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トマス・アクィナス - Wikipedia

トマス・アクィナス

イタリアの神学しんがくしゃ哲学てつがくしゃ (1225?-1274)

トマス・アクィナス: Thomas Aquinas1225ねんごろ - 1274ねん3月7にち)は、中世ちゅうせいヨーロッパイタリア神学しんがくしゃ哲学てつがくしゃシチリア王国おうこく出身しゅっしんドミニコかい。『神学しんがく大全たいぜん』でられるスコラがく代表だいひょうてき神学しんがくしゃである。

トマス・アクィナス
トマス・アクィナスぞう、15世紀せいき、カルロ・クリヴェッリさく
生誕せいたん 1225ねんころ
シチリア王国の旗 シチリア王国おうこくロッカセッカ
死没しぼつ 1274ねん3月7にち
シチリア王国おうこく・フォッサノヴァ
崇敬すうけいする教派きょうは カトリック教会きょうかいせい公会こうかい
列聖れっせい 1323ねん7がつ18にち
列聖れっせい場所ばしょ フランスの旗 フランス アヴィニョン
列聖れっせい決定けっていしゃ ヨハネス22せい
主要しゅよう聖地せいち フランス・トゥールーズジャコバン教会きょうかい英語えいごばん
記念きねん 1がつ28にち
守護しゅご対象たいしょう カトリック学校がっこう大学だいがく[1]
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トマス・アクィナス
別名べつめい Doctor Angelicus (かみ使つかいのような博士はかせ)
時代じだい 中世ちゅうせい哲学てつがく
地域ちいき 西洋せいよう哲学てつがく
出身しゅっしんこう モンテ・カッシーノ修道院しゅうどういん
ナポリ大学だいがく
パリ大学だいがく
学派がくは スコラがく
トマス主義しゅぎ
アリストテレス主義しゅぎ
主知しゅち主義しゅぎ
実在じつざいろん
en:Moderate realism
素朴そぼく実在じつざいろん
とく倫理りんりがく
自然しぜんほう
真理しんり対応たいおうせつ[2]
研究けんきゅう分野ぶんや
おも著作ちょさく
おも概念がいねん
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カトリック教会きょうかいせい公会こうかいでは聖人せいじん、カトリック教会きょうかい教会きょうかい博士はかせ33にんのうち1にんイタリアではトンマーゾ・ダクイーノ (Tommaso d'Aquino) とも表記ひょうきされる。

生涯しょうがい

編集へんしゅう

1225ねんごろ、トマスはみなみイタリアの貴族きぞくいえまれた。ははテオドラはかみきよしマ帝国まていこくホーエンシュタウフェンいえにつらなる血筋ちすじであった。まれたのはランドルフはくであった父親ちちおや居城きょじょうナポリ王国おうこくアクイーノ近郊きんこうロッカセッカしろであるとかんがえられている。伯父おじのシニバルドはモンテ・カッシーノ修道院しゅうどういん院長いんちょうをしていたため、やがてトマスもそこで院長いんちょうとして伯父おじのちぐことが期待きたいされていた。修道院しゅうどういんにはいって高位こうい聖職せいしょくしゃとなることは貴族きぞく子息しそくたちにはありがちなキャリアであった[7]

こうして5さいにして修道院しゅうどういんにあずけられたトマスはそこでまなび、ナポリ大学だいがくると両親りょうしん期待きたい裏切うらぎってドミニコかい入会にゅうかいした。ドミニコかい当時とうじフランシスコかいとも中世ちゅうせい初期しょき教会きょうかい制度せいどへの挑戦ちょうせんともいえるしん機軸きじくした修道しゅうどうかいであり、同時どうじ新進しんしん気鋭きえいかいとして学会がっかいをリードする存在そんざいであった。家族かぞくはトマスがドミニコかいはいるのをよろこばず、強制きょうせいてきにサン・ジョバンニじょう家族かぞくもとかえり、いちねん以上いじょうそこで軟禁なんきんされて翻意ほんいうながされた。初期しょき伝記でんきによれば、家族かぞくわか女性じょせいおくみ、トマスを誘惑ゆうわくさせたが、トマスはそれをはらった[8]

