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倉林正次 - Wikipedia

倉林くらばやし正次まさつぐ

日本にっぽん日本にっぽん学者がくしゃ民俗みんぞく学者がくしゃ

倉林くらばやし 正次まさつぐ(くらばやし しょうじ、1925ねん9月27にち[1] - )は、日本にっぽん日本にっぽん学者がくしゃ民俗みんぞく学者がくしゃせんもん日本にっぽん儀礼ぎれい文化ぶんか全般ぜんぱん宮中きゅうちゅう祭祀さいし埼玉さいたま県内けんないにおける民俗みんぞくがく研究けんきゅう文学ぶんがく博士はかせ國學院大學こくがくいんだいがく)。日本にっぽんにおける祭祀さいし研究けんきゅう第一人者だいいちにんしゃ

経歴けいれき

編集へんしゅう

埼玉さいたまけん秩父ちちぶぐん皆野みなのまち出身しゅっしん[2]。1950ねん國學院大學こくがくいんだいがく文学部ぶんがくぶ日本にっぽん文学ぶんがく卒業そつぎょう埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう職員しょくいん神社じんじゃ本庁ほんちょう職員しょくいんて、1963ねんどう大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう日本にっぽん文化ぶんか専攻せんこう博士はかせ課程かてい単位たんい取得しゅとく満期まんき退学たいがくどう文学部ぶんがくぶ専任せんにん講師こうし、1970ねん論題ろんだい饗宴きょうえん研究けんきゅう文学ぶんがくへん」で國學院大學こくがくいんだいがくにて文学ぶんがく博士はかせごうを受く[3]どう文学部ぶんがくぶ助教授じょきょうじゅどう文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅ。1968ねん西にしドイツボン大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ(~1970ねん)。1981ねん儀礼ぎれい文化ぶんか学会がっかい理事りじちょう[4]。1996ねん国学院こくがくいん短期大学たんきだいがく4だい学長がくちょう。2001ねんどう退任たいにん國學院大學こくがくいんだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ國學院大學こくがくいんだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう兼任けんにん講師こうし神社じんじゃ本庁ほんちょう兼任けんにん講師こうし[1]。2002ねんくんさんとう瑞宝章ずいほうしょう受章じゅしょう[2]

主要しゅよう著書ちょしょ

編集へんしゅう
  • 饗宴きょうえん研究けんきゅうさくらかえでしゃ 1965-1992
  • 埼玉さいたまけん民俗みんぞく芸能げいのうにしきせいしゃ 1970
  • 埼玉さいたま日本にっぽん民俗みんぞく 11かん)』だいいち法規ほうき 1972
  • まつりの構造こうぞう 饗宴きょうえん神事しんじ日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい 1975
  • まつりの起源きげん展開てんかい編集へんしゅう委員いいん 名著めいちょ出版しゅっぱん 1978
  • 日本にっぽんまつり・しんかたち主婦しゅふ友社ともしゃ 1979
  • 儀礼ぎれい文化ぶんか序説じょせつ大学だいがく教育きょういくしゃ 1982
  • 天皇てんのうまつりとみんまつり』だいいち法規ほうき 1983
  • 日本にっぽんのまつりと年中ねんじゅう行事ぎょうじ事典じてん編著へんちょ さくらかえでしゃ 1983
  • ふゆからはるへ 祭祀さいし文化ぶんか基層きそうさぐる』さくらかえでしゃ 1992
  • まつりのこころ』おうふう 2002
  • 儀礼ぎれい文化ぶんかがく提唱ていしょう 日本にっぽん文化ぶんかのカタチとココロ』おうふう 2011
  1. ^ a b 以上いじょうにつき『北海道ほっかいどう人物じんぶつ人材じんざい情報じょうほうリスト かーと 2004』2003.12 p755-756
  2. ^ a b うえ掲『儀礼ぎれい文化ぶんかがく提唱ていしょう 日本にっぽん文化ぶんかのカタチとココロ』奥付おくづけ
  3. ^ 博論はくろんデータベース
  4. ^ 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん儀礼ぎれい文化ぶんか学会がっかい役員やくいん


先代せんだい
はやしりくあきら
國學院大學こくがくいんだいがく北海道短期大学ほっかいどうたんきだいがく学長がくちょう
4だい: 1996ねん ‐ 2001ねん
次代じだい
岡崎おかざきただしつぎ