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意志の勝利 - Wikipedia

意志いし勝利しょうり

ドイツの映画えいが作品さくひん

意志いし勝利しょうり』(いしのしょうり、ドイツ: Triumph des Willens)は、1934ねんレニ・リーフェンシュタール監督かんとくによって製作せいさくされた記録きろく映画えいが同年どうねんおこなわれた国民こくみん社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとう(ナチとう)のだい6かい全国ぜんこくとう大会たいかい様子ようす記録きろくされている。

意志いし勝利しょうり
Triumph des Willens
映画えいがポスター
監督かんとく レニ・リーフェンシュタール
脚本きゃくほん レニ・リーフェンシュタール
ヴァルター・ルットマン
製作せいさく レニ・リーフェンシュタール
アドルフ・ヒトラー
音楽おんがく ヘルベルト・ヴィント
配給はいきゅう 日本の旗 東和とうわ商事しょうじ
公開こうかい ドイツの旗 1935ねん3がつ28にち
日本の旗 1942ねん3がつ
上映じょうえい時間じかん 114ふん
製作せいさくこく ドイツの旗 ドイツこく
言語げんご ドイツ
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映画えいがのポスター

解説かいせつ

編集へんしゅう

意志いし勝利しょうり』が記録きろくしたのは、古都ことニュルンベルクで1934ねん9がつ4にちから6日間にちかんおこなわれた国家こっか社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとう(NSDAP, ナチとう)のだい6かい全国ぜんこくとう大会たいかいである。製作せいさく使用しようされたカメラは16だい、スタッフは100にん以上いじょう撮影さつえいフィルムは60あいだぶんのぼり、当時とうじとしてはおおがかりなものだった。映像えいぞうモノクローム音声おんせいモノラルトーキー映画えいがであった。

リーフェンシュタール監督かんとくはこの映画えいが監督かんとく党首とうしゅアドルフ・ヒトラー自身じしんから直接ちょくせつ依頼いらいされた。主演しゅえん監督かんとくつとめた映画えいがあおひかり』に感動かんどうしてのことという。

リーフェンシュタールの自伝じでんによると、「宣伝せんでんしょうヨーゼフ・ゲッベルス嫉妬しっといたくなかったし、ヒトラーの提示ていじした『意志いし勝利しょうり』というタイトルが大仰おおぎょう芸術げいじゅつせいのないことに嫌悪けんおかんじたこともあって、最初さいしょことわった」という。しかし結局けっきょくは「ヒトラーの非常ひじょう熱意ねついと、題名だいめい以外いがい自由じゆう製作せいさくさせるという約束やくそくうごかされて監督かんとくけることになった」という。ただし、リーフェンシュタールはこの前年ぜんねんにNSDAPとう大会たいかい映画えいが信念しんねん勝利しょうり』を撮影さつえいしており、自伝じでん内容ないようかならずしも正確せいかくではない。

作品さくひん特徴とくちょう

編集へんしゅう

リーフェンシュタール監督かんとく撮影さつえい編集へんしゅうにあたっていくつもの独創どくそうてき技法ぎほう考案こうあんした。たとえばヒトラーの演説えんぜつのシーンでは半円はんえんがたいたレールのうえいたカメラでヒトラーをい、様々さまざまなアングルからおな被写体ひしゃたいとらえながらもものきさせずに高揚こうようさせることに成功せいこうしている。ほかにも大胆だいたんクローズアップによって群衆ぐんしゅうなか一人ひとりってせ、それによってものもまたその全体ぜんたいなかであるかのような臨場りんじょうかんいだかせたり、ヒトラーの飛行機ひこうきによるニュルンベルク到着とうちゃく冒頭ぼうとうくことによってくもなかから降臨こうりんするかみ絶対ぜったいしゃのイメージを想起そうきさせるなど、様々さまざま手法しゅほうとう大会たいかい高揚こうようかんつたえ、またあらたにつくすことにも成功せいこうしている。

地方ちほうからあつまった突撃とつげきたい(SA)の若者わかものたちがきょうじるスポーツの様子ようすやテントでの共同きょうどう生活せいかつあかるいトーンでえがかれており、の『オリンピア』につながる要素ようそられる。また、整然せいぜんたる行進こうしん隊列たいれつうつくしさの描写びょうしゃは『意志いし勝利しょうり』の特徴とくちょうとなっている。映像えいぞう後半こうはんとうかく組織そしきしょ部隊ぶたいによるヒトラーのまえでの閲兵えっぺい行進こうしんもまた圧巻あっかんである。突撃とつげきたい幕僚ばくりょうちょうヴィクトール・ルッツェ筆頭ひっとうとする突撃とつげきたい行進こうしんからはじまり、ラストは、親衛隊しんえいたい全国ぜんこく指導しどうしゃハインリヒ・ヒムラーひきいる親衛隊しんえいたい(SS)の行進こうしんとなり、さらにバーデンヴァイラー行進曲こうしんきょくともに「SS・アドルフ・ヒトラー身辺しんぺん護衛ごえい連隊れんたい(LSSAH)」の力強ちからづよ行進こうしん映像えいぞう最後さいご記録きろくされている。

撮影さつえい

編集へんしゅう
 
意志いし勝利しょうり撮影さつえいちゅうのリーフェンシュタール。そのひだりはヒムラー。1934ねん9がつ

リーフェンシュタールはわか女性じょせいであり、NSDAP党員とういんでもなかったため、宣伝せんでんしょうゲッベルスなどのとう幹部かんぶからこころよおもわれていなかった。また、ながいナイフのよる事件じけん突撃とつげきたい幕僚ばくりょうちょうエルンスト・レーム幹部かんぶ粛清しゅくせいされた突撃とつげき隊員たいいんとうたいする不満ふまんっていた。そのため、カメラマンをばしたり、脚立きゃたつをひっくりかえすなどのいたずらが頻発ひんぱつしたという。

また、編集へんしゅうさいしては映画えいがうつっていない幹部かんぶからクレームがついた。リーフェンシュタールがことわると、ヒトラーが幹部かんぶたち写真しゃしん挿入そうにゅうするよう要請ようせいした。しかしリーフェンシュタールは拒否きょひしたためにヒトラーが激怒げきどすることもあったという。結果けっかヒトラーはれ、リーフェンシュタールの編集へんしゅうのまま作品さくひん完成かんせいした。

作品さくひん評価ひょうか

編集へんしゅう

意志いし勝利しょうり』は完成かんせいドイツ各地かくち記録きろくてき動員どういん達成たっせいし、NSDAPの党勢とうせい拡大かくだい印象いんしょうづけた。しかしこれは料金りょうきん割引わりびき学校がっこう職場しょくばにおけるはん強制きょうせいてき動員どういんがあってのことであり、上映じょうえい期間きかんはたったの3日間にちかんであったうえに、50%の割引わりびきけられた親衛隊しんえいたいいん突撃とつげき隊員たいいんですらほとんどこの映画えいが鑑賞かんしょうしなかったという報告ほうこくがある[1]一方いっぽうでその整然せいぜんたる映像えいぞう海外かいがいでもたか評価ひょうかされ、1935ねんヴェネツィア・ビエンナーレではきんメダル、1937ねんパリ万博ばんぱくでグランプリを獲得かくとくしている。

しかしだい世界せかい大戦たいせんおくらその評価ひょうか一転いってんし、リーフェンシュタール監督かんとくプロパガンダによるナチズムへの協力きょうりょくしゃとして訴追そついされることになった。この容疑ようぎなが審判しんぱんのち否認ひにんされリーフェンシュタールは無罪むざいとなったがその非難ひなんつづき、それにたい彼女かのじょ名誉めいよ毀損きそん訴訟そしょうを100けん以上いじょうこしている。

意志いし勝利しょうり』は、社会しゃかいへの影響えいきょうてんでも表象ひょうしょう文化ぶんかろんへのそれにおいても、映画えいがにのこる問題もんだいさくとの評価ひょうかがある。とくにナチズムへの加担かたんについて、リーフェンシュタール自身じしんは「わたし政治せいじにはまった興味きょうみはなかった。興味きょうみがあったのはだけ」とべている。

