ローマ市 し 民権 みんけん を持 も つユダヤ教徒 きょうと であった[ 9] 。
紀元 きげん 後 ご 30年 ねん ごろ[ 10] 刑死 けいし によってナザレのイエス が他界 たかい する。
イエスはキリストだとする集団 しゅうだん が生 う まれた[ 11] 。
イエスはキリストだとする集団 しゅうだん を根絶 こんぜつ しようとし、信者 しんじゃ を取 と り締 し まり、牢 ろう に入 い れた[ 12] [ 13] [ 14] 。
年代 ねんだい は不明 ふめい であるが、イエスはキリストだとする集団 しゅうだん の一員 いちいん となった[ 15] [ 16] 。
50年 ねん ころ、ユダヤ人 じん からの迫害 はくがい を受 う けてきていることを記 しる している[ 17] [ 18] 。
54年 ねん ころ、コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ を記 しる し[ 19] 、書簡 しょかん の中 なか で、死 し んだはずのナザレのイエスに自分 じぶん は出会 であ ったことがあるとしている[ 20] [ 21] 。
54年 ねん 頃 ごろ 、ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ を記 しる し[ 22] 、自 みずか らの異邦 いほう 人 じん への伝道 でんどう を「キリストの福音 ふくいん 」と表明 ひょうめい して伝道 でんどう していることを記 しる している。その福音 ふくいん は、すでに死去 しきょ したナザレのイエスが直接 ちょくせつ 自身 じしん に内的 ないてき な啓示 けいじ によって通信 つうしん してきたものであることを表明 ひょうめい した[ 23] 。
いくつかの地方 ちほう に教会 きょうかい を開 ひら く[ 24] 。
投獄 とうごく される[ 25] 。
刑死 けいし により他界 たかい する[ 26] 。
66年 ねん から70年 ねん 、第 だい 一 いち 次 じ ユダヤ戦争 せんそう の結果 けっか としてエルサレム神殿 しんでん が崩壊 ほうかい した。異邦 いほう 人 じん への「キリストの福音 ふくいん 」が主流 しゅりゅう となる。
ヴァランタン・ド・ブーローニュ もしくはニコラ・トゥルニエ による1620年 ねん ごろの作 さく 。執筆 しっぴつ 中 ちゅう のパウロ
デューラー 『4人 にん の使徒 しと 』(部分 ぶぶん )。マルコ(左 ひだり )とパウロ(右 みぎ )
新約 しんやく 聖書 せいしょ の『使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 』によれば、パウロは生 う まれながらのローマ市 し 民権 みんけん 保持 ほじ 者 しゃ であった[ 27] 。ベニヤミン 族 ぞく のユダヤ人 じん でもともとファリサイ派 は に属 ぞく し、エルサレム にて高名 こうみょう なラビ であるガマリエル1世 せい (ファリサイ派 は の著名 ちょめい な学者 がくしゃ ヒレル の孫 まご )のもとで学 まな んだ。パウロはそこでキリスト教徒 きりすときょうと たちと出会 であ う。熱心 ねっしん なユダヤ教徒 きょうと の立場 たちば から、始 はじ めはキリスト教徒 きりすときょうと を迫害 はくがい する側 がわ についていた。ステファノ を殺 ころ すことにも賛成 さんせい していた[ 28] 。
ダマスコ への途上 とじょう において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害 はくがい するのか」と、天 てん からの光 ひかり とともにイエス・キリスト の声 こえ を聞 き いた、その後 ご 、目 め が見 み えなくなった。アナニアというキリスト教徒 きりすときょうと が神 かみ のお告 つ げによってサウロのために祈 いの るとサウロの目 め から鱗 うろこ のようなものが落 お ちて、目 め が見 み えるようになった[ 注 ちゅう 2] 。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒 きりすときょうと となった[ 29] [ 注 ちゅう 3] 。この経験 けいけん は「サウロの回心 かいしん 」といわれ、紀元 きげん 34年 ねん 頃 ごろ のこととされる。一般 いっぱん 的 てき な絵画 かいが 表現 ひょうげん では、イエスの幻 まぼろし を見 み て馬 うま から落 お ちるパウロの姿 すがた が描 えが かれることが多 おお い。
一方 いっぽう でパウロ自身 じしん はこのエピソードを自 みずか ら紹介 しょうかい しておらず、単 たん に「召 め されて使徒 しと となった」などと記 しる している。
その後 ご 、かつてさんざん迫害 はくがい していた使徒 しと たちに受 う け入 い れられるまでに、ユダヤ教徒 きょうと たちから何 なん 度 ど も激 はげ しく拒絶 きょぜつ され命 いのち を狙 ねら われたが、やがてアンティオキア を拠点 きょてん として小 しょう アジア、マケドニアなどロ ろ ーマ帝国 まていこく 領内 りょうない へ赴 おもむ き、会堂 かいどう (シナゴーグ )を拠点 きょてん にしながらバルナバ やテモテ 、マルコ といった弟子 でし や協力 きょうりょく 者 しゃ と共 とも に布教 ふきょう 活動 かつどう を行 おこな った。布教 ふきょう 活動 かつどう の時 とき のパウロの職業 しょくぎょう はテント職人 しょくにん であった[ 30] 。復活 ふっかつ の奇跡 きせき を行 おこな った事 こと もある[ 31] 。特 とく に異邦 いほう 人 じん に伝道 でんどう したことが重要 じゅうよう である。
