公式 こうしき 名称 めいしょう はミャンマー連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく (ミャンマーれんぽうきょうわこく、ビルマ語 ご : ပြည်ထောင်စုသမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော် , Pyihtaungsu Thamada Myanma Naingngantaw , 発音 はつおん [pjìdàʊɴzṵ θ しーた àɴməda̰ mjəmà nàɪɴŋàɴdɔ̀] )である[ 21] 。1948年 ねん の独立 どくりつ 時 じ はビルマ連邦 れんぽう (ビルマれんぽう)の国号 こくごう を採用 さいよう していたが、1974年 ねん にビルマ連邦 れんぽう 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 共和 きょうわ 国 こく (ビルマれんぽうしゃかいしゅぎきょうわこく)、1988年 ねん に再 ふたた びビルマ連邦 れんぽう に戻 もど ったのち1989年 ねん にミャンマー連邦 れんぽう (ミャンマーれんぽう)、2011年 ねん にミャンマー連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく と変更 へんこう された[ 22] 。通称 つうしょう ミャンマー (မြန်မာ 、Myanma)。漢語 かんご の名称 めいしょう として緬 はる 甸 (めんでん、ビルマ)があり[ 23] 、単 たん に緬 はる (めん)の一文字 ひともじ で同国 どうこく を表 あらわ すこともある[ 24] 。
同国 どうこく を表 あらわ す名称 めいしょう としては「ミャンマー」と「ビルマ」のふたつがある。いずれの名称 めいしょう も、ビルマ人 じん のビルマ語 ご 民族 みんぞく 名 めい である Mranma ないし Mramma に由来 ゆらい する[ 25] 。語源 ごげん は不明 ふめい であるが[ 25] 、サンスクリット で「ブラフマー の土地 とち 」を意味 いみ する Brahma Desha に由来 ゆらい するという説 せつ が一般 いっぱん に知 し られている[ 26] 。両者 りょうしゃ には文語 ぶんご ・口語 こうご の違 ちが いしかなく、文脈 ぶんみゃく に応 おう じて自由 じゆう に使 つか い分 わ けられてきた。しかし、1989年 ねん 6月 がつ 、8888民主 みんしゅ 化 か 運動 うんどう の鎮圧 ちんあつ を経 へ て成立 せいりつ した当時 とうじ の軍事 ぐんじ 政権 せいけん が対外 たいがい 的 てき な名称 めいしょう を「ビルマ」から「ミャンマー」に変更 へんこう し、前者 ぜんしゃ をビルマ人 じん を指 さ す呼称 こしょう 、後者 こうしゃ をミャンマー国民 こくみん 一般 いっぱん を指 さ す呼称 こしょう と設定 せってい したことによって、政治 せいじ 的 てき 文脈 ぶんみゃく が生 う まれた。
国際 こくさい 連合 れんごう ・ASEAN ・日本 にっぽん ・インド・中国 ちゅうごく などは「ミャンマー」への国号 こくごう 変更 へんこう を承認 しょうにん した一方 いっぽう で、主 おも に軍事 ぐんじ 政権 せいけん の正統 せいとう 性 せい を認 みと めない立場 たちば から、アメリカ・オーストラリア・カナダ・イギリスなどは「ビルマ」の国号 こくごう を使 つか い続 つづ けた[ 29] [ 30] 。2015年 ねん ミャンマー総 そう 選挙 せんきょ を経 へ て、文民 ぶんみん として政権 せいけん を握 にぎ ったアウンサンスーチーは、2016年 ねん に「ミャンマー」と「ビルマ」の双方 そうほう を容認 ようにん する姿勢 しせい を明 あき らかにした[ 31] 。軍政 ぐんせい と「ミャンマー」の国号 こくごう のつながりが希薄 きはく になるにつれて、「ミャンマー」国号 こくごう の利用 りよう も一般 いっぱん 的 てき になった一方 いっぽう で、アメリカ政府 せいふ は民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 政権 せいけん 下 か においても、2021年 ねん のクーデター後 ご も、公 おおやけ の場 ば では「ビルマ」の語 かたり を用 もち いることが多 おお い[ 32] 。
国家 こっか 顧問 こもん であったアウンサンスーチー
国家 こっか 行政 ぎょうせい 評議 ひょうぎ 会 かい 議長 ぎちょう 兼 けん 大統領 だいとうりょう 代行 だいこう であるミン・アウン・フライン
ミャンマーは大統領 だいとうりょう を元首 げんしゅ とする共和 きょうわ 制 せい 国家 こっか であったが、2021年 ねん ミャンマークーデター により、国家 こっか 行政 ぎょうせい 評議 ひょうぎ 会 かい 議長 ぎちょう を事実 じじつ 上 じょう の国家 こっか 指導 しどう 者 しゃ とする軍事 ぐんじ 政権 せいけん となっている。
ネ・ウィン将軍 しょうぐん が、1962年 ねん に軍事 ぐんじ クーデターを起 お こし、憲法 けんぽう と議会 ぎかい を廃止 はいし して実権 じっけん を握 にぎ って以来 いらい 、他 た の政党 せいとう の活動 かつどう を禁止 きんし する一 いち 党 とう 支配 しはい 体制 たいせい が続 つづ いていた。
軍政 ぐんせい 以前 いぜん の議会 ぎかい は、一院制 いちいんせい の国民 こくみん 議会 ぎかい (英語 えいご でPeople's Assembly 、ビルマ語 ご でPyithu Hluttaw 、人民 じんみん 議会 ぎかい とも訳 やく す)。485議席 ぎせき 。議員 ぎいん は、民選 みんせん で任期 にんき 4年 ねん 。前回 ぜんかい 選挙 せんきょ は、1990年 ねん 5月27日 にち に投票 とうひょう が行 おこな われ、アウンサンスーチー率 ひき いる国民 こくみん 民主 みんしゅ 連盟 れんめい (NLD) 392(81%)、シャン諸 しょ 民族 みんぞく 民主 みんしゅ 連盟 れんめい (SNLD) 23を獲得 かくとく 、国民 こくみん 統一 とういつ 党 とう (NUP) 10、その他 た 諸 しょ 政党 せいとう が60の議席 ぎせき を獲得 かくとく した。しかし、軍事 ぐんじ 政権 せいけん はこの選挙 せんきょ 結果 けっか を認 みと めず、政権 せいけん の移譲 いじょう を拒絶 きょぜつ し続 つづ けた。その為 ため 、NLDなどの反 はん 軍事 ぐんじ 政権 せいけん 勢力 せいりょく は、1990年 ねん にビルマ連邦 れんぽう 国民 こくみん 連合 れんごう 政府 せいふ (NCGUB) を組織 そしき し、軍事 ぐんじ 政権 せいけん への対抗 たいこう 勢力 せいりょく として活動 かつどう していた。1993年 ねん には新 しん 憲法 けんぽう 制定 せいてい のための国民 こくみん 会議 かいぎ が招集 しょうしゅう されたが、NLDはボイコットした。
1988年 ねん に民主 みんしゅ 化 か 運動 うんどう が高揚 こうよう した際 さい に、軍事 ぐんじ クーデターを決行 けっこう して1000人 にん 以上 いじょう の国民 こくみん を虐殺 ぎゃくさつ し弾 だん 圧 あつ を加 くわ え、翌 よく 1989年 ねん にはアウンサンスーチーを軟禁 なんきん 、さらに翌年 よくねん の1990年 ねん にはアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく に上述 じょうじゅつ のビルマ連邦 れんぽう 国民 こくみん 連合 れんごう 政府 せいふ が設立 せつりつ されている。そのトップはアウンサンスーチーの従兄弟 いとこ のセイン・ウィン(Sein Win )であった。その後 ご 、軍事 ぐんじ 政権 せいけん は1994年 ねん から2007年 ねん にかけて、新 しん 憲法 けんぽう 制定 せいてい に向 む けての基本 きほん 原則 げんそく や内容 ないよう を審議 しんぎ する国民 こくみん 会議 かいぎ を断続 だんぞく 的 てき に開催 かいさい してきた。
2007年 ねん 9月 仏教 ぶっきょう 僧 そう を中心 ちゅうしん とした数 すう 万 まん 人 にん の規模 きぼ の反 はん 政府 せいふ デモ が行 おこな われ、それに対 たい し軍事 ぐんじ 政権 せいけん は武力 ぶりょく による弾圧 だんあつ を行 おこな い、日本人 にっぽんじん ジャーナリスト ・長井 ながい 健司 けんじ を含 ふく める多数 たすう の死傷 ししょう 者 しゃ を出 だ した。2007年 ねん 10月24日 にち 、民主 みんしゅ 化 か 勢力 せいりょく に対 たい し強硬 きょうこう な対応 たいおう をとってきた国家 こっか 平和 へいわ 発展 はってん 評議 ひょうぎ 会 かい (SPDC) 議長 ぎちょう および国家 こっか 元首 げんしゅ であったタン・シュエ と長 なが らく行動 こうどう を共 とも にしてきたテイン・セイン が新 しん 首相 しゅしょう に就任 しゅうにん 。前 ぜん 首相 しゅしょう ソー・ウィン まで続 つづ いていた軍 ぐん 主導 しゅどう の政治 せいじ 体制 たいせい の改革 かいかく が、テイン・セインの下 した で開始 かいし される。2008年 ねん 5月 がつ 10日 とおか 及 およ び同月 どうげつ 24日 にち に、新 しん 憲法 けんぽう 案 あん についての国民 こくみん 投票 とうひょう が実施 じっし ・可決 かけつ され、民主 みんしゅ 化 か が一歩一歩 いっぽいっぽ と計 はか られるようになる。当時 とうじ 国家 こっか 元首 げんしゅ であったタン・シュエは表向 おもてむ き「私 わたし は一般 いっぱん 市民 しみん になる、民主 みんしゅ 政権 せいけん なのだから」と発言 はつげん している[ 注 ちゅう 6] 。
