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中国武術 - Wikipedia

中国ちゅうごく武術ぶじゅつ

中国ちゅうごく大陸たいりく起源きげん戦闘せんとう技術ぎじゅつ総称そうしょう

中国ちゅうごく武術ぶじゅつ(ちゅうごくぶじゅつ)とは、中国ちゅうごく大陸たいりく起源きげん武術ぶじゅつ総称そうしょう。「中国ちゅうごく武術ぶじゅつ」は中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく中国ちゅうごく大陸たいりく)ではたんに「武術ぶじゅつウーシュー、wǔshù)」、台湾たいわんでは「くにじゅつ(グォーシュー、guóshù、日本にっぽんこくでこれからてんじてくにじゅつ)」、広東かんとんしょうなどりょうこう地方ちほうでは功夫いさお ともばれる。また、中国ちゅうごくたんに「武術ぶじゅつ」というと世界中せかいじゅうの「武術ぶじゅつ」「武道ぶどう」「格闘技かくとうぎ全般ぜんぱんすこともある。

あさ上海しゃんはい広場ひろば健康けんこう体操たいそうの簡化太極拳たいきょくけんをしている人々ひとびと

概説がいせつ

編集へんしゅう

中国ちゅうごく拳法けんぽうとも日本にっぽんではよくばれるが、中国ちゅうごくでの名称めいしょうである武術ぶじゅつという言葉ことばしめすのは徒手としゅ技術ぎじゅつである拳法けんぽうのみではなく、火器かきのぞ武器ぶきじゅつふくまれる。武器ぶき中国ちゅうごくにおいては器械きかい、または兵器へいきばれ、かたなけん代表だいひょうされるたん器械きかいやり代表だいひょうされるちょう器械きかいなどがある。中国ちゅうごく武術ぶじゅつ門派もんぱかずは400とも600ともわれるが、徒手としゅこぶしじゅつ器械きかいそなえている門派もんぱおおい。

現在げんざい、「武術ぶじゅつ」(ウーシュー、日本にっぽんめい武術ぶじゅつ太極拳たいきょくけん」)の競技きょうぎめい点数てんすうせい套路競技きょうぎひょうえんじ競技きょうぎ)や競技きょうぎ徒手としゅくみしゅ競技きょうぎ)が中国ちゅうごく国内こくないだけでなく、世界せかい選手権せんしゅけんである世界せかい武術ぶじゅつ選手権せんしゅけん英語えいごばんなど国際こくさいてきおこなわれている。(この国際こくさい競技きょうぎスポーツとしての「武術ぶじゅつ武術ぶじゅつ太極拳たいきょくけん)」は、ふし伝統でんとうけん制定せいていけん」や武術ぶじゅつ太極拳たいきょくけん参照さんしょう

現在げんざい中国ちゅうごくでの武術ぶじゅつ目的もくてきは「」、「けん」、「実用じつよう」、すなわちうつくしい演武えんぶおこなうこと、からだきたえて健康けんこうになること、そして相手あいて殺傷さっしょうできるちからをつけることの3つであるとかんがえられている。「」の側面そくめん強調きょうちょうしたものはおもて演武えんぶじゅつ武術ぶじゅつ太極拳たいきょくけんである。「けん」の側面そくめん代表だいひょうするものは太極拳たいきょくけんである。太極拳たいきょくけん愛好あいこうしゃ世界中せかいじゅう大勢おおぜいいるがおおくのひと武術ぶじゅつとしてよりも健康けんこうほうとしておこなわれている。「実用じつよう」の側面そくめんにはふたつのおおきなながれがあり一方いっぽう競技きょうぎされたばれる対戦たいせんスポーツ形式けいしき競技きょうぎであり、一方いっぽう民間みんかんもしくは様々さまざまかんとう伝承でんしょうされる伝統でんとう流派りゅうは存在そんざいである。こちらはいまなお古来こらいよりつたわる本来ほんらいとしてのねりこう練習れんしゅう方法ほうほうつたえている。日本にっぽんれいたとえるなら前者ぜんしゃはk-1にられる競技きょうぎいち形態けいたいであり後者こうしゃ伝統でんとう保存ほぞん目的もくてきとした武術ぶじゅつこと出来できる。「けん」にかんしても古来こらいにおいては自身じしん強靭きょうじん武器ぶきため命懸いのちがけの危険きけんねりこう練習れんしゅうほう存在そんざいした。 もともと古代こだい中国ちゅうごくにおいて「たけ」とは戦乱せんらんごした人々ひとびとにより殺人さつじん殺傷さっしょうてき意味いみふく使つかわれていた。しかしかんだいの『せつぶんかい』によって「じゅつ」という平和へいわてき発想はっそう転換てんかんした。直接的ちょくせつてきには『春秋しゅんじゅうひだりでん』のせんこうじゅうねん故事こじ由来ゆらいしている。

