座標ざひょう: 北緯ほくい34度ど39分ふん59秒びょう 東経とうけい135度ど30分ふん46秒びょう / 北緯ほくい34.66626度ど 東経とうけい135.51268度ど / 34.66626; 135.51268 (真言しんごん坂ざか)
真言しんごん坂ざか(しんごんざか)は大阪おおさか府ふ大阪おおさか市し天王寺てんのうじ区くにある坂さか。
天王寺てんのうじ七なな坂ざかと呼よばれる坂さかの一ひとつで、一番いちばん北きたに位置いちし、かつ唯一ゆいいつ南北なんぼくに通とおる。北側きたがわの上あがり口ぐちは千日前せんにちまえ通どおりの南みなみ(阪神はんしん高速こうそく高津たかつ入口いりくち付近ふきん)に通つうじ、上あがり口ぐちに真言しんごん坂ざかの顕彰けんしょう碑ひがあり、正式せいしき名称めいしょうは真言しんごん坂ざか。南みなみ向むきに坂さかを上のぼると生國しょうごく魂たましい神社じんじゃの北きたの鳥居とりい・石段いしだんの前まえへ至いたる。
坂さかの名なの由来ゆらいは、このあたりに生國しょうごく魂たましい神社じんじゃの神宮寺じんぐうじだった法案ほうあん寺てらをはじめとした真言宗しんごんしゅうの仏教ぶっきょう寺院じいんが十じゅう坊ぼう(「生玉いくたま十じゅう坊ぼう」と呼よばれた)あったことに由来ゆらいする。これらの寺院じいんは明治めいじ時代じだい初頭しょとうの神仏しんぶつ分離ぶんりにより撤去てっきょされ、現在げんざいは周辺しゅうへんはマンションやラブホテルが建たち並ならんでいる。真言しんごん坂ざかの両りょう脇わきもマンションである。
現在げんざいの坂さかは自動車じどうしゃが通とおれる石畳いしだたみとなっている。(南みなみ向むきの一方いっぽう通行つうこうである。)
かつて真言しんごん坂ざかの南側みなみがわには大仏だいぶつに見みえる松まつの茂しげみがあった。『絵本えもと小夜さよ時雨しぐれ』・『摂と陽ひ奇観きかん』によれば、寛政かんせい10年ねん(1798年ねん)に方広寺ほうこうじ大仏だいぶつ(京きょうの大仏だいぶつ)は落雷らくらいのため焼失しょうしつしてしまったが、当該とうがい松まつの茂しげみが、往時おうじの大仏だいぶつを彷彿ほうふつとさせると、大仏だいぶつを懐なつかしむ民衆みんしゅうの間あいだで口くちこみが広ひろがり、当地とうちは訪問ほうもん者しゃで連日れんじつ賑にぎわったという[1]。なお『摂と陽ひ奇観きかん』には当該とうがい茂しげみを夜分やぶんに見みれば大仏だいぶつに見みえるので、夜分やぶんに賑にぎわったとしている。
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