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浮世絵師 - Wikipedia

浮世絵うきよえ

浮世絵うきよええがひと

浮世絵うきよえ(うきよえし)とは、浮世絵うきよええが絵師えしのこと。画工がこうとも[注釈ちゅうしゃく 1]

概要がいよう 編集へんしゅう

浮世絵うきよえ菱川ひしかわ師宣もろのぶとされる。師宣もろのぶ肉筆にくひつ浮世絵うきよえのみならず、版本はんぽん挿絵さしえ手掛てがけ、のち挿絵さしえいちまいとして独立どくりつさせた[1]浮世絵うきよえ版画はんが当初とうしょすみ一色いっしょく表現ひょうげんぼくすり)だったが、そのふで彩色さいしきするわりにべに彩色さいしきするべにすうしょくいろばんもちいたべにすりおおくのいろばんもちいる錦絵にしきえ、と発展はってんした[2]

浮世絵うきよえ江戸えど時代じだい寛文ひろふみ(1661ねん - 1673ねん)に登場とうじょうし、その終焉しゅうえん明治めいじ時代じだいで、にちしんにち戦争せんそう(1904ねん-明治めいじ37ねんから翌年よくねんにかけて)ののちといわれる[3]

画題がだいとしては、役者やくしゃ美人びじん武者むしゃ名所めいしょ春画しゅんがなどがあり、幅広はばひろ画題がだいひいでた浮世絵うきよえや、特定とくてい分野ぶんや得意とくい浮世絵うきよえがいた。

浮世絵うきよえ版画はんがにおける浮世絵うきよえ役割やくわり 編集へんしゅう

浮世絵うきよえ版画はんがでは、一般いっぱん作品さくひん浮世絵うきよえ名前なまえだけがられるが、作成さくせいにおいては、版元はんもと浮世絵うきよえすり協同きょうどう分業ぶんぎょうによっていた[2][4]浮世絵うきよえ役割やくわりとしては、

  • 版元はんもとからの作画さくが依頼いらいける
  • すみせんきによる版下はんした作成さくせい
  • 版下はんしたから作成さくせいしたふくすうまいおもばんすみすり校合きょうごうすり)にいろし(いろ指定してい)する
  • すりによるためすり確認かくにん版元はんもとともおこな

があげられる。

浮世絵うきよえ系譜けいふ 編集へんしゅう

おも浮世絵うきよえ系譜けいふとしては、以下いかのような系列けいれつがある[1]

ある一門いちもん弟子でしりしたものは、手本てほん利用りようしてえがかた学習がくしゅうする[5]おおくの浮世絵うきよえは、読本とくほん挿絵さしえ担当たんとうすることで絵師えしとしての実力じつりょくをそのからみとめられ、手本てほん登場とうじょうするが、錦絵にしきえ作品さくひんちゅうへと転用てんようされていることもある[5]

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 大戸おおとよしいにしえ浮世絵うきよえ』(三省堂さんせいどう選書せんしょ三省堂さんせいどう、1978ねん)では、浮世絵うきよえ版画はんが絵師えし画工がこうんでいる。

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ a b 小林こばやしただしかん『【カラーばん浮世絵うきよえ歴史れきし美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1998ねん5がつ、pp.25-27, 188-190
  2. ^ a b 守屋もりや正彦まさひこかん日本にっぽん美術びじゅつ図解ずかい事典じてん東京とうきょう美術びじゅつ、2011ねん9がつ
  3. ^ 田辺たなべ昌子まさこかん徹底てってい図解ずかい 浮世絵うきよえ新星しんせい出版しゅっぱんしゃ、2011ねん12月、pp108、126
  4. ^ 稲垣いながき進一しんいちへん図説ずせつ 浮世絵うきよえ入門にゅうもん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 2011ねん2がつ
  5. ^ a b 中山なかやまはじめふとし浮世絵うきよえにみる手本てほん利用りよういち考察こうさつ 中国ちゅうごく源流げんりゅうとする歌川うたがわ作品さくひん中心ちゅうしん」『ひがしアジア文化ぶんか交渉こうしょう研究けんきゅうだい5かん、2012ねん2がつ、389-405ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう