいしゃ人生じんせい多大ただい悪影響あくえいきょうをもたらした日本にっぽん原子力げんしりょく業界ぎょうかいたいしてだけではなく、福島ふくしまさん食料しょくりょう摂取せっしゅすることを忌避きひするうごきにたいしても批判ひはんしている[18]。 そして、2020ねん3がつには『福島ふくしまかたる』の完全かんぜんばん様々さまざま映画えいがかん上映じょうえいし、みずか講演こうえんおこな場合ばあいもあった[19]。しかし福島ふくしま被災ひさいしゃたいする取材しゅざいにおいて、対象たいしょうしゃ許諾きょだくないまま記事きじ写真しゃしん無断むだん公開こうかいしたことにたいして謝罪しゃざいした[20]

土井どい日本にっぽんぐん慰安いあん」とされた朝鮮ちょうせんじん問題もんだいかんしてもふか関心かんしんいだき、2015ねんにはドキュメンタリー映画えいが記憶きおく”ときる』を制作せいさくした[21]。この映画えいが製作せいさく直後ちょくごにはトークショーが実施じっしされ、全国ぜんこくてき自主じしゅ上映じょうえいおこなわれている[22]。この映画えいが北原きたはらみのりから称賛しょうさんされ[23]、2017ねん4がつ15にちにはさいたまチネマ・カプチーノにおいてさいたま教育きょういく委員いいんかい後援こうえんにより自主じしゅ上映じょうえい実施じっし予定よていだったが、この映画えいがには慰安いあんかんする歴史れきしてき事実じじつ関係かんけいあやまりがありかつ政治せいじてききわめて偏向へんこうしているという抗議こうぎ多数たすう市民しみんからけたことにより、さいたま教育きょういく委員いいんかいによる後援こうえんげられた[24][25]。なおチネマ・カプチーノにおける自主じしゅ上映じょうえい予定よていどお実施じっしされた[26]

また、女優じょゆうらによる芸術げいじゅつ活動かつどうかんしても積極せっきょくてき支援しえんしている。具体ぐたいてきには、女優じょゆう秋田あきた遥香はるかが2018ねんに『しろはなかくす』としょうする演劇えんげきおこなったさいに、土井どい北原きたはらみのりとともにアフター・トークをおこなった[27]

土井どい日本にっぽんにおいてフリージャーナリストシリアイラクなどの紛争ふんそう渡航とこうして取材しゅざいすることにたいして日本にっぽん世論せろんきわめて批判ひはんてきになっていることにたいして警鐘けいしょうらし、2015ねん1がつイスラムこくテロリスト湯川ゆかわはるかさいおよ後藤ごとう健二けんじ両氏りょうし殺害さつがいした直後ちょくごに、フリーの写真しゃしんがシリアに渡航とこうしようと計画けいかくしていたが外務省がいむしょうから旅券りょけん没収ぼっしゅうされたことをきっかけとして、のフリージャーナリストとともに「危険きけん報道ほうどうかんがえるジャーナリストのかい」をげ、シリアやイラクなど紛争ふんそう渡航とこうして取材しゅざいするフリージャーナリストの活動かつどう意義いぎ重要じゅうようせい主張しゅちょうしている[28]

また、日本にっぽん政治せいじかんしても社会しゃかいてき発言はつげん社会しゃかいてき活動かつどうおこなっており、たとえば「特定とくてい秘密ひみつ保護ほごほう違憲いけん確認かくにん施行しこうめをもとめる訴訟そしょう」の原告げんこくとしてつらねている[29]

なお、パレスチナ問題もんだい取材しゅざい対象たいしょうとするジャーナリストのこうかわ隆一りゅういちたいして敬意けいいしめしてきた。こうかわ隆一りゅういちによる女性じょせいたいするせい暴力ぼうりょくあきらかになり、はげしく批判ひはんされたさいにも、土井どいは『週刊文春しゅうかんぶんしゅんによる報道ほうどう以前いぜんからこうかわによる女性じょせいたいする深刻しんこくせい暴力ぼうりょくっているがこうかわ批判ひはん告発こくはつすることせずに沈黙ちんもくし、こうかわ隆一りゅういち業績ぎょうせき否定ひていすべきではないとつよ主張しゅちょうし、こうかわ擁護ようごした[30]。しかしその言動げんどう疑問ぎもんいだき、公開こうかい書簡しょかん発表はっぴょう真摯しんし応答おうとうもとめている[31]

