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柳田國男 - Wikipedia

柳田やなぎだ國男くにお

民俗みんぞく学者がくしゃ官僚かんりょう (1875-1962)

柳田やなぎだ 國男くにお(やなぎた くにお、1875ねん明治めいじ8ねん7がつ31にち - 1962ねん昭和しょうわ37ねん8がつ8にち)は、日本にっぽん民俗みんぞく学者がくしゃ官僚かんりょう大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうした農務のうむ官僚かんりょう貴族きぞくいん書記官しょきかんちょう終戦しゅうせんから廃止はいしになるまで最後さいご枢密すうみつ顧問こもんかんなどをつとめた[1]日本学士院にほんがくしいん会員かいいん日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん文化ぶんか功労こうろうしゃ文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうしゃ位階いかい勲等くんとうせいさん勲一等くんいっとう出版しゅっぱんぶつとうにおいては、常用漢字じょうようかんじからだによる「柳田やなぎだ 国男くにお」という表記ひょうき使用しようされる。

柳田やなぎだ 國男くにお
(やなぎた くにお)
昭和しょうわ初期しょき
誕生たんじょう (1875-07-31) 1875ねん7がつ31にち
日本の旗 日本にっぽん飾磨しかまけん神東しんとうぐんつじ川村かわむら
げん兵庫ひょうごけん神崎かんざきぐん福崎ふくさきまち辻川つじかわ
死没しぼつ (1962-08-08) 1962ねん8がつ8にち(87さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう世田谷せたがや成城せいじょう
墓地ぼち 春秋しゅんじゅうえん神奈川かながわけん川崎かわさき多摩たま
職業しょくぎょう 民俗みんぞく学者がくしゃ著作ちょさく
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 法学ほうがく
最終さいしゅう学歴がくれき 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく政治せいじ
ジャンル 民俗みんぞくがく
主題しゅだい 民俗みんぞくがく日本にっぽん思想しそう歴史れきし口承こうしょう文学ぶんがく
代表だいひょうさく遠野とおの物語ものがたり』(1910ねん
蝸牛かぎゅうこう
桃太郎ももたろう誕生たんじょう
海上かいじょうみち
おも受賞じゅしょうれき 文化ぶんか勲章くんしょう受勲じゅくん(1951ねん
せいさん勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう受勲じゅくん
親族しんぞく ほんこうの「家族かぞく親族しんぞくおよび「系譜けいふ」のふし参照さんしょう
ウィキポータル 文学ぶんがく
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日本人にっぽんじんとはなにか」といういのこたえをもとめ、日本にっぽん列島れっとう各地かくち当時とうじ日本にっぽんりょう外地がいち調査ちょうさ旅行りょこうした。初期しょきやま生活せいかつ着目ちゃくもくし、『遠野とおの物語ものがたり』で「ねがわくはこれかたりて平地ひらちじん戦慄せんりつせしめよ」とべた。日本にっぽん民俗みんぞくがく開拓かいたくしゃであり、多数たすう著作ちょさく今日きょうまで重版じゅうはんされつづけている。

生涯しょうがい

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柳田やなぎだ國男くにお生家せいか兵庫ひょうごけん福崎ふくさきまち
 
布川ぬのかわでの居宅きょたく茨城いばらきけん利根とねまち
 
柳田やなぎだ國男くにお1951ねん

編集へんしゅう

1875ねん明治めいじ8ねん)7がつ31にち飾磨しかまけん兵庫ひょうごけん神東しんとうぐんつじ川村かわむらげん兵庫ひょうごけん神崎かんざきぐん福崎ふくさきまち辻川つじかわまれで、さい晩年ばんねん名誉めいよ町民ちょうみんだい1ごうとなった。ちち儒者じゅしゃ医者いしゃ松岡まつおかみさおははたけのろくなんおとこばかりの8にん兄弟きょうだい)として出生しゅっしょう辻川つじかわ兵庫ひょうごけんのほぼ中央ちゅうおうきたからみなみながれる市川いちかわ山間さんかんから播州ばんしゅう平野へいやけてもなく因幡いなば街道かいどうまじわるあたりに位置いちし、越知川おちがわがありふるくから農村のうそんとしてけていた。辻川つじかわきょうから鳥取とっとりいた街道かいどう姫路ひめじから北上ほくじょう生野いくのいた街道かいどうとが十字形じゅうじがた交差こうさしている地点ちてんにあたるためといわれ、そこに生家せいかがあった。生家せいか街道かいどうめんし、さまざまなはなえており、白桃はくとう八重桜やえざくらなどがえられ、道行みちゆ人々ひとびと口上こうじょうのぼるほどうつくしかった。生家せいかせまく、國男くにおは「わたしいえ日本一にっぽんいちちいさいいえ」だったといっている。いえちいさく、おや夫婦ふうふ長男ちょうなん夫婦ふうふ同居どうきょできるおおきさではないのに、無理むり同居どうきょさせたことからよめしゅうととの対立たいりつしょうじ、長男ちょうなん夫婦ふうふ離婚りこんまねいたことが、おさな國男くにおつよ影響えいきょうあたえ、民俗みんぞくへの関心かんしんいえ(および家屋かおく)の構造こうぞうへの関心かんしん民俗みんぞくがくへの志向しこう]はそこから芽生めばえた[1]

ちちみさお旧幕きゅうばく時代じだい姫路ひめじはん儒者じゅしゃ角田つのだしんぞうむすめ婿むこ田島たじまおとうととして一時いちじせきはいり、田島たじま賢次けんじというじん寿山ことぶきやま(じんじゅさんこう)や、好古こうこどうといった私塾しじゅく修学しゅうがくし、医者いしゃとなり、姫路ひめじ熊川くまがわしゃ(ゆうせんしゃ)というまち学校がっこうしゃぬしとして1863ねん文久ぶんきゅう3ねん)に赴任ふにんした。明治めいじ初年しょねんまで相応そうおうらしをしたが、維新いしんだい変革へんかくときには予期よきせざるいえ変動へんどうもあり、みさおなやみもはげしかったらしく、一時いちじはひどい神経しんけい衰弱すいじゃくおちいったという[2]

