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王綰 - Wikipedia

おう たがね(おう わん、なま没年ぼつねんしょう)は、はた政治せいじ

経歴けいれき

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はた王政おうせい始皇帝しこうてい)のとき、丞相じょうしょうとなった。はじめすめらぎ26ねん紀元前きげんぜん221ねん)、はた中国ちゅうごく統一とういつすると、おうたがね馮劫らとともにはたおうを「たいすめらぎ」とし、そのいのちを「せい」とし、れいを「みことのり」とし、天子てんし自称じしょうを「ちん」とするよう上奏じょうそうした。はた王政おうせいたいすめらぎを「皇帝こうてい」とあらためた以外いがいは、すべてその意見いけんれた。またおうたがねらはつばめひとし・荊(すわえ)のとおいことから、諸子しょしてて封建ほうけんせいおうとするよう上奏じょうそうした。しかしこの意見いけん斯の反論はんろんけ、始皇帝しこうてい退しりぞけられた[1]。このとしつくられた度量衡どりょうこう基準きじゅんとなるけんりょうめいには、「丞相じょうしょうじょうたがね」の4きざまれており、丞相じょうしょうとして隗状おうたがねれつしていたことが考古こうこてきにもうらづけられる。

はじめすめらぎ28ねん紀元前きげんぜん219ねん)、おうたがね始皇帝しこうてい東方とうほう巡行じゅんこうしたがい、瑯琊だいこくせきれっせられた[2]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 史記しきはたはじめすめらぎ本紀ほんぎ はじめすめらぎ26ねんじょう
  2. ^ 史記しきはたはじめすめらぎ本紀ほんぎ はじめすめらぎ28ねんじょう