(Translated by https://www.hiragana.jp/)
近藤芳美 - Wikipedia

近藤こんどう芳美よしみ

日本にっぽん歌人かじん建築けんちく技師ぎし

近藤こんどう 芳美よしみ(こんどう よしみ、男性だんせい1913ねん5月5にち - 2006ねん6月21にち)は、日本にっぽん歌人かじん

近藤こんどう 芳美よしみこんどう よしみ
誕生たんじょう (1913-05-05) 1913ねん5月5にち
日本の旗 日本にっぽん 朝鮮ちょうせん慶尚南道けいしょうなんどう馬山まやま
死没しぼつ (2006-06-21) 2006ねん6月21にち(93さいぼつ
職業しょくぎょう 歌人かじん建築けんちく
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく卒業そつぎょう
ジャンル 短歌たんか
おも受賞じゅしょうれき 迢空賞ちょうくうしょう(1969ねん)
詩歌しか文学ぶんがくかんしょう(1986ねん)
現代げんだい短歌たんか大賞たいしょう(1990ねん)
斎藤さいとう茂吉しげよし短歌たんか文学ぶんがくしょう(1994ねん)
文化ぶんか功労こうろうしゃ(1996ねん)
所属しょぞく 未来みらい
テンプレートを表示ひょうじ

本名ほんみょう近藤こんどう 芽美めぐみみはおなじ)。戦後せんご歌壇かだん牽引けんいんする歌人かじんとして活動かつどうし、文化ぶんか功労こうろうしゃえらばれた。長年ながねん朝日あさひ歌壇かだん」(朝日新聞あさひしんぶん)の選者せんじゃつとめたことでられるほか、建築けんちくとしてのかおち、ゼネコン大学だいがくせきく。

東工大とうこうだい建築けんちくそつ。「アララギ」に入会にゅうかい土屋つちや文明ふみあき師事しじ。1948ねん刊行かんこうの『ほこりまち』は戦後せんご短歌たんか方向ほうこう樹立じゅりつしたものといわれている。戦争せんそう経験けいけんをもつ知識ちしきじん立場たちばから時代じだい状況じょうきょうするどうたいつづけた。ほかに『くろひょう』(1968ねん)など。

生涯しょうがい

編集へんしゅう

1913ねんけいなお農工のうこう銀行ぎんこう朝鮮ちょうせん殖産銀行しょくさんぎんこう)に勤務きんむするちち赴任ふにんさきだった朝鮮ちょうせん慶尚南道けいしょうなんどう馬山まやま出生しゅっしょう。12さい帰国きこくし、ちち郷里きょうり広島ひろしま鉄砲てっぽうまちげん広島ひろしまちゅう鉄砲てっぽうまち)でそだつ。広島ひろしま県立けんりつ広島ひろしまだい中学校ちゅうがっこうげん広島ひろしま観音かんのんだか時代じだい教師きょうし影響えいきょうけ、短歌たんか関心かんしんいた。旧制きゅうせい広島ひろしま高校こうこうげん広島大学ひろしまだいがく在学ざいがくちゅうに、広島ひろしま近郊きんこう療養りょうようちゅう歌人かじん中村なかむら憲吉けんきちたずね、「アララギ」に入会にゅうかい本格ほんかくてき作歌さっかはじめた。以後いご中村なかむらおよ土屋つちや文明ふみあき師事しじした。

東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく卒業そつぎょう清水建設しみずけんせつ入社にゅうしゃ設計せっけい技師ぎしとして勤務きんむするかたわら、アララギ同人どうじんとしての活動かつどう継続けいぞくした。戦時せんじちゅう中国ちゅうごく戦線せんせん召集しょうしゅうされた。終戦しゅうせんの1947ねん加藤かとう克巳かつみみや柊二しゅうじ当時とうじ若手わかて歌人かじんと「しん歌人かじん集団しゅうだん」を結成けっせい同年どうねん評論ひょうろんあたらしき短歌たんか規定きてい』を発表はっぴょうした。またこのころ鹿児島かごしま寿蔵じゅぞう山口やまぐち茂吉しげよし佐藤さとう佐太郎さたろうらとともに「関東かんとうアララギかい」を結成けっせいしている。

1948ねんつま歌人かじんのとし本名ほんみょう年子としご)への愛情あいじょうなどをつづった処女しょじょ歌集かしゅう早春そうしゅんうた』を上梓じょうし同年どうねん刊行かんこう歌集かしゅうほこりまち』ととも注目ちゅうもくあつめ、戦後せんご歌人かじん旗手きしゅとしてのデビューをかざった。

