静 しずか 電 でん 発電 はつでん 機 き もしくは起電 きでん 機 き (英 えい : electrostatic generator 、electrostatic machine )とは発電 はつでん 機 き の一種 いっしゅ で、静電気 せいでんき もしくは高 こう 電圧 でんあつ ・低 ひく 電流 でんりゅう の電気 でんき を生成 せいせい するものである。
教材 きょうざい 用 よう のヴァンデグラフ起電 きでん 機 き 。
静電気 せいでんき の存在 そんざい は文明 ぶんめい の黎明 れいめい 期 き から知 し られていたが、その性質 せいしつ を説明 せつめい する理論 りろん は数 すう 千 せん 年 ねん にわたって確立 かくりつ されず、磁気 じき との区別 くべつ もあいまいであり、好奇心 こうきしん をそそる奇妙 きみょう な現象 げんしょう でしかなかった。17世紀 せいき 末 まつ までに自然 しぜん 科学 かがく の研究 けんきゅう 者 しゃ は、摩擦 まさつ によって静電気 せいでんき を作 つく る実用 じつよう 的 てき な方法 ほうほう を発見 はっけん した。18世紀 せいき になると機械 きかい 的 てき な静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き が作製 さくせい され始 はじ め、電気 でんき 学 がく という新 あたら しい学問 がくもん の研究 けんきゅう に不可欠 ふかけつ な実験 じっけん 器具 きぐ になった。
静 しずか 電 でん 発電 はつでん 機 き は人力 じんりき などの動力 どうりょく を利用 りよう して力学 りきがく 的 てき な仕事 しごと を電気 でんき エネルギー に変換 へんかん する装置 そうち である。電気 でんき 的 てき な力 ちから で誘 さそえ 起 おこ した電荷 でんか を、金属 きんぞく 板 ばん ・円筒 えんとう ・ベルトなどに載 の せて高 こう 電位 でんい 電極 でんきょく まで運 はこ ぶ仕事 しごと により、二 ふた つの導体 どうたい に逆 ぎゃく 符号 ふごう の静 せい 電 でん 電荷 でんか を蓄積 ちくせき していく。電荷 でんか を発生 はっせい する方法 ほうほう には摩擦 まさつ 帯電 たいでん および静 しずか 電 でん 誘導 ゆうどう の2種類 しゅるい がある。
静 しずか 電 でん 発電 はつでん 機 き は科学 かがく (理科 りか )の教材 きょうざい として静電気 せいでんき 力 りょく と高 こう 電圧 でんあつ 現象 げんしょう を演 えんじ 示 しめせ するために使 つか われることが多 おお い。また大 おお きな電位差 でんいさ が得 え られることから、実用 じつよう 上 じょう でもX線 せん 管 かん の電源 でんげん 、医療 いりょう 、食品 しょくひん の殺菌 さっきん 、核 かく 物理 ぶつり 学 がく 研究 けんきゅう など様々 さまざま な用途 ようと に用 もち いられてきた。現在 げんざい 、実用 じつよう 的 てき な高 こう 電圧 でんあつ 電源 でんげん としては静 しずか 電 でん 発電 はつでん 機 き よりも半導体 はんどうたい 回路 かいろ によるものが主流 しゅりゅう だが[1] :960 、ヴァンデグラフ起電 きでん 機 き やその発展 はってん 型 がた であるペレトロン などは今 いま なお物理 ぶつり 学 がく の研究 けんきゅう に用 もち いられている。また近年 きんねん では、環境 かんきょう に存在 そんざい する微小 びしょう な振動 しんどう のエネルギーを利用 りよう するナノ発電 はつでん において、古 ふる くて新 あたら しい方法 ほうほう である静 せい 電 でん 発電 はつでん が急 きゅう 浮上 ふじょう してきている[2] 。
静 しずか 電 でん 発電 はつでん 機 き は電荷 でんか を生成 せいせい する方式 ほうしき によって2種類 しゅるい に分 わ けられる。
摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き (friction machine )は摩擦 まさつ 帯電 たいでん (異 こと なる物質 ぶっしつ どうしの接触 せっしょく や摩擦 まさつ によって発生 はっせい する静電気 せいでんき )を利用 りよう する。
誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き (influence machine )は静 しずか 電 でん 誘導 ゆうどう を利用 りよう する。かつては感応 かんおう 起電 きでん 機 き [3] と呼 よ ばれていた。
18世紀 せいき に広 ひろ く普及 ふきゅう していた、ガラス球 だま を回転 かいてん させる方式 ほうしき の摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き 。
史上 しじょう 初 はつ の静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き は摩擦 まさつ で電気 でんき を起 お こす摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き であった。1663年 ねん ごろにオットー・フォン・ゲーリケ が発明 はつめい した最初 さいしょ の摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き は、木 き の回転 かいてん 軸 じく に取 と り付 つ けた硫黄 いおう 球 だま を手 て で摩擦 まさつ する仕組 しく みだった。実際 じっさい に回転 かいてん させて使用 しよう していたかどうかは定 さだ かではなく、またゲーリケには「電気 でんき 」を起 お こしているという意識 いしき はなかったが(彼 かれ にとっては「Weltkrafte = 世界 せかい 力 りょく 」であった)[4] 、後 ご の時代 じだい に回転 かいてん 球 だま を備 そな えた起電 きでん 機 き が数多 かずおお く作 つく られたのはゲーリケの影響 えいきょう である。アイザック・ニュートン は硫黄 いおう の代 か わりにガラス球 だま を用 もち いることを提案 ていあん した[5] 。ニュートンによって王立 おうりつ 協会 きょうかい の実験 じっけん 員 いん に任命 にんめい されたフランシス・ホークスビー はゲーリケの設計 せっけい を改良 かいりょう し[6] 、ガラス球 だま を高速 こうそく 回転 かいてん させて毛織 けおり 布 ぬの で擦 こす る仕組 しく みの摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き を作製 さくせい した[7] 。ガラス球 だま が擦 こす られると、球 たま 内 ない の真空 しんくう に雷 かみなり のような紫色 むらさきいろ の光 ひかり が満 み ち、その明 あか るさで読書 どくしょ ができるほどだったという[8] 。
