意志 の勝利
『
Triumph des Willens | |
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レニ・リーフェンシュタール | |
レニ・リーフェンシュタール ヴァルター・ルットマン | |
レニ・リーフェンシュタール アドルフ・ヒトラー | |
ヘルベルト・ヴィント | |
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1935 1942 | |
114 | |
ドイツ | |
ドイツ |
解説
『
リーフェンシュタール
リーフェンシュタールの
作品 の特徴
リーフェンシュタール
撮影 時
リーフェンシュタールは
また、
作品 の評価
『
しかし
『
上映 ・パッケージ
アメリカでは、
作品 の内容
この
大会 前日
- ワーグナー
風 の音楽 が流 れる中 、しばらく空白 の画面 が続 いた後 に、タイトルが現 れる。
„Triumph des Willens - Das Dokument vom Reichsparteitag 1934 - Hergestellt im Auftrage des Führers - Gestaltet von Leni Riefenstahl“ (意志 の勝利 - 1934年 党 大会 の記録 -総統 の依頼 により製作 された -製作 レニ・リーフェンシュタール)
続 いて字幕 が現 れる。
„Am 5.September 1934 - 20 Jahre nach dem Ausbruch des Weltkrieges - 16 Jahre nach dem Anfang deutschen Leidens - 19 Monate nach dem Beginn der deutschen Wiedergeburt - flog Adolf Hitelr wiederum nach Nürnberg um Heerschau abzuhalten über seine Getreuen.“ (1934年 9月 5日 -世界 戦争 が勃発 してから20年 後 - ドイツの受難 が始 まってから16年 後 - ドイツの再生 が始 まってから19か月 後 [注 1] - アドルフ・ヒトラーは、彼 の忠実 な従者 たちを観閲 するために、再 びニュルンベルクに向 けて飛行 した)
- ヒトラーらが
搭乗 した飛行機 (Ju 52) がニュルンベルクのカイザーブルク城 上空 を通過 する。 眼下 の市内 の街路 を、大会 の参加 者 たちが隊列 を組 んで行進 している。その上 を飛行機 の影 がよぎる。曲 はナチスの党 歌 Die Fahne hoch (旗 を高 く掲 げよ)。
- ドイツ
国 の国旗 (黒白 赤 の横 三 色 旗 )[注 2]が掲 げられた聖 ローレンツ教会 などの上空 を通過 する。 飛行機 がニュルンベルク飛行場 [注 3]に着陸 する。- ヒトラーを
乗 せた車 (メルセデス・ベンツ770K グローサー) を先頭 に、党 の幹部 が乗 った車 を連 ねたパレードが出発 する[注 4]。 沿道 の両側 に群 がった市民 の敬礼 に答礼 で応 える車 上 のヒトラー。- がちょう
男 の噴水 、コンラート・グリューベルの像 、ヴァイサー・トゥルムなどの傍 らを通 り過 ぎる。 - ヒトラーの
定宿 ホテル・ドイチャーホーフに到着 。親衛隊 が厳重 に警護 する中 、ホテルに入 るヒトラー。群衆 から „Wir wollen unseren Führer sehen“(我 らの総統 を見 たい)という声 が起 こり、2階 の窓 にヒトラーが姿 を見 せる。 夜間 、ホテル前 に詰 めかけた群衆 の中 で、楽隊 が行進曲 などを演奏 する。曲 は ウェーバーによる Lützows wilde verwegene Jagd (リュッツォウの勇猛 な狩 り)、Der Gott, der Eisen wachsen ließ (鉄 を鍛 えさせた神 ) など。
大会 第 1日
- ワーグナー
風 の音楽 をバックに、高 い窓 から俯瞰 した早朝 のニュルンベルク旧 市街 の家並 み。 - ペグニッツ
川 に浮 かぶ船上 から見 た旧 救済 院 の近景 から、仰 ぎ見 る聖 ゼーバルト教会 の尖塔 。 宿営 地 ラングヴァッサーの上空 から見 た、整然 と並 ぶ無数 の野営 テント。大会 参加 者 の青年 たちが、洗顔 や髭 剃 りなどの身支度 をする。薪 を荷車 に山積 みにして運 び入 れ、大 がかりな調理 器具 で食事 の用意 をする。曲 は Heraus zum Kampf (闘 いに出 よ)、Musketierlied (マスケットの歌 ) など。- ソーセージやスープなどを、
飯 ごうに取 り分 けて、そろって食事 をする。騎馬 戦 やトランポリンに興 じたり、書 きものをしたりして時間 を過 ごす。曲 は Ja, Bei Uns Geht Alles Wie Genudelt (我 らといればみんな満腹 )、Als die goldene Abendsonne (黄金 色 の夕陽 が)。 民族 衣装 を着 た地元 農民 たちのパレード。伝統 的 な収穫 の祭 り。曲 は Drunten im Unterland 「わが故郷 よ」、Bayerischer Defiliermarsch 「バイエルン分列 行進曲 」、Rosestock, Holderblüt など。農民 たちの代表 の男女 数 名 が、農産物 を携 えてヒトラーと面会 する。曲 は Was ist des Deutschen Vaterland? (ドイツの祖国 とは何 か)。- ドイツ
労働 戦線 (DAF) の隊員 が整列 し、その全国 指導 者 であるロベルト・ライを伴 って、ヒトラーが観閲 する。曲 は Durch deutsches Land marschieren wir (我 らはドイツ中 を行進 する)。 - ヒトラーら
党 幹部 が車 に乗 り、党 大会 の会場 に向 かう。
ルイトポルトホールでの開会 式
第 6回 党 大会 を開会 するにあたり、畏敬 の念 を込 めて、永遠 の眠 りに就 かれた陸軍 元帥 であり大統領 であったフォン・ヒンデンブルクを追悼 します。陸軍 元帥 は、大戦 争 における最高 の戦士 でした。同時 に、戦死 した仲間 たちにも思 いを馳 せましょう。