2010年 ねん 2月 がつ 13日 にち 、政府 せいふ は最大 さいだい 野党 やとう ・国民 こくみん 民主 みんしゅ 連盟 れんめい (NLD) の2003年 ねん 5月 がつ から拘束 こうそく されていたティン・ウ副 ふく 議長 ぎちょう の自宅 じたく 軟禁 なんきん を解除 かいじょ した[ 57] 。同年 どうねん 2月 がつ 15日 にち 、国連 こくれん 人権 じんけん 理事 りじ 会 かい のトマス・オヘア・キンタナ(Tomas Ojea Quintana)特別 とくべつ 報告 ほうこく 者 しゃ がミャンマーを訪 おとず れ、自宅 じたく 軟禁 なんきん 中 ちゅう のアウンサンスーチーとの2009年 ねん 2月 がつ 以来 いらい 3度目 どめ となる面会 めんかい を求 もと めた[ 58] 。4月 がつ 26日 にち 、テイン・セイン首相 しゅしょう は軍籍 ぐんせき を離脱 りだつ し、29日 にち に連邦 れんぽう 団結 だんけつ 発展 はってん 党 とう を結成 けっせい 。10月21日 にち 、国旗 こっき を新 あたら しいデザインに変更 へんこう すると発表 はっぴょう [ 59] 。11月7日 にち には2008年 ねん の新 しん 憲法 けんぽう に基 もと づく総 そう 選挙 せんきょ が実施 じっし され、連邦 れんぽう 団結 だんけつ 発展 はってん 党 とう が8割 わり の得票 とくひょう を得 え て勝利 しょうり 宣言 せんげん を行 おこな った。11月に政府 せいふ はアウンサンスーチーの軟禁 なんきん 期限 きげん を迎 むか えると発表 はっぴょう し、13日 にち に軟禁 なんきん 状態 じょうたい が解除 かいじょ された。拘束 こうそく ・軟禁 なんきん は1989年 ねん から3回 かい ・計 けい 15回 かい に及 およ んだ[ 60] 。
2011年 ねん 1月 がつ 31日 にち 、ネピドーで総 そう 選挙 せんきょ 後 ご 初 はつ の連邦 れんぽう 議会 ぎかい が開幕 かいまく 。3月30日 にち 、テイン・セインはミャンマー大統領 だいとうりょう に就任 しゅうにん 。軍事 ぐんじ 政権 せいけん 発足 ほっそく 以来 いらい ミャンマーの最高 さいこう 決定 けってい 機関 きかん であった国家 こっか 平和 へいわ 発展 はってん 評議 ひょうぎ 会 かい (SPDC) は解散 かいさん し、権限 けんげん が新 しん 政府 せいふ に移譲 いじょう された。これにより軍政 ぐんせい に終止符 しゅうしふ が打 う たれた形 かたち となったが、新 しん 政府 せいふ は軍 ぐん 関係 かんけい 者 しゃ が多数 たすう を占 し めており、実質 じっしつ 的 てき な軍政 ぐんせい 支配 しはい が続 つづ くともみられた[ 61] [ 62] 。軟禁 なんきん 状態 じょうたい を解 と かれたアウンサンスーチーは、政治 せいじ 活動 かつどう の再開 さいかい をめぐり政府 せいふ との軋轢 あつれき もあったが、7月 がつ になり両者 りょうしゃ の対話 たいわ が実現 じつげん 、国家 こっか の発展 はってん のため協力 きょうりょく し合 あ うことで合意 ごうい [ 63] 。10月12日 にち には政治 せいじ 犯 はん を含 ふく む受刑 じゅけい 者 しゃ 6359人 にん が恩赦 おんしゃ によって釈放 しゃくほう された[ 64] 。11月4日 にち 、テイン・セイン大統領 だいとうりょう は、政党 せいとう 登録 とうろく 法 ほう の一部 いちぶ 改正 かいせい (服役囚 ふくえきしゅう に党員 とういん 資格 しかく を与 あた えないとした条項 じょうこう の削除 さくじょ )を承認 しょうにん [ 65] 。また2008年 ねん 憲法 けんぽう の「順守 じゅんしゅ 」を「尊重 そんちょう する」に緩和 かんわ した。11月25日 にち 、国民 こくみん 民主 みんしゅ 連盟 れんめい (NLD) は全国 ぜんこく 代表 だいひょう 者 しゃ 会議 かいぎ を開 ひら き、長年 ながねん 認 みと められなかった政党 せいとう (野党 やとう )としての再 さい 登録 とうろく を完了 かんりょう した。年内 ねんない にも行 おこな われる国会 こっかい 補選 ほせん に参加 さんか することを決 き めた。
その後 ご 、2016年 ねん 3月30日 にち に国民 こくみん 民主 みんしゅ 連盟 れんめい が選出 せんしゅつ したティンチョーが54年 ねん ぶりの文民 ぶんみん 大統領 だいとうりょう に就任 しゅうにん した。
2021年 ねん 2月 がつ 1日 にち 、軍事 ぐんじ クーデターが発生 はっせい しミャンマー国軍 こくぐん 総 そう 司令 しれい 官 かん が全権 ぜんけん を掌握 しょうあく した[ 66] 。
国家 こっか 元首 げんしゅ は、2011年 ねん 3月より大統領 だいとうりょう となっている。同月 どうげつ 、テイン・セインが連邦 れんぽう 議会 ぎかい で軍籍 ぐんせき ではない初 はつ の大統領 だいとうりょう に選出 せんしゅつ された。さらに、2016年 ねん 3月 がつ にはNLDのティンチョーが大統領 だいとうりょう に就任 しゅうにん した。
それ以前 いぜん の国家 こっか 元首 げんしゅ は国家 こっか 平和 へいわ 発展 はってん 評議 ひょうぎ 会 かい (SPDC) 議長 ぎちょう だった。国家 こっか 平和 へいわ 発展 はってん 評議 ひょうぎ 会 かい は、1988年 ねん 9月18日 にち のクーデター により国家 こっか 権力 けんりょく を掌握 しょうあく した軍事 ぐんじ 政権 せいけん が創設 そうせつ した国家 こっか 法 ほう 秩序 ちつじょ 回復 かいふく 評議 ひょうぎ 会 かい (SLORC) を、1997年 ねん 11月15日 にち に改名 かいめい した組織 そしき である。立法 りっぽう 権 けん と行政 ぎょうせい 権 けん を行使 こうし 。首相 しゅしょう は評議 ひょうぎ 会 かい メンバーの1人 ひとり であったが行政府 ぎょうせいふ の長 ちょう ではなかった。同 どう 評議 ひょうぎ 会 かい は2011年 ねん 3月 がつ に解散 かいさん した。
ただし、NLDがティンチョーを大統領 だいとうりょう に擁立 ようりつ したのは、軍事 ぐんじ 政権 せいけん 下 か で制定 せいてい された憲法 けんぽう の規定 きてい ではNLD党首 とうしゅ のアウンサンスーチーが大統領 だいとうりょう 就任 しゅうにん 資格 しかく を奪 うば われている(アウンサンスーチーはイギリス国籍 こくせき の息子 むすこ を持 も つのであるが、憲法 けんぽう では外国 がいこく 籍 せき の配偶 はいぐう 者 しゃ や子 こ を持 も つ者 もの は大統領 だいとうりょう になることはできない)ため、アウンサンスーチーの「代理 だいり 」としての意味合 いみあ いであった。アウンサンスーチー自身 じしん も、新 しん 大統領 だいとうりょう は何 なん らの権限 けんげん を持 も たない傀儡 かいらい であって全 すべ てを決定 けってい するのは自分 じぶん であると明言 めいげん していた。新 しん 政権 せいけん ではアウンサンスーチーは外務 がいむ 大臣 だいじん 兼 けん 大統領 だいとうりょう 府 ふ 大臣 だいじん 、さらには新設 しんせつ の「国家 こっか 顧問 こもん 」に就 つ き、政権 せいけん の実権 じっけん を掌握 しょうあく する体制 たいせい を整 ととの えた。国家 こっか 顧問 こもん は大統領 だいとうりょう に政治 せいじ 上 じょう の「助言 じょげん 」を与 あた えることができるとされているが、アウンサンスーチーの「助言 じょげん 」は、事実 じじつ 上 じょう は大統領 だいとうりょう への「指示 しじ 」となると予想 よそう されている。
2021年 ねん 2月 がつ 1日 にち 、ミャンマー軍 ぐん は大統領 だいとうりょう と国家 こっか 顧問 こもん を拘束 こうそく し全権 ぜんけん を掌握 しょうあく したと発表 はっぴょう した。これにより国軍 こくぐん 最高 さいこう 司令 しれい 官 かん が事実 じじつ 上 じょう の国家 こっか の指導 しどう 者 しゃ となった。
2021年 ねん 2月 がつ 2日 にち 、ミャンマー国軍 こくぐん は、軍 ぐん 幹部 かんぶ ら16人 にん による国家 こっか 行政 ぎょうせい 評議 ひょうぎ 会 かい を設置 せっち したと発表 はっぴょう した。この機関 きかん は閣僚 かくりょう の人事 じんじ 権 けん も握 にぎ っており、軍事 ぐんじ 政権 せいけん における行政 ぎょうせい の最高 さいこう 機関 きかん になっているとみられている。
連邦 れんぽう 議会 ぎかい
2008年 ねん に制定 せいてい された新 しん 憲法 けんぽう により、二院 にいん 制 せい の連邦 れんぽう 議会 ぎかい (Pyidaungsu Hluttaw )が創設 そうせつ された。連邦 れんぽう 議会 ぎかい は上院 じょういん (民族 みんぞく 代表 だいひょう 院 いん 、Amyotha Hluttaw )と下院 かいん (国民 こくみん 代表 だいひょう 院 いん 、Pyithu Hluttaw )の2つで構成 こうせい されている。議員 ぎいん は両院 りょういん とも任期 にんき 5年 ねん 。議席 ぎせき 数 すう は上院 じょういん が224議席 ぎせき 、下院 かいん が440議席 ぎせき 。各 かく 議院 ぎいん の議席 ぎせき のうち、4分 ぶん の1は国軍 こくぐん 司令 しれい 官 かん による指名 しめい 枠 わく となっており、残 のこ りの4分 ぶん の3は国民 こくみん による直接 ちょくせつ 選挙 せんきょ で選出 せんしゅつ される。
2010年 ねん 11月7日 にち 、新 しん 憲法 けんぽう に基 もと づいて連邦 れんぽう 議会 ぎかい の総 そう 選挙 せんきょ が実施 じっし された。軍事 ぐんじ 政権 せいけん の翼賛 よくさん 政党 せいとう 連邦 れんぽう 団結 だんけつ 発展 はってん 党 とう (USDP) は上下 じょうげ 両院 りょういん と地方 ちほう 議会 ぎかい 合 あ わせて1000人 にん 以上 いじょう を擁立 ようりつ した。アウンサンスーチー率 ひき いる国民 こくみん 民主 みんしゅ 連盟 れんめい (NLD) の分派 ぶんぱ である国民 こくみん 民主 みんしゅ 勢力 せいりょく (NDF) は、140人 にん にとどまった。NLDは選挙 せんきょ 関連 かんれん 法 ほう が不公平 ふこうへい だとして選挙 せんきょ のボイコットを決 き め、解党 かいとう された[ 67] 。総 そう 選挙 せんきょ の結果 けっか 、USDPが全 ぜん 議席 ぎせき の約 やく 8割 わり を獲得 かくとく し[ 注 ちゅう 7] 、NDFの議席 ぎせき は少数 しょうすう にとどまった。
2011年 ねん 1月 がつ 31日 にち 、総 そう 選挙 せんきょ 後 ご 初 はつ の連邦 れんぽう 議会 ぎかい が開幕 かいまく し、複数 ふくすう 政党 せいとう 制 せい による議会 ぎかい としては49年 ねん ぶりの開催 かいさい となった[ 69] 。
2012年 ねん 4月 がつ 1日 にち にはミャンマー連邦 れんぽう 議会 ぎかい 補欠 ほけつ 選挙 せんきょ が実施 じっし された。NLDはアウンサンスーチーを含 ふく む44人 にん の候補者 こうほしゃ を擁立 ようりつ し、同氏 どうし 含 ふく む40人 にん が当選 とうせん するという大勝 たいしょう を飾 かざ った[ 70] 。
2015年 ねん 11月8日 にち に行 おこな われた総 そう 選挙 せんきょ でNLDが単独 たんどく 過半数 かはんすう の議席 ぎせき を獲得 かくとく した。