幼少ようしょうより非凡ひぼん記憶きおくりょくち、11さいのときに地元じもと辻川つじかわ旧家きゅうか三木みきあづけられ、その膨大ぼうだい蔵書ぞうしょ読破どくはし、12さいとき医者いしゃ開業かいぎょうしていた長男ちょうなんかなえられ茨城いばらきけん千葉ちばけんさかいである下総しもうさ利根川とねがわべりの布川ふかわげん利根とねまち)にんだ。生地きじとはことなった利根川とねがわ風物ふうぶつ貧困ひんこんにあえぐひとたちにつよ印象いんしょうける[注釈ちゅうしゃく 1]徳満とくみつてらというてらでは、あいだ絵馬えま母親ははおやが、んだばかりのいのちうばっている姿すがたえがいている)をて、終生しゅうせいわすれることの出来できない衝撃しょうげきける。また、隣家りんか小川おがわ蔵書ぞうしょ乱読らんどくした。16さいのときに東京とうきょうんでいたさんあに井上いのうえ通泰みちやす帝国ていこく大学だいがく医科いか大学だいがく在学ざいがくちゅう)と同居どうきょ図書館としょかんかよ読書どくしょつづける。さんけい紹介しょうかいもり鷗外もんをたたく。17さいとき尋常じんじょう中学ちゅうがく共立きょうりつ学校がっこう(のちの開成かいせい高等こうとう学校がっこう)に編入へんにゅうがくする。このとし田山たやま花袋かたいる。翌年よくねんいくぶんかん中学校ちゅうがっこう転校てんこう進級しんきゅうする[3]。19さいにしてだいいち高等こうとう中学校ちゅうがっこう進学しんがく青年せいねんむかえる。東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく政治せいじげん東京大学とうきょうだいがく法学部ほうがくぶ政治せいじ学科がっか卒業そつぎょう明治めいじ33ねん(1900ねん)にのう商務省しょうむしょうはいり、おも東北とうほく地方ちほう農村のうそん実態じったい調査ちょうさ研究けんきゅうするようになる。

詩人しじん松岡まつおか國男くにお

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井上いのうえ通泰みちやす紹介しょうかいによりもり鷗外親交しんこうち、『しがらみ草紙ぞうし』に作品さくひん投稿とうこう、また通泰みちやす世話せわ桂園けいえん歌人かじん松浦まつうら辰男たつお入門にゅうもんする。だいいち高等こうとう中学校ちゅうがっこう在学ざいがくちゅうには『文學ぶんがくかい』『國民こくみんとも』『帝國ていこく文学ぶんがく』などに投稿とうこうする。1897ねん明治めいじ30ねん)には田山たやま花袋かたい国木田独歩くにきだどっぽらと『抒情詩じょじょうし』を出版しゅっぱんする。ロマンてき純情じゅんじょう作風さくふうであった。しかしこの当時とうじ悲恋ひれんなやんでおり、はなぶくろにだけこれをけ、はなぶくろはそれを小説しょうせつにしていた[4]飯田いいだはん出身しゅっしん柳田やなぎだ養子ようしはいり、こい文学ぶんがくあきらめ、官界かんかいすすんだのちも、田山たやま花袋かたい国木田独歩くにきだどっぽ島崎しまざき藤村とうそん蒲原かんばら有明ありあけなど文学ぶんがくしゃとの交流こうりゅうつづいたが、大正たいしょう時代じだいはいったあたりから当時とうじ文学ぶんがくとく自然しぜん主義しゅぎ私小説ししょうせつ)のありようを次第しだい嫌悪けんお決別けつべつしていった。

民俗みんぞくがく夜明よあ

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椎葉しいばむら中瀬なかせたくにわ設置せっちされている民俗みんぞくがく発祥はっしょういしぶみ

東京とうきょう帝国ていこく大学だいがくでは農政のうせいがくまなび、のう商務省しょうむしょう高等こうとう官僚かんりょうとなったのち明治めいじ41ねん5がつ下旬げじゅんからやく3ヶ月かげつかけて九州きゅうしゅう四国しこくたびしている。7月宮崎みやざきけん椎葉しいばむら訪問ほうもん大河内おおこうち椎葉しいば徳蔵とくぞうたく文書ぶんしょかりまき』をにした。帰京ききょう椎葉しいば村長そんちょう中瀬なかせあつし(なかせすなお)に文書ぶんしょかりやすくなおしてもらい、また、かりかんする口伝くちづたえを文章ぶんしょうにしてもらい書簡しょかんおくらせた。それらをまとめ、明治めいじ42ねん3がつ15にち刊行かんこうしたものが『こうかり(のちのかりことばのき』である。このほんについて柳田やなぎだは、「今日きょうではこれが日本にっぽん民俗みんぞくがく出発しゅっぱつてんのようにいわれている」とべている[5]

その講演こうえん旅行りょこうなどで地方ちほう実情じつじょうれるうちに次第しだい民俗みんぞくてきなものへの関心かんしんふかめてゆく。また、当時とうじ欧米おうべい流行りゅうこうしていたスピリチュアリズム影響えいきょうけ、日本にっぽんでもこっていた「怪談かいだんブーム」のさなか[注釈ちゅうしゃく 2]当時とうじ新進しんしん作家さっかだった佐々木ささきぜんい、岩手いわてけん遠野とおの佐々木ささき訪問ほうもんして『遠野とおの物語ものがたり』を執筆しっぴつする[6]宮崎みやざきけん椎葉しいばなどへのたびのち郷土きょうどかいをはじめ、雑誌ざっし郷土きょうど研究けんきゅう』を創刊そうかんする。民俗みんぞくがく独自どくじ領域りょういき主張しゅちょうつためのしも準備じゅんび着々ちゃくちゃくすすめていった。