ヴィッテンベルク大学 だいがく の教授 きょうじゅ だったゲオルク・マチアス・ボーゼ (英語 えいご 版 ばん ) は、静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き に「主導 しゅどう 体 たい 」(prime conductor )を取 と り付 つ けることでその効果 こうか を何 なん 倍 ばい にも高 たか めてみせた[9] 。主導 しゅどう 体 たい とは電荷 でんか を蓄積 ちくせき するための大 おお きな導体 どうたい (コレクター)のことで[10] 、ボーゼの典型 てんけい 的 てき なデザインでは、絹糸 けんし で吊 つ って絶縁 ぜつえん した筒 つつ 状 じょう の主導 しゅどう 体 たい をガラス球 だま に近 ちか づけ、電荷 でんか を吸 す い取 と らせていた[9] 。ボーゼは絶縁 ぜつえん 台 だい に立 た たせた女性 じょせい の体 からだ に電荷 でんか を溜 た め、観衆 かんしゅう の一人 ひとり に接吻 せっぷん させて電気 でんき ショックを与 あた えるという見世物 みせもの を行 おこな った[11] 。
1746年 ねん にウィリアム・ワトソン が作製 さくせい した装置 そうち は大 おお きな車輪 しゃりん を回 まわ すことで複数 ふくすう のガラス球 だま が回転 かいてん する仕組 しく みになっており、主導 しゅどう 体 たい として絹糸 けんし で吊 つ るした剣 けん と銃身 じゅうしん が備 そな えられていた。なお、同年 どうねん 、オランダのピーテル・ファン・ミュッセンブルーク によってライデン瓶 びん が発明 はつめい され、発生 はっせい した静電気 せいでんき をためることができるようになった。ライプツィヒ大学 だいがく の物理 ぶつり 学 がく 教授 きょうじゅ だったJ・H・ウィンクラーは、手 て で摩擦 まさつ する代 か わりに革 かわ 製 せい のクッションに擦 こす りつける仕組 しく みと、足踏 あしぶ み式 しき の高速 こうそく 回転 かいてん 装置 そうち を導入 どうにゅう した[3] [12] [13] 。
ガラス板 ばん の両面 りょうめん に金属 きんぞく 箔 はく を貼 は ったものを起電 きでん 力 りょく 源 げん と接続 せつぞく することで相当 そうとう 量 りょう の電気 でんき を溜 た めておけることが発見 はっけん されると、この種 たね の実験 じっけん は容易 ようい になった。
ウィンクラーの改良 かいりょう に続 つづ き、スコットランド人 じん でエアフルト 大学 だいがく の教授 きょうじゅ だったアンドリュー・ゴードン (英語 えいご 版 ばん ) はガラス球 だま の代 か わりにガラス円筒 えんとう を用 もち いることで摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き を発展 はってん させた。 ベンジャミン・ウィルソン は1746年 ねん ごろに櫛 くし 状 じょう の集 しゅう 電 でん 電極 でんきょく を考案 こうあん し、1762年 ねん には英国 えいこく のジョン・カントン (英語 えいご 版 ばん ) (球 たま 検 けん 電器 でんき [14] の発明 はつめい 者 しゃ でもある)が摩擦 まさつ 布 ぬの に錫 すず アマルガムを振 ふ りかけることで発電 はつでん の効率 こうりつ を向上 こうじょう させた[15] 。1760年代 ねんだい には、ジェシー・ラムスデン (英語 えいご 版 ばん ) やヤン・インゲンホウス をはじめとする研究 けんきゅう 家 か たちの手 て により、球 たま や円筒 えんとう ではなくガラス円 えん 板 ばん が回転 かいてん する方式 ほうしき が標準 ひょうじゅん 的 てき なものとなった[16] :336 [13] :223 [3] 。
ガラスの円筒 えんとう が水平 すいへい 軸 じく の周 まわ りで回転 かいてん する方式 ほうしき の摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き 。中央 ちゅうおう 前方 ぜんぽう のパッドで摩擦 まさつ する。
ラムスデンによる洗練 せんれん された摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き 。
『摂津 せっつ 名所 めいしょ 図会 ずえ 』四 よん 巻 かん 上 じょう 。異国 いこく の珍品 ちんぴん を商 あきな う「蝙蝠 かわほり 堂 どう 」の店頭 てんとう でエレキテルが実演 じつえん されている[17] 。1796 - 1798年 ねん 。
1773年 ねん 、公式 こうしき 記録 きろく に残 のこ る限 かぎ り初 はじ めてオランダ人 じん によって摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き が江戸 えど 時代 じだい の日本 にっぽん に持 も ち込 こ まれた[18] 。ただしそれ以前 いぜん の1765年 ねん に刊行 かんこう された『紅毛 こうもう 談 だん 』の中 なか で「エレキテリセイリテイ」という名 な の摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き が紹介 しょうかい されており、一部 いちぶ ではすでに知 し られた存在 そんざい だった[17] [19] 。オランダ語 ご で"Electriciteijt"は電気 でんき もしくは起電 きでん 機 き を意味 いみ し、日本 にっぽん ではこれがなまって「エレキテル 」と呼 よ ばれるようになった[18] 。当時 とうじ の博物 はくぶつ 学者 がくしゃ 平賀 ひらが 源内 げんない は長崎 ながさき で入手 にゅうしゅ した壊 こわ れたエレキテルを1776年 ねん に複製 ふくせい し、見世物 みせもの に用 もち いて大 おお いに巷間 こうかん に広 ひろ めた[1] 。源内 げんない 作 さく とされるエレキテルは2台 だい が現存 げんそん している[18] 。そのうち逓信 ていしん 総合 そうごう 博物館 はくぶつかん に所蔵 しょぞう されていたものは「調車 しらべぐるま 」(プーリー )によってガラス円筒 えんとう を高速 こうそく 回転 かいてん させる方式 ほうしき のもので、銀紙 ぎんがみ を貼 は った「枕 まくら 」(摩擦 まさつ 用 よう クッション)と電荷 でんか を溜 た めるライデン瓶 びん を備 そな えていた[19] 。源 みなもと 内 ない の門下生 もんかせい 森 もり 島中 しまなか 良 りょう が『紅毛 こうもう 雑話 ざつわ 』(1787年 ねん )でエレキテルの正確 せいかく な構造 こうぞう を解説 かいせつ したことで、一般 いっぱん に作製 さくせい ・販売 はんばい が行 おこな われるようになった[17] 。蘭学 らんがく 者 しゃ 橋本 はしもと 宗吉 そうきち は1811年 ねん の著書 ちょしょ 『エレキテル究理 きゅうり 原 ばら 』において、エレキテルは玩具 おもちゃ などではなく天地 てんち の原理 げんり を再現 さいげん する器具 きぐ だと述 の べ、自 みずか ら行 おこな った様々 さまざま な静電気 せいでんき 実験 じっけん を紹介 しょうかい した[1] 。このほか、大槻 おおつき 玄沢 げんたく らによる『厚生 こうせい 新編 しんぺん 』(1811-1839)には、サンプトペテルブルク を訪 おとず れた大黒屋 だいこくや 光太夫 こうだゆう からの伝聞 でんぶん として、ロシアではエレキテルを用 もち いた着火 ちゃっか 装置 そうち がアルコール飲料 いんりょう の純度 じゅんど 検査 けんさ に用 もち いられているという逸話 いつわ が記 しる されている[18] 。
