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格式 - Wikipedia

格式かくしき

律令りつりょう補完ほかんのためにされた法令ほうれいあるいは法令ほうれいしゅう

格式かくしき(きゃくしき)とは、律令りつりょう補完ほかんのためにされた法令ほうれいあるいはそれらをまとめた法令ほうれいしゅうのことをす。かく(きゃく)は律令りつりょう修正しゅうせい補足ほそくのための法令ほうれいふくほう)と詔勅しょうちょくし、しき(しき/のり)は律令りつりょう施行しこう細則さいそくした[1][2]

概要がいよう

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律令りつりょう制度せいど本来ほんらいりつれいかくしきによって運用うんようされる。根本こんぽん法典ほうてんであるりつ刑法けいほう相当そうとう)とれい行政ぎょうせいほう民法みんぽう相当そうとう)は改正かいせいせず、必要ひつようがあればかくして改正かいせい追加ついかし、こまかな施行しこう細則さいそくしきによってさだめた。かくは、個々ここ単行たんこう法令ほうれいを「ぼうかく」などとしょうすることもあったが、律令りつりょう施行しこう詔書しょうしょ勅旨ちょくし太政官だじょうかんなど全般ぜんぱんしょうしてかくともいった[3]しきは、養老ようろうれい条文じょうぶんにも「しきりて」「べつしきれ」などの文言もんごんがあり、この場合ばあいたしかにれいじょう付則ふそくとみなすことができるものの、実際じっさいには律令りつりょう条文じょうぶん改廃かいはい増補ぞうほかく施行しこう細則さいそくしきというふうには明確めいかく区別くべつできないこともあった[3]。たとえば、かくとされる太政官だじょうかんが、条文じょうぶんとしてととのえられ、さだめられたうえでしきとされる場合ばあいもあった。なお、日本にっぽん中国ちゅうごくともに格式かくしき採録さいろくされた詔勅しょうちょくかんなかには、実際じっさい発令はつれい本文ほんぶん採録さいろくされた本文ほんぶんことなる場合ばあいがある。これは格式かくしき現行げんこうにおいて有効ゆうこう法令ほうれいるという方針ほうしんから、採録さいろく当時とうじすで無効むこうとされた部分ぶぶん改正かいせいされた部分ぶぶんかんして原文げんぶんあらためたり、増補ぞうほ削除さくじょすることで、採録さいろく有効ゆうこう法令ほうれい形態けいたいにしているからである[4]

歴史れきしじょう最古さいことされている格式かくしきあずまたかし541ねんさだめられた『麟趾かく』とおなじく544ねんさだめられた『中興ちゅうこうながしき』であるとされている[4]

ひがしアジア3こくにおける相違そうい

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本来ほんらいてきには、かくしき律令りつりょうにともなう法典ほうてんであり、よんしゃそろうことはむしろのぞましいことであって、中国ちゅうごくでは実際じっさいにこのよんしゃ同時どうじ制定せいていされることもあった。ただし、中国ちゅうごく日本にっぽん朝鮮ちょうせんでは、その運用うんよう方法ほうほうことなっていた。

中国ちゅうごくでは上述じょうじゅつのとおり、律令りつりょう編纂へんさん同時どうじにその不足ふそくおぎな意味いみかくしき編纂へんさん施行しこうおこなわれたのにたいして、日本にっぽんでは律令りつりょう編纂へんさんしばらくしてから詔勅しょうちょく太政官だじょうかん形式けいしき追加ついかされた法令ほうれい後日ごじつまとめて編纂へんさんする方法ほうほうられた。また、かくかんしても中国ちゅうごくではとう滅亡めつぼうかんじん資格しかくなどをさだめた限定げんていてき法律ほうりつ縮小しゅくしょうされていくのにたいして、日本にっぽんでは養老ようろう律令りつりょう以降いこう新規しんき律令りつりょうまったくつくられなくなったため、かくめる比率ひりつたかくなり、律令りつりょうによる規定きていそのものを否定ひていする法令ほうれいれい:墾田こんでん永年えいねん私財しざいほう)さえもかく形式けいしきによってされるようになった。もとより、日本にっぽんでも、8世紀せいき段階だんかいにおいてもすで格式かくしき相当そうとうする法令ほうれい集成しゅうせいこころみられた形跡けいせき確認かくにんでき[3]、また、桓武かんむ天皇てんのうも、大宝たいほう律令りつりょうのちされた厖大ぼうだいかず単行たんこう法令ほうれい整理せいりし、現行げんこうほうとして有効ゆうこうなものをあつめて、養老ようろう律令りつりょうあらため、あらたに法典ほうてん編纂へんさんしようとこころみたが結局けっきょく断念だんねんしたとみられる[5]実際じっさいひろしひとし年間ねんかんにいたってようやく「よんしゃ相須あいすて、もっ垂範すいはんするにる」[6]という状況じょうきょうとなった。つまりは、日本にっぽん場合ばあい律令りつりょう編纂へんさんから法典ほうてんとしての格式かくしき編纂へんさんがなされるまでのあいだ、なが時間じかん経過けいかしていたのである。そして、実際じっさい成立せいりつした格式かくしきについても、中国ちゅうごく格式かくしきではあたらしい格式かくしき制定せいていされると従前じゅうぜん格式かくしき廃止はいしされることとされていたが、日本にっぽんではふる格式かくしき廃止はいしされずに併用へいようしてもちいられていた。しきかんしては『延喜えんぎしき制定せいてい既存きそんの『ひろしじんしき』『さだかんしき』を廃止はいしすることと規定きていされたが、『さだかんかく』についてはそうした措置そちられなかったために、結局けっきょくさんだいかくすべてを調しらべなければ必要ひつよう法律ほうりつ情報じょうほう入手にゅうしゅできない事態じたいしょうじた。『類聚るいじゅうさんだいかく』の編纂へんさんおこなわれたのは、こうした不便ふべん解消かいしょうする意図いとがあったとられている[4]

