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自然法 - Wikipedia

自然しぜんほう(しぜんほう、えい: natural lawどく: Naturrecht: lex naturalis)とは、人間にんげん理性りせい知性ちせいとおして、事物じぶつ自然しぜん本性ほんしょうえい: natureどく: Natur: naturaまれ: φύσις)からみちびされ、(個別こべつ時代じだいせい地域ちいきせい社会しゃかいせい集団しゅうだんせいといった制限せいげん条件じょうけんえて)人類じんるいにとって共通きょうつう普遍ふへんひろしどおりてきであると、理解りかい受容じゅようされほう倫理りんり総称そうしょうである[1]ふる訳語やくごでは、(儒教じゅきょう用語ようごせいもちいて)せいほう(せいほう)ともばれた。

概要がいよう

編集へんしゅう

自然しぜんほうは、古代こだいギリシアから形成けいせい醸成じょうせいされてきた観念かんねん概念がいねん思想しそうであり、ピュシス自然しぜん)についての観念かんねん思想しそうが、プラトンひとしギリシア哲学てつがくによってロゴスヌース概念がいねんじえた倫理りんり政治せいじ思想しそうへと洗練せんれんされたものである[1]

トマス・アクィナス代表だいひょうされる中世ちゅうせいキリスト教きりすときょう神学しんがくにおいては、自然しぜんほう人間にんげん理性りせい知性ちせい対応たいおう把握はあく分有ぶんゆうできる範囲はんいでの、人類じんるいにとっての普遍ふへんてきほう規範きはんとされ、かみほうとしての永久えいきゅうほう(やかみ定法じょうほう)と、個々ここ人間にんげん社会しゃかい個別こべつてき特殊とくしゅてき人定じんていほう実定法じっていほう)の狭間はざま位置付いちづけられた[1][2]

17世紀せいき18世紀せいき近代きんだい(近世きんせい)政治せいじ思想しそうにおいては、キリストきょう内部ないぶ分裂ぶんれつ退潮たいちょうともなってさい浮上ふじょうさい注目ちゅうもくされることになり、自然しぜん状態じょうたい自然しぜんけん (人権じんけん)・社会しゃかい契約けいやくといった概念がいねん思想しそうともかれ、(「自然しぜん状態じょうたい自然しぜんけん (人権じんけん)」と「自然しぜんほう」が調和ちょうわてき対立たいりつてきか、また「自然しぜんほう」の具体ぐたいてき中身なかみ優先ゆうせん事項じこうなにであるかとうは、論者ろんしゃによって見解けんかい相違そういがあるものの)そうじて「自然しぜんほう」を実現じつげん強化きょうかすることを目的もくてきとして、近代きんだい国家こっか近代きんだい社会しゃかいてきな「社会しゃかい契約けいやく」が主張しゅちょうされた[1]。このように、自然しぜんほう思想しそう概念がいねんは、人間にんげん社会しゃかい宗教しゅうきょうてき権威けんい依存いぞんした中世ちゅうせいてき国家こっかから、合理ごうりてき近代きんだい国家こっかへと脱皮だっぴするさいの「橋渡はしわたし」「だい」として機能きのうした[1]

他方たほうで、19世紀せいき以降いこう近代きんだい法学ほうがく実定法じっていほう主義しゅぎほう実証じっしょう主義しゅぎ)においては、考察こうさつ対象たいしょうがいとされた[1]。またえいまい中心ちゅうしんに、古典こてんてき自由じゆう主義しゅぎ保守ほしゅ主義しゅぎ功利こうり主義しゅぎプラグマティズムといった対抗たいこうてき思潮しちょう提示ていじ醸成じょうせいされた。

(近代きんだい)自然しぜんほう思想しそうは、その性格せいかくじょう理性りせい主義しゅぎ規範きはんろん義務ぎむろん、そして平等びょうどう主義しゅぎ社会しゃかい自由じゆう主義しゅぎリベラル)(さらには社会しゃかい主義しゅぎ共産きょうさん主義しゅぎとう相性あいしょうく、自然しぜんけん人権じんけん思想しそう調整ちょうせい補完ほかんする役割やくわりとして主張しゅちょうされることがおお[3]。したがって、これらに対立たいりつする思想しそう思潮しちょうとは、直接的ちょくせつてき間接かんせつてき対立たいりつすることになる。