米国べいこくにおける活動かつどう

編集へんしゅう

2020ねん実施じっしされた米国べいこく大統領だいとうりょう選挙せんきょにより、2021ねん1がつ20日はつかジョー・バイデンの「就任しゅうにん」にともない、ドナルド・ジョン・トランプべい大統領だいとうりょう酷評こくひょうし、バイデンおよびバイデンにたいして好意こういてき報道ほうどうした米国べいこく報道ほうどう機関きかん報道ほうどうたか評価ひょうかした[32][33]

ひがしアジアおよ東南とうなんアジア諸国しょこくにおける活動かつどう

編集へんしゅう

アジアでは、1982ねんの「教科書問題きょうかしょもんだい」をざいかん被爆ひばくしゃ取材しゅざい1991ねんには韓国かんこく民主みんしゅ運動うんどうもと学生がくせい指導しどうしゃたちのそのを、さらに1994ねんから1998ねんまで韓国かんこくもと慰安いあんたちの現状げんじょうい、NHKETV特集とくしゅう「『かちごうい(ナヌム)のいえ』のハルモニたち」、NHK・BS特集とくしゅう戦争せんそうしんきず記憶きおく」でもと慰安いあんきょういさおけい半生はんせいえがいたドキュメンタリー制作せいさく1996ねんタイ北部ほくぶ農村のうそんエイズ孤児こじ取材しゅざいしETV特集とくしゅう「タイのエイズ孤児こじたち」を放映ほうえい翌年よくねんベトナム性的せいてき暴行ぼうこうけるストリートチルドレン少女しょうじょたちをい、ETV特集とくしゅうきずつけられる少女しょうじょたち-ベトナム・ストリートチルドレン物語ものがたり」を制作せいさく

また、フィリピン取材しゅざいし「輸出ゆしゅつされるフィリピンじん出稼でかせ労働ろうどうしゃたち」としょうするルポルタージュを執筆しっぴつし、それは「朝日あさひジャーナル・ノンフィクション大賞たいしょう」の入賞にゅうしょうさくとなった[34]

土井どいインドかんしても関心かんしんいだき、1990ねん6がつ広島ひろしま創価学会そうかがっかいの「聖教せいきょう文化ぶんか講演こうえんかい」の「広島ひろしまがく」の一環いっかんとして「みなみインドレポート-社会しゃかい活動かつどうフェリックスのゆめ」としょうする講演こうえん実施じっしした[35]

1998ねんからはタイ・ミャンマー国境こっきょう密林みつりん地帯ちたい日本にっぽん国内こくない民主みんしゅ活動かつどうつづけるミャンマーじん青年せいねんたちを取材しゅざいし、ETV特集とくしゅう密林みつりんキャンプからの報告ほうこく─タイ・ミャンマー国境こっきょう地帯ちたい」を、7がつには「在日ざいにちビルマじん民主みんしゅ活動かつどう・ティンチー」(日本にほんテレビ「きょうの出来事できごと」)を放映ほうえい。さらに、日本にっぽん政府せいふ難民なんみん政策せいさく追及ついきゅうした「『難民なんみん』が直面ちょくめんするニッポンのかべ」「きずつけられる難民なんみん申請しんせいしゃたち」(いずれもTBS報道ほうどう特集とくしゅう」)「強制きょうせい送還そうかんされた難民なんみん申請しんせいしゃ」(日本にほんテレビきょうの出来事できごと」)を制作せいさく。2013ねん日本にっぽん生活せいかつしているミャンマーじんかんするドキュメンタリー映画えいが異国いこくきる』を横井よこい朋広ともひろとともに作成さくせいした。この映画えいがは「文化庁ぶんかちょう映画えいがしょう 文化ぶんか記録きろく映画えいが優秀ゆうしゅうしょう」を受賞じゅしょうした。

パレスチナにおける活動かつどう

編集へんしゅう

2000ねんあきパレスチナだいインティファーダ民衆みんしゅう蜂起ほうき)がはじまって2ヵ月かげつの2005ねん12月から2ヵ月かげつあいだイスラエルパレスチナ自治じちヨルダン川よるだんがわ西岸せいがんガザ地区ちく滞在たいざいし、イスラエルパレスチナ両面りょうめんから取材しゅざいNHKETV特集とくしゅうで「イスラエル・パレスチナからの報告ほうこく」(2連続れんぞく)を放映ほうえいだい1エルサレム問題もんだいをテーマにした「憎悪ぞうお震源しんげん・エルサレム」、だい2テロむすめをパレスチナじん殺戮さつりくされながらも和平わへいもとめるイスラエルじん夫婦ふうふが、イスラエル兵士へいし息子むすこころされたパレスチナじんとの対話たいわえがいた「平和へいわへの(うた)」。