(来賓 席 のほうを向 いて)外国 の高官 [注 6]の方々 を歓迎 いたします。会議 に参加 いただいたことに、党 は敬意 を表 します。心 からの友情 を込 めて、"運動 " [注 7] は、とくに目下 、総統 の指揮 下 にある国防 軍 の代表 者 諸氏 を歓迎 します。(ヒトラーのほうを向 いて)総統 閣 下 、あなたのまわりに国家 社会 主義 の旗 とシュタンダルテがあります。それらの布 が将来 ぼろぼろになったとき、人々 は初 めて完全 に理解 できるでしょう。過去 を振 り返 って我々 の時代 の偉大 さを知 り、我 らの総統 であるあなたがドイツにとってどういう意味 があったのかを理解 するようになるでしょう。
あなたがドイツなのです。あなたが行動 するとき、国 が行動 します。あなたが判断 するとき、国民 は判断 します。我々 の感謝 のしるしに、こう誓 いましょう。良 い日 も悪 い日 もあなたを支 えますと。たとえ何 が起 こっても、あなたのご指導 のおかげでドイツは目標 を達成 するでしょう。故郷 であろうという目標 ……世界中 のすべてのドイツ人 の故郷 であろうという目標 です。あなたは我々 の勝利 の保証人 でした。あなたは我々 の平和 の保証人 です。アドルフ・ヒトラー、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル
党 や政府 の要人 が交替 で登壇 し、短 いスピーチをする。肩書 は撮影 当時 。
- アドルフ・ワーグナー(ミュンヘン=オーバーバイエルン
大 管区 指導 者 )
(ヒトラーの声明 を代読 する形 で)革命 が長 く続 くためには、完全 な無 政府 状態 を達成 しなくてはならない。世界 が戦争 状態 のまま存続 することがないように、国民 が革命 によって生 きることはない。この世 を一 千 年間 も支配 し続 ける偉大 なものが、十 年間 で造 られたことはない。最 も大 きな木 は、最 も長 い時間 をかけて成長 した木 でもある。多 くの年月 を耐 える強 さを得 るには、それだけ長 い時間 を要 する。
- アルフレート・ローゼンベルク(
党 対外 政策 全国 指導 者 )
我々 が揺 るぎない確信 を抱 き、またそうなることを望 んでいるのは、熱狂 的 に前進 を続 けている現代 の特別 な若者 たちが、いつか運動 を継続 するために必要 とされるだろうということである。それは1918年 以来 ミュンヘンで続 く変革 [注 8]の激動 の年月 の中 で創始 され、すでにすべてのドイツ人 の心 を掴 み、今日 その歴史 的 な重要 性 がドイツ全土 で顕著 になっている運動 である。
- オットー・ディートリヒ(
党 新聞 全国 指導 者 )
新聞 は、真実 に基 づくかどうかでその価値 が決 まる。我々 が新聞 に求 めるものは、外国 の新聞 でも同様 だが、ドイツについての真実 を伝 えて欲 しいということだけである。
- フリッツ・トート(
土木 部門 全国 指導 者 )
- フリッツ・ラインハルト(
財務省 次官 )
どこを見 ても、建設 が進行 している。改築 が行 われ、新 しい重要 な建築 物 が造 られている。そして、どこを見 ても、昨年 以来 、産業 活動 が進行 している。その活動 は将来 も続 けられるだろう。
- リヒャルト・ヴァルター・ダレ(
農業 政策 全国 指導 者 ・食糧 大臣 )
我々 の産業 が栄 え、内需 や輸出 産業 を盛 んにするためには、農業 従事 者 の保護 を続 けることが最 も重要 な条件 である。
- ユリウス・シュトライヒャー(フランケン
大 管区 指導 者 ・新聞 「シュテュルマー」発行 人 )
民族 の純潔 性 を重視 しない国家 は滅 びるだろう。
- ロベルト・ライ(ドイツ
労働 戦線 全国 指導 者 )
我々 は一 つの考 えだけを念頭 に置 いて活動 しなくてはならない。すなわちドイツ人 労働 者 を、他 の労働 者 と同 じ権利 を享受 する、立派 な、誇 り高 き市民 に育 てることである。
- ハンス・フランク(バイエルン
法務大臣 )
ドイツの司法 責任 者 として、これだけは言 える。国家 社会 主義 の法体 系 は、国家 社会 主義 の基礎 である。我々 にとって最高 の指導 者 は、最高 の裁判官 でもある。周知 のように、正義 の原則 は我 らの総統 に捧 げられているのだから、このことは保証 しよう同胞 諸君 、この治安 の良 い、自由 な、法 が支配 する国家 社会 主義 体制 においては、諸君 の命 と身分 は守 られていると。
- ヨーゼフ・ゲッベルス(
宣伝 全国 指導 者 ・啓蒙 宣伝 大臣 ・ベルリン大 管区 指導 者 )
我 らの熱狂 の明 るい炎 が、消 えないことを願 う。この炎 だけが、現代 の政治 のプロパガンダという創造 的 な芸術 に、光 と熱 をもたらしている。この芸術 は、国家 の奥底 から湧 き起 こってきた。その根源 を探 り、活力 を得 るためには、再 び奥底 に戻 らなくてはならない。武力 で権力 を得 るのも良 いだろう。しかし国家 の核心 を掴 んで放 さないほうが、より優 れていて、喜 ばしい方法 なのだ。
- コンスタンティン・ヒールル (
国家 社会 主義 ・国家 労働 奉仕 団 全国 指導 者 )
ドイツ国民 は、どんな労働 奉仕 に対 しても備 えができている。総統 のご命令 を、お待 ちしている。
ツェッペリン広場 での国家 労働 奉仕 団 の点呼
- シャベルを