内容ないよう変質へんしつ

なお、プラトンアリストテレスひとしによる、古代こだいギリシアにおける自然しぜんほう倫理りんり政治せいじ思想しそうは、『国家こっか』『ティマイオス』や『ニコマコス倫理りんりがくとうべられているように、また哲学てつがく(philo-sophia/あい-)といういとなみの原義げんぎからもかるように、「徳性とくせい知性ちせい)」を特別とくべつ重視じゅうししており、それをたかめて「ぜんのイデア最高さいこうぜん」(デミウルゴス不動ふどうどうしゃ)を頂点ちょうてんとする「イデアてきかみてき自然しぜん秩序ちつじょ」を把握はあくしつつ、人間にんげんとして可能かのうかぎりの幸福こうふく享受きょうじゅすること(ぜん国民こくみん享受きょうじゅさせること)、という明確めいかく究極きゅうきょく目的もくてき目的もくてきろん)のした構築こうちくされており、その実践じっせんてき徳性とくせいとしての中庸ちゅうようや、市民しみんあいだ平等びょうどう高貴こうきうそとうは、そのぜんという究極きゅうきょく目的もくてきへとともかうポリス共同きょうどうたい成立せいりつ維持いじさせるための手段しゅだん方便ほうべんぎない[1]

それにたいして、(古代こだいローマのまん民法みんぽうや、知性ちせいよりも信仰しんこう重視じゅうしする中世ちゅうせいキリスト教きりすときょう神学しんがく経由けいゆしたのちの)近世きんせい近代きんだいにおける自然しぜんほう思想しそう倫理りんり政治せいじ思想しそうでは、「(元来がんらい自然しぜんけん自由じゆうひとしく保有ほゆうする)個人こじんあいだ同等どうとうせい公平こうへいせい平等びょうどうせい尊重そんちょう黄金おうごんりつ)」(としての自然しぜんけん人権じんけん思想しそう自由じゆう主義しゅぎ平等びょうどう主義しゅぎ個人こじん主義しゅぎ)それ自体じたいが、絶対ぜったいてき原則げんそくかつ目的もくてきしており、プラトン・アリストテレスてき究極きゅうきょく目的もくてき(「ぜんなる世界せかい根源こんげん究極きゅうきょく」への知的ちてき実践じっせんてき到達とうたつ)がち、古代こだいギリシア・ローマの民主みんしゅ思想しそうまん民法みんぽう思想しそうてきな(古代こだいギリシアでえば「ノモス」てきな)政治せいじてき要求ようきゅうが、自然しぜんほうとしてあつかわれるようになっているという「内容ないようてき変質へんしつ」がしょうじているてん注意ちゅうい必要ひつようである[1]

古代こだいギリシアにおいては、社会しゃかいてき実定法じっていほう慣習かんしゅうとしての「ノモス」(まれ: νόμος)と対比たいひされるかたちで、自然しぜん本性ほんしょうとしての「ピュシス」(まれ: φύσις)として、自然しぜんほう主張しゅちょうされた[1]神話しんわてき時代じだいにおいては、それはテミスディケーといった女神めがみ象徴しょうちょうされる「自然しぜん秩序ちつじょおきて」として表現ひょうげんされたが、オルペウスきょうピタゴラスエレアひとし影響えいきょうけたプラトンアカデメイア)は、それをぜんのイデア創造そうぞうぬしデミウルゴス)を頂点ちょうてんとする理知的りちてきぜんてきかみてきな「イデアてき秩序ちつじょ」と、たましい内在ないざいする理知的りちてきかみてき性質せいしつもとづいてそれに可能かのうかぎ近接きんせつしようと努力どりょくする人間にんげんがわの「倫理りんりてき政治せいじ思想しそうてき性質せいしつ法則ほうそく原則げんそく」として表現ひょうげんした[1]アリストテレスペリパトス逍遥しょうよう学派がくは)も、それに多少たしょう修正しゅうせいくわえ、最高さいこうぜん不動ふどうどうしゃ)を頂点ちょうてんとする「形而上学けいじじょうがくだいいち哲学てつがくてき秩序ちつじょ」と、そのした人間にんげんふく形相ぎょうそう質料しつりょう結合けつごうたいとしての個物こぶつが、各々おのおの性質せいしつ展開てんかい実現じつげんしようとする動的どうてきな「目的もくてきろんてき自然しぜん」や「倫理りんりがく政治せいじがくてき性質せいしつ法則ほうそく原則げんそく」として表現ひょうげんした[1]ストアもまた、人間にんげん理性りせいちから発揮はっきして、「理性りせいてき自然しぜん」と一致いっちしてきることをいている[4]

古代こだいローマにおいては、領土りょうど拡大かくだいともなって、ローマ市民しみんのみに適用てきようされる市民しみんほう: ius civile)と対比たいひされる、まんにんひとしく適用てきようされるまん民法みんぽう: ius gentium)が整備せいびされるようになり、2世紀せいき法学ほうがくしゃガイウスが『法学ほうがく提要ていよう』の冒頭ぼうとう指摘してきしているように、このまん民法みんぽう当時とうじからすで自然しぜんほう一種いっしゅ反映はんえいあらわれと做されていた[5][6]。(自然しぜんほうまん民法みんぽう市民しみんほうとの関連かんれんろんじた古代こだいローマの法学ほうがくしゃとしては、ウルピアヌスパウルスひとしられている[7]。)