上映じょうえい・パッケージ

編集へんしゅう

現在げんざいドイツでは法律ほうりつで『意志いし勝利しょうり』の一般いっぱん上映じょうえいきんじられている。授業じゅぎょうなどで青少年せいしょうねんせる必要ひつようがある場合ばあいには、事前じぜん入念にゅうねん説明せつめい警告けいこくおこな必要ひつようがある。

アメリカでは、英語えいご字幕じまくきのDVDやビデオが発売はつばいされている(タイトル:意志いし勝利しょうり/Triumph of the Will)。このDVDはリージョンフリーで、日本にっぽん国内こくないのプレイヤーで再生さいせいできる。オリジナルばんには字幕じまくやナレーションはまったい。しかし、ドイツ音声おんせいのほとんどはヒトラーやとう幹部かんぶ演説えんぜつであるため、字幕じまくとうがなくてもドイツかいしないもの鑑賞かんしょうにもえる。

日本にっぽんでは、1942ねん3がつはつ公開こうかい。それから67ねんた2009ねん8がつ東京とうきょうでリバイバル上映じょうえいおこなわれた。11月にはパブリックドメインDVDムック『ヒトラー伝説でんせつ』(2009ねん、コスミック出版しゅっぱん)に付属ふぞくするかたちでリリースされ、よく2010ねん1がつには音声おんせい解説かいせつなどのついたデジタル・リマスターばんDVDが発売はつばいされた。なお、戦後せんご公開こうかいされたはんには、ナチス・ドイツのこした惨劇さんげきについての注釈ちゅうしゃくがなされている。また、現在げんざいのところ日本語にほんごばん存在そんざいしない。

作品さくひん内容ないよう

編集へんしゅう

この映画えいがには、開会かいかいしきから閉会へいかいしきまで、昼夜ちゅうやのシーンが交互こうごに3かいあらわれるので、3日間にちかん出来事できごとえがいたようにえる。すなわち、大会たいかい前日ぜんじつ(ヒトラーが到着とうちゃくした夕方ゆうがた - ホテルまえ夜間やかん集会しゅうかい)をべつとして、だい1にち開会かいかいしき - 国家こっか労働ろうどう奉仕ほうしだん点呼てんこ - 突撃とつげきたい夜間やかん集会しゅうかい)、だい2にち(ヒトラーユーゲントの点呼てんこ - 国防こくぼうぐん演習えんしゅう視察しさつ - 政治せいじ指導しどうしゃ点呼てんこ)、だい3にち突撃とつげきたい親衛隊しんえいたい点呼てんこ - 中央ちゅうおう広場ひろば/アドルフ・ヒトラー広場ひろばでの分列ぶんれつしき - 閉会へいかいしき)の3日間にちかんである。しかし、実際じっさいだい6かいとう大会たいかいは、1934ねん9がつ5にちから10日とおかまでの6日間にちかんにわたって開催かいさいされた[2]映画えいがは、実際じっさい時間じかん順序じゅんじょ無視むしして編集へんしゅうされ、3日間にちかん出来事できごとのようにさい構成こうせいされている[3]

大会たいかい前日ぜんじつ

編集へんしゅう
  • ワーグナーふう音楽おんがくながれるなか、しばらく空白くうはく画面がめんつづいたのちに、タイトルがあらわれる。
„Triumph des Willens - Das Dokument vom Reichsparteitag 1934 - Hergestellt im Auftrage des Führers - Gestaltet von Leni Riefenstahl“意志いし勝利しょうり - 1934ねんとう大会たいかい記録きろく - 総統そうとう依頼いらいにより製作せいさくされた - 製作せいさくレニ・リーフェンシュタール)
  • つづいて字幕じまくあらわれる。
„Am 5.September 1934 - 20 Jahre nach dem Ausbruch des Weltkrieges - 16 Jahre nach dem Anfang deutschen Leidens - 19 Monate nach dem Beginn der deutschen Wiedergeburt - flog Adolf Hitelr wiederum nach Nürnberg um Heerschau abzuhalten über seine Getreuen.“ (1934ねん9がつ5にち - 世界せかい戦争せんそう勃発ぼっぱつしてから20ねん - ドイツの受難じゅなんはじまってから16ねん - ドイツの再生さいせいはじまってから19かげつ[ちゅう 1] - アドルフ・ヒトラーは、かれ忠実ちゅうじつ従者じゅうしゃたちを観閲かんえつするために、ふたたびニュルンベルクにけて飛行ひこうした)
  • ヒトラーらが搭乗とうじょうした飛行機ひこうきJu 52) がニュルンベルクのカイザーブルクじょう上空じょうくう通過つうかする。
  • 眼下がんか市内しない街路がいろを、大会たいかい参加さんかしゃたちが隊列たいれつんで行進こうしんしている。そのうえ飛行機ひこうきかげがよぎる。きょくはナチスのとう Die Fahne hochはたたかかかげよ)。
 
きゅう市街しがい上空じょうくうぶJu52

大会たいかいだい1にち

編集へんしゅう
  • ワーグナーふう音楽おんがくをバックに、たかまどから俯瞰ふかんした早朝そうちょうのニュルンベルクきゅう市街しがい家並いえなみ。
  • ペグニッツがわかぶ船上せんじょうからきゅう救済きゅうさいいんドイツばん近景きんけいから、あおせいゼーバルト教会きょうかいドイツばん尖塔せんとう
  • 宿営しゅくえいラングヴァッサードイツばん上空じょうくうからた、整然せいぜんなら無数むすう野営やえいテント。
  • 大会たいかい参加さんかしゃ青年せいねんたちが、洗顔せんがんひげりなどの身支度みじたくをする。たきぎ荷車にぐるま山積やまづみにしてはこれ、おおがかりな調理ちょうり器具きぐ食事しょくじ用意よういをする。きょくHeraus zum Kampfたたかいによ)、Musketierlied (マスケットのうた) など。
  • ソーセージやスープなどを、はんごうにけて、そろって食事しょくじをする。騎馬きばせんやトランポリンにきょうじたり、きものをしたりして時間じかんごす。きょくJa, Bei Uns Geht Alles Wie Genudeltわれらといればみんな満腹まんぷく)、Als die goldene Abendsonne黄金おうごんしょく夕陽ゆうひが)。
  • 民族みんぞく衣装いしょう地元じもと農民のうみんたちのパレード。伝統でんとうてき収穫しゅうかくまつり。きょくDrunten im Unterland 「わが故郷こきょうよ」、Bayerischer Defiliermarsch 「バイエルン分列ぶんれつ行進曲こうしんきょく」、Rosestock, Holderblüt など。
  • 農民のうみんたちの代表だいひょう男女だんじょすうめいが、農産物のうさんぶつたずさえてヒトラーと面会めんかいする。きょくWas ist des Deutschen Vaterland? (ドイツの祖国そこくとはなにか)。
  • ドイツ労働ろうどう戦線せんせん (DAF) の隊員たいいん整列せいれつし、その全国ぜんこく指導しどうしゃであるロベルト・ライともなって、ヒトラーが観閲かんえつする。きょくDurch deutsches Land marschieren wirわれらはドイツちゅう行進こうしんする)。
  • ヒトラーらとう幹部かんぶくるまり、とう大会たいかい会場かいじょうかう。

ルイトポルトホールでの開会かいかいしき

編集へんしゅう
だい6かいとう大会たいかい開会かいかいするにあたり、畏敬いけいねんめて、永遠えいえんねむりにかれた陸軍りくぐん元帥げんすいであり大統領だいとうりょうであったフォン・ヒンデンブルク追悼ついとうします。陸軍りくぐん元帥げんすいは、大戦たいせんそうにおける最高さいこう戦士せんしでした。同時どうじに、戦死せんしした仲間なかまたちにもおもいをせましょう。
来賓らいひんせきのほうをいて) 外国がいこく高官こうかん[ちゅう 6]方々かたがた歓迎かんげいいたします。会議かいぎ参加さんかいただいたことに、とう敬意けいいあらわします。しんからの友情ゆうじょうめて、"運動うんどう" [ちゅう 7] は、とくに目下もっか総統そうとう指揮しきにある国防こくぼうぐん代表だいひょうしゃ諸氏しょし歓迎かんげいします。(ヒトラーのほうをいて) 総統そうとうかく、あなたのまわりに国家こっか社会しゃかい主義しゅぎはたシュタンダルテドイツばんがあります。それらのぬの将来しょうらいぼろぼろになったとき、人々ひとびとはじめて完全かんぜん理解りかいできるでしょう。過去かこかえって我々われわれ時代じだい偉大いだいさをり、われらの総統そうとうであるあなたがドイツにとってどういう意味いみがあったのかを理解りかいするようになるでしょう。
あなたがドイツなのです。あなたが行動こうどうするとき、くに行動こうどうします。あなたが判断はんだんするとき、国民こくみん判断はんだんします。我々われわれ感謝かんしゃのしるしに、こうちかいましょう。わるもあなたをささえますと。たとえなにこっても、あなたのご指導しどうのおかげでドイツは目標もくひょう達成たっせいするでしょう。故郷こきょうであろうという目標もくひょう……世界中せかいじゅうのすべてのドイツじん故郷こきょうであろうという目標もくひょうです。あなたは我々われわれ勝利しょうり保証人ほしょうにんでした。あなたは我々われわれ平和へいわ保証人ほしょうにんです。アドルフ・ヒトラー、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル

くだだんしたヘスはヒトラーとかた握手あくしゅわす。

  • とう政府せいふ要人ようじん交替こうたい登壇とうだんし、みじかいスピーチをする。肩書かたがき撮影さつえい当時とうじ
アドルフ・ワーグナー(ミュンヘン=オーバーバイエルンだい管区かんく指導しどうしゃ
(ヒトラーの声明せいめい代読だいどくするかたちで)革命かくめいながつづくためには、完全かんぜん政府せいふ状態じょうたい達成たっせいしなくてはならない。世界せかい戦争せんそう状態じょうたいのまま存続そんぞくすることがないように、国民こくみん革命かくめいによってきることはない。このいちせん年間ねんかん支配しはいつづける偉大いだいなものが、じゅう年間ねんかんつくられたことはない。もっとおおきなは、もっとなが時間じかんをかけて成長せいちょうしたでもある。おおくの年月としつきえるつよさをるには、それだけなが時間じかんようする。
アルフレート・ローゼンベルクとう対外たいがい政策せいさく全国ぜんこく指導しどうしゃ
我々われわれるぎない確信かくしんいだき、またそうなることをのぞんでいるのは、熱狂ねっきょうてき前進ぜんしんつづけている現代げんだい特別とくべつ若者わかものたちが、いつか運動うんどう継続けいぞくするために必要ひつようとされるだろうということである。それは1918ねん以来いらいミュンヘンでつづ変革へんかく[ちゅう 8]激動げきどう年月としつきなか創始そうしされ、すでにすべてのドイツじんしんつかみ、今日きょうその歴史れきしてき重要じゅうようせいがドイツ全土ぜんど顕著けんちょになっている運動うんどうである。
オットー・ディートリヒとう新聞しんぶん全国ぜんこく指導しどうしゃ
新聞しんぶんは、真実しんじつもとづくかどうかでその価値かちまる。我々われわれ新聞しんぶんもとめるものは、外国がいこく新聞しんぶんでも同様どうようだが、ドイツについての真実しんじつつたえてしいということだけである。
フリッツ・トート土木どぼく部門ぶもん全国ぜんこく指導しどうしゃ
アウトバーン建設けんせつは、全国ぜんこく51かしょはじまっている。まだはじまったばかりだが、すでに5まん2せんにん道路どうろ建設けんせつ工事こうじ従事じゅうじしている。さらに建設けんせつ現場げんばには10まんにん雇用こようされ、資材しざい供給きょうきゅうはし建設けんせつ従事じゅうじしている。
フリッツ・ラインハルトドイツばん財務省ざいむしょう次官じかん
どこをても、建設けんせつ進行しんこうしている。改築かいちくおこなわれ、あたらしい重要じゅうよう建築けんちくぶつつくられている。そして、どこをても、昨年さくねん以来いらい産業さんぎょう活動かつどう進行しんこうしている。その活動かつどう将来しょうらいつづけられるだろう。
リヒャルト・ヴァルター・ダレ農業のうぎょう政策せいさく全国ぜんこく指導しどうしゃ食糧しょくりょう大臣だいじん
我々われわれ産業さんぎょうさかえ、内需ないじゅ輸出ゆしゅつ産業さんぎょうさかんにするためには、農業のうぎょう従事じゅうじしゃ保護ほごつづけることがもっと重要じゅうよう条件じょうけんである。
ユリウス・シュトライヒャー(フランケンだい管区かんく指導しどうしゃ新聞しんぶんシュテュルマー発行はっこうじん
民族みんぞく純潔じゅんけつせい重視じゅうししない国家こっかほろびるだろう。
ロベルト・ライ(ドイツ労働ろうどう戦線せんせん全国ぜんこく指導しどうしゃ
我々われわれひとつのかんがえだけを念頭ねんとういて活動かつどうしなくてはならない。すなわちドイツじん労働ろうどうしゃを、労働ろうどうしゃおな権利けんり享受きょうじゅする、立派りっぱな、ほこたか市民しみんそだてることである。
ハンス・フランク(バイエルン法務大臣ほうむだいじん
ドイツの司法しほう責任せきにんしゃとして、これだけはえる。国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ法体ほうたいけいは、国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ基礎きそである。我々われわれにとって最高さいこう指導しどうしゃは、最高さいこう裁判官さいばんかんでもある。周知しゅうちのように、正義せいぎ原則げんそくわれらの総統そうとうささげられているのだから、このことは保証ほしょうしよう同胞どうほう諸君しょくん、この治安ちあんい、自由じゆうな、ほう支配しはいする国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせいにおいては、諸君しょくんいのち身分みぶんまもられていると。
ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝せんでん全国ぜんこく指導しどうしゃ啓蒙けいもう宣伝せんでん大臣だいじん・ベルリンだい管区かんく指導しどうしゃ
われらの熱狂ねっきょうあかるいほのおが、えないことをねがう。このほのおだけが、現代げんだい政治せいじのプロパガンダという創造そうぞうてき芸術げいじゅつに、ひかりねつをもたらしている。この芸術げいじゅつは、国家こっか奥底おくそこからこってきた。その根源こんげんさぐり、活力かつりょくるためには、ふたた奥底おくそこもどらなくてはならない。武力ぶりょく権力けんりょくるのもいだろう。しかし国家こっか核心かくしんつかんではなさないほうが、よりすぐれていて、よろこばしい方法ほうほうなのだ。
コンスタンティン・ヒールル国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ国家こっか労働ろうどう奉仕ほうしだん全国ぜんこく指導しどうしゃ
ドイツ国民こくみんは、どんな労働ろうどう奉仕ほうしたいしてもそなえができている。総統そうとうのご命令めいれいを、おちしている。