ついに家族かぞくれてドミニコかい入会にゅうかいゆるされるとトマスはケルンまなび、そこで生涯しょうがいとあおいだアルベルトゥス・マグヌス出会であった。おそらく1244ねんごろのことである。1245ねんにはアルベルトゥスとともパリ大学だいがくおもむき、3ねん同地どうちですごし、1248ねんふたたにんでケルンへもどった。アルベルトゥスの思考しこうほう学問がくもんのスタイルはトマスにおおきな影響えいきょうあたえ、トマスがアリストテレスの手法しゅほう神学しんがく導入どうにゅうするきっかけとなった[9]。トマスは非常ひじょう観念かんねんてき価値かちかん人物じんぶつであり、どう時代じだいひとおなじようにせいなるものとあくなるものをはっきりと区別くべつするものの見方みかたをしていた。あるとき、自然しぜん科学かがく興味きょうみがあったアルベルトゥスがトマスに自動じどう機械きかいなるものをしめすと、トマスは悪魔あくまてきであるとしてこれを批判ひはんした。

1252ねんにドミニコかいから教授きょうじゅ候補こうほとしての推薦すいせんけてパリにおもむき、規定きていのっと講師こうしとしてすうねん講義こうぎおこなうことで学位がくい教授きょうじゅ認可にんか)を取得しゅとくしようとしたが、当時とうじパリ大学だいがく教授きょうじゅかい托鉢たくはつ修道しゅうどうかいたいして敵対てきたいてきであり、学位がくい取得しゅとく長引ながびいた[10]講師こうしとして教鞭きょうべんりながら取得しゅとくったトマスは1256ねん学位がくい取得しゅとくしてパリ大学だいがく神学しんがく教授きょうじゅとなり[11]1257ねんには正式せいしき教授きょうじゅかいむかれられた[12]1259ねんにはヴァランシエンヌでおこなわれたドミニコかい総会そうかい代表だいひょうとして出席しゅっせきした[13]

1259ねんにパリ大学だいがく辞任じにんしたのちイタリアにもどり、1261ねんごろにはオルヴィエートのドミニコかい修道院しゅうどういん教鞭きょうべんりつつ、教皇きょうこうウルバヌス4せいねがいによって聖書せいしょ註解ちゅうかい神学しんがく研究けんきゅうおこなった[14]。1265ねんにはドミニコかいいのちにより、ローマサンタ・サビーナ聖堂せいどう神学しんがく大学だいがく設立せつりつした[15]

1269ねんふたたびパリ大学だいがく神学しんがく教授きょうじゅになり、シゲルス中心ちゅうしんとするラテンアヴェロエスや、ジョン・ペッカムを中心ちゅうしんとするアウグスティヌス論争ろんそうひろげる[16]どう時代じだい人々ひとびと記録きろくによるとトマスは非常ひじょうふとった大柄おおがら人物じんぶつで、いろくろでありあたまははげ気味ぎみであったという。しかし所作しょさ端々はしばしそだちのよさがうかがわれ、非常ひじょうしたしみやすい人柄ひとがらであったらしい[17]議論ぎろんにおいても逆上ぎゃくじょうしたりすることなくつね冷静れいせいで、論争ろんそうしゃたちもその人柄ひとがらにほれこむほどであったようだ[18]記憶きおくりょく卓抜たくばつで、いったん研究けんきゅう没頭ぼっとうするとわれをわすれるほど集中しゅうちゅうしていたという[19]。そしてひとたびかれはなはじめるとその論理ろんりのわかりやすさと正確せいかくさによってつよ印象いんしょうあたえていた。

1272ねんフィレンツェ教会きょうかい会議かいぎにおいて、トマスは、ローマ管区かんくない任意にんい場所ばしょ神学しんがく大学だいがく設立せつりつするようにもとめられ、温暖おんだん故郷こきょうナポリをえらび、著作ちょさく専念せんねんして思想しそう集大成しゅうたいせいつとめるようになった[20]