『使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 』によれば3回 かい の伝道 でんどう 旅行 りょこう を行 おこな ったのち、エルサレムで捕縛 ほばく されたが、ローマ市民 しみん であるパウロに刑罰 けいばつ を科 か すには正式 せいしき の裁判 さいばん 手続 てつづ きが必要 ひつよう であり、そのためローマ に送 おく られ軟禁 なんきん された。伝承 でんしょう によれば皇帝 こうてい ネロ の治世 ちせい 、60年代 ねんだい 後半 こうはん にローマで斬首 ざんしゅ 刑 けい に処 しょ され殉教 じゅんきょう したと言 い われる。またローマからスペイン にまで伝道 でんどう 旅行 りょこう をしたとの伝承 でんしょう もある。
年代 ねんだい 順 じゅん にみると、新約 しんやく 中 ちゅう で最 もっと も古 ふる い書簡 しょかん とされるテサロニケ人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ と生前 せいぜん のナザレのイエスとの間 あいだ には、初期 しょき のエルサレム教会 きょうかい より伝 つた わる伝承 でんしょう が存在 そんざい したとされる[ 32] 。その伝承 でんしょう の中 なか には、信仰 しんこう 告白 こくはく 定型 ていけい と呼 よ ばれるものがあり、書簡 しょかん の中 なか でパウロが、ナザレのイエスは生 い き返 かえ ったと表明 ひょうめい している箇所 かしょ については、この伝承 でんしょう に基 もと づいているとされている。[ 33] 。パウロにとっては、すでに死去 しきょ したナザレのイエスが直接 ちょくせつ 自身 じしん に内的 ないてき な啓示 けいじ によって通信 つうしん してきた体験 たいけん [ 34] がイエスはキリストであるという信仰 しんこう に至 いた るきっかけとなった。[ 35] 盲目 もうもく からの奇跡 きせき 的 てき 回復 かいふく という話 はなし は自身 じしん が記 しる していないことから、キリストはイエスであったと考 かんが えるようになったのは、イエスを名乗 なの る存在 そんざい の内的 ないてき な啓示 けいじ と、第 だい 三 さん の天 てん にまであげられたというある人 ひと の天界 てんかい の体験 たいけん [ 36] とが原因 げんいん として読 よ み取 と れる。ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ 1:16によれば、啓示 けいじ に神 かみ の御子 みこ が現 あらわ れるのをよしとしたのは神 かみ であり、その啓示 けいじ の仕方 しかた は、パウロ自身 じしん の内側 うちがわ に御子 みこ が啓示 けいじ されたというものであった。手紙 てがみ の文面 ぶんめん では、生前 せいぜん のイエスと関連 かんれん づけて理解 りかい したものではなく、キリストとはユダヤ教 きょう の神 かみ からくるものであり[ 37] 、それは、これまで自分 じぶん が迫害 はくがい していた集団 しゅうだん でイエスと呼 よ ばれていた者 もの であった、というくらいの内的 ないてき な転換 てんかん であった。そののちパウロは、ただちに使徒 しと の住 す むエルサレムに赴 おもむ くことはせずアラビア行 い きを実行 じっこう したと記 しる していることからも、使徒 しと たちの伝承 でんしょう してきている話 はなし を精査 せいさ してゆく方向 ほうこう にはすすまなかった。むしろ後年 こうねん の使徒 しと 会議 かいぎ における使徒 しと たち(割礼 かつれい にこだわっていた)のことを、かの「大 だい 使徒 しと たち」と呼 よ ぶような関係 かんけい にあった。[ 38] 手紙 てがみ の中 なか で、自分 じぶん はその人 ひと たちに何 なん ら劣 おと っていないとパウロは表明 ひょうめい している。そのことから見 み てもパウロは使徒 しと たちの伝承 でんしょう してきている教 おし えには、批判 ひはん 的 てき なところも感 かん じていたようである。後年 こうねん 使徒 しと 会議 かいぎ のためにエルサレムに赴 おもむ いたときは、啓示 けいじ によってエルサレムに行 い くことになったと記 しる していることや、自身 じしん はユダヤ教 きょう において卓越 たくえつ していて、父祖 ふそ たちの伝承 でんしょう に熱心 ねっしん であり、民族 みんぞく の中 なか でも勝 か っていた[ 39] と自分 じぶん を位置付 いちづ けていたことも、自分 じぶん は大 だい 使徒 しと たちに何 なん ら劣 おと っていないとする自信 じしん の裏 うら づけとなっていたようだ。また、当時 とうじ の教会 きょうかい の中 なか には、第 だい 一 いち に使徒 しと たち、第 だい 二 に に預言 よげん 者 しゃ たち、第 だい 三 さん に教師 きょうし たちがいて、次 つぎ に力 ちから ある業 ごう 、次 つぎ に癒 いや しの賜物 たまもの 、補助 ほじょ の働 はたら き、指導 しどう 能力 のうりょく 、種々 しゅじゅ の異 い 言 げん などの順列 じゅんれつ があったとパウロはしている。[ 40] これらは聖霊 せいれい による恵 めぐ みの賜物 たまもの であると記 しる されている。当時 とうじ 聖霊 せいれい は世 よ の終 お わりに神 かみ から与 あた えられると信 しん じられていた救 すく いの霊 れい と考 かんが えられていた。しかし、世 よ の終 お わりでもないのに聖霊 せいれい 現象 げんしょう が信者 しんじゃ に出現 しゅつげん したのは、終末 しゅうまつ の賜物 たまもの の先取 さきど りであり、「霊 れい の手付金 てつけきん 」であると信者 しんじゃ によって受 う け止 と められていた。