このため、しきかく施行しこう細則さいそく規定きていするということもみられるようになり、平安へいあん時代じだい中期ちゅうき以後いご律令りつりょうにもとづいた律令りつりょう政治せいじという建前たてまえりながらも、実態じったいとしては格式かくしきにもとづく政治せいじであったといわれている。したがって、格式かくしき律令りつりょう補助ほじょ法令ほうれいという側面そくめん同時どうじに、9世紀せいき以降いこうあたらしい社会しゃかい状況じょうきょう対応たいおうしていくためにさかんに制定せいていされたという側面そくめんをもっている。

しんにおいては、律令りつりょうそのものをずいとう律令りつりょうをそのまま受容じゅようしつつも、格式かくしきによって自国じこく国情こくじょうわせた法体ほうたいけい修正しゅうせいしていくというかたちがられた。

かくしきれい

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かく法典ほうてんとしての体裁ていさいは、個々ここ単行たんこう法令ほうれいこときや発令はつれいなどをふくめてほぼ原文げんぶんのまま記載きさいして関係かんけいかんごとに配列はいれつしている。また、しき行政ぎょうせいほうであるれい施行しこう細則さいそくのみならずのちにこれをおぎなうために設置せっちされたれいそとかん設置せっち根拠こんきょ法規ほうき、たとえば、検非違使けびいし設置せっちさだめた「検非違使けびいししき」などとしてももちいられた。なお、しきじゅんじたものとしてれいげられる。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ とう律令りつりょうにはりつを「せいけいじょうざい」・れいを「しつらえはんりつせい」・かくを「きんたがえ正邪せいじゃ」・しきを「軌物ほどこと」と定義ていぎし、日本にっぽんひろじん格式かくしき序文じょぶんに「りつは懲粛を以ってそうとし、れいすすむ誡を以ってほんとし、かくはすなわちときはかってせいて、しきはすなわち闕をおぎなってのこひろう、よんしゃあいまってはんたれるるにる」と記載きさいされて以来いらいこうした解釈かいしゃく一般いっぱんてきであるが、どう序文じょぶんにはかさねて「過去かこ法令ほうれいなか個々ここ発令はつれいされてきた単行たんこう法令ほうれいなか奉勅ほうちょくたものおよことむねがややおおきいために(今回こんかい編纂へんさんさいして)あらためて奉勅ほうちょくたものをかくき、それ以外いがい恒例こうれいとするにりるものをしきれた」としるしているなど定義ていぎづけに混乱こんらんられる、このため同一どういつ法令ほうれいを「かく」とんだり「しき」とんだりするれい存在そんざいしている。
  2. ^ 八幡やはた宇佐うさみや御託宣ごたくせんしゅう
  3. ^ a b c 早川はやかわ(1995)p.286-289
  4. ^ a b c 川尻かわじり(2002)p.111-112
  5. ^ 坂上さかがみ(2001)p。202-204
  6. ^ ひろじん格式かくしきじょ

出典しゅってん

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  • 早川はやかわ万年かずとしさんだい格式かくしき阿部あべたけし義江よしえ明子あきこまき道雄みちお相曽あいそ貴志たかし日本にっぽん古代こだい研究けんきゅう事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1995ねん9がつISBN 4-490-10396-4
  • 坂上さかがみかんしゅん律令りつりょう国家こっか転換てんかんと「日本にっぽん」』講談社こうだんしゃ、2001ねん3がつISBN 4-06-268905-7
  • 川尻かわじり秋生あきお格式かくしきほう尾形おがたいさむ 歴史れきしがく事典じてんだい9かんほう秩序ちつじょ弘文こうぶんどう、2002ねん2がつISBN 4-335-21039-6

関連かんれん項目こうもく

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