井川いかわ 伊平いへい(いかわ いへい、1895年ねん(明治めいじ28年ねん)3月18日にち - 1979年ねん(昭和しょうわ54年ねん)11月2日にち)は、日本にっぽんの政治せいじ家か、弁護士べんごし。参議院さんぎいん議員ぎいん(2期き)。
徳島とくしま県けん出身しゅっしん。1921年ねん、明治大学めいじだいがく法学部ほうがくぶ卒業そつぎょう。1923年ねん、札幌さっぽろ市しで弁護士べんごし事務所じむしょを開業かいぎょう。その後ご、札幌さっぽろ市議会しぎかい議員ぎいん(3期き)、北海道ほっかいどう議会ぎかい議員ぎいん(6期き)を務つとめ、1951年ねんに北海道ほっかいどう議会ぎかい副ふく議長ぎちょうに就任しゅうにん(1期き、当時とうじは国民こくみん民主党みんしゅとうに所属しょぞく)。1955年ねん、市議しぎや道みち議ぎとして公共こうきょうの福祉ふくしに奉仕ほうしした地方ちほう自治じち発展はってんの功労こうろうにより藍綬らんじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょう[1][2]。
1959年ねんの第だい5回かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょと1965年ねんの第だい7回かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょにて北海道ほっかいどう選挙せんきょ区くより当選とうせん(自由民主党じゆうみんしゅとう)。参議院さんぎいん議員ぎいんを2期きに亘わたって務つとめ、北海道開発ほっかいどうかいはつ政務次官せいむじかんなどに就任しゅうにんした。1971年ねんの春はるの叙勲じょくんで勲くん二に等とう旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう受章じゅしょう[3][4]。同年どうねん、第だい9回かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょで落選らくせん。
1979年ねん11月2日にち死去しきょ、84歳さい。死没しぼつ日びをもって正せい四よん位いに叙じょされる[5]。