そしてそれらはキリストの復活 ふっかつ で現実 げんじつ のものとなった、という解釈 かいしゃく が教会 きょうかい 内 ない においてなされていた。[ 41] 初期 しょき のエルサレム教会 きょうかい に伝 つた わっていた伝承 でんしょう や予言 よげん はいくつかあり、大 だい 使徒 しと の話 はなし を聞 き くことは無 な くても、そうした伝承 でんしょう にはパウロも影響 えいきょう を受 う けていたと思 おも われる。そうしたことからパウロはテサロニケ第 だい 一 いち の手紙 てがみ において、復活 ふっかつ したイエスはキリストであり、復活 ふっかつ は世 よ の終 お わりを現実 げんじつ のものとするものであり、彼 かれ は自 みずか らの啓示 けいじ に現 あらわ れたユダヤ教 きょう のキリストであったと記 しる した。パウロは、自分 じぶん が生 い きているうちにやってくる主 おも の来臨 らいりん の時 とき には、啓示 けいじ に出現 しゅつげん したキリストによって生 い き残 のこ ったままで救 すく われることになったという信仰 しんこう を奥義 おうぎ として信者 しんじゃ に説 と いていた[ 42] 。50年 ねん ころ、パウロはテサロニケの信者 しんじゃ への手紙 てがみ の中 なか で、下記 かき のような終末 しゅうまつ 観 かん を表明 ひょうめい している。[ 43]
生 い きているうちに主 おも の来臨 らいりん がおきる。
生 い きているうちに合図 あいず の声 こえ とともに主 あるじ が天 てん から下 くだ ってくる。
生 い きているうちにキリストにあって死 し んだ人々 ひとびと が、まず最初 さいしょ によみがえる。
生 い きているうちによみがえった死人 しにん や眠 ねむ っていた人 ひと たちが天 てん に上 あ げられる。
生 い きたままで空中 くうちゅう で主 おも に会 あ うことになり、そののちはいつも主 おも と共 とも にいることになる。[ 44]
パウロはユダヤ教 きょう 時代 じだい から、分派 ぶんぱ を嫌 きら った。イエスはユダヤ教 きょう に言 い われるところのキリストだとする集団 しゅうだん [ 45] を迫害 はくがい したのも、パリサイ派 は としてユダヤ教 きょう の中 なか の一派 いっぱ としての異端 いたん を排除 はいじょ しようとした行為 こうい である。[ 46] 後世 こうせい においてキリスト教 きょう が国教 こっきょう 化 か された後 のち にも継承 けいしょう されてゆく分派 ぶんぱ 、異端 いたん 排斥 はいせき は、ナザレのイエスが分派 ぶんぱ ・異端 いたん を仲間 なかま として容認 ようにん したこととは、大 おお きく異 こと なっている。[ 47] ナザレのイエスが信仰 しんこう していたのは平和 へいわ の神 かみ であるとされていて[ 48] 、パウロも手紙 てがみ において平和 へいわ の神 かみ という語 かたり を多用 たよう していたけれど、異端 いたん 者 しゃ に対 たい しては平和 へいわ 的 てき でなかった。[ 49]
[ 50] 。イエスの啓示 けいじ を受 う けて回心 かいしん したとされた後 のち でも、その排他 はいた 性 せい ・異端 いたん 排斥 はいせき 性 せい に変化 へんか はなかった。手紙 てがみ の中 なか では、呪 のろ ってはならないという指導 しどう を信者 しんじゃ に対 たい してなしているが、これは内的 ないてき な啓示 けいじ で受 う けた言葉 ことば をそのまま繰 く り返 かえ しただけのようである [ 51] 。異邦 いほう 人 じん への伝道 でんどう をするようになっても、党派心 とうはしん 、分裂 ぶんれつ 、分派 ぶんぱ を為 な す者 もの は神 かみ の国 くに を受 う け継 つ ぐことはないと説 と いている。[ 52] そして、自 みずか らの異邦 いほう 人 じん への伝道 でんどう を「キリストの福音 ふくいん 」であるとして、キリストの福音 ふくいん を変質 へんしつ しようとする者 もの に対 たい して呪 のろ いの言葉 ことば を記 しる している。[ 53] [ 54]
パウロとナザレのイエスの教 きょう 説 せつ の異 こと なっている点 てん は、異端 いたん 排斥 はいせき と並 なら んで、終末 しゅうまつ 観 かん があげられる。ナザレのイエスが直接 ちょくせつ に語 かた った終末 しゅうまつ 観 かん とは、マルコ福音 ふくいん 書 しょ 13:32にある「かの日 ひ ないし〔かの〕時刻 じこく については、誰 だれ も知 し らない。天 てん にいるみ使 つか いたちも、子 こ も知 し らない。父 ちち のみが知 し っている」、という記述 きじゅつ であるとされている。[ 55] なお、マルコ福音 ふくいん 書 しょ に出 で てくる終末 しゅうまつ については、エルサレム神殿 しんでん 崩壊 ほうかい を世 よ の終 お わりの出来事 できごと と理解 りかい する筆者 ひっしゃ の見方 みかた や古 ふる い注 ちゅう によって編集 へんしゅう されており[ 56] 不明瞭 ふめいりょう な記述 きじゅつ となっている。世 よ の終 お わりについて、ナザレのイエスは天 てん のみ使 つか いさえも計 はか り知 し ることのできないほどの深遠 しんえん な事態 じたい であるとしているのに対 たい して、パウロは、自分 じぶん が生 い きているうちに主 おも の来臨 らいりん の時 とき はやってくるとしていた。[ 42] 。