マルティン・ファン・マルムが設計 せっけい した「大起 だいき 電機 でんき 」。テイラーズ博物館 はくぶつかん に展示 てんじ されている。
1783年 ねん にオランダのハールレム 市 し の科学 かがく 者 しゃ マルティン・ファン・マルム (英語 えいご 版 ばん ) は直径 ちょっけい 1.65 mのガラス円 えん 板 ばん を備 そな えた精妙 せいみょう な「大 だい 起電 きでん 機 き (英語 えいご 版 ばん ) 」を設計 せっけい し、自 みずか らの実験 じっけん に使用 しよう しようとした[1] 。この装置 そうち は正負 せいふ どちらの電圧 でんあつ も作 つく れるように設計 せっけい されており、長 なが さ61 cmもの火花 ひばな 放電 ほうでん を発生 はっせい させることが可能 かのう だった(その電圧 でんあつ は600 kVと見積 みつ もられる)[1] 。ファン・マルムの依頼 いらい で組 く み立 た てを行 おこな ったのは、アムステルダムの機器 きき 職人 しょくにん ジョン・カスバートソン (英語 えいご 版 ばん ) であった[1] 。現在 げんざい この起電 きでん 機 き はハールレムのテイラーズ博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) に展示 てんじ されている。
1785年 ねん 、N・ローランドは接地 せっち した2本 ほん の円筒 えんとう を野兎 やと の毛皮 けがわ で包 つつ み、絹 きぬ のベルトをかけて回転 かいてん させる仕組 しく みの起電 きでん 機 き を作製 さくせい した[20] [21] 。エドワード・ナイアン (英語 えいご 版 ばん ) が1787年 ねん に開発 かいはつ した医療 いりょう 用 よう の静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き は正 せい と負 まけ の電荷 でんか をどちらも生成 せいせい することが可能 かのう で、正 せい 電荷 でんか は集 しゅう 電器 でんき につながれた主導 しゅどう 体 たい に、負 ふ 電荷 でんか は摩擦 まさつ パッドにつながれた主導 しゅどう 体 たい にそれぞれ溜 た められた[22] 。1850年 ねん ごろにウィーンの科学 かがく 者 しゃ ゲオルク・K・ヴィンターが作製 さくせい した起電 きでん 機 き はそれ以前 いぜん の装置 そうち よりも効率 こうりつ が高 たか く、広 ひろ く普及 ふきゅう した[21] [23] [24] 。
1830年代 ねんだい にゲオルク・オーム が行 おこな った電気 でんき 実験 じっけん では、ファン・マルムの装置 そうち と同 おな じく正負 せいふ の電圧 でんあつ を作 つく れる起電 きでん 機 き が用 もち いられていた[20] (装置 そうち は現在 げんざい ミュンヘンのドイツ博物館 はくぶつかん に所蔵 しょぞう されている)。1840年 ねん にラムスデンの方式 ほうしき を改良 かいりょう して作 つく られたウッドワードの装置 そうち では、主導 しゅどう 体 たい が円 えん 板 ばん の上 うえ に設置 せっち されていた。
物体 ぶったい の表面 ひょうめん にある電荷 でんか (英語 えいご 版 ばん ) のつり合 あ いが崩 くず れると、他 た の物体 ぶったい に対 たい して引力 いんりょく もしくは斥力 せきりょく を及 およ ぼす。それが高 こう じると静電気 せいでんき として感 かん じることができるまでになる。二 ふた つの異 こと なる表面 ひょうめん を触 ふ れさせてから離 はな すと、接触 せっしょく 帯電 たいでん (英語 えいご 版 ばん ) ないし摩擦 まさつ 帯電 たいでん 現象 げんしょう によって一方 いっぽう から他方 たほう へ電荷 でんか が移動 いどう し、電荷 でんか の不 ふ つり合 あ いが生 しょう じる。
大 おお きな静電気 せいでんき を生 う み出 だ すには絶縁 ぜつえん 性 せい の物体 ぶったい 二 ふた つをこすり合 あ わせるとよい。ただし、摩擦 まさつ は本質 ほんしつ 的 てき な役割 やくわり を果 は たしているわけではなく、単 たん に絶縁 ぜつえん 性 せい の表面 ひょうめん を触 ふ れ合 あ わせるだけでも帯電 たいでん は起 お きる。しかし、多 おお くの場合 ばあい 物体 ぶったい の表面 ひょうめん は粗 あら いため、物体 ぶったい どうしを単 たん にあてがうだけでは十分 じゅうぶん な接触 せっしょく 面積 めんせき が得 え られず、帯電 たいでん に長 なが い時間 じかん がかかる。物体 ぶったい をこすり合 あわ せれば凝着 ぎょうちゃく 性 せい の接触 せっしょく 面 めん が広 ひろ がることで帯電 たいでん が促進 そくしん される。
絶縁 ぜつえん 体 たい 、すなわち電気 でんき を通 とお さない物体 ぶったい は表面 ひょうめん 電荷 でんか を発生 はっせい させて溜 た めておくのに適 てき している。よく用 もち いられる絶縁 ぜつえん 体 たい にはゴム 、プラスチック 、ガラス 、髄 ずい がある。導電性 どうでんせい の物体 ぶったい も接触 せっしょく 帯電 たいでん を起 お こすが、外界 がいかい に対 たい して絶縁 ぜつえん されていない限 かぎ り、電荷 でんか を保持 ほじ しておくことはできない。
接触 せっしょく 帯電 たいでん によって一方 いっぽう の物体 ぶったい からもう一方 いっぽう へと移動 いどう した電荷 でんか はその表面 ひょうめん にとどまる。物体 ぶったい を電流 でんりゅう が流 なが れていても、静電気 せいでんき 力 りょく やスパーク (英語 えいご 版 ばん ) の発生 はっせい 、コロナ放電 ほうでん などの現象 げんしょう を損 そこ なうことはなく、同 おな じ系 けい で両立 りょうりつ することができる。
電気 でんき 盆 ぼん 。下方 かほう の誘電 ゆうでん 体 たい 板 いた は負 まけ に帯電 たいでん しており、上方 かみがた の導体 どうたい 板 ばん の中 なか に電荷 でんか の不 ふ 均衡 きんこう を生 しょう じさせる(静 せい 電 でん 誘導 ゆうどう )。導体 どうたい 板 ばん の上面 うわつら から負 ふ 電荷 でんか を抜 ぬ き取 と れば、正味 しょうみ の正 せい 電荷 でんか を誘 さそえ 起 おこり できたことになる。
電気 でんき 盆 ぼん を
応用 おうよう したA・ベネットの「ダブラー」
[25] 。
最初 さいしょ の
誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き とされる。
箔 はく 検 けん 電器 でんき の
端子 たんし を
兼 か ねた
金属 きんぞく 板 ばん Aと、
持 も ち
手 しゅ がついた
金属 きんぞく 板 ばん B、Cからなる。
板 いた Aが
正 まさ に
帯電 たいでん していたとして、
電気 でんき 盆 ぼん と
同様 どうよう の
手順 てじゅん で
板 いた Bに
負 まけ の
電荷 でんか を
誘 さそえ 起 おこ し、
次 つ いで
板 いた Bを
用 もち いて
板 いた Cに
正 せい の
電荷 でんか を
誘 さそえ 起 おこり する。
板 いた Cの
電荷 でんか を
