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黄丹袍 - Wikipedia

ほう(おうにのほう)とは皇太子こうたいしもしくは皇嗣こうし儀式ぎしきさい着用ちゃくようする束帯そくたい装束しょうぞくほうのことである。この名前なまえくちなし(くちなし)と紅花べにばな(べにばな)でめたいろめいからである。

皇太子こうたいし束帯そくたいいろ (webcolor)
  16しん表記ひょうき #F47A55
1990ねん平成へいせい2ねん11月12にちだい125だい天皇てんのう明仁あきひと即位そくいれい正殿せいでんほうつつ皇太子こうたいしとくじん親王しんのう
1993ねん平成へいせい5ねん)、皇太子こうたいしとくじん親王しんのう小和田こわだ雅子まさこ結婚けっこん

沿革えんかく

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天皇てんのう着用ちゃくようした黄櫨染こうろぜんほう中国ちゅうごくの赭黄ほう起源きげんとして平安へいあん時代じだい初期しょき導入どうにゅうされた(それ以前いぜん天皇てんのうほう白色はくしょくであったと推定すいていされている)のにたいし、丹色にいろ日本にっぽんでの起源きげんはさらにふるく、奈良なら時代じだいの『養老ようろう律令りつりょう』の「衣服いふくれい」において皇太子こうたいし礼服れいふく(らいふく)とちょうふくの「ころも」のいろ規定きていされている。(それ以前いぜんしゅはなしょく(はねずいろ)の系統けいとうくものとおもわれる)なおとうだい初期しょきには皇太子こうたいしつねふく日本にっぽんちょうふくがた)の規定きていがなかったが、のちにはむらさきほう使用しようしたので(『しんとうしょくるまふくこころざし)、すくなくともとう模倣もほうではない。

いろのぼ旭日きょくじつ象徴しょうちょうしたものでもあり、皇太子こうたいし以外いがい使用しようすることができないいろ禁色きんじきであった。

平安へいあん時代じだい前期ぜんきには皇太子こうたいし礼服れいふく赤色あかいろきゅうしょうふくになったが(さらに朝賀ちょうが廃止はいしされた平安へいあん中期ちゅうき以降いこうは、皇太子こうたいし礼服れいふくちゃくそうれいがない)、ちょうふくにおいてはその使用しようされ、文様もんよう鴛鴦えんおうまる(えんおうまる)が使つかわれることが一般いっぱんした。

室町むろまち時代ときよいたり、立太子りったいし中絶ちゅうぜつし、皇位こうい継承けいしょうしゃ親王しんのうのままで即位そくいすることが一般いっぱんすると、ほう中絶ちゅうぜつした。

江戸えど時代じだいいたり、朝仁あさに親王しんのう東山ひがしやま天皇てんのう)の立太子りったいし以降いこう皇太子こうたいし制度せいど復活ふっかつするが、当初とうしょ赤色あかいろほうしょうして、あか茶色ちゃいろほうをもちいることがあったらしく、きれ各所かくしょ現存げんそんしている。なお皇太子こうたいしの「赤色あかいろほう」は『たい』などにみえるが、異名いみょうであったものか(たオレンジしょく検非違使けびいししゅ平安へいあん中期ちゅうき以降いこうは「あかころも」とよばれたという事実じじつがある)、べつのものであったものか不明ふめいである。

れい時代じだい皇嗣こうしである秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのう儀式ぎしきおこなわれる場合ばあい着用ちゃくようしている[1]

形状けいじょう

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朝仁あさに親王しんのう以来いらいもん花形はながたわく下向したむきになった鴛鴦えんおう(おしどり)いちおさめた(字義じぎじょうおしどりがオスで鴦がメスだが、ここではゆうのみ)もので、定型ていけいして現在げんざいまでわっていない。

近世きんせい後期こうき規定きていでは、衣紋えもんどう山科やましなりゅう高倉たかくらりゅうともにふゆ場合ばあい元服げんぷくぬいわきほう仕立したてのときはうら平絹ひらぎぬ元服げんぷくまえ闕腋ほう仕立したてのときはうら平絹ひらぎぬ表裏ひょうり同色どうしょくとする。もん配置はいち升目ますめじょう縦横じゅうおういちれつはいして、普通ふつう装束しょうぞくのように一段いちだんごとにもん位置いちをずらすことはしない。これは黄櫨染こうろぜんおなじである。

また闕腋のときは、未成年みせいねんのゆえをもって鴛鴦えんおうまるあいだめてられ(そうじて装束しょうぞくでは、若年じゃくねんほどもんちいさくみつである)る。またふゆ生地きじは、未成年みせいねんの闕腋であっても浮織うきおりにはせずに、さんまい綾地あやじろくまいあやもんをあらわしたいわゆるかたあやで、なつこく(禾→けい)というしゃうらをつけない。

近代きんだいにおいてもほぼこの制度せいど継承けいしょうするが、もん配置はいちについては、闕腋のときも近世きんせいほどあいだめていない。また裕仁ひろひと親王しんのう昭和しょうわ天皇てんのう立太子りったいし先立さきだち、「鴛鴦えんおう」といいながらいちであることが問題もんだいされ、わせた丸文まるぶんおよ鴛鴦えんおうまる鶴丸つるまるえるあんしょうじたが、京都きょうと在住ざいじゅう華族かぞくで、衣紋えもん講習こうしゅうかい講師こうしであった山科やましなげん綏らに諮問しもん結果けっかとりやめになった。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク 

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