日本にっぽん民俗みんぞくがく確立かくりつ

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郷土きょうど生活せいかつ研究けんきゅうほう』における「重出じゅうしゅつ立証りっしょうほう」などで日本にっぽん民俗みんぞくがく理論りろん方法ほうほうろん提示ていじされるなど、昭和しょうわ初期しょき日本にっぽん民俗みんぞくがく確立かくりつ時代じだいであった。一方いっぽう山村さんそん調査ちょうさうみむら調査ちょうさをはじめとする全国ぜんこく各地かくち調査ちょうさすすみ、民俗みんぞく採集さいしゅう重要じゅうようせい方法ほうほうしめされた。以降いこう日本人にっぽんじんなにであるかを見極みきわ将来しょうらいつたえるというおおきな問題もんだい意識いしき根底こんていに「内省ないせいがく」として位置いちづけられてきた。

略歴りゃくれき

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栄典えいてん授章じゅしょう授賞じゅしょう

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位階いかい
勲章くんしょうとう
外国がいこく勲章くんしょう佩用はいよう允許いんきょ

記念きねんかん

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柳田やなぎだ國男くにお松岡まつおか顕彰けんしょうかい記念きねんかん兵庫ひょうごけん福崎ふくさきまち
 
柳田やなぎだ國男くにおかん長野ながのけん飯田いいだ

柳田やなぎだ民俗みんぞくがく特徴とくちょう

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現地げんち調査ちょうさ主義しゅぎ

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郷土きょうど生活せいかつ研究けんきゅうほう』(1935ねん)において「在来ざいらい史学しがく方針ほうしんのっとり、いまある文書ぶんしょかぎりによって郷土きょうど過去かころうとすれば、もっと平和へいわ幸福こうふく保持ほじのために努力どりょくした町村ちょうそんのみは歴史れきしとなり、わがくに農民のうみん一揆いっき災害さいがいとの連鎖れんさであったき、印象いんしょうあずかへずんばまぬこととなるであろう」とべている。

ここでは「文献ぶんけん史学しがくにおいては典拠てんきょとする史料しりょうそのものにかたよりがまれるのはけられない」としており、「公文書こうぶんしょなどにしめされた一揆いっき災害さいがいとかかわる民衆みんしゅう姿すがたをそこで確認かくにんできたとしても、その生活せいかつ文化ぶんか総体そうたいけっしてえてこない」という認識にんしきしめされている。「常民じょうみん」の生活せいかつ文化ぶんか解明かいめい目的もくてきとする民俗みんぞくがくにとっては文献ぶんけん資料しりょうにのみ依拠いきょすることには限界げんかい危険きけんともなうのであり、それゆえ「フィールドワークによる民俗みんぞく資料しりょう収集しゅうしゅう重要じゅうようだ」とろんじて、1933ねんから1935ねんにかけて民俗みんぞく資料しりょう分類ぶんるいかんする自身じしん見解けんかい公表こうひょうしている。また、『日本にっぽん民俗みんぞくがく』(1942ねん)において「民俗みんぞくがく微細びさい事実じじつ考証こうしょうから出発しゅっぱつする」とし、随筆ずいひつ紀行きこうぶんとうとの差異さいからもかくなる学的がくてき立脚りっきゃくもとめ、計画けいかく調査ちょうさ重要じゅうようした。

こうした趣旨しゅし日本語にほんごかんする研究けんきゅうにもあらわれており、方言ほうげんかんするもの(『蝸牛かぎゅうこう』『方言ほうげん覚書おぼえがき』『標準ひょうじゅん方言ほうげんとう)や、国語こくごかんするもの(『国語こくご将来しょうらい』『国語こくご新語しんごへん』『毎日まいにち言葉ことばとう)など、柳田やなぎだはな言葉ことば方言ほうげん重視じゅうしした[29]

歴史れきしがく

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柳田やなぎだ問題もんだい意識いしき関心かんしんは、つね歴史れきしがく歴史れきし教育きょういくにあった[30]昭和しょうわ初期しょき柳田やなぎだ自身じしん長野ながのけん東筑摩ひがしちくまぐん教育きょういくかいで「青年せいねん学問がくもん」とだい講演こうえんしたさい、「自分じぶんたちの一団いちだんこん熱中ねっちゅうしている学問がくもんは、目的もくてきにおいては、おおくの歴史れきしおなじ。ただ方法ほうほうだけがすこあたらしいのである」、また「日本にっぽんはこういうフォークロア相当そうとうするあたらしい方法ほうほうとしての歴史れきし研究けんきゅうをなすには、たいへんにめぐまれたところである」とべている。

たとえば、ヨーロッパでは1000ねん以上いじょうキリスト教きりすときょう文明ぶんめい民族みんぞくだい移動いどう、そしてまた近代きんだい以降いこう産業さんぎょう革命かくめい進展しんてんのためフォークロア(民間みんかん伝承でんしょう民俗みんぞく資料しりょう)のおおくが消滅しょうめつないし散逸さんいつしてしまっているのにたいし、日本にっぽんではそのようなことがなく現実げんじつのいたるところに往古おうこ痕跡こんせきのこっているというのである。

いかえれば日本にっぽんにはフォークロアを歴史れきし資料しりょうとしてゆたかに活用かつようできる土壌どじょうがあるということであり、柳田やなぎだ民俗みんぞくがくとはこのような民間みんかん伝承でんしょう歴史れきし研究けんきゅうじょう有効ゆうこうせい所与しょよ条件じょうけんとして構築こうちくされたものということができるのである。また東北とうほく地方ちほう沖縄おきなわ様々さまざま観点かんてんから詳細しょうさい調査ちょうさしたことから、東北とうほく沖縄おきなわこそが柳田やなぎだ民俗みんぞくがく出発しゅっぱつてんであり、ふる日本にっぽん神話しんわ伝説でんせついまきる地域ちいき共同きょうどうたいとした。

国語こくご教育きょういく社会しゃかい教育きょういく

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戦前せんぜんからいくつかの論考ろんこう国語こくご教育きょういくについては、1947ねんから1960ねんにかけて東京書籍とうきょうしょせきとともに教科書きょうかしょづくりをおこなった。また、前項ぜんこうげた歴史れきし教育きょういくかんする柳田やなぎだ意識いしきは、それを包含ほうがんする社会しゃかい教育きょういくかんして、1951ねんから1962ねんにかけて実業之日本社じつぎょうのにほんしゃとともに教科書きょうかしょづくりをおこなうことにより結実けつじつした[31]