手 にした国家 労働 奉仕 団 (RAD) の大 集団 が、ツェッペリン広場 [注 9]に整列 している。コンスタンティン・ヒールルの紹介 を受 けて、ヒトラーが演壇 に立 つ。 隊列 を組 んだ数 人 の団員 たちが、地面 に立 てたシャベルの上 で手 を組 んで声 をそろえる。「我 らはここにいます」「我 らにはドイツを新 時代 に導 く準備 ができています」「ドイチュラント(Deutschland)」。一人 の若 い団員 が周囲 の仲間 に「どこから来 たか?」と尋 ねると、次々 と答 えが返 ってくる。フリースラントから、バイエルンから、以下 カイザーシュトゥール、ポンメルン、ケーニヒスベルク、シュレージエン、北海 沿岸 、シュヴァルツヴァルト、ドレスデン、ドナウ、ラインと続 く。最後 に「ザールから」という声 が返 ってくる。団員 たちがナチスのスローガン「一 つの民族 、一人 の総統 、一 つの国家 (ein Volk, ein Führer, ein Reich)」を唱 える。「ドイチュラント(Deutschland)」のかけ声 と同時 に画面 がヒトラーに変 わる。続 けて団員 たちが唱和 する。「今日 我 らは共 に働 く」「沼地 で」「岩場 で」「砂地 で」「北 の堤防 で」「我 らは木 を植 える」「枯 れた森 に」「我 らは道 を造 る」「村 から村 へ町 から町 へ」「我 らは新 しい農地 を耕 す」「野 も林 も農地 もパンも」「ドイツのために」。団員 たちが、Wir sind die Männer vom Bauernstand (我 らは農村 育 ち) を合唱 する。再 び一 人 の団員 が語 る。「我 らは、塹壕 の中 に立 ったことはない。手榴弾 が飛 び交 う中 にも立 ったことはない。それでも我 らは兵士 である。我 らはハンマーと、斧 と、シャベルと、鍬 と鋤 を手 にした国家 の青年 兵 だ。」第 一 次 世界 大戦 で戦場 になった地名 が列挙 される。音楽 は Ich hatt' ein Kameraden (私 に一人 の戦友 がいた)。同時 に旗手 が持 った国旗 (ハーケンクロイツ旗 )がゆっくりと伏 せられていく。「かつてランゲマルクで」「タンネンベルクで」「リエージュで」「ヴェルダンで」「ゾンムで」「デューナで」「フランデルンで」「西部 で」「東部 で」「南部 で」「陸 で、海 で、そして雲 の中 で」「赤色 戦線 や反動 勢力 [注 10]に討 たれた同志 たちよ」。ここで太鼓 が鳴 り、伏 せられた旗 が勢 いよく掲 げられる。「君 たちは死 んでいない」「君 たちはドイツで生 きている」。続 けてヒトラーが演説 する[注 5]。
国家 労働 奉仕 団 の諸君 。諸君 が、このような形 の点呼 に整列 するのは、私 の前 で、従 って全 ドイツ国民 の前 で、初 めてのことである。諸君 は、ひとつの偉大 な理想 を体現 している。我々 は知 っている。我 らの何 百 万 という同胞 [注 11]にとって、労働 の概念 はもはや様々 ではなく、すべての人 に共通 なものに結 ばれたことを。その上 さらにドイツにおいては、力仕事 を他 の何 らかの仕事 よりも劣 っていると見 なす者 は、もはや誰 もいないだろうということを。全 国民 は諸君 を手本 にするだろう。その時 は来 る。ドイツ人 が国民 の共同 体 に参加 するためには、まず諸君 の団体 に参加 しなくてはならない時 が[注 12]。諸君 は分 かっているだろう。この瞬間 に諸君 を見 ているのは、ニュルンベルクの数 十 万 人 ではない。この瞬間 、ドイツが初 めて諸君 を見 ているのである。私 には分 かっている。諸君 が誇 るべき忠誠 心 でドイツに義務 を果 たすので、今日 ドイツは誇 らしい喜 びで息子 たちの行進 を見 ていることを。
- Heiliges Feuer (
神聖 な火 ) の歌声 に合 わせて、シャベルを担 いだ団員 たちが行進 する。
ラングヴァッサーでの突撃 隊 の夜間 集会
突撃 隊 の隊員 たちが、夜 のラングヴァッサーに集 っている。Volk ans Gewehr 「民族 よ武器 を」の歌声 をバックに、突撃 隊員 たちの姿 が、手 に持 った照明 灯 に照 らされて、暗闇 の中 に浮 かぶ。幕僚 長 のヴィクトール・ルッツェが演壇 に立 つ。ルッツェは、自分 が突撃 隊 の創設 当初 の隊員 であり、現在 まで変 わらず隊員 であること、総統 に忠誠 を尽 くし、総統 のために闘 うことを心掛 けるのみである、という演説 をする。降 壇 したルッツェのもとに隊員 たちが駆 け寄 り、人波 に押 されてルッツェが前 に進 めなくなる。隊員 の中 から „Wir wollen unseren Stabchef sehen“(我 らの幕僚 長 に会 いたい)という声 がわき起 こる。場内 には篝火 が炊 かれ、花火 が打 ち上 げられる。その花火 を、地面 に寝 そべり、体 を寄 せ合 った隊員 たちが、歓喜 の表情 で見上 げる。曲 は Pepitamarsch (ペピータ行進曲 )。
大会 第 2日
市営 スタジアムでのヒトラーユーゲントの点呼
- ヒトラーユーゲントが、
市営 スタジアムを埋 め尽 くしている[注 13][注 14]。ユーゲントが演奏 する Hitlerjugendmarsch (ヒトラーユーゲント行進曲 ) に迎 えられて、ヒトラーと側近 、党 の幹部 たちがスタジアムに入場 する。演奏 が Jugend marschiert (ユーゲントが行進 する) に変 わる。ゲッベルスやヘスらが場内 を見渡 して笑 みを浮 かべる。ヒトラーの傍 らにユリウス・シャウブ、マルティン・ボルマン、ヴィルヘルム・ブリュックナーがいる。 青少年 全国 指導 者 のバルドゥール・フォン・シーラッハが、マイクの前 に歩 み出 て演説 する[注 5]。聴衆 の中 にヴェルナー・フォン・ブロンベルクの姿 が見 える。
総統 閣 下 、隊員 諸君 、我々 は再 びこの幸 せな時間 を過 ごしています。我々 に誇 りを与 え、喜 びを与 えてくれる時間 です。あなたのご命令 によって、青少年 たちがここに集 っています。階級 も身分 も知 らない青少年 たちです。我 らの民族 の若 い世代 は、あなたを規範 にしています。あなたは、この国 で最 も私心 のないかたなので、この青少年 たちも私心 のない人間 に育 つでしょう。あなたは我々 に誠実 さを体現 してくださるので、我々 も誠実 でありたいのです。アドルフ・ヒトラー、ドイツの青少年 の指導 者 がお話 しになります。
- ヒトラーが
演説 する[注 5]。
