南京 (戦線 後方 記録 映画 )
『
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映画 の来歴
この
- 『
上海 』 - 2月 1日 公開 - 『
南京 』 - 2月 20日 公開 - 『
北京 』 - 8月 23日 公開
この
2014
映画 のスタッフ
製作 -松崎 啓 次 指導 -軍 特務 部 撮影 -白井 茂 現地 録音 -藤井 愼一 製作 事務 -米沢 秋吉
映画 の内容
南京 攻略 戦 における各 戦闘 箇所 ごとの解説 中国 兵 捕虜 にタバコを渡 す日本 兵 - 1937
年 12月17日 、中 支 那 方面 軍 幕僚 及 び陸海 軍 将兵 よる南京 入城 式 [6] - 1938
年 12月18日 、日 中 戦没 者 合同 慰霊 祭 [要 出典 ] 陥落 直後 の南京 城 外 の様子 、明 孝 陵 、音 楽堂 、中国 戦死 者 墓地 、運動 場 等 [要 出典 ]南京 にいた外国 人 により組織 された国際 委員 会 が設定 した中立 地帯 、南京 難民 区 という避難 区域 [要 出典 ]日本 軍 や南京 市民 による南京 戦 後 の復興 の様子 [要 出典 ]避難 していた南京 市民 が南京 へ戻 り始 めた様子 赤十字 看護 婦 の活動 [注釈 1]安居 証 [8]という中国人 のための通行 証 と南京 の住民 である身分 を証明 する交付 を行 う日本 軍 の様子 [6]日本 軍 による正月 の準備 から新年 までの様子 [6]正月 に爆 竹 で遊 ぶ南京 の子供 達 [6]南京 自治 委員 会 の発会 式 戦死 した日本 兵 が戦友 の手 で火葬 にされる場面 では、火葬 にされる生々 しい音 が同時 録音 で捉 えられたが、1995年 に発見 されたプリントではその部分 は欠落 している[9]。彼 らの在 りし日 の姿 を偲 ぶと称 して戦闘 の再 現場 面 も挿入 されており[9]、城壁 をよじ登 り日章旗 を立 てるシーンを再現 して撮影 された[10]。当 映画 が公開 されたときの評論 には、「映画 の最期 に(略 )我 軍医 の手厚 い治療 を受 ける支 那 負傷 兵 の呻 き声 」とある[11]。
映画 の字幕
我々 の同胞 が一 つになって
戦 った数々 の光輝 ある
歴史 の中 でも南京 入城 は
燦然 たる一 頁 として
世界 の歴史 に残 るだろう
その日 の記憶 として
この映画 を我々 の子孫 に
贈 る
本編 は
陸軍 省
海軍 省
並 びに
現地 の将士 達 の
指導 と援助 のもとに
完成 された
映画 撮影 の様子
この
米沢 秋吉 の撮影 日誌
- 1937
年 12月13日 -南京 に入 る前日 。敗残 兵 (便衣 兵 参照 )の暴行 の話 を聞 き、器材 が掠奪 されることを恐 れていた[13]。 - 12月14
日 -南京 に入 る。南京 は、南京 城 北部 の掃蕩 中 であり、撮影 班 は掃蕩 と思 しき激 しい銃声 を聞 いた[注釈 2] - 12月15
日 -城内 の撮影 開始 。訪 れた挹江門 (ゆうこうもん)の附近 ではまだ掃蕩 が行 われていた[注釈 3] - 12月16
日 -紫 金山 麓 、郊外 遊 園地 である中 山陵 と附近 の音楽 堂 を撮影 。その際 には犬 が悠々 と歩 いていた[16] - 12月17
日 -日本 軍 による南京 入城 式 が撮影 された。天覧 に供 するため、そのフィルムは直 ちに空輸 されている[注釈 4] - 12月24
