三さん府ふ(さんぷ)
三さん府ふとは、明治めいじから昭和しょうわにかけて存在そんざいした東京とうきょう府ふと、京都きょうと府ふ・大阪おおさか府ふをあわせた呼よび名なである。首府しゅふである東京とうきょうと、その代替だいたい地ちと成なり得える京都きょうと・大阪おおさかをまとめたものでもある。府ふ藩はん県けん三さん治ち制せいの元もとでは9つあった府ふが1874年ねんの廃藩置県はいはんちけんによってうち6府ふを県けんに改あらためたことで成立せいりつし、明治めいじ憲法けんぽう下したの府県ふけん制せいの下したでも存続そんぞくした。1943年ねんの都と制せい施行しこうによる東京とうきょう都と発足ほっそくまで存在そんざいした。
これら三さん府ふの中心ちゅうしん地ちは、江戸えど時代じだいから日本にっぽん三さん大都市だいとしに数かぞえられるなど重要じゅうよう度どが高たかい所ところであった。
三河みかわ国こく(現在げんざいの愛知あいち県けんの東部とうぶ)の国府こくふが有あった所ところを三さん府ふという。参府さんぷという表記ひょうきもある。三河そうご国こく(三さん州しゅうないし参まいり州しゅう、読よみ方かたはさんしゅう)の国府こくふ、府中ふちゅうまたは府内ふないという意味いみである。現在げんざいの愛知あいち県けん豊川とよかわ市し国府こくふ町まち(こうちょう)辺あたりにあたる。山梨やまなし県けんの甲府こうふ(甲斐かい国こく)や静岡しずおか県けんの駿府すんぷ(駿河するが国こく)と同様どうようの用法ようほうである。ただし、三河みかわ国府こくふを「三さん府ふ」と呼よぶ人ひとは多おおくはない。