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街灯 - Wikipedia

街灯がいとう

道路どうろ利用りようしゃ安全あんぜんのために設置せっちされた照明しょうめい

街灯がいとう(がいとう)とは、道路どうろとう公共こうきょう用地ようち共有きょうゆうなどをらすために設置せっちされたかりのことである。

さまざまな街路がいろとう

概要がいよう

編集へんしゅう

街灯がいとうは、防犯ぼうはんとう街路がいろとうなどを総称そうしょうした言葉ことばである。現在げんざい街灯がいとうおおくは電灯でんとうであるが、ガス灯がすとう歴史れきしてきにはこちらが電灯でんとうよりふるい)も一部いちぶ使つかわれている。街灯がいとういちくちにいっても、設置せっちしゃ用途ようと目的もくてき電球でんきゅうとう種類しゅるいなどがさまざまである。2000年代ねんだい後半こうはんには維持いじ保守ほしゅ費用ひようはぶくため、またしょうエネのために光源こうげんLEDにしたものも登場とうじょうしている。

なお、照明しょうめいばしら公共こうきょうよう電柱でんちゅう信号しんごうばしらなどとともにユーティリティポールとしてまとめられることがある[1]

よる常設じょうせつ公共こうきょう照明しょうめい出現しゅつげんしたのは、西洋せいようでは16世紀せいきになってからで、ヨーロッパの比較的ひかくてきおおきな都市としパリロンドン登場とうじょうした。といっても当初とうしょ街路がいろらす目的もくてきではなく、道路どうろめんした家々いえいえ位置いち明示めいじするためのもので、2かいまど私設しせつランタンるした程度ていどのものであった。実際じっさい街路がいろ一部いちぶとしてあかりをつらねて設置せっちされるのは、1667ねんルイ14せい命令めいれい設置せっちされたパリが最初さいしょであった。これはガラスせい四角よつかどケースに1ほん蝋燭ろうそく点灯てんとうされた統一とういつランタン2700というもので、この形式けいしき街灯がいとうはカテナリー(CATENARY。懸垂けんすいせん意味いみし、ものがまっすぐがること)とばれ、街路がいろうえ横切よこぎるようにられたロープにられて道路どうろ真中まんなかにぶらがるかたち設置せっちされた。そのつるし間隔かんかくやく20~30mで、それほどあかるいとはいえないものであったが、街路がいろ点灯てんとうするランタンのかずおおさは、いままでの暗闇くらやみ比較ひかくして、きらめくあかるさと安心あんしんかん人々ひとびとあたえた。カテナリーしき街灯がいとうのちには、フランス革命かくめい1789ねん前後ぜんごかべつるしがた街灯がいとう建築けんちく外壁がいへきからのアームによるハンギングスタイル)が普及ふきゅうし、その光源こうげん蝋燭ろうそく有機ゆうきであったようだが、18世紀せいきまでの街灯がいとう街路がいろらす効果こうかはそれほどなく、よる犯罪はんざいふせぐためというのがおも設置せっち目的もくてきで、まだまだよるまちくらかった。

ガス灯がすとうは、イギリスひと技師ぎしウィリアム・マードック1792ねん石炭せきたんからたガスのほのおで、街灯がいとうとしてではなく自宅じたく照明しょうめい利用りようしたのがはじまりであった。ガス灯がすとう従来じゅうらい灯油とうゆランプよりもあかるく、しかも簡単かんたん点灯てんとうでき、あかるさの調節ちょうせつもできた。そのガスの供給きょうきゅうシステムは、当時とうじイギリスに普及ふきゅうしていた水道すいどう原理げんり応用おうようしたもので、まず室内しつない照明しょうめいようとしてのガス灯がすとう普及ふきゅうした。そして街灯がいとうとしてのガス灯がすとうは、1797ねんにイギリスのマンチェスターに設置せっち点灯てんとうされたのがはじまりで、その19世紀せいきなかばまでに世界せかい主要しゅよう都市としのメインストリートに設置せっちされていき、徐々じょじょよる街路がいろあかるくなっていった[2]