 
少林寺しょうりんじせん佛堂ぶつどう壁画へきが
 
嵩山すせ少林寺しょうりんじ

中国ちゅうごく武術ぶじゅつ起源きげんは、かん王朝おうちょう前漢ぜんかんこうかん紀元前きげんぜん206ねん - 220ねん)の時代じだい黄河こうが沿いにんだ人々ひとびと自衛じえいふくめたせん(いくさ)のため教練きょうれんからはじまったといわれている。そのもなく娯楽ごらく要素ようそとしてや健康けんこうほうとしても見直みなおされるになった。現在げんざい中国ちゅうごく武術ぶじゅつ門派もんぱ多種たしゅ多様たよう民族みんぞく比例ひれいかぞれないほど存在そんざいする。そのそれぞれがみずからの門派もんぱ起源きげんかんする逸話いつわっているが、みずからの門派もんぱすぐれたものであることをしめすために伝説でんせつじょう有名人ゆうめいじん英雄えいゆう創始そうししゃ仮託かたくしているものもおおられる。もっと有名ゆうめいしょうはやしけん太極拳たいきょくけんについて開祖かいそ伝説でんせつしるしておく。みぎ壁画へきがは、松田まつだたかしさとし著書ちょしょしょうはやしけんじゅつ羅漢らかんけん』によると、「中国ちゅうごく発行はっこうされている『世界せかい体育たいいく』に、壁画へきがもと南京なんきんぐんふく司令しれいいんぜにつり将軍しょうぐんが1917ねんから1921ねんにかけてえがいたものであるという。」

しょうはやしけん開祖かいそ伝説でんせつ
河南かなんしょう嵩山たけやまにある禅宗ぜんしゅう寺院じいんである少林寺しょうりんじ武術ぶじゅつ修行しゅぎょう場所ばしょとしても有名ゆうめいであるが、少林寺しょうりんじ武術ぶじゅつ起源きげんとして、インドから菩提ぼだい達磨だるま始祖しそであるという。菩提ぼだい達磨だるま少林寺しょうりんじ禅宗ぜんしゅうおしえをさづけるさいに、少林寺しょうりんじ僧侶そうりょたちが体力たいりょくくて精神せいしんきたえることが出来できないことをなげき、体力たいりょくきたえる秘法ひほうえきすじぎょうあらいずいぎょうさづけた。そのあらいずいぎょうしつでんしたが、えきすじぎょうもとにして少林寺しょうりんじじゅうはち羅漢らかんしゅという武術ぶじゅつ発達はったつし、これをもとにしてしょうはやしけん出来できたという。実際じっさいには菩提ぼだい達磨だるま少林寺しょうりんじ坐禅ざぜんをしたという伝説でんせつがあるのみで、武術ぶじゅつさづけたというのは後世こうせいつくられた逸話いつわといわれている。
太極拳たいきょくけん開祖かいそ伝説でんせつ
少林寺しょうりんじ修行しゅぎょうしたちょうさんは、そのたけ当山とうざんにこもって修行しゅぎょうし、道教どうきょうの吐納ほう呼吸こきゅうほう)やしるべ引術(心身しんしん鍛錬たんれんほう)などをわせたうちこぶしした、とされる。少林寺しょうりんじ修行しゅぎょうしたことなどは、事実じじつ明確めいかく検証けんしょうする学問がくもんである考証こうしょうがくわれたむねひゃくいえしょした「うち拳法けんぽう」の冒頭ぼうとう下記かきのようにかれている。 そといたりしょうはやし其術せい矣張さんみねすんでせい於少りんふくしたがえ而飜名内なうちとく其一二者已足勝少林王征南先生従學於單思南而獨得其全」みずかそとしょうはやしいたり、じゅつせいなり。はりさんみねすでしょうはやしせいし、ふくいてこれをひるがえし、これにづけてうちす。そのいちれば、すでにしょうはやしつにる。 おうただしみなみ先生せんせいたんおもえみなみしたがえひてまなびてひとりそのすべてをたり)
 
このことは、事実じじつ明確めいかく検証けんしょうする学問がくもんである考証こうしょうがくわれたむね羲のひゃくいえしょした「うち拳法けんぽう」のだいいちページ
しょうはやしけんとうそとこぶしばれるのにたいして、太極拳たいきょくけんかたちけん八卦はっけてのひらひとしうちけんたけとうもん)とばれることがある。中国ちゅうごく武術ぶじゅつ全国ぜんこくてき統一とういつ組織そしきであった南京なんきん中央ちゅうおうこくじゅつかんたけとうもんもんちょう楊氏太極拳たいきょくけんさんせい楊澄はじめ就任しゅうにんしているが、のちかく門派もんぱごとの組織そしきあらためられ、たけとうもんはいされている。考証こうしょうがくであるむねしるしたおうただしみなみこころざしめいには、うちこぶしきたはじめだいちょうさん始祖しそとし、おうただしみなみはその使つかであるとしるされている。その拳法けんぽう詳細しょうさいを、むね子息しそくであるひゃくいえが「うち拳法けんぽう[1]記録きろくしている。うちこぶし太極拳たいきょくけんきのこう新書しんしょこぶしけいとの関係かんけい考察こうさつする研究けんきゅうがある[2]。その太極拳たいきょくけん源流げんりゅうは、河南かなんしょうひねみぞというむらにあり、ここでは代々だいだいちん一族いちぞくつたえられている武術ぶじゅつがあった。ふる武術ぶじゅつ、おそらくはおな河南かなんしょうにある少林寺しょうりんじ系統けいとう武術ぶじゅつせま一族いちぞくだけにつたえられるうち独自どくじ発達はったつをしたものであるとわれている[だれによって?]。また、ちん武術ぶじゅつには戚継こうあらわした『きのこう新書しんしょ』の「こぶしけいさんじゅうぜいから技法ぎほう採用さいようされている。
義和よしかずだんらん

