雅まさ真しん(がしん、生年せいねん不ふ詳しょう - 長保ながほ元年がんねん3月21日にち(999年ねん4月がつ9日にち))は、平安へいあん時代じだい中期ちゅうきの真言宗しんごんしゅうの僧そう。
石山寺いしやまでらで密教みっきょうを学まなび、952年ねん(天てん暦れき6年ねん)金剛峯寺こんごうぶじ座主ざす寛ひろし空そらに招請しょうせいされ、高野山こうのやま奥おくの院いんにある空海くうかいの廟びょう塔とう復興ふっこうの指導しどうにあたる。丹生たんじょう・高野たかの両社りょうしゃを創建そうけんし、1083年ねん(永観えいかん元年がんねん)には検校けんぎょうに任にんじられた。奥おくの院いんの復興ふっこうは、1095年ねん(長ちょう徳いさお元年がんねん)にようやく達成たっせいされている。
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