ヤンゴン で会談 かいだん するアメリカのオバマ 大統領 だいとうりょう とテイン・セイン大統領 だいとうりょう (2012年 ねん )
ビルマは中立 ちゅうりつ 的 てき な立場 たちば による等距離 とうきょり 外交 がいこう を基本 きほん 方針 ほうしん としているが、1983年 ねん 10月にはラングーン事件 じけん を起 お こした北朝鮮 きたちょうせん と国交 こっこう を断絶 だんぜつ した(2006年 ねん 10月 に国交 こっこう 回復 かいふく )他 た 、1997年 ねん 7月 がつ には東南 とうなん アジア諸国 しょこく 連合 れんごう (ASEAN)に加盟 かめい している。また、欧米 おうべい 諸国 しょこく とは、ビルマ国内 こくない の人権 じんけん 問題 もんだい や政治 せいじ の民主 みんしゅ 化 か をめぐる問題 もんだい で対立 たいりつ しており、欧州 おうしゅう 連合 れんごう (EU)からは経済 けいざい 制裁 せいさい を受 う けている。その一方 いっぽう で、インド洋 いんどよう 方面 ほうめん への進出 しんしゅつ 口 こう を求 もと めている中国 ちゅうごく からは多額 たがく の援助 えんじょ を受 う けている他 ほか 、インドとは経済 けいざい 的 てき な結 むす びつきを強化 きょうか しているなど、近隣 きんりん の大国 たいこく とは比較的 ひかくてき 良好 りょうこう な関係 かんけい を築 きず いている。また、軍事 ぐんじ 面 めん から北朝鮮 きたちょうせん との関係 かんけい が改善 かいぜん している。
歴代 れきだい のタイ政府 せいふ は、タイ・ビルマ国境 こっきょう に展開 てんかい する反 はん 軍政 ぐんせい 民族 みんぞく 武装 ぶそう 勢力 せいりょく の存在 そんざい を基本 きほん 的 てき に黙認 もくにん し、ビルマ国軍 こくぐん とのバッファーゾーン として利用 りよう してきた。また1990年代 ねんだい のタイ民主党 みんしゅとう 政権 せいけん (チュワン 、アナン 両 りょう 政権 せいけん )はビルマ軍政 ぐんせい の政策 せいさく に批判 ひはん 的 てき な立場 たちば を取 と り、軍政 ぐんせい との関係 かんけい も決 けっ して良好 りょうこう ではなかった。しかし1990年代 ねんだい 後半 こうはん には保守 ほしゅ 政治 せいじ 家 か チャワリット・ヨンチャイユット らが提唱 ていしょう する「建設 けんせつ 的 てき 関与 かんよ 」論 ろん が力 ちから を持 も った。タイ政府 せいふ はビルマとの距離 きょり を縮 ちぢ める方向 ほうこう に傾 かたむ き、1997年 ねん のビルマのASEAN加盟 かめい にも賛成 さんせい した。これは軍事 ぐんじ 政権 せいけん の長期 ちょうき 化 か を踏 ふ まえた上 うえ で、政治 せいじ 改革 かいかく に向 む けた努力 どりょく を後景 こうけい に退 しりぞ かせ、国境 こっきょう 地域 ちいき の天然 てんねん 資源 しげん 確保 かくほ や国境 こっきょう 貿易 ぼうえき の拡大 かくだい による経済 けいざい 効果 こうか を優先 ゆうせん した結果 けっか である。ASEAN加盟 かめい 後 ご のタイのチュワン・リークパイ 政権 せいけん やマレーシア 政府 せいふ の取 と り組 く みの積極 せっきょく 性 せい は、少 すく なくとも主観 しゅかん 的 てき には、ビルマを地域 ちいき 政治 せいじ の枠組 わくぐ みに入 い れた上 うえ で、民主 みんしゅ 化 か を促 うなが す点 てん にあった。ビルマへの「建設 けんせつ 的 てき 関与 かんよ 」策 さく が成功 せいこう すればASEANの国際 こくさい 的 てき 地位 ちい を飛躍 ひやく 的 てき に高 たか めるはずだったが、ビルマ軍政 ぐんせい は自 みずか らの支配 しはい を危 あや うくするあらゆる改革 かいかく に反対 はんたい する姿勢 しせい を貫 つらぬ き、この舞台 ぶたい に乗 の ることは決 けっ してなかった。アウンサンスーチー襲撃 しゅうげき 事件 じけん と同氏 どうし の自宅 じたく 軟禁 なんきん の継続 けいぞく 、キン・ニュン元 もと 首相 しゅしょう の更迭 こうてつ 劇 げき 、首都 しゅと 移転 いてん 、ASEAN側 がわ が派遣 はけん した特使 とくし への丁重 ていちょう とはいえない処遇 しょぐう といった一連 いちれん の政治 せいじ 的 てき 動 うご きは、ASEANの「建設 けんせつ 的 てき 関与 かんよ 」策 さく が短期 たんき 的 てき には奏功 そうこう しないことを示 しめ した。チャワリットに代表 だいひょう される経済 けいざい 優先 ゆうせん 路線 ろせん を拡大 かくだい したのがタクシン 政権 せいけん である。同 どう 政権 せいけん は国境 こっきょう の反 はん 政府 せいふ 武装 ぶそう 勢力 せいりょく への圧力 あつりょく を強 つよ め、タイ国内 こくない の反 はん 政府 せいふ 活動 かつどう 家 か や難民 なんみん への取締 とりしまり を強化 きょうか している。
2007年 ねん 、アメリカとイギリス は軍事 ぐんじ 政権 せいけん にアウンサンスーチーを始 はじ めとする全 すべ ての政治 せいじ 犯 はん の即時 そくじ 釈放 しゃくほう を求 もと める非難 ひなん 決議 けつぎ を提出 ていしゅつ し、1月 がつ 12日 にち 国際 こくさい 連合 れんごう 安全 あんぜん 保障 ほしょう 理事 りじ 会 かい で採決 さいけつ した。しかし、中国 ちゅうごく とロシア が拒否 きょひ 権 けん を発動 はつどう し、否決 ひけつ された(賛成 さんせい は米 べい 、英 えい 、フランス など9カ国 かこく 。反対 はんたい は中 なか 、露 ろ 、南 みなみ アフリカ の3カ国 かこく 。棄権 きけん はインドネシア 、カタール 、コンゴ の3カ国 かこく )。ASEAN諸国 しょこく では、軍事 ぐんじ 政権 せいけん への非難 ひなん には慎重 しんちょう 論 ろん が強 つよ い。
2007年 ねん 10月 がつ 11日 にち 、国連 こくれん 安全 あんぜん 保障 ほしょう 理事 りじ 会 かい は、僧侶 そうりょ や市民 しみん らによるデモ に対 たい する軍事 ぐんじ 政権 せいけん の実力 じつりょく 行使 こうし を強 つよ く非難 ひなん する議長 ぎちょう 声明 せいめい 案 あん を、全会 ぜんかい 一致 いっち で採択 さいたく した。
軍政 ぐんせい 時代 じだい には中国 ちゅうごく [ 71] や北朝鮮 きたちょうせん といった独裁 どくさい 国家 こっか と親密 しんみつ であったミャンマーであったが、2011年 ねん 以降 いこう 急速 きゅうそく に進 すす んだ民主 みんしゅ 化 か により、それまで冷 ひ え切 き っていた欧米 おうべい との関係 かんけい が改善 かいぜん した。アメリカのヒラリー・クリントン 国務 こくむ 長官 ちょうかん はネピドーを訪 おとず れた際 さい 、北朝鮮 きたちょうせん と縁 えん を切 き るよう公式 こうしき にテイン・セイン ミャンマー大統領 だいとうりょう との会談 かいだん で要請 ようせい した。
しかし、アウンサンスーチーが事実 じじつ 上 じょう のトップとなった後 のち もロヒンギャ問題 もんだい が起 お きたことで欧米 おうべい との関係 かんけい が冷 ひ え込 こ んだ。
2021年 ねん 2月 がつ 1日 にち に発生 はっせい したミャンマー軍 ぐん のクーデターでアウンサンスーチーが拘束 こうそく され、軍事 ぐんじ 政権 せいけん が復活 ふっかつ するとアメリカやヨーロッパ 諸国 しょこく 、日本 にっぽん 、インド 、国連 こくれん 、欧州 おうしゅう 連合 れんごう からアウンサンスーチー解放 かいほう と民政 みんせい 復帰 ふっき を求 もと める強 つよ い批判 ひはん が起 お きた。特 とく にアメリカ政府 せいふ は制裁 せいさい の復活 ふっかつ をちらつかせているが、米 べい 軍 ぐん とミャンマー軍 ぐん に交流 こうりゅう はほとんどないため、制裁 せいさい の効果 こうか は限定 げんてい 的 てき ではないかと見 み られている[ 72] 。
アメリカ政府 せいふ はミャンマーの軍事 ぐんじ 政権 せいけん に対 たい して制裁 せいさい を課 か してきたが、同国 どうこく が民政 みんせい 移管 いかん を開始 かいし した2011年 ねん から段階 だんかい 的 てき に制裁 せいさい を解除 かいじょ してきた[ 73] 。しかし、2021年 ねん の軍部 ぐんぶ クーデターで再 ふたた び軍事 ぐんじ 政権 せいけん になり、市民 しみん の抗議 こうぎ デモの弾圧 だんあつ を開始 かいし したことを受 う けて制裁 せいさい を再開 さいかい した。ヨーロッパ諸国 しょこく もアメリカに同調 どうちょう して制裁 せいさい を再開 さいかい 。ミャンマーと欧米 おうべい は再 ふたた び対立 たいりつ 関係 かんけい に入 はい った[ 74] 。
経済 けいざい 的 てき に強 つよ く結 むす びついており一帯 いったい 一路 いちろ 構想 こうそう に参加 さんか している。また欧米 おうべい とは違 ちが い中国 ちゅうごく は国内 こくない の人権 じんけん 問題 もんだい に口 くち を出 だ さないため接近 せっきん している[ 75] 。
特 とく にミャンマー国軍 こくぐん は軍政 ぐんせい 時代 じだい から中国 ちゅうごく と親密 しんみつ な関係 かんけい にあり、2021年 ねん 2月 がつ 1日 にち のミャンマー軍 ぐん によるクーデターの際 さい にも国際 こくさい 社会 しゃかい がミャンマー軍 ぐん を強 つよ く批判 ひはん する中 なか で中国 ちゅうごく はミャンマー軍 ぐん を批判 ひはん する声明 せいめい を出 だ さなかった[ 72] 。
2021年 ねん 3月 がつ 23日 にち 、クーデター後 ご に設置 せっち された最高 さいこう 意思 いし 決定 けってい 機関 きかん の国家 こっか 行政 ぎょうせい 評議 ひょうぎ 会 かい の報道 ほうどう 官 かん は、今後 こんご ミャンマーは中国 ちゅうごく など近隣 きんりん 5ヶ国 かこく と関係 かんけい を強化 きょうか し、価値 かち 観 かん を共有 きょうゆう することで欧米 おうべい には屈 くっ しないとする決意 けつい を表明 ひょうめい した[ 76] 。
4月 がつ 1日 にち 、中国 ちゅうごく 外相 がいしょう の王 おう 毅 あつし は欧米 おうべい のミャンマー制裁 せいさい について「出 で しゃばって勝手 かって に圧力 あつりょく を加 くわ えるべきではない」と批判 ひはん し、欧米 おうべい はミャンマーへの「内政 ないせい 干渉 かんしょう 」をやめるべきだと主張 しゅちょう した[ 77] 。
