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毛利元就 (NHK大河ドラマ) - Wikipedia

毛利もうり元就もとなり (NHK大河たいがドラマ)

1997ねんのNHK大河たいがドラマだい36さく
大河たいがドラマ > 毛利もうり元就もとなり (NHK大河たいがドラマ)

毛利もうり元就もとなり』(もうりもとなり)は、1997ねん1がつ5にちから12月14にちまで放送ほうそうされた36さくNHK大河たいがドラマ主演しゅえんは、中村なかむら橋之助はしのすけ

毛利もうり元就もとなり
ジャンル ドラマ
原作げんさく 永井ながい路子みちこやまきり 毛利もうり元就もとなりつま
脚本きゃくほん 内館うちだて牧子まきこ
演出えんしゅつ 松岡まつおか孝治こうじ 
出演しゅつえんしゃ 中村なかむら橋之助はしのすけ
以下いか五十音ごじゅうおんじゅん
一路いちろ真輝まき
榎木えのき孝明たかあき
大塚おおつか寧々ねね
緒形おがたけん
加賀かがまりこ
風間かざまトオル
片岡かたおか鶴太郎つるたろう
勝村かつむら政信まさのぶ
小野寺おのでらあきら
上川かみかわ隆也たかや
京本きょうもと政樹まさき
草刈くさかり正雄まさお
西郷さいごう輝彦てるひこ
笹野ささの高史たかし
佐藤さとうBさく
宍戸ししどひらく
柴田しばた理恵りえ
清水しみず綋治
陣内じんない孝則たかのり
髙嶋政宏まさひろ
高橋たかはし由美子ゆみこ
竹下たけした景子けいこ
鶴見つるみ辰吾しんご
富田とみた靖子やすこ
永島ながしま敏行としゆき
中村なかむら獅童しどう
中村なかむら梅雀ばいじゃく
夏八木なつやぎいさお
生瀬なませ勝久かつひさ
西島にししま秀俊ひでとし
葉月はづき里緒菜りおな
原田はらだ芳雄よしお
細川ほそかわ俊之としゆき
益岡ますおかとおる
松坂まつさか慶子けいこ
松重まつしげゆたか
松原まつばら千明ちあき
的場まとば浩司こうじ
宮本みやもと信子のぶこ
めぐみしゅんあきら
森田もりたつよし
山田やまだ純大じゅんだい
渡部わたなべ篤郎とくろう
ナレーター 平野ひらの啓子けいこ
音楽おんがく 渡辺わたなべ俊幸としゆき
製作せいさく
製作せいさくそう指揮しき 木田きだ幸紀ゆきのり
制作せいさく 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1997ねん1がつ5にち-12月14にち
放送ほうそう時間じかん日曜にちよう 20:00 - 20:45
放送ほうそうわく大河たいがドラマ
放送ほうそうぶん45ふん
回数かいすうぜん50
番組ばんぐみ年表ねんぴょう
前作ぜんさく秀吉ひでよし
つぎさく徳川とくがわ慶喜よしのぶ
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作品さくひん内容ないよう反響はんきょう

編集へんしゅう

毛利もうり元就もとなり生誕せいたん500周年しゅうねん記念きねん作品さくひんとして製作せいさく元就もとなりつまよしほう登場とうじょうからまでは永井ながい路子みちこ小説しょうせつやまきり 毛利もうり元就もとなりつま』が、それ以前いぜん以降いこう内舘うちだて牧子まきこのオリジナル脚本きゃくほん中心ちゅうしんとなっている。おな永井ながい原作げんさくの『くさえる』(中島なかじまたけはく脚本きゃくほん1979ねん)が北条ほうじょう政子まさこみなもと頼朝よりともとも共同きょうどう主役しゅやく実質じっしつじょう主役しゅやく)としてかかげたのにたいし、よしほうはや時期じきくなることもあり、ほぼ元就もとなり単独たんどく主役しゅやくというかたちになっている。

のこされた自筆じひつ文章ぶんしょう書状しょじょう内容ないようもとに、謀略ぼうりゃくのイメージがつよ元就もとなり愚痴ぐちっぽいが家族かぞくおもいの男性だんせいとしてえがいた。一揆いっきというかたり一揆いっき一向いっこう一揆いっきなどの百姓ひゃくしょう一揆いっきしかおもかばなくなっているおおくの現代げんだいじん理解りかいしにくい「国人くにびと一揆いっき」を元就もとなり盟主めいしゅとなってむす場面ばめんで、国人くにびと一揆いっきを「国人くにびと領主りょうしゅ連合れんごう」なる現代げんだいやくもちいておちゃあいだ一般いっぱん視聴しちょうしゃたいする配慮はいりょおこなっていた。過去かこ2かい時代じだいげき専門せんもんチャンネルさい放送ほうそうされた。

キャスティングは、歌舞伎かぶき俳優はいゆう中村なかむら橋之助はしのすけげん・8代目だいめ中村なかむら芝翫しかん)・中村なかむら梅雀ばいじゃく中村なかむら獅童しどう、アイドルの森田もりたつよし松本まつもとめぐみ舞台ぶたい俳優はいゆう上川かみかわ隆也たかや笹野ささの高史たかし宝塚たからづか出身しゅっしん一路いちろ真輝まき当時とうじしの若手わかて俳優はいゆうであった西島にししま秀俊ひでとし、おわらいタレントのめぐみしゅんあきらなど様々さまざまなジャンルにんでいる。また、しょう劇場げきじょう出身しゅっしん俳優はいゆう多数たすう出演しゅつえんしている。原作げんさくじょう主役しゅやくであるよしほうには、映画えいが出身しゅっしんで、NHKでは単発たんぱつドラマの主役しゅやく数多かずおおくつとめてきた富田とみた靖子やすこえられた。

基本きほんてきホームドラマ形式けいしきだが、つね家庭かてい大切たいせつおもつづけながらも実直じっちょく青年せいねんから老獪ろうかい策略さくりゃく変貌へんぼうしていく元就もとなり、その元就もとなりふか影響えいきょうあたえる梟雄きょうゆう尼子あまこ経久つねひさ初期しょき毛利もうりはれひさだい以降いこう尼子あまご内部ないぶみにく権力けんりょくあらそいなど、シリアスなかげ部分ぶぶん丁寧ていねいえがいている。また、それまではおしとやか、もしくは妖艶ようえん役柄やくがらなどシリアスなキャラクターのイメージがつよかった松坂まつさか慶子けいこが、陽気ようきでハイテンションな元就もとなり義母ぎぼすぎほうえんじ、これ以降いこう松坂まつさかはドラマやCMでコミカルなやくえるようになった。

最終さいしゅうかい「よくき、よくに」ではゆかいた元就もとなりまえに、すでくなっている登場とうじょう人物じんぶつたちてき味方みかた関係かんけいなくあらわれ(ちなみにこのかい、それらの人物じんぶつえんじた役者やくしゃじんのオープニングのクレジットには、特殊とくしゅ効果こうかほどこされている)、「これまでの元就もとなりおこないが極楽ごくらくくべきか、地獄じごくちるべきか」を糾問きゅうもんするという、一風いっぷうわった内容ないようとなっている(じつは、それ自体じたい元就もとなり走馬灯そうまとうであるかのようにも表現ひょうげんされており、終盤しゅうばん元就もとなりぬシーンがえがかれる)。ラストはその人物じんぶつたちとも堀立ほりたて直正なおまさらの製造せいぞうしたふねって仲良なかよてんのぼるという演出えんしゅつられた(オープニング映像えいぞうともリンクしている)。

題字だいじは、元就もとなり自身じしん自筆じひつ書状しょじょうのものを使用しようした。主人公しゅじんこうとなった実在じつざい人物じんぶつ書状しょじょう使用しようされたのはこの作品さくひんのみである。また、この結果けっか大河たいがドラマでは唯一ゆいいつ主人公しゅじんこう自身じしんがスタッフとしてあつかわれた作品さくひんとなっている。

小泉こいずみ純一郎じゅんいちろうもと首相しゅしょう使用しようしている、スピーチのまり文句もんくとして定着ていちゃくしつつある「人生じんせいにはみっつのさかがある。のぼざかくだざか、そして『まさか』だ」というたとえはこの番組ばんぐみだい41かい奇襲きしゅう厳島いつくしま」における元就もとなり台詞せりふがオリジナルである[よう出典しゅってん]。なお、げきちゅう尼子あまこ経久つねひさ使用しようし、のち元就もとなり使用しようする「はかりごとおおきはち、すくなきはける」の台詞せりふは、元就もとなり息子むすこたちのこした遺訓いくんじょうしるされたものである。

紀行きこう』のコーナーが『はならん以来いらい3ねんりに復活ふっかつしたが、10月12にち放送ほうそうについては大月おおつきえき列車れっしゃ衝突しょうとつ事故じこのため休止きゅうしとなった。なお、ほんさくでは紀行きこうのコーナーは次週じしゅう予告よこくまえ放送ほうそうしていた(翌年よくねんの『徳川とくがわ慶喜よしのぶ以降いこうは、次週じしゅう予告よこくのちで『紀行きこう』のコーナーを放送ほうそうしている)。

NHKドラマで本格ほんかくてきにCGデジタル技術でじたるぎじゅつかされるようになったのも『毛利もうり元就もとなり』からだった。群衆ぐんしゅうシミュレーションプログラムをはじめ、さまざまな画期的かっきてきこころみをした。[1]

平均へいきん視聴しちょうりつは23.4%、最高さいこう視聴しちょうりつは28.5%[2]