日本にっぽんでは、江戸えど時代じだい現在げんざい街灯がいとう役割やくわりたすあかりが都市とし設置せっちされはじめた。具体ぐたいてきには、町屋まちや店先みせさき辻番つじばんしょなどのまえ街路がいろなどに行灯あんどん一種いっしゅであるつじ行灯あんどん設置せっちされたり、遊郭ゆうかく大門おおもん番所ばんしょまえ灯籠とうろういし灯籠どうろう設置せっちされるなど、おも建物たてもの入口いりくちつじにおいてあかりがかれはじめた。光源こうげんはやはりあぶらあるいは蝋燭ろうそくかんがえられ、現在げんざいのように、やはりまちちゅうにあって街路がいろ現在げんざいほどあかるくらすというわけにはいかず、よる外出がいしゅつには提灯ちょうちんひとし必要ひつようであったが、ちてからも遊郭ゆうかく宿屋やどや利用りようするきゃく旅人たびびとまちちゅう往来おうらいしていたこともあり、目印めじるしとなることと、よる犯罪はんざいふせぐという意味いみでも、当時とうじとしては十分じゅうぶん街灯がいとうとしての役割やくわりたしていたのではないかとおもわれる[3]

日本にっぽんでも18世紀せいきころすで越後えちご地方ちほうにおいて「陰火いんか(いんか)」として天然てんねんガスの存在そんざいられており、1850年代ねんだいころにはガスを灯火ともしびとして燃焼ねんしょうさせたれい記録きろくのこっている。日本にっぽん近代きんだいてき街灯がいとうは、横浜よこはまガス灯がすとうはじまりとわれている。高島たかしま嘉右衛門かえもんという実業じつぎょう神奈川かながわ県庁けんちょうからガス灯がすとうつくるようにたのまれ、1872ねん明治めいじ5ねん)に「日本にっぽん社中しゃちゅう」をげた。かれ横浜よこはま神奈川かながわ県庁けんちょう大江橋おおえばしから馬車ばしゃどう本町通ほんまちどおりまでのあいだに、ガス灯がすとうじゅうすうをズラリとならべ、同年どうねん9月26にち一斉いっせいともした。「はだか」とよばれるあかっぽい灯火ともしびで、そこからはシューシューというおとこえてきたという。その1874ねん明治めいじ7ねんねんには東京とうきょうのかつての銀座ぎんざ煉瓦れんががいまえに85ほんガス灯がすとうてられ、ガス灯がすとう次第しだいにそのかずやしていった。さら街灯がいとうとしてだけでなく、商店しょうてん照明しょうめい舞台ぶたい照明しょうめい博覧はくらんかいでのイルミネーションなどとして都市としらしのなか使つかわれ、これにより人々ひとびとよる活動かつどうすこしずつひろがり、このころ錦絵にしきえにもガス灯がすとう登場とうじょうしていた。明治めいじ中期ちゅうきになると、あかっぽい「はだか」のガス灯がすとうから、「ガスマントル」とばれる白熱はくねつガス灯がすとうへとわった。ガスマントルは、あみぶくろ発光はっこうざいみこませて乾燥かんそうさせたもので、やしてはいにしたものをガスのほのおうえにかぶせると、従来じゅうらいのものよりさらあかるくなり、それでまちもひときわあかるくらされた。

現代げんだい街灯がいとうはコンピュータによる自動じどう制御せいぎょであるが、当時とうじガス灯がすとうはガスがよわしているところにちかづけて、直接ちょくせつ点火てんかするものであった。そのため「てんきえかた(てんしょうかた)」というガス会社かいしゃせんもん職業しょくぎょうひと点火てんかぼうって、夕方ゆうがたガス灯がすとう点灯てんとうし、あさには消灯しょうとうしていた。それだけでなく、れたガラスの補修ほしゅう清掃せいそう、ガスマントルの交換こうかんなどもてんきえかた仕事しごとであった。

石油せきゆランプ街灯がいとうとして使つかわれたれいがあり、1872ねん明治めいじ5ねん)に新潟にいがたまち1874ねん明治めいじ7ねん)には日本橋にほんばし馬喰ばくろまち付近ふきん設置せっちされたれいなどがはやれいとしてられている。

日本にっぽん屋外おくがい電気でんき光源こうげんとする街灯がいとうはじめて使用しようされたのは、1882ねん明治めいじ15ねん東京とうきょう銀座ぎんざ大倉おおくらぐみまえてられたカーボンク灯くとうといわれている。これはガスマントルによるガス灯がすとうの10ばい以上いじょうものあかるさがあったため、当時とうじひとにはそのあかるさは画期的かっきてき驚異きょういうつり、市民しみん徹夜てつや見物けんぶつしたと記録きろくされている。「いちにお天道様てんとさまにおつきさまさん銀座ぎんざク灯くとう」という言葉ことばまれた[4]