評価ひょうか

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柳田やなぎだ日本にっぽん民俗みんぞくがくとしての功績こうせき非常ひじょうたか評価ひょうかできる。柳田やなぎだ研究けんきゅう影響えいきょうけて民族みんぞく学者がくしゃとなった宮本みやもと常一つねいちは、柳田やなぎだ同様どうようにフィールドワークによる民俗みんぞく資料しりょう収集しゅうしゅう基礎きそとし、おおくの研究けんきゅうのこした。さらに宮本みやもと研究けんきゅうは、網野あみの善彦よしひこによって歴史れきしがく分野ぶんやでも注目ちゅうもくあつめた。

著作ちょさく

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全集ぜんしゅう文庫ぶんこ

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  • 筑摩書房ちくましょぼうはん全集ぜんしゅう」の刊行かんこう一覧いちらん
    • 定本ていほん 柳田やなぎだ國男くにおしゅう』(ぜん31かん別巻べっかん5)はぼっする寸前すんぜん刊行かんこう開始かいし短期間たんきかん完結かんけつ[注釈ちゅうしゃく 8]。1968ねん6がつより新装しんそうばんはこかるくした)が刊行かんこう
      別巻べっかん1・2かんは「朝日新聞あさひしんぶん論説ろんせつしゅう」、3かんは「故郷こきょうななじゅうねんどう増補ぞうほ」、4かんは「炭焼すみやき日記にっき書簡しょかん」、5かんは「そう索引さくいん書誌しょし年譜ねんぷ
    • 1978-81ねんに、資料しりょうへんぜん5かん内容ないよう基本きほん文献ぶんけん項目こうもく参照さんしょう)を追加ついかした愛蔵あいぞうばん装丁そうてい新装しんそうばん同一どういつ)を刊行かんこう
      1978-79ねんに、代表だいひょうさく現行げんこう仮名遣かなづかいでやすくした『新編しんぺん 柳田やなぎだ國男くにおしゅう』(ぜん12かん)が刊行かんこう
    • 1989-91ねんには、ちくま文庫ぶんこはん柳田やなぎだ國男くにお全集ぜんしゅう』(ぜん32かん新字しんじ現行げんこう仮名遣かなづかい+文庫ぶんこ解説かいせつ)が刊行かんこう反響はんきょうんだ。
    • 1997ねんあきより、あらたな『柳田やなぎだ國男くにお全集ぜんしゅう』(新字しんじ歴史れきしてき仮名遣かなづかい、ぜん36かん別巻べっかん2予定よてい)が刊行かんこう開始かいしやくじゅうねんて、著作ちょさくへん完結かんけつした(2006ねん5がつだい23かん初期しょき論考ろんこう)が刊行かんこう)。
      おも公刊こうかん資料しりょうへんで、2010ねん9がつだい22かん、2014ねん3がつだい34かん、2015ねん6がつだい35かん、2019ねん3がつ別巻べっかん1(年譜ねんぷ)、2024ねん5がつ別巻べっかん2(補遺ほい)が刊行かんこうだい36かん書簡しょかんしゅう)はへんさんちゅう
  • 現行げんこう文庫ぶんこばんは、岩波いわなみ文庫ぶんこ一部いちぶ改版かいはん)、ちくま文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこおお刊行かんこうされ重版じゅうはん。2013ねんぼつ後半こうはん世紀せいき著作ちょさくけんがなくなり)以降いこう新版しんぱんが、角川かどかわソフィア文庫ぶんこ[注釈ちゅうしゃく 9]多数たすう刊行かんこう
書誌しょし
  • 後藤ごとう総一郎そういちろうへん柳田やなぎだ国男くにおをよむ 日本人にっぽんじんのこころをる』 アテネ書房しょぼう、1995ねん - 入門にゅうもんしょ
  • 田中たなか正明まさあきへん解説かいせつ柳田やなぎだ國男くにお 書目しょもくしょかげしゅうらん岩田いわた書院しょいん、1994ねん - 大著たいちょ
  • 田中たなか正明まさあき柳田やなぎだ國男くにお書物しょもつ 書誌しょしてき事項じこう中心ちゅうしんとして』 岩田いわた書院しょいん、2003ねん - 大著たいちょ

家族かぞく親族しんぞく

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松岡まつおか兄弟きょうだいら(前列ぜんれつみぎより、松岡まつおかかなえ松岡まつおか冬樹ふゆきかなえ長男ちょうなん〕、鈴木すずきひろし後列こうれつみぎより、柳田やなぎだ國男くにお松岡まつおか輝夫てるお映丘えいきゅう〕)。国男くにおは8にん兄弟きょうだいろくなん
おとうと松岡まつおか静雄しずお

青春せいしゅん友人ゆうじん

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  • 松岡まつおか
松岡まつおかひだりなか━━小鶴こづる         ┏松岡まつおかかなえ
       ┃  (みさお改名かいめい) ┃
       ┣━━━松岡まつおか賢次けんじ  ┣松岡まつおか俊次しゅんじ
       ┃     ┃   ┃
      中川なかがわいたる    ┣━━━╋松岡まつおかやすしぞう井上いのうえ通泰みちやす)
             ┃   ┃
            たけ   ┣松岡まつおか芳江よしえ
           (しば)  ┃
                 ┣松岡まつおか友治ゆうじ
                 ┃
                 ┣松岡まつおか國男くにお柳田やなぎだ國男くにお)
                 ┃
                 ┣松岡まつおか静雄しずお
                 ┃
                 ┗松岡まつおか輝夫てるお松岡まつおか映丘えいきゅう
  • 柳田やなぎだ安東あんどう
 
 
柳田やなぎだとおるすけ
信濃しなの飯田いいだはん
 
 
 
安東あんどうたつたけし
信濃しなの飯田いいだ藩士はんし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
きん
 
ちょくたいら
 
貞美さだみ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
國男くにお
 
こう
 
てい
 
木越きごしやすつな
 
  じゅん  
 
矢田部やたべ良吉りょうきち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ためただし

資料しりょう評伝ひょうでん研究けんきゅう

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※あくまでごく一部いちぶしなきり絶版ぜっぱんおおふくむ。評伝ひょうでん研究けんきゅうすうひゃくさつかぞえる。