中世ちゅうせい

編集へんしゅう

中世ちゅうせいにおいては、上記じょうきしたギリシア哲学てつがくによって醸成じょうせいされた「かみ理法りほう」と「ひと理法りほう」、そしてローマほうによって醸成じょうせいされた「まん民法みんぽう」と「市民しみんほう」の概念がいねん分類ぶんるい継承けいしょうされたが、アウグスティヌストマス・アクィナス代表だいひょうされるキリスト教きりすときょう神学しんがくものたちによって、ここにさらに、残余ざんよの「理知的りちてき宗教しゅうきょうてき信仰しんこうてき領域りょういき」(古代こだいギリシアにおいては神託しんたく供物くもつ領域りょういき)を補充ほじゅうするほうとして、キリストきょう特有とくゆう聖書せいしょてき啓示けいじ教会きょうかいほうといった宗教しゅうきょうてき要素ようそが「かみ定法じょうほう」(: lex divina)といった概念がいねんとしてくわえられた[2]

こうしてトマスの『神学しんがく大全たいぜんだい2-1の90番台ばんだい言及げんきゅうされているように、

といった古典こてんてきほう分類ぶんるいがまとめられた。

他方たほうで、普遍ふへん論争ろんそうにおいては、トマスとうの「じつねんろん」(普遍ふへん優位ゆうい)が、「唯名論ゆいめいろん」(個物こぶつ優位ゆうい)にされて影響えいきょうりょくうしなったことにより、個物こぶつ自然しぜんけん)のがわから自然しぜんほうてて近代きんだい(近世きんせい)てき自然しぜん法論ほうろん土壌どじょう用意よういされることになった[1]

近世きんせい近代きんだい

編集へんしゅう

15世紀せいきから17世紀せいきにかけての、だい航海こうかい時代じだいによる欧州おうしゅう域外いきがいでの植民しょくみん通商つうしょう拡大かくだい宗教しゅうきょう改革かいかく、それらにからんだ紛争ふんそう戦争せんそう革命かくめい発生はっせいさらにはルネサンス科学かがく革命かくめい理性りせい主義しゅぎ台頭たいとうといった、まぐるしい環境かんきょう変化へんかにより、中世ちゅうせいのようにキリスト教きりすときょう(カトリック)やそのかみ概念がいねん権威けんい共通きょうつう基盤きばんとして機能きのうしなくなったことで、(古代こだいギリシアや領土りょうど拡大かくだい古代こだいローマのように)ふたた自然しぜんほう(やまん民法みんぽう、あるいは自然しぜん状態じょうたい自然しぜんけんおよ理性りせい)が、思想しそうてき共通きょうつう基盤きばんとして注目ちゅうもく言及げんきゅう称揚しょうようされるようになった。

トマスの自然しぜんほうまん民法みんぽう思想しそうを、スペイン法学ほうがくしゃであるビトリアスアレスひとし経由けいゆして継承けいしょうしたオランダ法学ほうがくしゃグローティウスは、『自由じゆううみろん』『戦争せんそう平和へいわほう』などで、航行こうこう通商つうしょう戦争せんそうといった国際こくさい関係かんけいかんして、自然しぜんほうまん民法みんぽうてき慣行かんこう慣習かんしゅうほう)をからめつつ、あるべき国際こくさいてきほう秩序ちつじょ主張しゅちょうしたことで、「国際こくさいほうちち」とひょうされるようになった[8]

他方たほうで、国内こくない清教徒せいきょうと革命かくめい名誉めいよ革命かくめいといった市民しみん革命かくめいしょうじたイギリスでは、ホッブズジョン・ロックによって、国内こくない秩序ちつじょ統治とうちのありかたについて、自然しぜんほう(や自然しぜん状態じょうたい自然しぜんけん社会しゃかい契約けいやく)をからめた主張しゅちょうされ、近代きんだい国家こっか近代きんだい社会しゃかいのありかためぐ近代きんだい政治せいじ思想しそう嚆矢こうしとなった。

かれらの自然しぜんほう思想しそうは、ルソーカントとうへとがれて補強ほきょうされつつ、人類じんるい近代きんだい国家こっか近代きんだい社会しゃかいへと移行いこうしていくうえでのいしずえとなった。

その自然しぜんほう思想しそうやそれにるいする倫理りんりがく道徳どうとく哲学てつがく政治せいじ哲学てつがくは、ヘーゲルマルクスひとし経由けいゆしつつ、20世紀せいき大陸たいりく哲学てつがく分析ぶんせき哲学てつがく、いわゆる現代げんだい哲学てつがくへと継承けいしょうされ、東西とうざい冷戦れいせん背景はいけい多様たよう議論ぎろんおこなわれた。