中国ちゅうごく武術ぶじゅつ一般いっぱんめい

編集へんしゅう
  • 1911ねんうまりょうが「しん武術ぶじゅつ」という名称めいしょう著作ちょさく中華ちゅうかしん武術ぶじゅつ』で提唱ていしょう
  • 1927ねん中華民国ちゅうかみんこくちょうこうが「くにじゅつ」という統一とういつ一般いっぱん名称めいしょう提案ていあん採用さいようされる。
  • 1928ねんちょうこう中央ちゅうおうこくじゅつかん設立せつりつ
  • 1952ねん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく国家こっか体育たいいく運動うんどう委員いいんかい運動うんどう種目しゅもく名称めいしょうを「武術ぶじゅつ」とした。
    • 台湾たいわん(中華民國ちゅうかみんこく)では「くにじゅつ」のまま存続そんぞくした。
  • 1980ねんごろしん武術ぶじゅつというあらたな種目しゅもく提案ていあんされる。

分類ぶんるい

編集へんしゅう

中国ちゅうごく武術ぶじゅつ有名ゆうめいなものだけでも400種類しゅるい以上いじょうわれ、そのすべてを網羅もうらすることは不可能ふかのうであり、また分類ぶんるい整理せいり完全かんぜんとはえない。中国ちゅうごく武術ぶじゅつをいくつかに分類ぶんるいする方法ほうほうがあるが、いずれも異論いろんがある。

そとこぶしうちこぶし

編集へんしゅう
 
太極拳たいきょくけん創始そうししゃちょうさん

しょうはやしけんのように筋骨きんこつ体力たいりょくきたえ、からだ外面がいめんからつよくして剛力ごうりきもちいる武術ぶじゅつそとこぶしび、太極拳たいきょくけんのように呼吸こきゅう内面ないめんきたえて柔軟じゅうなんちからもちいる武術ぶじゅつうちこぶしぶ。しかし、実際じっさいにはしょうはやしけん初期しょき練習れんしゅうでこそ筋骨きんこつきたえるが、練度れんどすすむと内面ないめんきたえ、ぎゃくに、太極拳たいきょくけんにもごうちからおおふくまれている。武術ぶじゅつふか理解りかいしないもの表面ひょうめんてき技法ぎほうのみをった分類ぶんるいだとかんがえられることから、現在げんざいでは重視じゅうしされることはほとんどない。

しょうはやしけん仏教ぶっきょう寺院じいんまな武術ぶじゅつであるので出家しゅっけしたものすなわいえそとにいるものおさめる武術ぶじゅつであるのでそとこぶし太極拳たいきょくけん出家しゅっけしない道教どうきょう信者しんじゃすなわいえうちにいるものまなぶのでうちこぶしである、とするせつもあるがあまり一般いっぱんてきではない。べつせつとして、ひゃくいえの「うち拳法けんぽう」がある。しかし、一般いっぱんてきわれるうちいえけんとの関係かんけい不明ふめいであり、また太極拳たいきょくけんとの関係かんけい不明ふめいである。

ちなみに日本にっぽんではうちこぶし普及ふきゅうたかく、海外かいがいではそとこぶし普及ふきゅうたかい。これは中国ちゅうごくけい移民いみん広東かんとんしょう福建ふっけんしょうといったそとこぶしさかんな地域ちいき出身しゅっしんしゃおおためわれている。

しょうはやしたけとうと峨眉

編集へんしゅう

おおくの武術ぶじゅつ少林寺しょうりんじ武術ぶじゅつ起源きげんとする伝説でんせつつことから、しょうはやしけんふくめてすうおおくの武術ぶじゅつしょうはやしび、太極拳たいきょくけん創始そうししゃとされたちょうさん修行しゅぎょうした場所ばしょたけ当山とうざんであることから太極拳たいきょくけんたけとう武術ぶじゅつぶ。太極拳たいきょくけん門派もんぱものしょうはやしけん門派もんぱ対抗たいこう意識いしきつよいために、2つの門派もんぱ対等たいとう対立たいりつしているという発想はっそうから無理むりかんがえられた呼称こしょうであるようにおもわれる[よう出典しゅってん]べつせつとして、1928ねん南京なんきん中央ちゅうおうこくじゅつかん開設かいせつされ、当初とうしょ学科がっかとして、しょうはやしもんたけとうもんもうけられた。たけとうもんなかたけとうこぶし太極拳たいきょくけんかたちけん八卦はっけてのひらなどがふくまれていた。しかしのちにこの学科がっか分類ぶんるい誤解ごかいしょうじさせるものとしてあらためられた。

