大阪府出身。大阪府立西淀川高等学校中退[1]。
18歳のとき普通自動車免許を取得し、ローンで自動車を購入したが、六甲山を走行中にホンダ・CR-Xに公道バトルを売られ3回転スピンして廃車、納車よりわずか17時間で220万円の借金をかかえる。
そんな中、「誰にでもできる簡単な仕事、NTT関連、人生を変える価値ある仕事がここにある、平均給料40万以上」という求人広告が目にとまり、ホームテレホンの訪問販売員となる。
19歳になった時、喫茶店を経営する父親の勧めで、大阪市天王寺区でホームテレホンの訪問販売業「日本電機通信」を創業。これが後のNEXYZ.Groupの創業スタートとなる。
その後、販売拠点を高松市に移し「日本テレックス」という社名に変更して再出発をした[2]。高松を拠点に選んだ理由は、「都市圏より離れたエリアでの主婦層をターゲットにした為である」と語っている。
この時、新規に従業員を募集するために出した求人広告には、「誰にでもできる簡単な仕事、人生を変える価値ある仕事がここにある、給料40万以上可能」という、かつて自身が訪問販売業に飛び込むきっかけとなった思い出の文言を載せたという[2]。
高松では、NTT電話加入権を割賦販売する商法(自称「テルミーシステム」)を考案し多額の利益を得た。
また、携帯電話の利用に電話加入権が必要であった当時、若者を携帯電話の購買層にするため、携帯電話にもこの「テルミーシステム」を応用し、初期費用無料で携帯電話を持てる店舗「テルミープラザ」を創業する。この商法により、四国・九州地域において携帯電話保有者増に努め、更なる事業拡大のため東京進出を果たす。
この時、父親の喫茶店で勤めていた男性から、東京に進出してビジネス展開しようと持ちかけられ「テルミープラザ」をスタートさせるも、結局、その男性に騙されビジネスノウハウを盗まれる形になってしまう。正式な業務契約を締結していなかったために「テルミープラザ」から退去を余儀なくされた[2]。
この後、「ネクステル」という社名で、携帯電話の他との差別化となる企画をいち早く手掛け、日本で初めてX-JAPANやフェラーリの公式携帯電話[3]、タカラと企画したリカちゃん携帯電話等を企画した[2]。
また携帯電話や、衛星放送普及のためファミリーレストランやレンタルビデオ店などに置かれている懸賞応募用のハガキに、抽選対象の懸賞品とは別に副賞として、無料携帯電話や、衛星放送のチューナーを付加し、懸賞応募者への営業により支店を急速に拡大させた。
その実績によりソフトバンク社長孫正義の目に止まり、ブロードバンド(ADSL回線)普及のための代理店契約を締結[2]。この時期、社名を「ネクシィーズ」と変更させている[要出典][4]。一時期は数ある販売代理店の中でも契約獲得数が日本一になったこともある[要出典]。
2002年3月、ナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)に株式上場。2004年11月には東京証券取引所一部上場を果たす。
念願の東証一部上場を果たし、当時の最年少創業社長となった[5]。
そのわずか2年後の2006年4月には、ネクシィーズを事業持株会社へ移行させた。JAPAN VENTURE AWARD 2006 経済産業大臣賞受賞[6]。
LED照明でエネルギー事業に参入
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LED照明でエネルギー事業に参入
LED照明レンタルサービスは、「日本の電気代を下げる」をスローガンに2012年にスタートし、急速に同社のメイン事業に成長した。LED照明未導入の国内企業(約300万社)を対象とし、導入が進まない経営者の課題となっていた高額な初期導入費を一切かからなくする「初期投資オール0円」とする独自のレンタルスキームで業界No.1の地位を確立した。[7]