ツェッペリン広場ひろばでの国家こっか労働ろうどう奉仕ほうしだん点呼てんこ

編集へんしゅう
  • シャベルをにした国家こっか労働ろうどう奉仕ほうしだん (RAD) のだい集団しゅうだんが、ツェッペリン広場ひろばドイツばん[ちゅう 9]整列せいれつしている。コンスタンティン・ヒールルの紹介しょうかいけて、ヒトラーが演壇えんだんつ。
  • 隊列たいれつんだすうにん団員だんいんたちが、地面じめんてたシャベルのうえんでこえをそろえる。「われらはここにいます」「われらにはドイツをしん時代じだいみちび準備じゅんびができています」「ドイチュラント(Deutschland)」。
  • 一人ひとりわか団員だんいん周囲しゅうい仲間なかまに「どこからたか?」とたずねると、次々つぎつぎこたえがかえってくる。フリースラントから、バイエルンから、以下いかカイザーシュトゥールドイツばんポンメルンケーニヒスベルクシュレージエン北海ほっかい沿岸えんがんシュヴァルツヴァルトドレスデンドナウラインつづく。最後さいごに「ザールから」というこえかえってくる。
  • 団員だんいんたちがナチスのスローガン「ひとつの民族みんぞく一人ひとり総統そうとうひとつの国家こっか (ein Volk, ein Führer, ein Reich)」をとなえる。「ドイチュラント(Deutschland)」のかけごえ同時どうじ画面がめんがヒトラーにわる。
  • つづけて団員だんいんたちが唱和しょうわする。「今日きょうわれらはともはたらく」「沼地ぬまちで」「岩場いわばで」「砂地すなじで」「きた堤防ていぼうで」「われらはえる」「れたもりに」「われらはみちつくる」「むらからむらまちからまちへ」「われらはあたらしい農地のうちたがやす」「はやし農地のうちもパンも」「ドイツのために」。
  • 団員だんいんたちが、Wir sind die Männer vom Bauernstandわれらは農村のうそんそだち) を合唱がっしょうする。
  • ふたたいちにん団員だんいんかたる。「われらは、塹壕ざんごうなかったことはない。手榴弾しゅりゅうだんなかにもったことはない。それでもわれらは兵士へいしである。われらはハンマーと、おのと、シャベルと、くわすきにした国家こっか青年せいねんへいだ。」
  • だいいち世界せかい大戦たいせん戦場せんじょうになった地名ちめい列挙れっきょされる。音楽おんがくIch hatt' ein Kameradenわたし一人ひとり戦友せんゆうがいた)。同時どうじ旗手きしゅった国旗こっきハーケンクロイツはた)がゆっくりとせられていく。「かつてランゲマルク英語えいごばんで」「タンネンベルクで」「リエージュで」「ヴェルダンで」「ゾンムで」「デューナで」「フランデルンで」「西部せいぶで」「東部とうぶで」「南部なんぶで」「りくで、うみで、そしてくもなかで」「赤色あかいろ戦線せんせん反動はんどう勢力せいりょく[ちゅう 10]たれた同志どうしたちよ」。ここで太鼓たいこり、せられたはたいきおいよくかかげられる。「きみたちはんでいない」「きみたちはドイツできている」。
  • つづけてヒトラーが演説えんぜつする[ちゅう 5]
国家こっか労働ろうどう奉仕ほうしだん諸君しょくん諸君しょくんが、このようなかたち点呼てんこ整列せいれつするのは、わたしまえで、したがってぜんドイツ国民こくみんまえで、はじめてのことである。諸君しょくんは、ひとつの偉大いだい理想りそう体現たいげんしている。我々われわれっている。われらのなんひゃくまんという同胞どうほう[ちゅう 11]にとって、労働ろうどう概念がいねんはもはや様々さまざまではなく、すべてのひと共通きょうつうなものにむすばれたことを。そのうえさらにドイツにおいては、力仕事ちからしごとなんらかの仕事しごとよりもおとっているとなすものは、もはやだれもいないだろうということを。
ぜん国民こくみん諸君しょくん手本てほんにするだろう。そのときる。ドイツじん国民こくみん共同きょうどうたい参加さんかするためには、まず諸君しょくん団体だんたい参加さんかしなくてはならないとき[ちゅう 12]
諸君しょくんかっているだろう。この瞬間しゅんかん諸君しょくんているのは、ニュルンベルクのすうじゅうまんにんではない。この瞬間しゅんかん、ドイツがはじめて諸君しょくんているのである。わたしにはかっている。諸君しょくんほこるべき忠誠ちゅうせいしんでドイツに義務ぎむたすので、今日きょうドイツはほこらしいよろこびで息子むすこたちの行進こうしんていることを。
  • Heiliges Feuer神聖しんせい) の歌声うたごえわせて、シャベルをかついだ団員だんいんたちが行進こうしんする。

ラングヴァッサーでの突撃とつげきたい夜間やかん集会しゅうかい

編集へんしゅう
  • 突撃とつげきたい隊員たいいんたちが、よるのラングヴァッサーにつどっている。Volk ans Gewehr民族みんぞく武器ぶき」の歌声うたごえをバックに、突撃とつげき隊員たいいんたちの姿すがたが、った照明しょうめいとうらされて、暗闇くらやみなかかぶ。
  • 幕僚ばくりょうちょうヴィクトール・ルッツェ演壇えんだんつ。ルッツェは、自分じぶん突撃とつげきたい創設そうせつ当初とうしょ隊員たいいんであり、現在げんざいまでわらず隊員たいいんであること、総統そうとう忠誠ちゅうせいくし、総統そうとうのためにたたかうことを心掛こころがけるのみである、という演説えんぜつをする。
  • くだだんしたルッツェのもとに隊員たいいんたちがり、人波ひとなみされてルッツェがまえすすめなくなる。隊員たいいんなかから „Wir wollen unseren Stabchef sehen“われらの幕僚ばくりょうちょういたい)というこえがわきこる。
  • 場内じょうないには篝火かがりびかれ、花火はなびげられる。その花火はなびを、地面じめんそべり、からだった隊員たいいんたちが、歓喜かんき表情ひょうじょう見上みあげる。きょくPepitamarsch (ペピータ行進曲こうしんきょく)。

大会たいかいだい2にち

編集へんしゅう

市営しえいスタジアムでのヒトラーユーゲントの点呼てんこ

編集へんしゅう
 
ヒトラーユーゲントの点呼てんこ撮影さつえい風景ふうけい
総統そうとうかく隊員たいいん諸君しょくん我々われわれふたたびこのしあわせな時間じかんごしています。我々われわれほこりをあたえ、よろこびをあたえてくれる時間じかんです。あなたのご命令めいれいによって、青少年せいしょうねんたちがここにつどっています。階級かいきゅう身分みぶんらない青少年せいしょうねんたちです。われらの民族みんぞくわか世代せだいは、あなたを規範きはんにしています。あなたは、このくにもっと私心ししんのないかたなので、この青少年せいしょうねんたちも私心ししんのない人間にんげんそだつでしょう。あなたは我々われわれ誠実せいじつさを体現たいげんしてくださるので、我々われわれ誠実せいじつでありたいのです。アドルフ・ヒトラー、ドイツの青少年せいしょうねん指導しどうしゃがおはなしになります。
わがドイツの青少年せいしょうねん諸君しょくん、1ねんぶりでわたしはここで、諸君しょくんふたた挨拶あいさつができる。今日きょう、このスタジアムにいるきみたちは、ほんの一部いちぶにすぎない。ここのそとのドイツ全土ぜんどにいる若者わかものたちの一部いちぶである。我々われわれのぞんでいるのは、きみたちドイツの少年しょうねんたち、ドイツの少女しょうじょたち[ちゅう 15]が、我々われわれ将来しょうらいのドイツに期待きたいすることのすべてを、自分じぶんなかめてくれることだ。我々われわれには、国民こくみん理想りそうぞうがある。だからきみたち青少年せいしょうねん諸君しょくんは、そのような国民こくみんにならなくてはならない。我々われわれ将来しょうらいにおいては、もはや階級かいきゅう身分みぶん制度せいどみとめない。だから諸君しょくん自分じぶんたちのなかにそれらをそだててはならない。我々われわれには将来しょうらい国家こっか理想りそうぞうがある。だから諸君しょくんかならず、それにわせてみずからをそだてなくてはならない。我々われわれ将来しょうらい国民こくみん従順じゅうじゅんであるようにのぞむ。だから諸君しょくんみずからを従順じゅうじゅんであるように訓練くんれんしなくてはならない。
我々われわれ将来しょうらい国民こくみん平和へいわあいし、その一方いっぽう勇敢ゆうかんであるようにのぞむ。だから諸君しょくんは、平和へいわこのまなくてはならないし …… (歓声かんせいのために中断ちゅうだん)…… 平和へいわこのみ、それと同時どうじ勇敢ゆうかんでなくてはならない。我々われわれは、将来しょうらい国民こくみん柔弱にゅうじゃくになることなく頑強がんきょうであることをのぞむ。だから諸君しょくんは、そのために青年せいねん自分じぶんきたえなくてはならない。諸君しょくんまなばねばならない。くじけることなく、不自由ふじゆうさをれることを。
我々われわれ今日きょうなにげ、なにをもたらしても、我々われわれっていく。しかしドイツは、諸君しょくんなかつづけるだろう。そして我々われわれなかに、もはやのこっているものがいなくなったとき、諸君しょくんはたかかげるのだ。かつて我々われわれなかからかかげたはたを。諸君しょくんみずからので、それをかかつづけなくてはならない。
わたしっている。それとはちがうことになるはずがないことを。なぜなら、諸君しょくん肉体にくたい我々われわれ肉体にくたいからまれ、諸君しょくん我々われわれからつくられたからだ。そして、諸君しょくんわか頭脳ずのうには、我々われわれ支配しはいしている精神せいしんおな精神せいしん宿やどっているからである。諸君しょくん我々われわれ団結だんけつする以外いがいにありようがない。わたしっている。我々われわれ運動うんどう長大ちょうだい隊列たいれつが、今日きょうドイツちゅう勝利しょうり行進こうしんをするとき、諸君しょくんもその隊列たいれつ合流ごうりゅうすることを。そして我々われわれっている。我々われわれまえにドイツがあり、我々われわれなかをドイツが行進こうしんし、そして我々われわれ背後はいごからドイツがやってくる[ちゅう 16]ことを。
  • 演説えんぜつえたヒトラーがくるまって退場たいじょうする。観衆かんしゅう歓声かんせいをあげ敬礼けいれいをしながらヒトラーを見送みおくる。Unsere Fahne flattert uns voranわれらのはた先頭せんとうではためく) の歌声うたごえをバックに、場内じょうない観衆かんしゅうをとらえたカメラがくるまってスタジアムを走行そうこうする。