安芸あきこくしょう領主りょうしゅ毛利もうりひろしもと次男じなんとしてまれた松寿しょうじゅまる元就もとなり)はおさないときに実母じつぼさちほうくし、すさんだ少年しょうねん時代じだいごす。一方いっぽうちちひろもと有力ゆうりょく大名だいみょう大内おおうち義興よしおき尼子あまこ経久つねひさとのいたばさみになやみ、さらに松寿しょうじゅまる素行そこうやまとまりのない家臣かしんたち心労しんろうをつのらせ、長年ながねんさけどくにより死去しきょする。ちちのちいだあにきょうもとちち同様どうよう苦労くろうすえ同様どうようさけどくおかされ若死わかじにする。

そんなちちあにさびしいをきっかけに、元就もとなりまれわり、戦国せんごく乱世らんせいなかでいかに毛利もうり存続そんぞくさせるかにいのちやすようになる。だがそんな元就もとなりに、本来ほんらい毛利もうりとほとんど同格どうかく国人くにびと領主りょうしゅで、盟約めいやくによって家臣かしんになっているにぎなかった家臣かしんたち容赦ようしゃない反乱はんらん策謀さくぼうりかかる。

それらをはねのけた元就もとなりはいつしか安芸あき国人くにびとだけでなく大内おおうち尼子あまこ双方そうほう一目いちもくおかれる存在そんざいにのしがり、家族かぞく家臣かしん好敵手こうてきしゅたちとの出会であいとわかれをいくつも経験けいけんしながら、やがて稀代きたいはかりごとしょうとして中国ちゅうごく地方ちほういち大名だいみょうばれるまでになった。

