新興しんこう国こく(しんこうこく、英えい: Emerging Power)は、国際こくさい社会しゃかいにおいて政治せいじ、外交がいこう、軍事ぐんじ、経済けいざいなどの分野ぶんやにおいて急速きゅうそくな発展はってんを遂とげつつある国くにのこと。
新興しんこう国こくの定義ていぎは相対そうたい的てきなもので難むずかしい。現在げんざいの超ちょう大国たいこくとされるアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくや経済けいざい大国たいこくと呼よばれる日本にっぽんも20世紀せいきの始はじめは列強れっきょうに比くらべて「新興しんこう国こく」といえるし、古ふるいヨーロッパと呼よばれるフランス、ドイツも新興しんこう国こくだった時期じきが歴史れきし上じょうあった。逆ぎゃくに現在げんざい「新興しんこう国こく」といわれる中国ちゅうごくやインドも、イギリス帝国ていこくによる植民しょくみん地ち政策せいさくの標的ひょうてきとなった19世紀せいきには「老ろう大国たいこく」であった。17世紀せいき頃ころには中国ちゅうごくとインドで世界せかいの経済けいざい総そう生産せいさんの半数はんすう以上いじょうを占しめていた時代じだいもあり、現在げんざいの中国ちゅうごく・インドの台頭たいとうは、両国りょうこくが過去かこの地位ちいに復帰ふっきしつつある過程かていにある現象げんしょうともいえる。
20世紀せいき後半こうはんにおいて「新興しんこう国こく」といえば、第だい二に次じ世界せかい大戦たいせん後のちになって欧米おうべい諸国しょこくの植民しょくみん地ち支配しはいから独立どくりつしたアジアやアフリカの国々くにぐにを指さすことが多おおかった。つまり、経済けいざい的てきではなく政治せいじ的てきかつ国際こくさい法的ほうてきな意味いみで新興しんこうの国くにということである。その意味いみをより明確めいかくにする意味いみで「新興しんこう独立どくりつ国こく」や「新興しんこう勢力せいりょく」という言葉ことばも使つかわれることがあった。1980年代ねんだいぐらいまでの文献ぶんけんに「アフリカの新興しんこう国こく」と書かかれているのは、このような意味いみである。アジア・アフリカ会議かいぎや非ひ同盟どうめい運動うんどうでリーダー格かくだったインドネシアのスカルノ大統領だいとうりょうは、欧米おうべい諸国しょこくが力ちからを持もった国際こくさい連合れんごうから脱退だったいして新興しんこう勢力せいりょく会議かいぎを結成けっせいし、国際こくさいオリンピック委員いいん会かいに対抗たいこうして新しん興国こうこく競技きょうぎ大会たいかいを開催かいさいした。
この意味いみでの「新興しんこう国こく」は1990年代ねんだいには死語しごになった。多おおくの国くにが独立どくりつしてすでに「新興しんこう」とはいえない程度ていどの年数ねんすうが経たったうえ、社会しゃかい主義しゅぎ体制たいせいの崩壊ほうかいで新あらたに独立どくりつ国こくとなった旧きゅうソ連それんおよび旧きゅうユーゴスラビア諸国しょこくの独立どくりつは、アジア・アフリカの旧きゅう植民しょくみん地ちの独立どくりつとは同一どういつ視しされなかったからである。2000年代ねんだいに入はいってから改あらためて「新興しんこう国こく」という言葉ことばが使つかわれることが増ふえてきた。それは上記じょうきのような従前じゅうぜんの意味いみとは無関係むかんけいに、冷戦れいせん終結しゅうけつ後のちに急速きゅうそくに経済けいざい力りょくをつけてきた発展はってん途上とじょう国こくをさすことが多おおい。2010年代ねんだいや2020年代ねんだいに入はいると、BRICSや上海しゃんはい協力きょうりょく機構きこう、G77などを中心ちゅうしんにグローバルサウス(新興しんこう国こく・途上とじょう国こく)を代表だいひょうする枠組わくぐみが、欧米おうべい主導しゅどうの国際こくさい秩序ちつじょに挑いどむ姿勢しせいを鮮明せんめいにしている[1]。