わがドイツの青少年 諸君 、1年 ぶりで私 はここで、諸君 に再 び挨拶 ができる。今日 、このスタジアムにいる君 たちは、ほんの一部 にすぎない。ここの外 のドイツ全土 にいる若者 たちの一部 である。我々 が望 んでいるのは、君 たちドイツの少年 たち、ドイツの少女 たち[注 15]が、我々 が将来 のドイツに期待 することのすべてを、自分 の中 に受 け止 めてくれることだ。我々 には、国民 の理想 像 がある。だから君 たち青少年 諸君 は、そのような国民 にならなくてはならない。我々 は将来 においては、もはや階級 も身分 制度 も認 めない。だから諸君 は自分 たちの中 にそれらを育 ててはならない。我々 には将来 の国家 の理想 像 がある。だから諸君 は必 ず、それに合 わせて自 らを育 てなくてはならない。我々 は将来 、国民 が従順 であるように望 む。だから諸君 は自 らを従順 であるように訓練 しなくてはならない。我々 は将来 、国民 が平和 を愛 し、その一方 で勇敢 であるように望 む。だから諸君 は、平和 を好 まなくてはならないし …… (歓声 のために中断 )……平和 を好 み、それと同時 に勇敢 でなくてはならない。我々 は、将来 国民 が柔弱 になることなく頑強 であることを望 む。だから諸君 は、そのために青年 期 に自分 を鍛 えなくてはならない。諸君 は学 ばねばならない。くじけることなく、不自由 さを受 け入 れることを。我々 が今日 、何 を成 し遂 げ、何 をもたらしても、我々 は消 え去 っていく。しかしドイツは、諸君 の中 に生 き続 けるだろう。そして我々 の中 に、もはや残 っている者 がいなくなったとき、諸君 は旗 を掲 げるのだ。かつて我々 が無 の中 から掲 げた旗 を。諸君 は自 らの手 で、それを掲 げ続 けなくてはならない。私 は知 っている。それとは違 うことになるはずがないことを。なぜなら、諸君 の肉体 は我々 の肉体 から生 まれ、諸君 の血 は我々 の血 から造 られたからだ。そして、諸君 の若 い頭脳 には、我々 を支配 している精神 と同 じ精神 が宿 っているからである。諸君 は我々 と団結 する以外 にありようがない。私 は知 っている。我々 の運動 の長大 な隊列 が、今日 ドイツ中 で勝利 の行進 をするとき、諸君 もその隊列 に合流 することを。そして我々 は知 っている。我々 の前 にドイツがあり、我々 の中 をドイツが行進 し、そして我々 の背後 からドイツがやってくる[注 16]ことを。
演説 を終 えたヒトラーが車 に乗 って退場 する。観衆 は歓声 をあげ敬礼 をしながらヒトラーを見送 る。Unsere Fahne flattert uns voran (我 らの旗 は先頭 ではためく) の歌声 をバックに、場内 の観衆 をとらえたカメラが車 に乗 ってスタジアムを走行 する。
メルツ広場 での国防 軍 の演習
- ヒトラーが、
航空 大臣 のヘルマン・ゲーリングと国防 大臣 のブロンベルクらを伴 って、メルツ広場 で行 われた国防 軍 の演習 を視察 する[注 17]。曲 は Marsch der 18er Husaren 「軽 騎兵 第 18連隊 駈 歩 行進曲 」。
ツェッペリン広場 での各地 の政治 指導 者 の点呼
- ドイツ
各地 の政治 指導 者 たちが隊列 を組 んで、党 旗 を掲 げながら、日 の暮 れたツェッペリン広場 に参集 してくる。曲 は Kürriasier Marsch (胸 甲 騎兵 行進曲 )。 - ライトアップされた
演壇 でヒトラーが演説 する[注 5]。
1年 前 、我々 はこの場 で、初 めて出会 った。初 めての国家 社会 主義 の政党 の政治 指導 者 の総 点呼 であり、その時 に20万 人 が集合 した。諸君 は気持 ちがおもむくままに集 まったのではなく、忠誠 心 にうながされるままに呼 び寄 せられたのでもない。諸君 を呼 び寄 せたのは、我 らが民族 の大 いなる苦難 だったのだ。かつて我々 に降 りかかり、我々 を団結 させた苦難 であり、闘争 の間 、我 らをさいなみ増 していった苦難 である。だから、すべての者 が分 かることはない。自分 たちの民族 が同 じ苦難 を味 わった者 でなければ分 からない。彼 らには謎 であり、神秘 なのだ。いったい何 が数 十 万 人 を集 め、何 が欠乏 や苦 しみ、不自由 を耐 えさせるのか。彼 らは、それが国家 の命令 によると考 え、それ以外 は思 いつかない。彼 らは思 い違 いをしている。国家 が我々 に命令 したのではない。我々 が国家 に命令 したのである。国家 が我々 を動 かしたのではない。我々 が国家 を動 かしたのだ。否 、運動 である。運動 が生 きているのだ。それは確 かな根拠 に基 づく運動 である。我々 の中 のただ一人 でも息 ができる限 り、その者 はこの運動 に自分 の力 を貸 すだろう。そして運動 を支持 するだろう。我々 が過去 数 年間 、そうしてきたように。そして太鼓 の後 に太鼓 が来 る、旗 の後 に旗 が続 く、さらに集団 と集団 が合流 し、大 管区 と大 管区 が合併 し、ついには、かつて引 き裂 かれていた民族 が、一 つになった国民 の長大 な列 の後 ろに続 くであろう。
もしも我々 が、戦 い獲 り勝 ち得 たものを、将来 減 らしてしまったら、それは冒涜 である。なぜなら、多大 な労働 と不安 と犠牲 と苦難 を伴 わなければ、それを獲得 できなかったからだ。人 は、自分 の全 人生 に内容 や意味 や目的 を与 えてくれたものを裏切 ることはできない。そういうものを無 から創 り出 すには、強 い命令 が根拠 になっていなくてはならない。我々 にその命令 を下 すのは、この世 の上官 ではない。我々 の民族 を創造 した神 が、命令 を下 すのである。だから今夜 、我々 は誓 いを立 てよう。毎時 間 、毎日 、ただドイツのこと、民族 と国家 のこと、そして我 らがドイツ国民 のことだけを思 うという誓 いを。我 らがドイツ国民 に、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。
集会 の参加 者 たちが、たいまつを掲 げて行進 する。曲 は Die Große Zapfenstreich 「大 帰営 譜 」。
大会 第 3日
ルイトポルト・アリーナでの突撃 隊 と親衛隊 の点呼
- ルイトポルト・アリーナの
広大 な敷地 に、突撃 隊 と親衛隊 が整列 して、中央 に道 を作 っている。Die Jugend trauert (ユーゲントが哀悼 する)の荘重 な旋律 が流 れる中 、ヒトラーが親衛隊 全国 指導 者 のハインリヒ・ヒムラーとルッツェを従 えてその道 を歩 む。戦没 者 記念 堂 (Ehrenhalle)に拝礼 している間 は無音 で、3人 が道 を戻 る時 には、音楽 が Ich hatt' ein Kameraden (私 に一人 の戦友 がいた) に変 わる。 - ラッパが