一方 いっぽう 、ヨハネ福音 ふくいん 書 しょ [ 57] はイエスの終末 しゅうまつ 観 かん と共通 きょうつう の部分 ぶぶん があると思 おも われ、世 よ の終 お わり・裁 さば きの時 とき という概念 がいねん は明瞭 めいりょう になっていない。人々 ひとびと がイエスの啓示 けいじ に対 たい して下 くだ す判断 はんだん が、その人 ひと の運命 うんめい を決定 けってい するとされ、悪人 あくにん を裁 さば いて滅 ほろ ぼすためではなく、救 すく うために布教 ふきょう していることが記 しる されている。[ 58] ヨハネ福音 ふくいん 書 しょ では、裁 さば きはもう来 き ているとされていて、この世 よ の支配 しはい 者 しゃ はすでに裁 さば かれたともされている。[ 58] ちなみに、この世 よ の支配 しはい 者 しゃ に対 たい する、裁 さば きの時 とき がすでに来 き ている例 れい としては、聖霊 せいれい を冒涜 ぼうとく するものは永遠 えいえん の罪 つみ に定 さだ められる、とするイエスの教 きょう 説 せつ [ 59] 、があげられる。これはキリスト信者 しんじゃ を激 はげ しく迫害 はくがい していたと述懐 じゅっかい していたパウロにも十分 じゅうぶん 当 あ てはまる罪 つみ であったと考 かんが えられる。ユダヤ教徒 きょうと が、ユダヤ教 きょう に精通 せいつう し、義 ぎ を求 もと めて熱心 ねっしん に信仰 しんこう しているというだけで、聖霊 せいれい 冒涜 ぼうとく の永遠 えいえん の罪 つみ を犯 おか すリスクにさらされるということは不可思議 ふかしぎ なことである。また、永遠 えいえん の罪 つみ というのは、原罪 げんざい という枠組 わくぐ みを超 こ えていて、かつ日常 にちじょう 的 てき な精神 せいしん の悪 あく であるようにも見 み える。罪 つみ からの救 すく いを求 もと め、信仰 しんこう 義 ぎ 認 みとめ 論 ろん を説 と いていたパウロは、書簡 しょかん の中 なか で、自分 じぶん が救 すく われるためには、あるいは救 すく いの経験 けいけん があったのは、信仰 しんこう だったということを述 の べている。
教会 きょうかい のリーダーは男性 だんせい であるべきと主張 しゅちょう した(当時 とうじ 各地 かくち の教会 きょうかい で婦人 ふじん による問題 もんだい が多発 たはつ していたためといわれる)[ 68] [ 69] [ 70] (しかし、パウロ書簡 しょかん と同 どう 時期 じき に成立 せいりつ した福音 ふくいん 書 しょ においては、むしろ女性 じょせい 信徒 しんと が男性 だんせい 信徒 しんと よりも高 たか く評価 ひょうか されている[ 71] [ 72] [ 73] )。結婚 けっこん は苦難 くなん を招 まね くと説 と いた[ 74] 。結婚 けっこん は性的 せいてき 誤 あやま りを無 な くす為 ため に有 あ ると説 と いた[ 75] 。結婚 けっこん できるのは神 かみ からの特権 とっけん であるとも説 と いている。[要 よう 出典 しゅってん ]
パウロにおいては自 みずか らの不完全 ふかんぜん さ、罪 つみ の意識 いしき が非常 ひじょう に強 つよ いことがまず指摘 してき できる。彼 かれ は心 しん の欲 ほっ する善 ぜん を行 おこな うことができずに、かえって心 しん の欲 ほっ せざる悪 あく をなしてしまうことに悩 なや んだ[ 76] 。そのため彼 かれ の思想 しそう では人間 にんげん の無力 むりょく さが強調 きょうちょう される[ 77] 。このような人間 にんげん は自力 じりき では救 すく われることがないために、神 かみ の恩寵 おんちょう によってしか救 すく われないし、パウロはイエスの死 し こそ神 かみ の自己 じこ 犠牲 ぎせい であると考 かんが える[ 78] 。この神 かみ の自己 じこ 犠牲 ぎせい によって人間 にんげん は罪 つみ から解放 かいほう されるのであり、これを信 しん じ、イエスの教 おし えを実践 じっせん することで新 あたら しい生 せい を迎 むか えることができるという[ 79] 。この新 あたら しい生 なま は物質 ぶっしつ 性 せい を捨 す て、人類 じんるい 史 し から神 かみ の世界 せかい に逃 のが れることではない。このことは初期 しょき 教父 きょうふ 、たとえばエイレナイオス においてグノーシス主義 しゅぎ の説 と く異端 いたん の教 きょう 説 せつ に対 たい する批判 ひはん のなかで明確 めいかく に表明 ひょうめい される。彼 かれ によれば、人類 じんるい の救済 きゅうさい 史 し とはあくまでその本来 ほんらい 的 てき な物質 ぶっしつ 性 せい から、神 かみ の導 みちび きによってより高次 こうじ の霊 れい 性 せい を獲得 かくとく していく過程 かてい である。そしてこのような立場 たちば に立 た つとき、物質 ぶっしつ 的 てき な現実 げんじつ 世界 せかい は矛盾 むじゅん と不幸 ふこう に満 み ちている不完全 ふかんぜん なものとして相対 そうたい 化 か されていくのである。だが同時 どうじ にこの物質 ぶっしつ 的 てき 世界 せかい こそが神 かみ の救済 きゅうさい 史 し の舞台 ぶたい であり、神 かみ の現存 げんそん し、働 はたら きかける場 ば である。