板 いた Aに
移 うつ すと、
電荷 でんか が
初 はじ めより
増 ふ えたことになる。
ダブラーから発展 はってん したT・カヴァッロの増幅器 ぞうふくき 。
摩擦 まさつ 起電 きでん 機 き は年月 としつき とともにゆっくりと、第 だい 2の種類 しゅるい の起電 きでん 機 き 、「誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き 」に取 と って代 か わられていった。こちらの方式 ほうしき は静 しずか 電 でん 誘導 ゆうどう を応用 おうよう したもので、初 はじ めに存在 そんざい していたわずかな電荷 でんか を利用 りよう して機械 きかい 的 てき な仕事 しごと を静 しずか 電 でん 的 てき なエネルギーに変換 へんかん し、結果 けっか として電荷 でんか は継続 けいぞく 的 てき に増加 ぞうか していく。その発想 はっそう はアレッサンドロ・ボルタ が広 ひろ めた電気 でんき 盆 ぼん から生 しょう じたと思 おも われる。電気 でんき 盆 ぼん は一 いち 枚 まい の導体 どうたい 板 ばん からなる一種 いっしゅ のコンデンサ で、静 せい 電 でん 誘導 ゆうどう の過程 かてい を用 もち いて電荷 でんか の偏 かたよ りを生 しょう じさせることができた。
機械 きかい 式 しき の誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き に向 む けて最初 さいしょ の一 いち 歩 ほ を踏 ふ み出 だ したのは、箔 はく 検 けん 電器 でんき の発明 はつめい 者 しゃ でもあるアブラハム・ベネット (英語 えいご 版 ばん ) が報告 ほうこく した「ダブラー」(doubler of electricity )であった[26] 。ベネットのダブラーは3枚 まい の導体 どうたい 板 ばん を持 も ち、電気 でんき 盆 ぼん と似 に た一連 いちれん の操作 そうさ を行 おこな うことで初 はじ めに蓄積 ちくせき されていた電荷 でんか を約 やく 2倍 ばい に増 ふ やすことができた。ベネットは大気 たいき からわずかな電荷 でんか を採取 さいしゅ し、繰 く り返 かえ し増幅 ぞうふく して検 けん 電器 でんき で観察 かんさつ できるようにした上 うえ で、電荷 でんか 量 りょう と符号 ふごう を記録 きろく して気象 きしょう 条件 じょうけん との関係 かんけい を研究 けんきゅう した[25] 。
エラズマス・ダーウィン 、ウィリアム・ウィルソン、G・C・ボーネンベルガー、また後 のち にJ・C・E・ペクレ (英語 えいご 版 ばん ) はそれぞれベネットのダブラーに改良 かいりょう を加 くわ えた[27] :575-576 [28] :75,82,83 [27] 。1816年 ねん にフランシス・ロナルズ (英語 えいご 版 ばん ) は、導体 どうたい 板 ばん の1枚 まい を振 ふ り子 こ のおもりで置 お き換 か え、ぜんまいや蒸気 じょうき 機関 きかん で振 ふ らせることで発電 はつでん プロセスを自動 じどう 化 か した。ロナルズはこの起電 きでん 機 き を電信 でんしん 装置 そうち の電源 でんげん とした[29] [30] 。
これらの試 こころ みを経 へ て、1788年 ねん にウィリアム・ニコルソン が報告 ほうこく した回転 かいてん 式 しき のダブラーは、連続 れんぞく 回転 かいてん による誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き の祖 そ と考 かんが えられる[27] [26] 。ニコルソンの記述 きじゅつ によれば「クランクを回 まわ すことで、摩擦 まさつ も大地 だいち との接続 せつぞく も必要 ひつよう とせずに2種類 しゅるい の電気 でんき を生成 せいせい できる装置 そうち 」であった[31] 。ニコルソンは後 のち に「回転 かいてん 式 しき 蓄電器 ちくでんき 」(spinning condenser )[16] :525 という、微小 びしょう な電荷 でんか を増幅 ぞうふく することができ、より測定 そくてい に適 てき した装置 そうち も報告 ほうこく している。
ほかにも、ティベリウス・カヴァッロ (英語 えいご 版 ばん ) (1795年 ねん に「カヴァッロ増 ぞう 倍 ばい 器 き (英語 えいご 版 ばん ) 」を開発 かいはつ )、ジョン・リード、シャルル・デゾルム、ジャン・ニコラ・アシェット (英語 えいご 版 ばん ) らは、様々 さまざま に工夫 くふう された形 かたち の回転 かいてん 式 しき ダブラーを製造 せいぞう した。1798年 ねん 、ドイツ人 じん 科学 かがく 者 しゃ で説教 せっきょう 師 し でもあったゴットリープ・クリストフ・ボーネンベルガーは、著書 ちょしょ でベネットやニコルソンのダブラーを紹介 しょうかい するとともに、自分 じぶん が考案 こうあん したボーネンベルガー起電 きでん 機 き [32] について記述 きじゅつ した。これらの試 こころ みのうち重要 じゅうよう なものはAannalen der physik (1801年 ねん )[1] に記載 きさい
ジュセッペ・ベッリは1831年 ねん に単純 たんじゅん な構造 こうぞう の対称 たいしょう 型 がた ダブラーを作製 さくせい した。2枚 まい の金属 きんぞく 円 えん 板 ばん を両 りょう 端 はし に取 と り付 つ けた棒 ぼう を回転 かいてん させることで、U字 じ 型 がた の集 しゅう 電器 でんき の内側 うちがわ を円 えん 板 ばん が交互 こうご に通過 つうか する仕組 しく みになっていた[27] [33] 。両極 りょうきょく がすべて同 おな じ構造 こうぞう で作 つく られた対称 たいしょう 型 がた の装置 そうち はこれが初 はじ めてだった。同型 どうけい の装置 そうち は何 なん 度 ど も再 さい 発明 はつめい されている。クロムウェル・ヴァーリー (英語 えいご 版 ばん ) はこの方式 ほうしき を発展 はってん させて大 だい 出力 しゅつりょく の装置 そうち を作製 さくせい し、1860年 ねん に特許 とっきょ を取得 しゅとく した。これは実用 じつよう 的 てき な高 こう 圧 あつ 誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き として初 はじ めてのものだった[34] 。20世紀 せいき 末 まつ にはA・D・ムーアが教材 きょうざい 用 よう としてこの方式 ほうしき の装置 そうち を広 ひろ め、ディロッド(dirod )と呼 よ んだ[26] [34] 。また、1868年 ねん に「再 さい 充電 じゅうでん 器 き 」(replenisher )として開発 かいはつ を行 おこな った[27] ケルヴィン の名 な も挙 あ げられる。ケルヴィンはそのほかにも、誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き をマウスミルモータ (英語 えいご 版 ばん ) と組 く み合 あ わせてサイフォンレコーダー (英語 えいご 版 ばん ) と呼 よ ばれる電信 でんしん 受信 じゅしん 器 き を発明 はつめい した[27] 。帯電 たいでん したインクが細 ほそ いサイフォンから吐出 はきだ され、静 せい 電 でん 的 てき な引力 いんりょく で記録 きろく 紙 し に向 む けて飛 と んでいく仕組 しく みだった。さらにまた、1867年 ねん には水滴 すいてき を利用 りよう した一種 いっしゅ の誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き (後述 こうじゅつ )を発明 はつめい して「水滴 すいてき 蓄電器 ちくでんき 」と呼 よ んだ。