日本 にっぽん とビルマはアウンサン の時代 じだい から大変 たいへん 濃密 のうみつ な関係 かんけい にあり[ 78] 、1954年 ねん 11月の日本 にっぽん 国 こく との平和 へいわ 条約 じょうやく (サンフランシスコ講和 こうわ 条約 じょうやく )締結 ていけつ 以来 いらい 、日本 にっぽん と友好 ゆうこう 的 てき な関係 かんけい を築 きず いてきた。特 とく にネ・ウィンは親日 しんにち 的 てき な政策 せいさく をし、このことがBSPP時代 じだい の巨額 きょがく の二 に 国 こく 間 あいだ 援助 えんじょ に影響 えいきょう を及 およ ぼしたともいわれる。日本 にっぽん は欧米 おうべい 諸国 しょこく とは対照 たいしょう 的 てき に、1988年 ねん の軍事 ぐんじ クーデター 後 のち に成立 せいりつ した軍事 ぐんじ 政権 せいけん をいち早 はや く承認 しょうにん した他 ほか 、軍事 ぐんじ 政権 せいけん との要人 ようじん 往来 おうらい や経済 けいざい 協力 きょうりょく による援助 えんじょ を実施 じっし し続 つづ けた。ただし、人道的 じんどうてき な理由 りゆう かつ緊急 きんきゅう 性 せい がない援助 えんじょ は、2003年 ねん から停止 ていし されている。ビルマの人権 じんけん 問題 もんだい や民主 みんしゅ 化 か 問題 もんだい に対 たい し、日本 にっぽん 政府 せいふ は軍事 ぐんじ 政権 せいけん と民主 みんしゅ 化 か 勢力 せいりょく の双方 そうほう に、“対話 たいわ による解決 かいけつ を粘 ねば り強 づよ く働 はたら きかける”方針 ほうしん を採用 さいよう し(長井 ながい 健司 けんじ 射殺 しゃさつ 事件 じけん に関 かん する福田 ふくだ 康夫 やすお 首相 しゅしょう の発言 はつげん 「ただちに制裁 せいさい するかどうかは、もう少 すこ し状況 じょうきょう を見極 みきわ めなければならない。わが国 くに の援助 えんじょ は人道的 じんどうてき な部分 ぶぶん が多 おお く、いきなり制裁 せいさい ということではない[ 79] 」など)、幾度 いくど か軍事 ぐんじ 政権 せいけん に働 はたら きかけを行 おこな ったものの、長 なが い間 あいだ 芳 かんば しい成果 せいか が上 あ がらなかった。ビルマの軍歌 ぐんか には『軍艦 ぐんかん 行進曲 こうしんきょく 』の旋律 せんりつ を流用 りゅうよう したもの があり(ただし、歌謡 かよう にも日本 にっぽん の旋律 せんりつ を流用 りゅうよう した物 もの が見 み られる)、ビルマ軍部 ぐんぶ の親日 しんにち 的 てき 傾向 けいこう を示 しめ す根拠 こんきょ として提示 ていじ されることがある。
1981年 ねん 4月 がつ 、ミャンマー政府 せいふ は独立 どくりつ に貢献 こうけん した南 みなみ 機関 きかん の鈴木 すずき 敬 たかし 司 し ら旧 きゅう 日本 にっぽん 軍人 ぐんじん 7人 にん に、最高 さいこう 勲章 くんしょう である「アウンサン・タゴン(=アウンサンの旗 はた )勲章 くんしょう 」を叙勲 じょくん した[ 80] 。
日本 にっぽん では東京 とうきょう の高田馬場 たかだのばば に日本 にっぽん 国内 こくない 最大 さいだい の在日 ざいにち ビルマ人 じん コミュニティが存在 そんざい し、ビルマ料理 りょうり 店 みせ やビルマ語 ご 教室 きょうしつ などが集中 しゅうちゅう している。在日 ざいにち ミャンマー人 じん は約 やく 4万 まん 7千 せん 人 にん (2022年 ねん )[ 81] 。
2012年 ねん 2月 がつ 、日本 にっぽん 政府 せいふ はヤンゴン 郊外 こうがい のティラワ港 こう 経済 けいざい 特別 とくべつ 区 く の上水道 じょうすいどう ・下水道 げすいどう ・道路 どうろ ・光 ひかり ファイバーケーブル 、次世代 じせだい 電力 でんりょく 網 もう といった最先端 さいせんたん のインフラ 整備 せいび を請 う け負 お った。実際 じっさい の開発 かいはつ はミャンマー側 がわ が日本 にっぽん 企業 きぎょう を誘致 ゆうち して行 おこな う。ミャンマー側 がわ も日本 にっぽん に開発 かいはつ を委 ゆだ ねる意思 いし をテイン・セイン大統領 だいとうりょう が示 しめ していた[ 82] 。
イスラム 系 けい 少数 しょうすう 民族 みんぞく のロヒンギャの弾圧 だんあつ をめぐる国連 こくれん 事実 じじつ 調査 ちょうさ 団 だん の設置 せっち に反対 はんたい するなど日本 にっぽん は米 べい 欧 おう に比 くら べミャンマー政府 せいふ 寄 よ りの立場 たちば を取 と る傾向 けいこう にある[ 83] 。
しかし2021年 ねん ミャンマークーデター後 ご には抗議 こうぎ デモ弾圧 だんあつ を受 う けて日本 にっぽん 政府 せいふ はミャンマー軍 ぐん を批判 ひはん し、拘束 こうそく 中 ちゅう のアウンサンスーチーらの解放 かいほう 、民主 みんしゅ 的 てき な政治 せいじ 体制 たいせい の早期 そうき 回復 かいふく を求 もと めた[ 84] 。
式典 しきてん でのミャンマー陸軍 りくぐん (2010年 ねん )
ミャンマー国軍 こくぐん は1942年 ねん に創設 そうせつ されたビルマ独立 どくりつ 義勇軍 ぎゆうぐん をその起源 きげん とし、国軍 こくぐん 最高 さいこう 司令 しれい 部 ぶ 、陸軍 りくぐん 司令 しれい 部 ぶ 、三軍 さんぐん 情報 じょうほう 司令 しれい 部 ぶ 、空軍 くうぐん 司令 しれい 部 ぶ と海軍 かいぐん 司令 しれい 部 ぶ などからなる。現有 げんゆう 兵力 へいりょく は約 やく 41万 まん 人 にん で、陸軍 りくぐん 37万 まん 5千 せん 人 にん 、海軍 かいぐん 1万 まん 6千 せん 人 にん 、空軍 くうぐん 1万 まん 5千 せん 人 にん からなる。この他 ほか に警察 けいさつ 部隊 ぶたい 7万 まん 2千 せん 人 にん と民兵 みんぺい 3万 まん 5千 せん 人 にん が存在 そんざい する[ 85] 。陸軍 りくぐん は13の軍 ぐん 管区 かんく を中心 ちゅうしん に編制 へんせい されている。海軍 かいぐん 基地 きち 、空軍 くうぐん 基地 きち が各 かく 6個 こ ある。長年 ながねん 、志願 しがん 兵制 へいせい であったが、2011年 ねん に徴兵 ちょうへい 制 せい が敷 し かれた(詳細 しょうさい は不明 ふめい )。
1950年代 ねんだい に国共 こっきょう 内戦 ないせん に巻 ま き込 こ まれた経験 けいけん から対外 たいがい 的 てき な軍事 ぐんじ 同盟 どうめい 締結 ていけつ を拒否 きょひ し、原則 げんそく 的 てき に外国 がいこく に対 たい して軍事 ぐんじ 基地 きち を提供 ていきょう していない。ただし、中国 ちゅうごく は例外 れいがい で、1994年 ねん 6月 がつ から大 だい ココ島 とう (英語 えいご 版 ばん ) を賃借 ちんしゃく しており、中国 ちゅうごく はレーダー基地 きち と軍港 ぐんこう を建設 けんせつ している。この中国 ちゅうごく の海洋 かいよう 戦略 せんりゃく は真珠 しんじゅ の首飾 くびかざ り作戦 さくせん と呼 よ ばれ、アメリカ・英国 えいこく ・インドのインド洋 いんどよう における制海権 せいかいけん に対 たい して挑戦 ちょうせん するものとの見方 みかた もあるが、中国 ちゅうごく にとってもポートスーダン とのシーレン を守 まも るエネルギー戦略 せんりゃく 上 じょう の拠点 きょてん となっている(中国 ちゅうごく ・ビルマ・パイプライン を参照 さんしょう )。
近年 きんねん ではこの中国 ちゅうごく の支援 しえん に対抗 たいこう する形 かたち で、小規模 しょうきぼ ながらインドからも航空機 こうくうき や中古 ちゅうこ 戦車 せんしゃ の装備 そうび の導入 どうにゅう が始 はじ まっている。
1990年代 ねんだい までは「反共 はんきょう 」を標榜 ひょうぼう する独自 どくじ の社会 しゃかい 主義 しゅぎ であるビルマ式 しき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ を取 と っていたため、旧 きゅう 東側 ひがしがわ 諸国 しょこく からの支援 しえん はほとんど行 おこな われず、西側 にしがわ 諸国 しょこく にしても南 みなみ ベトナム のようなケースと異 こと なり限定 げんてい 的 てき に装備 そうび の提供 ていきょう を行 おこな ってきた。このため、1980年代 ねんだい までは「黄金 おうごん の三角 さんかく 地帯 ちたい 」対策 たいさく として供与 きょうよ されたアメリカの装備 そうび (M101 榴弾 りゅうだん 砲 ほう 、UH-1 汎用 はんよう ヘリコプター、AT-33 COIN機 き 、ターボスラッシュ 農業 のうぎょう 機 き ―ケシ 畑 はたけ への除草 じょそう 剤 ざい 散布 さんぷ に使用 しよう ―など)を中心 ちゅうしん にしていた(この装備 そうび 供与 きょうよ は麻薬 まやく 取締 とりしまり 局 きょく を擁 よう するアメリカ国務省 こくむしょう が主体 しゅたい となって行 おこな われており、当時 とうじ のネ・ウィン政権 せいけん に不信 ふしん 感 かん を抱 いだ くCIA は反発 はんぱつ していたとされる)。1990年代 ねんだい 以降 いこう はアメリカからの支援 しえん は断絶 だんぜつ 状態 じょうたい となった。
代 か わって台頭 たいとう しつつあるのが中国 ちゅうごく やロシア、インド、ベトナム、イスラエル 、シンガポール (制裁 せいさい によって直接 ちょくせつ 製造 せいぞう 国 こく からサポートできなくなった旧 きゅう 西側 にしがわ 製 せい 装備 そうび の修繕 しゅうぜん など)であり、J-7 やQ-5 、MiG-29 等 ひとし の導入 どうにゅう はその表 あらわ れである。さらにラングーン事件 じけん 以降 いこう 冷 ひ え切 き っていた北朝鮮 きたちょうせん との関係 かんけい が1996年 ねん 頃 ごろ から軍事 ぐんじ ・政治 せいじ 面 めん で改善 かいぜん した結果 けっか 、野砲 やほう ・ロケット砲 ほう などの武器 ぶき 購入 こうにゅう や基地 きち 建設 けんせつ の技術 ぎじゅつ 支援 しえん 交流 こうりゅう や軍人 ぐんじん 交流 こうりゅう 訪問 ほうもん 等 とう が行 おこな われている。その一方 いっぽう で、中国 ちゅうごく はワ州 しゅう 連合 れんごう 軍 ぐん などのミャンマー・中国 ちゅうごく 国境 こっきょう に展開 てんかい する反 はん 政府 せいふ 勢力 せいりょく への支援 しえん も継続 けいぞく しているといわれている。
