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実藤恵秀 - Wikipedia

実藤さねとう めぐみしゅう(さねとう けいしゅう、1896ねん5月13にち - 1985ねん1がつ2にち)は、日本にっぽん中国ちゅうごく研究けんきゅうしゃ

広島ひろしまけん出身しゅっしん早稲田大学わせだだいがく文学部ぶんがくぶささえ文学ぶんがくそつ。1935ねん竹内たけうちよしみらの中国ちゅうごく文学ぶんがく研究けんきゅうかい参加さんか早大そうだい助教授じょきょうじゅ、1949ねん教授きょうじゅ。1960ねん中国ちゅうごくとめ学生がくせい研究けんきゅう」で早大そうだい文学ぶんがく博士はかせ。1967ねん定年ていねん退任たいにん名誉めいよ教授きょうじゅ[1]実藤さねとうとおさねとうあきらがいる。戦後せんごは「さねとう(・)けいしゅう」の署名しょめいおおもちいた。

著書ちょしょ

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  • ささえ現代げんだいぶん捷径しょうけい 漢文かんぶん基準きじゅん尚文なおふみどう 1933
  • 漢文かんぶんから時文じぶんささえ現代げんだいぶんかた三修社さんしゅうしゃ 1939
  • 中国人ちゅうごくじん日本にっぽん留学りゅうがく稿こうにちはな学会がっかい 1939
  • 日本にっぽん文化ぶんかささえへの影響えいきょう蛍雪けいせつ書院しょいん 1940
  • 近代きんだいささえ文化ぶんかろん大東だいとう出版しゅっぱんしゃ 東亜とうあ文化ぶんか叢書そうしょ 1941
  • 『こどもささえ風土記ふどき高井たかい貞二ていじ 実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1943
  • 明治めいじささえ文化ぶんか交渉こうしょう光風こうふうかん 1943
  • こぶ仙人せんにん』さねとう・けいしゅう 清水しみずこん 友愛ゆうあい文庫ぶんこ 1948
  • しん中国ちゅうごく儒教じゅきょう批判ひはん』さねとう・けいしゅう 中国ちゅうごく研究所けんきゅうじょへん 実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 中国ちゅうごく新書しんしょ 1948
  • 現代げんだい中国語ちゅうごくご入門にゅうもん』さねとう・けいしゅう さんいち書房しょぼう 1952
  • 現代げんだい中国語ちゅうごくご入門にゅうもん 解釈かいしゃくへん』さねとう・けいしゅう さんいち書房しょぼう 1955
  • 『あたらしい中国語ちゅうごくご学習がくしゅう』さねとう・けいしゅう 日本にっぽん評論ひょうろんしんしゃ 1956
  • 日本語にほんご純潔じゅんけつのために』さねとう・けいしゅう 淡路あわじ書房しょぼう 1956
  • 中国ちゅうごく文字もじ改革かいかく』さねとう・けいしゆう くろしお出版しゅっぱん 1958
  • 中国人ちゅうごくじん日本にっぽん留学りゅうがく』さねとう・けいしゅう くろしお出版しゅっぱん 1960
  • 大学だいがく教養きょうよう漢文かんぶんこうぶんどう出版しゅっぱんしゃ 1967
  • 近代きんだいちゅう交渉こうしょう史話しわ』さねとうけいしゅう 春秋しゅんじゅうしゃ 1973
  • にちちゅう友好ゆうこう歴史れきし』さねとうけいしゅう 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1973
  • 『まぼろしのひと さねとうけいしゅうずいひつしゅう』春秋しゅんじゅうしゃ 1976
  • 中国ちゅうごく留学生りゅうがくせい史談しだん』さねとうけいしゅう だいいち書房しょぼう 1981
  • にちちゅう友好ゆうこうひゃくはな』さねとうけいしゅう 実藤さねとうめぐみしゅう先生せんせいちょにちちゅう友好ゆうこうひゃくはな刊行かんこうかい 1985

へん共著きょうちょ

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  • 近代きんだいささえ思想しそうへん 光風こうふうかん 近代きんだいささえ文化ぶんか読本とくほん 1942
  • 中国ちゅうごくしん文学ぶんがく発達はったつ実藤さねとうどお共著きょうちょ さんいち書房しょぼう 1955
  • 『アジアのしん ちゅう文化ぶんか交流こうりゅうのあゆみ』実藤さねとうどお共著きょうちょ 淡路あわじ書房しょぼう 1956
  • 日本にっぽんやく中国ちゅうごくしょ目録もくろく ちゅう友好ゆうこうひとつの礎石そせきとして』小川おがわひろし共編きょうへん 日本にっぽん学生がくせい放送ほうそう協会きょうかい 1956

翻訳ほんやく

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論文ろんぶん

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脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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