 
トマスの遺骨いこつおさめたジャコバン教会きょうかい祭壇さいだん

1274ねん初頭しょとう教皇きょうこうだい2リヨンおおやけ会議かいぎへの出席しゅっせき要請ようせいした。トマスは健康けんこう状態じょうたいすぐれなかったが、これを快諾かいだくし、ナポリからリヨンかった。しかし、道中どうちゅう健康けんこう状態じょうたいがいし、ドミニコかい修道院しゅうどういん最期さいごむかえたいとねがったが、かなわずソンニーノちかいフォッサノヴァ(現在げんざいプリヴェルノ一部いちぶ)のシトーかい修道院しゅうどういんった。1274ねん3がつ7にちのことであった。シトーかいたちは遺体いたいをドミニコかいがわわたすまいと、かん修道院しゅうどういんないかくす、あたまはなす、ほねだけにするために遺体いたい煮込にこむなどの暴挙ぼうきょをあえてったともいわれているが、教皇きょうこう命令めいれいにより1369ねんになってようやく遺骨いこつがドミニコかいわたされた[21]。トマスの遺骨いこつおさめられたはかは、フランス・トゥールーズジャコバン教会きょうかい英語えいごばん存在そんざいする[22]

トマスはひとすべてにつよ印象いんしょうあたえている。かれパウロアウグスティヌスなら人物じんぶつといわれ、Doctor Angelicus(かみ使つかいのような博士はかせ)とばれた。1319ねんにトマスの列聖れっせい調査ちょうさはじめられ、1323ねん7がつ18にちアヴィニョン教皇きょうこうヨハネス22せいによって列聖れっせい宣言せんげんされ、聖人せいじんにあげられている[23]

1545ねんトリエントこう会議かいぎ議場ぎじょうもうけられた祭壇さいだんうえにはふたつのほんだけがかれていた。ひとつは聖書せいしょ、そしてもうひとつはトマス・アクィナスの『神学しんがく大全たいぜん』であった[24]

 
Super Physicam Aristotelis, 1595

トマスの最大さいだい業績ぎょうせきは、キリストきょう思想しそうとアリストテレスを中心ちゅうしんとした哲学てつがく統合とうごうした総合そうごうてき体系たいけい構築こうちくしたことである。かつてはトマスはたんなるアリストテレス主義しゅぎしゃにすぎないという見方みかたもあったが、最近さいきん研究けんきゅうではそのような見方みかた否定ひていされている[25]

トマスはアヴィケンナアヴェロエスアビケブロンマイモニデスなどのおおくのアラブやユダヤの哲学てつがくしゃたちの著作ちょさくんで研究けんきゅうし、その著作ちょさくにおいても度々たびたびれている[26]。そこから、トマスはたんなる折衷せっちゅうにすぎないとの見方みかた根強ねづよいものがあったが[27]現在げんざいでは、「存在そんざい」(エッセ)の形而上学けいじじょうがくがトマスてき総合そうごう核心かくしんであり、かれ独自どくじ思想しそうであるてん見解けんかい一致いっちがあり、その存在そんざいをどのように解釈かいしゃくするかによって様々さまざま立場たちばかれるとされている[28]

全体ぜんたいてきにみれば、トマスは、アウグスティヌス以来いらいネオプラトニズム影響えいきょうのこしつつも、哲学てつがくにおけるじくあしプラトンからアリストテレスへとうつしたうえで、神学しんがく哲学てつがく関係かんけい整理せいりし、かみ中心ちゅうしん主義しゅぎ人間にんげん中心ちゅうしん主義しゅぎというあい対立たいりつする概念がいねんのほとんど不可能ふかのうともいえる統合とうごうはかったといえる。

トマスの思想しそうは、その死後しごトマス主義しゅぎとして脈々みゃくみゃくがれ、近代きんだい自然しぜん法論ほうろん国際こくさいほう理論りろん立憲りっけん君主くんしゅせいにも多大ただい影響えいきょうあたえただけでなく、19世紀せいきまつにおきたしんトマス主義しゅぎもとづく復興ふっこう現代げんだいにもがれている。

