田丸 昇
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1950 | |
プロ |
1972 |
2016 | |
109 | |
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546 | |
2 | |
A | |
2016 |
棋歴等
順位 戦 A級 在籍 1期 。A級 初 昇級 時 の41歳 は、木村 義徳 の初 A級 44歳 に次 ぐ史上 2位 の年長 記録 。また、「タイトル挑戦 ・棋戦 優勝 ・将棋 大賞 受賞 いずれの経験 もないA級 棋士 」は、史上 初 [注 1]であった。しかし、順位 戦 では安定 した強 さをみせ、B級 1組 には通算 16期 にわたり在籍 し、47歳 までB級 1組 を守 っていた。- 1989
年度 棋王 戦 で挑戦 者 決定 戦 に進出 するも大山 康晴 に敗 れる。これが大山 最後 の、そして史上 最年長 66歳 でのタイトル戦 となった。 - 1996
年 、現役 勤続 25年 表彰 - 2005
年 4月 19日 、通算 500勝 達成 (竜王 戦 6組 、対 松浦 隆一 戦 ) - 2008
年度 順位 戦 ではC級 2組 で10戦 全敗 を喫 し、2個 目 の降 級 点 を取得 。2009年 4月 1日 付 でフリークラスへの転出 を宣言 をした。 - 2013
年 4月 1日 、九段 昇段 。八 段 昇段 からフリークラス転出 までの期間 の勝 ち数 と、転出 後 の経過 年数 が加味 された上 での「フリークラス規定 」に基 づく昇段 であったが、この規定 による九 段 昇段 は史上 初 であった。 上述 のフリークラス棋士 規定 に基 づき、2015年度 の全 対局 が終了 した時点 での引退 が予定 されており、2016年 3月 31日 にその旨 が正式 に発表 された[2]。同日 時点 で第 29期 竜王 戦 6組 昇級 者 決定 戦 のみ対局 が残 っており、当期 竜王 戦 6組 ランキング戦 における成績 の関係 上 、田丸 は4回戦 にシードされ、2016年 7月 29日 に上野 裕和 と対戦 し勝利 。続 く5回戦 では同年 9月 27日 に近藤 誠 也[注 2]と対戦 し、これにも勝利 [注 3]し準決勝 に進出 した。田丸 が決勝 を勝 ち抜 いた場合 、次期 竜王 戦 には出場 できない[注 4]が、現役 最後 の対局 を白星 で飾 るという、将棋 界 では珍 しい記録 [注 5]を残 せる可能 性 があった。しかし同年 10月 25日 の準決勝 戦 で門倉 啓 太 に敗 れ、同日 付 で引退 となった[3]。
人物
将棋 を始 めたきっかけは、1962年 の夏休 み(当時 、田丸 は小学 6年生 )に村田 英雄 の「王将 」を聞 いたことだったという[4]。- 1965
年 、6級 で奨励 会 入 り。中学 卒業 とともに師匠 の佐瀬 勇次 の家 に下宿 し、内弟子 生活 を始 める。このとき、兄弟子 である米長 邦雄 からは高校 進学 をアドバイスされたが、結局 は師匠 の意向 もあって、高校 進学 はしなかった。 田丸 昇 自身 の著書 「将棋 界 の事件 簿 」によれば、「14歳 で奨励 会 六 級 を受験 したが、アマチュア二 段 程度 の実力 だったので二 連敗 した。当日 の夕方 、師匠 の佐瀬 勇次 七 段 に誘 われて新宿 の釜飯 屋 に行 った。奨励 会 幹事 の芹沢 (博文 八 段 )も連 れ立 った。(中略 )やがて芹沢 は少 しばかり威儀 を正 すと「よろしい。君 は学生 服 を着 てきちんと正座 して対局 していたので、試験 は合格 にしよう」と言 ってくれた。これは後 で知 ったことだが、師匠 と芹沢 の間 には「芹沢 くん、うちの弟子 を何 とか頼 むよ」「わかりました。佐瀬 さんには麻雀 でいつも稼 がせてもらっていますからね」というような話 の密約 があり、最初 から合格 が決 まっていたのだ。昔 の将棋 界 は、幹事 の独断 や有力 棋士 の働 きかけで奨励 会 入会 を認 めることは珍 しくなかったという。」とのこと。将棋 雑誌 はスポーツ新聞 などにも執筆 。新里 緑 のペンネームも用 いた[5]。- 1979
年 5月 に処女 出版 となった「縁台 将棋 必勝 法 」は、版元 の鶴 書房 が発刊 2ヶ月 足 らずで倒産 し、印税 が25%ほどしか貰 えなかった。版元 の倒産 により絶版 となっていたが、その後 加筆 を含 めて「ハイテク将棋 必勝 法 」として出版 されている。 - 1983
年 4月 から1984年 3月 までの1年間 、NHK将棋 講座 の講師 を務 めた。 - 1989
年 から1995年 まで日本 将棋 連盟 出版 担当 理事 、2001年 2月 から2003年 3月 まで雑誌 『将棋 世界 』編集 長 を務 める。 将棋 連盟 の「対局 手合 係 」を長年 務 めた[5]。女流 棋士 の谷川 治 恵 は、兄妹 弟子 で、元 妻 。居 飛車 党 で、定跡 から離 れた独自 の研究 による力戦 を好 むため「つっぱり流 」と称 された。- 30
代 後半 にしてすでに総 白髪 であった。長髪 にしていたこともあり、「ライオン丸 」と呼 ばれた。 - 『「
週刊 将棋 」』の連載 や本人 のブログにおいて、将棋 界 の内情 、事件 、有名人 と将棋 の係 わり等 について言及 している。 九 段 昇段 の際 には、事前 に田丸 本人 へ通知 されることなく、日本 将棋 連盟 公式 ホームページに「2013年 4月 1日 付 昇級 ・昇段 者 」が2013年 4月 2日 に掲載 された。さっそく田丸 のブログに九 段 昇段 を祝 うコメントが寄 せられたが、それを見 た田丸 は当惑 し「1日 遅 れのエイプリルフールか?」と訝 った[6]。順位 戦 においては、対戦 相手 への敬意 と勝負 にかける真剣 さを見 せるべく、相手 の昇級 や降 級 のかかった最終 戦 に和服 で臨 むことが多 かった[注 6][7]。
弟子
棋士 となった弟子
1987 |
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2016 |
(2021
女流 棋士 となった弟子
2018 |
(2021
昇段 履歴
主 な成績
在籍 クラス
A |
B |
C |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
T |
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1 |
2 |
1 |
2 | |||||||||||||||
1972 | 27 | C217 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | C204 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | C114 | ||||||||||||||||
