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北の海 - Wikipedia

きたうみ』(きたのうみ)は、井上いのうえやすし長編ちょうへん小説しょうせつ1968ねん12月から1969ねん11月まで『東京とうきょう新聞しんぶん』などに連載れんさいされた。

しろばんば』『なつくさふゆ』につづ自伝じでん小説しょうせつ私小説ししょうせつ3さくの3さくにあたる。

沼津ぬまづ中学ちゅうがく(のちの静岡しずおか県立けんりつ沼津ぬまづひがし高等こうとう学校がっこう)を卒業そつぎょうし、浪人ろうにん生活せいかつおくっているひろしさく(モデルは作者さくしゃである井上いのうえやすし自身じしん)。

勉強べんきょうもせず、ぶらぶらしながら母校ぼこう沼津ぬまづ中学ちゅうがく現役げんえきの5年生ねんせいや4年生ねんせい留年りゅうねんせいたちじって柔道じゅうどうをやっていた。そこにあるだいよん高等こうとう学校がっこう(のちの金沢大学かなざわだいがく)の柔道じゅうどう部員ぶいん蓮実はすみという小柄こがら青年せいねんがスカウトにやってくる。

練習れんしゅう蓮実はすみたいしたひろしさくとうわざ圧倒あっとうするが、いつのにか寝技ねわざきずりまれて散々さんざんやられてしまう。これこそいわゆる寝技ねわざとくし、当時とうじ寝技ねわざ技術ぎじゅつ最高峰さいこうほうほこったこうせん柔道じゅうどうであった。あまりの蓮実はすみ寝技ねわざつよさに愕然がくぜんとするひろしさく

そのよる蓮実はすみ食事しょくじったひろしさく蓮実はすみう「練習れんしゅうりょうがすべてを決定けっていする柔道じゅうどう」「それこそが寝技ねわざなんです」「金沢かなざわ浪人ろうにんしながら練習れんしゅうしてうちの柔道じゅうどうはいってください」という言葉ことばかれ、浪人ろうにんせいでありながらよんだか柔道じゅうどうなつ合宿がっしゅく参加さんかする。

そこにっていたのは、勉学べんがく放擲ほうてきし、宿敵しゅくてきだいろく高等こうとう学校がっこう(のちの岡山大学おかやまだいがく)をやぶってこうせん柔道じゅうどう大会たいかい優勝ゆうしょうするためだけにひたすら寝技ねわざ練習れんしゅうむ、あまりに魅力みりょくてきよんだか柔道じゅうどう青年せいねんたちであった。

なつ合宿がっしゅくわり、沼津ぬまづかえころ、すでにひろしさくは、いつかよんだか入学にゅうがくし、柔道じゅうどうをやるのだと決意けついしていた。

この作品さくひん現在げんざいでも、こうせん柔道じゅうどうきゅうみかどだい柔道じゅうどう部員ぶいんかく大学だいがく柔道じゅうどう部員ぶいんの「バイブル」として愛読あいどくされている。また、当時とうじのエリートでありながらバンカラで自由じゆう奔放ほんぽう旧制きゅうせい高校こうこう雰囲気ふんいき活写かっしゃされており、題名だいめいの「きたうみ」は作中さくちゅう、1年生ねんせい柔道じゅうどう部員ぶいんとんび杉戸すぎとうたよんだか寮歌りょうか歌詞かしからているとおもわれる。