神学しんがく

編集へんしゅう

トマスのきた時代じだいは、十字軍じゅうじぐんをきっかけに、アラブ世界せかいとの文物ぶんぶつわない広汎こうはん交流こうりゅうはじまったことにより、ひがしマ帝国まていこく皇帝こうていユスティニアヌスの異教いきょう活動かつどう禁止きんしのため、いち途絶とぜつしたギリシア哲学てつがく伝統でんとうがアラブ世界せかいから西欧せいおう莫大ばくだいいきおいで流入りゅうにゅうし、度重たびかさなる禁止きんしれいにもかかわらず、これをとどめることはできなくなっていた。また、同様どうように、商業しょうぎょうがめざましいいきおいで発展はってんし、都市とし繁栄はんえいによるゆたかさのなかで、イスラム教徒きょうとであるとユダヤ教徒きょうとであるとキリスト教徒きりすときょうとであるとをわず、大衆たいしゅう堕落だらくしていくという風潮ふうちょうと、これにたいする反感はんかん渦巻うずまいていた。

トマスは、このような時代じだい背景はいけいした哲学てつがくしゃアリストテレスの註釈ちゅうしゃくばれていたアヴィケンナアヴェロエスとは、キリストきょう真理しんりわきまえしょうするまもるきょうとして理論りろんてき対決たいけつする必要ひつようせまられていた[26]。また、トマスは、同様どうように、アビケブロンのみならずおおくのユダヤじん思想家しそうかとも対決たいけつをしなければならなかった[ちゅう 1]。トマスは、アリストテレスの存在そんざいろん承継しょうけいしつつも、そのうえキリスト教きりすときょう神学しんがく調和ちょうわがた部分ぶぶんについては、あらたなかんがえをくわえてかれえようとしたのであり、哲学てつがくは「神学しんがくの婢」(ancilla theologiae)であった。

アリストテレス自然しぜん哲学てつがくとキリストきょう神学しんがく調停ちょうてい

編集へんしゅう

アリストテレス自然しぜん哲学てつがくによる二元にげんてき宇宙うちゅうぞうは、地上ちじょうかい出来事できごとには必然ひつぜんてき天上てんじょうかい作用さようするというかんがかた基本きほんとなった。このかんがかたには、「地上ちじょうかいのあらゆる出来事できごと天上てんじょうかいうごきによってあらかじまっている」という運命うんめい決定けっていろんと、ぎゃく天上てんじょうかい運行うんこうがわかれば未来みらい予測よそくできるという占星術せんせいじゅつふくまれていた[29]。この「自然しぜん自身じしん法則ほうそくせいにのっとって自律じりつてきう」という古代こだいギリシャ自然しぜん哲学てつがく世界せかいかんかみによる奇蹟きせきみとめるキリストきょうとは相容あいいれなかった。

キリスト教会きょうかいは、400ねんだい1トレド教会きょうかい会議かいぎ占星術せんせいじゅつ排斥はいせき決議けつぎし、さらに561ねんだい1プラガ教会きょうかい会議かいぎでも占星術せんせいじゅつ公式こうしき否定ひていした[30]。その、ヨーロッパでは、古代こだいギリシャ哲学てつがく書物しょもつはイスラムけん流出りゅうしゅつしたもの以外いがい教会きょうかい書庫しょこおくねむることとなり、その内容ないよう次第しだいわすられていった。

ところが12世紀せいきルネサンス過程かていで、イスラムけんからの流入りゅうにゅうによって、ヨーロッパの知識ちしきじんたちはアリストテレス自然しぜん哲学てつがくることになる。そしてアリストテレスの自然しぜん哲学てつがく大学だいがく教育きょういくされ西欧せいおう知識ちしき階級かいきゅう浸透しんとうしてゆく過程かていで、二元にげんてき宇宙うちゅうぞうとそれにもとづく占星術せんせいじゅつ一般いっぱん人々ひとびとひろ魅了みりょうして浸透しんとうしていった。キリストきょうは、一方いっぽうてき禁止きんし弾圧だんあつではアリストテレス自然しぜん哲学てつがくおさえきれなくなっていった。トマスはその危機きき直面ちょくめんしたキリスト教きりすときょう神学しんがくすくった。

