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坪野米男 - Wikipedia

坪野つぼの 米男よねお(つぼの よねお、1920ねん大正たいしょう9ねん7がつ4にち[1]2008ねん平成へいせい20ねん)8がつ16にち[1])は、昭和しょうわから平成へいせい弁護士べんごし政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん

経歴けいれき

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大阪おおさか大阪おおさか出身しゅっしん[1][ちゅう 1]だいさん高等こうとう学校がっこう[2]、1943ねん昭和しょうわ18ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶ卒業そつぎょう[2][3]厚生省こうせいしょう入省にゅうしょう大臣だいじん官房かんぼうぞくとなる[2]同年どうねん7がつ高等こうとう試験しけん行政ぎょうせい試験しけん合格ごうかく[2]短期たんき現役げんえき海軍かいぐん主計しゅけい士官しかん(10)を志願しがんし、同年どうねん9がつ海軍かいぐん経理けいり学校がっこう入学にゅうがくし、1944ねん昭和しょうわ19ねん)3がつ卒業そつぎょうして海軍かいぐん主計しゅけい中尉ちゅうい任官にんかん[4]。1945ねん昭和しょうわ20ねん)3がつ海軍かいぐん主計しゅけい大尉たいい昇進しょうしんして終戦しゅうせんむかえた[4]

1948ねん昭和しょうわ23)に退官たいかんして[2]弁護士べんごし税理士ぜいりし開業かいぎょう[1]京都きょうと人権じんけん擁護ようご委員いいん国民こくみん救援きゅうえんかい京都きょうと府連ふれんふく会長かいちょうつとめた[3]

1958ねん昭和しょうわ33ねん)5がつだい28かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ京都きょうとだい1から日本にっぽん社会党しゃかいとう公認こうにん出馬しゅつばして落選らくせん[5]。1960ねん昭和しょうわ35ねん)11月のだい29かいそう選挙せんきょ出馬しゅつばして当選とうせん[3][5]衆議院しゅうぎいん議員ぎいんに1在任ざいにんした[1][3]。このあいだ裁判官さいばんかん訴追そつい委員いいん予備よびいん社会党しゃかいとう中央ちゅうおう委員いいんどう京都きょうと府連ふれん委員いいんちょうどう法務ほうむ部会ぶかいちょうどう憲法けんぽう問題もんだい特別とくべつ委員いいんかい事務じむ局長きょくちょうどう不当ふとう弾圧だんあつ対策たいさく特別とくべつふく委員いいんちょうなどをつとめた[3]。そのだい30かいからだい32かいそう選挙せんきょまで3かい連続れんぞく立候補りっこうほしたがいずれも次点じてん落選らくせんした[6]

また、社会党しゃかいとう京都きょうと本部ほんぶ顧問こもん自由じゆう人権じんけん協会きょうかい常任じょうにん理事りじ京都きょうと弁護士べんごしかい会長かいちょう就任しゅうにんした[1][3]

脚註きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』416ぺーじでは京都きょうと出身しゅっしん

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f 現代げんだい物故ぶっこしゃ事典じてん 2006-2008』424ぺーじ
  2. ^ a b c d e 日本にっぽん官僚かんりょうせい総合そうごう事典じてん1868-2000』360ぺーじ
  3. ^ a b c d e f 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』416ぺーじ
  4. ^ a b 海軍かいぐん主計しゅけい士官しかん物語ものがたりたんげん総覧そうらん〉』54、685ぺーじ
  5. ^ a b 国政こくせい選挙せんきょ総覧そうらん 1947-2016』248ぺーじ
  6. ^ 国政こくせい選挙せんきょ総覧そうらん 1947-2016』248-249ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 海軍かいぐん主計しゅけい士官しかん物語ものがたりたんげん総覧そうらん〉』よくおん出版しゅっぱんかい、1968ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん
  • はたいく彦編『日本にっぽん官僚かんりょうせい総合そうごう事典じてん1868-2000』だい2はん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、2007ねん
  • 現代げんだい物故ぶっこしゃ事典じてん 2006-2008』日外にちがいアソシエーツ、2009ねん
  • 国政こくせい選挙せんきょ総覧そうらん 1947-2016』日外にちがいアソシエーツ、2017ねん