しかし元来がんらい、「公平こうへいさ」を主張しゅちょうするだけの抽象ちゅうしょうてき規範きはんとしての性格せいかくつよ近代きんだい自然しぜんほう思想しそうは、とく20世紀せいき以降いこう価値かちかんとシステムの多様たよう複雑ふくざつすす近代きんだい社会しゃかいにおいて、具体ぐたいてき必要ひつようせい政治せいじてき経済けいざいてき社会しゃかいてき要請ようせい需要じゅよう)のざらとして肥大ひだいつづける自然しぜんけん人権じんけん思想しそう実定法じっていほう各種かくしゅ事業じぎょう産業さんぎょう統計とうけいデータ解析かいせきひとしとは対照たいしょうてきに、具体ぐたいせい実用じつようせいとぼしく、用途ようと主張しゅちょうするかぎられるため、社会しゃかいてき影響えいきょうりょくうしなわれてきている[1]

ホッブズの自然しぜんほう

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ホッブズは、『リヴァイアサンだい13しょうだい15しょう叙述じょじゅつにおいて、「理性りせいによって要請ようせい把握はあくされる人倫じんりん普遍ふへんてき規範きはん」としての「自然しぜんほう」(: lex naturalis)と、「各人かくじん自己じこ裁量さいりょうけん自由じゆう)」としての「自然しぜんけん」(: ius naturale)を、対立たいりつてきあつかう。

そして、各人かくじんの「自然しぜんけん自由じゆう)」行使こうし相互そうご干渉かんしょう衝突しょうとつによってしょうじる「まんにんまんにんたいする闘争とうそう」としての「自然しぜん状態じょうたい」から脱却だっきゃくすべく、理性りせいによって要請ようせい把握はあくされる「自然しぜんほう」として、

  • 1. あらゆる手段しゅだんもちいた平和へいわへの努力どりょく(あるいは自己じこ防衛ぼうえい
  • 2. そのための自然しぜんけん自由じゆう)の自主じしゅてき放棄ほうき譲渡じょうと
  • 3. その契約けいやく社会しゃかい契約けいやく)の履行りこう
  • 4. それにたいする報恩ほうおん
  • 5. 協調きょうちょうへの努力どりょく
  • 6. 他者たしゃあらためにたいする赦(ゆる)し
  • 7. ぜん矯正きょうせい教導きょうどう)を目的もくてきとした刑罰けいばつ
  • 8. 傲慢ごうまん他者たしゃへの嫌悪けんお侮蔑ぶべつ)の抑制よくせいつつし
  • 9. おもがり(優越ゆうえつ意識いしき)の抑制よくせい平等びょうどうせい他者たしゃ感情かんじょうへの意識いしき
  • 10. 尊大そんだい他者たしゃ以上いじょう権利けんり要求ようきゅう)の抑制よくせい
  • 11. 公平こうへい裁定さいてい平等びょうどう配分はいぶん
  • 12. 公共こうきょうぶつ平等びょうどう利用りよう
  • 13. 分割ぶんかつ共有きょうゆうできないものについてのくじ決定けってい
  • 14. 「自然しぜんのくじき」としての長子ちょうし相続そうぞく
  • 15. 「平和へいわてき仲裁ちゅうさいしゃ」にたいする身辺しんぺん安全あんぜん保障ほしょう
  • 16. 調停ちょうていしゃ判決はんけつへの服従ふくじゅう
  • 17. 自身じしん利害りがいかんする調停ちょうていしゃになることの禁止きんし
  • 18. 自身じしん利害りがい関係かんけいしゃかんする調停ちょうていしゃになることの禁止きんし
  • 19. 当事とうじしゃたちの証言しょうげん排除はいじょだい3しゃ証言しょうげん採用さいよう
  • そうじてえば「おのれほっせざるところひとほどこすなかれ(黄金おうごんりつ

といった内容ないようげつつ、自然しぜんけん譲渡じょうと社会しゃかい契約けいやくによる国家こっかコモンウェルス)と秩序ちつじょ平和へいわ形成けいせいいている。

ロックの自然しぜんほう

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ロックは、『統治とうちろんだいろんにおいて、自然しぜんほう内容ないよう具体ぐたいてきにはべないものの、それを(公平こうへいさとしての)理性りせい(てき思考しこう)と同一どういつし、自然しぜん状態じょうたいにおいてもそれは機能きのうしており、各人かくじんはその自然しぜんほう理性りせい)の範囲はんいないで、おもうままに自己じこ身体しんたい所有しょゆうぶつしょする自由じゆう(としての自然しぜんけん)を、平等びょうどう保有ほゆう行使こうししていると主張しゅちょうする(だい2しょう)。