ホルツの回転 かいてん 円 えん 板 いた 式 しき 起電 きでん 機 き 。
1864年 ねん から1880年 ねん までの間 あいだ にヴィルヘルム・ホルツ (ドイツ語 ご 版 ばん ) が製作 せいさく し、論文 ろんぶん で報告 ほうこく した数々 かずかず の誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き は、当時 とうじ もっとも進歩 しんぽ した起電 きでん 機 き だと考 かんが えられていた。その一 ひと つでホルツ起電 きでん 機 き と呼 よ ばれるものは、ガラスの円 えん 板 ばん が増 ぞう 速 そく ギアによって高速 こうそく 回転 かいてん しながら、固定 こてい 円 えん 板 ばん に取 と り付 つ けられた誘導 ゆうどう 子 こ と相互 そうご 作用 さよう する仕組 しく みだった。1865年 ねん 、アウグスト・テプラ― (ドイツ語 ご 版 ばん ) は、2枚 まい の円 えん 板 ばん が1本 ほん の軸 じく に固定 こてい されて同 どう 方向 ほうこう に回転 かいてん する構造 こうぞう の誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き を作製 さくせい した[27] :590-593 。1868年 ねん 、出力 しゅつりょく 電流 でんりゅう を増 ふ やすために奇抜 きばつ な構造 こうぞう を採用 さいよう したシュウェドフ起電 きでん 機 き が作 つく られた。同年 どうねん にはクント起電 きでん 機 き やキャレ起電 きでん 機 き など、摩擦 まさつ 式 しき と誘導 ゆうどう 式 しき を組 く み合 あ わせて動作 どうさ を安定 あんてい させた起電 きでん 機 き が作製 さくせい された[27] :607-608 。1866年 ねん にはピシェ起電 きでん 機 き (バーチュ起電 きでん 機 き とも)が作製 さくせい された。1869年 ねん 、H・ジュリアス・スミスは携帯 けいたい 可能 かのう な火薬 かやく の点火 てんか 装置 そうち として気密 きみつ 性 せい の起電 きでん 機 き を作製 さくせい し、アメリカで特許 とっきょ を取得 しゅとく した[35] 。また1869年 ねん 、ドイツのヨハン・クリスティアン・ポッゲンドルフ (英語 えいご 版 ばん ) は回転 かいてん 円盤 えんばん にセクター(扇形 せんけい 金属 きんぞく 板 ばん )を貼 は りつけない形式 けいしき の起電 きでん 機 き を研究 けんきゅう した。
1881年 ねん 、パリの博覧 はくらん 会 かい で展示 てんじ されたヴォス起電 きでん 機 き 。
フランチェスコ・ロゼッティ (英語 えいご 版 ばん ) 、アウグスト・リーギ 、フリードリッヒ・コールラウシュ らは誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き のはたらきと効率 こうりつ をさらに研究 けんきゅう した[27] 。エルテール・マスカール 、アントニオ・ロイティ (イタリア語 ご 版 ばん ) 、エミール・ブーショットらもまた誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き の効率 こうりつ と電流 でんりゅう 出力 しゅつりょく を研究 けんきゅう した[27] 。1871年 ねん にムーゼウスはセクターのない装置 そうち を研究 けんきゅう した[36] 。1872年 ねん に作製 さくせい された「リーギの電位 でんい 計 けい 」[37] はヴァンデグラフ起電 きでん 機 き の源流 げんりゅう の一 ひと つとなった。1873年 ねん 、レーザーはホルツ起電 きでん 機 き を改良 かいりょう したいわゆるレーザー起電 きでん 機 き を作製 さくせい した[38] 。1880年 ねん 、ロバート・ヴォス(ベルリンの機器 きき 職人 しょくにん )はテプラ―とホルツの原理 げんり を組 く み合 あ わせて新 あたら しい起電 きでん 機 き を考案 こうあん したと主張 しゅちょう した[27] :608-609 。同型 どうけい の構造 こうぞう はテプラ―=ホルツ起電 きでん 機 き としても知 し られるようになった。
英国 えいこく の発明 はつめい 家 か ジェームズ・ウィムズハースト (英語 えいご 版 ばん ) は1878年 ねん に静 しずか 電 でん 発電 はつでん 機 き の研究 けんきゅう に着手 ちゃくしゅ し、ホルツ起電 きでん 機 き を改良 かいりょう して2枚 まい の回転 かいてん 板 ばん を持 も つ強力 きょうりょく な起電 きでん 機 き を作 つく り出 だ した。
ウィムズハースト起電 きでん 機 き の基本形 きほんけい が1883年 ねん に科学 かがく 界 かい に対 たい して報告 ほうこく されると、その後 ご はもっぱらこの種 たね の起電 きでん 機 き が用 もち いられるようになった[34] [39] 。ただし、それ以前 いぜん によく似 に た構造 こうぞう の起電 きでん 機 き がホルツとムーゼウスによって報告 ほうこく されていた。1885年 ねん 、英国 えいこく で史上 しじょう 最大 さいだい 級 きゅう のウィムズハースト起電 きでん 機 き が建造 けんぞう された(現在 げんざい はシカゴ科学 かがく 産業 さんぎょう 博物館 はくぶつかん に展示 てんじ されている)。
ウィムズハースト起電 きでん 機 き 。2枚 まい の円 えん 板 ばん が逆 ぎゃく 方向 ほうこう に回転 かいてん し、円 えん 板 ばん 上 じょう の小板 こいた (セクター)に誘 さそえ 起 おこ された電荷 でんか がブラシによって吸 す い取 と られ、左右 さゆう のライデン瓶 びん に溜 た められる。
表側 おもてがわ の小板 こいた (A 1 など)は裏側 うらがわ の小板 こいた (B1 など)に対 たい する誘導 ゆうどう 子 こ としてはたらき、導体 どうたい YY1 を介 かい して対向 たいこう する2枚 まい の小 しょう 板 いた に電荷 でんか を誘 さそえ 起 おこり する。ここで帯電 たいでん した小 しょう 板 いた は次 つぎ に導体 どうたい XX1 の位置 いち で表 ひょう の小板 こいた に対 たい する誘導 ゆうどう 子 こ となる。
小 しょう 板 いた を持 も たず、絶縁 ぜつえん 円 えん 板 ばん 自体 じたい が電荷 でんか を運 はこ ぶ方式 ほうしき のウィムズハースト起電 きでん 機 き 。