基本きほん文献ぶんけん

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  • 定本ていほん 柳田やなぎだ國男くにおしゅう 資料集しりょうしゅう 4 年中ねんじゅう行事ぎょうじ図説ずせつ』、『5 柳田やなぎだ國男くにお写真しゃしんしゅう筑摩書房ちくましょぼうどう時期じき(1980-81ねん)にべつばん岩崎いわさき美術びじゅつしゃかん
    前者ぜんしゃ柳田やなぎだ國男くにお監修かんしゅう民俗みんぞくがく研究所けんきゅうじょへん、なお『資料集しりょうしゅう 1』は初刊しょかんばん月報げっぽう合本がっぽん
  • 柳田やなぎだ國男くにお対談たいだんしゅう宮田みやたのぼるへん解説かいせつちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、1992ねん復刊ふっかん2010ねん
    • 初刊しょかんは『柳田やなぎだ国男くにお対談たいだんしゅう』、『民俗みんぞくがくについて』 筑摩ちくま叢書そうしょ(1965-66ねん復刊ふっかん1985ねん)。べつばんは『資料集しりょうしゅう 2・3 柳田やなぎだ國男くにお対談たいだんしゅう
  • 柳田やなぎだためただしちち 柳田やなぎだ國男くにおおもう』 筑摩書房ちくましょぼう、1996ねん
  • ほりさんせんちちとの散歩さんぽ - むすめえいじた柳田やなぎだ国男くにお人文書院じんぶんしょいん、1980ねん - 著者ちょしゃおっとほり一郎いちろう
  • 谷川たにがわ健一けんいちへんちちかた柳田やなぎだ国男くにお南方みなかた熊楠くまぐす冨山とやまぼうインターナショナル、2010ねん
  • 臼井うすい吉見よしみへん柳田やなぎだ国男くにお回想かいそう筑摩書房ちくましょぼう、1972ねん[注釈ちゅうしゃく 10]
  • 神島かみしま二郎じろうへん柳田やなぎだ国男くにお研究けんきゅう筑摩書房ちくましょぼう、1973ねん
  • 後藤ごとう総一郎そういちろうへんひと思想しそう 柳田やなぎだ国男くにおさんいち書房しょぼう、1972ねん
  • 大藤おおふじ時彦ときひこ柳田やなぎだ国男くにお入門にゅうもん筑摩書房ちくましょぼう、1973ねん
  • 牧田まきたしげるへん評伝ひょうでん 柳田やなぎだ国男くにお日本にっぽん書籍しょせき、1979ねん - 大藤おおふじ牧田まきた直弟子じきでし
  • 川田かわたみのる柳田やなぎだ国男くにお - その生涯しょうがい思想しそう吉川弘文館よしかわこうぶんかん歴史れきし文化ぶんかライブラリー19〉、1997ねん
  • 川田かわたみのる柳田やなぎだ国男くにお - 社会しゃかい構想こうそう全貌ぜんぼう』 ちくま新書しんしょ、2016ねん
  • 赤坂あかさか憲雄のりお柳田やなぎだ国男くにおかた - もうひとつの民俗みんぞくがく可能かのうか』 ちくま新書しんしょ、1994ねん/ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ増補ぞうほばん)、2013ねん
  • 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム5 柳田やなぎだ国男くにお宮田みやたのぼるへん評伝ひょうでん新潮社しんちょうしゃ、1984ねん - ※以下いか入門にゅうもんしょ
  • 谷川たにがわ健一けんいち柳田やなぎだ国男くにお民俗みんぞくがく岩波いわなみ新書しんしょ、 2001ねん
  • 鶴見つるみ太郎たろう柳田やなぎだ国男くにお入門にゅうもん角川かどかわ学芸がくげい出版しゅっぱん角川かどかわ選書せんしょ〉、2008ねん
  • 鶴見つるみ太郎たろう民俗みんぞくがくあつ日々ひび - 柳田やなぎだ国男くにおとその後継こうけいしゃたち』 中公新書ちゅうこうしんしょ、2004ねん
  • 石井いしいただしおのれ 『いま、柳田やなぎだ国男くにおむ』 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ河出かわでブックス〉、2012ねん
  • 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃへん文芸ぶんげい読本とくほん 柳田やなぎだ国男くにおどう 1975ねん新装しんそうばん1984ねん - 代表だいひょうさく抜粋ばっすいおさむ
  • 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃへんしん文芸ぶんげい読本とくほん 柳田やなぎだ國男くにおどう 1992ねん - それぞれことなる論考ろんこうおさむ
  • 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃへん柳田やなぎだ国男くにお 民俗みんぞくがく創始そうししゃどう文芸ぶんげい本棚ほんだな〉、2014ねん[注釈ちゅうしゃく 11]