きたみなみ

編集へんしゅう
 
はちきょくこぶし

狭義きょうぎでは、きたしょうはやしけんみなみしょうはやしけんのことをす。河南かなんしょう嵩山すせ少林寺しょうりんじとはべつに、中国ちゅうごく南部なんぶ福建ふっけんしょうみなみ少林寺しょうりんじがあり、嵩山すせ少林寺しょうりんじ起源きげんとする武術ぶじゅつきたしょうはやしけん、あるいはたんしょうはやしけんび、みなみ少林寺しょうりんじ起源きげんとする武術ぶじゅつみなみしょうはやしけんぶ。しんだいはんきよしふくあかり運動うんどう満州まんしゅう民族みんぞく王朝おうちょうであるきよしたおして、うしなわれたかん民族みんぞく王朝おうちょうであるあかり復興ふっこうさせようと秘密ひみつ結社けっしゃてき活動かつどう)においてその拠点きょてんみなみ少林寺しょうりんじであり、その活動かつどうなか発達はったつした武術ぶじゅつみなみしょうはやしけんであるという伝説でんせつがある。みなみ少林寺しょうりんじはあくまで伝説でんせつじょう存在そんざいとするせつ有力ゆうりょくであり(からごうしょうはやしけんじゅつ秘訣ひけつ考証こうしょう』)、近年きんねんまでみなみ少林寺しょうりんじ存在そんざい自体じたい架空かくうのものであるとされていたが、みなみ少林寺しょうりんじかんするものとおもわれる嵩山すせ少林寺しょうりんじ発見はっけんされた古文書こもんじょ福建ふっけんしょうみなみ少林寺しょうりんじのものとおもわれる遺跡いせき発見はっけんされたとして、現代げんだいでは実際じっさい存在そんざいしたのではないのかとするせつあらわれている。みなみ少林寺しょうりんじ真実しんじつ解明かいめいについては今後こんご研究けんきゅうたれる。なお現在げんざい福建ふっけんしょう泉州せんしゅう存在そんざいする「みなみ少林寺しょうりんじ」はあらたに建立こんりゅうされた寺院じいんである。

一般いっぱんてきにはきたみなみという名称めいしょうは、ひろくは中国ちゅうごく北部ほくぶおもおこなわれる武術ぶじゅつと、南部なんぶおもおこなわれている武術ぶじゅつす(南北なんぼく境界きょうかい長江ちょうこう)。南北なんぼく技法ぎほう理念りねんおおまかにちがいがあり、みなみけんきたももわれ、みなみこぶしすなわうでおおもちい、きたももすなわりを多用たようするとわれている。北部ほくぶ平原へいげんおおいために移動いどう跳躍ちょうやくりのおお武術ぶじゅつ発達はったつし、南部なんぶかわふね移動いどうすることがおおせま場所ばしょれる場所ばしょでも練習れんしゅうできる武術ぶじゅつ発達はったつしたというせつがあるが真偽しんぎさだかではない。たしかに中国ちゅうごく南部なんぶにおける武術ぶじゅつにはおも上半身じょうはんしんもちいる武術ぶじゅつおおられ、北部ほくぶではしょうはやしけん、査拳などりが多彩たさい武術ぶじゅつおおいことは事実じじつであるが、南部なんぶでも莫家けんようりを得意とくいとする武術ぶじゅつがあり、北部ほくぶにもかたちけんはちきょくこぶしこぼしこぶしったりのすくない武術ぶじゅつがあるので、かならずしも正確せいかくとはえない。

長江ちょうこう以南いなんでは、広東かんとんしょう福建ふっけんしょう中心ちゅうしんとして北部ほくぶ武術ぶじゅつとはことなり上半身じょうはんしんおお使つかい、下半身かはんしん安定あんていさせて移動いどうすくなく力強ちからづよこぶしつといった南部なんぶ特有とくゆう共通きょうつうした風格ふうかく武術ぶじゅつおおられるために、現代げんだいでもこれらの武術ぶじゅつ総称そうしょうしてみなみばれる。ちなみにみなみけんという流派りゅうは存在そんざいせず、みなみのいくつかの武術ぶじゅつ総称そうしょうである。長江ちょうこう以北いほく武術ぶじゅつには太極拳たいきょくけんしょうはやしけんふくまれる。

制定せいていけん中国ちゅうごく国家こっかとして制定せいていした套路)の長拳ちょうけん太極拳たいきょくけんみなみけんは、それぞれ、きたそとこぶしうちこぶし、およびみなみこぶしじゅつからわざ抜粋ばっすい競技きょうぎスポーツよう編集へんしゅうしたものであるとかんがえられる。

これ以外いがい古来こらいおも伝統でんとう武術ぶじゅつ列挙れっきょすると下記かきのように分類ぶんるいすることが出来できる。

分類ぶんるい正当せいとうせいについては異論いろんがあるがここでは便宜上べんぎじょう上記じょうき分類ぶんるいしたがった順番じゅんばんかく武術ぶじゅつ紹介しょうかいする。

べつ分類ぶんるいれいとして、伝統でんとう武術ぶじゅつよんだい流派りゅうはは、はなけん、峨媚けんたけとうこぶししょうはやしけんとするせつがあり、おおくの門派もんぱはこれらからかれたとされる。

