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東圓寺 (中津川市) - Wikipedia

東圓寺とうえんじ (中津川なかつがわ)

岐阜ぎふけん中津川なかつがわにある寺院じいん

東圓寺とうえんじ(とうえんじ)は岐阜ぎふけん中津川なかつがわ東宮とうぐうまちにある曹洞宗そうとうしゅう寺院じいん山号さんごう寿ことぶき福山ふくやま

東圓寺とうえんじ
所在地しょざいち 岐阜ぎふけん中津川なかつがわ東宮とうぐうまち8-12
位置いち 北緯ほくい3529ふん47.2びょう 東経とうけい13730ふん40.9びょう / 北緯ほくい35.496444 東経とうけい137.511361 / 35.496444; 137.511361座標ざひょう: 北緯ほくい3529ふん47.2びょう 東経とうけい13730ふん40.9びょう / 北緯ほくい35.496444 東経とうけい137.511361 / 35.496444; 137.511361
山号さんごう 寿ことぶき福山ふくやま
宗派しゅうは 曹洞宗そうとうしゅう
本尊ほんぞん 薬師やくし如来にょらい
創建そうけんねん 寛文ひろふみ5ねん(1665ねん)
開山かいさん 宗泉寺しゅうせんじさんせい あげ外秀そとひではた
開基かいき はるおう
別称べっしょう 出世しゅっせ薬師くすしうし薬師くすし
札所ふだしょとう 中部ちゅうぶよんじゅうきゅう薬師くすし霊場れいじょうだいじゅうばん
文化財ぶんかざい 木造もくぞう薬師如来やくしにょらい坐像ざぞうくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい
誕生たんじょう釈迦如来しゃかにょらい立像りつぞう指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい
法人ほうじん番号ばんごう 8200005009050
東圓寺 (中津川市)の位置(岐阜県内)
東圓寺 (中津川市)
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本尊ほんぞん薬師如来やくしにょらい別称べっしょうから、出世しゅっせ薬師くすしうし薬師くすしともばれる。

元和がんわ8ねん(1622ねん)、はるおうが、中津川なかつがわ淀川よどがわまち直海のうみとうという現在げんざいショッピングセンターの敷地しきちない開基かいきしたしょうあんはじまりとされる。

過去かこちょう最初さいしょ寛永かんえい5ねん(1628ねん)で、寛永かんえい11ねん(1634ねん)の過去かこちょうには「当山とうざん開基かいきはるおう和尚おしょう示寂じじゃく」という記録きろくがある。

はるおうが、伽藍がらん寺院じいん建立こんりゅうするために中津川なかつがわむら支配しはいしていた尾張おわりはん木曾きそ代官だいかん山村さんそん甚兵衛じんべえからもらけていた現在げんざいに、

寛文ひろふみ5ねん(1665ねん)、中津川なかつがわ宗泉寺しゅうせんじさんせいあげ外秀そとひではた曹洞宗そうとうしゅう寺院じいんとして開山かいさんした。

寛文ひろふみ以降いこう過去かこちょうととのっていることから、このころどうてら基礎きそかたまったとおもわれる。

天明てんめい3ねん(1783ねん)、山門さんもんてられた。

とおる2ねん(1802ねん)、梵鐘ぼんしょう鋳造ちゅうぞうされた[1]

昭和しょうわ53ねん(1978ねん)梵鐘ぼんしょうしんされて鐘楼しゅろう建造けんぞうされた。

ぜん本堂ほんどう文化ぶんか7ねん(1810ねん)ろくせいおうやまぜんだく時代じだい建立こんりゅうで、昭和しょうわ61ねん(1986ねん)に再建さいけんされた。 

平成へいせい元年がんねん(1989ねん)、庫裏くり瑠璃光るりこう殿どの新築しんちくされた。

重要じゅうよう文化財ぶんかざいくに指定してい

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木造もくぞう薬師如来やくしにょらい坐像ざぞう

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伝説でんせつによればひろしひとし5ねん(814ねん)、東山ひがしやまみち神坂峠みさかとうげえる旅人たびびとまもりとして伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょう)が彫刻ちょうこくしたとつたわる。伝説でんせつ真偽しんぎべつとして、薬師如来像やくしにょらいぞう平安へいあん時代じだいさくである。

貞享ていきょう元年がんねん(1684ねん)に神坂峠みさかとうげにあった薬師堂やくしどう(こうすみいん)でまつられていた薬師如来やくしにょらい東圓寺とうえんじうつした。

この薬師如来やくしにょらい乗馬じょうばして仏前ぶつぜんとおるとかなら落馬らくばするといういわれがあり、それをけるためにうしきでどう安置あんちされていたためうし薬師くすし異名いみょうっていた。また、出世しゅっせねがいをかなえる霊験れいけんつとされ、出世しゅっせ如来にょらいともばれる。

ヒノキざい寄木よせぎづくりで座高ざこうは1mあまり。うるし金箔きんぱくあとられる。

大正たいしょう14ねん(1925ねん)、当時とうじ社寺しゃじ保存ほぞんほうもとづくきゅう国宝こくほう文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこうくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい)に指定していされた。

