根ねの国くに(ねのくに)は、日本にっぽん神話しんわに登場とうじょうする異こと界かいである。『古事記こじき』では「根ね之の堅けん洲しゅう國こく」(ねのかたすくに)・「妣國」(ははのくに)、『日本書紀にほんしょき』では根ね国こく(ねのくに)・「底そこ根ね國こく」(そこつねのくに)、祝詞のりとでは根ねの国くに底そこの国くに・根ね國こく底そこ國こく(ねのくにそこのくに)・底そこ根ねの国くに(そこねのくに)と書かかれる。
根ねの国くには、その入口いりくちを黄泉よみの国くにと同おなじ黄泉よみ平坂ひらさか(よもつひらさか)としている記述きじゅつが『古事記こじき』にある(大国たいこく主ぬしの神話しんわ)。しかし六ろく月がつ晦みその大祓おおはらいの祝詞のりとでは根ねの国くには地下ちかではなく海うみの彼方かなたまたは海うみの底そこにある国くにとしている。
祝詞のりとにおいては、罪つみ穢けがれは根ねの国くにに押おし流ながすとしていたり、悪霊あくりょう邪よこしま鬼おにの根源こんげんとされたりしている。
『古事記こじき』ではスサノオが根ねの国くにを「妣(はは)の国くに」と呼よんでおり、大国たいこく主ぬしが大国たいこく主ぬしの神話しんわで須勢理り毘売命いのちに会あい、生なま大刀たち・生なま弓矢ゆみや・天てん詔みことのり琴きんを根ねの国くにから持もち帰かえっている。
根ねの国くにのあった場所ばしょは言いうまでもなく地下ちかであるという主張しゅちょうもあるが[1]、一方いっぽうで古ふるくから神話しんわを現実げんじつ的てきに解釈かいしゃくし、地上ちじょうのどこかに当あてる説せつが行おこなわれた。その場合ばあい、イザナミやスサノオと縁えんの深ふかい出雲いずも国こくに入口いりくちがあるとする説せつがある[2]。特とくに、夜見よみ(よみ)という地名ちめいのある鳥取とっとり県けん米子よなご市しと、黄泉よみ平坂ひらさかの比定ひてい地ちのある島根しまね県けん松江まつえ市しの間あいだの島根しまね県けん安来やすぎ市しには、古事記こじきにも「出雲いずも国こくと伯耆ほうき国こくの堺さかいの比婆ひば山さん」と記しるされたイザナミのものと伝つたえられる神かみ陵りょうがあることからこの出雲いずも東部とうぶ一帯いったいが根ねの国くにとする説せつが安本やすもと美よし典てん著ちょ『邪馬台国やまたいこくと出雲いずも神話しんわ』[要ようページ番号ばんごう]では述のべられている。
柳田やなぎだ國男くにおは、根ねの国くにの「ネ」は琉球りゅうきゅうの他界たかい信仰しんこうである「ニライカナイ」と同おなじものであるとし[3]、それに「根ね」の字じが宛あてられたために地下ちかにあるとされるように変化へんかしたとした[4]。柳田やなぎだは根ねの国くにがニライカナイと同根どうこんであるとの考かんがえから、本来ほんらいは明あかるいイメージの世界せかいだったとした[2]。
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