1951ねん岡井おかいたかし吉田よしだ細川ほそかわ謙三けんぞう金井かない秋彦あきひこ相良さがらひろし田井だい安曇あずみ上野うえの久雄ひさお河野こうの愛子あいこ川口かわぐち美根子みねこ米田よねだ律子りつこらとともにアララギけい短歌たんか結社けっしゃ未来みらい短歌たんかかい」を結成けっせい同時どうじ歌誌かし未来みらい』を創刊そうかんし、これを主宰しゅさい正子まさこ石田いしだ比呂志ひろし大田おおた美和みわ佐伯さえき裕子ゆうこ道浦みちうら母都子もとこなど社会しゃかいてき傾向けいこう歌人かじんおお育成いくせいした。また、現代げんだい歌人かじん協会きょうかい設立せつりつ尽力じんりょくし、1977ねん以来いらいやく15ねんわたってどう協会きょうかい理事りじちょうにんにありつづけた。建築けんちくとしてはプレハブ工法こうほうとコンクリートの凝結ぎょうけつ専門せんもんで1961ねん工学こうがく博士はかせ。1973ねんから1984ねんまで神奈川大学かながわだいがく工学部こうがくぶ建築けんちく学科がっか教授きょうじゅつとめた。

このほか、朝日新聞あさひしんぶんをはじめ、中国ちゅうごく新聞しんぶん信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶんなどの短歌たんからん選者せんじゃとして、市井しせい人々ひとびとによる短歌たんかたい積極せっきょくてき評価ひょうかおこなった。高校生こうこうせい時代じだい萩原はぎはら慎一郎しんいちろう短歌たんかひょうおこなったことでもられる。 こと朝日新聞あさひしんぶんの「朝日あさひ歌壇かだん」では、1955ねんから2005ねん1がつまでやくはん世紀せいきわたって選者せんじゃつとめた。

2000ねんから2001ねんにかけて、これまでの歌集かしゅう評論ひょうろんをまとめた『近藤こんどう芳美よしみしゅう』(ぜん10かん岩波書店いわなみしょてん)が刊行かんこうされた。

2006ねん6がつ21にち午前ごぜん101ふん心不全しんふぜん毎日新聞まいにちしんぶんによれば、前立腺ぜんりつせんがん)のため、東京とうきょう世田谷せたがや至誠会いくせいかいだい病院びょういん死去しきょ。93さい遺志いしにより、葬儀そうぎ告別こくべつしき親族しんぞくのみでおこなわれ、同年どうねん9がつ1にち未来みらい短歌たんかかい主催しゅさいによる「近藤こんどう芳美よしみをしのぶかい」が開催かいさいされた。死後しごせいよんじょされ、旭日重光章きょくじつじゅうこうしょうさづけられた。

短歌たんか理論りろん

編集へんしゅう

あたらしき短歌たんか規定きてい」において、ごてごてした装飾そうしょくはいした素材そざい主義しゅぎをとることを宣言せんげん戦後せんご短歌たんかは、人々ひとびと生活せいかつ実感じっかんもとづいたリアリズムによるべきだと主張しゅちょうしつつ、ややもすると宗匠そうしょう主義しゅぎおちいることのあったアララギを内部ないぶから批判ひはんし、また、当時とうじさかんであった、人民じんみん短歌たんか代表だいひょうされる日本にっぽん共産党きょうさんとうけい歌人かじんについてもその公式こうしき主義しゅぎ安易あんいさを批判ひはんした。結果けっかとして、アララギ内部ないぶでは、うた政治せいじ峻別しゅんべつしないと批判ひはんされ、左翼さよくからは傍観ぼうかんしゃ批判ひはんされることになる。 (以下いか未完みかん