2002ねん以後いごパレスチナイスラエル取材しゅざい継続けいぞくし、ガザ地区ちく最南端さいなんたんまちラファでの家屋かおく破壊はかい、ナーブルス郊外こうがいのバラータ難民なんみんキャンプのイスラエルぐん包囲ほうい、ジェニーン難民なんみんキャンプでの虐殺ぎゃくさつ分離ぶんりかべ、イスラエルぐんラファ侵攻しんこう、ガザのユダヤじん入植にゅうしょく撤退てったいなどについてNHK、TBSテレビ日本にほんテレビなどで放映ほうえい、また複数ふくすう著書ちょしょ雑誌ざっし記事きじなどで発表はっぴょうした。

パレスチナ・イスラエル取材しゅざい結果けっかすうほんドキュメンタリー映画えいがにまとめ、2009ねん劇場げきじょう公開こうかいされた『沈黙ちんもくやぶる』は、2009年度ねんどだい83かいキネマ旬報きねまじゅんぽうベスト・テン 文化ぶんか映画えいが部門ぶもん だい1、2009年度ねんど日本にっぽん映画えいがペンクラブ会員かいいん選出せんしゅつ文化ぶんか映画えいがベスト1、だい9かい石橋いしばし湛山たんざん記念きねん早稲田わせだジャーナリズム大賞たいしょう公共こうきょう奉仕ほうし部門ぶもん大賞たいしょう獲得かくとくした。また、ガザ地区ちくかんして取材しゅざいおこない、だい一部いちぶは「ラジ・スラーニのみち」、だい「2つのインティファーダ」、だいさん「ハマスの台頭たいとう」、だいよん封鎖ふうさ」、だい「ガザ攻撃こうげき」というさくである『ガザにきる』という映画えいがをカンパをけて制作せいさくした[36]

イスラエルの戦闘せんとう行為こういきびしい態度たいどることがおおいため、イスラエルでのプレスカード取得しゅとく(これがないと、イスラエルがわからのガザ地区ちくりはできない)はしばしば難航なんこうした。しかし最終さいしゅうてきには取材しゅざい許可きょかりていた。しかし2009ねん8がつ23にち西にしエルサレムのイスラエル情報じょうほうしょうプレスオフィスでプレスカード取得しゅとく申請しんせいしたさいには、ついにプレスカード取得しゅとく許可きょかされなかった。担当たんとう係官かかりかんは、「以前いぜんにも警告けいこくしたはずだが、プレスカードは報道ほうどう機関きかん関係かんけいしゃすもので、ドキュメンタリー制作せいさくには基本きほんてきにはせない」と主張しゅちょうした[37]。10月、今度こんど日本にっぽん報道ほうどう機関きかんからAssignment letter(委任いにんじょう付与ふよじょう)をうえで、現地げんち特派とくはいんかいして取材しゅざい申請しんせいした。しかしプレスオフィスは「日本にっぽんのイスラエル大使館たいしかん推薦すいせん必要ひつようだ」と主張しゅちょうしたため、土井どいはイスラエル大使館たいしかん訪問ほうもんして取材しゅざい目的もくてき説明せつめいした。大使館たいしかん推薦すいせん同意どういしたが、結局けっきょく取材しゅざい許可きょかりなかった。その、ユダヤじん入植にゅうしょく地元じもとイスラエル・ナショナル・ニューズ[38]』で、プレスオフィスのダニー・シモン代表だいひょう発言はつげんとして、「イスラエルは、事実じじつつたえないはんユダヤ主義しゅぎのジャーナリストはみとめないとかたった。シモンは、意図いとてき虚偽きょぎつたえ、ハマスの犯罪はんざい隠蔽いんぺいするための“イチジクの”の役割やくわりたしているジャーナリストたちがいると強調きょうちょうした」とほうじた[39]。すなわち、土井どいは「はんユダヤ主義しゅぎしゃ」であるとイスラエル取材しゅざい当局とうきょくにみなされたのだろうと推定すいていし、報道ほうどう規制きせいたいして抗議こうぎした[40]

ジャーナリストとしてイスラエルたいしては批判ひはんてきである。長澤ながさわ榮治えいじをはじめとする中近東ちゅうきんとう研究けんきゅうしゃ大学院生だいがくいんせいとの密接みっせつ対人たいじん関係かんけいがあり、しばしば共同きょうどうシンポジウムおこなっている[41]。しかしながらアラビアおよヘブライかんして通訳つうやくかいして取材しゅざいしている[42][43][44][45]

