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田丸昇 - Wikipedia

田丸たまるのぼる

日本にっぽん将棋しょうぎ棋士きし

田丸たまる のぼる(たまる のぼる、1950ねん5月5にち - )は、将棋しょうぎ棋士きし。2016ねん10がつ引退いんたい長野ながのけん北佐久きたさくぐん北御牧きたみまきむらげんひがし[1]出身しゅっしん佐瀬させ勇次ゆうじ名誉めいよきゅうだん門下もんか棋士きし番号ばんごう109。

 田丸たまる のぼる きゅうだん
名前なまえ 田丸たまる のぼる
生年月日せいねんがっぴ (1950-05-05) 1950ねん5月5にち(74さい
プロ年月日ねんがっぴ 1972ねん4がつ1にち(21さい
引退いんたい年月日ねんがっぴ 2016ねん10がつ25にち(66さい
棋士きし番号ばんごう 109
出身しゅっしん 長野ながのけん北佐久きたさくぐん北御牧きたみまきむら
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 佐瀬させ勇次ゆうじ名誉めいよきゅうだん
弟子でし 櫛田くした陽一よういち井出いではやぶさひらた小高おだか佐季子さきこ
段位だんい きゅうだん
棋士きしDB 田丸たまる のぼる
戦績せんせき
通算つうさん成績せいせき 546しょう728はい(0.4285)
竜王りゅうおうせん最高さいこうクラス 2くみ
順位じゅんいせん最高さいこうクラス Aきゅう(1
2016ねん10がつ29にち現在げんざい
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  • 順位じゅんいせんAきゅう在籍ざいせき1。Aきゅうはつ昇級しょうきゅうの41さいは、木村きむら義徳よしのりはつAきゅう44さい史上しじょう2年長ねんちょう記録きろく。また、「タイトル挑戦ちょうせん棋戦きせん優勝ゆうしょう将棋しょうぎ大賞たいしょう受賞じゅしょういずれの経験けいけんもないAきゅう棋士きし」は、史上しじょうはつ[ちゅう 1]であった。しかし、順位じゅんいせんでは安定あんていしたつよさをみせ、Bきゅう1くみには通算つうさん16にわたり在籍ざいせきし、47さいまでBきゅう1くみまもっていた。
  • 1989年度ねんど棋王きおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん進出しんしゅつするも大山おおやま康晴やすはるやぶれる。これが大山おおやま最後さいごの、そして史上しじょう最年長さいねんちょう66さいでのタイトルせんとなった。
  • 1996ねん現役げんえき勤続きんぞく25ねん表彰ひょうしょう
  • 2005ねん4がつ19にち通算つうさん500しょう達成たっせい竜王りゅうおうせん6くみたい松浦まつうら隆一りゅういちせん
  • 2008年度ねんど順位じゅんいせんではCきゅう2くみで10せん全敗ぜんぱいきっし、2くだきゅうてん取得しゅとく。2009ねん4がつ1にちづけフリークラスへの転出てんしゅつ宣言せんげんをした。
  • 2013ねん4がつ1にち九段くだん昇段しょうだんはちだん昇段しょうだんからフリークラス転出てんしゅつまでの期間きかんすうと、転出てんしゅつ経過けいか年数ねんすう加味かみされたうえでの「フリークラス規定きてい」にもとづく昇段しょうだんであったが、この規定きていによるきゅうだん昇段しょうだん史上しじょうはつであった。
  • 上述じょうじゅつのフリークラス棋士きし規定きていもとづき、2015年度ねんどぜん対局たいきょく終了しゅうりょうした時点じてんでの引退いんたい予定よていされており、2016ねん3がつ31にちにそのむね正式せいしき発表はっぴょうされた[2]同日どうじつ時点じてんだい29竜王りゅうおうせん6くみ昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせんのみ対局たいきょくのこっており、当期とうき竜王りゅうおうせん6くみランキングせんにおける成績せいせき関係かんけいじょう田丸たまるは4回戦かいせんにシードされ、2016ねん7がつ29にち上野うえの裕和ひろかず対戦たいせん勝利しょうりつづく5回戦かいせんでは同年どうねん9がつ27にち近藤こんどうまこと[ちゅう 2]対戦たいせんし、これにも勝利しょうり[ちゅう 3]準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつした。田丸たまる決勝けっしょういた場合ばあい次期じき竜王りゅうおうせんには出場しゅつじょうできない[ちゅう 4]が、現役げんえき最後さいご対局たいきょく白星しろぼしかざるという、将棋しょうぎかいではめずらしい記録きろく[ちゅう 5]のこせる可能かのうせいがあった。しかし同年どうねん10がつ25にち準決勝じゅんけっしょうせん門倉かどくらあきらふとしやぶれ、同日どうじつづけ引退いんたいとなった[3]