また、外交 がいこう 関係 かんけい が不安定 ふあんてい であることから、古 ふる くから軍備 ぐんび の国産 こくさん 化 か が進 すす んでいる。既 すで に自動 じどう 小銃 しょうじゅう (ガリル やH&K G3 等 ひとし )や弾薬 だんやく 、暴徒 ぼうと 鎮圧 ちんあつ 用 よう の軽 かる 装甲車 そうこうしゃ などは国産 こくさん での調達 ちょうたつ が可能 かのう と言 い われる。海軍 かいぐん が保有 ほゆう しているコルベット もミャンマーにて建造 けんぞう されたものである。
ミャンマー軍 ぐん のヘルメット は迷彩 めいさい 柄 がら で、形 かたち はアメリカ軍 ぐん がかつて採用 さいよう していたPASGT ヘルメットで(通称 つうしょう フリッツヘルメット。同型 どうけい のヘルメットを軍 ぐん で使用 しよう している中国 ちゅうごく からの輸入 ゆにゅう であると考 かんが えられる)あり、ヘルメットの中央 ちゅうおう 部 ぶ に白 しろ い五 ご 角 かく 星 ほし があしらわれている。
2009年 ねん 現在 げんざい も、カチン独立 どくりつ 機構 きこう (KIO) の軍事 ぐんじ 部門 ぶもん であるカチン独立 どくりつ 軍 ぐん (KIA)、旧 きゅう ビルマ共産党 きょうさんとう の流 なが れを汲 く むワ州 しゅう 連合 れんごう 軍 ぐん (UWSA)、カレン民族 みんぞく 同盟 どうめい の軍事 ぐんじ 部門 ぶもん であるカレン民族 みんぞく 解放 かいほう 軍 ぐん 、シャン州 しゅう 軍 ぐん (SSA)、コーカン族 ぞく の武装 ぶそう 組織 そしき であるミャンマー民族 みんぞく 民主 みんしゅ 同盟 どうめい 軍 ぐん (MNDAA) などがあり、なかにはカレン民族 みんぞく 解放 かいほう 軍 ぐん の分派 ぶんぱ 民主 みんしゅ カレン仏教徒 ぶっきょうと 軍 ぐん (DKBA) のように親 おや 政府 せいふ の武装 ぶそう 組織 そしき まで存在 そんざい する(その後 ご 、反 はん 政府 せいふ に転向 てんこう 。同 どう 項 こう 参照 さんしょう )。
1990年代 ねんだい 初頭 しょとう にビルマ共産党 きょうさんとう が内紛 ないふん で崩壊 ほうかい した事 こと により、キン・ニュンが同 どう 党 とう の後身 こうしん 組織 そしき であるワ州 しゅう 連合 れんごう 軍 ぐん との停戦 ていせん を成立 せいりつ させたのを皮切 かわき りに、カレン民族 みんぞく 解放 かいほう 軍 ぐん や(都市 とし 部 ぶ での学生 がくせい 運動 うんどう を端緒 たんしょ としており他 ほか の武装 ぶそう 組織 そしき と異 こと なるが、弾圧 だんあつ により地下 ちか 組織 そしき 化 か した)全 ぜん ビルマ学生 がくせい 連盟 れんめい (英語 えいご 版 ばん ) (ABFSU) などを除 のぞ いてほとんどの組織 そしき は政府 せいふ 軍 ぐん との停戦 ていせん に応 おう じている。ただし、この停戦 ていせん は投降 とうこう には程遠 ほどとお く、いずれの組織 そしき も武装 ぶそう 解除 かいじょ にはほとんど応 おう じず独自 どくじ の解放 かいほう 区 く を維持 いじ し続 つづ けている。政府 せいふ 側 がわ は解放 かいほう 区 く における武装 ぶそう 組織 そしき の既得 きとく 権益 けんえき を追認 ついにん し、その一方 いっぽう で解放 かいほう 区内 くない に政府 せいふ 軍 ぐん や警察 けいさつ 部隊 ぶたい を進駐 しんちゅう させるなど「飴 あめ とムチ」の構 かま えをとっている。特 とく にUWSAやSSA、MNDAAは麻薬 まやく 製造 せいぞう を続 つづ けている一方 いっぽう で、国内 こくない ではホテル や銀行 ぎんこう などの合法 ごうほう ビジネス も行 おこ なっており、現在 げんざい でも中国 ちゅうごく などから入手 にゅうしゅ した高度 こうど な装備 そうび を保有 ほゆう している。UWSAなどシャン州 しゅう の武装 ぶそう 組織 そしき は中国 ちゅうごく ・ミャンマー国境 こっきょう の軍事 ぐんじ 的 てき に重要 じゅうよう な地域 ちいき に支配 しはい 地域 ちいき が存在 そんざい しており、経済 けいざい 封鎖 ふうさ で中国 ちゅうごく 偏重 へんちょう になっているミャンマー経済 けいざい の生命 せいめい 線 せん を握 にぎ っているともいわれる。
これらの武装 ぶそう 組織 そしき は現在 げんざい も停戦 ていせん を続行 ぞっこう しているものの、軍事 ぐんじ 政権 せいけん 内 ない で和平 わへい 推進 すいしん 派 は であったキン・ニュン 派 は の失脚 しっきゃく や停戦 ていせん 条件 じょうけん である自治 じち 拡大 かくだい が実行 じっこう されていない事 こと などから反発 はんぱつ を強 つよ めているともされている。とくに最近 さいきん では和平 わへい 推進 すいしん 派 は が軍事 ぐんじ 政権 せいけん 内 ない で減退 げんたい した事 こと から強硬 きょうこう 派 は が強 つよ まっているとされ、2009年 ねん には麻薬 まやく 捜査 そうさ を発端 ほったん としてMNDAAとミャンマー政府 せいふ 軍 ぐん が交戦 こうせん 状態 じょうたい に発展 はってん した。このほかの各 かく 民族 みんぞく の私兵 しへい にも自主 じしゅ 的 てき に解散 かいさん もしくは国軍 こくぐん 指揮 しき 下 か の国境警備隊 こっきょうけいびたい へ編入 へんにゅう するかを要求 ようきゅう したが、殆 ほとん どの少数 しょうすう 民族 みんぞく 武装 ぶそう 組織 そしき から拒否 きょひ されて頓挫 とんざ した。2013年 ねん 1月 がつ 現在 げんざい 、国軍 こくぐん とカチン独立 どくりつ 軍 ぐん は交戦 こうせん 状態 じょうたい にあり、カチン州 しゅう では難民 なんみん が発生 はっせい している。
かつて麻薬 まやく 王 おう として知 し られたクン・サ 率 ひき いるモン・タイ軍 ぐん は自主 じしゅ 的 てき に解体 かいたい されたものの、同軍 どうぐん の将兵 しょうへい はUWSAなどに流 なが れていった。旧 きゅう ビルマ共産党 きょうさんとう は同 どう 項目 こうもく に書 か かれている経緯 けいい から分裂 ぶんれつ して消滅 しょうめつ しており、中国 ちゅうごく 国民党 こくみんとう の残党 ざんとう も高齢 こうれい 化 か や国際 こくさい 支援 しえん の消滅 しょうめつ 、クン・サなどの分派 ぶんぱ の登場 とうじょう などから既 すで に過去 かこ の存在 そんざい となっている。
2010年 ねん 6月4日 にち 、中東 ちゅうとう の衛星 えいせい テレビ局 てれびきょく アル・ジャジーラ がミャンマー軍政 ぐんせい が核兵器 かくへいき 開発 かいはつ に着手 ちゃくしゅ した証拠 しょうこ があると報道 ほうどう した[ 86] [ 87] 。また、オーストラリア の新聞 しんぶん 『シドニー・モーニング・ヘラルド 』によると、ミャンマーは北朝鮮 きたちょうせん の協力 きょうりょく を得 え て、2014年 ねん までに原子 げんし 爆 ばく 弾 だん を保有 ほゆう することを目指 めざ しているという。2010年 ねん 12月9日 にち には英紙 えいし 「ガーディアン 」が、軍政 ぐんせい がミャンマー丘陵 きゅうりょう 地帯 ちたい で秘密 ひみつ 地下 ちか 核 かく 施設 しせつ の建設 けんせつ をしているとの目撃 もくげき 情報 じょうほう がアメリカに伝 つた えられ、また、北朝鮮 きたちょうせん 技術 ぎじゅつ 者 しゃ を見 み たという目撃 もくげき 情報 じょうほう も寄 よ せられていたことが内部 ないぶ 告発 こくはつ サイト「ウィキリークス 」に掲載 けいさい された米 べい 外交 がいこう 公電 こうでん により明 あき らかになったと報道 ほうどう した[ 88] 。
ミャンマーの地形 ちけい
ミャンマーは北緯 ほくい 10度 ど から28度 ど の間 あいだ に位置 いち し、南北 なんぼく に伸 の びる長 なが い国土 こくど が特徴 とくちょう である。陸 りく では中国 ちゅうごく 、タイ 、ラオス 、インド、バングラデシュと国境 こっきょう を接 せっ し、境界 きょうかい 線 せん の総 そう 延長 えんちょう 距離 きょり は約 やく 4,600kmに達 たっ する。最高 さいこう 地点 ちてん は北部 ほくぶ 国境 こっきょう のカカボラジ山 さん (海抜 かいばつ 5881m)。マレ まれ ー半島 はんとう の北西 ほくせい 部 ぶ をタイと分 わ かつ形 かたち で約 やく 400km南方 なんぽう に国土 こくど が延 の びる。
海 うみ 側 がわ はアンダマン海 かい とベンガル湾 わん に面 めん し、海岸 かいがん 線 せん の全長 ぜんちょう は約 やく 2,000kmである。両 りょう 海 うみ の境 さかい となるアンダマン諸島 しょとう とニコバル諸島 しょとう はどちらもインド領 りょう である。
国土 こくど の大半 たいはん が熱帯 ねったい または亜熱帯 あねったい に属 ぞく するが、気温 きおん や降水 こうすい 量 りょう は地域 ちいき による差異 さい が大 おお きい。ベンガル湾 わん やアンダマン海 かい の沿海 えんかい 部 ぶ は年間 ねんかん 降水 こうすい 量 りょう が5000mmを越 こ える有数 ゆうすう の多雨 たう 地域 ちいき で、ケッペンの気候 きこう 分類 ぶんるい によれば典型 てんけい 的 てき な熱帯 ねったい モンスーン気候 きこう (Am) を示 しめ す。マンダレーやバガンが位置 いち する内陸 ないりく 部 ぶ は熱帯 ねったい サバナ気候 きこう (Aw) で、年間 ねんかん 降水 こうすい 量 りょう が1000mmを下回 したまわ る地域 ちいき がある。またシャン州 しゅう 、カチン州 しゅう やチン州 しゅう といった山岳 さんがく 地帯 ちたい は、温暖 おんだん 冬期 とうき 少雨 しょうう 気候 きこう (Cfw) に分類 ぶんるい される。最 さい 寒月 かんげつ の平均 へいきん 気温 きおん が18度 ど を下回 したまわ る地域 ちいき があり一部 いちぶ では降雪 こうせつ も見 み られる。
ケッペン気候 きこう 分類 ぶんるい
ミャンマーは国 くに 全体 ぜんたい に多 おお くの河川 かせん が行 い き渡 わた っている。国土 こくど の中央 ちゅうおう をエーヤワディー川 がわ が縦断 じゅうだん しており、河口 かこう 付近 ふきん は広大 こうだい なデルタ地帯 ちたい を形成 けいせい している。主要 しゅよう な河川 かせん としては、他 た にサルウィン川 がわ やチンドウィン川 がわ 等 ひとし がある。
