永江ながえ 一夫かずお(ながえ かずお、1902年ねん(明治めいじ35年ねん)2月がつ1日にち - 1980年ねん(昭和しょうわ55年ねん)4月がつ23日にち)は、日本にっぽんの政治せいじ家か。農林のうりん大臣だいじん(第だい9代だい)、民社党みんしゃとう副ふく書記しょき長ちょうを務つとめた。岐阜ぎふ県けん出身しゅっしん。関西学院かんせいがくいん高等こうとう商業しょうぎょう部ぶ(現在げんざいの関西学院大学かんせいがくいんだいがく)卒業そつぎょう。長男ちょうなんの永江ながえ一仁かずひとは民社党みんしゃとう衆議院しゅうぎいん議員ぎいん・神戸こうべ市し会かい議員ぎいんの永江ながえ一之かずゆきは孫まご(一仁かずひとの長男ちょうなん)。
1929年ねん、神戸こうべ市し会議かいぎ員いんとなる。1937年ねん、第だい20回かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいん総そう選挙せんきょに立候補りっこうほし当選とうせん。以後いご4期き務つとめた。日本にっぽん社会党しゃかいとう右派うはに属ぞくした。1947年ねん、片山かたやま内閣ないかくで文部もんぶ政務次官せいむじかんに就任しゅうにん。1948年ねんに芦田あしだ内閣ないかくで農林のうりん大臣だいじんに就任しゅうにんするも東洋とうよう製粉せいふん事件じけんに絡からみ、11月に国会こっかい議員ぎいんを辞職じしょく。
1960年ねん、民社党みんしゃとう結成けっせいに伴ともない副ふく書記しょき長ちょう、中央ちゅうおう執行しっこう委員いいんに就任しゅうにん。
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