明治めいじ時代じだいには屋内おくないでは白熱はくねつ電球でんきゅう使つかわれていたものの、屋外おくがいでは博覧はくらんかいなどのイルミネーションに使つかわれた程度ていどおもわれる。1915ねん大正たいしょう4ねん)に白熱はくねつ電球でんきゅうによる屋外おくがい点灯てんとうよう照明しょうめい器具きぐ発売はつばいされ、各所かくしょ街灯がいとうとして使つかわれていたが、現在げんざいのような街路がいろ照明しょうめい建設けんせつされたのは1921ねん大正たいしょう10ねん)に新橋しんばし京橋きょうばしあいだまるがたグローブの2とうよう街灯がいとうが148設置せっちされたものが最初さいしょおもわれる。その大正たいしょうすえまでに全国ぜんこく大都市だいとし街路がいろとう設置せっちされているが、歩行ほこうしゃのためのあかりであって道路どうろ照明しょうめいにはいたっていない。その自動車じどうしゃ普及ふきゅうによる交通こうつう事故じこ増加ぞうか関東大震災かんとうだいしんさいでの暗闇くらやみ状態じょうたい恐怖きょうふから、道路どうろ照明しょうめい必要ひつようせいかんじられ、急速きゅうそく進歩しんぽのきっかけになった。昭和しょうわ天皇てんのう大典たいてん震災しんさいからの帝都ていと復興ふっこう記念きねん事業じぎょうに、各地かくち町内ちょうないかい街路がいろとう設置せっちげたため、ようやくかく都市としひろまった。当時とうじ電気でんきによる光源こうげん白熱はくねつ電球でんきゅうしかないため、耐震たいしんせい効率こうりつ改善かいぜんした街路がいろ灯用とうよう電球でんきゅう200~300Wのポールヘッドがた街路がいろとう駅前えきまえ広場ひろばなどに使つかわれた。昭和しょうわ10年代ねんだいこうあつ水銀すいぎんランプナトリウムランプ開発かいはつされ、こうあつ水銀すいぎんランプを使用しようした街灯がいとう駅前えきまえ広場ひろばなどに使つかわれている。開発かいはつ当時とうじ低圧ていあつナトリウムランプは電球でんきゅうやく4ばいこう効率こうりつであり、これを使用しようした道路どうろ照明しょうめいとう開発かいはつされた。「単色たんしょくこうのため視力しりょくすぐれ、遠近えんきん見分みわけがつきやすい」とのうた文句もんく使つかわれているが、顔色かおいろ奇異きいえるためあまり普及ふきゅうしなかったとおもわれる[5]。また、昭和しょうわ戦前せんぜん街灯がいとう形態けいたいは、「スズランとう」とばれるものが代表だいひょうれいであるが、実際じっさいには多種たしゅ多様たようのデザインのものがあったようである。そして昭和しょうわ戦前せんぜんころには、だい都会とかいでは看板かんばん照明しょうめいやネオンサインなどがかがやき、ビルのまどからかりももれ、はし自動車じどうしゃえる、現代げんだい夜景やけいとあまりわらないような夜景やけい形作かたちづくられていった。といっても、明治めいじ大正たいしょうころにはおおくの地域ちいきで、また昭和しょうわ戦前せんぜんでも辺鄙へんぴ場所ばしょでは、街灯がいとうがなかったりくらかったりしたので、よる外出がいしゅつするときには江戸えど時代じだいからの提灯ちょうちん龕灯がんどうなどがまだ現役げんえきで、このころには懐中かいちゅう電灯でんとう一応いちおう存在そんざいしたが高価こうかであった。