古 ふる くから水上 すいじょう 輸送 ゆそう に利用 りよう されてきたため、都市 とし の発展 はってん と関係 かんけい が深 ふか い。雨季 うき を中心 ちゅうしん に高潮 こうちょう ・洪水 こうずい の被害 ひがい が発生 はっせい することが多 おお い。
サイクロン・ナルギス (2008年 ねん 5月 がつ )
ミャンマーでは2008年 ねん 、大型 おおがた のサイクロン に襲 おそ われた。過去 かこ にもそのような事例 じれい があったが、今回 こんかい のサイクロンは、社会 しゃかい 基盤 きばん が脆弱 ぜいじゃく だったこともあり、これまで以上 いじょう に被害 ひがい が拡大 かくだい した。
最大 さいだい の都市 とし ヤンゴン
色 いろ と面積 めんせき で示 しめ したミャンマーの輸出 ゆしゅつ 品目 ひんもく
IMF の統計 とうけい によると、2017年 ねん のミャンマーのGDP は673億 おく ドル 。一人 ひとり 当 あ たりのGDPは推定 すいてい 1,278ドルであり[ 90] 、国連 こくれん の基準 きじゅん では「後発 こうはつ 開発 かいはつ 途上 とじょう 国 こく 」と位置 いち づけられている[ 91] 。
ミャンマーの水田 すいでん
ミャンマーの観光 かんこう (2013年 ねん )
主要 しゅよう 農産物 のうさんぶつ は米 べい で、農地 のうち の60%を水田 すいでん が占 し める。国際 こくさい 米作 べいさく 研究所 けんきゅうじょ が1966年 ねん から30年間 ねんかん にわたり、52種 しゅ の米 こめ を全土 ぜんど で試験 しけん 栽培 さいばい し、収量 しゅうりょう 向上 こうじょう に貢献 こうけん した。
また、宝石 ほうせき の産出 さんしゅつ 量 りょう も多 おお く、世界 せかい のルビー の9割 わり を産出 さんしゅつ し、タイがそのほとんどを購入 こうにゅう している。サファイア も品質 ひんしつ の高 たか さで知 し られる。しかし、採掘 さいくつ はほとんどが国営 こくえい で、労働 ろうどう 環境 かんきょう の悪 わる さから欧米 おうべい などの人権 じんけん 団体 だんたい は不買 ふばい を呼 よ びかけている。
ミャンマー政府 せいふ やミャンマー観光 かんこう 連盟 れんめい は、外国 がいこく 人 じん 観光 かんこう 客 きゃく の誘致 ゆうち に力 ちから を入 い れている。入国 にゅうこく に必要 ひつよう な観光 かんこう ビザ の免除 めんじょ 対象 たいしょう は、ASEAN諸国 しょこく (マレーシア を除 のぞ く)に加 くわ えて、2018年 ねん 10月 がつ から日本 にっぽん と大韓民国 だいかんみんこく も1年 ねん の試行 しこう 措置 そち として追加 ついか された。一方 いっぽう で、ロヒンギャ問題 もんだい での国際 こくさい 的 てき な批判 ひはん が支障 ししょう になっている[ 92] 。
ビルマはかつて東南 とうなん アジア有数 ゆうすう の大国 たいこく であり、イギリス統治 とうち 下 か においても東南 とうなん アジアで最 もっと も豊 ゆた かな地域 ちいき の一 ひと つであった。チーク など木材 もくざい をはじめ天然 てんねん 資源 しげん が豊富 ほうふ で、石油 せきゆ の生産 せいさん ・輸出 ゆしゅつ も盛 さか んに行 おこな われていた。また人的 じんてき 資源 しげん も優 すぐ れており、識字 しきじ 率 りつ は高 たか く、独立 どくりつ 後 ご は東南 とうなん アジアでも早 はや く成長 せいちょう 軌道 きどう に乗 の るだろうと考 かんが えられていた。1952年 ねん に経済 けいざい 開発 かいはつ 計画 けいかく が立案 りつあん されたが、内乱 ないらん や外貨 がいか 事情 じじょう の悪化 あっか から4年 ねん ほどで破棄 はき される結果 けっか に終 お わった。
1962年 ねん から1988年 ねん まで、ネ・ウィン 軍事 ぐんじ 政権 せいけん はビルマ式 しき 社会 しゃかい 主義 しゅぎ という国家 こっか 基本 きほん 要綱 ようこう に基 もと づき、国有 こくゆう 企業 きぎょう 主導 しゅどう の統制 とうせい 経済 けいざい による開発 かいはつ を行 おこ なった。この間 あいだ 、主要 しゅよう 産業 さんぎょう の企業 きぎょう ・貿易 ぼうえき は国家 こっか の管理 かんり 下 か に置 お かれ、土地 とち も国有 こくゆう 化 か された。また、工業 こうぎょう 化 か 政策 せいさく によって1960 - 1970年代 ねんだい において、工業 こうぎょう は一応 いちおう の発展 はってん を遂 と げた。しかし、1980年代 ねんだい に至 いた ってもGDP で工業 こうぎょう が占 し める割合 わりあい は10%程度 ていど で、依然 いぜん 農業 のうぎょう が主 しゅ 産業 さんぎょう の座 ざ を占 し めていた。また、鎖国 さこく 的 てき な経済 けいざい 体制 たいせい によって、最貧 さいひん 国 こく と認定 にんてい される程 ほど にビルマ経済 けいざい は著 いちじる しく停滞 ていたい し、他 た のアジア諸国 しょこく と大 おお きな差 さ をつけられる結果 けっか となった。
1988年 ねん のソウ・マウン による軍事 ぐんじ クーデター後 ご 、ビルマ援助 えんじょ 国 こく の大 だい 部分 ぶぶん が経済 けいざい 援助 えんじょ を凍結 とうけつ した為 ため 、国家 こっか 法 ほう 秩序 ちつじょ 回復 かいふく 評議 ひょうぎ 会 かい (SLORC) は社会 しゃかい 主義 しゅぎ 計画 けいかく 経済 けいざい の放棄 ほうき と自由 じゆう 市場 いちば 経済 けいざい 体制 たいせい への転換 てんかん を決 き めた。SLORCは、豊富 ほうふ な天然 てんねん 資源 しげん と安価 あんか な労働 ろうどう 力 りょく を基 もと とした民間 みんかん 企業 きぎょう 主導 しゅどう 型 がた の輸出 ゆしゅつ 指向 しこう 型 がた の政策 せいさく を打 う ち出 だ し、外国 がいこく 人 じん による投資 とうし の大幅 おおはば な許容 きょよう 、近隣 きんりん 諸国 しょこく との国境 こっきょう 貿易 ぼうえき 合法 ごうほう 化 か や国営 こくえい 企業 きぎょう の民営 みんえい 化 か 等 ひとし 、市場 いちば 経済 けいざい 改革 かいかく が実施 じっし された。
21世紀 せいき 初頭 しょとう には工業 こうぎょう 部門 ぶもん が飛躍 ひやく 的 てき に成長 せいちょう し、工業 こうぎょう 化 か が進展 しんてん しているように見 み えた。しかし、これは、天然 てんねん 資源 しげん 開発 かいはつ 中心 ちゅうしん の国有 こくゆう 企業 きぎょう 主導 しゅどう 型 がた の工業 こうぎょう 開発 かいはつ によるものであり、民間 みんかん 製造 せいぞう 業 ぎょう 主導 しゅどう 型 がた の工業 こうぎょう 開発 かいはつ ではない。天然 てんねん 資源 しげん 開発 かいはつ は急速 きゅうそく な早 はや さで環境 かんきょう を破壊 はかい している。また、天然 てんねん 資源 しげん 採掘 さいくつ 地域 ちいき においては、強制 きょうせい 労働 ろうどう ・強制 きょうせい 移住 いじゅう などの人権 じんけん 侵害 しんがい が行 おこな われているという事実 じじつ がある。
以上 いじょう の事実 じじつ から、欧米 おうべい 諸国 しょこく はミャンマー製品 せいひん の輸入 ゆにゅう 禁止 きんし や、新規 しんき 海外 かいがい 直接 ちょくせつ 投資 とうし 禁止 きんし などの経済 けいざい 制裁 せいさい を行 おこな った。特 とく にアメリカのミャンマー製品 せいひん 輸入 ゆにゅう 禁止 きんし と送金 そうきん 禁止 きんし はミャンマー経済 けいざい に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた。近年 きんねん 、民間 みんかん の経済 けいざい 発展 はってん を見越 みこ したヤンゴン証券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ が、日本 にっぽん の金融 きんゆう 庁 ちょう や大和総研 だいわそうけん 、日本 にっぽん 取引 とりひき 所 しょ グループ の支援 しえん で発足 ほっそく 。2016年 ねん 3月 がつ 25日 にち 、取引 とりひき を開始 かいし した。
2021年 ねん より、軍 ぐん 系 けい 企業 きぎょう グループ業 ぎょう であるen:Myanma Economic Holdings Limited (ミャンマー経済 けいざい ホールディングス(MEHL))と、en:Myanmar Economic Corporation (ミャンマー経済 けいざい 公社 こうしゃ (MEC))は、米国 べいこく により制裁 せいさい 中 ちゅう [ 93] 。
欧米 おうべい 諸国 しょこく が軍事 ぐんじ 政権 せいけん 下 か のミャンマー製 せい 製品 せいひん を輸入 ゆにゅう 禁止 きんし にしてきたのに対 たい し、日本 にっぽん は特 とく に輸入 ゆにゅう 規制 きせい などは行 おこな わず、日本 にっぽん はミャンマーにおける製品 せいひん 輸出 ゆしゅつ 先 さき の5.65%(2009年 ねん )を占 し めた[ 94] 。ミャンマー製 せい のカジュアル衣類 いるい なども日本 にっぽん 国内 こくない で販売 はんばい されている。
しかし、日本 にっぽん 貿易 ぼうえき 振興 しんこう 機構 きこう の資料 しりょう によると、民政 みんせい 移管 いかん の2010年 ねん 前後 ぜんこう の時点 じてん でミャンマーに進出 しんしゅつ している企業 きぎょう は、中国 ちゅうごく が約 やく 27000社 しゃ 、タイが約 やく 1300社 しゃ に比 くら べ、日本 にっぽん はわずか50社 しゃ に過 す ぎなかった。この背景 はいけい には、ミャンマーに経済 けいざい 制裁 せいさい を科 か していたアメリカの存在 そんざい があり、アメリカとビジネスをしている企業 きぎょう は、アメリカでどのような扱 あつか いを受 う けるかを恐 おそ れ、ミャンマーに進出 しんしゅつ したくてもできない状態 じょうたい であるという[ 95] 。