登場とうじょう人物じんぶつ

編集へんしゅう

もう利家としいえ

編集へんしゅう

毛利もうり一門いちもん

編集へんしゅう
毛利もうり元就もとなり(もうり もとなり)
松寿しょうじゅまる毛利もうり元就もとなり
えんじ中村なかむら橋之助はしのすけ幼少ようしょう時代じだい岩渕いわぶち幸弘ゆきひろ 少年しょうねん時代じだい森田もりたつよし[3]
主人公しゅじんこう幼名ようみょう松寿しょうじゅまる(しょうじゅまる)。おさなくして両親りょうしん死別しべつした影響えいきょう不良ふりょう少年しょうねんとなったが、養母ようぼすぎほうらすうちに攻撃こうげきてき性格せいかくりをひそめ、真面目まじめ青年せいねんへと成長せいちょう苦難くなんえ、知勇ちゆう兼備けんび武将ぶしょうとなっていく。
若年じゃくねん天下てんかへの野望やぼうがあったが、ちょうずるにつれてそうした野望やぼうはなくなっていく。とにかく愚痴ぐちおお辟易へきえきしたよしやさよにげられてしまうこともあり、おも愚痴ぐちいだすさい「わしはな(わしはの)」とすのが口癖くちぐせ世間せけんでも「ボヤキの元就もとなり」と揶揄やゆされる。また、ちちあにさけがいくしているためさけまず、酒席しゅせきでも好物こうぶつもち周囲しゅういすすめるなどしている。幼少ようしょう出会であってから尼子あまこ経久つねひさ畏敬いけいねんいだ一方いっぽうかれしんじることはできず、一時いちじ毛利もうり尼子あまこむすんださい散々さんざんはずかしめられた。跡目あとめあらそいを家督かとくいだのちは、小国しょうこく領主りょうしゅながら大国たいこく尼子あまこ大内おおうちあいだわたある次第しだい毛利もうり勢力せいりょく拡大かくだいさせていく。
よしほう(みいのかた)
えんじ富田とみた靖子やすこ
元就もとなり正室せいしつ吉川よしかわこくけいむすめりゅうはじめ元春もとはる隆景たかかげ可愛かわいはは尼子あまこ経久つねひさ彼女かのじょ唯一ゆいいつ苦手にがてとしている。
当初とうしょ元就もとなりとつぐことに反発はんぱつし、了承りょうしょうしてした初夜しょやに「危害きがいあたえない」という意思いし表示ひょうじとしていきなり元就もとなりまえ全裸ぜんらになったことからきずついた元就もとなり距離きょりかれてしまう。しかし、元就もとなり刺客しかくおそった事件じけんをきっかけに同衾どうきんするようになる。「ったようなもの」が口癖くちぐせ彼女かのじょ死去しきょするまで元就もとなり側室そくしつかなかった。
彼女かのじょ死後しご彼女かのじょ血筋ちすじもう利家としいえ宍戸ししど吉川よしかわ小早川こばやかわによって色濃いろこがれていくことになる。
すぎほう(すぎのかた)
えんじ松坂まつさか慶子けいこ
毛利もうりひろしもと側室そくしつ継室けいしつ元就もとなりそだてのおや当初とうしょ松寿しょうじゅまるとは犬猿けんえんなかで、「小坊主こぼうず」「ねこ」とののしっていたが、きで松寿しょうじゅまる看病かんびょうしたことをきっかけに関係かんけい改善かいぜんされ、親子おやこ同然どうぜん間柄あいだがらになっていく。「おんなかお」などの独特どくとく価値かちかんぬしで、元就もとなり成長せいちょうすると「あのように立派りっぱ息子むすこがいながらこのわかさ」とめられることきがいにしている。そういった価値かちかんからか、ひろもと死後しご未亡人みぼうじんとなっても落飾らくしょくしなかった。上記じょうきとおあかるくハイテンションな性格せいかくで、「おだまりっ!」が口癖くちぐせ一目惚ひとめぼれした堀立ほりたて直正なおまさ天竺てんじくまで旅立たびだとうとおもつが、その直前ちょくぜん急死きゅうしする。念仏ねんぶつとなえるなど信仰しんこうしんあつ元就もとなりにもがれた。
毛利もうりたかしもと(もうり たかもと)
千代ちよ寿ひさしまる毛利もうりたかしもと
えんじ上川かみかわ隆也たかや幼少ようしょう時代じだい金澤かなざわたくみ
元就もとなり長男ちょうなん嫡男ちゃくなん)、輝元てるもとちちははよしほう幼名ようみょう千代ちよ寿ひさしまる(ちよじゅまる)。
生一本きいっぽん性格せいかくで、ちち得意とくいとする謀略ぼうりゃくせんには懐疑かいぎてき偉大いだいちち優秀ゆうしゅうおとうとたちとの狭間はざま苦悩くのうする。和智わちまことはる饗応きょうおうちゅうあま子方こかた刺客しかく暗殺あんさつされ、元就もとなりよりもさき他界たかいすることになった。
吉川よしかわ元春もとはる(きっかわ もとはる)
松寿しょうじゅまる毛利もうり元春もとはる吉川よしかわ元春もとはる
えんじ松重まつしげゆたか幼少ようしょう時代じだい安藤あんどう一志かずし
元就もとなり次男じなんははよしほう安芸あき国人くにびと吉川よしかわ当主とうしゅおに吉川よしかわ血筋ちすじ元就もとなり武勇ぶゆう濃厚のうこうもうしょう
小早川こばやかわ隆景たかかげ(こばやかわ たかかげ)
徳寿とくじゅまる小早川こばやかわ隆景たかかげ
えんじめぐみしゅんあきら幼少ようしょう時代じだい富田とみたいつきひさし
元就もとなり三男さんなんははよしほう幼名ようみょう徳寿とくじゅまる(とくじゅまる)。安芸あき国人くにびと小早川こばやかわ当主とうしゅ軽薄けいはくえるが元就もとなり知略ちりゃく濃厚のうこう智将ちしょう
可愛かわい(えの)
えんじ高橋たかはし由美子ゆみこ幼少ようしょう時代じだい伊藤いとう明日香あすか
元就もとなり長女ちょうじょははよしほう長年ながねんてき宍戸ししど懐柔かいじゅうのため、宍戸ししどたかしとつぐ。かなりつよ性格せいかくだが、おっと宍戸ししどたかしふかあいし、夫婦ふうふなか相思相愛そうしそうあい
毛利もうり輝元てるもと(もうり てるもと)
こう鶴丸つるまる毛利もうり輝元てるもと
えんじ森田もりたつよしやく〕(幼少ようしょう時代じだい中村なかむら国生こくしょう
元就もとなりよしほうまごりゅうはじめ長男ちょうなん嫡男ちゃくなん)。はは寿ことぶきほう幼名ようみょうこう鶴丸つるまる(こうつるまる)。元就もとなり少年しょうねんえんじた森田もりたえんじており、はつ登場とうじょう元就もとなりから「わしのわかいころにそっくり」とおどろかれた。毛利もうり代々だいだいいちもらっていた大内おおうち滅亡めつぼうしたことでとき将軍しょうぐん足利あしかが義輝よしてるからへんいみなけることになり、てるもととした。本来ほんらいはより格式かくしきたかい「よし」をあたえられるはずだったが、「おけ狭間はざまたたかやぶれた今川いまがわ義元よしもと同名どうめいだから」などの理由りゆうによりいやがり、これを固辞こじした。ちちはやくにうしなったことから精神せいしんてき未熟みじゅく部分ぶぶんがあり月山がっさん富田とみたしろめで手柄てがらはやり、品川しながわおおかみかいうしなう。
毛利もうりひろしもと(もうり ひろもと)
えんじ西郷さいごう輝彦てるひこ
元就もとなりちち尼子あまご大内おおうちれた家臣かしんだん掌握しょうあくしきれず、苦悶くもんすえ隠居いんきょ嫡男ちゃくなんきょうもとゆずることでそのをしのぐ。懊悩おうのうてにさけおぼ急死きゅうしする。元就もとなりに「みっぼし」のはなしかたったのがむしらせとなった。松寿しょうじゅまるはそれまで軽蔑けいべつしていたちち偉大いだいさや苦悩くのうる。
さちほう(さちのかた)
えんじ竹下たけした景子けいこ
ひろもと正室せいしつ元就もとなりきょうもとよしひめはは福原ふくはらひろしゅんむすめ
病身びょうしんのためつまとしての役目やくめおもうようにたせず、ひろもと側室そくしつしょおおくことをれ、松寿しょうじゅまる元就もとなり)に「やせ我慢がまん」についておしえる。そんなははさびしそうな姿すがたて、松寿しょうじゅまるひろもとすぎほう軽蔑けいべつすることとなる。松寿しょうじゅまるすえあんじつつ、病没びょうぼつする。松寿しょうじゅまるにとっては最愛さいあいははであったものの幼少ようしょうだったためはは面影おもかげおぼえておらず、そのことがふかいコンプレックスとなる。あいえた松寿しょうじゅまる不良ふりょう少年しょうねん成長せいちょうしてしまう。ひろもと隠居いんきょすすめたのはさちほうであり、その同席どうせきしようとしたすぎほうたいして正室せいしつ側室そくしつ身分みぶんちがいをきびしくいいわた退却たいきゃくさせるとう正室せいしつとしての気構きがまえをける場面ばめんえがかれていた。
相合そうごうほう(あいおうのかた)
えんじ松原まつばら千明ちあき
ひろもと側室そくしつもとつなまつほうはは泥棒どろぼうねこ
ひろしもと生前せいぜんから、すぎほうとはおな側室そくしつ同士どうしっていたが、ひろしもと死後しご隠棲いんせいはん元就もとなりかつらひろきよし相合そうごうかたうしたてとなったさいかれ相愛そうあい関係かんけいになる。もとつな謀反むほんさいしては、兄弟きょうだいしょうあらそってしくないとみずからののど小刀こがたなをあてたいってめようとするとう最後さいごまで反対はんたいしていた。もとつな墓前ぼぜんった元就もとなりうらごとひとわず、はかにかけるみずかれ所望しょもうしてみにかせた合間あいまもとつなのちって自害じがい元就もとなりみずみにったことを後悔こうかいし、すぎほう次々つぎつぎ旧知きゅうち人々ひとびとんでいくことに悲嘆ひたんした。
毛利もうりきょうもと(もうり おきもと)
こう千代丸ちよまる毛利もうりきょうもと
えんじ渡部わたなべ篤郎とくろう幼少ようしょう時代じだい後藤ごとう拓也たくや 青年せいねん時代じだい芦田あしだ昌太郎しょうたろう
元就もとなり同母どうぼけいひろもと長男ちょうなん嫡男ちゃくなん)、幼名ようみょうこう千代丸ちよまる(こうちよまる)。
足利あしかが義稙よしたねほうじて京都きょうと上洛じょうらくした大内おおうち義興よしおきしたがい、すう年間ねんかんにわたり在京ざいきょうし、数々かずかず合戦かっせん参加さんかした。帰国きこくしたのちきょうこったこと物語ものがたるような廃人はいじん同然どうぜん姿すがたになっており、そんなあにわりてた姿すがた元就もとなり愕然がくぜんとさせた。帰国きこく当初とうしょきょう合戦かっせんを「地獄じごく」とんでさけはしり、元就もとなりをもとおざけるような言動げんどうせるが、元就もとなり献身けんしんてきじょうにうたれてなみだながらに心情しんじょう吐露とろした。その高橋たかはしゆきほう縁組えんぐみすることで高橋たかはしつよむすび、天野あまの国人くにびと一揆いっき締結ていけつ対抗たいこうするが、ちちおなじくさけがいによりわかくしてねむるようにあの旅立たびだつ。
相合そうごうもとつな(あいおう もとつな)
月夜つきよまる相合そうごうもとつな
えんじ西島にししま秀俊ひでとし幼少ようしょう時代じだい伊勢いせ裕樹ゆうき 青年せいねん時代じだいいしいすぐる
元就もとなり異母弟いぼていひろもと三男さんなん妾腹しょうふく庶子しょし)。幼名ようみょう月夜つきよまる(つきよまる)
側室そくしつであることから、元就もとなりたいして劣等れっとうかんいだつづけていた。元就もとなり家督かとく相続そうぞくすると、自身じしん身分みぶんわきまえずかつらひろきよしとともに謀反むほんこす。はは相合そうごうほう永訣えいけつしたのちかつらぐん合流ごうりゅうするため行軍こうぐんちゅうすで謀反むほん察知さっち道中どうちゅうひそんでいた元就もとなりがわ軍勢ぐんぜい急襲きゅうしゅうされてしまう。最期さいご小三しょうさんふとしられ自業自得じごうじとくながら非業ひごうげる。兄弟きょうだい家臣かしん骨肉こつにくあらそいをしたつら経験けいけんが、のち元就もとなりさんほんかたらせることとなる。
ゆきほう(ゆきのかた)
ゆきひめゆきほう
えんじ一路いちろ真輝まき
きょうもと正室せいしつさいわい松丸まつまるはは
その聡明そうめいさにれた元就もとなりきょうもとよめにと高橋たかはし直談判じかだんぱんして婚約こんやくする。きょうもとさけがいしんやまい承知しょうちとついだものの、おっと真意しんいはかりかね苦悩くのうすることになる。みずかうできずつけたきょうもとしんやまいふかさをり、かれささえていくこととなる。きょうもとさいわい松丸まつまる死後しごも、当主とうしゅとなった元就もとなりささえていく。しかし実家じっか高橋たかはし内紛ないふんきると、自分じぶん気兼きがねせずに高橋たかはしめるようゆきほう郡山こおりやまじょうのちにするという行動こうどう元就もとなりしめす。しかしゆきほう嵯峨野さがの隠棲いんせいすると元就もとなりっておきながら高橋たかはしもどっており、らずにはいった元就もとなりまえ自害じがいする。
さいわい松丸まつまる(こうまつまる)
えんじ北尾きたおわたる幼少ようしょう時代じだい伊達だてつとむ深川ふかがわ雄太ゆうた
きょうもと長男ちょうなん
生来せいらい病弱びょうじゃく鏡山かがみやまじょうたたか毛利もうりあま子方こかたにすぐにくみしなかった制裁せいさいとして、おさないながら毛利もうりぜいそう大将たいしょうとして出陣しゅつじんするよう経久つねひさよりめいじられる。戦勝せんしょう首実検くびじっけん立会たちあうのを元就もとなりめるのをせい臨席りんせき生首なまくび卒倒そっとう。その衝撃しょうげきあいまって帰国きこく病死びょうしした。枕元まくらもと子守こもりうたうたゆきほう見守みまもられての最期さいごであった。
まつほう(まつのかた)
まつひめまつほう
えんじあずさ真悠子まゆこ幼少ようしょう時代じだい安積あさか玲奈れいな
元就もとなり異母いぼいもうともとつな同母どうぼいもうと妾腹しょうふくで庶女)、よしひめくらべられば身分みぶんひくい、吉川よしかわもとけい正室せいしつよしほう義姉ぎし吉川よしかわきょうけいははおっともとけい戦死せんし、そのうかのようにいちねんおさなきょうけいのこして急死きゅうしする。
よしひめ(よしひめ)
えんじ田島たじま穂奈美ほなみ
元就もとなり同母どうぼあね隠居いんきょしてさちほう松寿しょうじゅまる元就もとなり)ととも多治比たじひざるかけじょううつひろもとにはしたがわず、武田たけだとつぐため吉田よしだぐん山城やましろきょうもととともにまる。よしひめわかくしてくなったため、このわかれが元就もとなりよしひめ永遠えいえんわかれとなる。
宍戸ししどたかし(ししど たかいえ)
えんじ加勢かせ大周たいしゅう
元就もとなりむすめ婿むこ安芸あき国人くにびと宍戸ししど当主とうしゅ。のち毛利もうり家臣かしんで、吉川よしかわ元春もとはる小早川こばやかわ隆景たかかげおなじく毛利もうりじゅうはちしょういち厳島いつくしまたたかさい留守るすつとめる。
熊谷くまがいしんただし(くまがい のぶなお)
えんじ綿引わたひき勝彦かつひこ
もとはるしゅうと安芸あき国人くにびと熊谷くまがい当主とうしゅ元就もとなり父親ちちおやかたきたるが、銀山ぎんざんじょうたすけられ和解わかいむすめ々がもとはるとついだのを毛利もうり家臣かしん毛利もうりじゅうはちしょういちとなり吉川よしかわきょうけい誅殺ちゅうさつ貢献こうけんもうしょうほまたかかった。
吉川よしかわもと(きっかわ もとすけ)
つる寿ひさしまる吉川よしかわもと
えんじ清水しみずしん幼少ようしょう時代じだい仁科にしな拓海たくみ
もとはる長男ちょうなん幼名ようみょうつる寿ひさしまる(かくじゅまる)。元就もとなりよしほうまご
寿ことぶきほう(としのかた)
寿ひさし寿ことぶきほう
えんじ大塚おおつか寧々ねね
内藤ないとうきょうもりむすめりゅうはじめ正室せいしつ輝元てるもとははりゅうはじめ人質ひとじち時代じだいからの相思相愛そうしそうあいだった。毛利もうり家中かちゅうではめずらしくしとやかな性格せいかくだが、うべきことははっきりう。
美々みみ(みみ)
えんじ仁科にしな扶紀
もとはる正室せいしつ熊谷くまがいしんじきむすめ不器量ぶきりょうであることにコンプレックスをいだき、それをはらうべく、表向おもてむきは無理むり笑顔えがおせてあかるくっていた。縁談えんだん元春もとはるにそのことを見抜みぬかれさとされたことで、かれとつぎたいとちちもうた。もとはるとの結婚けっこんは、本来ほんらいあかるい素直すなお笑顔えがおせるようになる。
阿古あこほう(あこのかた)
阿古あこひめ阿古あこほう
えんじ藤吉ふじよし久美子くみこ少女しょうじょ時代じだい三船みふね美佳みか
隆景たかかげ正室せいしつ小早川こばやかわしげるたいらいもうと隆景たかかげいたくて、厳島いつくしまたたかいののち勝利しょうりいわいにけつけるなど、活発かっぱつ性格せいかく
たまひめ(たまひめ)
えんじ松本まつもとめぐみ
輝元てるもと正室せいしつ可愛かわい宍戸ししどたかしむすめ元就もとなりよしほうまご輝元てるもとやく森田もりたえんじた少年しょうねん元就もとなり初恋はつこい少女しょうじょ・なつをえんじた松本まつもとやくえんじている。
みょう(たえ)
えんじ宮本みやもと信子のぶこ
阿古あこほう乳母うばけん侍女じじょ、のちに元就もとなり側室そくしつよしきあとの継室けいしつ
相手あいておとこであろうと手厳てきびしい意見いけんをぶつけ、自分じぶんでもそのことにかんじている。ものてられないタチで片付かたづけが苦手にがて高齢こうれいになってから元就もとなりしつになったため、元就もとなりとは男女だんじょ関係かんけいというより茶飲ちゃの友達ともだちてき存在そんざいである。側室そくしつたちとちが基本きほんてき元就もとなり愚痴ぐちいてくれる。元就もとなりをよくささえ、養育よういくくした。
こう(こう)
えんじ秋本あきもと奈緒美なおみ
元就もとなり側室そくしつ三吉みよしたかしあきらいもうとよしんだのち側室そくしつむかえられた。「ぴしっとしすぎて(元就もとなりの)やすまらない」ほど利発りはつつよいため、元就もとなりがやせほそっていくことになり、それをやわらげるために、さよがあらたな側室そくしつとしてむかえらえた。せい反対はんたい性格せいかくのさよとは、ときにいいあったり、いい側室そくしつ仲間なかまである。
さよ
えんじ田中たなか広子ひろこ
元就もとなり側室そくしつ乃美のみたかしきょうむすめこうつよさにやすまらない元就もとなりかねた隆景たかかげ乃美のみめいじてとつがせる。おっとりとしたのんびりであるためこうから馬鹿ばかばわりされる。元就もとなりのグチをくのは苦手にがて