問題もんだいは「アリストテレスの二元にげんてき宇宙うちゅうぞうでは天上てんじょうかい地上ちじょうかいのどこまで影響えいきょうおよぼすのか」ということだった。トマスは、「物体ぶったいとしての天体てんたい物体ぶったいとしての人間にんげん身体しんたいには作用さようするが、物体ぶったいとしての人間にんげん精神せいしん意志いしには直接ちょくせつ作用さようすることはない。」と解釈かいしゃくしてキリストきょう神学しんがくとアリストテレスの自然しぜん哲学てつがく調停ちょうていした。かれ神学しんがく思想しそうは、死後しごいち異端いたん判断はんだんされたが、1322ねん復権ふっけんしてキリストきょう世界せかい公式こうしきみとめられ、14世紀せいき中期ちゅうき正統せいとう神学しんがく地位ちい確立かくりつした[30]

一方いっぽうで、トマスのおかげで、アリストテレスなどによる古代こだいギリシャ自然しぜん哲学てつがくおおやけ研究けんきゅうできるようになった。これによるアリストテレス自然しぜん哲学てつがくなどの研究けんきゅうは、17世紀せいきのいわゆる「科学かがく革命かくめい」へとつながっていった[31]

哲学てつがく

編集へんしゅう

トマスは、その哲学てつがくにおいて、アリストテレスの「形相ぎょうそう質料しつりょう」(forma-materia)と「げん実態じったい可能かのうたい」の区別くべつれる。アリストテレスによれば、存在そんざいしゃには「質料しつりょういん」と「形相ぎょうそういん」があるが、存在そんざいしゃなんでできているかが「質料しつりょういん」、その実体じったい本質ほんしつが「形相ぎょうそういん」である。存在そんざいしゃ動態どうたいてきたとき、潜在せんざいてきには可能かのうであるものが「可能かのうたい」であり、それが生成せいせいしたものが「げん実態じったい」である。「形相ぎょうそう質料しつりょう」はおも質量しつりょう自然しぜんかい存在そんざいしゃかぎられるが、「げん実態じったい可能かのうたい」は自然しぜんかい超越ちょうえつした質量しつりょうたない形相ぎょうそうのみの存在そんざいしゃにまでおよぶ。すべての存在そんざいしゃ可能かのうたいからげん実態じったいへの生成せいせい流転るてん変化へんかのうちにあるが、すべての存在そんざいしゃ究極きゅうきょく原因げんいんであり、「かみ」(不動ふどうどうしゃ)は質料しつりょうをもたない純粋じゅんすい形相ぎょうそうでもあった。

しかし、トマスにとって、かみは、万物ばんぶつ根源こんげんであるが、純粋じゅんすい形相ぎょうそうではありなかった。旧約きゅうやく聖書せいしょの『いずるエジプトだい3しょうだい14せつで、かみは「わたしりてるものである」との啓示けいじをモーセにあたえているからである。そこで、かれは、アリストテレスの存在そんざい修正しゅうせいくわえ、「存在そんざい本質ほんしつ」(esse-essentia)をくわえた。かれによれば、「存在そんざい」は「本質ほんしつ」を存在そんざいしゃとするため「げん実態じったい」であり、「本質ほんしつ」はそれだけで現実げんじつ存在そんざいできないため「可能かのうたい」である。「存在そんざい」はいかなるときにおいても「げん実態じったい」である。かみは、自存じそんする「存在そんざいそのもの」であり、純粋じゅんすいげん実態じったいである。