登場とうじょう人物じんぶつ

編集へんしゅう
ひろしさく
井上いのうえやすしがモデル。苗字みょうじ伊上いがみ旧制きゅうせい沼津ぬまづ中学ちゅうがくを5ねん卒業そつぎょう当時とうじ旧制きゅうせい中学校ちゅうがっこうは5ねんせいだった)、「ごくらくとんぼ」とばれながら母校ぼこう柔道じゅうどうかおして下級生かきゅうせいたち柔道じゅうどう練習れんしゅうをしながらぶらぶらしている。背負しょげが得意とくい
蓮実はすみ
よんだか柔道じゅうどう小柄こがらな2年生ねんせい中学ちゅうがくよんねん修了しゅうりょう高校こうこう合格ごうかくした秀才しゅうさいひろしさくをスカウトした。貧相ひんそうからだ柔道じゅうどうとは無縁むえん青年せいねんえるが、寝技ねわざかんしてはつよく、遠山とおやまひろしさくたなかった。
だい天井てんじょう
金沢かなざわなんねん浪人ろうにん生活せいかつおくりながらよんだか柔道じゅうどう目指めざしている豪傑ごうけつ。かなり年齢ねんれいがいっているが作品さくひんちゅうではなんさいかわからない。大柄おおがらで、天狗てんぐ風格ふうかくち、みなみ宮関みやぜきならんで柔道じゅうどうがとてつもなくつよいとされている。3にんのうちでだれ一番いちばんつよいかはだれにもからないが、みなみ宮関みやぜきわざだけなのにたいして、だい天井てんじょう寝技ねわざもできた。浪人ろうにんせいのくせによんだか学生がくせいてにし、よんだか学生がくせいぎゃくに「だい天井てんじょうさん」とさんけでんでいる。呑気のんき性格せいかくであるため、そのうちよんだか合格ごうかくできればいいとかんがえており、あまり勉強べんきょうはかどっていないようである。モデルはよんだかには入学にゅうがくできず、のちによんだか柔道じゅうどう教師きょうし名古屋大学なごやだいがく柔道じゅうどう師範しはんつとめた小坂こさか光之みつゆきかい
とんび
よんだか柔道じゅうどうの1年生ねんせい本名ほんみょうとんび永太郎えいたろうつよく、寝技ねわざおさまれると相手あいてむ。よんだかはいってから、柔道じゅうどうをやりはじめたが、そうした連中れんちゅうなかでは杉戸すぎとならんで目立めだっており、その闘志とうしから将来しょうらい嘱望しょくぼうされていた。ほんさくにおいては、とんびだい天井てんじょう浜辺はまべでの格闘かくとう印象いんしょうてき場面ばめんであり、実力じつりょくでは圧倒的あっとうてきうえであるはずのだい天井てんじょうさえむことに成功せいこうした。
杉戸すぎと
よんだか柔道じゅうどうの1年生ねんせいひろしさく金沢かなざわ滞在たいざいちゅう杉戸すぎと下宿げしゅく世話せわになる。なりはきたなく、柔道じゅうどうばかりやっているが、じつはかつてよんだかにトップで合格ごうかくした秀才しゅうさいだった。よんだかはいってから柔道じゅうどうはじめたが、ねばづよさにかんしては部員ぶいんおよぶところではなかったため、とんび同様どうよう将来しょうらい嘱望しょくぼうされていた。
富野とみの
よんだか柔道じゅうどうの3年生ねんせいぜん主将しゅしょうこうせん大会たいかいでは有名ゆうめい選手せんしゅひろしさくはこの富野とみの熱心ねっしんさそわれよんだか目指めざすことを決意けついする。
権藤ごんどう
よんだか柔道じゅうどうの2年生ねんせいおにマネージャー。柔道じゅうどうよわいが練習れんしゅうにはきびしい。練習れんしゅうやすみの道場どうじょうって座禅ざぜんんでいる。ひろしさくけんろくえんれてかなかった杉戸すぎとたいしておこるなどやさしさもある。
みなみ
よんだか柔道じゅうどうの1年生ねんせい金剛力士こんごうりきしおもわせる体格たいかくをしており、ろくに練習れんしゅうをしないで柔道じゅうどう2だんとることからわざ天才てんさいわれている。親戚しんせき不幸ふこうがあるとって練習れんしゅうをサボろうとしたため、権藤ごんどうからじゅうにんけをめいじられる。ひろしさく1人ひとり相手あいてをしたがすぐにげられた。わざそこれなくつよいが、わざてることができないため、寝技ねわざはできない。
宮関みやぜき
よんだか柔道じゅうどうの1年生ねんせいみなみならんで強豪きょうごうとされており、体格たいかくはずばけている。みなみ同様どうようわざはできるが、寝技ねわざはできないため、2年生ねんせいとの試合しあいでは実力じつりょく半分はんぶん発揮はっき出来できなかった。

関連かんれん項目こうもく

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