吹鳴 され、ユリウス・メレンドルフの Parademarsch Nr.1 (分列 行進曲 第 1番 ) が始 まると、それまでの厳粛 な雰囲気 が一変 して力強 い行進 のシークエンスとなる。まずシュタンダルテを掲 げた集団 が、ヒトラーが立 つ演壇 をめがけて進 み、左右 に分 かれて両側 の階段 を上 る。その後 に隊 旗 や党 旗 、軍旗 を掲 げた隊員 や兵士 たちの行進 が続 く。彼 らの長大 な隊列 は蛇 のようにくねって何 重 もの弧 を描 き、やがてグラウンドの周囲 を無数 の林立 する旗 で埋 め尽 くす。その光景 を、センターポールに備 え付 けた昇降 機 のカメラが、高所 から俯瞰 した映像 でとらえる。 行進 の最後 には、行進曲 が Leibstandarten-Marsch Adolf Hitler (ライプシュタンダルテ行進曲 ・アドルフヒトラー)に変 わり、親衛隊 が戦没 者 記念 堂 の前 の階段 を降 りてくる。彼 ら黒 服 の集団 は、左右 に分 かれた突撃 隊 の間 に割 って入 り、ヒトラーが立 つ演壇 の間近 に陣取 る[注 18]。- ルッツェが
演壇 に立 つ[注 19][注 5]。「(ヒトラーのほうを向 いて)総統 閣 下 。我々 は、これまでの時間 、きちんと自分 たちの奉仕 と義務 を果 たしてきました。今後 も同様 に、あなたのご命令 だけをお待 ちしています。(隊員 のほうを向 いて)我 ら同志 は他 のことは知 りません。我 らが総統 のご命令 を遂行 すること、そして、我々 が過去 から不変 であることをお示 しするのみです。我 らが総統 アドルフ・ヒトラーに、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。」 - ヒトラーが
演説 を始 める[注 5]。
突撃 隊 および親衛隊 の諸君 。ほんの数 か月 前 、この運動 にひとつの暗 い影 が生 じた[注 20]。突撃 隊 は、他 のいかなる党 の組織 と同様 、この影 とはほとんど関係 がない。我々 の一致 団結 した運動 の組織 に亀裂 すら生 じている、などと信 じる者 は、みな思 い違 いをしているのだ。我々 の運動 は盤石 である。ここに一塊 となっているごとく。我々 の運動 は頓挫 することはない。突撃 隊 の精神 を冒涜 した者 がいたら、その者 が打撃 を与 えたのは突撃 隊 ではない。その者 自身 が、みずからに対 して罪 を犯 したにすぎない。
そして、狂人 か意図 的 な嘘 つきだけが、こんなことを思 いつく。私 か、あるいは他 の誰 かが特定 の意図 を持 って、我々 が長年 築 いてきたものを自 ら解体 した、などということを。それは誤 りだ、わが同志 諸君 。我々 はドイツのために強 く団結 している。そして強 く団結 しなくてはならない。私 は諸君 に新 しい隊 旗 を引 き渡 そう。私 は確信 している。私 が隊 旗 を渡 す相手 は、ドイツで最 も忠実 な相手 であることを。なぜなら、これまでの時間 、諸君 は私 に千 倍 の忠誠 心 を示 してくれたのであり、これからの時間 も、他 のありようになることは出来 ないし、ならないだろうからである。私 は諸君 に敬礼 をしよう。以前 から忠実 な我 が突撃 隊 と親衛隊 の隊員 諸君 に、ジークハイル。
- 21
発 の礼砲 がとどろく中 、ヒトラーが演説 の中 で言及 した新 しい隊 旗 を、自身 の手 を介 して血染 めの旗 と結 びつけることで「聖 化 」する党 大会 恒例 のセレモニー。砲声 が鳴 り響 き、かすかに党 歌 が流 れる厳粛 な雰囲気 の中 、ヒトラーの厳 しい表情 と、礼砲 を射 つ光景 が交互 に映 る。
中央 広場 (アドルフ・ヒトラー広場 )での分列 式
聖母 教会 前 の中央 広場 (アドルフ・ヒトラー広場 )に観覧席 が設営 され、観客 で満席 になっている。ヒトラーが乗 った車 を先頭 に、車列 が坂道 を下 って広場 に入 ってくる。定 位置 に停車 すると、ヒトラーが後部 座席 に立 つ。道 を挟 んで向 かい合 わせに整列 した楽隊 の演奏 に合 わせて、ヒトラーを受礼者 とする分列 式 が始 まる[注 21]。部隊 ごとに入 れ替 わる行進曲 は、一部 を除 いてナチスの時代 よりも前 に作 られたものである。- ルッツェが
先導 する突撃 隊 の行進 [注 22]。ルッツェの後 に血染 めの旗 が続 き、その後 に隊列 が行進 する。観衆 の中 にシュトライヒャーの姿 が見 える。曲 は Königgrätzer Marsch (ケーニヒグレッツ行進曲 )[注 23]。 - ゲーリングが
先導 する突撃 隊 の行進 。観衆 の中 にハンス=ゲオルク・フォン・フリーデブルク、ゲルト・フォン・ルントシュテット、エーリヒ・レーダーの姿 が見 える。曲 はベートーヴェンによる Marsch des Yorckschen Korps 「ヨルク軍団 行進曲 」。 - 7
本 のハーケンクロイツ旗 を先頭 にした突撃 隊 の行進 。観衆 の中 にブロンベルク、マックス・アマン、ヴァルター・ブーフの姿 が見 える。曲 は Helenenmarsch (ヘレーネ行進曲 )。 帽子 などに紋章 [注 24]を付 けレーダーホーゼンを着用 した部隊 の行進 。観衆 の中 にライ、ワーグナー、フランツ・フォン・エップの姿 が見 える。曲 は Bayerischer Defiliermarsch 「バイエルン分列 行進曲 」。
- ドイツ
航空 スポーツ連盟 (DLV)[注 25]の行進 。ヒトラーに続 けてゲーリングに敬礼 するのはブルーノ・レールツァー。曲 は Steinmetzmarsch (シュタインメッツ行進曲 )。 胸 の前 に喉 当 てを下 げて短剣 を構 えた突撃 隊 憲兵 隊 の行進 。ヒトラーに敬礼 するのはヴァルター・フリッチェ。曲 は Marsch Herzog von Braunschweig (ブラウンシュヴァイク公爵 行進曲 )。- ヘッドギアを
