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市姫 - Wikipedia

市姫いちひめ

徳川とくがわ家康いえやすじょ

市姫いちひめ(いちひめ、慶長けいちょう12ねん1がつ1にち1607ねん1がつ28にち) - 慶長けいちょう15ねん2がつ12にち[1]1610ねん3月7にち))は、伊達だてまさしむね嫡男ちゃくなん伊達だてただしむね婚約こんやくしていた女性じょせいちち徳川とくがわ家康いえやすはは側室そくしつかじほう遠山とおやま)。

徳川とくがわ家康いえやすが66さいのときにまれたじょである。家康いえやすは、織田おだ信長のぶながいもうと絶世ぜっせい美女びじょうたわれたいちかたのように美女びじょになってほしいとねがっていたらしく、市姫いちひめ命名めいめいした。

慶長けいちょう12ねん(1607ねん)2がつ8にち家康いえやす当時とうじ最大さいだい勢力せいりょくほこっていた外様とざま大名だいみょう伊達だてまさしむね関係かんけいをさらにふかめるため、せいむね嫡男ちゃくなんとら菊丸きくまる(のちのちゅうむね)と婚約こんやくさせている。しかし慶長けいちょう15ねん(1610ねん)2がつ12にち市姫いちひめは3さい夭折ようせつした。いちごんでいたさい毒虫どくむしされ、それが原因げんいんでこのったとわれている。追号ついごうきよしくもいん[2]、またはいちあきらいん[3]墓所はかしょ静岡しずおかあおい華陽かよういん

家康いえやす市姫いちひめ夭折ようせつなげかなしむと同時どうじに、ちゅうむねたいして孫娘まごむすめひめ実父じっぷ池田いけだ輝政てるまさで、生母せいぼ家康いえやす次女じじょとくひめ)を徳川とくがわ秀忠ひでただ養女ようじょとして婚約こんやくさせている。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 徳川とくがわ幕府ばくふ』より。『幕府ばくふ祚胤でん』ではうるう2がつ12にちとされている。
  2. ^ 徳川とくがわ幕府ばくふ
  3. ^ 幕府ばくふ祚胤でん