人間にんげんは、理性りせいによってかみ存在そんざい認識にんしきできる(いわゆる宇宙うちゅうろんてき証明しょうめい)。しかし、有限ゆうげんである人間にんげん無限むげんであるかみ本質ほんしつ認識にんしきすることはできず、理性りせいには限界げんかいがある。もっとも、人間にんげんかみから「恩寵おんちょうひかり」と「栄光えいこうひかり」をあたえられることによって知性ちせい成長せいちょうかみ認識にんしきできるようになるが、きているあいだ恩寵おんちょうひかりのみあたえられるので、ひとには信仰しんこうあい希望きぼうみちびきが必要ひつようになる。ひとしてはじめて「栄光えいこうひかり」をかみ本質ほんしつ完全かんぜん認識にんしきするものであり、しん幸福こうふくられるのである。

ほう政治せいじろん

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トマスは、かみ摂理せつり世界せかい支配しはいしているという神学しんがくてき前提ぜんていから、永久えいきゅうほう観念かんねんみちびきだし、そこから理性りせいてき造物ぞうぶつである人間にんげん永遠えいえんほうを「分有ぶんゆう」することによって把握はあくする自然しぜんほうみちびし、そのうえで、人間にんげん社会しゃかい秩序ちつじょけるために必要ひつようなものとして、人間にんげん一時いちじてき便宜べんぎのために制定せいていされる人定じんていほうかみから啓示けいじによってあたえられたかみ定法じょうほうというふたつの観念かんねんみちびきだした[32]。その詳細しょうさい以下いかのとおり。

永久えいきゅうほうとは、この宇宙うちゅう支配しはいするかみ理念りねんであり[33]、そのうち、理性りせいてき造物ぞうぶつたる人間にんげん分有ぶんゆうしているものが、自然しぜんほうである[34]。そして、自然しぜんほうのうち、人間にんげんなんらかの効用こうようのために特殊とくしゅてき規定きていするものが人定じんていほうであり[35]人間にんげんがよりつよ永久えいきゅうほうあずかれるように、かみから補助ほじょてきあたえられたものがかみ定法じょうほうである[36]。すなわち、人間にんげん能力のうりょくには限界げんかいがあるために、人々ひとびと永久えいきゅうほうからあずかった自然しぜんほうにもとづいて適切てきせつ人定じんていほう制定せいていするということができず、また、様々さまざま意見いけん対立たいりつしょうじるので、それをおぎなうためにかみからあたえられたものが、かみ定法じょうほうである。ここで、かみ定法じょうほうとして念頭ねんとうかれているのは、旧約きゅうやく聖書せいしょ新約しんやく聖書せいしょにおいてめいじられている事柄ことがらであり、前者ぜんしゃ旧法きゅうほう(lex vetus)、後者こうしゃ新法しんぽう(lex nova)とばれる[37]永久えいきゅうほうは、かみのうちにある最高さいこう理念りねんであり[38]、あらゆるほう源泉げんせんである[39]。このような永久えいきゅうほう一部いちぶである自然しぜんほうは、あらゆる人定じんていほう源泉げんせんであり、その妥当だとうせい基準きじゅんとなるとして、トマスは、永久えいきゅうほう自然しぜんほう人定じんていほう階層かいそう構造こうぞうみとめたのである[40]

著作ちょさく

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Super libros de generatione et corruptione

分類ぶんるい解説かいせつ

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トマスの著作ちょさくは、おおきく以下いかの5種類しゅるい分類ぶんるいできる[41]

  1. 神学しんがくかんする総合そうごうてき体系たいけいてき著作ちょさく
  2. 討論とうろん
  3. 聖書せいしょ注解ちゅうかい
  4. アリストテレスおよびその権威けんいある著作ちょさく注解ちゅうかい
  5. そのしょう著作ちょさく

だいいちのカテゴリーに分類ぶんるいされるものには、『命題めいだい論集ろんしゅう注解ちゅうかいおよび『たい異教徒いきょうと大全たいぜん』のほか、もっとも有名ゆうめいな『神学しんがく大全たいぜん』がふくまれる。

だいのカテゴリーには、様々さまざまだいのついた「定期ていき討論とうろんしゅう」(正規せいき授業じゅぎょうおこなわれた討論とうろんあつめたもの)と「任意にんい討論とうろんしゅう」(復活ふっかつさい誕生たんじょうさいまえしゅうおこなわれた討論とうろんあつめたもの)がある。

