牧野まきの 英成えいせい (まきの ひでしげ)は、江戸えど時代じだい前期ぜんきから中期ちゅうきにかけての大名だいみょう・京都きょうと所司代しょしだい。丹後たんご国こく田辺たなべ藩はんの第だい3代だい藩主はんしゅ。丹後たんご田辺たなべ藩はん牧野ぼくや家か4代だい。官位かんいは従したがえ四よん位い下か・河内かわうち守まもる。
旗本はたもと・村越むらこし直ただし成なり(牧野まきの信成のぶなりの十じゅう男なん)の長男ちょうなんとして誕生たんじょうした。伯父おじである牧野まきの富とみ成なりに男子だんしがなかったため、父ちちの実家じっかである丹後たんご田辺たなべ藩はん牧野ぼくや家かの養子ようしとなる。元禄げんろく6年ねん(1693年ねん)、富とみ成なりの死しにより家督かとくを相続そうぞくする。寺社じしゃ奉行ぶぎょうや京都きょうと所司代しょしだいを歴任れきにんし、幕政ばくせいにも参与さんよした。元もと文ぶん2年ねん(1737年ねん)隠居いんきょし、家督かとくを次男じなんの明成めいせいに譲ゆずる。寛ひろし保ほ元年がんねん(1741年ねん)死去しきょした。
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