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自由市場 - Wikipedia

自由じゆう市場いちば

市場いちばのひとつ

自由じゆう市場いちば(じゆうしじょう、えい: free market)はすべての取引とりひき政府せいふ権力けんりょくによる強制きょうせいおこなわれるのではなく、のぞむものが自発じはつてき取引とりひきおこな市場いちば意味いみする。経済けいざいがく概念がいねんとしては、計画けいかく経済けいざい対極たいきょく位置いちする。自由じゆう市場いちばという言葉ことば経済けいざい全体ぜんたいすだけでなく、よりちいさな個々ここ市場いちば場合ばあいもある。自由じゆう市場いちば思想しそう根本こんぽんには、個々ここ人間にんげん利益りえき追求ついきゅう目的もくてきとする自由じゆう行動こうどう金銭きんせんてきかつ社会しゃかい福祉ふくしてき利益りえきてんからして最大さいだい結果けっかむというかんがえがある。

自由じゆう市場いちば経済けいざいでは介入かいにゅうおこなわれる場合ばあい強制きょうせいはい自発じはつてき取引とりひきたすけること目的もくてきとする。自由じゆう市場いちば経済けいざいでは、政府せいふ課税かぜいおこなうが、税収ぜいしゅうはこのような自発じはつてき市場いちば円滑えんかつてき活動かつどう推進すいしんするためのみにもちいられる。欧米おうべいでは自由じゆう市場いちば形態けいたいをしばしばレッセフェールというフランス語ふらんすごあらわす。

自由じゆう市場いちばは、一般いっぱんてきには現代げんだいにおける資本しほん主義しゅぎおよび大衆たいしゅう文化ぶんか関連かんれんづけられるが、市場いちばといったかたち社会しゃかい主義しゅぎしゃ提唱ていしょうしており、市場いちば社会しゃかい主義しゅぎといったバリエーションも提案ていあんされている[1]

概要がいよう

編集へんしゅう

政府せいふ権力けんりょくによる支配しはいではなく、民衆みんしゅう個々ここ自由じゆう経済けいざい活動かつどうによる市場いちば需要じゅよう供給きょうきゅう自然しぜん発生はっせいてき調整ちょうせい機構きこうによって、くにおよび民衆みんしゅうにとってもっとも効率こうりつのよい生産せいさん関係かんけいし、ゆえに最大さいだい金銭きんせんてき社会しゃかいてき政治せいじてき利益りえきをもたらすとの思想しそう基本きほんてき自由じゆう市場いちば前提ぜんていである。

最大さいだい経済けいざいてき自由じゆう最大さいだい利益りえきをもたらすことから、政府せいふによる市場いちばへの介入かいにゅう自由じゆう市場いちば阻害そがいするとかんがえられる。そのため、おおくの規制きせいがかけられた市場いちば経済けいざい自由じゆう市場いちば経済けいざいなすことはできない。どの程度ていど強制きょうせいりょくまでを自由じゆう市場いちば経済けいざいとしてみとめることができるかは、論争ろんそうてきである。

社会しゃかい哲学てつがく視点してんからると、自由じゆう市場いちば社会しゃかいのあるしゅざい配分はいぶん機構きこうである。需要じゅよう供給きょうきゅうという市場いちばない現象げんしょうによって、品物しなもの価格かかくおよび生産せいさんりょう決定けっていされるのであり、この過程かてい社会しゃかいにおけるざい資本しほん配分はいぶん自然しぜん発生はっせいてきになされてゆく。自由じゆう市場いちば優位ゆういせいろんじるうえでもっともおおきな根拠こんきょとなっているのは、この仕組しくみにおける効率こうりつせいである。この需要じゅよう供給きょうきゅう結果けっかとしてしょうじる調整ちょうせい機構きこう一般いっぱん市場いちば原理げんりぶ。 しかしながらこの市場いちば原理げんりのみにしたがった自由じゆう市場いちばでは独占どくせん寡占かせんといった経済けいざいてき効率こうりつ弊害へいがい市場いちば失敗しっぱいぶ)がこりうるため、それをふせ目的もくてき政府せいふなどの市場いちば監督かんとくすべき機関きかん市場いちば介入かいにゅうすることが先進せんしん諸国しょこくでは一般いっぱんてきとなりつつある。このような市場いちばのことを自由じゆう市場いちば経済けいざい計画けいかく経済けいざい混合こんごうとの意味いみで、混合こんごう経済けいざいぶ。

