東北帝国大学工学部では工業力学を専攻し、戦闘機設計を目指す[2]。しかし、卒業時は敗戦後だったため、やむなく鉱山関係の企業に就職[2]。「法律家になるな」と生前に厳命していた父の残した書物を頼りに1年間独学して、初挑戦で司法試験を突破した[2]。
弁護士を半年経験した後に検事任官。東京地検特捜部では武州鉄道汚職事件などの捜査に加わる。東京地検次席検事在籍時に発覚したダグラス・グラマン事件では異例の捜査開始宣言をした[2]。その後、福井地検検事正、東京地検検事正、最高検次長検事などを歴任。
1988年6月17日に最高裁判所裁判官に就任。理工系で初めての就任。検察幹部の経歴からロッキード事件丸紅ルートが係属されたときは審理を回避した。
1995年8月に定年退官。1997年、勲一等瑞宝章受章[4]。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、254頁。
- ^ a b c d “大堀誠一さん 理工系出身で初めて最高裁判事になった(ひと)”. 朝日新聞. (1988年6月18日)
- ^ “97年秋の叙勲受章者勲三等以上の一覧”. 読売新聞. (1997年11月3日)