ただ、中国 ちゅうごく の賃金 ちんぎん 水準 すいじゅん 上昇 じょうしょう と、チャイナ・リスク の存在 そんざい が日本 にっぽん 企業 きぎょう に広 ひろ く認識 にんしき されるようになり、米国 べいこく 向 む け輸出 ゆしゅつ 品 ひん が多 おお く日本 にっぽん 企業 きぎょう には不利 ふり なベトナム や、日本 にっぽん 企業 きぎょう の誘致 ゆうち に消極 しょうきょく 的 てき なカンボジア やバングラデシュ などの代 か わりに、「アジア最後 さいご の経済 けいざい 未開拓 みかいたく 市場 いちば 」との呼 よ び声 ごえ も高 たか いミャンマーに対 たい する日本 にっぽん の注目 ちゅうもく が2010年 ねん 前後 ぜんこう から集 あつ まった。ベトナム の約 やく 3分 ぶん の1(ベトナムの賃金 ちんぎん は中国 ちゅうごく の約 やく 6割 わり )の賃金 ちんぎん で従業 じゅうぎょう 員 いん を雇 やと え、中国 ちゅうごく と比較 ひかく すると労働 ろうどう 力 りょく の安 やす さが特段 とくだん 際立 きわだ っていた。しかしながら、ハエ が飛 と び回 まわ るような不衛生 ふえいせい な食品 しょくひん 工場 こうじょう が多数 たすう 存在 そんざい している点 てん や、労働 ろうどう 環境 かんきょう の苛酷 かこく さや児童 じどう 労働 ろうどう の存在 そんざい 、そして何 なに より、ミャンマー独特 どくとく の政治 せいじ 的 てき 事情 じじょう などの課題 かだい も多 おお かった。だが、2010年 ねん の総 そう 選挙 せんきょ で形式 けいしき 的 てき ながら民政 みんせい 移管 いかん を果 は たし、2011年 ねん に就任 しゅうにん したテイン・セイン大統領 だいとうりょう が経済 けいざい 開放 かいほう を進 すす めたことにより、ミャンマー経済 けいざい を取 と り巻 ま く環境 かんきょう は大幅 おおはば に改善 かいぜん された[ 96] 。
2012年 ねん に入 はい って以降 いこう 、アメリカが民主 みんしゅ 化 か を評価 ひょうか し、ミャンマーへの政策 せいさく を改 あらた める見通 みとお しが出 で 始 はじ めており、これまでアメリカの顔色 かおいろ を伺 うかが って現地 げんち 進出 しんしゅつ したくてもできなかった日本 にっぽん 企業 きぎょう にとっては明 あか るい兆 きざ しと言 い える。また、ミャンマー側 がわ にとっても経済 けいざい 発展 はってん は悪 わる い話 はなし ではないし、ベトナム、カンボジア、バングラデシュに大 おお きく遅 おく れをとったが、グローバリゼーション が進 すす む21世紀 せいき の世界 せかい において、安 やす いコストで衣類 いるい などの軽工業 けいこうぎょう 品 ひん を生産 せいさん できることは、企業 きぎょう 側 がわ にとっては良 よ いビジネスになりうる。また、結果 けっか として多 おお くのミャンマー国民 こくみん の雇用 こよう を生 う み出 だ すという点 てん でも重要 じゅうよう である。
2014年 ねん 10月 がつ 1日 にち 、ミャンマー政府 せいふ が2011年 ねん の民主 みんしゅ 化 か 後 ご 初 はつ となる、外 そと 銀 ぎん 6ヵ国 かこく 9行 ぎょう に支店 してん 開設 かいせつ の仮 かり 認可 にんか を交付 こうふ したと発表 はっぴょう [ 97] 。日本 にっぽん の銀行 ぎんこう ではみずほ銀行 ぎんこう 、三菱 みつびし 東京 とうきょう UFJ銀行 ぎんこう 、三井住友銀行 みついすみともぎんこう のメガバンク3行 ぎょう が仮 かり 認可 にんか を取得 しゅとく している。その後 ご 、2015年 ねん 4月 がつ 2日 にち に三菱 みつびし 東京 とうきょう UFJ銀行 ぎんこう 、オーバーシー・チャイニーズ銀行 ぎんこう 、三井住友銀行 みついすみともぎんこう の3行 ぎょう が正式 せいしき 認可 にんか を取得 しゅとく し、2015年 ねん 4月 がつ 22日 にち に三菱 みつびし 東京 とうきょう UFJ銀行 ぎんこう が、同 どう 23日 にち にオーバーシー・チャイニーズ銀行 ぎんこう と三井住友銀行 みついすみともぎんこう がそれぞれ支店 してん を開業 かいぎょう した[ 98] 。
2021年 ねん 現在 げんざい 、ミャンマーは、東南 とうなん アジア において日本 にっぽん の最 もっと も有力 ゆうりょく な投資 とうし 先 さき の一 ひと つであり、日本 にっぽん による経済 けいざい 開発 かいはつ が行 おこな われている[ 78] 。
道路 どうろ ・鉄道 てつどう ・水運 すいうん とも南北 なんぼく 方向 ほうこう には発達 はったつ しているが、河川 かせん を跨 また ぐ東西 とうざい 間 あいだ の交通 こうつう は整備 せいび されていない。
鉄道 てつどう 車両 しゃりょう は日本 にっぽん から多 おお く輸出 ゆしゅつ されている。
ミャンマーの人口 じんこう ピラミッド
2014年 ねん 春 はる 、31年 ねん ぶりに国勢調査 こくせいちょうさ が行 おこな われた。3月30日 にち 時点 じてん での人口 じんこう は51,419,420人 にん で、前回 ぜんかい に行 おこな われた1983年 ねん 国勢調査 こくせいちょうさ 値 ち (31,124,908人 にん )から二 に 千 せん 万 まん 人 にん 増 ふ えていた。 しかし、1983年 ねん 国勢調査 こくせいちょうさ 以降 いこう にビルマ/ミャンマー政府 せいふ が出 だ していた推計 すいけい 人口 じんこう (2012年 ねん では60,975,993人 にん )は六 ろく 千 せん 万 まん 人 にん 台 だい であった為 ため 、九 きゅう 百 ひゃく 万 まん 人 にん 近 ちか く多 おお く見積 みつ もられていたことが発覚 はっかく した[ 99] 。それまでは国際 こくさい 通貨 つうか 基金 ききん (IMF)やアジア開発銀行 あじあかいはつぎんこう (ADB)が6100万 まん ~6400万 まん 人 にん 程度 ていど と推計 すいけい していた。
ミャンマーは、総 そう 人口 じんこう の7割 わり を占 し めるビルマ人 じん と、残 のこ りの3割 わり を占 し める少数 しょうすう 民族 みんぞく から構成 こうせい される多 た 民族 みんぞく 国家 こっか である[ 101] 。その民族 みんぞく 構成 こうせい について、信頼 しんらい できる統計 とうけい 資料 しりょう は存在 そんざい しないものの、マーティン・スミス(Martin Smith)は同国 どうこく の主要 しゅよう 民族 みんぞく の人口 じんこう を以下 いか のように推計 すいけい している[ 101] 。
ミャンマーの民族 みんぞく 構成 こうせい (1991年 ねん )
民族 みんぞく 名 めい
推計 すいけい 人口 じんこう
カチン人 ひと
500,000 - 1,500,000
カレンニー人 じん (カヤー人 じん )
100,000 - 200,000
カレン人 じん
2,650,000 - 7,000,000
チン人 じん
750,000 - 1,500,000
ビルマ人 じん
29,000,000
モン人 じん
1,100,000 - 4,000,000
ラカイン人 じん
1,750,000 - 2,500,000
シャン人 じん
2,200,000 - 4,000,000
ミャンマーの7つの有力 ゆうりょく 少数 しょうすう 民族 みんぞく は、それぞれ自 みずか らの州 しゅう を有 ゆう している。1948年 ねん のビルマ連邦 れんぽう 独立 どくりつ 時 じ にはカチン州 しゅう ・カレンニー州 しゅう ・シャン州 しゅう およびチン特別 とくべつ 区 く (1974年 ねん よりチン州 しゅう )が設 もう けられ、1951年 ねん にカレン州 しゅう 、1974年 ねん にモン州 しゅう ・ラカイン州 しゅう が新設 しんせつ された。ミャンマー政府 せいふ は1990年代 ねんだい より、ビルマ人 じん を含 ふく めた「8大 だい 民族 みんぞく 」と、その下位 かい 分類 ぶんるい である135の民族 みんぞく グループを自国 じこく の原住民 げんじゅうみん 族 ぞく とみなしているものの、その分類 ぶんるい 基準 きじゅん は統一 とういつ されたものではなく、疑義 ぎぎ も多 おお い。たとえば、この分類 ぶんるい において、言語 げんご 的 てき にはカレン系 けい であるパオ人 じん (英語 えいご 版 ばん ) や、モン・クメール語 ご 派 は の言語 げんご を話 はな すワ人 じん ・パラウン人 じん は、居住 きょじゅう 地 ち にもとづき、(タイ・カダイ語族 ごぞく に属 ぞく するシャン語 ご を話 はな す[ 101] )シャン人 じん の下位 かい 分類 ぶんるい とされる。一方 いっぽう で、カチン州 しゅう に居住 きょじゅう するシャン系 けい グループであるカムティ人 じん (英語 えいご 版 ばん ) も、言語 げんご にもとづきシャン人 じん の下位 かい 分類 ぶんるい とされている[ 102] 。『シャン・ヘラルド (英語 えいご 版 ばん ) 』はこの分類 ぶんるい を再 さい 検討 けんとう し、ミャンマー政府 せいふ が認定 にんてい する135の民族 みんぞく サブグループには実際 じっさい には同 どう 一 いち 民族 みんぞく の別 べつ 氏族 しぞく などが重複 じゅうふく して数 かぞ え上 あ げられているなどとして、実際 じっさい にはこの分類 ぶんるい は59民族 みんぞく を列挙 れっきょ するものであること、タマン人 じん (英語 えいご 版 ばん ) など、同 どう 分類 ぶんるい から漏 も れている民族 みんぞく も存在 そんざい することなどを指摘 してき している[ 103] 。
エスノローグ は、ミャンマーで話 はな されている言語 げんご として115言語 げんご を挙 あ げ、うち93語 ご がシナ・チベット語族 ごぞく (ビルマ語 ご 、カレン諸語 しょご 、ジンポー語 ご など)、13語 ご がオーストロアジア語族 ごぞく (モン語 ご 、パラウン語 ご 、ワ語 ご など)、6語 ご がタイ・カダイ語族 ごぞく (シャン語 ご など)、2語 ご がインド・ヨーロッパ語族 ごぞく (ロヒンギャ語 ご 、チャクマ語 ご )、1語 ご がオーストロネシア語族 ごぞく (モーケン語 ご )に属 ぞく するとしている(残 のこ りの1語 ご はビルマ手話 しゅわ (英語 えいご 版 ばん ) )[ 104] 。ビルマ語 ご やパーリ語 ご 、少数 しょうすう 言語 げんご の多 おお くの表記 ひょうき にはモン-ビルマ文字 もじ が使 つか われる。ビルマ語 ご やパーリ語 ご 、少数 しょうすう 言語 げんご の多 おお くの表記 ひょうき にはモン-ビルマ文字 もじ が使 つか われる[ 105] 。