しかし、だい世界せかい大戦たいせん突入とつにゅうすると、照明しょうめいかんしては、灯火ともしび管制かんせいといって、照明しょうめいくろぬのなどの遮光しゃこううえからかぶせたり、かりをよわめたり、非常時ひじょうじなど場合ばあいによっては照明しょうめいしたり、いえまどくろいカーテンでおおうなど、よるかりがれることによっててき攻撃こうげき目標もくひょうになることを極力きょくりょくふせぐことがおこなわれていた。街灯がいとうもそのれいれず、日本にっぽんでは1とうあかるさは16しょく以内いないとし、水平すいへいせんたいして20以上いじょうよこひろがらないように)などこまかいまりがもうけられていた。灯火ともしび管制かんせい対応たいおうがたとはいえ街灯がいとう設置せっちされていれば夜間やかん外出がいしゅつにはまだよかったものの、金属きんぞく供出きょうしゅつ街灯がいとう撤去てっきょされていってよるまち暗闇くらやみになることもすくなくなかった。

終戦しゅうせん直後ちょくご屋外おくがいではしばらくは電力でんりょく事情じじょうわるかったため街灯がいとうどころではない状態じょうたいとなったが、復興ふっこうすすむにつれて街灯がいとう本格ほんかくてき復活ふっかつしていった。やがて道路どうろ照明しょうめいとうには蛍光けいこう水銀すいぎんランプの使用しよう一般いっぱんてきになり、こうあつナトリウムランプによる道路どうろ照明しょうめいとう昭和しょうわ50年代ねんだいごろから普及ふきゅうしていった。また蛍光けいこうとうによる街灯がいとう出現しゅつげんするなど、電気でんきによる街灯がいとうかず戦前せんぜんくらべて飛躍ひやくてきおおくなり、夜間やかん外出がいしゅつ提灯ちょうちんなどをある必要ひつようはなくなった。そして平成へいせい以降いこうではLED照明しょうめい電極でんきょくランプなどのあたらしい光源こうげんによる街灯がいとう出現しゅつげんし、とくにLEDによる街灯がいとう飛躍ひやくてき普及ふきゅう現在げんざいいたっている。しかしそれにともなって、屋外おくがいおも電気でんきによる街灯がいとうなどの夜間やかん照明しょうめいよるまちあかるくなりすぎたことで、天体てんたい観測かんそく動植物どうしょくぶつなどへの悪影響あくえいきょうられるようになった。これはひかりがいばれ、照明しょうめいかんして昨今さっこんではひかりがいへの対策たいさくなどももとめられている。アメリカ医師いしかいによれば、LEDを街灯がいとうなどの屋外おくがい夜間やかん照明しょうめいとしてもちいた場合ばあい健康けんこう安全あんぜんめんでの悪影響あくえいきょう低減ていげんするためには、光源こうげん純粋じゅんすい白色はくしょくいろ温度おんど4000~5000K)などにするのではなく、いろ温度おんどたかくても屋内おくない照明しょうめい電球でんきゅうしょく相当そうとうする3000K程度ていどおさえるべきとしており、なおかつブルーライトが最小限さいしょうげんになるように照明しょうめいをコントロールするべきとしている[6]

節電せつでん目的もくてきひかりがい対策たいさく改良かいりょういちれいとして、従来じゅうらいがたのものは日没にちぼつごろからごろまで夜通よどお完全かんぜんあかるさで点灯てんとうさせてきた街灯がいとう点灯てんとう方式ほうしき工夫くふうげられる。それにはつぎのような方法ほうほうられる。

  • 夜間やかん交通こうつうすくなくなるときあいだたいたとえば深夜しんや0から早朝そうちょう5までなど)に照明しょうめい一様いちようくらくする。
  • 夜間やかん交通こうつうすくなくなるときあいだたい照明しょうめい一部いちぶ消灯しょうとうあいだ点灯てんとう)する。
  • 夜間やかん交通こうつうすくなくなるときあいだたいには、基本きほんてきには照明しょうめいくらくし、ごく微量びりょう電力でんりょく作動さどうするセンサーが、ひとしゃなどのうごくものを察知さっちすると、照明しょうめいあかるくする。これはインテリジェント照明しょうめいばれ、もっとあたらしい方式ほうしきである。

日本にっぽん場合ばあいは、国際こくさいダークスカイ協会きょうかい(IDA)によって星空ほしぞら保護ほご正式せいしき認定にんていされている東京とうきょう神津島こうづしまむら岡山おかやまけん井原いはら美星びせいまちでは、上方かみがたひかりたばりつ0%かついろ温度おんど3000K以下いか仕様しようの「星空ほしぞらやさしい照明しょうめい(Dark Sky Friendly Lighting)」に認定にんていされた街灯がいとう採用さいようしている。

街灯がいとう種類しゅるい

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出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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