きたそとこぶし

編集へんしゅう
しょうはやしけん(しょうりんけん)
しょうはやしけん中国ちゅうごく河南かなんしょう嵩山すせつたわる武術ぶじゅつ、もしくはそのながれを武術ぶじゅつ一般いっぱんふくんでいる。
その歴史れきしふるいが、義和よしかずだん事件じけん消滅しょうめつ危機ききう。元々もともとおおきな影響えいきょうあたえたことから「天下てんか武術ぶじゅつしょうはやしよりず」とうたわれている。
上海しゃんはいきよしたけ体育たいいくかいでは、潭腿を初級しょきゅうまなび、しょうはやしせんけん(大戦たいせんだっせんたんせん十字じゅうじせん合戦かっせん)をせいとし、さらに羅漢らかんけんまなんだ。
現代げんだいしょうはやしけんは、日本にっぽんではしばしば「少林寺拳法しょうりんじけんぽう」と混同こんどうされる。しかし、現在げんざいひろられている少林寺拳法しょうりんじけんぽう古典こてんてき嵩山すせ少林寺しょうりんじこぶしじゅつまなんだ日本人にっぽんじん宗道そうどうしんが、日本にっぽん帰国きこくしたのちあらたに創始そうしした独自どくじ技術ぎじゅつ日本にっぽん武道ぶどうであり、中国ちゅうごく少林寺しょうりんじ伝承でんしょうされる武術ぶじゅつとはことなる流派りゅうはである。理念りねんてきにも技法ぎほうてきにもまったちがっている。
しかし、日本にっぽん国内こくないにおいても現代げんだい中国ちゅうごくしょうはやしけんながれを流派りゅうは多数たすう存在そんざいする。
査拳(さけん)
査拳は中国ちゅうごく山東さんとうしょうかんむりけんがその発祥はっしょうわれている[だれによって?]諸説しょせつあり)。ふるくからイスラム教徒きょうとかいぞく)のあいだ伝承でんしょうされており、代表だいひょうてき長拳ちょうけんるいいちこぶししゅである。動作どうさおおきく、ももほう多用たようし、跳躍ちょうやくふくみ、また一路いちろ査拳からじゅう査拳、いくつかのこれらをおぎなおおくのこぶしじゅつ套路、器械きかい套路をゆうしている。現在げんざいではいくつかのかれ内外ないがいひろ伝承でんしょうされている。
こぼしけん(ほんしけん)
こぼしこぶしは「そうこぶしみつなることあめごとし、もろかいなることいちかけむちごとし」とうたわれるようにりょうこぶしあめあられのよう連続れんぞくしてし、あたかもばくちく炸裂さくれつするよう風格ふうかく非常ひじょうにスピードかんあふれる武術ぶじゅつである。こぼしこぶし手技しゅぎ主体しゅたいであるため、足技あしわざ主体しゅたい戳脚(たくきゃく)とわせて練習れんしゅうされることもおおい。「戳脚こぼしこぶし」として一流いちりゅうとしてばれることもある。
はちきょくけん(はっきょくけん)
はちきょくけん中国ちゅうごく河北かほくしょうがその発祥はっしょうといわれ、ふるくからイスラム教いすらむきょうかいぞく)のあいだ伝承でんしょうされてきた。のちかんぞくつたわり、それぞれ独自どくじ発展はってんげている。その特徴とくちょうは「くずし」「撼」「突」「げき」に代表だいひょうされる重厚じゅうこう風格ふうかくゆうしており、動作どうさ比較的ひかくてき簡単かんたん構成こうせいされている。はちきょくけん接近せっきんせん得意とくいとしているため、ロングレンジでの攻防こうぼう得意とくいとする劈掛けんけんならわされることもおおい。はじめむらけい南京なんきん中央ちゅうおうこくじゅつかんけい西北せいほくけい東北とうほくけいたけだんけいなどおおくのみだした。
蟷螂かまきりけん(とうろうけん)
蟷螂かまきりけん(螳螂けん)はおうあきら獲物えものカマキリ動作どうさ着想ちゃくそう創始そうししたとつたえられる武術ぶじゅつである。清朝せいちょうころより中国ちゅうごく山東さんとうしょうつたえられ、現在げんざいではななほし梅花ばいか太極たいきょくろくごうはちなどおおくのかれ中国ちゅうごく各地かくち分布ぶんぷしている。武術ぶじゅつとしては「おぎなえ」(すきあらばつ、の)を基本きほんとする。手法しゅほう複雑ふくざつ連関れんかんせいみ、「上下じょうげれんぬき」とばれる手法しゅほうももほうのコンビネーションがたくみで、スピードかんあふれる独特どくとく風格ふうかくゆうしている。伝承でんしょうされる套路や技法ぎほう非常ひじょうおおいため「螳螂さんひゃくろくじゅう」としょうされ、どんなわざでも螳螂けんさがせばたものがつかるとわれる[だれによって?]