着用 した国家 社会 主義 自動車 軍団 (NSKK) の行進 。ほぼ真上 から撮影 した画面 では、敬礼 しながら行進 する隊列 とその影 が幾何 学 模様 を描 く。 - シュタンダルテを
掲 げた一団 の行進 。前半 はフライシュ橋 など、広場 の周辺 での行進 、後半 は遠方 に据 えたカメラからのロングショットで、街路 を進 む行進 をとらえる。曲 はシャルロッテ・フォン・プロイセンによる Geschwindmarsch des Garde-Kürassier-Regiments (近衛 胸 甲 騎兵 連隊 の速歩 行進曲 )。 - コンスタンティン・ヒールルが
率 いる国家 労働 奉仕 団 (RAD) の行進 [注 26]。観衆 の中 にルントシュテット、ゲッベルスの姿 が見 える。後半 では高 い位置 に据 えられたカメラが移動 しながら、城壁 のアーチをくぐる隊列 を背後 からとらえる。曲 は Treue um Treue (忠誠 には忠誠 で)。 楽隊 が入 れ替 わり、ヒムラーを先頭 に親衛隊 の行進 。観衆 の中 に、シャウブ、ヴィリー・リーベル、フランツ・クサーヴァー・シュヴァルツ、ヒトラーの車 の横 に並 んだ4人 の親衛隊 員 の中 にラインハルト・ハイドリヒの姿 が見 える。曲 は Leibstandartenmarsch-Adolf Hitler (ライプシュタンダルテ行進曲 ・アドルフヒトラー)。- ヨーゼフ・ディートリヒが
率 いるライプシュタンダルテ・SS・アドルフヒトラー (LSSAH)の行進 。曲 は Badonviller Marsch (バーデンヴァイラー行進曲 )。
ルイトポルトホールでの閉会 式
- ルイトポルトホールの
客席 に、聴衆 が左右 に分 かれて座 り、中央 に道 ができている。バーデンヴァイラー行進曲 が流 れる中 、ヒトラーを先頭 にして、党 の幹部 たちがその道 を歩 いて入場 してくる。カメラは高 い位置 から、彼 らを見下 ろしている。幹部 たちが舞台 上 の座席 に着 くと、音楽 が Niebelungenmarsch 「ニーベルンゲン行進曲 」に変 わり、血染 めの旗 を先頭 に、おびただしい数 のシュタンダルテが列 をなして入場 する。 聴衆 の中 には、党 や軍 の要人 に加 えて、ヒャルマル・シャハト、フランツ・ゼルテ、ルートヴィヒ・ミュラーらの姿 も見 える。- ヘスの
紹介 を受 けて、ヒトラーが原稿 を手 に登壇 する。この党 大会 の締 めくくりの演説 は、映画 の中 の他 の演説 とは趣 が異 なり、ヒトラーは初 めて原稿 を見 ながら、大 げさな身振 り手振 りを交 えて熱弁 をふるう[注 5]。
第 6回 党 大会 も終幕 を迎 えようとしている。我々 の列 から外 れている数 百 万 人 のドイツ人 は、おそらくは政治 的 な力 を誇示 する印象 的 な光景 としか評価 しないだろうが、数 十 万 人 の闘士 たちにとっては、限 りなく大 きなものだった。古参 の闘士 と、闘 っている同志 たちとの個人 的 かつ精神 的 な重要 な出会 いであった。おそらくあなたがたの多 くは、我々 の党 の観閲 式 の圧倒的 な壮大 さにもかかわらず、悲 しい気持 ちであの日々 を思 い起 こすだろう。国家 社会 主義 者 であることが、まだ辛 かった日々 のことを。
なぜ辛 かったのか。それは我々 の党 がちょうど7名 であったとき、すでに2つの原則 を表明 していたからである。その1、真 の世界 観 を持 った党 であるべし。その2、ゆえに妥協 することなく、唯一 の勢力 、ドイツのただ一 つの勢力 であるべし。我々 は、少数 派 の党 に留 まらなくてはならなかった。なぜなら、我々 は闘争 と犠牲 という最 も重要 な構成 分子 だからである。戦時 体制 下 の国家 においては、そのような構成 分子 はいつも多数 派 ではなく少数 派 になる。そして、ドイツ国家 の最高 の人種 的 な価値 を持 つ者 たちが自 らを誇 りに思 いつつ、大胆 かつ勇敢 に国家 と国民 の指導 権 を求 めたので、多 くの民衆 が仲間 に加 わり、指揮 下 に入 ったのである。
ドイツ国民 にとって、こういう意識 を持 てることは幸運 である。すなわち、“現象 の絶 え間 ない逃走 の中 の、ひとつの安定 した極 に、今 や最終 的 に交替 した”[注 27]という意識 である。交替 したのは、この国 の最高 の血統 を担 っていると自覚 している者 である。そして、国家 の指導 者 に上 り、その地位 を守 り、その立場 を利用 し、もはや辞 することはないと決意 している者 である。ドイツ国民 は、政権 の交代 がようやく終 わりを告 げ、強力 な政体 が確立 されたことに満足 している。最高 の血 を引 く男 がこの国 の指導 権 を握 った。彼 はそれを維持 し、万民 の最大 の福祉 のためにそれを行使 し、一 歩 たりともあとへは引 かない覚悟 である。実際 に活動 している闘士 たちは、いつも国民 の一部 に過 ぎないだろう。そして彼 らには、残 りの何 百 万 人 の同胞 よりも、さらに多 くのものが要求 されるだろう。彼 らは「私 は信 じる」と告白 するだけでは十分 ではない。その代 わりにこう誓 うべきだ 「私 は闘 う」。この党 は、いつの時代 でもドイツ国民 の最上 の政治 指導 者 であるだろう。党 の原則 は不変 であるだろう。その組織 は鋼鉄 のように強 いだろう。その戦術 は柔軟 で順応 性 があるだろう。それでいて、その全体 像 は一 つの騎士 団 のようであるだろう。しかし目的 はこうでなくてはならない。すべてのまっとうなドイツ人 が国家 社会 主義 者 になり、最高 の国家 社会 主義 者 だけが党員 になることだ。
かつて我々 の敵 は、こんなことを心配 していた。すなわち、時々 の禁令 や迫害 が、同時 にこの運動 から役立 たずの連中 を根 こそぎ排除 したのではないかということだ。運動 にそのような連中 が現 れ始 めていたのだ。今日 、我々 は自 ら吟味 して、そぎ落 とさなくてはならない。悪 であることが証明 された者 を。そしてそれゆえに ……(歓声 のために中断 )…… そしてそれゆえに、我々 の内部 から必要 ではない者 を排除 しなくてはならない。我々 の願望 であり、決意 でもあるのは、この領 邦 と国家 が、今後 一 千 年間 存続 しなくてはならないということである。我々 が幸福 でいられるのは、次 のことが分 かっているからである。すなわち、未来 が余 すところなく、我々 のものだということである。年長 の世代 が、いつかよろよろになったときは、若者 たちが身 も心 も我々 に捧 げ、我々 のものになるのだ。我々 の全面 的 な協力 によって、党 の中 で国家 社会 主義 の思想 と本質 を最大限 に具体 化 させたときに、初 めて党 はドイツ国民 と国家 の永遠 の破壊 できない支柱 になるだろう。