公用 こうよう 語 ご はビルマ語 ご であり、多数 たすう 派 は であるビルマ族 ぞく を中心 ちゅうしん に母語 ぼご として3300万 まん 人 にん が、第 だい 二 に 言語 げんご としては同国 どうこく の少数 しょうすう 民族 みんぞく を中心 ちゅうしん におよそ1000万 まん 人 にん が話 はな す[ 106] 。しかし、カレン民族 みんぞく 同盟 どうめい など、少数 しょうすう 民族 みんぞく を主体 しゅたい とする武装 ぶそう 組織 そしき のうち一部 いちぶ の支配 しはい 下 か にある地域 ちいき では、ビルマ語 ご の教育 きょういく は行 おこな われていないという[ 107] 。
一般 いっぱん 的 てき に姓 せい は持 も たない[ 108] [ 109] 。必要 ひつよう な時 とき には両親 りょうしん いずれかの名 な と自分 じぶん の名 な が併用 へいよう される。便宜 べんぎ 的 てき に自分 じぶん の名 な の一部 いちぶ を姓 せい として使用 しよう する者 もの もいる[ 110] 。また、名 な を付 つ ける際 さい には、その子 こ が生 う まれた曜日 ようび によって頭文字 かしらもじ を決 き める。命名 めいめい は、ビルマの七曜 しちよう 制 せい や月 つき の名前 なまえ 、土地 とち の名前 なまえ 等 とう から付 つ けられることが多 おお く、このため同 おな じ名前 なまえ を持 も つ者 もの が多 おお い。
従来 じゅうらい はタン 、ヌ のような1語 ご やバー・モウ などの2語 ご の名 な がほとんどであったが、独立 どくりつ 後 ご からアウン・サン・スー・チーのような4語 ご や5語 ご の名前 なまえ が見 み られるようになった。アウン・サン・スー・チーのように、子 こ の名前 なまえ に父祖 ふそ の名前 なまえ を組 く み込 こ むこともある。
名前 なまえ を表記 ひょうき する場合 ばあい は、語 かたり の間 あいだ に空間 くうかん や「・」を入 い れて表記 ひょうき するが、あくまで便宜 べんぎ 的 てき なもので発音 はつおん はつなげて行 おこな う[ 111] 。「アウン・サン・スー・チー」を例 れい にとれば、区切 くぎ りを意識 いしき せずに「アウンサンスーチー」と1語 ご として呼称 こしょう することが一般 いっぱん 的 てき であり、一部 いちぶ の華僑 かきょう のように英語 えいご 名 めい がない限 かぎ り一部 いちぶ だけを読 よ むことはない。
外国 がいこく との交渉 こうしょう (旅券 りょけん 等 とう の発行 はっこう や移住 いじゅう 時 じ に姓 せい や氏 し の記入 きにゅう を求 もと められるような状況 じょうきょう )で、便宜 べんぎ 的 てき に敬称 けいしょう や尊称 そんしょう や謙称 けんしょう を使 つか って、苗字 みょうじ とする場合 ばあい もある。男性 だんせい 敬称 けいしょう のウー(ウ)や女性 じょせい 敬称 けいしょう のドオ(ドー)が用 もち いられ、国連 こくれん 事務 じむ 総長 そうちょう を務 つと めたウ・タントなどがその例 れい である。ビルマ語 ご でのウーは英語 えいご のミスターなどと違 ちが い、自称 じしょう もされる[ 112] 。
なお、姓 せい を持 も たないため、結婚 けっこん しても人名 じんめい が変 か わることはない(姓 せい の存在 そんざい を前提 ぜんてい とする夫婦 ふうふ 別姓 べっせい とは異 こと なる)[ 110] 。
宗教 しゅうきょう は多様 たよう であるが、住民 じゅうみん の大 だい 多数 たすう は仏教徒 ぶっきょうと である。2014年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ によれば国民 こくみん の9割 わり 近 ちか くは仏教 ぶっきょう を信仰 しんこう し[ 113] 、およそ50万 まん の僧 そう 、7万 まん 5000の尼 あま を有 ゆう する[ 114] 。仏教徒 ぶっきょうと の大半 たいはん は上座 かみざ 部 ぶ 仏教 ぶっきょう に帰依 きえ している[ 115] 。
一方 いっぽう 、キリスト教 きりすときょう は国民 こくみん のおよそ6%が信仰 しんこう し[ 116] 、欧米 おうべい からの宣教師 せんきょうし の活動 かつどう のためチン族 ぞく 、カチン族 ぞく 、カレン族 ぞく (カレン二 に ―族 ぞく 含 ふく む)などの少数 しょうすう 民族 みんぞく を中心 ちゅうしん に広 ひろ まった[ 117] 。チン州 しゅう で多数 たすう 派 は を占 し めるほか、カチン州 しゅう 、カヤー(カレン二 に ―)州 しゅう でも3割 わり 以上 いじょう が信仰 しんこう する[ 113] 。うちおよそ3分 ぶん の2がプロテスタントであり[ 118] 、中 なか でもバプテスト派 は が多 おお い。
イスラームは国民 こくみん の4%が信仰 しんこう し、ロヒンギャ などが多 おお いラカイン州 しゅう では人口 じんこう の3分 ぶん の1以上 いじょう がムスリムである[ 113] 。ムスリムへの差別 さべつ はロヒンギャへの民族 みんぞく 浄化 じょうか にとどまらず、民族 みんぞく を問 と わず国民 こくみん としての身分 みぶん 証 しょう を与 あた えられないなどの困難 こんなん に直面 ちょくめん している[ 119] 。
また、ナッ信仰 しんこう などの民俗 みんぞく 宗教 しゅうきょう を実践 じっせん する者 もの もおり、仏教 ぶっきょう などと並行 へいこう して信 しん じられている[ 120] 。
ミャンマーの学生 がくせい
ミャンマーの教育 きょういく は、時代 じだい によって、体制 たいせい の変更 へんこう に大 おお きく影響 えいきょう を受 う けている。2011年 ねん の民政 みんせい 移管 いかん 以降 いこう は、教育 きょういく の分野 ぶんや でも民主 みんしゅ 化 か ・自由 じゆう 化 か が進 すす んでいたが、2021年 ねん クーデターにより先行 さきゆ きは不透明 ふとうめい となった。
2022年 ねん 02月 がつ 28日 にち 時点 じてん で外務省 がいむしょう は、「ミャンマーの犯罪 はんざい 情勢 じょうせい は、ミャンマー治安 ちあん 当局 とうきょく の公開 こうかい 情報 じょうほう によれば近年 きんねん 、各種 かくしゅ 犯罪 はんざい が増加 ぞうか 傾向 けいこう にありましたが、2021年 ねん 2月 がつ のクーデター以降 いこう 、政情 せいじょう 不安 ふあん や経済 けいざい 悪化 あっか 、また国軍 こくぐん と民主 みんしゅ 派 は の衝突 しょうとつ により治安 ちあん 当局 とうきょく が認知 にんち している以上 いじょう の犯罪 はんざい が発生 はっせい している状況 じょうきょう であり、各種 かくしゅ メディアによれば、強盗 ごうとう 、窃盗 せっとう 、傷害 しょうがい 、強制 きょうせい 性交 せいこう といった犯罪 はんざい が多数 たすう 発生 はっせい しているとされています。」としている[ 121] 。
また、ミャンマーは世界 せかい 最大 さいだい のメタンフェタミン 生産 せいさん ・輸出 ゆしゅつ 国 こく であり、アフガニスタンに次 つ ぐ世界 せかい 第 だい 2位 い のアヘンとヘロインの生産 せいさん 国 こく であり、過去 かこ から違法 いほう 薬物 やくぶつ 取引 とりひき における拠点 きょてん の一 ひと つとされている問題 もんだい 点 てん が今 いま も解消 かいしょう されず終 おわり いとなっている。
2021年 ねん 2月 がつ のクーデター後 ご 、新 しん 政権 せいけん はマスメディアならびジャーナリストへの脅迫 きょうはく 、投獄 とうごく に対 たい する制限 せいげん を強化 きょうか している[ 122] [ 123] [ 124] 。
^ a b 国際 こくさい 社会 しゃかい は、軍事 ぐんじ 政権 せいけん の正当 せいとう 性 せい を認 みと めていないが、2021年 ねん のクーデター により軍部 ぐんぶ が政権 せいけん を掌握 しょうあく している。
^ a b 2021年 ねん のクーデター で軍 ぐん により拘束 こうそく され、職務 しょくむ を停止 ていし されている。
^ a b 連邦 れんぽう 議会 ぎかい 代表 だいひょう 委員 いいん 会 かい により国民 こくみん 統一 とういつ 政府 せいふ 内閣 ないかく の代表 だいひょう として任命 にんめい された。同 どう 委員 いいん 会 かい はアウンサンスーチー が党首 とうしゅ を務 つと める国民 こくみん 民主 みんしゅ 連盟 れんめい (NLD)の議員 ぎいん らが2021年 ねん のクーデター に対抗 たいこう して設立 せつりつ した議員 ぎいん グループ。
^ ビルマ文字 もじ の表示法 ひょうじほう に対応 たいおう していない環境 かんきょう が多 おお いため、画像 がぞう で示 しめ す - /pjìdàʊNzṵ t̪àməda̰ mjəmà nàɪNŋœ̀ndɔ̀/ (ピーダウンズー・タマダー・ミャマー・ナインガンドー)
^ 【参考 さんこう 】ベンガル湾 わん 南部 なんぶ 、ミャンマー南部 なんぶ 沖 おき には、インド領 りょう のアンダマン・ニコバル諸島 しょとう が位置 いち する。近年 きんねん 、インドは中国 ちゅうごく の海洋 かいよう 進出 しんしゅつ に対 たい し地理 ちり 的 てき にも戦略 せんりゃく 上 じょう も重要 じゅうよう 拠点 きょてん として同 どう 諸島 しょとう を整備 せいび しており、その重要 じゅうよう 性 せい が高 たか まっている[ 20] 。
^ I will be an ordinary citizen, a lay person, and my colleagues will too because it will be a civilian government.[ 56]
^ 2010年 ねん 11月には複数 ふくすう 政党 せいとう 制 せい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 制度 せいど に基 もと づく総 そう 選挙 せんきょ を20年 ねん ぶりに実施 じっし した結果 けっか 、連邦 れんぽう 連帯 れんたい 開発 かいはつ 党 とう (USDP) が連邦 れんぽう 及 およ び地方 ちほう 議会 ぎかい の双方 そうほう で8割 わり 近 ちか くの議席 ぎせき を獲得 かくとく して圧勝 あっしょう した[ 68] 。
^ メルグイとも
^ 日本語 にほんご 表記 ひょうき は、株式会社 かぶしきがいしゃ ワールドトラベルのウェブサイトなどを参照 さんしょう [ 89] 。
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