年表ねんぴょう

編集へんしゅう

著書ちょしょ

編集へんしゅう
  • 早春そうしゅんうた四季しき書房しょぼう、1948ねん 十字屋じゅうじや書店しょてん、1950ねん
  • ほこりまち草木くさき書店しょてん、1948ねん のち短歌新聞社たんかしんぶんしゃ文庫ぶんこ
  • しずかなる意志いし白玉しらたま書房しょぼう、1949ねん
  • 歴史れきし白玉しらたま書房しょぼう、1951ねん
  • あたらしき短歌たんか規定きてい十字屋じゅうじや書店しょてん、1953ねん のち講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ
  • ふゆ銀河ぎんが白玉しらたま書房しょぼう、1954ねん
  • あい生活せいかつうただい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ(ミリオン・ブックス)1958ねん
  • ある青春せいしゅんうた大村おおむら書店しょてん、1959ねん
  • 喚声かんせい白玉しらたま書房しょぼう、1960ねん
  • 石川いしかわ啄木たくぼくにおける文学ぶんがくせい垂水たるみ書房しょぼう、1964ねん
  • 青春せいしゅんいしぶみ垂水たるみ書房しょぼう、1964ねん
  • 『アカンサスのにわ国際こくさい図書としょ、1965ねん
  • 土屋つちや文明ふみあき 近代きんだい短歌たんかじん作品さくひんさくらかえでしゃ、1968ねん
  • くろひょう短歌たんか研究けんきゅうしゃ.、1968ねん
  • 異邦いほうしゃ短歌たんか研究けんきゅうしゃ、1969ねん
  • 茂吉しげよし死後しご短歌新聞社たんかしんぶんしゃ、1969ねん
  • とおなつめぐりて』あきらもりしゃ、1974ねん
  • 無名むめいしゃうたしんとうしゃ、1974ねん[1] のち岩波同時代いわなみどうじだいライブラリー
  • 鑑賞かんしょう 土屋つちや文明ふみあき秀歌しゅうか短歌新聞社たんかしんぶんしゃ、1975ねん
  • われへいなりしに―早春そうしゅんうた補遺ほい短歌新聞社たんかしんぶんしゃ、1975ねん
  • 『アカンサス月光げっこう短歌新聞社たんかしんぶんしゃ、1976ねん
  • 流星りゅうせいぐん短歌新聞社たんかしんぶんしゃ現代げんだい歌人かじん叢書そうしょ)、1978ねん
  • 楽章がくしょう至芸しげい出版しゅっぱんしゃ、1979ねん
  • 短歌たんか思考しこう短歌新聞社たんかしんぶんしゃ、1979ねん
  • 短歌たんか入門にゅうもん筑摩書房ちくましょぼう、1980ねん
  • 少年しょうねん筑摩書房ちくましょぼう、1980ねん
  • 々のしぐれ』あおいしゃ、1981ねん
  • あいのうた』沖積舎ちゅうせきしゃ、1982ねん
  • 聖夜せいやれつあおいしゃ、1982ねん
  • 中国ちゅうごく感傷かんしょういち歌人かじん中国ちゅうごく紀行きこう造形ぞうけいセンター、1984ねん
  • 祈念きねんに』不識書院ふしきしょいん、1985ねん
  • うたきたしかた―わが短歌たんか戦後せんご岩波いわなみ新書しんしょ、1986ねん
  • 現代げんだい短歌たんか指針ししん短歌たんかのはじめに』六法ろっぽう出版しゅっぱんしゃ、1987ねん
  • うたなま うたたび歌人かじんとしてきて』六法ろっぽう出版しゅっぱんしゃ、1987ねん
  • 磔刑たっけい短歌新聞社たんかしんぶんしゃ、1988ねん
  • 営為えいい六法ろっぽう出版しゅっぱんしゃ、1990ねん
  • 戦争せんそう短歌たんか岩波いわなみブックレット、1991ねん
  • ふうのとよみ』砂子屋書房いさごやしょぼう、1992ねん
  • 短歌たんか思想しそう砂子屋書房いさごやしょぼう、1992ねん
  • 土屋つちや文明ふみあきろん六法ろっぽう出版しゅっぱんしゃ、1992ねん
  • 人間にんげん歴史れきしうた』ながらみ書房しょぼう、1993ねん
  • 近藤こんどう芳美よしみ歌集かしゅう短歌たんか研究けんきゅうしゃ短歌たんか研究けんきゅう文庫ぶんこ)1993ねん
  • 希求ききゅう砂子屋書房いさごやしょぼう、1994ねん
  • 甲斐かいひゃくしゅ山梨やまなしにちにち新聞しんぶんしゃ、1996ねん
  • 『メタセコイアのにわ砂子屋書房いさごやしょぼう、1996ねん
  • 未明みめい砂子屋書房いさごやしょぼう、1999ねん
  • 命運めいうん砂子屋書房いさごやしょぼう、2000ねん
  • 土屋つちや文明ふみあきおうふう、2000ねん 
  • 近藤こんどう芳美よしみしゅうぜん10かん 岩波書店いわなみしょてん、2000ねん
  • 岐路きろ砂子屋書房いさごやしょぼう、2004ねん
  • 『[短歌たんか人生じんせい語録ごろく作歌さっか机辺きへん私記しき砂子屋書房いさごやしょぼう、2005ねん

関連かんれん書籍しょせき

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう