海軍 経理 学校
沿革
1938
教育 区分
生徒 教育
補修 学生
専修 学生
術 科 学校
年表
- 1874
年 (明治 7年 )10月 23日 -海軍 会計 学舎 を設立 (芝 山内 天神谷 )。 - 1876
年 (明治 9年 )7月 31日 -海軍 主計 学舎 に改称 。 - 1877
年 (明治 10年 )6月 14日 -池上本門寺 へ移転 。同年 11月 16日 -海軍 主計 学舎 を廃止 。
- 1882
年 (明治 15年 )11月8日 -海軍 主計 学舎 を再興 (芝公園 三嶋 谷 )。翌年 に生徒 教育 再開 。 - 1886
年 (明治 19年 )7月 2日 -海軍 主計 学校 に改称 。同年 12月 22日 -芝公園 旧 本省 邸 内 へ移転 。
- 1888
年 (明治 21年 )10月 23日 -京橋 区 築地 4丁目 1番地 へ移転 - 1889
年 (明治 22年 )2月 25日 -生徒 教育 中止 。少 主計 候補 生 に対 する教育 機関 に。同年 8月 15日 -下士官 兵 に対 する練習 生 教育 を開始 。
- 1893
年 (明治 26年 )12月31日 -海軍 主計 学校 を廃止 。 - 1899
年 (明治 32年 )5月 15日 -海軍 主計 官 練習 所 を設置 (築地 )。少 主計 候補 生 ・練習 生 教育 を再開 。 - 1907
年 (明治 40年 )4月 20日 -海軍 経理 学校 に改称 。学生 ・練習 生 の基本 的 な教程 区分 が成立 。 - 1909
年 (明治 42年 )4月 23日 -生徒 教育 再開 決定 。海 経 第 1期 生徒 入校 (7月 )。 - 1923
年 (大正 12年 )9月 1日 -関東大震災 のため校舎 全焼 。再建 までの間 、陸軍 経理 学校 (牛込 区 河田 町 )に間借 り。 - 1924
年 (大正 13年 )3月 20日 -築地 校舎 跡地 の仮設 校舎 へ復帰 。 - 1932
年 (昭和 7年 )9月 30日 -同 じ築地 の新 校舎 (京橋 区 小田原 町 3丁目 1番地 )へ移転 。 - 1938
年 (昭和 13年 )7月 -二 年 現役 主計 科 士官 (短期 現役 主計 科 士官 )制 導入 に伴 い、補修 学生 1期 入校 。 - 1943
年 (昭和 18年 )春 -芝 区 芝浦 御 楯 町 (現 :東京 海洋 大学 品川 キャンパス)に品川 分校 を開校 し、練習 生 から順次 移転 開始 。 - 1944
年 (昭和 19年 )9月 -品川 分校 へ本校 移転 し、築地 は分校 化 。浜松 分校 (練習 生 )が開校 。 - 1945
年 (昭和 20年 ) -垂水 分校 (本部 ・生徒 隊 )、橿原 分校 (予 科 生徒 )が開校 。同年 11月 30日 -海軍 経理 学校 令 廃止 (昭和 20年 海軍 省令 第 35号 )。
歴代 校長
海軍 主計 学 校長
- (
兼 )奈良 真 志 主計 大 監 :1886年 7月 19日 - 1888年 2月 4日 奈良 真 志 主計 大 監 :1888年 2月 4日 - 1889年 3月 9日 肥田 有 年 主計 大 監 :1889年 3月 9日 - 1890年 3月 28日 土岐 裕 主計 大 監 :1890年 3月 28日 - 1891年 4月 21日 - (
兼 )肥田 有 年 主計 大 監 :1891年 4月 21日 - 6月17日 原田 啓 主計 大 監 :1891年 6月 17日 - 7月 22日 肥田 有 年 主計 大 監 :1891年 7月 22日 - 1892年 10月 4日 下条 正雄 主計 大 監 :1892年 10月 4日 - 1893年 5月 20日 - (
兼 )原田 啓 主計 大 監 :1893年 5月 20日 - 12月31日
海軍 主計 官 練習 所長
- (
兼 )土井 順 之 助 主計 大 監 :1899年 5月 15日 - 1900年 12月22日 - (