毛利もうり家臣かしん

編集へんしゅう
かつらひろきよし(かつら ひろずみ)
えんじ草刈くさかり正雄まさお
外交がいこう担当たんとう尼子あまこ家中いえじゅう派閥はばつあらそいからもとつな謀反むほん加担かたん謀反むほん失敗しっぱいわると元就もとなり面前めんぜん謝罪しゃざいしその自害じがいした。
井上いのうえもとけん(いのうえ もとかね)
えんじ片岡かたおか鶴太郎つるたろう
経済けいざい担当たんとう大内おおうち毛利もうりじゅうはちしょういち腹黒はらぐろくしたたかな策謀さくぼうで、おさな元就もとなりしろからすなど難物なんぶつであったが、すぎほうたいしてコミカルないちめんせた。一方いっぽう家族かぞくおもいなところがあり、合戦かっせんおおくの一族いちぞくうしなったさい感情かんじょうあらわにし報復ほうふくさけつづけた。度重たびかさなる規律きりつ違反いはん家老がろう解任かいにんされ、最期さいご元就もとなり粛清しゅくせいされ鉄砲てっぽうでの自殺じさつげる。
渡辺わたなべまさる(わたなべ すぐる)
えんじ榎木えのき孝明たかあき
軍事ぐんじ担当たんとう尼子あまこ同志どうしであるこうきよしとたびたび密議みつぎらすが、元就もとなりとはたがいの才能さいのう一目いちもくいており、その武勇ぶゆう少年しょうねん元就もとなりにとってのあこがれであった。家中いえじゅう派閥はばつあらそいからもとつな謀反むほん連座れんざし「主命しゅうめい」をかたったもとけんたれる。
こころざし道広みちひろりょう(しじ ひろよし)
えんじ中村なかむら梅雀ばいじゃく
毛利もうり庶家出身しゅっしん元就もとなり軍師ぐんしで、きょうもとだいからつかえていた。吉川よしかわこくけいとの交渉こうしょう成功せいこうさせた元就もとなり将器しょうき可能かのうせいかんじ、さいわい松丸まつまる経久つねひさあつりょくにより尼子あまこより当主とうしゅむかえることが内定ないていしたがやまいいつわって面会めんかいっているあいだ上洛じょうらくして勅許ちょっきょ取得しゅとく元就もとなり擁立ようりつした。以後いご重臣じゅうしん筆頭ひっとうとしてうでるう。もとけん粛清しゅくせい引退いんたい
福原ふくはらひろしゅん(ふくばら ひろとし)
えんじ笹野ささの高史たかし
毛利もうり一族いちぞく安芸あき福原ふくはら8だい当主とうしゅさちほうちち元就もとなり外祖父がいそふ
むすめまご曾孫そうそん先立さきだたれ悲観ひかん出家しゅっけ決意けついするも、元就もとなりめられおもなおして家臣かしんにとどまること決意けついしたが、あわててまげってしまったためしばらく頭巾ずきんこうむっていた。長寿ちょうじゅ晩年ばんねんけた描写びょうしゃがされた。吉田よしだぐん山城やましろたたか勝利しょうり郡山こおりやまじょうちゅうなかねむるようにいきった。
赤川あかがわ元保もとやす(あかがわ もとやす)
えんじ永島ながしま敏行としゆき
かつらひろきよし渡辺わたなべかち相次あいついでうしなったのちもときよし、就忠とともにてられる。毛利もうりじゅうはちしょういちで、毛利もうり先祖せんぞ代々だいだいからつかえる家柄いえがらによる文武両道ぶんぶりょうどう万能ばんのうがた武将ぶしょう数々かずかずたたかいで戦績せんせきげ、りゅうはじめ側近そっきんにして毛利もうり筆頭ひっとう奉行ぶぎょうとなり、権力けんりょく絶頂ぜっちょうきわめる。しかし月山がっさん富田とみたしろめにかえ途中とちゅうりゅうはじめが、尼子あまこ重臣じゅうしんかわそい刺客しかく殺害さつがいされたことで、関与かんようたがわれ失脚しっきゃくする。小三しょうさんたいらの進言しんげんもあり、月山がっさん富田とみたしろ陥落かんらくゆるされたが、すでに切腹せっぷくしたのちだった。遺書いしょには「新興しんこう勢力せいりょく織田おだ信長のぶなが警戒けいかいおこたらないように」と最後さいごまで毛利もうりすえあんじていた。
児玉こだま就忠(こだま なりただ)
えんじ益岡ますおかとおる
文治ぶんじ。庶家出身しゅっしんかつらもときよしとともに家老がろうつとめる。毛利もうりじゅうはちしょういち能吏のうりではあったが、軍事ぐんじ滅法めっぽう苦手にがて
かつらもときよし(かつら もとずみ)
えんじ鶴見つるみ辰吾しんご
こうきよし武断ぶだん毛利もうりじゅうはちしょういちちちてきである元就もとなり復讐ふくしゅうしんやすが、かれ説得せっとくおうじて恭順きょうじゅんする。以後いご土着どちゃく領主りょうしゅ出身しゅっしん児玉こだま就忠とともに重臣じゅうしんつとめる。武人ぶじんはだめない。厳島いつくしまたたかいでの勝利しょうりおおきな役割やくわりたす。
渡辺わたなべとおる(わたなべ かよう)
えんじ勝村かつむら政信まさのぶ
かち毛利もうりじゅうはちしょういちかちもとつな反乱はんらんさい井上いのうえもとけんめられ死亡しぼうしたさいに、藤野ふじの手引てびきで備後びんごげる。のち藤野ふじののとりなしで帰参きさんするが、元就もとなりちちてきとしてねらう。しかし大内おおうち義隆よしたか尼子あまごめで敗退はいたいしたさい退却たいきゃくせん元就もとなり身代みがわりとなって討死うちじにする。
平佐ひらさ就有(ひらさ なりあり)
えんじ佐藤さとうBさく
もとはる側近そっきん藤野ふじのしたっていることをもとはる告白こくはくし、おどろかれた。
井上いのうえはるただし(いのうえ はるただ)
えんじ生瀬なませ勝久かつひさ
もとけん遠縁とおえん隆景たかかげ側近そっきん隆景たかかげ小早川こばやかわ縁組えんぐみするときに随行ずいこうする。
福原ふくはらさだしゅん(ふくばら さだとし)
えんじ石濱いしはまあきら
安芸あき福原ふくはら11だい当主とうしゅこうしゅん長男ちょうなん毛利もうり庶家出身しゅっしんこころざしどうわるかたち筆頭ひっとう重臣じゅうしん就任しゅうにん毛利もうりじゅうはちしょういち
大庭おおばけんけん(おおば かたかね)
えんじ中島なかじま久之ひさゆき
もと大内おおうち家臣かしん元就もとなりから家督かとくいだばかりのりゅうはじめもとめにおうじて毛利もうりつかえる。
国司こくしもとしょう(くにし もとすけ)
えんじ坂本さかもとあきら
土着どちゃく領主りょうしゅ出身しゅっしんりゅうはじめ人質ひとじちとして山口やまぐちおもむいたさいには随行ずいこうした。毛利もうりじゅうはちしょういち
粟屋あわや元親もとちか(あわや もとちか)
えんじ塩野谷しおのや正幸まさゆき
毛利もうり先祖せんぞ代々だいだいからつかえる家柄いえがら家臣かしん毛利もうりじゅうはちしょういち
品川しながわ大膳だいぜん(しながわ だいぜん)
えんじはやしくに史朗しろう
山中さんちゅう鹿しかかい対抗たいこうして、みずから「品川しながわおおかみかい」と名乗なのり、いちいどむもたおされる。
堀立ほりたて直正なおまさ
えんじ原田はらだ芳雄よしお
海外かいがい交易こうえきする商人しょうにん。「天下てんか目指めざさず」と元就もとなりうまい、物流ぶつりゅう経済けいざいめん調査ちょうさ諜報ちょうほう活動かつどう反対はんたい勢力せいりょくくずしに貢献こうけんし、のちあかあいだせき代官だいかんまかされる。厳島いつくしまたたかさい宮尾みやおしろ守将しゅしょうつとめる。その自由じゆうかつ豪胆ごうたん性格せいかくから輝元てるもとあこがれの相手あいてとなり、すぎほうにもれられ天竺てんじく同行どうこうもとめられる。晩年ばんねんには配下はいか地位ちいゆず天竺てんじくへと旅立たびだつ。
堀立ほりたて近習きんじゅ
えんじ岡田おかだただしてん
スキンヘッドが特徴とくちょうてき直正なおまさ引退いんたい代目だいめ堀立ほりたて直正なおまさになる。
しょうさんふとし(こさんた)
えんじ奈佐けんしん
元就もとなりあいだしゃ
元就もとなりいのちねら刺客しかくとして登場とうじょうするが、暗殺あんさつ失敗しっぱい自決じけつしようとしたところを制止せいしされ、以降いこう元就もとなりへの忠勤ちゅうきんはげみ、隠密おんみつ活動かつどう活躍かつやくする。最期さいご尼子あまことの決着けっちゃくをつけるせん山中やまなかみゆきもりたれ情報じょうほう工作こうさくげるのとえに死亡しぼうした。
山田やまだ秀則ひでのり(やまだ ひでのり)
えんじ真実しんじつ一路いちろ
もとけん配下はいかだったが、ぜいての責任せきにんしつけられもとけん誅殺ちゅうさつされる。そしてもとけんは「部下ぶかもとけん)をうたがうなど城主じょうしゅうつわではない」と松寿しょうじゅまる軟禁なんきんしてしまう。
兵助へいすけ(へいすけ)
えんじラッキィ池田らっきぃいけだ
井上いのうえもとけん配下はいか斥候せっこうつとめるが探知たんちされ、戦死せんし
寺畑てらはた(てらはた)/ 風間かざま(かざま)
えんじ松井まつい範雄のりお寺畑てらはた)/ 中原なかはら和宏かずひろ風間かざま
もとけん配下はいか上司じょうしであるもとけんとともにたれる。
藤野ふじの(ふじの)
えんじ加賀かがまりこ
よしほう侍女じじょ諜報ちょうほうける。
はじめはよしほう実家じっか吉川よしかわ加担かたんしていたが、よしほう死後しごもとはる婚姻こんいん交渉こうしょううなど、元就もとなり参謀さんぼうてき存在そんざいとなる。みずからの容姿ようしにコンプレックスをいているため、自身じしんのことを「見栄みえわるおんな」と卑下ひげする。渡辺わたなべまさる恋心こいごころいだくが、かちもとけん謀殺ぼうさつされたことにより悲恋ひれんわってしまう。そのひそかに備後びんごのがしたかちつう元就もとなりわせた。直前ちょくぜん、「やりのこしたことがまだありますよ」とみょうすすめられ、元就もとなり側室そくしつ・さよのんだ乳児にゅうじいだき、みょうとも子守こもりうたうたいながらしずかに、そしてやすらかに生涯しょうがいじる。最期さいご看取みとったみょう元就もとなりに「藤野ふじの殿どのは……ほしになられました」ときながらげた。
ひさ(ひさ)
えんじまつきむよね
すぎほう侍女じじょすぎほう井上いのうえもとけんつまになることをのぞもとけんからもそれをたのまれるが、すぎほうこばんだのち罷免ひめんされる。のち元就もとなり配慮はいりょすぎほうさい出仕しゅっしする。
すぎ死後しご藤野ふじのちがってひまされ、最期さいご描写びょうしゃはされなかったが、最終さいしゅうかいれいとしてさい登場とうじょうした。
きよ
えんじ柴田しばた理恵りえ
寿ことぶきほう侍女じじょ寿ことぶきほうには、くちうるさいため迷惑めいわくがられるが、信頼しんらいされている。
やす
えんじやなぎ明日香あすか
美々びび侍女じじょ美々びびがしこめであることを強調きょうちょうするためか、侍女じじょなかでも数少かずすくない美女びじょである。
ぎん
えんじ池田いけだ有希子ゆきこ
さだ
えんじ小平こだいら志津香しづか

