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阮瑀 - Wikipedia

阮 瑀(げん う、2世紀せいき? - 212ねん)は、中国ちゅうごくさんこく時代じだい文学ぶんがくもと兗州ひねとめぐんじょうけんひとけんやすなな一人ひとり阮籍まご阮咸はともに竹林ちくりんななけんである。

生涯しょうがい

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おさなころ蔡邕まなび、蔡邕より奇才きさいばれていた[1]。その文才ぶんさいいた曹洪招聘しょうへいこころみたが、阮瑀はおうじなかった。のちに曹操そうそうによってつかさ空軍くうぐんはかりごとさいしゅにんじられ、ちんみちいきらとともにてんしつとなった[2]曹操そうそうはっする檄文げきぶんおおくは阮瑀やひね琳のふでによるものであった。のち丞相じょうしょうくら曹掾ぞくてんじた[3]

曹丕五官ごかんちゅうろうしょうにんじられたころ曹植りゅう[4]あなとおるのぞけんやすなならと交流こうりゅうふかめた[5]212ねんたてやすし17ねん)に死去しきょした[6]

  • ちょう騭『文士ぶんしでん』は招集しょうしゅうおうじずやまんだ阮瑀をあぶりすために曹操そうそうやまき、てたところを獲得かくとくした、とく。裴松はこの逸話いつわいたあと「『てんりゃく』や『文章ぶんしょうこころざし』ではやまい理由りゆうに曹洪からはのがれたが、曹操そうそうからの招集しょうしゅうにはむしろつえしておうじたとかれている。やまくがどうこうなどありない」と反論はんろんしている[7]
  • てんりゃく』は曹操そうそうが阮瑀にかんとげ討伐とうばつのための檄文げきぶん起草きそうさせようとした、とく。それはちょうどうまって外出がいしゅつをしているときであり、したがっていた阮瑀は馬上まけにて草案そうあんげ、提出ていしゅつした。った草案そうあん曹操そうそう推敲すいこうしようとしたところ、一文字ひともじ訂正ていせいくわえることができなかったと[8]

評価ひょうか

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そうじて文章ぶんしょう得意とくいとし、はややおとっていた、とかれる。

  • ぶんこころ雕龍』:「琳瑀あきらひょうゆうほまれ當時とうじ[9]
  • 曹丕『あずかただししょ』:「もと書記しょき翩翩、致足らく也」[10]
  • 曹丕『てんろん論文ろんぶん』:「琳瑀あきらおもて書記しょきいま雋也」[11]
  • 鍾嶸『ひん』:「もと瑜詩,なみたいらのりしつ古體こたい[12]

作品さくひん

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とうまでは『阮瑀しゅう』5かん書庫しょこ保管ほかんされていたとしるされる[13]が、のちの詳細しょうさい不明ふめいである。あきらちょうが、当時とうじのこ作品さくひん収集しゅうしゅうし、『阮元瑜集』を編纂へんさんした。

継子けいし
阮瑀
阮熙阮籍
阮咸阮渾
阮瞻阮孚
阮広

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 太平たいへい御覧ごらんまき385(『文士ぶんしでん』)「阮瑀しょうゆう俊才しゅんさいおうとしうらら,就蔡邕學,嘆曰:『童子どうじ奇才きさい朗朗ろうろう無雙むそう。』」
  2. ^ 三国志さんごくしまき21ちゅう(『てんりゃく』)「いきぶん蔚,しょうがく於蔡邕。はつ平中たいらなかずいしゃいたりさん輔。けんやすはつ,以高ざいあずかきょう兆嚴像擢拜尚書郎。ぞう兼有けんゆう文武ぶんぶためあげしゅう刺史ししいきためぐんはかりごとさいしゅあずかひね琳、 阮瑀とうてんしつ。」
  3. ^ 三国志さんごくしまき21「瑀少受學於蔡邕。けん安中あんなかまもる曹洪ほっ使てのひら書記しょき,瑀終不為ふためこごめふとしなみ以琳、瑀為空軍くうぐんはかりごとさいしゅかんしつ軍國ぐんこくしょげき琳、瑀所さく也。琳徙門下もんかとく,瑀為くら曹掾ぞく。」
  4. ^ こう漢書かんしょまき80ちゅう(『こころざし』)「楨,こうみきため空軍くうぐんはかりごとさいしゅ五官ごかんろうはた文學ぶんがくあずかじょみきちん琳、阮瑀、おう瑒俱以章知名ちめいてんため平原へいげんこう庶子しょし。」
  5. ^ 三国志さんごくしまき21「はじめぶんみかどため五官ごかんはた,及平原へいげんこううえみなこう文學ぶんがくつばら與北よぎたかいじょみきえらちょう廣陵こうりょうひね琳字あなあきらちんとめ阮瑀もと瑜、なんじみなみおう瑒字とく璉、東平とうへいりゅう楨字こうみきなみともぜん。」
  6. ^ 三国志さんごくしまき21「瑀以じゅうななねんそつ。」
  7. ^ 三国志さんごくしまき21ちゅう(『文士ぶんしでん』)「ふとしみやび聞瑀めい,辟之,おうれん偪促,乃逃入山にゅうざんちゅうふとし使じん焚山,とく瑀,おくいたり,召入。……しんまつあんぎょてんりゃく、摯虞文章ぶんしょうこころざしなみうん瑀建やすはつやまし避役,不為ふため曹洪こごめとくふとし召,そくとうつえ而起。とくゆう逃入山中さんちゅう,焚之乃出こと也。」
  8. ^ 三国志さんごくしまき21ちゅう(『てんりゃく』)「ふとし嘗使瑀作しょあずかかんとげふとしてききん,瑀隨從ずいじゅういん於馬うえくさしょなりていふとし擥筆よくゆう所定しょてい,而竟不能ふのうぞうそん。」
  9. ^ ぶんこころ雕龍』まき5「あきらひょう
  10. ^ 文選ぶんせんまき42 ぶんみかどあずかただししょ
  11. ^ ぜんさん国文こくぶんまき8「てんろん
  12. ^ ひんまき 下品げひん
  13. ^ ずいしょまき35 典籍てんせき4「こうかん丞相じょうしょうくら曹屬阮瑀しゅうかんりょうゆうろくいちかんほろび」、『きゅうとうしょまき47 経籍けいせき「阮瑀しゅうかん」、『しんとうしょまき60 芸文げいぶん4「阮瑀しゅうかん