定期ていき討論とうろんしゅう以下いかのとおり

  • あくについて』
  • かみ能力のうりょくについて』
  • 真理しんりについて』
  • とく一般いっぱんについて』
  • 霊魂れいこんについて』
  • 霊的れいてき造物ぞうぶつについて』

だいさんのカテゴリーは、旧約きゅうやく聖書せいしょ新約しんやく聖書せいしょ注解ちゅうかいである。

旧約きゅうやく聖書せいしょ注解ちゅうかい以下いかのとおりである。

  • 『ヨブ注解ちゅうかい
  • 詩篇しへん注解ちゅうかい
  • 『イザヤしょ注解ちゅうかい
  • 『エレミヤしょ注解ちゅうかい
  • 『エレミヤ悲歌ひか注解ちゅうかい

新約しんやく聖書せいしょ注解ちゅうかい以下いかのとおり

  • 『マタイ福音ふくいんしょ注解ちゅうかい
  • 『ヨハネ福音ふくいんしょ注解ちゅうかい
  • 『カテナアウレア』(1475ねん)。これはよん福音ふくいんしょへの注解ちゅうかいである。この福音ふくいんしょ注解ちゅうかいはどちらかというと教父きょうふたちの注解ちゅうかい引用いんようして集成しゅうせいしたものといえる。

だいよんのカテゴリーは、アリストテレスやその権威けんいあるひと注解ちゅうかいである。

アリストテレスの著作ちょさくへの注解ちゅうかい以下いかのとおり

  • 感覚かんかく感覚かんかくされるものについての注解ちゅうかい
  • 記憶きおく想起そうきについての注解ちゅうかい
  • 形而上学けいじじょうがく注解ちゅうかい
  • 自然しぜんがく注解ちゅうかい
  • 生成せいせい消滅しょうめつろん注解ちゅうかい
  • 天体てんたい宇宙うちゅうろん注解ちゅうかい
  • 分析ぶんせきろん後書あとがき注解ちゅうかい
  • 命題めいだいろん注解ちゅうかい
  • 倫理りんりがく注解ちゅうかい
  • 政治せいじがく注解ちゅうかい

アリストテレス以外いがい権威けんいあるもの著作ちょさくへの注解ちゅうかい以下いかのとおり

  • 原因げんいんろん注解ちゅうかい
  • 『ディオニシウス注解ちゅうかい
  • 『ボエティウス・デ・ヘブドマディブス注解ちゅうかい
  • 『ボエティウスさん一体いったいろん注解ちゅうかい

だいのカテゴリーには、『世界せかい永遠えいえんせいについてーつぶやくものたいして』など論争ろんそうてき著作ちょさくや『存在そんざいするものと本質ほんしつについて』など特定とくてい主題しゅだいについての論文ろんぶんふくまれる。

トマスは著作ちょさくみずか筆記ひっきせず、口述こうじゅつしたものを弟子でしたちにらせた。トマスは悪筆あくひつ有名ゆうめいで、初期しょき伝記でんき作家さっかによればトマスは複数ふくすう筆記ひっきしゃにそれぞれにことなった事柄ことがらはなし、あたかも「かみからの真理しんり巨大きょだい奔流ほんりゅうかれのうちにながれこんでいるかのようだった」という。このような伝説でんせつてき逸話いつわべつとしても、近代きんだい研究けんきゅうしゃ写本しゃほん研究けんきゅうから、トマスが覚書おぼえがきにしてげながら、自分じぶんげた文章ぶんしょう必要ひつようおうじて修正しゅうせいし、著作ちょさく引用いんようするときはその書物しょもつしてんでいたのであろうと推測すいそくしている[42]

その著作ちょさくにおいて、トマスはドゥンス・スコトゥスらとちがい、読者どくしゃにもみずからの思想しそう軌跡きせき懇切こんせつ丁寧ていねいつい体験たいけんさせるような表現ひょうげんをせず、権威けんいっておしえるというかたちにしている。これはかれ啓示けいじけて著作ちょさくしたというスタンスにっているためであり、そのためトマスの著作ちょさく現代げんだいのわれわれの視点してんからはやや物足ものたりないというかんあたえるものになっている。