研究けんきゅう文献ぶんけん

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  • 葬送そうそう習俗しゅうぞく事典じてん 葬儀そうぎ民俗みんぞくがく手帳てちょう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2014ねん - 同社どうしゃ多数たすうかん
  • 柳田やなぎだ国男くにお談話だんわ稿こう柳田やなぎだためただし千葉ちばとくしかほかへん解説かいせつ法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく、1987ねん
  • 柳田やなぎだ國男くにお わたしあゆんできたみち田中たなか正明まさあきへん岩田いわた書院しょいん、2000ねん
  • 高藤たかとうたけし 『ことばのせい 柳田やなぎだ國男くにお先生せんせいのこと』 筑摩書房ちくましょぼう、1983ねん - 全集ぜんしゅう初刊しょかん)の編集へんしゅう担当たんとうしゃ
  • 大藤おおふじ時彦ときひこ日本にっぽん民俗みんぞくがく史話しわさんいち書房しょぼう、1990ねん - 遺著いちょ
  • 今野こんのえん柳田やなぎだ國男くにお先生せんせい随行ずいこう新版しんぱん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2022ねん
  • 谷川たにがわ健一けんいち全集ぜんしゅう だいじゅうはちかん 柳田やなぎだ国男くにお冨山とやまぼうインターナショナル、2010ねん
  • 現代げんだい思想しそう そう特集とくしゅう 柳田やなぎだ國男くにお-『遠野とおの物語ものがたり以前いぜん/以後いご青土おうづちしゃ、2012ねん10がつ臨時りんじ増刊ぞうかん
  • 現代げんだい思想しそう そう特集とくしゅう 遠野とおの物語ものがたりむ』 青土おうづちしゃ、2022ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかん
  • 石井いしいただしおのれ 『テクストとしての柳田やなぎだ国男くにお きょじん誕生たんじょう三弥みつや書店しょてん、2015ねん - すうさつかん
  • 井口いぐち時男ときお柳田やなぎだ国男くにお近代きんだい文学ぶんがく講談社こうだんしゃ、1996ねん
  • 大室おおむろ幹雄みきお 『ふくろうと蝸牛かぎゅう 柳田やなぎだ国男くにおひびきあう風景ふうけい筑摩書房ちくましょぼう、2004ねん
  • 鶴見つるみ太郎たろう柳田やなぎだ国男くにお かんじたるまゝ』 ミネルみねるァ書房ぁしょぼう<日本にっぽん評伝ひょうでんせん>、2019ねん
  • 船木ふなきひろし柳田やなぎだ国男くにお外伝がいでん しろ足袋たび思想しそう日本にっぽんエディタースクール出版しゅっぱん、1991ねん
  • 岡谷おかやこう柳田やなぎだ國男くにおこい平凡社へいぼんしゃ、2012ねん[注釈ちゅうしゃく 12]
  • 岡谷おかやこう柳田やなぎだ国男くにお青春せいしゅん筑摩書房ちくましょぼう、1977ねん筑摩ちくま叢書そうしょ、1991ねん
  • 岡谷おかやこう貴族きぞくいん書記官しょきかんちょう 柳田やなぎだ国男くにお筑摩書房ちくましょぼう、1985ねん
  • 鶴見つるみ和子かずこ漂泊ひょうはく定住ていじゅう柳田やなぎだ国男くにお社会しゃかい変動へんどうろん筑摩書房ちくましょぼう 1977ねん
    • ぞうていばん鶴見つるみ和子かずこ曼荼羅まんだらコレクション4 まき 柳田やなぎだ国男くにおろん藤原ふじわら書店しょてん、1998ねん
  • 橋川はしかわ文三ぶんぞう柳田やなぎだ国男くにおろん集成しゅうせい作品社さくひんしゃ、2002ねん旧版きゅうばん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ
  • 吉本よしもと隆明たかあき定本ていほん 柳田やなぎだ国男くにおろんよういずみしゃ、1995ねん[注釈ちゅうしゃく 13]
  • 山折やまおり哲雄てつお 『これをかたりて日本人にっぽんじん戦慄せんりつせしめよ:柳田やなぎだ国男くにおいたかったこと』 新潮しんちょう選書せんしょ、2014ねん
  • 山下やました一仁かずひと 『いまよみがえ柳田やなぎだ國男くにお農政のうせい改革かいかく新潮しんちょう選書せんしょ、2018ねん
  • 中村なかむらあきら柳田やなぎだ国男くにお思想しそう法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく新版しんぱん 1985ねん・2010ねん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ上下じょうげ) 1977ねん
  • 桜井さくらい徳太郎とくたろうわたしせつ 柳田やなぎだ國男くにお吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2003ねん - 晩年ばんねん弟子でし一人ひとり
  • 伊藤いとう幹治かんじ日本人にっぽんじん人類じんるいがくてき自画像じがぞう 柳田やなぎだ国男くにお日本にっぽん文化ぶんかろん再考さいこう筑摩書房ちくましょぼう、2006ねん
  • 伊藤いとう幹治かんじ柳田やなぎだ国男くにお文化ぶんかナショナリズム』 岩波書店いわなみしょてん、2002ねん - 晩年ばんねん弟子でし一人ひとり
  • 福田ふくだアジオ柳田やなぎだ国男くにお民俗みんぞくがく吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1992ねん新版しんぱん歴史れきし文化ぶんかセレクション、2007ねん
  • 福田ふくだアジオ 『種明たねあかししない柳田やなぎだ国男くにお 日本にっぽん民俗みんぞくがくのために』 吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2023ねん
  • 新谷しんたに尚紀なおき遠野とおの物語ものがたり柳田やなぎだ國男くにお日本人にっぽんじんのルーツをさぐる』吉川弘文館よしかわこうぶんかん歴史れきし文化ぶんかライブラリー〉、2022ねん
  • 川田かわたみのる柳田やなぎだ国男くにおのえがいた日本にっぽん 民俗みんぞくがく社会しゃかい構想こうそう未來社みらいしゃ、1998ねん - すうさつかん
  • 松本まつもと三喜夫みきお柳田やなぎだ国男くにお民俗みんぞくたび吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1992ねん - すうさつかん
  • 庄司しょうじ和晃かずあき著作ちょさくしゅう2 柳田やなぎだ国男くにお科学かがく教育きょういく明治めいじ図書としょ、1988ねん - すうさつかん
  • 千葉ちばいさおなんじ柳田やなぎだ国男くにおむ』東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1991ねん
  • 佐伯さえきゆうきよし柳田やなぎだ国男くにお古代こだい吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1988ねん
  • らいしま靖生やすおひょう柳田やなぎだ国男くにおぜん短歌たんか河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2018ねん - すうさつかん
  • 柳田やなぎだ国男くにお 日本にっぽん文学ぶんがく研究けんきゅう資料しりょう叢書そうしょどう刊行かんこうかいへん有精ゆうせいどう出版しゅっぱん、1976ねん
  • 柳田やなぎだ國男くにお事典じてん野村のむら純一じゅんいち宮田みやたのぼる三浦みうらたすくこれ吉川よしかわ祐子ゆうこへん つとむまこと出版しゅっぱん 1998ねん
  • 柳田やなぎだ国男くにおでん柳田やなぎだ国男くにお研究けんきゅうかいへんさんいち書房しょぼう 1988ねん - 柳田やなぎだ研究けんきゅう大著たいちょ
    • 柳田やなぎだ国男くにお ジュネーヴ以後いごさんいち書房しょぼう 1996ねん - に「柳田やなぎだ国男くにお研究けんきゅう」で、べつ版元はんもと岩田いわた書院しょいんふくろうしゃ)でかん(2019ねんに8さつ)。
  • 後藤ごとう総一郎そういちろう柳田やなぎだ国男くにおろん恒文社こうぶんしゃ 1987ねん - 著者ちょしゃ柳田やなぎだ国男くにお研究けんきゅうかい代表だいひょうつとめた。
    • 後藤ごとう総一郎そういちろうへん柳田やなぎだ国男くにお研究けんきゅう資料しりょう集成しゅうせい』(ぜん20かん別巻べっかん2)日本にっぽん図書としょセンター完結かんけつ1987ねん