兼 )福永 吉之助 主計 大 監 :1900年 12月22日 - 1903年 7月 7日 - (
兼 )志佐 勝 主計 大 監 :1903年 7月 7日 - 11月10日 - (
兼 )矢野 常 太郎 主計 大 監 :1903年 11月 10日 - 1904年 12月26日 加藤 八太 郎 主計 大 監 :1905年 1月 12日 - 6月25日 - (
兼 )志佐 勝 主計 大 監 :1905年 6月 25日 - 12月12日 志佐 勝 主計 大 監 :1905年 12月12日 - 1907年 4月 20日
海軍 経理 学 校長
志佐 勝 主計 大 監 :1907年 4月 20日 - 1908年 8月 15日 - (
兼 )宇都宮 鼎 主計 大 監 :1908年 8月 15日 - 1909年 12月1日 宇都宮 鼎 主計 大 監 :1909年 12月1日 - 1911年 9月 6日 藤田 経 孝 主計 大 監 :1911年 9月 6日 - 1913年 12月1日 桜 孝太郎 主計 総監 :1913年 12月1日 - 1914年 8月 8日 - (
兼 )清水 宇助主計 大 監 :1914年 8月 8日 -不 詳 清水 宇助主計 総監 :不 詳 - 1915年 12月13日 相良 澄 主計 総監 :1915年 12月13日 - 1916年 12月1日 佐野 雄治 主計 総監 :1916年 12月1日 - 1919年 12月1日 深水 貞吉 主計 少将 :1919年 12月1日 - 1932年 5月 25日 [12]- (
心得 )加藤 亮一 主計 大佐 :1932年 5月 25日 [12] - 1923年 12月1日 加藤 亮一 主計 少将 :1923年 12月1日 - 1924年 12月1日 刑部 斉 主計 少将 :1927年 4月 13日 - 1931年 12月1日 入谷 清 長 主計 中将 :1931年 12月1日 - 1932年 12月1日 村上 春一 主計 少将 :1932年 12月1日 - 1933年 5月 20日 池辺 安雄 主計 少将 :1933年 10月 10日 - 1935年 11月15日 佐々木 重蔵 主計 少将 :1935年 11月15日 - 1937年 12月1日 大束 健夫 主計 少将 :1937年 12月1日 - 1939年 4月 12日 金谷 隆一 主計 少将 :1939年 4月 12日 - 1941年 4月 10日 本田 増蔵 主計 中将 :1941年 4月 10日 - 1942年 3月 26日 片岡 覚太郎 主計 少将 :1942年 3月 26日 - 1943年 6月 1日 紺野 逸 弥 主計 少将 :1943年 6月 1日 - 1945年 9月 30日
主 な出身 者
生徒 出身 者 基本 的 な主計 科 士官 養成 課程 。海 経 ○期 というとこのグループを指 す。
吉村 武雄 主計 少将 - 1期 木 寺 寛 爾 主計 少将 - 4期 等 松 農夫 蔵 (有限 責任 監査 法人 トーマツ設立 者 ) - 6期 青木 大吉 (有限 責任 監査 法人 トーマツ設立 者 ) - 8期 伴 正一 (外交 官 、元 青年 海外 協力 隊 事務 局長 ) - 33期 [13]賀集 唱(元 東京 高裁 部 総括 判事 ) - 34期 山村 良 橘 (世界 史 講師 ) - 37期 [14]神山 繁 (俳優 )- 38期 [15]
補修 学生 出身 者 二 年 現役 士官 (短期 現役 士官 )の速成 課程 。Category:大日本帝国 海軍 短期 現役 士官 も参照 。