著作ちょさくおも邦訳ほうやく

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神学しんがく大全たいぜん以外いがい
  • 中世ちゅうせい思想しそう原典げんてん集成しゅうせい 14 トマス・アクィナス』、上智大学じょうちだいがく中世ちゅうせい思想しそう研究所けんきゅうじょへん山本やまもと耕平こうへいへんやく監修かんしゅう)、平凡社へいぼんしゃ、1993
    兄弟きょうだいヨハネスへの学習がくしゅうほうかんする訓戒くんかい手紙てがみ』、『形而上学けいじじょうがく注解ちゅうかい[47]、『使徒しと信条しんじょう講話こうわ』、『種々しゅじゅ敬虔けいけんいのり』、『聖書せいしょすすめ』、『聖書せいしょすすめとその区分くぶん』、『存在そんざいしゃ本質ほんしつについて』
    知性ちせい単一たんいつせいについて―アヴェロエス主義しゅぎしゃたちにたいする論駁ろんばく』、『ボエティウス さん一体いったいろん注解ちゅうかい』、『ボエティウス・デ・ヘプドマディプス注解ちゅうかい』、『命題めいだいろん注解ちゅうかい』、『はなれそんてき実体じったいについて(天使てんしろん)』(ぜん12へんはつわけもしくは新訳しんやく
  • 『トマス・アクィナス 真理しんりろんうえした)』、中世ちゅうせい思想しそう原典げんてん集成しゅうせいだい だい1・2かん
    上智大学じょうちだいがく中世ちゅうせい思想しそう研究所けんきゅうじょ へん監修かんしゅう山本やまもと耕平こうへいへんやく)、平凡社へいぼんしゃ、2018
  • 『トマス・アクィナス 神秘しんぴまなべボエティウス三位一体さんみいったいろん」にせて 翻訳ほんやく研究けんきゅう長倉ながくら久子ひさこわけちょそうぶんしゃ、1996
  • 君主くんしゅ統治とうちについて つつしんでキプロスおうささげる』 柴田しばた平三郎へいさぶろうわけ慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、2005/岩波いわなみ文庫ぶんこ、2009
  • るものと本質ほんしつについて』 稲垣いながき良典よしのり訳註やくちゅう知泉ちせんしょかん、2012
  • 『トマス・アクィナス「ヨブ註解ちゅうかい」』 あきらじんやく知泉ちせんしょかん、2016
  • 神学しんがく提要ていよう山口やまぐち隆介りゅうすけやく知泉ちせんしょかん知泉ちせん学術がくじゅつ叢書そうしょ」、2018
  • 『『ガラテアしょ註解ちゅうかい磯部いそべ昭子あきこやく知泉ちせんしょかん知泉ちせん学術がくじゅつ叢書そうしょ」、2021
  • カテナ・アウレア マタイ福音ふくいんしょ註解ちゅうかいうえした)』 あきらじんやく知泉ちせんしょかん知泉ちせん学術がくじゅつ叢書そうしょ」、2023

関連かんれん文献ぶんけん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ トマス自身じしん世界せかい永遠えいえんせいというせつ積極せっきょくてき否定ひていしていたが、このせつがアリストテレスに由来ゆらいするという問題もんだいがあった。そこでトマスは『神学しんがく大全たいぜん』(1:45)においてなんとかこの矛盾むじゅん回避かいひすべく、アリストテレスと「世界せかい永遠えいえんせい」のむすびつきを否定ひていしようとしている。その論述ろんじゅつにおいてトマスはマイモニデスの『まよえるものへの手引てびき』を引用いんようしている。[よう出典しゅってん]
  2. ^ だい3に「れんばん」での刊行かんこうまきがあり、ぜん39さつ刊行かんこうはん世紀せいきかけ、訳者やくしゃ引継ひきつおこなわれた

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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