出口 典雄
来歴 ・人物
島根 県 松江 市 生 まれ[2]。東京大学 文学部 美学 科 卒業 。- 1965
年 、文学 座 に入 座 。小田島 雄志 による「シェイクスピア研究 会 」に参加 。 - 1972
年 、劇団四季 へ移籍 。 - 1975
年 、劇団 シェイクスピア・シアターを旗揚 げ。渋谷 の小 劇場 ジァン・ジァンを拠点 に『十 二 夜 』の上演 をスタートとしてシェイクスピア戯曲 全 37本 の上演 を目指 す。翻訳 は小田島 雄志 が担当 。 - 1978
年 、第 13回 紀伊國屋 演劇 賞 演出 部門 個人 賞 受賞 。 - 1981
年 、『アントニーとクレオパトラ』の上演 をもって全 37作品 の上演 を達成 。一人 の演出 家 によるシェイクスピア全 作品 の演出 ・上演 は世界 初 である。 現代 風 の演出 に対 して、福田 恆 存 が批判 し、NHK教育 テレビで「Gパンハムレットを叱 る」の題 で、福田 と出口 の、それぞれのインタビューを組 み合 わせた疑似 論争 が行 われた。- 2020
年 12月16日 、誤 嚥 性 肺炎 のため、死去 [3]。80歳 没 。
主 な演出 作品
シェイクスピア戯曲 全 37作品
- 1975
年 ~現在 (シェイクスピア・シアター) 各地 の高校 で芸術 鑑賞 会 としての公演 も行 っている。
シェイクスピア・シアター以外 での主 なシェイクスピア演出
- 1968
年 『ハムレット』(文学 座 ) - 1971
年 『十 二 夜 』(文学 座 ) - 1972
年 『ハムレット』『トロイラスとクレシダ』『ロミオとジュリエット』(文学 座 アトリエ公演 「シェイクスピア・フェスティバル」に於 いて連続 上演 、出演 :江守 徹 、倉野 章子 ほか) - 1990
年 『夏 の夜 の夢 』(シアターコクーン、出演 :柴 俊夫 、峰 さを理 、宮崎 美子 、山下 裕子 ほか) - 1991
年 『ペリクリーズ』(グローブ座 カンパニー、出演 :上杉 祥三 、山崎 清介 、峰 さを理 ほか)
シェイクスピア作品 以外 の演出
- 1974
年 『天保 十 二 年 のシェイクスピア』(井上 ひさし作 、初演 ) - 1980
年 『三 人 姉妹 』(アントン・チェーホフ作 ) - 1984
年 『黒 蜥蜴 』オペラ全 二 幕 (三島 由紀夫 原作 )[4]東京 オペラ・プロデュース。- 於:
日本 都市 センターホール。
- 1985
年 『ローゼンクランツとギルデンスターンは死 んだ』(トム・ストッパード作 ) - 1987
年 『ブラック・コメディ』(ピーター・シェファー作 ) - 1987
年 『朱雀 家 の滅亡 』(三島 由紀夫 作 ) - 1989
年 『カム・ブロー・ユア・ホーン』(ニール・サイモン作 )博品館 劇場 製作 。- 於:
博品館 劇場 。
- 1992
年 『マリアの首 』(田中 千 禾夫作 ) - 1995
年 『耳 に蚤 (疑 いのとりこ)』(ジョルジュ・フェドー作 ) - 2001
年 『桜 の園 』(アントン・チェーホフ作 ) - 2002
年 『新 ハムレット』(太宰 治 作 ) - 2005
年 『エビスくん』(重松 清 原作 ) - 2005
年 『シェイクスピア・リハーサル』(出口 典雄 作 ) - 2007
年 『こころ』(夏目 漱石 原作 )
著書
脚注
- ^
朝日新聞 2020年 12月22日 朝刊 - ^ 『
読売 年鑑 2016年版 』(読売新聞 東京 本社 、2016年 )p.551 - ^ “
劇団 シェイクスピアシアター主宰 ・出口 典雄 、誤 嚥 性 肺炎 のため80歳 で死去 ”. ステージナタリー (2020年 12月22日 ). 2020年 12月22日 閲覧 。 - ^
昭和音楽大学 オペラ研究所 オペラ情報 センター
外部 リンク
劇団 シェイクスピアシアター出口 典雄 本人 によるブログ(2013年 で更新 停止 )