きたうちこぶし

編集へんしゅう
 
八卦はっけてのひら

太極拳たいきょくけん八卦はっけてのひらかたちけんなどがある。

太極拳たいきょくけん(たいきょくけん)
太極拳たいきょくけんは、河南かなんしょうひねみぞひね一族いちぞくつたわる武術ぶじゅつもとひろまり、現在げんざいではおおくの門派もんぱがある。もっと有名ゆうめいいつつの門派もんぱ五大ごだい太極拳たいきょくけんということがあり、それぞれ創始そうししゃってひねしき、楊式、くれしきたけしきまごしきばれる。楊式は愛好あいこうしゃもっとおおく、ゆるやかな動作どうさおもとする。ひねしきはげしいうごきをおおふくみ、しょうはやしけんつうじる技法ぎほうおおい。太極たいきょく門派もんぱ伝承でんしょうされていない技法ぎほう数多かずおお存在そんざいしているため、ひねしき太極拳たいきょくけん源流げんりゅうとするせつがあるが、反論はんろんもある。いずれの門派もんぱも、しずかな呼吸こきゅうゆるやかなうごきのしきかたち)による修練しゅうれん方法ほうほう最大さいだい特徴とくちょうで、そのうごきが健康けんこう増進ぞうしん効果こうかたかいとされ、現在げんざいでは武術ぶじゅつとしてよりも健康けんこうほうとして世界せかいひろまっているが、有段者ゆうだんしゃレベルだと推手とばれる実戦じっせんてきしゅ練習れんしゅうおこなわれる。健康けんこうほうとしてひろおこなわれている簡化じゅうよんしき太極拳たいきょくけんは、楊式太極拳たいきょくけんくれしきのよりシンプルなうごきをれた制定せいていけんばれる太極拳たいきょくけんで、じゅうよんふくごうわざしき)からなっている。楊無てきわれた楊家太極拳たいきょくけん創始そうししゃ楊露ぜん太極拳たいきょくけんは、現在げんざいにおいていちはちしきはちじゅうしきの套路とともたけとうなどに、武道ぶどうせい(たけとうではタオの思想しそうがあるので「武道ぶどう」とぶ)をうしなわずに伝承でんしょうされている[3]
八卦はっけてのひら(はっけしょう)
八卦はっけてのひらは、そのごとほとんこぶし使つかわずにひらいたてのひら(てのひら)をもちいることと、また相手あいて中心ちゅうしんとした円周えんしゅう沿ってなめらかな動作どうさ移動いどうする、はしけんばれる歩法ほほう特徴とくちょうがある。非常ひじょうなんたか武術ぶじゅつであるとされる。代表だいひょうてきな套路には、ろうはちてのひら八大やひろてのひら連環れんかんてのひらりゅうがたてのひらろくじゅうよんてのひらなどがある。
かたちけん(けいいけん)
かたちけん太極拳たいきょくけん八卦はっけてのひらおなじく、 きたうちこぶし分類ぶんるいされる。陰陽いんようぎょうせつ技法ぎほうとして表現ひょうげんするぎょうけん金行かねゆき劈拳、ぎょう蹦拳、みずぎょう鑚拳、ぎょう炮拳、ぎょうよこけん)とばれるしゅ基本きほんけんと、 その応用おうようじゅう二形ふたなりけんりゅうがたこぶしとらがたこぶし、猴形けん馬形まがたけんにわとりがたこぶしはいたかがたこぶしつばめがたこぶし、𩿡かたちけんたかがたこぶしくまがたこぶしへびがたこぶし、鼉形けん)とばれる、じゅうしゅ動物どうぶつあらわした象形しょうけいけん基本きほんとしている。代表だいひょうてきな套路には、ぎょう連環れんかんけんざつしき捶・よん捶・はちこうなどがあり、たいねりにははなほうたいねりぎょうほうたいねりやすほうたいねりじゅう二形ふたなり大用おおゆうたいこぶし)などがある。また、さんたいしきさんさいしきさん体勢たいせいひらきぜい)という姿勢しせい基本きほんしきとしてもちいること、歩法ほほうにはおもに跟歩をもちいることが特徴とくちょうてきである。かつては河南かなんしょうつたわる近親きんしん門派もんぱである心意しんいろくごうこぶし河南かなんがたけんしょうされたが、現代げんだいでは混同こんどうけるため山西さんせいしょう河北かほくしょう伝来でんらいのもののみをかたちけん分類ぶんるいしている。

みなみ武術ぶじゅつ

編集へんしゅう

長江ちょうこう以南いなんひろおこなわれる武術ぶじゅつ総称そうしょうであるが、活発かっぱつ地域ちいきとして福建ふっけんしょう広東かんとんしょうがあり、それぞれに特徴とくちょうがある。広東かんとんけいみなみしょうはやしけんにはひろしこぶしえいはるけん蔡李ほとけなどが、福建ふっけんけいみなみしょうはやしけんにははくつるけんなどがそれぞれふくまれる。広東かんとんけいみなみえいはるけん白眉はくびけんたんきょうせまといわれる。はしうで使つかかたしめし、うまがたあらわす。すなわせま歩幅ほはばち、うでみじか使つかうことが特徴とくちょうである。みなみけんもとになったとわれるひろしこぶし長橋ながはしだいうまわれ、歩幅ほはばひろうでなが使つかう。