1975 | 30 | C109 | ||||||||||||||||
( |
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1976 | 36 | C110 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | C105 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | B216 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | B210 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | B113 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | B108 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | B103 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | B111 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | B107 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | B112 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | B103 | 1 | 2 |
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1988 | 47 | B201 | 2 | 2 |
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1989 | 48 | B112 | 3 | 3 |
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1990 | 49 | B110 | 4 | 2 |
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1991 | 50 | B108 | 5 | 2 |
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1992 | 51 | A 10 | 6 | 3 |
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1993 | 52 | B101 | 7 | 3 |
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1994 | 53 | B110 | 8 | 4 |
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1995 | 54 | B108 | 9 | 4 |
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1996 | 55 | B111 | 10 | 5 |
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1997 | 56 | B111 | 11 | 5 |
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1998 | 57 | B107 | 12 | 5 |
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1999 | 58 | B201 | 13 | 5 |
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2000 | 59 | B209 | 14 | 5 |
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2001 | 60 | B222 | 15 | 5 |
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2002 | 61 | B218 | 16 | 5 |
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2003 | 62 | B217 | 17 | 5 |
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2004 | 63 | B217 | 18 | 6 |
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2005 | 64 | C101 | 19 | 6 |
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2006 | 65 | C128 | 20 | 6 |
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2007 | 66 | C201 | 21 | 6 |
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2008 | 67 | C235 | 22 | 6 |
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2009 | 68 | F |
23 | 6 |
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2010 | 69 | F |
24 | 6 |
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2011 | 70 | F |
25 | 6 |
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2012 | 71 | F |
26 | 6 |
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2013 | 72 | F |
27 | 6 |
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2014 | 73 | F |
28 | 6 |
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2015 | 74 | F |