ソビエト連邦れんぽう勃興ぼっこうして以来いらい自由じゆう市場いちば機構きこう中央ちゅうおう指令しれいがた経済けいざい中央ちゅうおう計画けいかく経済けいざい対比たいひされることがおおいが、そもそも自由じゆう市場いちばが18世紀せいき理論りろんてき推奨すいしょうされはじめた当初とうしょは、中世ちゅうせいがた経済けいざい初期しょき近代きんだい経済けいざいとの対比たいひ優位ゆういせいろんじられていた。

自由じゆう市場いちば経済けいざいは、近代きんだい以前いぜん経済けいざいシステムとはことなるとなされている。近代きんだい以前いぜん社会しゃかいでは貨幣かへい経済けいざい存在そんざいしていたが、貨幣かへい流通りゅうつうだけでは自由じゆう市場いちば経済けいざいとはなすことができない。市場いちば取引とりひき自由じゆう市場いちば経済けいざい本質ほんしつであるため、個人こじんあいだ贈答ぞうとう市場いちば取引とりひきとはなされず、年貢ねんぐなどに代表だいひょうされるざい強制きょうせい移転いてん市場いちば取引とりひきではない。純粋じゅんすい自営じえい農業のうぎょうなどの、市場いちば取引とりひきともなわない社会しゃかいも、一般いっぱんてき自由じゆう市場いちば経済けいざいとはみない。

現代げんだい自由じゆう市場いちばでは、個人こじん会社かいしゃ単位たんいのいずれにても起業きぎょうがいるのが当然とうぜんとなっている。また典型てんけいてき現代げんだい自由じゆう市場いちばでは株式かぶしき市場いちば金融きんゆうサービスぎょうなどがひろれられているが、自由じゆう市場いちば定義ていぎとしては市場いちばかならずしも必要ひつようとしない。

自由じゆう市場いちば社会しゃかい組織そしき自然しぜん形態けいたいであり、取引とりひきなどの活動かつどう制限せいげんされていなければ、自由じゆう市場いちば自然しぜん発生はっせいすると仮定かていした理論りろんもある。経済けいざい史学しがくではひろく、自由じゆう市場いちば経済けいざい特別とくべつ近代きんだい歴史れきし現象げんしょうであり、中世ちゅうせい後期こうき近代きんだい初期しょきのヨーロッパにて誕生たんじょうしたとれられている。また、自由じゆう市場いちば構成こうせい要素ようそはすでにギリシャ・ローマ古典こてん時代じだい西側にしがわ社会しゃかい以外いがいなかからいだすことができる、とかんがえているものもいる。

19世紀せいきまでには、レッセフェールてき自由じゆう主義しゅぎ伸張しんちょうのもとで、市場いちば政府せいふより自由じゆう市場いちば推進すいしんのための体系たいけいてきなサポートをるようになっていた。個人こじん身体しんたいてき思想しそうてき自由じゆう個人こじんおよび社会しゃかい安定あんてい発展はってんにつながるとする自由じゆう主義しゅぎてき方法ほうほうろん市場いちば適用てきようしたのが自由じゆう市場いちばともいえる。しかし、政府せいふのサポートが自由じゆう市場いちばしたのか、自由じゆう市場いちば成功せいこう政府せいふのサポートをしたのかはあきらかではない。経済けいざい学者がくしゃなかには、自由じゆう主義しゅぎイデオロギーの進展しんてん成功せいこうアントレプレナー特定とくてい利益りえきむすびつき、結果けっかてき自由じゆう市場いちば発展はってんうながしたと主張しゅちょうするものもある。マルクス主義まるくすしゅぎでは、自由じゆう市場いちばてき機構きこうたんなる封建ほうけん制度せいどから資本しほん主義しゅぎへの長期ちょうきてき移行いこう過程かていであるとしている。