 
ブルース・リー
ひろしけん(こうかけん)
ひろしこぶしは、みなみ代表だいひょうてき門派もんぱであり、みなみけんのイメージはすなわひろしこぶしのイメージにとなっている。歩幅ほはばひろつよこぶしるうこう東南とうなん一派いっぱといわれているが、じつみなみ少林寺しょうりんじ至善しぜん禅師ぜんじでん長橋ながはしだいうま技術ぎじゅつと、おなじくみなみ少林寺しょうりんじまいあましゅうとでんたんはしせま両方りょうほう技法ぎほう完備かんびされている。古伝こでんひろしけんろうひろしこぶし)から長短ちょうたん技術ぎじゅつ完備かんびされ、現在げんざいかたちにまとめあげたのが有名ゆうめいおおとりであるが、かれをモデルとした映画えいがなんほん撮影さつえいされており、とくに、りゅうてる主演しゅえん映画えいがされた「ワンス・アポン・ア・タイム 英雄えいゆうしょうはやしけん たけかん激闘げきとう」が有名ゆうめい
えいはるけん(えいしゅんけん)
えいはるけんは、広東かんとんけいたんきょうせま代表だいひょうかくで、拑羊ばれるせまいスタンスでち、スピーディーな手技しゅぎもちいる。ブルース・リーまなんだ一派いっぱとして有名ゆうめいである。えいはるけんはブルース・リーがはじめてまなんだ武術ぶじゅつとして紹介しょうかいされることがおおいが、正確せいかくにはブルース・リーがはじめてまなんだ武術ぶじゅつちちからまなんだ太極拳たいきょくけんである。伝説でんせつではみなみ少林寺しょうりんじまいあましゅうとでんこぶしわざとされ、香港ほんこんといえいはるけんもっと有名ゆうめいであるが、にいくつかの系統けいとう確認かくにんされている。技術ぎじゅつてきにはひろしこぶし基本きほんこう共通きょうつうてんおおく、りょうこぶし技術ぎじゅつてき交流こうりゅうしていたことうかがれる。代表だいひょうてきこぶし套(かた)としてしょう念頭ねんとうひろきょうしめぎゆびがあり、えいはるけんにこのさん套路をさだめたのがえいはるこぶしおうとよばれたりょうさん(1826~1901)である。じん樁(もくじんとう、人形にんぎょう)を使用しようした訓練くんれんでも有名ゆうめいである。技術ぎじゅつてき特徴とくちょう防御ぼうぎょおもきがかれ、えいはるけんさん大手おおてばれる膀手・攤手・ふくしゅともすべ防御ぼうぎょわざである。ろくてんはん棍とばれる棍術とはちかたなというかたなじゅつ伝承でんしょうされている。
蔡李ぼとけ(さいりぶつ)
蔡李ぼとけ発祥はっしょういまからやく170ねんまえで、おおとりかちだて蔡李ふつきたかちだて蔡李ふつ雄勝おがつだて蔡李ふつひろしせいだて蔡李ぼとけの4有名ゆうめいである。比較的ひかくてきあたらしいこぶしじゅつ。蔡李ほとけひゃく套といわれ、これは徒手としゅ武器ぶきたいなどのかた実際じっさいに100しゅあるという意味いみではなく、非常ひじょうおおいという意味いみである。実際じっさいには100しゅゆうえる。徒手としゅかたは”よんじゅうきゅう套”とわれているが、そのすべてをおしえているところはたぶんく、系統けいとうにもよるがやく10~20しゅほどである。攻撃こうげき重点じゅうてんかれ、基本きほんかけ、哨、挿とばれる代表だいひょうてきな3種類しゅるい攻撃こうげきわざである。
はくつるけん(はっかくけん)
しろづるけんは、たんきょうせま特徴とくちょうする一派いっぱで、伝説でんせつではななむすめきつねづるたたか様子ようすて、づるうごきをれたとわれる。せまいスタンス、みじかはや使つか手法しゅほうえいはるけん共通きょうつうするが、技術ぎじゅつてきには根本こんぽんてき別派べっぱである。[4]
づるつばさうごきかられられたかたちしゅがたしゅがたしゅがたしゅきむかたちしゅみずがたしゅ)に特徴とくちょうがある。現在げんざいでは4つの門派もんぱかれており、づるのそれぞれの動作どうさおもとしていることからしろづるもんつるけんしろづるもん宿やどつるけんしろづるもんしょくつるけんしろづるもんづるけんばれる。
非常ひじょう実用じつようてきであると評価ひょうかされておりこぶしけん動作どうされられるなどおおきな影響えいきょうあたえている。また、空手からてにも関係かんけいふかい。

中国ちゅうごく武術ぶじゅつおおくの流派りゅうはではおおくの武器ぶきもちいる。中国ちゅうごく武術ぶじゅつにおいては武器ぶき器械きかい、または兵器へいきばれるが、ここでは武器ぶきという呼称こしょうもちいる。使用しようされる武器ぶき門派もんぱによってことなるがまった武器ぶきもちいないという門派もんぱはない。そもそも武術ぶじゅつ発達はったつ戦時せんじ武器ぶきってたたかうことにはじまることを考慮こうりょすると、武術ぶじゅつ本質ほんしつ武器ぶきじゅつであり、徒手としゅ武術ぶじゅつ武器ぶきあつかまえまなぶべき身体しんたい訓練くんれんであるとかんがえるひともいる。伝統でんとうてき門派もんぱにおいてはかなら徒手としゅ格闘かくとうじゅつ武器ぶきみさおほう同一どういつじゅつによって構成こうせいされているてん見逃みのがせない。えいはるけんはちかたなろくてんはん棍という武器ぶきじゅつ徒手としゅ同様どうようじゅつてとること出来できるしはちきょくけん槍術そうじゅつ基本きほんにある。近代きんだいにおいて武器ぶきじゅつとの相関そうかんせいてとれない流派りゅうはすう存在そんざいするが、それら流派りゅうは銃器じゅうき台頭たいとうはじめた近代きんだいにおいて登場とうじょうした。また西欧せいおうより流入りゅうにゅうしたボクシングとう対応たいおうすべくされた格闘かくとう試合しあい想定そうていした流派りゅうは新派しんぱとも呼称こしょう)とこと出来できる。

武器ぶきみさおほうは、武器ぶき形状けいじょうによって変化へんかし、それにともなって基盤きばんとなるほう若干じゃっかん変化へんかする。よって、おおくの武器ぶきみさおほうけられることは、けた武器ぶきみさおほうおなすうほうけることとなる。ただし、武器ぶきみさおほうひとつの武器ぶきたいして、多数たすう存在そんざいする。また、武器ぶきみさおほうひとつのほう一貫いっかんしようとする門派もんぱおおい。

武器ぶきには非常ひじょうおおくの種類しゅるいがあるが、けんかたなやりが4大兵だいひょうばれる。けんかたなのように片手かたてでもってあつかう、比較的ひかくてきみじか武器ぶきたんへいたん器械きかいやりや棍のように両手りょうてあつかなが武器ぶきちょうへいちょう器械きかいとうぶ。これらの分類ぶんるい以外いがいに、むちのようにひもじょうのものをす軟器械きかいなかかく匕首ひしゅなどをくら器械きかい両手りょうてにそれぞれ器械きかいそう器械きかいなどがある。

