(Translated by https://www.hiragana.jp/)
相田洋 - Wikipedia

相田あいだひろし

日本にっぽんのテレビ番組ばんぐみディレクター

相田あいだ ひろし(あいだ ゆたか、1936ねん5月3にち - )は、日本にっぽんテレビ番組ばんぐみディレクターNHKに39ねん勤務きんむしたのち、フリー。

人物じんぶつ経歴けいれき

編集へんしゅう

きゅう朝鮮ちょうせん全羅北道ぜんらほくどう出身しゅっしん小学生しょうがくせいのときにげた。新潟にいがた県立けんりつ高田高等学校たかだこうとうがっこう早稲田大学わせだだいがく法学部ほうがくぶ卒業そつぎょう、1960ねんにNHK入局にゅうきょく。NHK札幌さっぽろ中央ちゅうおう放送ほうそうきょくでラジオの録音ろくおん構成こうせいやテレビのドキュメンタリー番組ばんぐみのフィルム構成こうせいて、1966ねん東京とうきょう教育きょういくきょく教養きょうようへ。そのもNHKでは一貫いっかんしてドキュメンタリーはたけすすむ。

1968ねんに「ある人生じんせい」で企画きかくしたあるぜんちなまるによるブラジル移民いみん取材しゅざいした「乗船じょうせん名簿めいぼAR29」で文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさい奨励しょうれいしょう受賞じゅしょう。そのも1978ねんに「移住いじゅう10ねん乗船じょうせん名簿めいぼ」、1988ねんに「移住いじゅう20ねん乗船じょうせん名簿めいぼ」、2000ねんに「移住いじゅう31ねん乗船じょうせん名簿めいぼ」、2018ねんに「移住いじゅう 50ねん乗船じょうせん名簿めいぼ」と乗客じょうきゃくをほぼ10ねんごとに追跡ついせき取材しゅざいし、相田あいだのライフワークとなった(「40ねん」がないのは、相田あいだ母親ははおや介護かいご取材しゅざいくことができなかったため)[1][2]。そのにも、NHK特集とくしゅうかく戦争せんそう地球ちきゅう』でイタリアしょう芸術げいじゅつさい大賞たいしょうなど6しょうNHKスペシャル電子でんし立国りっこく日本にっぽん自叙伝じじょでん』で1992ねん芸術げいじゅつ選奨せんしょう文部もんぶ大臣だいじんしょう受賞じゅしょうするなど、ドキュメンタリー番組ばんぐみ多数たすう受賞じゅしょうれきがある。

1987ねんのNHK特集とくしゅう、シリーズ『自動車じどうしゃ』で確立かくりつした「みずからも番組ばんぐみ出演しゅつえんアナウンサーとトークを展開てんかいする」という独特どくとくのスタイルも有名ゆうめいで、これは日本にほんテレビの『テレビさんめん記事きじ ウィークエンダー』に影響えいきょうけ、方法ほうほうろん踏襲とうしゅうしものだという[3]とくに『電子でんし立国りっこく』シリーズとうでコンビをんだ三宅みやけ民夫たみおとは絶妙ぜつみょうなコンビネーションをせたことでられる。『しん電子でんし立国りっこく』ではスタジオトークだけでなくロケにも登場とうじょうし、モーションキャプチャ技術ぎじゅつのデモのためにみずかラジオ体操たいそうだい1を実演じつえんした。

管理かんりしょくにはならずに、現場げんばでチーフディレクターとして番組ばんぐみ制作せいさくつづけ、1999ねんにNHKを定年ていねん退職たいしょく退職たいしょく慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく環境かんきょう情報じょうほう学部がくぶ教授きょうじゅつとめていたが、2001ねんからフリーランスとして、映像えいぞうドキュメンタリーの世界せかい活動かつどうしている。2000ねんには紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょうしている。

2013ねんには、認知にんちしょうわずらったははが100さいくなるまでの8年間ねんかん在宅ざいたく介護かいご模様もよう小型こがたビデオでみずか撮影さつえいし、ドキュメンタリーとして2連続れんぞく放送ほうそうされた。その記録きろく専門せんもんから貴重きちょう資料しりょうとしてたか評価ひょうかされた[4][5]

自分じぶん作品さくひん(『電子でんし立国りっこく』シリーズ)でコンピュータについて学習がくしゅうし、アスキー・ドットPCエッセイ連載れんさい(『相田あいだひろしのデジタルだい好奇心こうきしん』)している。どうエッセイにおいては、2005ねん発表はっぴょう作品さくひんつづみいえ』ではローランドせいのダイレクトリニア編集へんしゅう「DV-7DL」を駆使くしして一切いっさい編集へんしゅう作業さぎょうみずかおこなったことをあきらかにしている。

