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金禄公債 - Wikipedia

きむろく公債こうさい(きんろくこうさい)は、明治維新めいじいしんで、秩禄処分しょぶん一環いっかんとして、ろくせい廃止はいしにより強制きょうせいてきろく廃止はいししたすべての華族かぞく士族しぞくにその代償だいしょうとして交付こうふされた公債こうさいである。すうねんまえに、自主じしゅてきろく返上へんじょうしたものに交付こうふされた秩禄公債こうさいとはことなる。

概要がいよう

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総計そうけい1おく7390まん8900えん利子りしは1わり、7ふん、6ふん、5ぶんの4しゅあった。また利子りし期間きかんは5~14ねんであった。この公債こうさい証書しょうしょるべきもの、つまりろくけんゆうするもの人数にんずうは、34まんにんにのぼった。起債きさいとしは、1878ねん(明治めいじ11ねん)であった。

1875ねん明治めいじ8ねん)9がつ明治めいじ政府せいふべいだかによってきゅうするろくを、べい現物げんぶつではなく、かく地方ちほう3箇年かねん平均へいきん相場そうば換算かんさんして貨幣かへい支給しきゅうすることをはじめた(きむろく)。ついで1876ねん明治めいじ9ねん)、財政ざいせい窮乏きゅうぼうおぎなうためにそれまでのろくせい強制きょうせいてきはいして、きむろく公債こうさいという国債こくさい証券しょうけん発行はっこう下付かふし、30ねんない償還しょうかんすることにさだめ、利子りし公債こうさい額面がくめん10えん以上いじょうは7ふん、100えん以上いじょうは6ふん、1000えん以上いじょうは5ふん売買ばいばい可能かのうかねろく(薩摩さつま藩士はんしぞく対象たいしょうとして優遇ゆうぐう)にたいしては1わりとした。毎年まいとし抽選ちゅうせんによりえらばれた対象たいしょうしゃから、政府せいふ公債こうさい証書しょうしょ回収かいしゅう額面がくめん元金がんきん支払しはらうことで償還しょうかんおこなわれた。対象たいしょうしゃは、公債こうさい記載きさい利子りし期間きかんないは、毎年まいとし利子りしった。

廃藩置県はいはんちけん以前いぜんに、財政ざいせい窮乏きゅうぼうしたかくはんおよび明治めいじ政府せいふろくせい改革かいかくによって、すではな士族しぞくろく大幅おおはば削減さくげんされていた。上士じょうし場合ばあいじゅうぶんいち以下いかとなることもめずらしくなかった。ただし、きゅう藩主はんしゅ華族かぞくいえろくかくはん収入しゅうにゅうじゅうぶんいち程度ていどたかめに設定せっていされていた。公債こうさい額面がくめんはこのかねろくたい発行はっこうされた。事業じぎょう開始かいし資金しきんとされるように公債こうさい売買ばいばい可能かのうとされ、平均へいきん利子りし東京とうきょう最低さいてい賃金ちんぎんやく3ぶんの1程度ていど少額しょうがくであったため、生活せいかつきゅうしたおおくの士族しぞく売却ばいきゃくした。また、銀行ぎんこう設立せつりつ資本しほんきんともなった。当時とうじ発行はっこうされた公債こうさいのなかでもっと巨額きょがくのもので、総額そうがく1おく7390まんえんたっした。なお、明治めいじ10ねん国家こっか予算よさんがくは5100まんえんぎなかった。30ねんの1906ねん明治めいじ39ねん)に予定よていどおりすべての公債こうさい償還しょうかん完了かんりょうした。

背景はいけい

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廃藩置県はいはんちけんによりすべての士族しぞく支配しはいいた明治めいじ政府せいふは、人口じんこうやく5%(戸主こしゅかずはさらにすくなく1%つよし)にあたる(ほとんどが無職むしょくの)はな士族しぞく国家こっか予算よさんの4わりちかくを俸禄として支払しはら事態じたい直面ちょくめんした。そこで、年限ねんげんって俸禄を廃止はいしすることをめた(秩禄処分しょぶん)。士族しぞく事業じぎょう資金しきんあたえるため、すべての士族しぞく相当そうとう現金げんきんわたすことが理想りそうてきであった。だが政府せいふにはそれだけの資金しきんがなかったため、毎年まいとし抽選ちゅうせん一部いちぶ対象たいしょうしゃ償還しょうかんすることで支出ししゅつ平準へいじゅんした。そして公債こうさい売買ばいばい可能かのうとすることで、償還しょうかんまえ対象たいしょうしゃ売却ばいきゃくして事業じぎょう資金しきんてることを可能かのうとした。

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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