また、そのような自然しぜん状態じょうたいでは、各人かくじん自然しぜんほう執行しっこうする権利けんり自然しぜんほう侵犯しんぱんしゃ処罰しょばつする権利けんり)もゆうする(だい2しょう)。

しかし、自然しぜん状態じょうたいでは、だい部分ぶぶんもの公正こうせい厳格げんかく遵守じゅんしゅしゃではなく、とくに、

  • 恒常こうじょうてき公知こうちな「制定せいていほう
  • 衆知しゅうち公正こうせいな「裁判官さいばんかん
  • 判決はんけつの「執行しっこう権力けんりょく

欠如けつじょしているがゆえに、生命せいめい自由じゆう財産ざいさんといったプロパティ(固有こゆうけん所有しょゆうけん財産ざいさんけん)の享受きょうじゅといった自然しぜんけん保証ほしょう自然しぜんほう執行しっこう)が不安定ふあんてい確実かくじつなので、その「プロパティ(固有こゆうけん所有しょゆうけん財産ざいさんけん)の保全ほぜん」を目的もくてきとして、ひと自然しぜん状態じょうたい放棄ほうきし、共同きょうどうして統治とうち権力けんりょく政治せいじてき共同きょうどうたい形成けいせいしたり、そこへと参画さんかくするのだと主張しゅちょうする(だい9しょう)。

また、その統治とうち権力けんりょくかんしては、立法りっぽう権力けんりょく執行しっこう権力けんりょく分離ぶんり主張しゅちょうされる(だい12しょう)。

そして、その「プロパティ(固有こゆうけん所有しょゆうけん財産ざいさんけん)の保全ほぜん」という目的もくてき自然しぜんほうおか支配しはいしゃたいしては、抵抗ていこうすることがゆるされる(抵抗ていこうけん)とも主張しゅちょうされる(だい18しょう-だい19しょう)。

このように、自然しぜんほう達成たっせい強化きょうかのための社会しゃかい契約けいやく議論ぎろんでは、ホッブズは「生命せいめい平和へいわ」をそのしゅたる目的もくてきとする素朴そぼくなものだったのが、ロックでは生命せいめい自由じゆう財産ざいさんなどをひっくるめた「プロパティ(固有こゆうけん所有しょゆうけん財産ざいさんけん)」が目的もくてきとなり、権力けんりょく分立ぶんりつや、抵抗ていこうけん明記めいきされるなど、近代きんだい政治せいじ思想しそう近代きんだい社会しゃかい思想しそうとしてだいぶ洗練せんれんされてきている。

ルソーの自然しぜんほう

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ルソーにおいては、「社会しゃかいてき公平こうへいさ」としての自然しぜんほうは、「一般いっぱん意志いし普遍ふへん意志いし)」という概念がいねんえられている[9]

ルソーの社会しゃかい契約けいやくにおいてかれる「一般いっぱん意志いし普遍ふへん意志いし)」は、個別こべつてき私利しり私欲しよく志向しこうとしての「特殊とくしゅ意志いし」や、その合成ごうせい総和そうわとしての「全体ぜんたい意志いし」とはことなり、つねに「公平こうへい公益こうえき」をほう社会しゃかいへと強制きょうせいすることが期待きたいされる。

カントの自然しぜんほう

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カントにおいては、「社会しゃかいてき公平こうへいさ」としての自然しぜんほうは、「道徳どうとく法則ほうそく」という概念がいねんえられている。

カントの実践じっせん理性りせいめぐ議論ぎろんにおいては、「つね普遍ふへんてき法則ほうそく妥当だとうするかたち意志いし行為こういせよ」というていげんいのちほう道徳どうとく法則ほうそくによって、理性りせいてき存在そんざいしゃたがいの人格じんかく目的もくてきとして尊重そんちょうって結合けつごうする、目的もくてきくに主張しゅちょうされる[10]

自然しぜんほう」とは、事物じぶつ自然しぜん本性ほんしょうからみちびされるほう総称そうしょうである。 したがって、この概念がいねんしゅとして人類じんるい人間にんげん社会しゃかい念頭ねんとういて使用しようする場合ばあい、「倫理りんり」と多分たぶん意味いみ内容ないよう重複じゅうふくする概念がいねんとなる。自然しぜんほう実在じつざいするという前提ぜんていから出発しゅっぱつし、それをなんらかのかたち実定法じっていほう秩序ちつじょ関連かんれんづける法理ほうりろんは、自然しぜん法論ほうろんばれる。

自然しぜんほうには、原則げんそくてき以下いか特徴とくちょうられる。ただしいずれにも例外れいがいてき理論りろん存在そんざいする。

  1. 普遍ふへんせい自然しぜんほう時代じだい場所ばしょ関係かんけいなく妥当だとうする。
  2. 不変ふへんせい自然しぜんほう人為じんいによって変更へんこうされえない。
  3. 合理ごうりせい自然しぜんほう理性りせいてき存在そんざいしゃ自己じこ理性りせいもちいることによって認識にんしきされえる。