人物じんぶつ

編集へんしゅう
  • 将棋しょうぎはじめたきっかけは、1962ねん夏休なつやすみ(当時とうじ田丸たまる小学しょうがく6年生ねんせい)に村田むらた英雄ひでおの「王将おうしょう」をいたことだったという[4]
  • 1965ねん、6きゅう奨励しょうれいかいり。中学ちゅうがく卒業そつぎょうとともに師匠ししょう佐瀬させ勇次ゆうじいえ下宿げしゅくし、内弟子うちでし生活せいかつはじめる。このとき、兄弟子あにでしである米長よねなが邦雄くにおからは高校こうこう進学しんがくをアドバイスされたが、結局けっきょく師匠ししょう意向いこうもあって、高校こうこう進学しんがくはしなかった。
  • 田丸たまるのぼる自身じしん著書ちょしょ将棋しょうぎかい事件じけん簿」によれば、「14さい奨励しょうれいかいろくきゅう受験じゅけんしたが、アマチュアだん程度ていど実力じつりょくだったので連敗れんぱいした。当日とうじつ夕方ゆうがた師匠ししょう佐瀬させ勇次ゆうじななだんさそわれて新宿しんじゅく釜飯かまめしった。奨励しょうれいかい幹事かんじ芹沢せりざわ博文ひろぶみはちだん)もった。(中略ちゅうりゃく)やがて芹沢せりざわすこしばかり威儀いぎただすと「よろしい。くん学生がくせいふくてきちんと正座せいざして対局たいきょくしていたので、試験しけん合格ごうかくにしよう」とってくれた。これはあとったことだが、師匠ししょう芹沢せりざわあいだには「芹沢せりざわくん、うちの弟子でしなんとかたのむよ」「わかりました。佐瀬させさんには麻雀まーじゃんでいつもかせがせてもらっていますからね」というようなはなし密約みつやくがあり、最初さいしょから合格ごうかくまっていたのだ。むかし将棋しょうぎかいは、幹事かんじ独断どくだん有力ゆうりょく棋士きしはたらきかけで奨励しょうれいかい入会にゅうかいみとめることはめずらしくなかったという。」とのこと。
  • 将棋しょうぎ雑誌ざっしはスポーツ新聞しんぶんなどにも執筆しっぴつ新里にいさとみどりのペンネームももちいた[5]
  • 1979ねん5がつ処女しょじょ出版しゅっぱんとなった「縁台えんだい将棋しょうぎ必勝ひっしょうほう」は、版元はんもとつる書房しょぼう発刊はっかん2ヶ月かげつらずで倒産とうさんし、印税いんぜいが25%ほどしかもらえなかった。版元はんもと倒産とうさんにより絶版ぜっぱんとなっていたが、その加筆かひつふくめて「ハイテク将棋しょうぎ必勝ひっしょうほう」として出版しゅっぱんされている。
  • 1983ねん4がつから1984ねん3がつまでの1年間ねんかん、NHK将棋しょうぎ講座こうざ講師こうしつとめた。
  • 1989ねんから1995ねんまで日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい出版しゅっぱん担当たんとう理事りじ、2001ねん2がつから2003ねん3がつまで雑誌ざっし将棋しょうぎ世界せかい編集へんしゅうちょうつとめる。
  • 将棋しょうぎ連盟れんめいの「対局たいきょく手合てあいがかり」を長年ながねんつとめた[5]
  • 女流じょりゅう棋士きし谷川たにがわおさむめぐみは、兄妹きょうだい弟子でしで、もとつま
  • きょ飛車ひしゃとうで、定跡じょうせきからはなれた独自どくじ研究けんきゅうによる力戦りきせんこのむため「つっぱりりゅう」としょうされた。
  • 30だい後半こうはんにしてすでにそう白髪はくはつであった。長髪ちょうはつにしていたこともあり、「ライオンまる」とばれた。
  • 『「週刊しゅうかん将棋しょうぎ」』の連載れんさい本人ほんにんのブログにおいて、将棋しょうぎかい内情ないじょう事件じけん有名人ゆうめいじん将棋しょうぎかかわりとうについて言及げんきゅうしている。
  • きゅうだん昇段しょうだんさいには、事前じぜん田丸たまる本人ほんにん通知つうちされることなく、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい公式こうしきホームページに「2013ねん4がつ1にちづけ昇級しょうきゅう昇段しょうだんしゃ」が2013ねん4がつ2にち掲載けいさいされた。さっそく田丸たまるのブログにきゅうだん昇段しょうだんいわうコメントがせられたが、それを田丸たまる当惑とうわくし「1にちおくれのエイプリルフールか?」といぶかった[6]
  • 順位じゅんいせんにおいては、対戦たいせん相手あいてへの敬意けいい勝負しょうぶにかける真剣しんけんさをせるべく、相手あいて昇級しょうきゅうくだきゅうのかかった最終さいしゅうせん和服わふくのぞむことがおおかった[ちゅう 6][7]