メルツ広場ひろばでの国防こくぼうぐん演習えんしゅう

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ツェッペリン広場ひろばでの各地かくち政治せいじ指導しどうしゃ点呼てんこ

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ツェッペリン広場ひろば演説えんぜつするヒトラー。わしをかたどった装飾そうしょく演壇えんだんのちにシュペーアが設計せっけいしただい祭壇さいだんわる。
  • ドイツ各地かくち政治せいじ指導しどうしゃたちが隊列たいれつんで、とうはたかかげながら、にちれたツェッペリン広場ひろば参集さんしゅうしてくる。きょくKürriasier Marschむねかぶと騎兵きへい行進曲こうしんきょく)。
  • ライトアップされた演壇えんだんでヒトラーが演説えんぜつする[ちゅう 5]
1ねんまえ我々われわれはこので、はじめて出会であった。はじめての国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ政党せいとう政治せいじ指導しどうしゃそう点呼てんこであり、そのときに20まんにん集合しゅうごうした。諸君しょくん気持きもちがおもむくままにあつまったのではなく、忠誠ちゅうせいしんにうながされるままにせられたのでもない。諸君しょくんせたのは、われらが民族みんぞくおおいなる苦難くなんだったのだ。かつて我々われわれりかかり、我々われわれ団結だんけつさせた苦難くなんであり、闘争とうそうあいだわれらをさいなみしていった苦難くなんである。だから、すべてのものかることはない。自分じぶんたちの民族みんぞくおな苦難くなんあじわったものでなければからない。かれらにはなぞであり、神秘しんぴなのだ。いったいなにすうじゅうまんにんあつめ、なに欠乏けつぼうくるしみ、不自由ふじゆうえさせるのか。かれらは、それが国家こっか命令めいれいによるとかんがえ、それ以外いがいおもいつかない。かれらはおもちがいをしている。国家こっか我々われわれ命令めいれいしたのではない。我々われわれ国家こっか命令めいれいしたのである。国家こっか我々われわれうごかしたのではない。我々われわれ国家こっかうごかしたのだ。
いや運動うんどうである。運動うんどうきているのだ。それはたしかな根拠こんきょもとづく運動うんどうである。我々われわれなかのただ一人ひとりでもいきができるかぎり、そのものはこの運動うんどう自分じぶんちからすだろう。そして運動うんどう支持しじするだろう。我々われわれ過去かこすう年間ねんかん、そうしてきたように。そして太鼓たいこのち太鼓たいこる、はたのちはたつづく、さらに集団しゅうだん集団しゅうだん合流ごうりゅうし、だい管区かんくだい管区かんく合併がっぺいし、ついには、かつてかれていた民族みんぞくが、ひとつになった国民こくみん長大ちょうだいれつうしろにつづくであろう。
もしも我々われわれが、たたかたものを、将来しょうらいらしてしまったら、それは冒涜ぼうとくである。なぜなら、多大ただい労働ろうどう不安ふあん犠牲ぎせい苦難くなんともなわなければ、それを獲得かくとくできなかったからだ。ひとは、自分じぶんぜん人生じんせい内容ないよう意味いみ目的もくてきあたえてくれたものを裏切うらぎることはできない。そういうものをからつくすには、つよ命令めいれい根拠こんきょになっていなくてはならない。我々われわれにその命令めいれいくだすのは、この上官じょうかんではない。我々われわれ民族みんぞく創造そうぞうしたかみが、命令めいれいくだすのである。だから今夜こんや我々われわれちかいをてよう。毎時まいじあいだ毎日まいにち、ただドイツのこと、民族みんぞく国家こっかのこと、そしてわれらがドイツ国民こくみんのことだけをおもうというちかいを。われらがドイツ国民こくみんに、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。
  • 集会しゅうかい参加さんかしゃたちが、たいまつをかかげて行進こうしんする。きょくDie Große Zapfenstreichだい帰営きえい」。

大会たいかいだい3にち

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ルイトポルト・アリーナでの突撃とつげきたい親衛隊しんえいたい点呼てんこ

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画面がめん中央ちゅうおう扇形せんけいならんだ(ひだりから)ヒムラー、ヒトラー、ルッツェ。3にん血染ちぞめのはた戦没せんぼつしゃ記念きねんどう拝礼はいれいしている。(戦没せんぼつしゃ記念きねんどう屋上おくじょうから撮影さつえい
  • ルイトポルト・アリーナドイツばん広大こうだい敷地しきちに、突撃とつげきたい親衛隊しんえいたい整列せいれつして、中央ちゅうおうみちつくっている。Die Jugend trauert (ユーゲントが哀悼あいとうする)の荘重そうちょう旋律せんりつながれるなか、ヒトラーが親衛隊しんえいたい全国ぜんこく指導しどうしゃハインリヒ・ヒムラーとルッツェをしたがえてそのみちあゆむ。戦没せんぼつしゃ記念きねんどう(Ehrenhalle)英語えいごばん拝礼はいれいしているあいだ無音むおんで、3にんみちもどときには、音楽おんがくIch hatt' ein Kameradenわたし一人ひとり戦友せんゆうがいた) にわる。
  • ラッパが吹鳴ふきならされ、ユリウス・メレンドルフドイツばんParademarsch Nr.1分列ぶんれつ行進曲こうしんきょくだい1ばん) がはじまると、それまでの厳粛げんしゅく雰囲気ふんいき一変いっぺんして力強ちからづよ行進こうしんのシークエンスとなる。まずシュタンダルテをかかげた集団しゅうだんが、ヒトラーが演壇えんだんをめがけてすすみ、左右さゆうかれて両側りょうがわ階段かいだんのぼる。そのたいとう軍旗ぐんきかかげた隊員たいいん兵士へいしたちの行進こうしんつづく。かれらの長大ちょうだい隊列たいれつへびのようにくねってなんじゅうものえがき、やがてグラウンドの周囲しゅうい無数むすう林立りんりつするはたくす。その光景こうけいを、センターポールにそなけた昇降しょうこうのカメラが、高所こうしょから俯瞰ふかんした映像えいぞうでとらえる。
  • 行進こうしん最後さいごには、行進曲こうしんきょくLeibstandarten-Marsch Adolf Hitler (ライプシュタンダルテ行進曲こうしんきょく・アドルフヒトラー)にわり、親衛隊しんえいたい戦没せんぼつしゃ記念きねんどうまえ階段かいだんりてくる。かれくろふく集団しゅうだんは、左右さゆうかれた突撃とつげきたいあいだってはいり、ヒトラーが演壇えんだん間近まぢか陣取じんど[ちゅう 18]
  • ルッツェが演壇えんだん[ちゅう 19][ちゅう 5]。「(ヒトラーのほうをいて) 総統そうとうかく我々われわれは、これまでの時間じかん、きちんと自分じぶんたちの奉仕ほうし義務ぎむたしてきました。今後こんご同様どうように、あなたのご命令めいれいだけをおちしています。(隊員たいいんのほうをいて) われ同志どうしのことはりません。われらが総統そうとうのご命令めいれい遂行すいこうすること、そして、我々われわれ過去かこから不変ふへんであることをおしめしするのみです。われらが総統そうとうアドルフ・ヒトラーに、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。」
  • ヒトラーが演説えんぜつはじめる[ちゅう 5]
突撃とつげきたいおよび親衛隊しんえいたい諸君しょくん。ほんのすうげつまえ、この運動うんどうにひとつのくらかげしょうじた[ちゅう 20]突撃とつげきたいは、のいかなるとう組織そしき同様どうよう、このかげとはほとんど関係かんけいがない。我々われわれ一致いっち団結だんけつした運動うんどう組織そしき亀裂きれつすらしょうじている、などとしんじるものは、みなおもちがいをしているのだ。我々われわれ運動うんどう盤石ばんじゃくである。ここに一塊ひとかたまりとなっているごとく。我々われわれ運動うんどう頓挫とんざすることはない。突撃とつげきたい精神せいしん冒涜ぼうとくしたものがいたら、そのもの打撃だげきあたえたのは突撃とつげきたいではない。そのもの自身じしんが、みずからにたいしてつみおかしたにすぎない。
そして、狂人きょうじん意図いとてきうそつきだけが、こんなことをおもいつく。わたしか、あるいはだれかが特定とくてい意図いとって、我々われわれ長年ながねんきずいてきたものをみずか解体かいたいした、などということを。それはあやまりだ、わが同志どうし諸君しょくん我々われわれはドイツのためにつよ団結だんけつしている。そしてつよ団結だんけつしなくてはならない。わたし諸君しょくんあたらしいたいはたわたそう。わたし確信かくしんしている。わたしたいはたわた相手あいては、ドイツでもっと忠実ちゅうじつ相手あいてであることを。なぜなら、これまでの時間じかん諸君しょくんわたしせんばい忠誠ちゅうせいしんしめしてくれたのであり、これからの時間じかんも、のありようになることは出来できないし、ならないだろうからである。わたし諸君しょくん敬礼けいれいをしよう。以前いぜんから忠実ちゅうじつ突撃とつげきたい親衛隊しんえいたい隊員たいいん諸君しょくんに、ジークハイル。
  • 21はつ礼砲れいほうがとどろくなか、ヒトラーが演説えんぜつなか言及げんきゅうしたあたらしいたいはたを、自身じしんかいして血染ちぞめのはたドイツばんむすびつけることで「ひじり」するとう大会たいかい恒例こうれいのセレモニー。砲声ほうせいひびき、かすかにとうながれる厳粛げんしゅく雰囲気ふんいきなか、ヒトラーのきびしい表情ひょうじょうと、礼砲れいほう光景こうけい交互こうごうつる。