29 | 6 |
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主 な著書
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将棋 早 わかりベスト作戦 (1982年 9月 、小学館 、ASIN B000J7JFNC)- やさしい
将棋 入門 ―だれにもわかる! (1983年 3月 、小学館 、ISBN 4091180221) 初段 に挑戦 する将棋 シリーズ将棋 がわかる本 (1986年 6月 、創 元 社 、ISBN 442275064X)- すぐに
役立 つ ハイテク将棋 必勝 法 (1987年 7月 、棋苑図書 、ISBN 4873650445) 詰 め方 カタログ―実戦 での詰 めがすべてわかる (1987年 7月 、創 元 社 、ISBN 4422750682)週 将 ブックス実戦 によく出 る仕掛 けハンドブック (1987年 9月 、毎日 コミュニケーションズ、ISBN 4895635147)初段 に挑戦 する将棋 シリーズ急戦 左 美濃 戦法 振 り飛車 破 りの切 り札 (1988年 4月 、エルパカBOOKS、ISBN 4422750690)- すぐに
役立 つ実力 アップ実戦 次 の一 手 (1990年 6月 、棋苑図書 、ISBN 4873650623) - すぐに
役立 つ初段 をめざす将棋 レッスン (1990年 8月 、棋苑図書 、ISBN 487365064X) - すぐに
役立 つ オール寄 せの手筋 (1991年 3月 、棋苑図書 、ISBN 4873650631) - すぐに
役立 つ やさしい実戦 詰 め方 ドリル (1995年 9月 、棋苑図書 、ISBN 487365100X) 攻 めて勝 つ田丸 流 実戦 アタック (1996年 1月 、棋苑図書 、ISBN 4873651018)- まんがでマスター
子 ども名人 シリーズ めざせ将棋 名人 (構成 ・文 、1997年 6月 、集英社 、ISBN 4-08-288048-8) 小 駒 の必勝 テクニック(1997年 6月 、毎日 コミュニケーションズ、ISBN 4895636585)振 り飛車 破 りユニーク戦法 (2005年 2月 、創 元 社 、ISBN 4422750984)
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運命 の一 着 この一手 が将棋 史 を変 えた。 (1996年 4月 、毎日 コミュニケーションズ、ISBN 4-89563-651-8)将棋 界 の事件 簿 現役 プロ棋士 の実話 レポート(2005年 10月 、毎日 コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1802-3)実録 名人 戦 秘話 ~棋士 生活 40年 田丸 昇 の将棋 界 見聞 記 (2011年 12月、マイナビ、ISBN 4839939845)熱血 の棋士 山田 道 美 伝 (2012年 12月、マイナビ、ISBN 4839943729)名人 を獲 る評伝 米長 邦雄 (2021年 3月 、国書刊行会 )
脚注
注釈
- ^
後 に橋本 崇 載 も達成 している。 - ^
近藤 は当時 プロ入 り1年 目 で、デビュー以来 33勝 8敗 (しかも、田丸 と対局 した時点 で直近 7連勝 )で、将棋 界 大 難関 とされる王将 リーグへの出場 を決 めるなど、快 進撃 を続 けていた。 - ^
当該 対局 の棋譜 及 び観戦 記 は、2016年 10月 14日 から同年 同月 21日 の読売新聞 に掲載 された。同 新聞 社 は当初 、当期 竜王 戦 挑戦 者 決定 戦 三 番 勝負 (三浦 弘行 対 丸山 忠久 )を掲載 する予定 であったが、七 番 勝負 の挑戦 者 となるはずだった三浦 の将棋 ソフト不正 使用 疑惑 (のちに不正 行為 の不 存在 が認定 された)を受 けて、掲載 を見合 わせたことで代 わりに田丸 の対 近藤 戦 が掲載 される形 となった。 - ^
順位 戦 のC級 2組 で降 級 点 を3回 喫 したり、三 段 リーグで次点 2回 を獲得 したりしてフリークラスに編入 した棋士 が、在籍 期限 の最終 年度 を竜王 戦 5組 で迎 えて残留 した場合 は竜王 戦 に限定 して2年間 引退 を延長 できる規定 が存在 する。しかし田丸 は在籍 期限 の最終 年度 を6組 で迎 え、かつ自身 の意思 でフリークラスに転出 したため、この規定 の対象 外 であった。 - ^
現役 最後 の対局 を白星 で飾 る例 は、フリークラス制度 が創設 されて以降 、田丸 の引退 までに2例 発生 している(2010年度 の大内 延 介 ・2015年度 の淡路 仁 茂 )が、いずれも残留 決定 戦 での白星 であり、昇級 者 決定 戦 の勝 ちあがりの例 はまだない。 - ^
代表 的 な例 に、第 63期 順位 戦 B級 2組 最終 局 ・土佐 浩司 戦 があり、土佐 は8勝 1敗 で暫定 2位 (田丸 に勝 てばB級 1組 に昇級 、敗 れても暫定 3位 の野月 浩 貴 が敗 れた場合 は昇級 )で最終 局 を迎 えたのに対 し、田丸 は9連敗 で既 に最終 局 の勝敗 結果 に関 わらずC級 1組 への降 級 が決定 していた。田丸 はこの土佐 戦 に勝 ち、一方 で野月 は屋敷 伸之 に勝 ったため、結果 として土佐 は昇級 できなかった。 - ^ a b
昇降 級 リーグ2組 は現在 の順位 戦 B級 2組 、昇降 級 リーグ1組 はB級 1組 に相当 する。
出典
- ^
独 り遊 びが好 きだった田丸 の少年 時代 - ^
日本 将棋 連盟 ・お知 らせ「昇段 ・引退 棋士 のお知 らせ」(2016年 3月 31日 ) - ^
日本 将棋 連盟 公式 web・将棋 ニュース「田丸 昇 九 段 が引退 」(2016年 10月 26日 ) - ^ ラジオから
流 れる村田 英雄 「王将 」を聴 いて将棋 を始 めた(3ページ目 )日刊 ゲンダイ(田丸 昇 )、2017年 12月29日 (2018年 7月 27日 閲覧 )。 - ^ a b
越智 信義 『将棋 文化 誌 』 (Kindle本 ) - ^ “
田丸 昇 は2013年 4月 1日 付 で九 段 に昇段 しました”.将棋 棋士 田丸 昇 のと金 横 歩 き. 2015年 7月 11日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2017年 3月 25日 閲覧 。 - ^
田丸 ブログ「と金 の横 歩 き」、週刊 将棋 「と金 ゼミナール・拡大 版 田丸 の秘蔵 写真 特集 」ほか
関連 項目
外部 リンク
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