土井どいパレスチナじん弁護士べんごしラージー・アッ=スーラーニーとの人脈じんみゃくをいかし、写真しゃしん映像えいぞう駆使くししながら日本にっぽん市民しみん社会しゃかいたいしてわかりやすくイスラエルユダヤじんユダヤきょうたいして批判ひはんてき講演こうえん活動かつどう精力せいりょくてきっている。さらに、2014ねん夏季かききわめて治安ちあんわるなかガザ地区ちく取材しゅざいし『ガザ攻撃こうげき 2014ねんなつ』というドキュメンタリー映画えいが制作せいさくした。さらに、土井どいは2014ねん10がつにガザ地区ちく在住ざいじゅうしているラージー・アッ=スーラーニーを日本にっぽん招聘しょうへいし、ガザ地区ちくにおける現状げんじょうかんして講演こうえんおこない、福島ふくしま現状げんじょう視察しさつした。 また、2017ねん5月にもラージー・アッ=スーラーニーを招聘しょうへいして早稲田大学わせだだいがくにおいて講演こうえんおこなうことを企画きかくしていたが、ラージー・アッ=スーラーニーはガッザ地区ちくから移動いどうすることが不可能ふかのうであったためスカイプもちいた講演こうえん実施じっしした[46]。さらに、土井どいは2017ねん9がつハ・アレツかみのイスラエルじんジャーナリストのアミラ・ハス来日らいにちさせ、アミラ・ハスによる沖縄おきなわ福島ふくしまなどの取材しゅざいと、アミラ・ハスによる沖縄おきなわ東京とうきょう京都きょうとおよ広島ひろしまにおける講演こうえん実施じっしした[47]日本にっぽんにおけるパレスチナ研究けんきゅうしゃらとの密接みっせつ人脈じんみゃく協力きょうりょく関係かんけい構築こうちくし、かれらとのコラボレーションをともな長年ながねんにわたるガッザ地区ちく中心ちゅうしんとしたパレスチナにかんする貴重きちょう映像えいぞう記録きろくのこした取材しゅざい活動かつどうや、日本にっぽんにおける報道ほうどう市民しみん活動かつどうたか評価ひょうかされたことにより、2016ねんに「大同だいどう生命せいめい地域ちいき研究けんきゅう特別とくべつしょう」を受賞じゅしょうした[48][49]。さらに、土井どいは2018ねん9がつ1にち日比谷ひびやにおいてヘブロンをはじめとするヨルダン川よるだんがわ西岸せいがん地区ちくかんする最新さいしんのドキュメンタリー映画えいが発表はっぴょうし、中近東ちゅうきんとう研究けんきゅうしゃをはじめとしてパレスチナ問題もんだい関心かんしんがある日本にっぽん市民しみん社会しゃかいたいして大々的だいだいてき反響はんきょう[よう出典しゅってん]をもたらした[50]。ただし、土井どい敏邦としくには2021ねん現在げんざいいたるまでゴラン高原ごらんこうげん取材しゅざい報道ほうどうおこなっていない。

イラクにおける活動かつどう

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イラク戦争せんそう直後ちょくごから4にわたりイラク取材しゅざいし、とりわけ2004ねん5がつには「ファルージャ侵攻しんこう直後ちょくご現場げんば取材しゅざいした。その結果けっかはTBSテレビのニュースや岩波いわなみブックレットなどで報告ほうこくした。2005ねん4がつにはドキュメンタリー映像えいぞう「ファルージャ 2004ねん4がつ」を完成かんせい、2005ねん9がつにはイタリアのミラノ映画えいがさい上映じょうえいされるなど、アメリカやヨーロッパ各地かくち上映じょうえいされている。

著作ちょさく

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たんちょ

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共著きょうちょ

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  • 日本にっぽんビジュアル・ジャーナリスト協会きょうかいへん『フォトジャーナリスト13にん[51]集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ、2005ねん。)ISBN 978-4-08-720303-5
  • 危険きけん報道ほうどうかんがえるジャーナリストのかいへん『ジャーナリストはなぜ「戦場せんじょう」にくのか:取材しゅざい現場げんばからの自己じこ検証けんしょう』(集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ、2015ねん。)ISBN 9784087208139
  • 安田やすだじゅんたいら危険きけん報道ほうどうかんがえるジャーナリストのかい自己じこ検証けんしょう危険きけん報道ほうどう』(集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ、2019ねん。)ISBN 978-4-08-721089-7
  • 新谷しんたにのり反戦はんせんうたうこと、そしてきること』構成こうせい土井どい敏邦としくに[52](ぴいぷるしゃ、1993ねん。)ISBN 9784893740816