大内おおうち

編集へんしゅう

大内おおうち一門いちもん

編集へんしゅう
大内おおうち義興よしおき(おおうち よしおき)
えんじ細川ほそかわ俊之としゆき
大内おおうち当主とうしゅあかりおう政変せいへん失脚しっきゃく幕府ばくふ追放ついほうされた足利あしかが義稙よしたね復権ふっけん尽力じんりょくした。あそにんである嫡男ちゃくなん義隆よしたか将来しょうらい心配しんぱいしていた。のち義隆よしたか改心かいしんし、さら元就もとなり参入さんにゅうでいきおいた大内おおうち安心あんしんし、あやほう義隆よしたか宴会えんかいひらくが、愛用あいようふえ片手かたて死亡しぼう霊界れいかいでも義隆よしたかともみずからのいえほろぼした元就もとなりとがめるが、毛利もうり女性じょせいじん一喝いっかつされて姿すがたす。
あやほう(あやのかた)
えんじあずまちづる
義興よしおき正室せいしつ内藤ないとうひろしのりむすめ息子むすこ義隆よしたかにはややあまい。おっと義興よしおき没後ぼつごは、登場とうじょうせず、あまとなったかは不明ふめい
大内おおうち義隆よしたか(おおうち よしたか)
かめわらわまる大内おおうち義隆よしたか
えんじ風間かざまトオル幼少ようしょう時代じだい大地だいちやすしひとし
義興よしおき大内おおうち当主とうしゅ
あそにん風流ふうりゅうこのみ、せん政治せいじきらっており「大名だいみょうまれたくはなかった」と述懐じゅっかいしていた。とく月山がっさん富田とみたじょうたたかいに敗北はいぼくしてからは天下てんかへの向上心こうじょうしん政治せいじへの意欲いよくもすっかりうしなってしまい、ぶん吏の相良さがらたけしにん重用じゅうようして遊興ゆうきょうにふけるようになる。隆房たかふさらに謀反むほんこされてだいやすしてらめられ、家臣かしんしんはなれていったこと、大内おおうち衰退すいたいはじまっていたことに気付きつけなかったみずからを「こぼれぼたる」と自嘲じちょうして最期さいごげた。
貞子さだこ(さだこ)
えんじ佐藤さとう恵利えり
義隆よしたか正室せいしつきょう公家くげ万里小路まりこうじしゅうぼうむすめ武家ぶけとつぎながら、おっと以上いじょう京都きょうと固執こしつし、義隆よしたか大敗たいはいことづけて京都きょうと亡命ぼうめい発案はつあんするほど気位きぐらいたかうえにワガママ。もと侍女じじょだったおさいに義隆よしたか寝取ねとられ離縁りえん大内おおうちまじないながらかんった。
おさい
えんじ川越かわごえ美和みわ(初瀬はつせかおる)
義隆よしたか側室そくしつかめわらわまるははきょう貧乏びんぼう公家くげむすめで、貞子さだこ侍女じじょであったが、義隆よしたか寵愛ちょうあい懐妊かいにんかめわらわまるみこと(よしたか))を貞子さだことした。
かめわらわまる(きどうまる)
えんじ蓮池はすいけ貴人きじん
義隆よしたかとおさいの義隆よしたか謀反むほんこされると、両親りょうしんわか家臣かしん背負しょわれて逃亡とうぼうする。隆房たかふさかめわらわまる擁立ようりつ予定よていだったためりを指示しじしていたが家臣かしんにはうまくつたわっておらず、追手おって捕捉ほそくされて戦死せんしした。
大内おおうち義長よしなが(おおうち よしなが)
大友おおともはれすぐる大内おおうち義長よしなが
えんじ三井みつい智宏ともひろ
大友おおとも宗麟そうりんおとうと当初とうしょはれすぐる(はるひで)
とう晴賢はるかたむかえられ大内おおうちぐ。厳島いつくしまたたかいではれけんうしな毛利もうり謀反ぼうほんじん看做みなされまれ、あに宗麟そうりんにも見捨みすてられて自害じがい。900ねんともわれるながきにつづいた大内おおうちほろんだ。

