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全集 - Wikipedia

全集ぜんしゅう(ぜんしゅう、: opera omniaえい: complete works)という言葉ことばは、おも特定とくてい人物じんぶつぜん著作ちょさくぜん文章ぶんしょう収録しゅうろくしたもの、またはおも著作ちょさくとうえら編集へんしゅうしたもの、また特定とくてい時代じだいくに地域ちいき主要しゅよう文学ぶんがくてき著作ちょさく編纂へんさんしたもの、和洋わよう美術びじゅつ歴史れきしてき文化財ぶんかざい撮影さつえいした写真しゃしんをまとめたもの(日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう世界せかい美術びじゅつ全集ぜんしゅうなど)などに使つかわれる。「全集ぜんしゅう」という言葉ことば字義じぎどおりに解釈かいしゃくすれば、たとえば特定とくてい作家さっか全集ぜんしゅう場合ばあい作品さくひんだけでなく日記にっき書簡しょかん雑記ざっきやメモその著者ちょしゃになる文章ぶんしょうすべてを収録しゅうろくする完全かんぜん全集ぜんしゅうととれるが、実際じっさいには、一般いっぱん読者どくしゃにとって一定いってい程度ていど以上いじょう意味いみのあるものだけをえらんで編集へんしゅうしたものを「全集ぜんしゅう」とづける場合ばあいおおい。ところで、有限ゆうげんな「全集ぜんしゅう」にだれなにれ、いくかんをさくか、だれなにをいれないかという選択せんたくは、すぐれて編集へんしゅうてき行為こういであり、このうえなく具体ぐたいてき批評ひひょうでもありる(たとえば紙上しじょうのプランとしては丸谷まるや才一さいいち三浦みうら雅士まさし鹿島かしましげるの『文学ぶんがく全集ぜんしゅうちあげる』(2006ねん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう)があり、実際じっさい池澤いけざわ夏樹なつき個人こじん編集へんしゅうというかたちで、『池澤いけざわ夏樹なつき=個人こじん編集へんしゅう 世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅう』・『池澤いけざわ夏樹なつき=個人こじん編集へんしゅう 日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう』を河出書房新社かわでしょぼうしんしゃより刊行かんこうした。また、坪内つぼうち祐三ゆうぞうは、みずからが編集へんしゅうした筑摩書房ちくましょぼうの「明治めいじ文学ぶんがく」のシリーズで饗庭あえば篁村こうそんに1かんいたことを特徴とくちょうとして自負じふしていた。)中国ちゅうごく文学ぶんがくしゃ高島たかしま俊男としおは、大学だいがく講義こうぎしたさいに「明治めいじ文学ぶんがく全集ぜんしゅうには高島たかしま先生せんせいった『○○さくの××』という作品さくひんはいっていない。ゆえにそんな作品さくひん存在そんざいしない、うそわないでください」と(「全集ぜんしゅう」という言葉ことば字義じぎどおりに解釈かいしゃくした)大学生だいがくせいられたという(あまりにその学生がくせいおろかすぎてしんじがたいほどの)体験たいけんのこしている。ただし、中国ちゅうごく古典こてんにおいては、『ぜん唐詩とうし』『ぜんそう』などに、その時代じだいのこそんするぜん作品さくひん収録しゅうろくされているので、それを日本にっぽん敷衍ふえんして解釈かいしゃくした可能かのうせいもある。

個人こじん全集ぜんしゅう

編集へんしゅう

ふるくは漢籍かんせきの「いしくも山人さんじん詩文しぶん全集ぜんしゅう」などのれいがある。近代きんだい以降いこう文学ぶんがく全集ぜんしゅうでは没後ぼつごまもなくまれた「一葉いちよう全集ぜんしゅう」「紅葉こうよう全集ぜんしゅう」などが先駆せんくてきである。本格ほんかくてき全集ぜんしゅうとしては、岩波書店いわなみしょてんの「漱石そうせき全集ぜんしゅう」のように小説しょうせつ評論ひょうろんから日記にっき書簡しょかん断簡だんかん零墨れいぼくまでをあつめたものがある。これはその人物じんぶつ業績ぎょうせき思想しそうすべ網羅もうらしようとするもので、ひとつの理想りそうてき形態けいたいではあろう。「漱石そうせき全集ぜんしゅう」は度々たびたびあらたな編集へんしゅうおこなわれており、改訂かいていのたびにしん発見はっけん資料しりょう収録しゅうろく本文ほんぶん校訂こうていおこなわれている。また、1970年代ねんだいには、筑摩書房ちくましょぼうが、『校本こうほん 宮澤みやざわ賢治けんじ全集ぜんしゅう』で、推敲すいこう過程かてい作者さくしゃによってされた部分ぶぶんまで復元ふくげんしたことによって、「銀河ぎんが鉄道てつどうよる」の成立せいりつなど、研究けんきゅうふかめる材料ざいりょう提供ていきょうしたこともある。

まだ生存せいぞんしている作家さっかがこれまでの作品さくひんをまとめた全集ぜんしゅうむこともある。この場合ばあい全集ぜんしゅう刊行かんこう発表はっぴょうされた作品さくひん当然とうぜん全集ぜんしゅうかられることになるので、不完全ふかんぜん全集ぜんしゅうとならざるをない(ただし、司馬しばりょう太郎たろう全集ぜんしゅうのように、生前せいぜん刊行かんこうぶんぞくまきというかたちで完全かんぜん全集ぜんしゅう完成かんせいさせることもある)。中国ちゅうごくでは、存命ぞんめいちゅうるものは「文集ぶんしゅう」であり、存命ぞんめいちゅう全集ぜんしゅうることはありえない。世界せかい文学ぶんがく全集ぜんしゅうるいならび、日本にっぽん大々的だいだいてき営業えいぎょうじょう理由りゆうから〈誤用ごよう〉されているかたりである。

その全集ぜんしゅう

編集へんしゅう

ふるくは「陸軍りくぐん法令ほうれい全集ぜんしゅう」(1889ねん - 1990ねん)などの用例ようれいがある。

クラシック音楽おんがくで「ベートーヴェン交響曲こうきょうきょく全集ぜんしゅう」のようにもちいるれいもある。このたね全集ぜんしゅう主要しゅよう作品さくひんのみというパターンはあまりなく、一応いちおうぜん作品さくひんおさめるが、「断簡だんかん零墨れいぼく」にるいするような習作しゅうさく断片だんぺんおさめるかどうかは編集へんしゅう方針ほうしん次第しだいである(いちれいとして、ブルックナー交響曲こうきょうきょく全集ぜんしゅうには、交響こうきょうきょくだい0ばんなどの初期しょき習作しゅうさくれないものが多数たすう存在そんざいする)。

全集ぜんしゅうには、販促はんそく物品ぶっぴんとして、「内容ないよう見本みほん」とよばれるパンフレット事前じぜん作成さくせいされることがおおい。そこには、関係かんけいしゃのエッセイなどがろされ、その対象たいしょうへの証言しょうげん研究けんきゅうするものもある。石川いしかわあつしがいろいろな全集ぜんしゅうるいせた文章ぶんしょう有名ゆうめいである。

また、刊行かんこう付録ふろくとして、「月報げっぽう」とばれるはさみこみがされることもおおい。これも、対象たいしょう作家さっか研究けんきゅうするエッセイや、どう時代じだい批評ひひょうなどが収録しゅうろくされるため、古書こしょてんなどで取引とりひきされるさいには、月報げっぽう有無うむ価格かかく左右さゆうすることもある。