諏訪盆地すわぼんち(すわぼんち)は、長野ながの県けん中部ちゅうぶの盆地ぼんち。時計とけいなどの精密せいみつ機械きかい工業こうぎょうが発達はったつし、「東洋とうようのスイス」との別名べつめいも持もつ。
諏訪盆地すわぼんちの標高ひょうこうは750mから900m。日本にっぽんの盆地ぼんちの中なかでも、高所こうしょの一ひとつにあたる。約やく150万まん - 120万まん年ねん前まえからの糸魚川いといがわ-静岡しずおか構造こうぞう線せん断層だんそう帯たいの左ひだり横よこずれ運動うんどうによって形成けいせいされたプルアパート盆地ぼんちとされており、現在げんざいもその活動かつどうは続つづいていると考かんがえられている[1]。岡谷おかや市し、諏訪すわ市し、茅野ちの市しおよび諏訪すわ郡ぐんの地域ちいきに相当そうとうし、盆地ぼんちの中央ちゅうおうに諏訪湖すわこがある。周辺しゅうへんには八ヶ岳やつがたけなど、数すう多おおくの山々やまやまに囲かこまれている。国道こくどう20号ごう、JR中央ちゅうおう本線ほんせん、中央ちゅうおう自動車じどうしゃ道どう・長野ながの自動車じどうしゃ道どうが地域ちいきを通過つうかし、関東かんとう方面ほうめん、東海とうかい方面ほうめん、長野ながの・北陸ほくりく方面ほうめんの3方面ほうめんへ交通こうつうの便びんがよい。
明治めいじ時代じだい、国くにの富国強兵ふこくきょうへい政策せいさくの主要しゅよう産業さんぎょうであった製糸せいし業ぎょうで栄さかえた。諏訪湖すわこなど水みずが豊富ほうふであったためと思おもわれる。戦時せんじ中ちゅうは、それまでに廃すたれてしまっていた製糸せいし業ぎょうの倉庫そうこなどに、都会とかいから疎開そかいしてきた軍需ぐんじゅ工場こうじょうが多おおく入居にゅうきょした。戦後せんご多おおくの軍需ぐんじゅ工場こうじょうは出でて行いったが、いくつかの工場こうじょうが残のこり精密せいみつ機械きかい産業さんぎょうが発展はってんしている。その背景はいけいに、諏訪盆地すわぼんちの空気くうきは湿気しっけの少すくなく、きれいな空気くうきであることから、精密せいみつ機械きかいを製造せいぞうする場所ばしょに向むいていることや、原料げんりょう・製品せいひんが小型こがたかつ軽量けいりょうのため、交通こうつうの不便ふべんな中央ちゅうおう高地こうちでも輸送ゆそうが容易よういにできることなどが挙あげられる。
この項目こうもくは、日本にっぽんの地理ちりに関連かんれんした書かきかけの項目こうもくです。この項目こうもくを加筆かひつ・訂正ていせいなどしてくださる協力きょうりょく者しゃを求もとめています(Portal:日本にっぽんの地理ちり)。