自然しぜんほうほうげんとその認識にんしき原理げんり

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ほうげん

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自然しぜんほうほうげんは、ケルゼン分類ぶんるいしたがうならば、かみ自然しぜんないし理性りせいである[11]ギリシャ哲学てつがくからストアまでの古代こだい自然しぜん法論ほうろんにおいては、これらのほうげん渾然一体こんぜんいったいとなっている。

ほうげんとしてのかみ

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かみ人間にんげん自然しぜん本性ほんしょうつくしゅとして想定そうていされるとき、自然しぜんほう究極きゅうきょくほうげんかみとなる。このことは理性りせいにもあてはまり、かみ人間にんげん理性りせいあたえたことが強調きょうちょうされるときは、合理ごうりてきほうとしての自然しぜんほう究極きゅうきょくほうげんもまたかみとなる。この傾向けいこうとくキリスト教きりすときょう自然しぜん法論ほうろんにおいて顕著けんちょである。たとえば、アウグスティヌスにとって、自然しぜんほうほうげんかみ理性りせいないし意思いしであった[12][13]。また、トマス・アキナスにとって、自然しぜんほうとは宇宙うちゅう支配しはいするかみ理念りねんたる永久えいきゅうほう一部いちぶである[14][15]

ほうげんとしての自然しぜん

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ここで自然しぜんとは、自然しぜん本性ほんしょう一般いっぱんのことではなく、外的がいてき自然しぜん環境かんきょうのことである。外的がいてき自然しぜん自然しぜんほうほうげんとなるのは、もっぱ外的がいてき自然しぜん環境かんきょう人間にんげん自然しぜん本性ほんしょうとの連続れんぞくせい強調きょうちょうされるときである。これはとりわけヘラクレイトスおよびストア自然しぜん法論ほうろんにおいてられ、そこでは自然しぜんがく倫理りんりがくとが連続れんぞくせいたもっている。このような場合ばあいには、自然しぜん法則ほうそく自然しぜんほうがほとんど同義どうぎかたられることがおおく、なんらかの傾向けいこうせいたとえば結婚けっこん普通ふつう雌雄しゆうおこなわれることなど)が自然しぜんほうとされることもある。

自然しぜんほうとは、自然しぜんすべての動物どうぶつおしえたほうである。なぜなら、このほうは、人類じんるいのみに固有こゆうのものではなく、陸海りくかいきるすべての動物どうぶつおよび空中くうちゅう鳥類ちょうるいにも共通きょうつうしているからである。雌雄しゆう結合けつごう、すなわち人類じんるいにおけるいわゆる婚姻こんいんは、実際じっさいにこのほうにもとづく。子供こども出生しゅっしょう養育よういくもそうである。なぜなら、わたしみとめるところによれば、動物どうぶつ一般いっぱんが、たとえ野獣やじゅうであっても、自然しぜんほう知識ちしきあたえられているからである。 — 『学説がくせつ彙纂』だい1かんだい1しょうだい1法文ほうぶんだい3こう[16]

人間にんげん自然しぜん本性ほんしょう理性りせいてきであるとする立場たちばかられば、理性りせいもまた自然しぜんほうほうげんとなる。とく理性りせい自然しぜんほうほうげんとして独立どくりつさせたのは、近世きんせい自然しぜん法論ほうろんしゃたちである。かれらは自然しぜんほうただしい理性りせい命令めいれい定義ていぎして、かみてき要素ようそをそこからのぞいている。純粋じゅんすい理性りせい自然しぜんほうほうげんとなるときには、自然しぜんほう実定法じっていほう以外いがい合理ごうりてきほう意味いみする。この特徴とくちょうはとりわけホッブズられ、かれ自然しぜんほうを、たん人間にんげん合理ごうりてき思考しこうし、その自然しぜん本性ほんしょうとしてのへの恐怖きょうふにもとづいて意思いしれるであろうほうかいしている。

自然しぜんほう認識にんしき原理げんり

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自然しぜんほうほうげん制定せいていほう判例はんれいほうでない以上いじょう、その認識にんしき手段しゅだんつね問題もんだいとなる。基本きほんてきに、自然しぜんほう認識にんしき原理げんりは、そのほうげん種類しゅるいにかかわらず理性りせいであるとわれる。すなわち、自然しぜんほうちょう自然しぜんてき存在そんざいによってつくられたものであろうとなかろうと、それを発見はっけんするのは人間にんげん理性りせいである。理性りせい人間にんげん自然しぜん本性ほんしょうである以上いじょう合理ごうりてき思考しこう自然しぜんほう認識にんしきにとって不可欠ふかけつとなる。ストアにとって倫理りんりがく論理ろんりがく自然しぜんがくうえつものであり、密接みっせつ不可分ふかぶんである[17]