ウィムズハースト起電 きでん 機 き は著 いちじる しく単純 たんじゅん な装置 そうち で、あらゆる誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き がそうであるように、電荷 でんか の静 せい 電 でん 誘導 ゆうどう を利用 りよう して発電 はつでん を行 おこな う。要 よう するに、初 はじ めに存在 そんざい していたごくわずかな電荷 でんか を利用 りよう して新 あら たな電荷 でんか を誘 さそえ 起 おこ し、それを集 あつ めて初 はじ めの電荷 でんか に付 つ け加 くわ え、同 おな じプロセスを何 なん 度 ど も繰 く り返 かえ す。
ウィムズハースト起電 きでん 機 き の構成 こうせい は以下 いか のとおりである。絶縁 ぜつえん された2枚 まい の円 えん 板 ばん はプーリーに取 と り付 つ けられ、同軸 どうじく で逆 ぎゃく 方向 ほうこう に回 まわ るようになっている。円 えん 板 ばん の外側 そとがわ の面 めん には、金属 きんぞく など導電性 どうでんせい の小 しょう 板 いた が円 えん 状 じょう に並 なら んで貼 ば り付 つ けられている。それぞれの円 えん 板 ばん には両側 りょうがわ がブラシとなった導体 どうたい 棒 ぼう が付属 ふぞく しており、この棒 ぼう でつながれた2枚 まい の小板 こいた の間 あいだ で静 しずか 電 でん 誘導 ゆうどう が起 お きて新 あら たな電荷 でんか が誘 さそえ 起 おこ される。それぞれの円 えん 板 ばん に誘 さそえ 起 おこ された電荷 でんか は各 かく 1対 つい の櫛 くし 型 がた コレクター電極 でんきょく によって集 あつ められる。二 ふた つのライデン瓶 びん は電荷 でんか を溜 た めるコンデンサとして用 もち いられる。1対 つい の電極 でんきょく は十分 じゅうぶん に溜 た まった電荷 でんか を放電 ほうでん するためにある。
構造 こうぞう も構成 こうせい 要素 ようそ も単純 たんじゅん であるため、静電気 せいでんき の実験 じっけん や演 えんじ 示 しめせ に用 もち いる機器 きき を自作 じさく する場合 ばあい 、ウィムズハースト起電 きでん 機 き が選 えら ばれることが多 おお い。広 ひろ く普及 ふきゅう したのもこれが理由 りゆう である[40] 。
1887年 ねん 、A・F・ヴァインホルトはレイザー起電 きでん 機 き を改良 かいりょう し、垂直 すいちょく の金属 きんぞく 棒 ぼう に木製 もくせい の筒 つつ を嵌 は めたものを誘導 ゆうどう 子 こ として円 えん 板 ばん の近 ちか くに置 お くことで極性 きょくせい の反転 はんてん を防 ふせ いだ[41] 。M・L・ルビエはルビエ起電 きでん 機 き の作製 さくせい を報告 ほうこく した[42] 。これは基本 きほん 的 てき にヴォス起電 きでん 機 き を簡略 かんりゃく 化 か したものであった。1893年 ねん 、ボネッティは円 えん 板 ばん にセクター(金属 きんぞく の小板 こいた )を取 と り付 つ けないタイプのウィムズハースト起電 きでん 機 き の特許 とっきょ を取得 しゅとく した[43] [44] 。ボネッティの装置 そうち はセクターつきのタイプよりはるかに強力 きょうりょく だったが、外部 がいぶ から電荷 でんか を与 あた えてやらなければ運転 うんてん を始 はじ めることができなかった。
1898年 ねん 、W・R・ピジョン (英語 えいご 版 ばん ) は独自 どくじ の機構 きこう を備 そな えたピジョン起電 きでん 機 き を作製 さくせい した。1890年代 ねんだい を通 とお して起電 きでん 機 き 研究 けんきゅう に打 う ち込 こ んできた末 すえ の成果 せいか だった。同年 どうねん 10月 がつ 28日 にち 、ピジョンはこれをロンドン物理 ぶつり 学会 がっかい (英語 えいご 版 ばん ) で発表 はっぴょう した。また後 のち にPhilosophical Magazine (1898/12, p.564, [2] ) およびElectrical Review (Vol. XLV, p.748) で報告 ほうこく した。ピジョン起電 きでん 機 き の特色 とくしょく は、静 せい 電 でん 誘導 ゆうどう の効果 こうか を高 たか めるために、対向 たいこう 円 えん 板 ばん のセクターを誘導 ゆうどう 子 こ とするのに加 くわ えて固定 こてい 誘導 ゆうどう 子 こ を用 もち いたことと、各部 かくぶ の絶縁 ぜつえん 性 せい を高 たか めたことだった。特 とく に電荷 でんか を運 はこ ぶセクターは端子 たんし 部 ぶ を除 のぞ いて絶縁 ぜつえん 体 たい に埋 う め込 こ まれていた[45] 。ピジョン起電 きでん 機 き はウィムズハースト起電 きでん 機 き とヴォス起電 きでん 機 き を組 く み合 あ わせた上 うえ で電荷 でんか のリークを低減 ていげん したものだといえるが、前身 ぜんしん となった装置 そうち のいずれよりも容易 ようい に電位 でんい を高 たか めることができた。またこれに加 くわ え、ピジョンは「トリプレックス」・ウィムズハースト起電 きでん 機 き (3枚 まい の回転 かいてん 板 ばん からなる、中央 ちゅうおう の回転 かいてん 板 ばん を共有 きょうゆう する2組 くみ の起電 きでん 機 き )のセクターを絶縁 ぜつえん 材 ざい に埋 う め込 こ んで出力 しゅつりょく 電流 でんりゅう を増加 ぞうか させる方式 ほうしき を研究 けんきゅう し[21] 、特許 とっきょ (British Patent 22517 (1899))を取得 しゅとく した。
19世紀 せいき 末 まつ から20世紀 せいき の初 はじ めにかけて、複数 ふくすう の回転 かいてん 板 ばん からなる起電 きでん 機 き と、「トリプレックス」起電 きでん 機 き (3枚 まい の回転 かいてん 板 ばん を持 も つ)が大 おお きく発展 はってん した。1900年 ねん 、フレデリック・タズベリーは、起電 きでん 機 き を金属 きんぞく 容器 ようき に収 おさ めて空気 くうき や二酸化炭素 にさんかたんそ で加圧 かあつ すると、放電 ほうでん 耐 たい 圧 あつ が向上 こうじょう するとともに、プレート間 あいだ や支柱 しちゅう へのリークが低減 ていげん することで性能 せいのう が向上 こうじょう することを示 しめ した[39] [46] 。1903年 ねん 、アルフレート・ヴェールゼンはセクター板 ばん をエボナイト の回転 かいてん 板 ばん に埋 う め込 こ み、表面 ひょうめん には端子 たんし だけが突出 とっしゅつ している方式 ほうしき の起電 きでん 機 き の特許 とっきょ を取 と った[47] 。1907年 ねん 、ハインリヒ・ワメルズドルフは一種 いっしゅ のホルツ起電 きでん 機 き で、ヴェールゼンと同 おな じ方式 ほうしき の回転 かいてん 板 ばん と誘導 ゆうどう 子 こ をセルロイド 板 いた に埋 う め込 こ んだタイプのものを報告 ほうこく した(DE154175、「ヴェールゼン起電 きでん 機 き 」)。ワメルズドルフはそのほかにも高性能 こうせいのう の起電 きでん 機 き を作製 さくせい したが、そのうち最 もっと も有名 ゆうめい なのは「コンデンサーマシン」(1920)と呼 よ ばれるものである。単一 たんいつ の回転 かいてん 板 ばん にセクターが埋 う め込 こ まれており、円 えん 板 ばん の縁 えん からセクターの端 はし が露出 ろしゅつ している方式 ほうしき だった[48] [49] 。