パウロの政治 せいじ 思想 しそう としては、受動 じゅどう 的 てき 服従 ふくじゅう が知 し られる。ウォーリンによれば、パウロや初期 しょき の教会 きょうかい 指導 しどう 者 しゃ たちが政治 せいじ 権力 けんりょく への服従 ふくじゅう を繰 く り返 かえ し述 の べていることは、この時代 じだい のキリスト教徒 きりすときょうと に政治 せいじ 秩序 ちつじょ への鋭 するど い対立 たいりつ 意識 いしき があったことを物語 ものがた っているという。。事実 じじつ 66年 ねん にはユダヤ戦争 せんそう (〜70年 ねん )が起 お き、112年 ねん 〜115年 ねん にもユダヤ人 じん が蜂起 ほうき し、135年 ねん にもバル・コクバの乱 らん が起 お きている。パウロによれば、この世 よ の権威 けんい は神 かみ に拠 よ らないものはなく、したがってこれを受 う け入 い れなくてはならない。パウロは政治 せいじ 的 てき 権威 けんい に対 たい して負 お う義務 ぎむ と宗教 しゅうきょう 的 てき 権威 けんい に対 たい するそれを区別 くべつ した。しかしそれは政治 せいじ 的 てき 忠誠 ちゅうせい 心 しん と宗教 しゅうきょう 的 てき 忠誠 ちゅうせい 心 しん を完全 かんぜん に分離 ぶんり したものであると主張 しゅちょう したわけではない。彼 かれ は政治 せいじ 秩序 ちつじょ を神 かみ の摂理 せつり の中 なか に位置 いち づけ、当時 とうじ のキリスト教徒 きりすときょうと が政治 せいじ 秩序 ちつじょ のキリスト教 きりすときょう 的 てき 理解 りかい に基 もと づいて受 う け入 い れるよう促 うなが した。
「人 ひと は皆 みな 、上 うえ に立 た つ権威 けんい に従 したが うべきです。神 かみ に由来 ゆらい しない権威 けんい はなく、今 いま ある権威 けんい はすべて神 しん によって立 た てられたものだからです。従 したが って、権威 けんい に逆 さか らう者 もの は、神 かみ の定 さだ めに背 そむ くことになり、背 そむ く者 もの は自分 じぶん の身 み に裁 さば きを招 まね くでしょう。実際 じっさい 、支配 しはい 者 しゃ は、善 ぜん を行 おこな う者 もの にはそうではないが、悪 あく を行 おこな う者 もの には恐 おそ ろしい存在 そんざい です。あなたは権威 けんい 者 しゃ を恐 おそ れないことを願 ねが っている。それなら、善 ぜん を行 おこな いなさい。そうすれば、権威 けんい 者 しゃ からほめられるでしょう。権威 けんい 者 しゃ は、あなたに善 ぜん を行 おこな わせるために、神 かみ に仕 つか える者 もの なのです。しかし、もし悪 あく を行 おこな えば、恐 おそ れなければなりません。権威 けんい 者 しゃ はいたずらに剣 けん を帯 お びているのではなく、神 かみ に仕 つか える者 もの として、悪 あく を行 おこな う者 もの に怒 いか りをもって報 むく いるのです。 — パウロ、「ローマ人 じん への手紙 てがみ 」13.1-4。新 しん 共同 きょうどう 訳 やく
テオドール・モムゼン 1890年 ねん の『ローマ法 ほう から見 み た宗教 しゅうきょう 的 てき 逸脱 いつだつ 』において、帝政 ていせい 初期 しょき のキリスト教 きりすときょう 迫害 はくがい の理由 りゆう を「国家 こっか 離反 りはん 」に求 もと め、キリスト教 きょう 迫害 はくがい 史 し 研究 けんきゅう に決定的 けっていてき な一 いち 歩 ほ を刻 きざ みつけた
パウロは、教会 きょうかい と国家 こっか を分離 ぶんり し、国家 こっか に対 たい するキリスト教 きりすときょう の服従 ふくじゅう を説 と くが、従 したが うべき対象 たいしょう として「皇帝 こうてい 」ではなく、神 かみ によって認 みと められた「権威 けんい 」を挙 あ げている。パウロはロ ろ ーマ帝国 まていこく の支配 しはい を無条件 むじょうけん に肯定 こうてい しているともいわれる。
ロ ろ ーマ帝国 まていこく のキリスト教 きりすときょう に対 たい する迫害 はくがい についてテオドール・モムゼン は、ロ ろ ーマ帝国 まていこく によって「許 ゆる された宗教 しゅうきょう 」ユダヤ教 きょう と「許 ゆる されざる宗教 しゅうきょう 」キリスト教 きょう と対比 たいひ したが、1世紀 せいき 段階 だんかい では、キリスト教 きょう 迫害 はくがい はネロ 迫害 はくがい を除 のぞ いてユダヤ教 きょう 迫害 はくがい の一環 いっかん として行 おこな われている。またネロ帝 みかど によるキリスト教 きょう 迫害 はくがい についても、タキトゥス の記述 きじゅつ は2世紀 せいき におけるキリスト教 きりすときょう 観 かん を示 しめ しており、1世紀 せいき 段階 だんかい のヨセフス や新約 しんやく 聖書 せいしょ との相違 そうい が著 いちじる しいため、その史実 しじつ 性 せい には幅 はば がある。
パウロは「自分 じぶん の手 て で働 はたら くこと」を推奨 すいしょう している[ 注 ちゅう 4] が、これは古典 こてん 古代 こだい の労働 ろうどう 観 かん に反 はん する。古典 こてん 古代 こだい においては労働 ろうどう は奴隷 どれい がするもので、自由 じゆう 人 じん は閑暇 かんか (スコレー σ しぐま χ かい ο おみくろん λ らむだ η いーた )にあることを誇 ほこ りとしていた。アリストテレスは「幸福 こうふく は閑暇 かんか (スコレー)に存 そん すると考 かんが えられる。」と述 の べており、ハンナ・アーレント によれば、アリストテレスは全体 ぜんたい として必要 ひつよう に従属 じゅうぞく しているヒト属 ぞく を人間 にんげん と呼 よ ぶことを認 みと めなかった。
パウロは復活 ふっかつ の教 おし え を強調 きょうちょう した。(当時 とうじ 、ユダヤ教 きょう ではサドカイ派 は などや、キリスト教会 きょうかい 内部 ないぶ でも、イエスの教 おし えに反 はん して復活 ふっかつ を否定 ひてい する動 うご きがあったためか。)もし死人 しにん の復活 ふっかつ がないならキリストもよみがえらなかった事 こと になり、それをよみがえらせたと言 い っている私 わたし 達 たち は神 かみ にそむく偽証 ぎしょう 人 じん という事 こと になる為 ため 、全 すべ ての人 ひと の中 なか で最 もっと もあわれむべき存在 そんざい になるとまで語 かた った[ 91] [ 92] 。