棋士きしとなった弟子でし

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名前なまえ よんだん昇段しょうだん 段位だんいおも活躍かつやく
櫛田くした陽一よういち 1987ねん3がつ5にち ななだん一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう1かい
井出いではやぶさひらた 2016ねん4がつ1にち だん一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう1かい

(2021ねん2がつ25にち現在げんざい

女流じょりゅう棋士きしとなった弟子でし

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名前なまえ 女流じょりゅう2きゅう昇級しょうきゅう 段位だんいおも活躍かつやく
小高おだか佐季子さきこ 2018ねん2がつ7にち 女流じょりゅう初段しょだん

(2021ねん4がつ1にち現在げんざい

昇段しょうだん履歴りれき

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おも成績せいせき

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在籍ざいせきクラス

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順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん (出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1972 27 C217
1973 28 C204
1974 29 C114
1975 30 C109
だい31-35順位じゅんいせん欠番けつばん
1976 36 C110
1978 37 C105
1979 38 B216
1980 39 B210
1981 40 B113
1982 41 B108
1983 42 B103
1984 43 B111
1985 44 B107
1986 45 B112
1987 46 B103 1 2くみ --
1988 47 B201 2 2くみ --
1989 48 B112 3 3くみ --
1990 49 B110 4 2くみ --
1991 50 B108 5 2くみ --
1992 51 A 10 6 3くみ --
1993 52 B101 7 3くみ --
1994 53 B110 8 4くみ --
1995 54 B108 9 4くみ --
1996 55 B111 10 5くみ --
1997 56 B111 11 5くみ --
1998 57 B107 12 5くみ --
1999 58 B201 13 5くみ --
2000 59 B209 14 5くみ --
2001 60 B222 15 5くみ --
2002 61 B218 16 5くみ --
2003 62 B217 17 5くみ --
2004 63 B217 18 6くみ --
2005 64 C101 19 6くみ --
2006 65 C128 20 6くみ --
2007 66 C201 21 6くみ --
2008 67 C235 22 6くみ --
2009 68 Fせん 23 6くみ --
2010 69 Fせん 24 6くみ --
2011 70 Fせん 25 6くみ --
2012 71 Fせん 26 6くみ --
2013 72 Fせん 27 6くみ --
2014 73 Fせん 28 6くみ --
2015 74 Fせん 29 6くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