回転 かいてん 式 しき 誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き の原理 げんり
編集 へんしゅう
ディロッド起電 きでん 機 き の模 も 式 しき 図 ず (文献 ぶんけん [34] に基 もと づく)。
回転 かいてん 式 しき 誘導 ゆうどう 起電 きでん 機 き の例 れい として、アメリカ静電気 せいでんき 学会 がっかい の創立 そうりつ 者 しゃ A・D・ムーアが20世紀 せいき 半 なか ばに設計 せっけい したディロッド起電 きでん 機 き の原理 げんり を説明 せつめい する[26] [34] 。右 みぎ 図 ず を参照 さんしょう のこと。
円 えん 板 ばん Dは絶縁 ぜつえん 体 たい で作 つく られ、矢印 やじるし の向 む きに回転 かいてん する。円 えん 板 ばん には6本 ほん の金属 きんぞく ロッドR1 ~R6 が垂直 すいちょく に立 た てられており、両側 りょうがわ から金属 きんぞく のコレクター板 ばん C1 、C2 に挟 はさ まれている。
動作 どうさ を開始 かいし するには、はじめにコレクターC1 とC2 の間 あいだ に電荷 でんか の不 ふ 均衡 きんこう が存在 そんざい しなければならない。しかし、人間 にんげん の手 て が装置 そうち の絶縁 ぜつえん 部品 ぶひん に触 ふ れると静電気 せいでんき が生 しょう じるため、コレクターには自然 しぜん にわずかな電荷 でんか が誘 さそえ 起 おこ されているのが常 つね である。ここではC1 が負 まけ に、C2 が正 まさ に帯電 たいでん していたとする。
コレクターが帯電 たいでん しているため、導体 どうたい でつながれている誘導 ゆうどう 子 こ I1 、I2 もそれぞれ電荷 でんか を持 も ち、近 ちか づいてきた金属 きんぞく ロッドR1 とR4 に静 しずか 電 でん 誘導 ゆうどう を及 およ ぼす。すなわち、R1 とR4 は固定 こてい 導体 どうたい N(ニュートラライザー)を介 かい して電荷 でんか をやり取 と りすることで、互 たが いに逆 ぎゃく の電荷 でんか を持 も つようになる。Nの両 りょう 端 はし にはロッドと導通 どうつう を取 と るためのブラシがついている。
円 えん 板 ばん Dが回転 かいてん していくと、電荷 でんか を持 も ったロッドはR3 (R6 )の位置 いち でブラシによってコレクターと接続 せつぞく される。電荷 でんか には電気 でんき 容量 ようりょう が大 おお きい物体 ぶったい に移 うつ る性質 せいしつ があるため、ロッドが持 も っていた電荷 でんか はコレクターに集 あつ められる。この過程 かてい が繰 く り返 かえ されることにより、それぞれのコレクターが持 も つ正負 せいふ の電荷 でんか はますます増 ふ えていく。
正 せい の電荷 でんか を帯 お びたロッドを正 せい のコレクターに近 ちか づけるには、静 せい 電 でん 反発 はんぱつ 力 りょく に抗 こう して仕事 しごと をしなければならない。この力学 りきがく 的 てき な仕事 しごと が帯電 たいでん の静 せい 電 でん エネルギーに変換 へんかん されることになる。
20世紀 せいき 以降 いこう の静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き
編集 へんしゅう
ヴァンデグラフ起電 きでん 機 き の模 も 式 しき 図 ず 。上側 うわがわ のローラー (3) とベルトがこすり合 あ わされて正負 せいふ の電荷 でんか が発生 はっせい し、正 せい 電荷 でんか は電極 でんきょく (2) で集 あつ められて端子 たんし (1) に蓄積 ちくせき され、負 ふ 電荷 でんか はベルト (5) によって下方 かほう の接地 せっち 電極 でんきょく (7) に送 おく られる。
19世紀 せいき 末 まつ から始 はじ まった物質 ぶっしつ の構造 こうぞう の探究 たんきゅう において、静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き は不可欠 ふかけつ な役割 やくわり を果 は たした。1920年代 ねんだい にはこれまで以上 いじょう の高 こう 電圧 でんあつ を生成 せいせい する装置 そうち が必要 ひつよう だということが明 あき らかになっており、これに応 こた えるべく、1929年 ねん から主 おも にMIT においてヴァンデグラフ起電 きでん 機 き が開発 かいはつ された。第 だい 1号機 ごうき の動作 どうさ が確認 かくにん されたのは1929年 ねん 10月 がつ である。基本 きほん 的 てき なアイディアは、電荷 でんか を絶縁 ぜつえん 性 せい のベルトに載 の せて、絶縁 ぜつえん 支柱 しちゅう に支 ささ えられた中空 なかぞら の端子 たんし の内部 ないぶ に送 おく り込 こ み、そこで電荷 でんか を端子 たんし に移 うつ すというものだった。端子 たんし の電位 でんい がどれほど高 たか くなろうと、端子 たんし 内部 ないぶ には全 まった く電場 でんじょう が生 しょう じないので電荷 でんか の移動 いどう は妨 さまた げられない。このアイディアは新 あたら しいわけではなかったが、別 べつ の電源 でんげん を用 もち いてベルトを帯電 たいでん させた点 てん が革新 かくしん 的 てき で、それまでの起電 きでん 機 き を過去 かこ のものとしてしまった。ヴァンデグラフが作製 さくせい した第 だい 1号機 ごうき は安 やす 雑貨 ざっか 屋 や で入手 にゅうしゅ した絹 きぬ のリボンをベルトとしていた。1931年 ねん に書 か かれた特許 とっきょ 明細 めいさい 書 しょ では、100万 まん ボルトの電圧 でんあつ を生成 せいせい することができると記述 きじゅつ されていた。
ニコラ・テスラ は1934年 ねん の『サイエンティフィック・アメリカン 』誌 し に「静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き の可能 かのう 性 せい 」と題 だい してヴァンデグラフ起電 きでん 機 き に関 かん する記事 きじ を書 か き[50] 、「(ヴァンデグラフ起電 きでん 機 き の)新型 しんがた の装置 そうち が開発 かいはつ され、十分 じゅうぶん に改良 かいりょう されれば、素晴 すば らしい未来 みらい が保証 ほしょう されているはずだ」と述 の べた。より出力 しゅつりょく の大 おお きい装置 そうち はすぐに開発 かいはつ された。大気 たいき をイオン化 いおんか することなく表面 ひょうめん 電荷 でんか 密度 みつど を高 たか められるように加圧 かあつ 容器 ようき に収 おさ められていた。ヴァンデグラフ起電 きでん 機 き のバリエーションも生 う まれ、物理 ぶつり 研究 けんきゅう に用 もち いられた。絶縁 ぜつえん 体 たい と導 しるべ 電 でん 体 たい の継手 つぎて を交互 こうご につないだチェーンを用 もち いて電荷 でんか を輸送 ゆそう するペレトロン (英語 えいご 版 ばん ) はその一 ひと つである。構造 こうぞう が単純 たんじゅん なタイプのヴァンデグラフ起電 きでん 機 き は静電気 せいでんき の演 えんじ 示 しめせ に広 ひろ く用 もち いられている。高 こう 電圧 でんあつ を生成 せいせい できることから、絶縁 ぜつえん 台 だい に立 た って高 こう 電位 でんい 端子 たんし に触 ふ れると頭髪 とうはつ が逆立 さかだ つという面白 おもしろ い効果 こうか を起 お こせることで人気 にんき がある。