映像えいぞう資料しりょう

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柳田やなぎだ國男くにお登場とうじょうする作品さくひん

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小説しょうせつ
漫画まんが
演劇えんげき
アニメ
  • ふたりはプリキュア Splash Star だい39珍獣ちんじゅうミミンガだい騒動そうどう!?」』(2006ねん11月12にち放送ほうそう
    • 柳田やなぎだ国吉くにきち(やなぎだ くにきち)」という役名やくめい民俗みんぞく学者がくしゃ登場とうじょうする
評論ひょうろん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 後年こうねん赤松あかまつ宗旦そうたん利根川とねがわこころざし』(岩波いわなみ文庫ぶんこ初版しょはん1938ねん復刊ふっかん1994ねんほか)を校訂こうてい解説かいせつした。本書ほんしょ安政あんせい5ねん1858ねん)にかれた博物はくぶつ地誌ちし
  2. ^ 1939ねんに、きゅう岩波いわなみ文庫ぶんこばん根岸ねぎし鎮衛みみみみぶくろ)』(うえした)を校訂こうていしている。解題かいだい新版しんぱんは『柳田やなぎだ國男くにおしゅう 幽冥ゆうめいだん』(あずま雅夫まさおへん、ちくま文庫ぶんこ)に収録しゅうろく
  3. ^ 養父ようふ柳田やなぎだただしへい永井ながいいわすすむ平岡ひらおか夏子なつこ父親ちちおや)と同僚どうりょうだったことや、国男くにお夏子なつこおっと平岡ひらおか定太郎ていたろうおな兵庫ひょうごけん出身しゅっしんというえんで、三島みしま由紀夫ゆきお祖母そぼ夏子なつこ家庭かていはやくから交流こうりゅうがあったという[7]
  4. ^ 一方いっぽう、このことが学者がくしゃとして高名こうみょうげる転機てんきとなる。書記官しょきかんちょう辞任じにんおよび図書としょあたま辞退じたい経緯けいいは、岡谷おかやこう貴族きぞくいん書記官しょきかんちょう 柳田やなぎだ国男くにお』(筑摩書房ちくましょぼう、1985ねん)と、山本やまもと一生かずおこい伯爵はくしゃく大正たいしょうデモクラシー 有馬ありま頼寧よりやす日記にっき 1919』(日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ、2007ねん)にくわしい。
  5. ^ 故郷こきょうななじゅうねん新版しんぱんは、2016ねん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ朝日あさひ選書せんしょ(オンデマンドばん2002ねん)、のじぎく文庫ぶんこ神戸こうべ新聞しんぶん総合そうごう出版しゅっぱんセンター、新装しんそうばん2010ねん)。石井いしいただしおのれ再編さいへんで『柳田やなぎだ国男くにお故郷こきょうななじゅうねん』(PHP、2014ねん)がある。
  6. ^ 著書ちょしょに『柳田やなぎだ國男くにお その原郷はらごう』(朝日あさひ選書せんしょ、1978ねん)、『柳田やなぎだ國男くにおトレッキング』(編集へんしゅう工房こうぼうノア、2000ねん)が、また評伝ひょうでんに『触媒しょくばいのうた 宮崎みやざき修二しゅうじろうおきな文学ぶんがく秘話ひわ』(今村いまむら欣史、神戸新聞社こうべしんぶんしゃ、2017ねん)がある。
  7. ^ に、新学社しんがくしゃ近代きんだい浪漫ろうまん文庫ぶんこ16 柳田やなぎだ國男くにお』(歴史れきしてき仮名遣かなづか)と、講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ柳田やなぎだ國男くにお文芸ぶんげい論集ろんしゅう』(巻末かんまつ書誌しょし年譜ねんぷ)がある。
  8. ^ 生前せいぜん昭和しょうわ20年代ねんだいには『柳田やなぎだ國男くにお先生せんせい著作ちょさくしゅうぜん12かん實業之日本社じつぎょうのにほんしゃ出版しゅっぱん
  9. ^ つくもとしゃそうもと選書せんしょはじめもと文庫ぶんこほか)での出版しゅっぱんかたちで、角川かどかわ文庫ぶんこやく20さつ刊行かんこうされた。
  10. ^ 大半たいはんは「柳田やなぎだ國男くにおしゅう月報げっぽうからのさいろく
  11. ^ 河出かわででは2014ねんから、著作ちょさく改訂かいてい新版しんぱん相次あいついで刊行かんこうしている。
  12. ^ 旧版きゅうばんは『ころされた詩人しじん柳田やなぎだ国男くにおこい学問がくもん』(新潮社しんちょうしゃ、1996ねん)、また岡谷おかやこうへん解説かいせつで『柳田やなぎだ国男くにお 作家さっか自伝じでん61』(日本にっぽん図書としょセンター、1998ねん)がある。
  13. ^ 旧版きゅうばんは、吉本よしもと隆明たかあき柳田やなぎだ国男くにおろん集成しゅうせいJICC出版しゅっぱんきょく、1990ねんに『柳田やなぎだ国男くにおろん丸山まるやま真男まさおろん』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2001ねんだい一部いちぶ収録しゅうろく