中央ちゅうおう広場ひろば(アドルフ・ヒトラー広場ひろば)での分列ぶんれつしき

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中央ちゅうおう広場ひろばでの分列ぶんれつしき撮影さつえい風景ふうけい
 
ドイツ航空こうくうスポーツ連盟れんめい行進こうしん画面がめんみぎのカメラのがわにリーフェンシュタール監督かんとくうし姿すがたえる。

ルイトポルトホールでの閉会へいかいしき

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  • ルイトポルトホールの客席きゃくせきに、聴衆ちょうしゅう左右さゆうかれてすわり、中央ちゅうおうみちができている。バーデンヴァイラー行進曲こうしんきょくながれるなか、ヒトラーを先頭せんとうにして、とう幹部かんぶたちがそのみちあるいて入場にゅうじょうしてくる。カメラはたか位置いちから、かれらを見下みおろしている。幹部かんぶたちが舞台ぶたいじょう座席ざせきくと、音楽おんがくNiebelungenmarschニーベルンゲン行進曲こうしんきょく」にわり、血染ちぞめのはた先頭せんとうに、おびただしいかずのシュタンダルテがれつをなして入場にゅうじょうする。
  • 聴衆ちょうしゅうなかには、とうぐん要人ようじんくわえて、ヒャルマル・シャハトフランツ・ゼルテルートヴィヒ・ミュラードイツばんらの姿すがたえる。
  • ヘスの紹介しょうかいけて、ヒトラーが原稿げんこう登壇とうだんする。このとう大会たいかいめくくりの演説えんぜつは、映画えいがなかほか演説えんぜつとはおもむきことなり、ヒトラーははじめて原稿げんこうながら、おおげさな身振みぶ手振てぶりをまじえて熱弁ねつべんをふるう[ちゅう 5]
だい6かいとう大会たいかい終幕しゅうまくむかえようとしている。我々われわれれつからはずれているすうひゃくまんにんのドイツじんは、おそらくは政治せいじてきちから誇示こじする印象いんしょうてき光景こうけいとしか評価ひょうかしないだろうが、すうじゅうまんにん闘士とうしたちにとっては、かぎりなくおおきなものだった。古参こさん闘士とうしと、たたかっている同志どうしたちとの個人こじんてきかつ精神せいしんてき重要じゅうよう出会であいであった。おそらくあなたがたのおおくは、我々われわれとう観閲かんえつしき圧倒的あっとうてき壮大そうだいさにもかかわらず、かなしい気持きもちであの日々ひびおもこすだろう。国家こっか社会しゃかい主義しゅぎしゃであることが、まだからかった日々ひびのことを。
なぜからかったのか。それは我々われわれとうがちょうど7めいであったとき、すでに2つの原則げんそく表明ひょうめいしていたからである。その1、しん世界せかいかんったとうであるべし。その2、ゆえに妥協だきょうすることなく、唯一ゆいいつ勢力せいりょく、ドイツのただひとつの勢力せいりょくであるべし。我々われわれは、少数しょうすうとうまらなくてはならなかった。なぜなら、我々われわれ闘争とうそう犠牲ぎせいというもっと重要じゅうよう構成こうせい分子ぶんしだからである。戦時せんじ体制たいせい国家こっかにおいては、そのような構成こうせい分子ぶんしはいつも多数たすうではなく少数しょうすうになる。そして、ドイツ国家こっか最高さいこう人種じんしゅてき価値かちものたちがみずからをほこりにおもいつつ、大胆だいたんかつ勇敢ゆうかん国家こっか国民こくみん指導しどうけんもとめたので、おおくの民衆みんしゅう仲間なかまくわわり、指揮しきはいったのである。
ドイツ国民こくみんにとって、こういう意識いしきてることは幸運こううんである。すなわち、“現象げんしょうない逃走とうそうなかの、ひとつの安定あんていしたきょくに、いま最終さいしゅうてき交替こうたいした”[ちゅう 27]という意識いしきである。交替こうたいしたのは、このくに最高さいこう血統けっとうになっていると自覚じかくしているものである。そして、国家こっか指導しどうしゃのぼり、その地位ちいまもり、その立場たちば利用りようし、もはやすることはないと決意けついしているものである。ドイツ国民こくみんは、政権せいけん交代こうたいがようやくわりをげ、強力きょうりょく政体せいたい確立かくりつされたことに満足まんぞくしている。最高さいこうおとこがこのくに指導しどうけんにぎった。かれはそれを維持いじし、万民ばんみん最大さいだい福祉ふくしのためにそれを行使こうしし、いちたりともあとへはかない覚悟かくごである。
実際じっさい活動かつどうしている闘士とうしたちは、いつも国民こくみん一部いちぶぎないだろう。そしてかれらには、のこりのなんひゃくまんにん同胞どうほうよりも、さらにおおくのものが要求ようきゅうされるだろう。かれらは「わたししんじる」と告白こくはくするだけでは十分じゅうぶんではない。そのわりにこうちかうべきだ 「わたしたたかう」。このとうは、いつの時代じだいでもドイツ国民こくみん最上さいじょう政治せいじ指導しどうしゃであるだろう。とう原則げんそく不変ふへんであるだろう。その組織そしき鋼鉄こうてつのようにつよいだろう。その戦術せんじゅつ柔軟じゅうなん順応じゅんのうせいがあるだろう。それでいて、その全体ぜんたいぞうひとつの騎士きしだんのようであるだろう。しかし目的もくてきはこうでなくてはならない。すべてのまっとうなドイツじん国家こっか社会しゃかい主義しゅぎしゃになり、最高さいこう国家こっか社会しゃかい主義しゅぎしゃだけが党員とういんになることだ。
かつて我々われわれてきは、こんなことを心配しんぱいしていた。すなわち、時々ときどき禁令きんれい迫害はくがいが、同時どうじにこの運動うんどうから役立やくだたずの連中れんちゅうこそぎ排除はいじょしたのではないかということだ。運動うんどうにそのような連中れんちゅうあらわはじめていたのだ。今日きょう我々われわれみずか吟味ぎんみして、そぎとさなくてはならない。あくであることが証明しょうめいされたものを。そしてそれゆえに ……(歓声かんせいのために中断ちゅうだん)…… そしてそれゆえに、我々われわれ内部ないぶから必要ひつようではないもの排除はいじょしなくてはならない。
我々われわれ願望がんぼうであり、決意けついでもあるのは、このりょうくに国家こっかが、今後こんごいちせん年間ねんかん存続そんぞくしなくてはならないということである。我々われわれ幸福こうふくでいられるのは、つぎのことがかっているからである。すなわち、未来みらいあますところなく、我々われわれのものだということである。年長ねんちょう世代せだいが、いつかよろよろになったときは、若者わかものたちがしん我々われわれささげ、我々われわれのものになるのだ。我々われわれ全面ぜんめんてき協力きょうりょくによって、とうなか国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ思想しそう本質ほんしつ最大限さいだいげん具体ぐたいさせたときに、はじめてとうはドイツ国民こくみん国家こっか永遠えいえん破壊はかいできない支柱しちゅうになるだろう。
そして将来しょうらいは、むかしからの我々われわれ国民こくみんほこ武器ぶきになであるすばらしき栄光えいこう陸軍りくぐんと、それにおとらぬつよ伝統でんとうのあるとう政治せいじ指導しどうしゃならんであゆむだろう。そしてこれらの両方りょうほう組織そしき共同きょうどうでドイツの人々ひとびと教育きょういく強固きょうこにして、かれらの双肩そうけんに、ドイツのりょうくに、ドイツ帝国ていこくになわせるのである。
この時間じかんすうまんにんとう同志どうしたちは、すでにまちった。だが、まだおもひたっているものがいる一方いっぽうで、すでにつぎの点呼てんこけてあらたに準備じゅんびはじめているものがいるだろう。そしてふたたび、人々ひとびとはやってきてはっていくだろう。そしてつねあらたに感動かんどうし、しあわせをかんじ、熱狂ねっきょうするだろう。なぜなら、その理念りねん運動うんどうは、我々われわれ国民こくみん活力かつりょく表現ひょうげんであり、それととも永遠えいえん象徴しょうちょうであるからである。国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ運動うんどうまんさい。ドイツ万歳ばんざい
  • ヒトラーとわってヘスが登壇とうだんし、なにかをおうとするが、会場かいじょう興奮こうふん絶頂ぜっちょうたっするなかみずからも感極かんきわまってこえない。ややあいだをおいてから、こうさけぶ。
とうはヒトラーである。ヒトラーこそドイツである。ドイツがヒトラーであるように。ヒトラーに、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。
  • とう Die Fahne hochはたたかかかげよ) の演奏えんそうはじまり、全員ぜんいん合唱がっしょうする。大写おおうつしになったとうなかに、行進こうしんする党員とういんたちの映像えいぞうかびがる。