そして将来 は、昔 からの我々 国民 が誇 る武器 の担 い手 であるすばらしき栄光 の陸軍 と、それに劣 らぬ強 い伝統 のある党 の政治 指導 者 が並 んで歩 むだろう。そしてこれらの両方 の組織 が共同 でドイツの人々 を教育 し強固 にして、彼 らの双肩 に、ドイツの領 邦 、ドイツ帝国 を担 わせるのである。
この時間 、数 万 人 の党 の同志 たちは、すでに町 を去 った。だが、まだ思 い出 に浸 っている者 がいる一方 で、すでにつぎの点呼 に向 けて新 たに準備 を始 めている者 がいるだろう。そして再 び、人々 はやってきては去 っていくだろう。そして常 に新 たに感動 し、幸 せを感 じ、熱狂 するだろう。なぜなら、その理念 と運動 は、我々 の国民 の活力 の表現 であり、それと共 に永遠 の象徴 であるからである。国家 社会 主義 運動 万 歳 。ドイツ万歳 。
- ヒトラーと
入 れ替 わってヘスが登壇 し、何 かを言 おうとするが、会場 の興奮 が絶頂 に達 する中 、自 らも感極 まって声 が出 ない。やや間 をおいてから、こう叫 ぶ。
党 はヒトラーである。ヒトラーこそドイツである。ドイツがヒトラーであるように。ヒトラーに、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。
党 歌 Die Fahne hoch (旗 を高 く掲 げよ) の演奏 が始 まり、全員 で合唱 する。大写 しになった党 旗 の中 に、行進 する党員 たちの映像 が浮 かび上 がる。
著作 権 について
『
関連 項目
脚注
注釈
- ^
現代 の視点 から客観 的 にい換 えると、「第 一 次 世界 大戦 が勃発 してから20年 後 - ドイツが休戦 協定 に調印 してから16年 後 - ヒトラーが首相 に就任 してから19か月 後 」となる。 - ^ この
旗 も1935年 までハーケンクロイツ旗 とともに国旗 として用 いられた。意匠 はドイツ帝国 のものと同 じ。ドイツの国旗 を参照 。 - ^
現在 のニュルンベルク空港 よりも南東 にあった旧 飛行場 。跡地 はマリーエンベルク市民 公園 になっている。 - ^ このパレードのシークエンスで
流 れる曲 は、前作 『信念 の勝利 』のオープニングクレジットで流 れる合唱 曲 を行進曲 風 に編曲 したもの。 - ^ a b c d e f g h この
映画 に登場 する人物 の演説 の内容 は、Triumph des Willens Ein DVD-Abend Tekki 2005(ドイツ語 )、インフィールド『レニ・リーフェンシュタール』148-167頁 、などを参考 にした。 - ^
日本人 の姿 も見 える。ちなみに1934年 9月 当時 の駐 ドイツ日本 大使 は永井 松三 である。 - ^ Bewegung (
運動 ) は、ここでは die nationalsozialistische Bewegung (国家 社会 主義 運動 )のこと。 - ^ 1918
年 に起 こったバイエルン革命 を起点 にしている。 - ^ この
第 6回 党 大会 の開催 時 には、シュペーアがペルガモンの大 祭壇 を模 して設計 した祭壇 は、まだ完成 していなかった。サーチライトを多用 した「光 の大 聖堂 」の壮大 な演出 が行 われたのは、1936年 の党 大会 以降 である[4]。1934年 の党 大会 を記録 したこの映画 には「光 の大 聖堂 」の映像 はない。 - ^
赤色 戦線 (Rotfront)すなわち共産 主義 勢力 と反動 勢力 (Reaktion)はナチスが敵視 する勢力 の総称 。ナチスの党 歌 『旗 を高 く掲 げよ』の歌詞 にも「Kameraden, die Rotfront und Reaktion erschossen」とある。 - ^
原語 は Volksgenosse (国民 同胞 )で、ナチス時代 に多用 された語 。女性 形 は Volksgenossin で、ヒトラーやゲッベルスらの演説 はしばしば「Deutsche Volksgenossen und Volksgenossinnen」という呼 びかけから始 まる。 - ^ この9か
月 後 の1935年 6月 から、18歳 から24歳 までの男子 全員 が国家 労働 奉仕 団 に入 ることが義務 づけられた。 - ^
前年 の第 5回 大会 から、大会 期間 中 の一 日 が必 ず「ヒトラー・ユーゲントの日 」に当 てられるようになった[5]。 - ^ スタンドにSAAR (ザール) の
人文字 が見 える。ザール地方 が住民 投票 の結果 としてドイツに返還 されるのは、この翌年 の1935年 である。 - ^
場内 にいるのは男子 ばかりのように見 えるが、ドイツ女子 同盟 (BDM) と思 われる女子 の一団 がスタンドの中央 を占 めている光景 が一瞬 映 る。 - ^
第 一 次 世界 大戦 末期 の1918年 6月 に、当時 のフランス首相 クレマンソーは議会 の演説 において、次 のような言葉 で戦争 を完遂 する決意 を表明 した。「我々 はパリの前 で闘 う。パリの中 で闘 う。そしてパリの後 ろで闘 う。」議場 でこれを聞 いていたチャーチルは、名 演説 として知 られる1940年 の彼 の演説 の中 で似 たい回 しを用 いている。 - ^ リーフェンシュタールの
自伝 の記述 によると、撮影 当日 は悪天候 だったため、このシークエンスの撮影 に失敗 した。そこでカットすることに決 め、そのことを訪 ねてきたライヒェナウに説明 すると、ライヒェナウは激怒 し、ヒトラーに注進 に及 んだという[6]。結局 、このシークエンスはウーファがニュース用 に撮影 した映像 を使 って間 に合 わせた[7]。また後日 、この騒 ぎの埋 め合 わせに、国防 軍 だけを撮影 した映画 『自由 の日 』を製作 することになった。 - ^