たん器械きかい

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中国ちゅうごくけん
 
中国ちゅうごくがたな
けん
中国ちゅうごくではけん両刃りょうばりのないものをす。近年きんねんは、よくしなるようにつくられている「軟剣」が主流しゅりゅう。突、きり主体しゅたいで、高度こうど技術ぎじゅつ必要ひつよう大型おおがたの「双手そうしゅけん」(両手りょうてけん)も存在そんざいする。
かたな
片刃かたはりのあるものがかたなである。普通ふつうかたなけんくら重量じゅうりょうおもいため、すみ加速度かそくどかし威力いりょくたかめるように、円弧えんこえがくような動作どうさがよくられる。また、たたきつけるように動作どうさおおく、最強さいきょう攻撃こうげきりょくほこ武器ぶきである。
中国人ちゅうごくじんかられば、「かたな」である日本にっぽんがたな使つかうのに剣術けんじゅつあるいは剣道けんどうぶのは奇妙きみょうおもわれるであろう。日本語にほんごではけんから発展はってんして日本にっぽんがたなとなった歴史れきし経過けいかからその語義ごぎには混淆こんこうがあり、おな意味いみ言葉ことばとしてもちいられることがある。もし中国ちゅうごく本来ほんらい語義ごぎしたがうならば、日本にっぽんがたな片刃かたはりがあるのでかたな分類ぶんるいされるため、"がたなじゅつ"、"がたなどう"がただしい表記ひょうきということになる。
中国ちゅうごく日本にっぽんがたな混同こんどうされる「なえがたな」は室町むろまち時代じだい以前いぜんの「だい太刀たち」が起源きげんで、おもあかりたいする輸出ゆしゅつひんであり、現在げんざい日本にっぽんがたなからは想像そうぞうできないほどおおきくおもい。そのためなえがたなじゅつには日本にっぽん剣術けんじゅつにない「平衡へいこう」をおこなうなど、あらたな動作どうさくわえられている。

ちょう器械きかい

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棍というなかはしよりすこふとぼうである。よくしなるしろろうじゅアオダモ近似きんじのトネリコぞく)などでつくられる。棍を使つかった武術ぶじゅつである棍術が日本にっぽんうところの棒術ぼうじゅつとなる。なお琉球りゅうきゅう沖縄おきなわ)では中国ちゅうごくおなじく棍、棍術である。たたかとき手近てぢかぼう使つかうことは自然しぜんなことであるので最古さいこ武器ぶきだとかんがえられる。棍術では嵩山すせ少林寺しょうりんじのものが有名ゆうめいで棍の少林寺しょうりんじしょうされた。すべてのちょう器械きかい基本きほんとなる動作どうさふくんでいるために「棍をす」という言葉ことばがある。
※(→やり#参照さんしょう
やり
しろろうじゅぼうさき刃物はものをつけた構造こうぞうである。やりもっと洗練せんれんされた戦場せんじょうでの武器ぶきであるとかんがえられている。えんじてうつくしく、実用じつようせいたかい。使つかいこなすには高度こうど技術ぎじゅつほう要求ようきゅうされる。かたちけんやりつか創始そうししたという。
※(→やり#ひがしアジア由来ゆらいやりおよ長柄ながえ武器ぶきちょう器械きかいちょう兵器へいき参照さんしょう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ 昭代しょうだい叢書そうしょない拳法けんぽう上海しゃんはいせき出版しゅっぱんしゃ,1990.(きよしだい,ちょううしお,ひゃくいえへん)
  2. ^ こごめこくほこさきだいこう ない拳法けんぽう技法ぎほうと「こぶしけいおよ太極拳たいきょくけんとの関係かんけいから」『養生ようじょう武術ぶじゅつ形成けいせい過程かていかんする研究けんきゅう : 民間みんかん武術ぶじゅつから太極拳たいきょくけんへの変遷へんせん中心ちゅうしんに』 筑波大学つくばだいがく博士はかせ論文ろんぶん (体育たいいく科学かがく) かぶとだい4494ごう〉、2007ねん、119-131ぺーじNAID 500000443004https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/21182 
    からごうしょうはやしたけしとうこう 太極拳たいきょくけんあずかうちいえこぶし ないこぶし山西さんせい科学かがく技術ぎじゅつ 2008ねんはやしはくばら中国ちゅうごく武術ぶじゅつ先史せんし時代じだいからじゅうきゅう世紀せいき中期ちゅうきまで ―」技藝ぎげいしゃ 2015ねん笠尾かさお恭二きょうじ中国ちゅうごく武術ぶじゅつ大観たいかんぶくあきらどう 1994ねん
  3. ^ 書籍しょせき《簡化24しき太極拳たいきょくけんほねずいまでげる技法ぎほう》P71 「じゅうさんぜい」より引用いんよう
  4. ^ えいはるけんにはしろづるけんにあるような特殊とくしゅ発声はっせいほうふるえ勁とばれる気功きこうほうてつすなてのひらとうそとこうほうによる鍛錬たんれんほう一切いっさい存在そんざいしない。りょうこぶしには技術ぎじゅつてき相違そういてんおおく、おな技術ぎじゅつ体系たいけいにあるとかんがえるほうがよほど無理むりがあるとえる。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • おう政樹まさき『簡化じゅうよんしき太極拳たいきょくけんほねずいまでげる技法ぎほう』エムジーエフ。ISBN 9784990761004NCID BB24286077 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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