義務ぎむつぎのように定義ていぎされる。「せいにおける整合せいごうてきなことで、それが実行じっこうされたときに合理ごうりてき説明せつめいされることである」。これとは反対はんたいのことは義務ぎむはんすることである。これは、ロゴスてき動物どうぶつにもおよぶ。なぜなら、それらも、それ自身じしん自然しぜん本性ほんしょう整合せいごうてきなんらかのはたらきをしているからである。理性りせいてき動物どうぶつ場合ばあいは、つぎのように説明せつめいされる。「せいにおける整合せいごうてきなこと」。 — ストバイオス『抜粋ばっすいしゅうだい2かん7-8[18]

これにたいして、自然しぜんほう人間にんげんには直接的ちょくせつてきには認識にんしき不可能ふかのうであるという立場たちばからは、なんらかの補助ほじょ手段しゅだんもちいることが要求ようきゅうされる。その場合ばあいキリスト教きりすときょう自然しぜん法論ほうろんは、かみからの啓示けいじ重視じゅうしする。それは、もっぱ新約しんやく聖書せいしょおよび旧約きゅうやく聖書せいしょからられる指図さしずである。典型てんけいてき啓示けいじは、モーセ十戒じっかいである。

自然しぜんほうとそのほうとの関係かんけい

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慣習かんしゅうほうとの関係かんけい

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すで初期しょきストアクリュシッポスが、ノモス慣習かんしゅう)とピュシス自然しぜん本性ほんしょう)を対置たいちし、後者こうしゃ前者ぜんしゃ優位ゆういさせる[19]。ローマ・ストア思想しそう影響えいきょうされたキケロは、自然しぜんほうほうげん理性りせいもとめながらつぎのようにべている。

つぎはもっともおろかな見解けんかいである。すなわち、国民こくみん習慣しゅうかんほうによってさだめられていることはすべてただしいとかんがえることである。僭主せんしゅほうでもただしいのか。…(中略ちゅうりゃく)…人間にんげん共同きょうどうたいひとつにむすびつけているただしさはひとつであり、それをさだめたのはひとつのほうであり、このほうめいじたりきんじたりするただしい理性りせいだからである。このほうらないひとは、このほうかれているところがどこかにあろうとなかろうと、不正ふせいひとである。 — キケロ『法律ほうりつについて』だい1かん42[20]

トマス・アクィナスかみ意思いし自然しぜんほうほうげんとしながら、つぎのようにべる。

自然しぜんほうならびにかみほうかみてき意志いしから発出はっしゅつするものであるから、人間にんげん意志いしから発出はっしゅつするところの慣習かんしゅうによっては改変かいへんされえないものであり、ただかみてき権威けんいによってのみ改変かいへんされることが可能かのうである。したがって、いかなる慣習かんしゅうといえどもかみほう自然しぜんほうはんしてほうたるのちから獲得かくとくすることはできない。 — 『神学しんがく大全たいぜんだい2の1だい97問題もんだいだい3こう[21]

グロチウス自然しぜんほうまん民法みんぽうとを区別くべつしながら[22]まん民法みんぽうとは「時代じだい慣習かんしゅう創造そうぞうである」という[23]

これにたいして、歴史れきしほう学派がくはカール・フォン・サヴィニーは、自然しぜんほうかく民族みんぞくについて相対そうたいしながら、自然しぜんほう慣習かんしゅうほうとをかなり接近せっきんさせる[24]