大内おおうち家臣かしん

編集へんしゅう
内藤ないとうきょうもり(ないとう おきもり)
えんじ小野寺おのでらあきら
大内おおうち家重いえしげしん毛利もうりたかしもとしゅうと寿ことぶきほう実父じっぷ毛利もうり輝元てるもと外祖父がいそふすえきょうぼう死後しご、「自分じぶん時代じだい」とるがむすめ寿ことぶきあきれられてしまう。たけつとむきら隆房たかふさ協力きょうりょく義隆よしたか引退いんたいした。
とうきょうぼう(すえ おきふさ)
えんじ夏八木なつやぎいさお
大内おおうち家重いえしげしん義興よしおき死後しご辣腕らつわんるうも、死期しきさと大内おおうちすえあんたかしもと人質ひとじちることを献策けんさく文武両道ぶんぶりょうどう名将めいしょう大内おおうち柱石ちゅうせきだったが、きょうぼうによって暗雲あんうんちこみはじめる。
とう晴賢はるかた(すえ はるかた)
とう隆房たかふさとう晴賢はるかた
えんじ陣内じんない孝則たかのり
大内おおうち家重いえしげしんきょうぼう当初とうしょ隆房たかふさ(たかふさ)
毛利もうり襲来しゅうらいした尼子あまこ撃退げきたいした吉田よしだぐん山城やましろたたかでは、援軍えんぐんとしてけつけ毛利もうり窮地きゅうちすくう。軍神ぐんしん畏怖いふされる武勇ぶゆうと、天下てんか統一とういつ目指めざ崇高すうこうこころざしち、大内おおうち忠誠ちゅうせいちかっていたが、相良さがらたけしにんとの対立たいりつ月山がっさん富田とみたじょうそう攻撃こうげき失敗しっぱい天下でんかへの向上心こうじょうしん政治せいじへの意欲いよくもすっかりなくした義隆よしたか葛藤かっとうすえ謀反むほんたおし、義隆よしたか養子ようし義長よしなが当主とうしゅえて大内おおうち実権じっけんにぎった。しかし毛利もうりとの決戦けっせんである厳島いつくしまたたかいに大敗たいはい次郎じろう一騎討いっきうちちのまつ相打あいうちという壮絶そうぜつ最期さいごげる。
相良さがらたけつとむ(さがら たけとう)
えんじ白井しらいあきら
文治ぶんじ義隆よしたかって隆房たかふさ対立たいりつ隆房たかふさ謀反むほんさい義隆よしたかてて逃亡とうぼうした。
冷泉れいせんりゅうゆたか(れいぜい たかとよ)
えんじ春田はるた純一じゅんいち
文治ぶんじたけつとむとはことなり義隆よしたか最後さいごまでしたがい、介錯かいしゃくつと運命うんめいともにした。
岡部おかべ隆景たかかげ(おかべ たかかげ)
えんじ大久保おおくぼりょう
文治ぶんじかめわらわまるまもりながらのがれる途中とちゅう戦死せんし史実しじつではだいやすしてら義隆よしたかじゅんじており、かめわらわまるまもりながら戦死せんししたのは小幡おばた義実よしざねである。
江良えらぼうさかえ(えら ふさひで)
えんじ高岡たかおか健二けんじ
はれけん配下はいか元就もとなり計略けいりゃくにより、とう晴賢はるかた誅殺ちゅうさつされる。
弘中ひろなか隆兼たかかね(ひろなか たかかね)
えんじ佐川さがわ満男みつお
武断ぶだん厳島いつくしまたたかいではれけんがすために毛利もうりたかしもと吉川よしかわ元春もとはるたたか戦死せんし
宮川みやがわぼうちょう(みやがわ ふさなが)
えんじ大島おおしま宇三郎うさぶろう
大内おおうち家臣かしん武断ぶだん元就もとなり奇襲きしゅう戦死せんし
伊香いかぼうあきら
えんじじゅく一久かずひさ
すえ家臣かしん

尼子あまこ

編集へんしゅう

尼子あまこ一門いちもん

編集へんしゅう
尼子あまこ経久つねひさ(あまご つねひさ)
えんじ緒形おがたけん[4]
尼子あまこ当主とうしゅ冷酷れいこく非情ひじょう元就もとなりもっとおそれ、尊敬そんけいしたおとこ元就もとなりとはなんかおわせ基本きほんてきしたしげにはなしかけるが、一時いちじ毛利もうり尼子あまこくみしたさい元就もとなり心中しんちゅうのったうえ威圧いあつてき態度たいどをとった。最期さいごさいしてはみずからのをも利用りようした策略さくりゃくのこし、大内おおうち義隆よしたか元就もとなり大敗たいはいんだ。「いジジィでぬくらいなら、飛沫しぶきなか地獄じごくちるが本望ほんもう」といった、野心やしん謀略ぼうりゃくきる武将ぶしょうだったが、よしほうには義理ぎりのおじとして温厚おんこうせっし、つまはぎほうつよこと出来できないなど、元就もとなりとも共通きょうつうするいちめんせた。
経久つねひさとの交流こうりゅうにより、曾孫そうそん義久よしひさまぬかれている。
尼子あまこ晴久はるひさ(あまご はるひさ)
尼子あまこかいひさ尼子あまこ晴久はるひさ
えんじ髙嶋政宏まさひろ
経久つねひさまごはつかいひさし(あきひさ)
経久つねひさいのちおきけい仲介ちゅうかい元就もとなり義兄弟ぎきょうだい契約けいやくわしたこともある。経久つねひさ引退いんたい尼子あまごぎ、朝廷ちょうてい一目いちもくかれるほど版図はんとひろげるが、偉大いだい祖父そふ岳父がくふ国久くにひさひきいる新宮しんぐうとう活躍かつやく内心ないしんかんじていた。元就もとなり策略さくりゃくによりかけられた嫌疑けんぎから新宮しんぐうとう粛清しゅくせいするが、ちちころされたことにいきどおった悪妻あくさい・みつにどくられ、よわったところを絞殺しめころされる。尼子あまご一門いちもん家臣かしんだんなかわるくそれが尼子あまこ滅亡めつぼうはじまりである。
尼子あまこ義久よしひさ(あまご よしひさ)
えんじ中村なかむら獅童しどう
はれひさとみつの晴久はるひさとみつのいつわりの愛情あいじょうなかまれた。ちちはれひさ尊敬そんけいし、ちち粗略そりゃくあつかははたしなめた。ちちけてころしたおにはは・みつに憎悪ぞうおいだく。祖父そふ経久つねひさのように器量きりょうちからがなく元就もとなり降参こうさんはじをさらしたうえ仏門ぶつもんはい出家しゅっけしてまぬかれた。
はぎほう(はぎのかた)
えんじ高畑たかはた淳子じゅんこ
経久つねひさ正室せいしつ国久くにひさ・(塩冶えんやきょうひさはは吉川よしかわけいもとむすめ吉川よしかわこくけいいもうとよしほう叔母おば
将棋しょうぎ経久つねひさかすなどかしこ人物じんぶつであったがおっと経久つねひさ死後しごあまとなり、月山がっさん富田とみたじょうから遺品いひん一掃いっそう祖父そふ面影おもかげ排除はいじょしようとする晴久はるひさしろって実家じっか吉川よしかわもどせた。
みつ
えんじ岩崎いわさきひろみ
はれひさ正室せいしつ国久くにひさむすめ
極度きょくどファザコンちち国久くにひさほこりにおもっており、なにかと国久くにひさがわって晴久はるひさ見下みくだ非難ひなんした。そのため、おっとはれひさとの夫婦ふうふなか信頼しんらい関係かんけいきずけず元々もともとかなりわる愛情あいじょうはなくっており、家庭かていない別居べっきょちゅうである。おっとはれひさちち誅殺ちゅうさつされたさいは、うらみをいだく。そのうらみをてたふりをして晴久はるひさあざむいて毒殺どくさつおよんだおっとごろしのいちけんで、ちちうやまっていた息子むすこ義久よしひさとの関係かんけいみぞしょうじた。復讐ふくしゅうたしたのち尼子あまこ毛利もうり最後さいごせんめた目線めせんつづけた。元就もとなり策略さくりゃくにより、義久よしひさかわふく久信ひさのぶ裏切うらぎものとしてころしたさいは「晴久はるひさおなごとをしたのだ」と義久よしひさ嘲笑あざわらった。史実しじつではちち先立さきだって他界たかいしている。
尼子あまこ国久くにひさ(あまご くにひさ)
えんじ清水しみず綋治
新宮しんぐうとう当主とうしゅ経久つねひさ次男じなんはれひさ岳父がくふ。みつのちち尼子あまごぐん精鋭せいえい部隊ぶたい統括とうかつして武力ぶりょくめん経久つねひさ晴久はるひさささえたが、中央ちゅうおう集権しゅうけん目指めざ晴久はるひさには支配しはい領地りょうち褒美ほうびらされるなどといった冷遇れいぐうける。元就もとなりにん悪化あっかした関係かんけい察知さっちされ、謀略ぼうりゃくによって謀反むほん嫌疑けんぎけられ晴久はるひさ誅殺ちゅうさつされてしまう。
塩冶えんやきょうひさし(えんや おきひさ)
えんじ鈴木すずききゅう太郎たろう
経久つねひさ三男さんなんちち反抗はんこうするがめられて自害じがい

尼子あまこ家臣かしん

編集へんしゅう
亀井かめいしげるつな(かめい ひでつな)
えんじ河原かわはらさぶ
経久つねひさ武断ぶだん側近そっきん経久つねひさかるんじる晴久はるひさをたびたびいさめるがききいれられず、引退いんたい余儀よぎなくされる。
宇山うやまひさけん(うやま ひさかね)
えんじ磯部いそべつとむ
経久つねひさ軍師ぐんしてき側近そっきん経久つねひさいのちにより吉田よしだぐん山城やましろたたかいに同行どうこう再三さいさんちからめを進言しんげんするがききいれられず敗北はいぼく退却たいきゃくせん戦死せんし。ドラマでは尼子あまこ久幸ひさゆき役割やくわり宇山うやま代行だいこうし、史実しじつ宇山うやま義久よしひさたれている。
かわふく久信ひさのぶ(かわぞえ ひさのぶ)
えんじ上杉うえすぎ祥三しょうぞう
はれひさ義久よしひさ側近そっきん謀略ぼうりゃくけ、りゅうはじめ暗殺あんさつ成功せいこう。しかしたかしもとによって元就もとなりうたがわれた赤川あかがわ元保もとやすさく失敗しっぱいする。ぎゃく元就もとなり策略さくりゃくにより義久よしひさ誅殺ちゅうさつされる。実際じっさいたれたのは上記じょうき宇山うやまであり、久幸ひさゆき役割やくわり宇山うやまが、宇山うやま役割やくわりかわそい踏襲とうしゅうした。
立原たちはら幸隆ゆきたか(たちはら ゆきたか)
えんじ門田かどたしゅん
はれひさ側近そっきん
山中さんちゅう鹿しかかい(やまなか しかのすけ)
えんじ山田やまだ純大じゅんだい
こうあせった輝元てるもとひきいる石見いわみ国人くにびとしゅ対決たいけつし、品川しながわ大膳だいぜんるなど、あといちというところまでめるもたせなかった。そのときには満月まんげつかって「ねがわくは、七難しちなん八苦はっくあたえたまえ」とさけんだ。
本城ほんじょう常光じょうこう(ほんじょう つねみつ)
えんじたけおか淳一じゅんいち
尼子あまこ家臣かしん
中井なかいつな(なかい つないえ)
えんじかしわすすむ
尼子あまこ家臣かしん
与十郎よじゅうろう(よじゅうろう)
えんじ中大ちゅうだいけん
尼子あまこ家臣かしん