日 - 30万 人 の南京 の避難 民 を撮影 した。非常 に哀 れであった。子 どもを探 してキャラメルを与 えている日本 兵 の風景 を見 た。美 しい風景 であった[注釈 5] - 12月31
日 -水道 設備 の建設 風景 を撮影 した[注釈 6] - 1938
年 1月 2日 -中国人 捕虜 に対 する施療 風景 を撮影 した[注釈 7]
白井 茂 の回顧 録
また、
映画 を巡 る評論
この
映画 作品 としての評論
ドキュメンタリー
ドキュメンタリー
ドキュメンタリー
南京 大 虐殺 否定 派 の評論
1998
南京 大 虐殺 肯定 派 の評論
脚注
注釈
- ^ 1937
年 12月28日 に赤十字 看護 婦 が南京 に到着 した[7]。 - ^ 「
午後 五 時 南京 に入城 す。銃声 激 し。敗残 兵 の掃蕩 ならん。中 山路 交通 銀行 に特務 機関 と共 に、軍 特務 部 を設置 され、我々 もこゝを宿舎 と定 む。」[14] - ^ 「
食 ふことより先 づ撮影 だ。早朝 飛 び出 す。西 も東 も解 らないのに挹江門 に至 つた。凄惨 、例 へんかたなく、戦争 に負 けた國 の街 が、こんなになるんだ。掃蕩 は至 るところで行 はれてゐる。こゝに書 けない様 な生々 しいことがやられるし、我々 が負 けたら、我々 の兄弟 が、父母 や子供 が、こんな惨 めさに逢ふのだ。恐 ろしいことだ。どんな犠牲 を拂 つても、どんな事 をしても、戦争 には絶對 に負 けられない。蔣介石 の抗日 教育 がこの悲劇 を生 んだのであらう」[15] - ^ 「
聖戦 四 ケ月 、こゝに輝 く戦果 を収 めて、今日 栄 えある雄渾 壮麗 な入城 式 並 に閲兵 、国旗 掲揚 、皇居 遥拝 等 、世界 に燦たる歴史 が我々 の手 によつて、永久 に記録 されるのだ。現在 、日 露 戦争 時代 の奉天 入城 式 、又 は乃木 大将 とステツセル将軍 の水 師 営の会見 等 の同時 撮影 のフイルムが有 れば国宝 的 存在 である。我々 のそれも皇軍 の輝 く戦果 と共 に未来永劫 記念 されるでありませう。」[14] - ^ 「
國民 政府 においてきぼりに逢つた三 十 萬 の避難 民 を撮 りに行 く。非常 に哀 れである。兵隊 さんが子供 を探 してあるいてキヤラメルをやつてゐる。美 しい風景 だ。皇軍 の有難 さが解 つたのか、我々 にまで丁寧 なる敬禮 する」[17] - ^ 「
経理 部長 報道 班 の少佐 と共 に水道 廠 の建設 を撮影 に行 く」[18] - ^ 「
支 那 捕虜 への施療 状 況 を軍医 部長 指揮 にて同時 撮影 す」[19] - ^ 「
自由 に、奔放 に、よき場面 が同時 撮影 出来 る」とある[14]。 - ^ この
時期 には「新聞 掲載 事項 許否 判定 要領 」(1937年 9月 9日 、陸軍 省 報道 検閲 係 制定 )に基 づく陸軍 の検閲 制度 が存在 し、その検閲 をパスしなければ報道 ・上映 ができなかった。具体 的 には以下 のものが「掲載 を許可 せず」となっていた。「四 左 に列記 するものは掲載 を許可 せず (12)我 軍 に不利 なる記事 写真 (13)支 那 兵 または支 那 人 逮捕 尋問 等 の記事 写真 中 、虐待 の感 を与 える虞 (おそれ)あるもの (14)惨 虐 なる写真 、ただし支 那 兵 または支 那 人 の惨 虐 性 に関 する記事 は差 し支 えなし五 映画 は本 要領 に準 じ検閲 するものとす」[31]。
出典
- ^ a b