取材 のために現場 にいたウィリアム・シャイラーは、この時 の印象 を日記 に記 している。「ヒトラーは今日 、残虐 な粛清 の後 に初 めて突撃 隊 と顔 を合 わせた。大 演説 の中 でヒトラーは、彼 ら5万 人 に対 してレームの『反乱 』の責任 を『赦免 』した。スタジアムには、かなりの緊張 感 が漂 っていた。気 が付 くとヒトラー個人 のS.S.ボディガードが大挙 してヒトラーの前 に整列 して、彼 と褐色 シャツの集団 とを隔 てていた。我々 はこの5万 人 の褐色 シャツの中 にリボルバーを構 える者 が一人 ぐらいはいるのではないかと思 ったが、誰 もいなかった[8]。」 - ^ この「ルッツェ→ヒトラー」という
演説 の順序 は、実際 には逆 で、まずヒトラーのレーム事件 に関 する演説 があり、それを受 けてルッツェが突撃 隊 を代表 してヒトラーへの変 わらぬ忠誠 を誓 う、という順序 だった[9]。 - ^
約 2か月 前 の6月 30日 に起 こったレーム事件 を指 す。 - ^
以下 、行進 する部隊 の名称 は、隊 旗 のデザインや服装 などから明 らかに識別 できる範囲 で記 す。 - ^
同 じ突撃 隊 として複数 の部隊 が行進 する。1923年 の第 1回 党 大会 以来 、突撃 隊 旗 はミュンヘン第 1連隊 、第 2連隊 、ニュルンベルク連隊 、ランツフート(Landshut)連隊 の4つの隊 に授与 されるのが慣例 だった[10]。 - ^ トリオの
部分 は Hohenfriedberger Marsch (ホーエンフリートベルク行進曲 )。 - ^
映像 では判然 としないが、エーデルヴァイスの紋章 ならば、この部隊 は山岳 猟 兵 と思 われる。 - ^ ドイツはヴェルサイユ
条約 で軍事 力 を制限 されたが、空軍 についてはドイツ航空 スポーツ連盟 など別 の名称 の組織 で温存 を図 った。この翌年 1935年 にドイツ再 軍備 宣言 をして公然 と空軍 を名乗 るようになる。 - ^
実際 には、この国家 労働 奉仕 団 の行進 だけが9月6日 の午後 に行 われた。他 の部隊 は9月9日 である[11]。そのためヒトラーの服装 が異 なっている。ちなみに、この国家 労働 奉仕 団 の次 の親衛隊 の行進 シーンで、ヒトラーの服装 が途中 で入 れ替 わっている。 - ^
原文 は„die ewige Flucht der Erscheinungen nunmehr endgültig abgelöst wurde von einem ruhenden Pol“。ちなみにシラーの詩 『散歩 』(Der Spaziergang 1795年 )に„Sucht den ruhenden Pol in der Erscheinungen Flucht“(絶 え間 ない逃走 の中 に安定 した極 を求 めよ) という一節 がある。ヴァイマル共和 政 が成立 した1918年 からヒトラーが首相 に就任 する直前 の1933年 までの15年間 に、のべ14人 の首相 が交替 している。 - ^ レニ・リーフェンシュタールが
映画 の創作 性 に全体 として寄与 したと思 われること、また、映画 のオープニングクレジットにレニ・リーフェンシュタールという実名 が表示 されていること、の2点 が適合 する。ただしこの映画 はノンフィクションであり、監督 自 らが主演 したチャップリン映画 とは、監督 が創作 に寄与 した度合 いに違 いがある。
出典
- ^
田野 大輔 2003, pp. 207. - ^ A Guide to the Annual Nazi Party Congress ("Parteitag") in Nuremberg, 1934
実際 の第 6回 党 大会 のスケジュール (英文 ) - ^
芝 『ヒトラーのニュルンベルク』、114頁 。 - ^
芝 『ヒトラーのニュルンベルク』、134頁 。 - ^
平井 『ヒトラー・ユーゲント』、54頁 。 - ^ リーフェンシュタール『
回想 』、上巻 231頁 。 - ^
平井 『レニ・リーフェンシュタール』、143頁 。 - ^ William Shirer:Berlin Diary(
英語 )、NUREMBERG September 9 - ^
芝 『ヒトラーのニュルンベルク』、120頁 。 - ^
阿部 良男 『ヒトラー全 記録 』、95頁 。 - ^
芝 『ヒトラーのニュルンベルク』、116-117頁 。 - ^
最高裁 判決 (平成 20(受)889) モダン・タイムス事件 の最高 裁判所 判決
参考 文献
田野 大輔 「民族 共同 体 の祭典 -ナチ党 大会 の演出 と現実 について- (人間 科学 部 特集 号 )」『大阪 経 大 論集 』第 53巻 第 5号 、大阪経済大学 、2003年 1月 15日 、185-219頁 、NAID 110000122013。- レニ・リーフェンシュタール『
回想 』椛島 則子 訳 、文藝春秋 社 、1991年 。ISBN 4-163-45900-6。 芝 健介 『ヒトラーのニュルンベルク -第 三 帝国 の光 と闇 -』吉川弘文館 〈歴史 文化 ライブラリ90〉、2000年 。ISBN 4-642-05490-1。- グレン・B・インフィールド『レニ・リーフェンシュタール
芸術 と政治 のはざまに』喜多 迅鷹・喜多 元子 訳 、リブロポート、1981年 。ISBN 4845700190。 平井 正 『レニ・リーフェンシュタール 20世紀 映像 論 のために』晶文社 、1999年 。ISBN 4-7949-6408-0。平井 正 『ヒトラー・ユーゲント』中央公論 新 社 〈中公新書 〉、2001年 。ISBN 4-12-101572-X。
外部 リンク
- Triumph of the Will (German: Triumph des Willens)
意志 の勝利 - インターネット・アーカイブ 内容 紹介 と分析 (ドイツ語 )Triumph des Willens Ein DVD-Abend Tekki 2005意志 の勝利 - allcinema- Triumph des Willens - IMDb(
英語 )
ウィキソースには、ナチスの
ウィキメディア・コモンズには、1934