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 牧田まきたしげる 1972[ようページ番号ばんごう]
  2. ^ 故郷こきょうななじゅうねん」『柳田やなぎだ國男くにお ちくま日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう新版しんぱん ちくま文庫ぶんこしょうばん)、2008ねん pp.431-432
  3. ^ 岡田おかだ俊裕としひろ日本にっぽん地理ちりがく人物じんぶつ事典じてん近代きんだいへんⅠ)』はら書房しょぼう 2011ねん、p.261
  4. ^ 岡谷おかやこう柳田やなぎだ國男くにおこい』(平凡社へいぼんしゃ、2012ねん)にくわしい。[ようページ番号ばんごう]
  5. ^ 柳田やなぎだ國男くにお定本ていほん柳田やなぎだ國男くにおしゅう 別巻べっかん3』「故郷こきょうななじゅうねん筑摩書房ちくましょぼう 1971ねん
  6. ^ 水野みずの葉舟ようしゅう遠野とおの物語ものがたり周辺しゅうへん』(国書刊行会こくしょかんこうかい、2001ねん)の解題かいだい横山よこやま茂雄しげお怪談かいだんへの位相いそう」より。[疑問ぎもんてん]
  7. ^ 柳田やなぎだ国男くにお故郷こきょうななじゅうねん』(神戸こうべ新聞しんぶんしゃ〈のじぎく文庫ぶんこ〉、1959ねん11月。新装しんそうばん1989ねん・2010ねん)。橋川はしかわ文三ぶんぞう三島みしま由紀夫ゆきおろん集成しゅうせい』(深夜しんや叢書そうしょしゃ、1998ねん12がつ)pp.37-38
  8. ^ 官報かんぽうだい5580ごう叙任じょにん及辞れい」1902ねん2がつ13にち
  9. ^ 柳田やなぎだ國男くにお抄訳しょうやくかり/椎葉しいばむら教育きょういく委員いいんかい、1993ねん
  10. ^ 椎葉しいばむら椎葉しいばむら/椎葉しいばむら、1994ねん
  11. ^ 椎葉しいば民族みんぞく芸能げいのう博物はくぶつかん掲示けいじぶつ[疑問ぎもんてん]
  12. ^ 定本ていほん柳田やなぎだ國男くにおしゅう別巻べっかんだいさん柳田やなぎだ國男くにお、1971ねん
  13. ^ a b 佐谷さや眞木まきじん 2015, p. 66.
  14. ^ 柳田やなぎだ国男くにお南方みなかた熊楠くまぐす往復おうふく書簡しょかんしゅう』(飯倉いいくら照平しょうへいへん平凡社へいぼんしゃ、1976ねん平凡社へいぼんしゃライブラリー 上下じょうげ、1994ねん参照さんしょう
  15. ^ 下川しもかわ耿史『環境かんきょう年表ねんぴょう 明治めいじ大正たいしょうへん(1868-1926)』p.385 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 2003ねん11月30日刊にっかん 全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:20522067
  16. ^ 佐谷さや眞木まきじん 2015, p. 116.
  17. ^ 宮本みやもと常一つねいち著作ちょさくしゅう1 民俗みんぞくがくへのみち』(未來社みらいしゃ、1968ねん[ようページ番号ばんごう]
  18. ^ 山村さんそん生活せいかつ調査ちょうさだい1かい報告ほうこくしょ 大間知おおまち篤三とくぞう
  19. ^ 現代げんだい日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう12 筑摩書房ちくましょぼう
  20. ^ 新谷しんたに尚紀なおき. “國學院大學こくがくいんだいがく文学部ぶんがくぶ日本にっぽん文学ぶんがく) 教員きょういん詳細しょうさい”. 2016ねん3がつ5にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webしエラー:引数ひきすう accessdate必須ひっすです。
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 柳田やなぎだ國男くにお」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A06051186500 
  22. ^ 官報かんぽうだい6196ごう叙任じょにん及辞れい」1904ねん3がつ1にち
  23. ^ 官報かんぽうだい205ごう付録ふろく辞令じれい」1913ねん4がつ9にち
  24. ^ 官報かんぽうだい1038ごう、「叙任じょにん及辞れい」1916ねん01がつ20日はつか
  25. ^ 官報かんぽうだい2711ごう授爵じゅしゃく叙任じょにん及辞れい」1921ねん8がつ13にち
  26. ^ 官報かんぽう』1912ねん10がつ18にち叙任じょにん及辞れい」。
  27. ^ 官報かんぽう』1913ねん2がつ6にち叙任じょにん及辞れい」。
  28. ^ 官報かんぽう』1920ねん4がつ13にち叙任じょにん及辞れい」。
  29. ^ 小林こばやしたかし 2016, pp. 116–117.
  30. ^ 和歌森わかもり太郎たろう 1975[ようページ番号ばんごう]
  31. ^ 庄司しょうじ和晃かずあき柳田やなぎだ社会しゃかい成立せいりつ教科書きょうかしょ主題しゅだい」『柳田やなぎだ國男くにお 小学校しょうがっこう社会しゃかい教科書きょうかしょ日本にっぽん社会しゃかい別冊べっさつ資料しりょうだいいち書房しょぼう、1985ねん p.35
  32. ^ a b 小林こばやしたかし 2016, p. 117.
  33. ^ 小林こばやしたかし 2016, pp. 118–119.
  34. ^ 京極きょうごく夏彦なつひこ多田ただ克己かつみ村上むらかみ健司けんじくろ史郎しろう『ひどい民話みんわかたかい』「プロローグ ――今回こんかいはシモではなくひどさを追求ついきゅうKADOKAWA 2022ねん p.82-84
  35. ^ 柳田やなぎだ国男くにお人事じんじ興信録こうしんろく』8はん
  36. ^ a b 柳田やなぎだ国男くにお 人事じんじ興信録こうしんろく. だい13はん(昭和しょうわ16ねん) した
  37. ^ 柳井やない統子もとこ 候補こうほ作家さっか群像ぐんぞう

参考さんこう文献ぶんけん

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著書ちょしょ
論文ろんぶん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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公職こうしょく
先代せんだい
太田おおたみね三郎さぶろう
  貴族きぞくいん書記官しょきかんちょう
1914ねん - 1919ねん
次代じだい
河井かわいわたるはち
がくしょく
先代せんだい
新設しんせつ
  日本にっぽん民俗みんぞく学会がっかい会長かいちょう
1949ねん - 1950ねん
次代じだい
ほり一郎いちろう
代表だいひょう理事りじ