1945年 ねん から1960までの間 あいだ に、フランス人 じん 研究 けんきゅう 者 しゃ ノエル・フェリシ (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) は大 だい 出力 しゅつりょく の誘導 ゆうどう 発電 はつでん 機 き を数多 かずおお く発展 はってん させた。加圧 かあつ 水素 すいそ ガスによって絶縁 ぜつえん を行 おこな い、高速 こうそく 回転 かいてん する円筒 えんとう によって電荷 でんか を輸送 ゆそう する仕組 しく みだった[51] 。この方式 ほうしき の装置 そうち はSAMES社 しゃ によって製品 せいひん 化 か され[1] 、おもにヨーロッパで加速器 かそくき 研究 けんきゅう や高 こう 電圧 でんあつ ケーブルのテスト用 よう に使用 しよう された[34] 。
アームストロング式 しき 水力 すいりょく 発電 はつでん 装置 そうち 。ボイラーから噴出 ふんしゅつ した蒸気 じょうき が帯 お びている電荷 でんか を電極 でんきょく Bで集 あつ める。
イオンを注入 ちゅうにゅう した液体 えきたい や帯電 たいでん 粒子 りゅうし を含 ふく む気体 きたい など、荷電 かでん 流体 りゅうたい によって電荷 でんか を運 はこ ぶ発電 はつでん 方式 ほうしき はEHD発電 はつでん (electrohydrodynamics 、電気 でんき 流体 りゅうたい 力学 りきがく (英語 えいご 版 ばん ) )と呼 よ ばれる。EHD発電 はつでん の研究 けんきゅう の始 はじ まりは1840年 ねん に発表 はっぴょう されたアームストロング式 しき 水力 すいりょく 発電 はつでん 装置 そうち だとされる[52] 。これはボイラーから噴出 ふんしゅつ する高 こう 圧 あつ 蒸気 じょうき が電荷 でんか を帯 お びていることを利用 りよう して、蒸気 じょうき を集 しゅう 電 でん 電極 でんきょく に吹 ふ き付 つ けることで電荷 でんか を集積 しゅうせき するものだった[53] 。Steutzer、Secker、Hughesらは、絶縁 ぜつえん 性 せい の流体 りゅうたい に電荷 でんか を与 あた え、ポンプで高 こう 電位 でんい 端子 たんし まで送 おく りこむことで電荷 でんか を蓄積 ちくせき する方式 ほうしき の起電 きでん 機 き を発明 はつめい した[1] 。この方式 ほうしき は構造 こうぞう が単純 たんじゅん であり、液体 えきたい の絶縁 ぜつえん 破壊 はかい 強度 きょうど が大 おお きいことなどにより装置 そうち を小型 こがた 化 か できるなどの利点 りてん がある[1] 。
1980年代 ねんだい の初 はじ め、風力 ふうりょく をエネルギー源 げん とするEHD発電 はつでん のアイディアがMarksによって提案 ていあん されたが、実用 じつよう 化 か に至 いた らなかった[52] 。2006年 ねん 、デルフト工科 こうか 大学 だいがく のDjairamらはEWICON(Electrostatic WInd Energy CONverter 、「静 せい 電 でん 風力 ふうりょく エネルギー変換 へんかん 器 き 」)という名 な の風力 ふうりょく EDH発電 はつでん 機 き を試作 しさく した。機械 きかい 的 てき な可動 かどう 部 ぶ を持 も たず、大気 たいき 中 ちゅう に噴霧 ふんむ された帯電 たいでん 水滴 すいてき を風 ふう が高 こう 電位 でんい 電極 でんきょく まで運 はこ ぶ構造 こうぞう になっており、風力 ふうりょく のエネルギーを直接 ちょくせつ 電気 でんき エネルギーに変換 へんかん する方式 ほうしき である[54] [55] 。発電 はつでん 効率 こうりつ は回転 かいてん 翼 つばさ 型 がた の発電 はつでん 機 き に及 およ ばないが、構造 こうぞう が単純 たんじゅん なため低 てい コストであり強風 きょうふう にも耐 た えられることから、実用 じつよう 化 か に向 む けた取 と り組 く みが行 おこな われている[52] 。
静 しずか 電 でん 発電 はつでん 機 き は様々 さまざま な境界 きょうかい 科学 かがく の研究 けんきゅう に用 もち いられたことがあり、時 とき には不適切 ふてきせつ な方法 ほうほう で利用 りよう されたために議論 ぎろん を呼 よ んだ。1991年 ねん 、ジョージ・ピゴットは無線 むせん 電信 でんしん や「反 はん 重力 じゅうりょく 」実験 じっけん のために作製 さくせい した起電 きでん 機 き の特許 とっきょ を取得 しゅとく した。小型 こがた の加圧 かあつ 容器 ようき に収 おさ められた2重 じゅう 式 しき の装置 そうち であった。
時代 じだい を下 くだ った1960年 ねん 、ドイツ人 じん の時計 とけい 職人 しょくにん パウル・バウマンは発電 はつでん 機 き 「テスタティカ」(Testatika)を発明 はつめい した[56] 。バウマンが設立 せつりつ したスイスの宗教 しゅうきょう 的 てき コミュニティ、メテルニッサ (英語 えいご 版 ばん ) はテスタティカに形而上 けいじじょう 的 てき な意味 いみ を与 あた え、周囲 しゅうい の環境 かんきょう から直接 ちょくせつ 「フリーエネルギー 」を引 ひ き出 だ すことができると主張 しゅちょう した[56] 。実際 じっさい にはテスタティカは1898年 ねん のピジョン起電 きでん 機 き をベースにした静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き だったと考 かんが えられている。
^ a b c d e f g h i 静電気 せいでんき 学会 がっかい 編 へん 『静電気 せいでんき ハンドブック』(新版 しんぱん )オ お ーム社 むしゃ 、1998年 ねん 。ISBN 4274035107 。
^ 田中 たなか 優 ゆう 実 み (2016). “教養 きょうよう 講座 こうざ エレクトレットを利用 りよう した振動 しんどう 発電 はつでん ”. 理大 りだい 科学 かがく フォーラム 33 (7): 24-29.
^ a b c 矢作 やさく 吉之助 よしのすけ 「静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き 」『電気 でんき 雑誌 ざっし OHM』第 だい 45巻 かん 第 だい 4号 ごう 、1958年 ねん 、532-534頁 ぺーじ 。
^
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本節 ほんぶし は「静 せい 電 でん 発電 はつでん 機 き 」をさらに詳 くわ しく知 し るための読書 どくしょ 案内 あんない である。
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