おも著書ちょしょ

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<将棋しょうぎ 戦術せんじゅつしょ>

  • 将棋しょうぎはやわかりベスト作戦さくせん (1982ねん9がつ小学館しょうがくかん、ASIN B000J7JFNC)
  • やさしい将棋しょうぎ入門にゅうもん―だれにもわかる! (1983ねん3がつ小学館しょうがくかんISBN 4091180221
  • 初段しょだん挑戦ちょうせんする将棋しょうぎシリーズ 将棋しょうぎがわかるほん (1986ねん6がつはじめもとしゃISBN 442275064X
  • すぐに役立やくだつ ハイテク将棋しょうぎ必勝ひっしょうほう (1987ねん7がつ、棋苑図書としょISBN 4873650445)
  • かたカタログ―実戦じっせんでのめがすべてわかる  (1987ねん7がつはじめもとしゃISBN 4422750682
  • しゅうはたブックス 実戦じっせんによく仕掛しかけハンドブック (1987ねん9がつ毎日まいにちコミュニケーションズ、ISBN 4895635147
  • 初段しょだん挑戦ちょうせんする将棋しょうぎシリーズ 急戦きゅうせんひだり美濃みの戦法せんぽう 飛車ひしゃやぶりのふだ  (1988ねん4がつ、エルパカBOOKS、ISBN 4422750690
  • すぐに役立やくだ実力じつりょくアップ実戦じっせんいち (1990ねん6がつ、棋苑図書としょISBN 4873650623
  • すぐに役立やくだ初段しょだんをめざす将棋しょうぎレッスン (1990ねん8がつ、棋苑図書としょISBN 487365064X
  • すぐに役立やくだつ オールせの手筋てすじ (1991ねん3がつ、棋苑図書としょISBN 4873650631
  • すぐに役立やくだつ やさしい実戦じっせんかたドリル (1995ねん9がつ、棋苑図書としょISBN 487365100X
  • めて田丸たまるりゅう実戦じっせんアタック (1996ねん1がつ、棋苑図書としょISBN 4873651018
  • まんがでマスターども名人めいじんシリーズ めざせ将棋しょうぎ名人めいじん構成こうせいぶん、1997ねん6がつ集英社しゅうえいしゃISBN 4-08-288048-8
  • しょうこま必勝ひっしょうテクニック(1997ねん6がつ毎日まいにちコミュニケーションズ、ISBN 4895636585
  • 飛車ひしゃやぶりユニーク戦法せんぽう(2005ねん2がつはじめもとしゃISBN 4422750984

<将棋しょうぎ 著作ちょさく>

  • 運命うんめいいちちゃく この一手いって将棋しょうぎえた。 (1996ねん4がつ毎日まいにちコミュニケーションズ、ISBN 4-89563-651-8
  • 将棋しょうぎかい事件じけん簿 現役げんえきプロ棋士きし実話じつわレポート(2005ねん10がつ毎日まいにちコミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1802-3
  • 実録じつろく 名人めいじんせん秘話ひわ棋士きし生活せいかつ40ねん 田丸たまるのぼる将棋しょうぎかい見聞けんぶん(2011ねん12月、マイナビ、ISBN 4839939845
  • 熱血ねっけつ棋士きし 山田やまだみちでん(2012ねん12月、マイナビ、ISBN 4839943729
  • 名人めいじんる 評伝ひょうでん米長よねなが邦雄くにお(2021ねん3がつ国書刊行会こくしょかんこうかい