パウロはアテネ に滞在 たいざい した際 さい にエピクロス派 は やストア派 は の哲学 てつがく 者 しゃ 数 すう 人 にん と論 ろん じ合 あ っている[ 93] 。
当時 とうじ 、哲学 てつがく とキリスト教 きょう の教 おし えを巧妙 こうみょう に混 ま ぜた教 おし えが多 おお かったためか、それらの哲学 てつがく を「むなしいだましごと」と批判 ひはん した事 こと もある[ 94] 。
ルターによる評価 ひょうか
ルター はパウロ書簡 しょかん を極 きわ めて高 たか く評価 ひょうか している[ 95] 。
トロクメによる評価 ひょうか
ルター以来 いらい パウロはユダヤ教 きょう からイエスによって解放 かいほう されたとする見解 けんかい が主流 しゅりゅう であったが、トロクメによると彼 かれ 自身 じしん の意識 いしき ではユダヤの思想家 しそうか であり、意識 いしき としてはユダヤ教 きょう 内部 ないぶ の論争 ろんそう に関 かか わっていたつもりであったとされる。またトロクメは歴史 れきし 家 か たちがパウロを「キリスト教 きょう の創始 そうし 者 しゃ 」と考 かんが える傾向 けいこう にあることを批判 ひはん し、この考 かんが えがイエスを「ユダヤ教 きょう の改革 かいかく 者 しゃ 」という誤 あやま った位置 いち づけに貶 おとし めるものだという。トロクメはパウロの思想 しそう がアウグスティヌス 以前 いぜん は正確 せいかく に理解 りかい されているとは必 かなら ずしも言 い えないこと、中世 ちゅうせい の神学 しんがく 者 しゃ たちも彼 かれ をあまり重視 じゅうし していないことを挙 あ げ、パウロにキリスト教 きりすときょう における中心 ちゅうしん 的 てき な地位 ちい を与 あた えたのはルネサンス と宗教 しゅうきょう 改革 かいかく であると述 の べている。
^ ラテン文字 もじ 表記 ひょうき : Paulos
^ 「目 め から鱗 うろこ が落 お ちた」という言葉 ことば の語源 ごげん
^ 自由 じゆう 主義 しゅぎ 神学 しんがく では、パウロ自身 じしん が『ガラテア書 しょ 』で言及 げんきゅう していないことから、これを「伝説 でんせつ 的 てき 」な事件 じけん とみなし、パウロの回心 かいしん の史実 しじつ 性 せい が否定 ひてい される
^ 「そして、わたしたちが命 めい じておいたように、落 お ち着 つ いた生活 せいかつ をし、自分 じぶん の仕事 しごと に励 はげ み、自分 じぶん の手 て で働 はたら くように努 つと めなさい」[ 87]
^ Peter and Paul . In the Footsteps of Paul . Tarsus . 1 . PBS. Retrieved on 2010-11-19.
^ Acts 22:3
^ a b Harris, Stephen L. Understanding the Bible. Palo Alto: Mayfield. 1985. ISBN 978-1-55934-655-9
p. 411"
^ Catholic Online
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P990のパウロ文書 ぶんしょ の成立 せいりつ の付表 ふひょう 新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい
^ Walter Bauer (2010). Frederick Danker. ed. A Greek-English Lexicon of the New Testament and Other Early Christian Literature (3 ed.). Chicago: University of Chicago Press. p. 917. ISBN 9780226039336
^ 使徒 しと 言行 げんこう 録 ろく 9章 しょう 以下 いか
^ 使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん (口語 こうご 訳 やく )#21:37-40
^ 歴史 れきし 的 てき に見 み ると新約 しんやく 聖書 せいしょ の著作 ちょさく の中 なか でこの世 よ に存在 そんざい していたことが確認 かくにん できているのは、ナザレのイエスとパウロである。パウロ自身 じしん によるものであることがはっきりしている書簡 しょかん に基 もと づいて、パウロの生涯 しょうがい を見 み ることが可能 かのう である。キリスト教 きりすときょう #福音 ふくいん 書 しょ 等 とう の成立 せいりつ 年代 ねんだい と著者 ちょしゃ 参照 さんしょう
^ Britannica.com
^ キリスト者 しゃ という語 かたり が使 つか われた時期 じき は1世紀 せいき の終 お わり頃 ころ とされる。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい 岩波書店 いわなみしょてん P427(使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 11:26 における注 ちゅう 5 荒井 あらい )
^ 使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 8:3.
