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法実証主義 - Wikipedia

ほう実証じっしょう主義しゅぎ

実証じっしょう主義しゅぎ法学ほうがく応用おうようしたかんがかた

ほう実証じっしょう主義しゅぎ(ほうじっしょうしゅぎ、えい: legal positivism, どく: Rechtspositivismus)は、実証じっしょう主義しゅぎえい: positivism, どく: Positivismus)を法学ほうがく応用おうようしたかんがかたで、経験けいけんてき検証けんしょう可能かのう社会しゃかいてき事実じじつとして存在そんざいするかぎりにおいての実定法じっていほう人定じんていほうのみを法学ほうがく対象たいしょうかんがえる。そのためわかりやすく実定法じっていほう主義しゅぎ(じっていほうしゅぎ)、人定じんていほう主義しゅぎ(じんていほうしゅぎ)などといいかえるものすくなくない。正義まさよし道徳どうとく自然しぜんほうといった形而上けいじじょうてき要素ようそほう必然ひつぜんてき連関れんかん否定ひていし、規範きはん事実じじつ分離ぶんりほう探求たんきゅうにおける前提ぜんていとするため、自然しぜん法学ほうがく対置たいちされる。

ほう哲学てつがくにおけるほう実証じっしょう主義しゅぎるいする思考しこうそのものは、ほとんど普遍ふへん論争ろんそうまでさかのぼることができるが、それを体系たいけいてきまとげた最初さいしょほう哲学てつがくしゃは、イギリスの哲学てつがくしゃジェレミ・ベンサムである。デイヴィッド・ヒューム経由けいゆ事実じじつ価値かち分離ぶんりろんぎ、功利こうり主義しゅぎ立場たちばから自然しぜんほう思想しそうおよコモン・ロー批判ひはんしたベンサムの理論りろんは、ジョン・オースティン主権しゅけんしゃ命令めいれいせつがれ、分析ぶんせきほう学派がくは基礎きそきずくものとなった。このため、分析ぶんせき法学ほうがくがくみつるぎそれを再興さいこうしたハーバート・ハート以来いらいえいべいけいほう哲学てつがくでは、ほう実証じっしょう主義しゅぎがなお有力ゆうりょくであり、ほう哲学てつがくしゃ自己じこ立場たちばほう実証じっしょう主義しゅぎとの異同いどうからあきらかにするかたち提示ていじすることがおおい。

また、ほう実証じっしょう主義しゅぎられる方法ほうほう二元論にげんろん立場たちばを、ヒュームからではなくイマヌエル・カント経由けいゆいだのがハンス・ケルゼンである。しんカントぞくするケルゼンは方法ほうほうろんじょうほう認識にんしきにおける、事実じじつ規範きはん徹底てっていした分離ぶんり要求ようきゅうする。これによって、事実じじつとは完全かんぜんはなされた、純粋じゅんすい規範きはん体系たいけい探求たんきゅうとしての純粋じゅんすい法学ほうがく誕生たんじょうすることになる。

ヒュームをえいべいけいほう実証じっしょう主義しゅぎは、ほう存在そんざい条件じょうけん社会しゃかいてき事実じじつもとめ、価値かち問題もんだいを「あるべきほう」を探求たんきゅうする正義せいぎろんへとさしまわして留保りゅうほするが、カントを大陸たいりくけいほう実証じっしょう主義しゅぎは、ケルゼンにるようにほう内的ないてき体系たいけいせいにおいてほうの「(事実じじつとははなされるべき)規範きはんせい」を強調きょうちょうする。えいべい大陸たいりく両者りょうしゃあいだで、方法ほうほう二元論にげんろんまったことなる形態けいたいをとっていることに、注意ちゅうい必要ひつようであろう。

悪法あくほう問題もんだい

編集へんしゅう

ほう実証じっしょう主義しゅぎには、それが正義せいぎぜんといった価値かちからほうはなしてしまう(「悪法あくほうほうである」※悪法あくほうであってもほうである以上いじょう効力こうりょくがあるとされているあいだはそれをまもらなければならないということを意味いみする)ので、悪法あくほうたいする批判ひはんてき態度たいどうしなわせる、といった批判ひはんがなされ、またほう実証じっしょう主義しゅぎ戦後せんごナチス体制たいせいにおいてあった悪法あくほうへの批判ひはん基礎きそになれなかったとして、自然しぜんほう学派がくはからの批判ひはんにさらされた。グスタフ・ラートブルフ確信かくしんはんろん著名ちょめい

しかし、ほう実証じっしょう主義しゅぎは、ほう概念がいねんろんほう認識にんしき)とほう価値かちろんほう評価ひょうか)との峻別しゅんべつ主張しゅちょうするのみであって、ほう価値かちろん放棄ほうきくものではない。実際じっさい、ベンサムのコモン・ロー批判ひはん、ハートのリーガル・モラリズム批判ひはん、ケルゼンのイデオロギー批判ひはんなど、ほう実証じっしょう主義しゅぎしゃおおくの場合ばあい精力せいりょくてき悪法あくほう批判ひはんしゃでもある。ほう実証じっしょう主義しゅぎは、ほう存在そんざい条件じょうけん社会しゃかいてき事実じじつのみもとめるので、ほうほうであるというだけで遵守じゅんしゅされるべきだとは主張しゅちょうしない。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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