おも担当たんとう番組ばんぐみ

編集へんしゅう

おも著書ちょしょ

編集へんしゅう

ほとんどは放送ほうそう関連かんれんしたものである。当時とうじ、NHKのしまかつら体制たいせいでは、制作せいさく削減さくげんとNHKの関連かんれん企業きぎょう設立せつりつされ、企画きかくメディアミックスまなければ、企画きかくとおりにくい状況じょうきょうにあった。たとえば、『電子でんし立国りっこく 日本にっぽん自叙伝じじょでん』もほん出版しゅっぱん義務付ぎむづけられて実現じつげんした企画きかくである[13][14]

  • 『NHK 電子でんし立国りっこく日本にっぽん自叙伝じじょでん』(ぜん4かんNHK出版しゅっぱん)1992 のちNHKライブラリー 
  • 航跡こうせき 移住いじゅう31ねん乗船じょうせん名簿めいぼ』(NHK出版しゅっぱん)2003
  • 『ドキュメンタリー わたし現場げんば 記録きろく伝達でんたつの40ねん』(NHK出版しゅっぱん)2003 
  • 『わがはは最後さいごのたたかい 介護かいご3000にち真実しんじつ』NHK出版しゅっぱん 2015

共著きょうちょ

編集へんしゅう
  • しん電子でんし立国りっこくだい墻敦、荒井あらい岳夫たけお矢吹やぶき寿ことぶきしげる赤木あかぎ昭夫あきお共著きょうちょぜん7かん、NHK出版しゅっぱん)1996-97
  • 『マネー革命かくめい宮本みやもと祥子さちこ茂田しげた喜郎よしろう藤波ふじなみ重成しげなり共著きょうちょぜん3かん、NHK出版しゅっぱん)1999 のちNHKライブラリー 

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ 映像えいぞう先駆せんくしゃ 125にん肖像しょうぞう』p.243
  2. ^ 50ねん乗船じょうせん名簿めいぼ 特別とくべつばん - もっとNHKドキュメンタリー
  3. ^ 相田あいだひろし『ドキュメンタリー わたし現場げんば 記録きろく伝達でんたつの40ねん日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、2003ねん、pp.192-193
  4. ^ 認知にんちしょう800まんにん時代じだい、2連続れんぞくNスペで特集とくしゅう ORICON STYLE 2013ねん11月23にち
  5. ^ 在宅ざいたく介護かいご修羅場しゅらば!「ドキュメンタリスト相田あいだひろしつづけた認知にんちしょうははとの悪戦苦闘あくせんくとうつづけてほしいNHK問題もんだい提起ていき <NHKスペシャル はは息子むすこ介護かいご記録きろく認知にんちしょう800まんにん時代じだいへの処方箋しょほうせん>(NHK総合そうごう J-CASTテレビウォッチ 2013ねん11月28にち
  6. ^ ドキュメンタリー 乗船じょうせん名簿めいぼAR-29 - NHK名作めいさくせん動画どうが静止せいし) NHKアーカイブス
  7. ^ NHK特集とくしゅう コンコルド - NHK名作めいさくせん動画どうが静止せいし) NHKアーカイブス
  8. ^ NHK特集とくしゅう 昭和しょうわ誕生たんじょう - NHK名作めいさくせん動画どうが静止せいし) NHKアーカイブス
  9. ^ NHK特集とくしゅう 東京とうきょうだい空襲くうしゅう - NHK名作めいさくせん動画どうが静止せいし) NHKアーカイブス
  10. ^ NHK特集とくしゅう 世界せかい科学かがくしゃ予見よけんする・かく戦争せんそう地球ちきゅう - NHK名作めいさくせん動画どうが静止せいし) NHKアーカイブス
  11. ^ NHKスペシャル 電子でんし立国りっこく 日本にっぽん自叙伝じじょでん - NHK名作めいさくせん動画どうが静止せいし) NHKアーカイブス
  12. ^ NHKスペシャル しん電子でんし立国りっこく - NHK名作めいさくせん動画どうが静止せいし) NHKアーカイブス
  13. ^ 『ドキュメンタリー わたし現場げんば』p.377
  14. ^ 『NHK王国おうこくヒットメーカーの挑戦ちょうせん』p.329

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 読売新聞よみうりしんぶん芸能げいのう『テレビ番組ばんぐみの40ねん日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、1994ねん、pp.491-494
  • 大下おおした英治えいじ事実じじつきわめるおとこ」『NHK王国おうこくヒットメーカーの挑戦ちょうせん講談社こうだんしゃ、1994ねん
  • 相田あいだひろし『ドキュメンタリー わたし現場げんば 記録きろく伝達でんたつの40ねん日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、2003ねん
  • 志賀しが信夫しのぶ相田あいだひろし モノローグ・インタビューで核心かくしんせまる」『映像えいぞう先駆せんくしゃ 125にん肖像しょうぞう日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい、2003ねん
  • 川本かわもと裕司ゆうじおもいつめて獲得かくとくできた方法ほうほうろん 相田あいだひろし」『ニューメディア「誤算ごさん」の構造こうぞう』リベルタ出版しゅっぱん、2007ねん

外部がいぶリンク

編集へんしゅう