^ パウロがステファノへのリンチを見 み ていたという事実 じじつ は、歴史 れきし 的 てき に疑問 ぎもん であるとされている。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P591(ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ 1:13 における注 ちゅう 2 青野 あおの )
^ 福音 ふくいん 書 しょ における「罪人 ざいにん 」とは、律 りつ 法 ほう を守 まも らぬ徴税 ちょうぜい 人 じん や売春 ばいしゅん 婦 ふ 等 とう に投 な げかけられる蔑称 べっしょう として用 もち いられている(『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん 、補注 ほちゅう ・用語 ようご 解説 かいせつ P29 罪人 ざいにん の項目 こうもく 新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい )。イエスは「悪 あく 」よりの救済 きゅうさい (マタイ6-13)を救済 きゅうさい としていたが、それとは異 こと なり、パウロは自己 じこ の内面 ないめん に宗教 しゅうきょう 的 てき 「罪 つみ 」を認 みと め、そこからの救済 きゅうさい を追及 ついきゅう してゆくことになる。(『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん 、補注 ほちゅう ・用語 ようご 解説 かいせつ P29 罪人 ざいにん の項目 こうもく 新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい )
^ パウロの第 だい 一 いち 回 かい の伝道 でんどう 旅行 りょこう は47-48年 ねん とされていて、ガラテヤ1:18の注 ちゅう 9によれば、その2-3年 ねん 前 まえ にアラビア行 い きが行 おこな われたということになる。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん (P990)のパウロ文書 ぶんしょ の成立 せいりつ の付表 ふひょう 新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい
^ 教義 きょうぎ 的 てき な大 おお きな転向 てんこう があったわけではなく、自 みずか らユダヤ人 じん であったパウロは、神 かみ のユダヤ人 じん への約束 やくそく は不変 ふへん であると考 かんが えていたとされている。「信仰 しんこう 義 ぎ 認 みとめ 論 ろん 」によって彼 かれ らも最終 さいしゅう 的 てき には救 すく われるのだ(ローマ人 じん への手紙 てがみ 11:26)としているので、ユダヤ教 きょう で言 い われていたところのキリストはイエスであったというほどの変化 へんか であった。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい 岩波書店 いわなみしょてん P928 (ローマ人 じん への手紙 てがみ の解説 かいせつ 青野 あおの )
^ テサロニケ人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 2:15。ほかにも迫害 はくがい の例 れい としては、使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 17:5などがあるとされる。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい 岩波書店 いわなみしょてん P491(テサロニケ人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 2:15における注 ちゅう 6 青野 あおの
^ 自 みずか らの信仰 しんこう の根幹 こんかん をなすユダヤ教 きょう の信仰 しんこう とユダヤ人 じん との区分 くわ けは不明 ふめい
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい 岩波書店 いわなみしょてん P921 (コリント第 だい 一 いち の手紙 てがみ の解説 かいせつ 青野 あおの )
^ コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 15:8
^ コリント第 だい 一 いち の手紙 てがみ 15:5において、弟子 でし 12人 にん にイエスが現 あらわ れたことを記 しる しているが、ルカはこの時点 じてん の「12人 にん 」を常 つね に「11人 にん 」に修正 しゅうせい している。その修正 しゅうせい のないことは、イエス顕現 けんげん の伝承 でんしょう が早 はや い時期 じき に成立 せいりつ したことを示唆 しさ している。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい 岩波書店 いわなみしょてん 2004,p.543コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 15:5における注 ちゅう 1 青野 あおの
^ a b 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P924 ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ 解説 かいせつ 青野 あおの
^ ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ 1:16-18において、パウロはダマスコスで回心 かいしん の際 さい に、神 かみ より異邦 いほう 人 じん 伝道 でんどう に召 め し出 だ されたことを証言 しょうげん している。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P465 使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 22:21における注 ちゅう 8 荒井 あらい
^ 直筆 じきひつ の手紙 てがみ の中 なか で、ローマ人 じん への手紙 てがみ はパウロ自身 じしん が設立 せつりつ したのではない教会 きょうかい に宛 あ てた唯一 ゆいいつ の手紙 てがみ とされる。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P625 ローマ人 じん への手紙 てがみ 1-7における注 ちゅう 9
^ フィレモンへの手紙 てがみ は獄中 ごくちゅう から書 か かれた。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P620 フィレモンへの手紙 てがみ 1:1における注 ちゅう 1青野 あおの
^ 60年 ねん ころローマにて殉教 じゅんきょう ?『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん 2004年 ねん (P990)のパウロ文書 ぶんしょ の成立 せいりつ の付表 ふひょう 新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい
^ 『使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 』22:25-29。
^ 使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん (口語 こうご 訳 やく )#8:1
^ 選 えら ばれた器 うつわ と表現 ひょうげん される。使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん (口語 こうご 訳 やく )#9:15
^ 『使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 』18:3
^ 使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん (口語 こうご 訳 やく )#20:9-12
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P543コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 15:3における注 ちゅう 15 青野 あおの
^ コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 15:8
^ ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ 1:16
^ しかし、この時代 じだい は新約 しんやく 旧約 きゅうやく 時代 じだい 間 あいだ の断絶 だんぜつ 意識 いしき は薄 うす く、信仰 しんこう と言 い う場合 ばあい はキリスト教 きりすときょう への改宗 かいしゅう ではなく、旧約 きゅうやく にもとづく敬虔 けいけん という意味合 いみあ いが強 つよ かったとされる。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P726テモテへの第 だい 2の手紙 てがみ 1:5における注 ちゅう 2 保坂 ほさか
^ ある人 ひと とはパウロ自身 じしん のことであるとされている。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P571(コリント第 だい 二 に の手紙 てがみ 12:2における注 ちゅう 3 青野 あおの )
^ パウロは神 かみ 中心 ちゅうしん 主義 しゅぎ であるとされている。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P508(コリント第 だい 一 いち の手紙 てがみ 3:23における注 ちゅう 1 青野 あおの )
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P566(コリント第 だい 二 に の手紙 てがみ 11:5における注 ちゅう 6 青野 あおの )
^ ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ 1:14
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P534(コリント第 だい 一 いち の手紙 てがみ 12:28における注 ちゅう 9 青野 あおの )
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん 補注 ほちゅう 用語 ようご 解説 かいせつ P24 聖霊 せいれい の項目 こうもく 新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい
^ a b 再臨 さいりん の時 とき まで生 い き残 のこ るというのは、パウロの確信 かくしん であるとされている。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P546(コリント第 だい 一 いち の手紙 てがみ 15:51における注 ちゅう 6 青野 あおの )
^ 結果 けっか 的 てき には、主 おも の来臨 らいりん が来 こ なかったことにより、信者 しんじゃ に説 と いていた真理 しんり は「実現 じつげん しなかった予測 よそく 」にとどまることになったが、これは主 おも の言葉 ことば として伝承 でんしょう されてきた初期 しょき キリスト教 きりすときょう の預言 よげん 者 しゃ の言葉 ことば である可能 かのう 性 せい が大 だい であるとされている。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P494(テサロニケ第 だい 一 いち の手紙 てがみ 4:15における注 ちゅう 11 青野 あおの )
^ テサロニケ人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 4:15
^ キリスト者 しゃ という語 かたり が使 つか われた時期 じき は1世紀 せいき の終 お わり頃 ころ とされる。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P426(使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 11:26における注 ちゅう 5 荒井 あらい )
^ 分派 ぶんぱ ・異端 いたん を排除 はいじょ することは、唯 ただ 一神教 いっしんきょう に見 み られる特徴 とくちょう である
^ マルコによる福音 ふくいん 書 しょ 9:38
^ マタイによる福音 ふくいん 書 しょ 5:9
^ パウロが平和 へいわ の神 かみ の語 かたり を使用 しよう している箇所 かしょ は、コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 14:33、コリント人 じん への第 だい 二 に の手紙 てがみ 13:11、フィリピ人 じん への手紙 てがみ 4:9、ローマ人 じん への手紙 てがみ 15:33がある。(『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P667ローマ人 じん への手紙 てがみ 15:33における注 ちゅう 22 青野 あおの )他 た に、テサロニケ第 だい 一 いち の手紙 てがみ 5:23もある
^ マルコ12-29においては、神 かみ は唯一 ゆいいつ の神 かみ ではなく、(唯一 ゆいいつ の神 かみ と表記 ひょうき すべき個所 かしょ を)一 いち なる神 かみ と表記 ひょうき しているとされている(『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P52(マルコ福音 ふくいん 書 しょ 12:29における注 ちゅう 11 佐藤 さとう )。また、マルコによる福音 ふくいん 書 しょ 9:38~40には、唯 ただ 一神教 いっしんきょう に見 み られがちな、排他 はいた 性 せい ・異端 いたん 排斥 はいせき とは異 こと なる調和 ちょうわ 的 てき 立場 たちば がイエスの教示 きょうし として記 しる されている
^ 呪 のろ ってはならないという言葉 ことば は、パウロが実際 じっさい に啓示 けいじ で受 う け継 つ いだイエスの言葉 ことば を引用 いんよう している可能 かのう 性 せい があるとされている『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P658ローマ人 じん への手紙 てがみ 12:14における注 ちゅう 11 青野 あおの
^ ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ 5:20
^ ガラテヤ人 じん への手紙 てがみ 1:8
^ ニカイヤ信条 しんじょう 参照 さんしょう
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P495(1テサ5:1の注 ちゅう 19 青野 あおの )
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい 岩波書店 いわなみしょてん P55、P57
^ 執筆 しっぴつ 年代 ねんだい は90年代 ねんだい 、著者 ちょしゃ は無名 むめい の作者 さくしゃ で、彼 かれ をよく理解 りかい した別 べつ の人物 じんぶつ が今 いま の形 かたち に成 な したとされる。『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P918 (ヨハネ福音 ふくいん 書 しょ の解説 かいせつ 小林 こばやし )
^ a b 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん 補注 ほちゅう 用語 ようご 解説 かいせつ P19 裁 さば きの項目 こうもく 新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい
^ マルコ3:28
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』新約 しんやく 聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく 委員 いいん 会 かい 岩波書店 いわなみしょてん P920 テサロニケ人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 解説 かいせつ 青野 あおの
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P921 コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ 解説 かいせつ 青野 あおの
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P922 コリント人 じん への第 だい 二 に の手紙 てがみ 解説 かいせつ 青野 あおの
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P925 フィリピ人 じん への手紙 てがみ 解説 かいせつ 青野 あおの
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P927 フィレモンへの手紙 てがみ 解説 かいせつ 青野 あおの
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P928 ローマ人 じん への手紙 てがみ 解説 かいせつ 青野 あおの
^ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ 』岩波書店 いわなみしょてん P929~P933 (コロサイ、テサロニケ第 だい 二 に 、テモテ第 だい 一 いち 、第 だい 二 に 、ヘブルにおける各 かく 解説 かいせつ )保坂 ほさか 小林 こばやし
^ コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#11:3
^ エペソ人 じん への手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#5:22-25
^ テモテヘの第 だい 一 いち の手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#2:12-14
^ マルコによる福音 ふくいん 書 しょ 4:35-41、5:25-34、8章 しょう と14章 しょう の対比 たいひ 、15:40-16:7
^ ヨハネによる福音 ふくいん 書 しょ 4:26-39、12章 しょう 、13章 しょう 、20:1-16
^ 荒井 あらい 献 けんじ 『新約 しんやく 聖書 せいしょ の女性 じょせい 観 かん 』岩波書店 いわなみしょてん 〈岩波 いわなみ セミナーブックス〉、1988年 ねん 、47, 74-78, 175, 187-194頁 ぺーじ 。
^ コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#7:28
^ コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#7:9
^ ローマ人 じん への手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#7:21-25
^ コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#9:27
^ ローマ人 じん への手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#5:6-10
^ ローマ人 じん への手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#5:12-21
^ 新 しん 共同 きょうどう 訳 やく 、「テサロニケの信徒 しんと への手紙 てがみ 一 いち 」4.11。
^ コリント人 じん への第 だい 一 いち の手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#15:12-19
^ 偽 いつわ りの証人 しょうにん は罰 ばち を免 まぬか れない、偽 いつわ りをいう者 もの は滅 ほろ びる。箴言 しんげん (口語 こうご 訳 やく )#19:9
^ 使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん (口語 こうご 訳 やく )#17:16-18
^ コロサイ人 じん への手紙 てがみ (口語 こうご 訳 やく )#2:8
^ M.ルター『新約 しんやく 聖書 せいしょ への序言 じょげん 』「新約 しんやく 聖書 せいしょ の正 ただ しい且 か つ最 もっと も貴重 きちょう な書 しょ はどれであるか」(1522年 ねん )、石原 いしはら 謙 けん 訳 やく 『キリスト者 しゃ の自由 じゆう 、聖書 せいしょ への序言 じょげん 』岩波 いわなみ 文庫 ぶんこ 、1955年 ねん ISBN 4003380819 所収 しょしゅう
ウィキメディア・コモンズには、
パウロ に
関連 かんれん する
メディア および
カテゴリ があります。