映像えいぞう作品さくひん

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  • 沈黙ちんもくやぶる(土井どい敏邦としくに・ドキュメンタリー「とどかぬこえ―パレスチナ・占領せんりょうきるひとびと」4)』市販しはんDVD)(製作せいさく・シグロ/発売はつばいトランスビューISBN 9784901510806
    •  だい83かいキネマ旬報きねまじゅんぽうベストテン:文化ぶんか映画えいが部門ぶもん1
  • 『“わたし”をきる』(2010ねん 138ふん
  • 異国いこくきる 日本にっぽんなかのビルマじん』(2012ねん 100ふん
  • 飯舘いいたてむら 放射能ほうしゃのうむら』(2012ねん 59ふん
  • 『ガザにきる』(2012ねん
  • 『ガザ攻撃こうげき 2014ねんなつ』(2014ねん 90ふん
  • 記憶きおく”ときる』(2015ねん 215ふん
  • 『ヘブロン』(2018ねん
  • 『ヨルダン渓谷けいこく』(2018ねん
  • みなみヘブロン』(2018ねん)
  • 福島ふくしまかたる』(2018ねん ちょんあきらばん330ふん 短縮たんしゅくばん171ふん)
  • 『パレスチナからフクシマへ』(2018ねん 56ふん
  • 『アミラ・ハス イスラエルじん記者きしゃかた占領せんりょう』(2019ねん)
  • 愛国あいこく告白こくはく 沈黙ちんもくやぶる・Part2』(2022ねん)


脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ 土井どい敏邦としくにWebコラム:日々ひび雑感ざっかん 173:ラジ・スラーニの日本にっぽん滞在たいざい(4)2010ねん5がつ28にちかね
  2. ^ a b 佐賀さが新聞しんぶん』、2015ねん2がつ2にち
  3. ^ a b 土井どい敏邦としくに牛津うしづ出身しゅっしんフリー・ジャーナリスト)講演こうえんかい上映じょうえいかいぼく故郷こきょうおもうとき、ふるさとの歴史れきし文化ぶんか大切たいせつにすることの大切たいせつ
  4. ^ [1]2014ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  5. ^ 牛津うしづちゅうだより 『ゆめ実現じつげん!、平成へいせい27ねん12月21にち
  6. ^ a b インタビュー「パレスチナとわたし
  7. ^ 「“つたしゅ”としてきる」(1)
  8. ^ アフリカからの通信つうしん土井どい敏邦としくにアフリカを彷徨ほうこう
  9. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、フィラスティン・びらーでぃ
  10. ^ 連載れんさい金子かねこゆうのドキュメンタリストの⑨ 「パレスチナ映画えいがとその社会しゃかい土井どい敏邦としくにさんトーク
  11. ^ a b アメリカからたずねてきた「おし」(1)
  12. ^ アメリカからたずねてきた「おし」(2)
  13. ^ 記憶きおくきるトークショー
  14. ^ 土井どい敏邦としくにオンライン・ショップ
  15. ^ 特定とくていしょう取引とりひきほうもとづく表記ひょうき 土井どい敏邦としくにオンライン・ショップ
  16. ^ ドキュメンタリー映画えいがわたしきる』
  17. ^ 福島ふくしま原発げんぱつ事故じこから5ねん映画えいが飯舘いいたてむら放射能ほうしゃのうむら-』
  18. ^ 福島ふくしまかた
  19. ^ [2]
  20. ^ 連載れんさい福島ふくしまからの証言しょうげん」にかんする謝罪しゃざいぶん
  21. ^ ドキュメンタリー映画えいが記憶きおくきる』
  22. ^ 記憶きおくきる
  23. ^ 記憶きおくきる、土井どい敏邦としくに監督かんとく
  24. ^ 産経新聞さんけいしんぶん』、2017ねん2がつ21にち
  25. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』、2017ねん2がつ22にち
  26. ^ チネマ・カプチーノにおける自主じしゅ上映じょうえい
  27. ^ 秋田あきた遥香はるかしろはなかくす』
  28. ^ 危険きけん報道ほうどうかんがえるジャーナリストのかい
  29. ^ フリーランスライターばたけ山理やまりひとしのブログ 特定とくてい秘密ひみつ保護ほごほう訴訟そしょう原告げんこく一覧いちらん
  30. ^ 日々ひび雑感ざっかん 378:「ジャーナリスト・こうかわ隆一りゅういち私論しろん
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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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