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入沢康夫 - Wikipedia

入沢いりさわ康夫やすお

日本にっぽん詩人しじん、フランス文学ぶんがくしゃ

入沢いりさわ 康夫やすお(いりさわ やすお、1931ねん11月3にち - 2018ねん10月15にち[1])は、日本にっぽん詩人しじんフランス文学ぶんがくしゃ日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん

入沢いりさわ 康夫やすお
(いりさわ やすお)
誕生たんじょう (1931-11-03) 1931ねん11月3にち
島根しまねけん松江まつえ
死没しぼつ (2018-10-15) 2018ねん10月15にち(86さいぼつ
職業しょくぎょう 詩人しじん
フランス文学ぶんがくもの
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ仏文ふつぶん
おも受賞じゅしょうれき Hしょう(1966ねん
読売よみうり文学ぶんがくしょう(1968ねん
高見たかみじゅんしょう(1983ねん
藤村ふじむら記念きねん歴程れきていしょう(1988ねん
現代げんだいはな椿つばきしょう(1994ねん
毎日まいにち芸術げいじゅつしょう(1998ねん
紫綬褒章しじゅほうしょう(1998ねん
萩原はぎはら朔太郎さくたろうしょう(2002ねん
詩歌しか文学ぶんがくかんしょう(2006ねん
デビューさく 『倖せ それとも倖せ』
ウィキポータル 文学ぶんがく
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だい1詩集ししゅう『倖せ それとも倖せ』(1955ねん)以降いこう知的ちてき技巧ぎこうらした独特どくとく作品さくひん世界せかいきずき、しん境地きょうちひらく。作品さくひんに『ぶしについての試論しろん』(1966ねん)、『わが出雲いずも・わが鎮魂ちんこん』(1968ねん)、『遐い宴楽えんらく』(2006ねん)など多数たすう

経歴けいれき

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島根しまねけん松江まつえ出身しゅっしん[2]東京とうきょう都立とりつ西高にしこうとう学校がっこう東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ仏文ふつぶん卒業そつぎょう1955ねん在学ざいがくちゅう詩集ししゅう「倖せそれとも倖せ」を出版しゅっぱん[2]

詩集ししゅう詩論しろんしゅうおお発表はっぴょうし、さくのみならず理論りろんめんでも多大ただい影響えいきょうあたえる。宮沢みやざわ賢治けんじ[ちゅう 1]ネルヴァル[ちゅう 2]ひとし研究けんきゅうでも名高なだか[2][3]。フランス翻訳ほんやくおこなっている。

1998ねん紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう[4]。2008ねん日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん[3]

受賞じゅしょうれき

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著作ちょさく

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詩集ししゅう

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  • 『倖せそれとも倖せ』(1955ねん書肆しょしユリイカ)
  • 夏至げし』(1958ねん書肆しょしユリイカ)
  • ふる土地とち』(1961ねん梁山泊りょうざんぱく
  • ぶしについての試論しろん』(1965ねんかねしゃ
  • 『わが出雲いずも・わが鎮魂ちんこん』(1968ねん思潮しちょうしゃ
  • 入沢いりさわ康夫やすお詩集ししゅう』(1970ねん思潮しちょうしゃ 現代げんだい詩文しぶん
  • こえなき木鼠きねずみうた』(1971ねん青土おうづちしゃ
  • 入澤いりさわ康夫やすお集成しゅうせい 1951-1970』(1973ねん青土おうづちしゃ
  • 『倖せそれとも倖せぞく』(1973ねん書肆しょし山田やまだ
  • 『「つき」そのほかの』(1977ねん思潮しちょうしゃ
  • 『かつてけん什と名乗なのったひとへのきゅうれん散文詩さんぶんし』(1978ねん青土おうづちしゃ
  • うしくびのあるさんじゅう情景じょうけい』(1979ねん書肆しょし山田やまだ
  • 駱駝らくだ』(1981ねんはな神社じんじゃ
  • はる散歩さんぽ』(1982ねん青土おうづちしゃ
  • 死者ししゃたちのむらがる風景ふうけい』(1982ねん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  • うた たいへるよるの』(1988ねん書肆しょし山田やまだ
  • 水辺みずべ逆旅げきりょ』(1988ねん書肆しょし山田やまだ
  • ゆめ』(1989ねん書肆しょし山田やまだ
  • 『漂ふぶね わが地獄じごくくだり』(1994ねん思潮しちょうしゃ
  • 入澤いりさわ康夫やすお集成しゅうせい 1951-1994』(1996ねん青土おうづちしゃ
  • うた とおふゆの』(1997ねん書肆しょし山田やまだ
  • 楽園らくえんおも』(財部たからべ鳥子とりこへん、1994ねん、あーとらんど)
  • 『遐い宴楽えんらく(とほいうたげ)』(2002ねん書肆しょし山田やまだ
  • 『アルボラーダ』(2005ねん書肆しょし山田やまだ
  • 『かりのそらね』(2007ねん思潮しちょうしゃ