著作ちょさくけんについて

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意志いし勝利しょうり』は、日本にっぽんでは1942ねん公開こうかいされた。公開こうかい当時とうじ施行しこうされていたきゅう著作ちょさくけんほうは、映画えいが著作ちょさくけん保護ほご期間きかん著作ちょさくけんしゃ死後しご38年間ねんかんさだめていた。最高さいこう裁判所さいばんしょが、いわゆる「モダン・タイムス事件じけん」においてしめした判例はんれい[12]参照さんしょうすると、レニ・リーフェンシュタールがほん作品さくひん著作ちょさくけんしゃとして認定にんていされる可能かのうせいがある[ちゅう 28]。その場合ばあいには、日本にっぽん国内こくないにおいては、レニ・リーフェンシュタールが死去しきょした2003ねんの38ねん、2041ねんまつまで著作ちょさくけん保護ほご期間きかん継続けいぞくすることになる。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 現代げんだい視点してんから客観きゃっかんてきにいいかえると、「だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつしてから20ねん - ドイツが休戦きゅうせん協定きょうてい調印ちょういんしてから16ねん - ヒトラーが首相しゅしょう就任しゅうにんしてから19かげつ」となる。
  2. ^ このはたも1935ねんまでハーケンクロイツはたとともに国旗こっきとしてもちいられた。意匠いしょうドイツ帝国ていこくのものとおなじ。ドイツの国旗こっき参照さんしょう
  3. ^ 現在げんざいニュルンベルク空港くうこうよりも南東なんとうにあったきゅう飛行場ひこうじょう跡地あとちマリーエンベルク市民しみん公園こうえんドイツばんになっている。
  4. ^ このパレードのシークエンスながれるきょくは、前作ぜんさく信念しんねん勝利しょうり』のオープニングクレジットながれる合唱がっしょうきょく行進曲こうしんきょくふう編曲へんきょくしたもの。
  5. ^ a b c d e f g h この映画えいが登場とうじょうする人物じんぶつ演説えんぜつ内容ないようは、Triumph des Willens Ein DVD-Abend Tekki 2005(ドイツ、インフィールド『レニ・リーフェンシュタール』148-167ぺーじ、などを参考さんこうにした。
  6. ^ 日本人にっぽんじん姿すがたえる。ちなみに1934ねん9がつ当時とうじちゅうドイツ日本にっぽん大使たいし永井ながい松三まつぞうである。
  7. ^ Bewegung (運動うんどう) は、ここでは die nationalsozialistische Bewegung (国家こっか社会しゃかい主義しゅぎ運動うんどう)のこと。
  8. ^ 1918ねんこったバイエルン革命かくめい起点きてんにしている。
  9. ^ このだい6かいとう大会たいかい開催かいさいには、シュペーアペルガモンだい祭壇さいだんして設計せっけいした祭壇さいだんは、まだ完成かんせいしていなかった。サーチライトを多用たようした「ひかりだい聖堂せいどう」の壮大そうだい演出えんしゅつおこなわれたのは、1936ねんとう大会たいかい以降いこうである[4]。1934ねんとう大会たいかい記録きろくしたこの映画えいがには「ひかりだい聖堂せいどう」の映像えいぞうはない。
  10. ^ 赤色あかいろ戦線せんせん(Rotfront)すなわち共産きょうさん主義しゅぎ勢力せいりょく反動はんどう勢力せいりょく(Reaktion)はナチスが敵視てきしする勢力せいりょく総称そうしょう。ナチスのとうはたたかかかげよ』の歌詞かしにも「Kameraden, die Rotfront und Reaktion erschossen」とある。
  11. ^ 原語げんごVolksgenosse国民こくみん同胞どうほう)で、ナチス時代じだい多用たようされたかたり女性じょせいがたは Volksgenossin で、ヒトラーやゲッベルスらの演説えんぜつはしばしば「Deutsche Volksgenossen und Volksgenossinnen」というびかけからはじまる。
  12. ^ この9かげつの1935ねん6がつから、18さいから24さいまでの男子だんし全員ぜんいん国家こっか労働ろうどう奉仕ほうしだんはいることが義務ぎむづけられた。
  13. ^ 前年ぜんねんだい5かい大会たいかいから、大会たいかい期間きかんちゅういちにちかならず「ヒトラー・ユーゲントの」にてられるようになった[5]
  14. ^ スタンドにSAAR (ザール) の人文字ひともじえる。ザール地方ちほう住民じゅうみん投票とうひょう結果けっかとしてドイツに返還へんかんされるのは、この翌年よくねんの1935ねんである。
  15. ^ 場内じょうないにいるのは男子だんしばかりのようにえるが、ドイツ女子じょし同盟どうめい (BDM) とおもわれる女子じょし一団いちだんがスタンドの中央ちゅうおうめている光景こうけい一瞬いっしゅんうつる。
  16. ^ だいいち世界せかい大戦たいせん末期まっきの1918ねん6がつに、当時とうじのフランス首相しゅしょうクレマンソー議会ぎかい演説えんぜつにおいて、つぎのような言葉ことば戦争せんそう完遂かんすいする決意けつい表明ひょうめいした。「我々われわれはパリのまえたたかう。パリのなかたたかう。そしてパリのうしろでたたかう。」議場ぎじょうでこれをいていたチャーチルは、めい演説えんぜつとしてられる1940ねんかれ演説えんぜつなかたいいまわしをもちいている。
  17. ^ リーフェンシュタールの自伝じでん記述きじゅつによると、撮影さつえい当日とうじつ悪天候あくてんこうだったため、このシークエンスの撮影さつえい失敗しっぱいした。そこでカットすることにめ、そのことをたずねてきたライヒェナウ説明せつめいすると、ライヒェナウは激怒げきどし、ヒトラーに注進ちゅうしんおよんだという[6]結局けっきょく、このシークエンスはウーファがニュースよう撮影さつえいした映像えいぞう使つかってあいだわせた[7]。また後日ごじつ、このさわぎのわせに、国防こくぼうぐんだけを撮影さつえいした映画えいが自由じゆう』を製作せいさくすることになった。
  18. ^ 取材しゅざいのために現場げんばにいたウィリアム・シャイラーは、このとき印象いんしょう日記にっきしるしている。「ヒトラーは今日きょう残虐ざんぎゃく粛清しゅくせいのちはじめて突撃とつげきたいかおわせた。だい演説えんぜつなかでヒトラーは、かれら5まんにんたいしてレームの『反乱はんらん』の責任せきにんを『赦免しゃめん』した。スタジアムには、かなりの緊張きんちょうかんただよっていた。くとヒトラー個人こじんのS.S.ボディガードが大挙たいきょしてヒトラーのまえ整列せいれつして、かれ褐色かっしょくシャツの集団しゅうだんとをへだてていた。我々われわれはこの5まんにん褐色かっしょくシャツのなかにリボルバーをかまえるもの一人ひとりぐらいはいるのではないかとおもったが、だれもいなかった[8]。」