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ のち橋本はしもとたかし達成たっせいしている。
  2. ^ 近藤こんどう当時とうじプロり1ねんで、デビュー以来いらい33しょう8はい(しかも、田丸たまる対局たいきょくした時点じてん直近ちょっきん7連勝れんしょう)で、将棋しょうぎかいだい難関なんかんとされる王将おうしょうリーグへの出場しゅつじょうめるなど、かい進撃しんげきつづけていた。
  3. ^ 当該とうがい対局たいきょく棋譜きふおよ観戦かんせんは、2016ねん10がつ14にちから同年どうねん同月どうげつ21にち読売新聞よみうりしんぶん掲載けいさいされた。どう新聞しんぶんしゃ当初とうしょ当期とうき竜王りゅうおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんさんばん勝負しょうぶ三浦みうら弘行ひろゆきたい丸山まるやま忠久ただひさ)を掲載けいさいする予定よていであったが、ななばん勝負しょうぶ挑戦ちょうせんしゃとなるはずだった三浦みうら将棋しょうぎソフト不正ふせい使用しよう疑惑ぎわく(のちに不正ふせい行為こうい存在そんざい認定にんていされた)をけて、掲載けいさい見合みあわせたことでわりに田丸たまるたい近藤こんどうせん掲載けいさいされるかたちとなった。
  4. ^ 順位じゅんいせんのCきゅう2くみくだきゅうてんを3かいきっしたり、さんだんリーグで次点じてん2かい獲得かくとくしたりしてフリークラスに編入へんにゅうした棋士きしが、在籍ざいせき期限きげん最終さいしゅう年度ねんど竜王りゅうおうせん5くみむかえて残留ざんりゅうした場合ばあい竜王りゅうおうせん限定げんていして2年間ねんかん引退いんたい延長えんちょうできる規定きてい存在そんざいする。しかし田丸たまる在籍ざいせき期限きげん最終さいしゅう年度ねんどを6くみむかえ、かつ自身じしん意思いしでフリークラスに転出てんしゅつしたため、この規定きてい対象たいしょうがいであった。
  5. ^ 現役げんえき最後さいご対局たいきょく白星しろぼしかざれいは、フリークラス制度せいど創設そうせつされて以降いこう田丸たまる引退いんたいまでに2れい発生はっせいしている(2010年度ねんど大内おおうちのべかい・2015年度ねんど淡路あわじひとししげる)が、いずれも残留ざんりゅう決定けっていせんでの白星しろぼしであり、昇級しょうきゅうしゃ決定けっていせんちあがりのれいはまだない。
  6. ^ 代表だいひょうてきれいに、だい63順位じゅんいせんBきゅう2くみ最終さいしゅうきょく土佐とさ浩司こうじせんがあり、土佐とさは8しょう1はい暫定ざんてい2田丸たまるてばBきゅう1くみ昇級しょうきゅうやぶれても暫定ざんてい3野月のづきひろしたかやぶれた場合ばあい昇級しょうきゅう)で最終さいしゅうきょくむかえたのにたいし、田丸たまるは9連敗れんぱいすで最終さいしゅうきょく勝敗しょうはい結果けっかかかわらずCきゅう1くみへのくだきゅう決定けっていしていた。田丸たまるはこの土佐とさせんち、一方いっぽう野月のづき屋敷やしき伸之のぶゆきったため、結果けっかとして土佐とさ昇級しょうきゅうできなかった。
  7. ^ a b 昇降しょうこうきゅうリーグ2くみ現在げんざい順位じゅんいせんBきゅう2くみ昇降しょうこうきゅうリーグ1くみはBきゅう1くみ相当そうとうする。

出典しゅってん

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  1. ^ ひとあそびがきだった田丸たまる少年しょうねん時代じだい
  2. ^ 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい・おらせ「昇段しょうだん引退いんたい棋士きしのおらせ」(2016ねん3がつ31にち
  3. ^ 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい公式こうしきweb・将棋しょうぎニュース「田丸たまるのぼるきゅうだん引退いんたい」(2016ねん10がつ26にち
  4. ^ ラジオからながれる村田むらた英雄ひでお王将おうしょう」をいて将棋しょうぎはじめた(3ページ 日刊にっかんゲンダイ田丸たまるのぼる)、2017ねん12月29にち(2018ねん7がつ27にち閲覧えつらん)。
  5. ^ a b 越智おち信義のぶよし将棋しょうぎ文化ぶんか』 (Kindleほん
  6. ^ 田丸たまるのぼるは2013ねんがつにちづけきゅうだん昇段しょうだんしました”. 将棋しょうぎ棋士きし田丸たまるのぼるのときんよこあるき. 2015ねん7がつ11にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2017ねん3がつ25にち閲覧えつらん
  7. ^ 田丸たまるブログ「ときんよこあるき」、週刊しゅうかん将棋しょうぎ「ときんゼミナール・拡大かくだいばん 田丸たまる秘蔵ひぞう写真しゃしん特集とくしゅう」ほか

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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