詩論しろん評論ひょうろん

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  • 構造こうぞうについてのおぼがき』(1968ねん思潮しちょうしゃ
  • 逆説ぎゃくせつ』1973ねん、サンリオ出版しゅっぱん / 復刻ふっこく 2004ねん書肆しょし山田やまだ
  • 詩的してき関係かんけいについてのおぼがき』(1979ねん思潮しちょうしゃ
  • 『ネルヴァル覚書おぼえがき』(1984ねんはな神社じんじゃ
  • 宮沢みやざわ賢治けんじ プリオシン海岸かいがんからの報告ほうこく』(1991ねん筑摩書房ちくましょぼう
  • にかかわる』(田野たのくら康一やすいちへん、2002ねん思潮しちょうしゃ
  • 『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』(2010ねん書肆しょし山田やまだ
  • 『ナーサルパナマのなぞ』(2010ねん書肆しょし山田やまだ

その著作ちょさく

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  • 『ランゲルハンスしま』(落合おちあいしげる共著きょうちょ、1962ねん私家版しかばん
  • 宮沢みやざわ賢治けんじ心象しんしょうスケッチ 講演こうえん記録きろく』(1998ねんれんが書房しょぼうしんしゃ

翻訳ほんやく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1971ねんから多年たねんにわたって『校本こうほん宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』『しん校本こうほん宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』の編纂へんさん従事じゅうじし、その業績ぎょうせきおよび草稿そうこうもとづく着実ちゃくじつ考証こうしょう賢治けんじ研究けんきゅう業績ぎょうせきにより1999ねんだい9かい宮沢みやざわ賢治けんじしょう受賞じゅしょう。1990ねん〜1993ねん宮沢みやざわ賢治けんじ学会がっかいイーハトーブセンター」初代しょだい代表だいひょう理事りじ。1998ねん以降いこうどう学会がっかい顧問こもん
  2. ^ 3かんほんおよび6かんほんからなる、の『ネルヴァル全集ぜんしゅう』の翻訳ほんやく編集へんしゅう尽力じんりょく。その、フランス文学ぶんがくとく)の翻訳ほんやく紹介しょうかい多数たすうがある。出典しゅってん日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん一覧いちらん』、その

出典しゅってん

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  1. ^ 入沢いりさわ康夫やすお死去しきょ詩人しじん、フランス文学ぶんがくしゃ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん、2018ねん11月30にち
  2. ^ a b c 入沢いりさわ康夫やすおさん死去しきょ 詩人しじん宮沢みやざわ賢治けんじ研究けんきゅう朝日新聞あさひしんぶんデジタル”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. 2022ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g 詩人しじん入沢いりさわ康夫やすおさんが死去しきょ 宮沢みやざわ賢治けんじ研究けんきゅう”. 西日本にしにほん新聞しんぶんme. 2022ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  4. ^ 入澤いりさわ 康夫やすお物故ぶっこ会員かいいん”. geijutuin.go.jp. 日本にっぽん芸術げいじゅついん. 2022ねん5がつ5にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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