  19. ^ この「ルッツェ→ヒトラー」という演説えんぜつ順序じゅんじょは、実際じっさいにはぎゃくで、まずヒトラーのレーム事件じけんかんする演説えんぜつがあり、それをけてルッツェが突撃とつげきたい代表だいひょうしてヒトラーへのわらぬ忠誠ちゅうせいちかう、という順序じゅんじょだった[9]
  20. ^ やく2かげつまえの6がつ30にちこったレーム事件じけんす。
  21. ^ 以下いか行進こうしんする部隊ぶたい名称めいしょうは、たいのデザインや服装ふくそうなどからあきらかに識別しきべつできる範囲はんいしるす。
  22. ^ おな突撃とつげきたいとして複数ふくすう部隊ぶたい行進こうしんする。1923ねんだい1かいとう大会たいかい以来いらい突撃とつげきたいはたはミュンヘンだい1連隊れんたいだい2連隊れんたい、ニュルンベルク連隊れんたい、ランツフート(Landshut)連隊れんたいの4つのたい授与じゅよされるのが慣例かんれいだった[10]
  23. ^ トリオの部分ぶぶんHohenfriedberger Marschホーエンフリートベルク行進曲こうしんきょく)。
  24. ^ 映像えいぞうでは判然はんぜんとしないが、エーデルヴァイス紋章もんしょうならば、この部隊ぶたい山岳さんがくりょうへいおもわれる。
  25. ^ ドイツはヴェルサイユ条約じょうやく軍事ぐんじりょく制限せいげんされたが、空軍くうぐんについてはドイツ航空こうくうスポーツ連盟れんめいなどべつ名称めいしょう組織そしき温存おんぞんはかった。この翌年よくねん1935ねんドイツさい軍備ぐんび宣言せんげんをして公然こうぜん空軍くうぐん名乗なのるようになる。
  26. ^ 実際じっさいには、この国家こっか労働ろうどう奉仕ほうしだん行進こうしんだけが9月6にち午後ごごおこなわれた。部隊ぶたいは9月9にちである[11]。そのためヒトラーの服装ふくそうことなっている。ちなみに、この国家こっか労働ろうどう奉仕ほうしだんつぎ親衛隊しんえいたい行進こうしんシーンで、ヒトラーの服装ふくそう途中とちゅうわっている。
  27. ^ 原文げんぶん„die ewige Flucht der Erscheinungen nunmehr endgültig abgelöst wurde von einem ruhenden Pol“。ちなみにシラー散歩さんぽ』(Der Spaziergang 1795ねん)に„Sucht den ruhenden Pol in der Erscheinungen Flucht“(ない逃走とうそうなか安定あんていしたきょくもとめよ) という一節いっせつがある。ヴァイマル共和きょうわせい成立せいりつした1918ねんからヒトラーが首相しゅしょう就任しゅうにんする直前ちょくぜんの1933ねんまでの15年間ねんかんに、のべ14にん首相しゅしょう交替こうたいしている。
  28. ^ レニ・リーフェンシュタールが映画えいが創作そうさくせい全体ぜんたいとして寄与きよしたとおもわれること、また、映画えいがのオープニングクレジットにレニ・リーフェンシュタールという実名じつめい表示ひょうじされていること、の2てん適合てきごうする。ただしこの映画えいがノンフィクションであり、監督かんとくみずからが主演しゅえんしたチャップリン映画えいがとは、監督かんとく創作そうさく寄与きよした度合どあいにちがいがある。

出典しゅってん

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  1. ^ 田野たの大輔だいすけ 2003, pp. 207.
  2. ^ A Guide to the Annual Nazi Party Congress ("Parteitag") in Nuremberg, 1934 実際じっさいだい6かいとう大会たいかいのスケジュール (英文えいぶん
  3. ^ しば『ヒトラーのニュルンベルク』、114ぺーじ
  4. ^ しば『ヒトラーのニュルンベルク』、134ぺーじ
  5. ^ 平井ひらい『ヒトラー・ユーゲント』、54ぺーじ
  6. ^ リーフェンシュタール『回想かいそう』、上巻じょうかん231ぺーじ
  7. ^ 平井ひらい『レニ・リーフェンシュタール』、143ぺーじ
  8. ^ William Shirer:Berlin Diary(英語えいご)、NUREMBERG September 9
  9. ^ しば『ヒトラーのニュルンベルク』、120ぺーじ
  10. ^ 阿部あべ良男よしお『ヒトラーぜん記録きろく』、95ぺーじ
  11. ^ しば『ヒトラーのニュルンベルク』、116-117ぺーじ
  12. ^ 最高裁さいこうさい判決はんけつ平成へいせい20(受)889) モダン・タイムス事件じけん最高さいこう裁判所さいばんしょ判決はんけつ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 田野たの大輔だいすけ民族みんぞく共同きょうどうたい祭典さいてん -ナチとう大会たいかい演出えんしゅつ現実げんじつについて- (人間にんげん科学かがく特集とくしゅうごう)」『大阪おおさかけいだい論集ろんしゅうだい53かんだい5ごう大阪経済大学おおさかけいざいだいがく、2003ねん1がつ15にち、185-219ぺーじNAID 110000122013 
  • レニ・リーフェンシュタール『回想かいそう椛島かばしま則子のりこやく文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃ、1991ねんISBN 4-163-45900-6 
  • しば健介けんすけ『ヒトラーのニュルンベルク -だいさん帝国ていこくひかりやみ-』吉川弘文館よしかわこうぶんかん歴史れきし文化ぶんかライブラリ90〉、2000ねんISBN 4-642-05490-1 
  • グレン・B・インフィールド『レニ・リーフェンシュタール 芸術げいじゅつ政治せいじのはざまに』喜多きた迅鷹・喜多きた元子もとこやく、リブロポート、1981ねんISBN 4845700190 
  • 平井ひらいただし『レニ・リーフェンシュタール 20世紀せいき映像えいぞうろんのために』晶文社しょうぶんしゃ、1999ねんISBN 4-7949-6408-0 
  • 平井ひらいただし『ヒトラー・ユーゲント』中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ〉、2001ねんISBN 4-12-101572-X 

外部がいぶリンク

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  ウィキソースには、ナチスの刑法けいほう(プロシヤくに司法しほう大臣だいじん覚書おぼえがき原文げんぶんがあります。

  ウィキメディア・コモンズには、1934ねんのニュルンベルクとう大会たいかいかんするカテゴリがあります。