自由じゆう市場いちば原理げんり

編集へんしゅう

自由じゆう市場いちばすすめる理論りろんてき背景はいけいには近代きんだいにおける自由じゆう主義しゅぎ発展はってん成功せいこう存在そんざいする。政治せいじてき社会しゃかいてき思想しそうてき自由じゆう拡大かくだいもとめた自由じゆう主義しゅぎ原理げんりが、経済けいざいてき自由じゆう体現たいげんする自由じゆう市場いちば原理げんりにつながる。個人こじんにとっての最大さいだい自由じゆうがその個人こじんふく社会しゃかいのさまざまな意味いみでの最大さいだい利益りえきをもたらすと主張しゅちょうするのが自由じゆう主義しゅぎであり、その理論りろん経済けいざい市場いちば適用てきようしたものが自由じゆう市場いちばである。自由じゆう個々人ここじん経済けいざいてき活動かつどう国家こっか民衆みんしゅう最大さいだい利益りえき効率こうりつせい)をすとする。この仕組しくみはアダム・スミス著書ちょしょにある表現ひょうげんもちいて「かみえざる」としょうされることがおおい。また自由じゆう自治じちという人間にんげん本質ほんしつてき願望がんぼう方向ほうこうせい自由じゆう市場いちば奨励しょうれい理由りゆうとする意見いけんもある。

自由じゆう市場いちばともな問題もんだいとしては、独占どくせん寡占かせん情報じょうほう偏在へんざいによる影響えいきょうなどがある。情報じょうほう市場いちば参加さんかするすべての個人こじんではなく一部いちぶ人間にんげんにのみ提供ていきょうされる場合ばあい情報じょうほうたざるもの適切てきせつ判断はんだん阻害そがいされ結果けっかとして市場いちば全体ぜんたいもその不利益ふりえきこうむることがある。インサイダー取引とりひきどう業者ぎょうしゃによる価格かかく協議きょうぎなどがれいとしてげられる。そのためおおくの自由じゆう市場いちばではこのような問題もんだいふせぐための機構きこう整備せいびされている。たとえば日本にっぽんでは独占どくせん禁止きんしほうなどによって規制きせいされている。

自由じゆう市場いちば根本こんぽんにある、個々人ここじん自由じゆう活動かつどういち単位たんいとする市場いちば調整ちょうせい機構きこう民主みんしゅ主義しゅぎ概念がいねんきわめて類似るいじしたものである。個人こじん自由じゆう活発かっぱつ活動かつどうが、社会しゃかい国家こっかへも最大さいだい利益りえきをもたらすとする方法ほうほうろんは、政治せいじてき社会しゃかいてきとらえると民主みんしゅ主義しゅぎであり、経済けいざいてきるのであれば自由じゆう市場いちばともえる。この意味いみ自由じゆう市場いちばでの経済けいざい活動かつどう貨幣かへい媒介ばいかいとしての選挙せんきょとも表現ひょうげんできる。すなわち個々人ここじん金銭きんせんひょう)を適切てきせつかんがえる物品ぶっぴん政治せいじ)にもちいる(投票とうひょうする)とかんがえられる。この金銭きんせん媒介ばいかいとする選挙せんきょ類似るいじした機構きこうDollar Votingドル投票とうひょう金銭きんせん投票とうひょう)と表現ひょうげんすることがある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Bockman, Johanna (2011). Markets in the name of Socialism: The Left-Wing origins of Neoliberalism. Stanford University Press. ISBN 978-0-8047-7566-3 

関連かんれん項目こうもく

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