正殿せいでん(せいでん、しょうでん)は、宮殿きゅうでん、神社じんじゃ、神宮じんぐうなどの中心ちゅうしんとなる建物たてもの[1]。諸しょ儀式ぎしきが執とり行おこなわれる。本殿ほんでん(ほんでん)ともいう。
1888年ねん(明治めいじ21年ねん)落成らくせい。中庭なかにわに対たいして南面なんめんし、木造もくぞう平屋ひらや建だて、外観がいかんは和風わふうで入母屋いりもや造づくり。内部ないぶは二に重じゅう格天井ごうてんじょう。シャンデリア、絨毯じゅうたんなどを取とり入いれた折衷せっちゅう様さまであり、外国がいこく使臣ししんに東洋とうよう屈指くっしの大だい美術びじゅつと賞賛しょうさんされた。 1889年ねん(明治めいじ22年ねん)2月がつ11日にち大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷ式典しきてんが挙行きょこうされた。1945年ねん(昭和しょうわ20年ねん)の東京とうきょう大だい空襲くうしゅうにより他たの宮殿きゅうでん殿舎でんしゃとともに焼失しょうしつした。
皇居こうきょ正殿せいでん(せいでん)は、皇居こうきょ宮殿きゅうでんの中心ちゅうしんとなる殿舎でんしゃで、中庭なかにわに向むかって東ひがし面めんしている。外観がいかんは和風わふう、入母屋いりもや造づくり。屋根やねの棟むねには両りょう端はしに瑞みず鳥とりの飾かざりが設置せっちされている。南側みなみがわは回廊かいろうと、北側きたがわは豊明とよあき殿どのとつながっている。正殿せいでんは、中庭なかにわから見みて床ゆかの高たかさが3.7メートルあり、宮殿きゅうでん各かく棟むね中ちゅう最もっとも高たかく位置いちしている。
正殿せいでんには竹たけの間あいだ、松まつの間あいだ、梅うめの間あいだの三さん室しつがある。
1990年ねん(平成へいせい2年ねん)、正殿せいでん松まつの間あいだに高御座たかみくら、御ご帳とばり台だいが設置せっちされ、第だい125代だい天皇てんのう明仁あきひとの即位そくいの礼れい(即位そくい礼れい正殿せいでんの儀ぎ)が挙行きょこうされた。
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