山中 清一郎 (元 三井信託銀行 社長 ・会長 ) -補修 学生 2期 中曽根 康弘 (元 内閣 総理 大臣 ・衆議院 議員 ) -補修 学生 7期 鳩山 威一郎 (元 大蔵 事務次官 、元 参議院 議員 ) -補修 学生 7期 松橋 忠光 (元 警視 監 、評論 家 ) -補修 学生 12期 下条 進一郎 (元 参議院 議員 )有馬 元治 (元 衆議院 議員 )松野 頼 三 (元 衆議院 議員 )山下 元利 (元 衆議院 議員 )住 栄作 (元 衆議院 議員 )山本 壮 一郎 (元 宮城 県知事 )長洲 一二 (元 神奈川 県知事 )松川 道哉 (元 財務 官 )徳田 博美 (元 大蔵省 銀行 局長 )大田 満男 (元 大蔵省 造幣局 長 )長岡 實 (元 大蔵 事務次官 )澄田 智 (元 日本銀行 総裁 )杉山 和男 (元 通産 事務次官 )河井 信太郎 (元 大阪高検 検事 長 )伊藤 栄樹 (元 検事 総長 )富田 朝彦 (元 宮内庁 長官 )山本 鎮彦(元 警察庁 長官 )西堀 正弘 (元 国連 大使 )西田 安正 (富士化学工業 社長 、富山 県議会 議長 )西田 誠哉 (元 駐 イタリア大使 、元 国連 大使 )正力 亨 (読売新聞 グループ社主 、第 2代 東京 讀賣 巨人軍 オーナー)濃 野 滋 (元 通産 事務次官 )中村 博 (敦賀 女子 短期大学 学長 、人事院 職員 局長 )酒井 新二 (元 共同通信社 社長 )石橋 幹 一郎 (元 ブリヂストン社長 ・会長 )河合 良一 (元 小松製作所 社長 、元 商工 ・通産 官僚 、元 中小企業庁 指導 部 指導 第 三 課長 )篠原 康次郎 (元 広島総合銀行 頭取 )渡辺 金一 (一橋大学 名誉 教授 )土井 勝 (料理 研究 家 )金子 兜太 (俳人 )
- その
他 詳細 調査 中 を含 む。
脚注
注釈
- ^
主計 科 士官 になれば最前線 で死 ぬ可能 性 が多少 なりとも低 くなるため、兵役 逃 れの意味合 いもあった。艦船 勤務 であっても、艦橋 で戦闘 記録 を執 るため戦死 率 も上 がった一方 、艦船 が沈没 する際 には軍医 と共 に真 っ先 に記録 書類 を抱 えて逃 げることが使命 となっており、また、後方 勤務 で兵器 工場 などの監督 になることも多 かったため、総合 的 に判断 すれば他 の科 と比 べて戦死 率 は極 めて低 かった。機関 科 将校 は兵科 将校 との区別 が段階 的 に撤廃 されたが(海軍 機関 科 問題 )、主計 科 士官 は敗戦 に至 るまで戦闘 要員 の「将校 」とはされず「将校 相当 官 」であった。
出典
- ^ 『
英和 陸海 軍兵 語 辞典 』明治 43年 - ^ 『
英和 海軍 術語 辞彙 』明治 44年 - ^
伊藤 隆 (監修 )、百瀬 孝 (著 ) 『事典 昭和 戦 前期 の日本 制度 と実態 』吉川弘文館 、1990年 、ISBN 4-642-03619-9、355ページ。 - ^ a b c d 「
海軍 経理 学校 の歴史 」『御 楯 橋 をわたって』 - ^
雨倉 (2007年 )、294頁 。 - ^
雨倉 (2007年 )、297頁 。 - ^ 「はじめに」『
御 楯 橋 をわたって』 - ^
雨倉 (2008年 )、187-191頁 。 - ^
雨倉 (2007年 )、304-305頁 。 - ^
雨倉 (2007年 )、299-300頁 。 - ^
雨倉 (2008年 )、116-118頁 。 - ^ a b 『
官報 』第 3245号 、大正 12年 5月 26日 。 - ^
吉岡 逸夫 『政治 の風格 』高陵 社 書店 、2009年 、33頁 。ISBN 978-477110973-5。 - ^
中村 方 寿 「わが生涯 のハイライト」『御 楯 橋 をわたって』 - ^
秋元 書房 刊 『海軍兵学校 海軍 機関 学校 海軍 経理 学校 』、1971年 、269頁 。
参考 文献
雨倉 孝之 『帝国 海軍 士官 入門 ―ネーバル・オフィサー徹底 研究 』光人 社 〈光人 社 NF文庫 〉、2007年 。同上 『帝国 海軍 下士官 兵 入門 ―ジョンベラ気質 徹底 研究 』同上 、2008年 。海軍 経理 学校 三 七 会 文集 刊行 委員 会 (編 )『御 楯 橋 をわたって―海軍 経理 学校 第 三 十 七 期 生徒 の足跡 』海軍 経理 学校 三 七 会 、2005年 。秦 郁 彦編『日本 陸海 軍 総合 事典 』第 2版 、東京 大学 出版 会 、2005年 。- 『
官報 』