原田 健一 「占領 とプロパガンダ :木村 伊兵衛 の上海 ・南京 」『人文 科学 研究 』第 142巻 、新潟大学 人文学部 、2018年 3月 、80頁 、ISSN 04477332。 - ^
土本 典昭 「亀井 文夫 ・『上海 』から『戦 ふ兵隊 』まで」 『講座 日本 映画 5戦後 映画 の展開 』岩波書店 、1987年 所収 、330ページ - ^
藤井 仁子 「上海 ・南京 ・北京 ―東宝 文化 映画 部 〈大陸 都市 三 部 作 〉の地政学 」岩本 憲 児 ・編 『日本 映画 史 叢書 ②映画 と「大 東亜 共栄 圏 」』森 話 社 、2004年 所収 、111ページ - ^
松尾 一郎 「映画 「南京 」の空白 の《10分間 》映像 が語 る中国 の大 ウソ」『正論 』4月 号 - ^
戦線 後方 記録 映画 「南京 」高画質 完全 版 70分 "Record of Battile of Nanking" 20 Feb 1938 High Quality Ver - ^ a b c d
映画 『南京 の真実 』公式 サイト - ^
米沢 秋吉 「南京 撮影 日誌 」 『映画 と演芸 』15巻 3号 、1938年 - ^
南京 攻略 戦後 の宣撫 工作 記録 では「安居 の証 」(南京 事件 資料集 「南京 特務 機関 」) - ^ a b
藤井 、114ページ - ^
土本 、331ページ - ^
新 映画 評 南京 、『東京 朝日新聞 』1938年 2月 23日 付 朝刊 、二 面 )。 - ^
藤井 、113ページ - ^
米沢 前掲 資料 「南京 撮影 日誌 」12月13日 - ^ a b c
米沢 前掲 資料 「南京 撮影 日誌 」 - ^
米沢 前掲 資料 「南京 撮影 日誌 」12月15日 - ^
米沢 前掲 資料 「南京 撮影 日誌 」12月16日 - ^
米沢 前掲 資料 「南京 撮影 日誌 」12月24日 - ^
米沢 前掲 資料 「南京 撮影 日誌 」12月31日 - ^
米沢 前掲 資料 「南京 撮影 日誌 」1月 2日 - ^
藤井 、115ページ - ^
土本 、330 - 331ページ - ^
佐藤 真 『ドキュメンタリー映画 の地平 (上 )』凱風社 、2001年 、171 - 172ページ - ^
白井 茂 『カメラと人生 ―白井 茂 回顧 録 』ユニ叢書 、1983年 、137 - 138ページ - ^ Amazon.co.jp (
キネマ旬報社 データベースより) - ^
野田 真吉 『日本 ドキュメンタリー映画 全 史 』〈現代 教養 文庫 〉社会 思想 社 、1984年 、86ページ - ^
土本 、329 - 332ページ - ^
佐藤 、171 - 172ページ - ^
藤井 、113 - 116ページ - ^
産経新聞 1998年 12月13日 - ^
下記 外部 リンク「映画 「南京 」から見 えるもの」 - ^ 『
不 許可 写真 1』毎日新聞社 、1998年 。南京 事件 調査 研究 会 ・編 『南京 大 虐殺 否定 論 13のウソ』柏書房 、1999年 。笠原 十 九 司 『南京 事件 論争 史 』平凡社 新書 、2007年 ) - ^
笠原 十 九 司 「南京 大 虐殺 はニセ写真 の宝庫 ではない」南京 事件 調査 研究 会 ・編 『南京 大 虐殺 否定 論 13のウソ』柏書房 、1999年 所収 、232 - 233ページ
関連 項目
- マギーフィルム
- ザ・バトル・オブ・チャイナ
中国 之 怒 吼 南京 の真実 -第 一部 「七 人 の『死刑 囚 』」において、「南京 大 虐殺 」がなかったとする根拠 として、この映画 が紹介 されている。