昭和しょうわ29ねん(1954ねん)、文部省もんぶしょうから補助ほじょきん防災ぼうさい設置せっちして安置あんちした。

この薬師如来やくしにょらいは、ふるくより出世しゅっせ薬師くすしともばれ、祭礼さいれい毎年まいとし4がつ8にちおこなわれており、おおくの参詣さんけいしゃおとずれる。

とく頭部とうぶやまい(みみだれ・頭痛ずつう)などの平癒へいゆ祈願きがん安産あんざん母乳ぼにゅうさづけの祈願きがん霊験れいけんあらたかで、きり綿めんつくった乳首ちくびなどの奉納ほうのうおおかった。

誕生たんじょう釈迦如来しゃかにょらい立像りつぞう

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室町むろまち時代ときよさく金銅かなどう誕生たんじょう釈迦如来しゃかにょらい立像りつぞう所蔵しょぞうされている。

もと苗木なえぎはんおも菩提寺ぼだいじくも林寺はやしじにあったが、明治めいじ初期しょき廃仏毀釈はいぶつきしゃくさいに、加茂かもぐん伊深いぶかむら正眼寺しょうがんじうつったが、中津なかつがわ有志ゆうし懇請こんせいしてもら東圓寺とうえんじ遷座せんざした。

特徴とくちょう頭部とうぶにしかみではなく天上天下てんじょうてんげゆび一本いっぽんで、腰紐こしひもらしている。おもさ30kg、ぞうだかは84cmにもおよ誕生たんじょうぼとけとしては最大さいだい作品さくひんで、昭和しょうわ46ねん(1971ねん)10がつ28にち中津川なかつがわ文化財ぶんかざい指定していされた。

じゅん胝観音像おんぞう

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文政ぶんせい7ねん(1824ねん)に造立ぞうりゅうされたもので彩色さいしきほどこされている。じゅん胝とは清浄せいじょう意味いみであり、そのぞうよういちめんさんじゅうはちひじである。

東圓寺とうえんじじゅん胝観音像おんぞううみからあらわれた阿吽あうん龍神りゅうじんささえられている。

東圓寺とうえんじななせいせんたかし和尚おしょうが、当時とうじ流行りゅうこうした疫病えきびょう退散たいさんさせるため近隣きんりんむら女人にょにんこう念仏ねんぶつこうびかけづくりぞうされたと観音かんのんぞううらしるされてある。

延命えんめい地蔵じぞう菩薩ぼさつぞう

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江戸えど時代じだいみやつこぞうで、当時とうじ疫病えきびょうふうじと延命えんめい祈願きがんされてまつられた。

毘沙門天びしゃもんてん立像りつぞう

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境内けいだい

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秋葉あきばさんしゃくぼうだい権現ごんげん

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中津なかつがわ大津おおつ 菅井すがいただしみぎ衛門えもんは、とおしゅう秋葉あきば権現ごんげんもっと信奉しんぽうし、毎年まいとし参拝さんぱいおこたることがなかった。

とおる11ねん(1726ねん)3がつ菅井すがいただしみぎ衛門えもん2めいは、三河みかわこく渥美あつみぐん原川はらがわ洪水こうずいい、はしともに3にんながされた。の2めいくなったが、菅井すがいただしみぎ衛門えもんだけは不思議ふしぎにも村人むらびとたすけられた。

その村人むらびとから、白髪はくはつ山伏やまぶし行者ぎょうじゃあらわれ「いま水難すいなんに逢ふじんあり、はやだすけよ」とげて、姿すがた消失しょうしつしたとかされ、これは日頃ひごろ自分じぶん信仰しんこうする秋葉あきば権現ごんげんのご利益りやくちがいないとふかかんじ、菅井すがい一統いっとう長船おさふね名刀めいとうおさめて秋葉あきば権現ごんげん尊像そんぞうむかえしょうして自宅じたくまつった。

明和めいわ2ねん(1765ねん)、大津おおつ 菅井すがいから在家ざいけまつることをおそれて東圓寺とうえんじ寄進きしんされた。毎年まいとし2がつ16にち祭礼さいれいおこなわれている。

聖徳太子しょうとくたいしぞう

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本堂ほんどうよこしげみに露座ろざしている。

関連かんれん寺院じいん

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関連かんれんリンク

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 中津川なかつがわ ちゅうまきⅡ』 だいへん 近世きんせい() だいはちしょう 寺社じしゃ だいせつ 寺院じいん ニ 近世きんせい寺院じいん 東圓寺とうえんじ p1619~p1620 1988ねん
  • 恵那えなぐん』 だいはちへん 現代げんだい だいよんじゅういちしょう 人文じんぶん発展はってん(いち) 【かくむね寺院じいん】 p612~p619 恵那えなぐん教育きょういくかい 1926ねん
  • 岐阜ぎふけんひゃくてら』 東円寺とうえんじ p190~p191 郷土きょうど出版しゅっぱんしゃ 1987ねん
  • 中部ちゅうぶよんじゅうきゅう薬師くすし巡礼じゅんれい』 p122~p125 中部ちゅうぶよんじゅうきゅう薬師くすし霊場れいじょうかい 冨永とみながわたるたいら 朱鷺とき書房しょぼう 1999ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 水野みずのとしだい