安芸あき国人くにびと

編集へんしゅう

吉川よしかわ

編集へんしゅう
吉川よしかわこくけい(きっかわ くにつね)
えんじ草薙くさなぎ幸二郎こうじろう
吉川よしかわ当主とうしゅよしほうもとけいちちきょうけい祖父そふおに吉川よしかわ異名いみょう古強者ふるつわもので、元就もとなり熱意ねつい有田ありたじょうめの協力きょうりょく承諾しょうだくした。
吉川よしかわもとけい(きっかわ もとつね)
えんじダンカン
くにけいよしほうあにしろめのときにあえなく戦死せんししてしまう。
吉川よしかわきょうけい(きっかわ おきつね)
せん法師ほうし吉川よしかわきょうけい
えんじ京本きょうもと政樹まさき幼少ようしょう時代じだいさん觜要かい
もとけいくにけいまごもとはる養父ようふ幼名ようみょうせん法師ほうし(せんぼうし)
人生じんせい双六すごろくである」という信条しんじょういている。ちは複雑ふくざつで5さいちちもとけいと6さいははまつうしなっている。月山がっさん富田とみたじょう元就もとなり窮地きゅうちめるなどしたが、度重たびかさなる寝返ねがえ行為こういなどで内外ないがい信用しんよううしない、元就もとなり吉川よしかわられもとたれた。生母せいぼ元就もとなり異母いぼいもうとまつほうで、元就もとなりよしほう双方そうほうおいでもある。なお番組ばんぐみないでは主題しゅだいきょくながれるまえのおさらいでは1508ねんまれと紹介しょうかいされていたが、ドラマないでは1518ねん誕生たんじょうしたと紹介しょうかいされており矛盾むじゅんしている。
せん法師ほうし(せんぼうし)
えんじ平野ひらの一真かずまさ
きょうけいちち運命うんめいともにする。
吉川よしかわ経世けいせい(きっかわ つねよ)
えんじ大森おおもりひろし
くにけいよしもとけいおとうと藤野ふじのいわ小心者しょうしんもの新参しんざんしゃみぎ衛門えもんじょう重用じゅうようするきょうけい不満ふまんいだき、元春もとはる家督かとく相続そうぞくちからくす。
大塩おおしおみぎ衛門えもんじょう(おおしお うえもんのじょう)
えんじエド山口やまぐち
吉川よしかわ家臣かしんきょうけい信頼しんらいあつかったが経世けいせいらと対立たいりつする。最期さいご不正ふせいあばかれ経世けいせいころされた。
森脇もりわきゆうゆう(もりわき すけあり)
えんじかげさんたい
吉川よしかわ家臣かしん経世けいせい行動こうどうともにする。

小早川こばやかわ

編集へんしゅう
小早川こばやかわしげるたいら(こばやかわ しげひら)
えんじ高橋たかはしゆずる
沼田ぬまた小早川こばやかわ本家ほんけ当主とうしゅ阿古あこほうあに病弱びょうじゃく盲目もうもく元就もとなり三男さんなん隆景たかかげ小早川こばやかわがせた。その出家しゅっけ景勝けいしょうとともにたびる。
椋梨むくなし景勝けいしょう(むくなし かげかつ)
えんじ舟木ふなき一夫かずお
沼田ぬまた小早川こばやかわ家臣かしんみょうおとうとつま義理ぎりいもうと当主とうしゅしげるたいら絶対ぜったい忠誠ちゅうせいちかう。小早川こばやかわすえあんじて隆景たかかげ擁立ようりつ抵抗ていこうするぜんけいらをった。
田坂たさかぜんけい(たさか ぜんけい)/ 土倉つちくらあきひらた(はくら あきひら)
えんじ石山いしやま雄大たけひろ田坂たさか)/ 米山よねやまのぞむぶん土倉つちくら
沼田ぬまた小早川こばやかわ家臣かしん隆景たかかげ擁立ようりつ反対はんたいするが景勝けいしょうたれた。
乃美のみたかしきょう(のみ たかおき)
えんじ畑山はたやま東一郎とういちろう
小早川こばやかわ家臣かしん乃美のみ元就もとなり側室そくしつ・さよの実家じっかでもある。
有田ありた加賀かがまもる(ありた かがのかみ) / みなみかん兵衛ひょうえじょう(みなみ かんべえのじょう)
えんじ丹治たんじだいわれ有田ありた) / 南雲なぐも勇助ゆうすけみなみ
小早川こばやかわ家臣かしん

その国人くにびと

編集へんしゅう
宍戸ししどもとみなもと(ししど もとよし)
えんじ石田いしだ太郎たろう
りゅう祖父そふ宍戸ししど当主とうしゅ長年ながねんわた毛利もうりあらそったが元就もとなり将器しょうきれ、たかし可愛かわい婚姻こんいん承諾しょうだくする。
熊谷くまがいもとじき(くまがい もとなお)
えんじ石田いしだのぼるほし
熊谷くまがい当主とうしゅ熊谷くまがいしんじきちちげんしげる先鋒せんぽうとして猪突ちょとつ元就もとなりたれる。
己斐こい宗瑞そうずい(こい そうずい)
えんじ村田むらたたくみ
安芸あき国人くにびと
香川かがわゆきけい(かがわ ゆきかげ)
えんじたわらはじめ
もとじきうしなって逆上ぎゃくじょうするもとしげるせいするがききいれられなかった。
くら田房たふさしん(くらた ふさのぶ)
えんじ大鷹おおたか明良あきよし
大内おおうち蔵田くらた当主とうしゅかがみ山城やましろ守将しゅしょう直信なおのぶ裏切うらぎりにより自害じがい余儀よぎなくされた。
蔵田くらた直信なおのぶ(くらた なおのぶ)
えんじ沼田ぬまたばく
ぼうしん叔父おじ強欲ごうよく元就もとなり調しらべりゃくによりぼうしん裏切うらぎ尼子あまごにつくが、土壇場どたんばでの変節へんせつ印象いんしょうわるくした経久つねひさてられる。そのために元就もとなり面目めんぼくうしなったばかりか、「大内おおうち内通ないつうしていた」と経久つねひさ詰問きつもんされ、さらに「っててるにもあたいせぬ。直信なおのぶ以下いかじゃ」とはずかしめられた。
湯浅ゆあさ信行のぶゆき(ゆあさ のぶゆき)
えんじ三上みかみ直也なおや
蔵田くらた直信なおのぶ家臣かしん元就もとなり依頼いらい直信なおのぶへのぎをつとめる。
高橋たかはしもとひかり(たかはし もとみつ)
えんじほり勝之かつゆきゆう
高橋たかはし当主とうしゅゆきほうちち備後びんごこく三吉みよしたれる。高橋たかはしもとひかり登場とうじょうしているが、史実しじつではもとひかり実父じっぷ久光ひさみつ事跡じせきとなっている。
高橋たかはしきょうこう(たかはし おきみつ)
えんじわしせいいさお
高橋たかはし当主とうしゅ久光ひさみつまごゆきほうおい盛光もりみつ誅殺ちゅうさつ当主とうしゅ奪取だっしゅしたが、元就もとなりしろめで戦死せんし
高橋たかはし盛光もりみつ(たかはし もりみつ)
えんじ諏訪部すわべひとし
もとひかり従兄弟いとこ久光ひさみつまごゆきほうおい高橋たかはし家督かとくあらそいできょうこう敗北はいぼく
天野あまのきょう(あまの おきつぐ)
えんじ岡本おかもと信人のぶと
安芸あき国人くにびと
天野あまのきょうじょう(あまの おきさだ)
えんじ山本やまもとひそか
きょうなま城山しろやま天野あまの9だい当主とうしゅ安芸あき国人くにびととともに吉田よしだぐん山城やましろたたかいで元就もとなり援護えんごする。
武田たけだもとしげる(たけだ もとしげ)
えんじ宍戸ししどひらく
きゅう守護しゅご安芸あき武田たけだ当主とうしゅ有田ありた中井なかいしゅたたかいで戦力せんりょくてき優位ゆういくつがえされた挙句あげく元就もとなりはずかしめられ猪突ちょとつ元就もとなりられる。
福島ふくしま信之のぶゆき(ふくしま のぶゆき)
えんじ小林こばやし勝也かつや
げんしげる家臣かしん
大島おおしま左近さこんまこと(おおしま さこんのじょう)
えんじ渡辺わたなべあきら
げんしげる家臣かしん
品田しなだ上野うえのかい(しなだ こうずけのすけ)
えんじ螢雪けいせつろう
げんしげる家臣かしん
和智わちまことはる(わち まさはる)
えんじせんだ光雄みつお
備後びんご国人くにびと和智わち当主とうしゅたかしもと饗応きょうおうするがそのせきりゅうはじめ暗殺あんさつこる。