実定法じっていほうとの関係かんけい

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自然しぜんほう実定法じっていほうとの関係かんけいにはおもに2種類しゅるいあり、ひとつは授権関係かんけい、ひとつは補完ほかん関係かんけいである。前者ぜんしゃ場合ばあい自然しぜんほう実定法じっていほうたいする授権しゃとなり、自然しぜんほうはんする実定法じっていほう原則げんそくてき失効しっこうする。ただし、正当せいとう理由りゆうがあるときには、このかぎりでない。正当せいとう理由りゆうとしては、堕落だらくした人類じんるい自然しぜんほうじょう義務ぎむ完遂かんすいできないことなどがげられる。他方たほうで、後者こうしゃ場合ばあい自然しぜんほう実定法じっていほうかけかけしている領域りょういきおぎなうことになり、そのもっと重要じゅうよう適用てきよう領域りょういきは、国際こくさい関係かんけいとされていた。これは、とく近代きんだいにおいて、国際こくさい関係かんけい規律きりつするルールが非常ひじょうおおくのてん整備せいびされていなかったからである。今日きょうにおいては、非常ひじょう多数たすう国際こくさい条約じょうやく締結ていけつされており、かならずしもそのかぎりではないが、学説がくせつじょう自然しぜんほう復権ふっけんうったえるもの[25]なかにはられる。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 自然しぜんほうとは - コトバンク
  2. ^ a b かみほうとは - コトバンク
  3. ^ 自然しぜんけん - コトバンク
  4. ^ ストアとは - コトバンク
  5. ^ まん民法みんぽうとは - コトバンク
  6. ^ 長谷川はせがわ史明ふみあきガーイウス『法学ほうがく提要ていよう』のほう思想しそうてき意義いぎ」『ほう哲学てつがく年報ねんぽうだい1996かん日本にっぽんほうあきら学会がっかい、1997ねん、129-136ぺーじdoi:10.11205/jalp1953.1996.129ISSN 0387-2890CRID 1390001205302775296 
  7. ^ 塚原つかはら義央よしなか古代こだいローマにおける自然しぜんほう思想しそう研究けんきゅう : ius naturaleとius gentiumとの関係かんけいについて」『創価大学そうかだいがく大学院だいがくいん紀要きようだい30かん創価大学そうかだいがく大学院だいがくいん、2008ねん12月、71-87ぺーじhdl:10911/3468ISSN 0388-3035CRID 1050845763308089344 
  8. ^ 伊藤いとう不二男ふじおルネッサンスまん民法みんぽう思想しそう」『ほう哲学てつがく年報ねんぽうだい1962かん日本にっぽんほうあきら学会がっかい、1963ねん、176-178ぺーじdoi:10.11205/jalp1953.1962.176ISSN 0387-2890CRID 1390001205303898112 
  9. ^ 一般いっぱん意志いしとは - コトバンク
  10. ^ 目的もくてきくに - コトバンク
  11. ^ ハンス・ケルゼンちょ黒田くろださとし長尾ながお龍一りゅういちやく自然しぜん法論ほうろんほう実証じっしょう主義しゅぎ木鐸ぼくたくしゃ、1973ねん、p.11.
  12. ^ Augustinus. Contra Faustum. lib.22. §.27.
  13. ^ Deane, Herbert A (1963). The political and social ideas of St. Augustine. Columbia University Press. p. 87. doi:10.7312/dean93962. https://www.degruyter.com/document/doi/10.7312/dean93962/html 
  14. ^ トマス・アキナス『神学しんがく大全たいぜんだい2の1だい91問題もんだいだい1こう
  15. ^ トマス・アキナス『神学しんがく大全たいぜんだい2の1だい91問題もんだいだい2こう
  16. ^ 訳出やくしゅつにあたっては、(Justinian I, Emperor of the East; 春木はるき, 一郎いちろう學説がくせつ彙纂Πぱいρろーωおめがτたうαあるふぁ [學説がくせつ彙纂プロータ]有斐閣ゆうひかく、1938ねん、60-61ぺーじCRID 1130000797323840128https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I083350955-00 参考さんこうにした。
  17. ^ Long, A. A.; 金山かなやま弥平やへい『ヘレニズム哲学てつがく : ストア、エピクロス懐疑かいぎ京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、2003ねん、271ぺーじISBN 9784876986132NCID BA62569920全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:20424814 
  18. ^ 初期しょきストア断片だんぺんしゅう4』, p. 162-163.
  19. ^ 初期しょきストア断片だんぺんしゅう4』, p. 362.
  20. ^ 初期しょきストア断片だんぺんしゅう4』, p. 196.
  21. ^ トマス・アクィナスちょ稲垣いながき良典よしのりわけ神学しんがく大全たいぜん だい14さつ』、そうぶんしゃ昭和しょうわ52ねん、p.133.
  22. ^ グロチウスちょいちまた正雄まさおやく戦争せんそう平和へいわほういわおまつどう昭和しょうわ15ねん、p.22-23.
  23. ^ グロチウスちょいちまた正雄まさおやく戦争せんそう平和へいわほういわおまつどう昭和しょうわ15ねん、p.59.
  24. ^ 矢崎やさき光圀みつくに歴史れきしほう学派がくは」『法学ほうがくセミナー』1957ねん5ごう日本にっぽん評論ひょうろんしゃ、p.8-9.
  25. ^ Hall,S., "The Persistent Spectre: Natural Law, International Order and the Limits of Legal Positivism", European Journal of International Law, Vol.12, No.2, 2001, pp.269-307.

参考さんこう文献ぶんけん

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中川なかがわ純男すみお, 山口やまぐち義久よしひさクリュシッポス『初期しょきストア断片だんぺんしゅう4』(ともやく)京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、2005ねん、162-163ぺーじISBN 4876981582全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:20752279https://cir.nii.ac.jp/crid/1130282272105186560 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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