村上むらかみ水軍すいぐん

編集へんしゅう
野田のだ次郎じろう(のだ じろう)
えんじ的場まとば浩司こうじ幼少ようしょう時代じだい山崎やまざきひろしふとし
もと毛利もうり家臣かしん元就もとなりおさななじみ。かつて次郎じろうちちは、元就もとなりちちであるひろもとつかえていたが、おさな元就もとなり軽率けいそつ行動こうどうにより野田のだつぶしとなった経緯けいいから元就もとなり反感はんかんいだく。村上むらかみ水軍すいぐんしょうとなりたいして元就もとなりのことを「えらいようにえてわるやつ」とっていたが、その実力じつりょくみとめていた。次郎じろうげたさい元就もとなり大変たいへんかなしんだ。
(かめ)
えんじ葉月はづき里緒菜りおな
村上むらかみ虎吉とらきちむすめうつくしさにかれた元就もとなりとの婚姻こんいん浮上ふじょうしたが頓挫とんざ厳島いつくしまたたか直前ちょくぜん戦死せんし
村上むらかみ虎吉とらきち(むらかみ とらよし)
えんじ藤原ふじわら喜明よしあき
村上むらかみ水軍すいぐんみつるりょう
足利あしかが義稙よしたね(あしかが よしたね)
えんじ田口たぐちトモロヲ
室町むろまち幕府ばくふだい10代将軍しょうぐん義興よしおき救援きゅうえん依頼いらいした。
細川ほそかわたかしこれ(ほそかわ たかよし)
えんじ久富ひさとみおもんみはれ
足利あしかが家臣かしん
さかえしゅう(はんしゅう)
えんじ大滝おおたき秀治しゅうじ
僧侶そうりょ元就もとなり浄土宗じょうどしゅうく。
ゆき(いせつ)
えんじ柳谷やなぎやひろし
僧侶そうりょ
なつ
えんじ松本まつもとめぐみやく
元就もとなり初恋はつこい少女しょうじょ
多美たみ(たみ)
えんじ平野ひらの啓子けいこ
維光(つぐみつ)
えんじ斎藤さいとうあきら
木村きむら(きむら)
えんじ小日向おびなたぶん
近習きんじゅつとめる。相合そうごうもとつなかつらひろきよし謀叛ぼうほんこうきよしりかかるもあえなくかえちにあって死亡しぼうした。
木原きはら(きはら)
えんじこねりしょう
宍戸ししど家臣かしん

放送ほうそう

編集へんしゅう

特記とっきかぎNHKクロニクルのNHK番組ばんぐみひょうヒストリー確認かくにん

通常つうじょう放送ほうそう時間じかん

編集へんしゅう

放送ほうそう日程にってい

編集へんしゅう
  • だい1かいは40ふんげかつ30ふん延長えんちょう
  • だい27かいは2005ふんから東京とうきょう都議とぎせん開票かいひょう速報そくほう放送ほうそうするため40ふんげ。
  • だい41かいは2042ふんからNHKニュースを放送ほうそうするため3ふん短縮たんしゅく
放送ほうそうかい 放送ほうそう サブタイトル 演出えんしゅつ 視聴しちょうりつ[よう出典しゅってん]
だい1かい 1がつ5にち つまたちのいいぶん 松岡まつおか孝治こうじ 25.3%
だい2かい 1がつ12にち 若君わかぎみ乱心らんしん 28.5%
だい3かい 1がつ19にち 城主じょうしゅ失格しっかく 小林こばやしたけし 28.3%
だい4かい 1がつ26にち おんな器量きりょう 28.2%
だい5かい 2がつ2にち 謀略ぼうりゃくしろ 吉川よしかわ邦夫くにお 27.6%
だい6かい 2がつ9にち こいごころ 松岡まつおか孝治こうじ 26.8%
だい7かい 2がつ16にち われ敵前てきぜん逃亡とうぼう 小林こばやしたけし 26.6%
だい8かい 2がつ23にち 出来できすぎたよめ 吉川よしかわ邦夫くにお 26.3%
だい9かい 3月2にち さらばあにじょう 松岡まつおか孝治こうじ 27.6%
だい10かい 3月9にち 初陣ういじん奇跡きせき 小林こばやしたけし 28.3%
だい11かい 3月16にち 花嫁はなよめおこ 松岡まつおか孝治こうじ 26.5%
だい12かい 3月23にち 元就もとなり暗殺あんさつ指令しれい 吉川よしかわ邦夫くにお 23.8%
だい13かい 3月30にち 戦乱せんらん誕生たんじょう 小林こばやしたけし 24.8%
だい14かい 4がつ6にち 巨人きょじんとひよっこ 越智おち篤志あつし 22.6%
だい15かい 4がつ13にち なみだのうっちゃり 渡邊わたなべ良雄よしお 23.4%
だい16かい 4がつ20日はつか おとうと謀反むほん 小林こばやしたけし 24.3%
だい17かい 4がつ27にち すさまじき夜明よあ 24.3%
だい18かい 5月4にち 水軍すいぐん女神めがみ 松岡まつおか孝治こうじ 19.0%
だい19かい 5月11にち おっとこい 23.4%
だい20かい 5月18にち かくおんな いそ智明ともあき 25.1%
だい21かい 5月25にち ひゃくまんいちしん 小林こばやしたけし 22.5%
だい22かい 6月1にち さんほん 24.0%
だい23かい 6月8にち 尼子あまこ襲来しゅうらい 越智おち篤志あつし 22.9%
だい24かい 6月15にち 決戦けっせんぐん山城やましろ 松岡まつおか孝治こうじ 22.0%
だい25かい 6月22にち 尼子あまこ経久つねひさ 22.9%
だい26かい 6月29にち てき亡霊ぼうれい 今井いまい洋一よういち 22.6%
だい27かい 7がつ6にち みちなし 渡邊わたなべ良雄よしお 16.8%
だい28かい 7がつ13にち うみがみたい 小林こばやしたけし 21.6%
だい29かい 7がつ20日はつか 子別こわか 越智おち篤志あつし 20.7%
だい30かい 7がつ27にち さようなら、よし 松岡まつおか孝治こうじ 20.6%
だい31かい 8がつ3にち すぎ極楽ごくらく 小林こばやしたけし 20.6%
だい32かい 8がつ10日とおか 元就もとなりおに いそ智明ともあき 19.7%
だい33かい 8がつ17にち えわたる策略さくりゃく 松岡まつおか孝治こうじ 22.1%
だい34かい 8がつ24にち やみ般若はんにゃ 山本やまもと敏彦としひこ 20.3%
だい35かい 8がつ31にち 最後さいご反逆はんぎゃくしゃ 小林こばやしたけし 24.1%
だい36かい 9月7にち おにのかけひき 松岡まつおか孝治こうじ 22.0%
だい37かい 9月14にち こぼれぼたる 佐野さの元彦もとひこ 24.1%
だい38かい 9月21にち じゅうきゅうさい決断けつだん 小林こばやしたけし 21.7%
だい39かい 9月28にち うらのまたうら 松岡まつおか孝治こうじ 20.0%
だい40かい 10月5にち あらしこそ好機こうき 今井いまい洋一よういち 21.6%
だい41かい 10月12にち 奇襲きしゅう厳島いつくしま 小林こばやしたけし 23.9%
だい42かい 10月19にち 最後さいごおんな 佐野さの元彦もとひこ 21.9%
だい43かい 10月26にち 三子みつご教訓きょうくんじょう 松岡まつおか孝治こうじ 19.8%
だい44かい 11月2にち ぎんおど 小林こばやしたけし 22.1%
だい45かい 11月9にち おとこうつわ 佐野さの元彦もとひこ 20.8%
だい46かい 11月16にち りゅうもと暗殺あんさつ 松岡まつおか孝治こうじ 23.4%
だい47かい 11月23にち とむら合戦がっせん 小林こばやしたけし 21.9%
だい48かい 11月30にち てるもと参上さんじょう 吉川よしかわ邦夫くにお 23.0%
だい49かい 12月7にち さびしき覇者はしゃ 24.9%
最終さいしゅうかい 12月14にち よくき、よく 松岡まつおか孝治こうじ 25.1%
平均へいきん視聴しちょうりつ 23.4%(視聴しちょうりつ関東かんとう地区ちくビデオリサーチしゃ調しらべ)[2]

総集編そうしゅうへん

編集へんしゅう
放送ほうそうかい 放送ほうそう だい 放送ほうそう時間じかん
だい一部いちぶ 12月28にち つまたちのいいぶん 20:00-20:59
だい さんほん 21:15-22:14
だいさん 12月29にち 奇襲きしゅう厳島いつくしま 20:00-20:59
だいよん よくき、よく 21:15-22:14

ソフトウェア

編集へんしゅう

2010ねん現在げんざい総集編そうしゅうへん完全かんぜんばんのDVDが発売はつばいされている。過去かこには総集編そうしゅうへんのVHSも発売はつばいされていた。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 特集とくしゅう そのとき舞台裏ぶたいうらでは…CGデジタル技術でじたるぎじゅつあゆみをかえる NHKアーカイブス
  2. ^ a b ビデオリサーチ NHK大河たいがドラマ 過去かこ視聴しちょうりつデータ
  3. ^ “V6・森田もりたつよしというおとこ 蜷川にながわ幸雄ゆきおさんに「天才てんさい」とわれた演技えんぎりょく. Sponichi Annex. (2021ねん3がつ13にち). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/03/13/kiji/20210312s00041000583000c.html 2021ねん10がつ9にち閲覧えつらん 
  4. ^ 当初とうしょ萬屋よろずや錦之介きんのすけ本来ほんらいならほんさく遺作いさくとなるはずであった)がえんじる予定よていであったが病気びょうきのため降板こうばん緒形おがた代役だいやくつとめた。錦之介きんのすけ同年どうねん死去しきょ経久つねひさ曾孫そうそん義久よしひさ錦之介きんのすけおいである中村なかむら獅童しどうえんじている。
  5. ^ a b 一部いちぶ放送ほうそう日時にちじ変更へんこうあり

外部がいぶリンク

編集へんしゅう
NHK 大河たいがドラマ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
毛利もうり元就もとなり