シーズン序盤のゴールデンウィークに行なわれる地区連盟主催大会であり、近畿を中心とした16チームが優勝を争う。
2007年から社会人野球日本選手権大会の選考対象大会の1つとなり、優勝チームは同大会への出場権を得る。かつてはトーナメント戦で行なわれていたが、2010年から日本選手権対象大会の試合形式が統一されたことにより、予選リーグ戦と決勝トーナメント戦の併用となった(第29、30回も同様の形式であった)。
会場は、京都府京都市の西京極球場(現・わかさスタジアム京都)を使用しており、2007年からは滋賀県大津市の皇子山球場も使用されている。
第14回大会(1960年)が開催直前に中止となり、翌年は大会が開催されなかった。その後1962年の第15回大会から大阪・日本生命球場を中心に「大阪大会」として開催され、第50回(1998年)まで続いたが(1997年に日生球場が閉鎖されたので、1998年は大阪・此花の舞洲ベースボールスタジアム等で開催)、第51回(1999年)から再び京都開催に戻り、大会名も「京都大会」となった。
尚、別大会として1960年から1999年には近畿地区連盟主催の京都市長杯大会も西京極球場を中心に春または秋に開催されていた。
2022年大会は、健康食品メーカーのわかさ生活が冠スポンサーとなり、「わかさ生活第72回JABA京都大会」という名称で行われた。JABAの大会に冠スポンサーがつくのは史上初[1]。
年度(回) |
優勝チーム
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1947年(第1回) |
大日本土木
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1948年(第2回) |
鐘紡淀川
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1949年(第3回) |
大洋漁業
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1950年(第4回) |
日本生命
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1951年(第5回) |
全鐘紡
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1952年(第6回) |
日鉄二瀬
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1953年(第7回) |
川崎重工業
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1954年(第8回) |
全鐘紡
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1955年(第9回) |
全鐘紡
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1956年(第10回) |
全鐘紡
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1957年(第11回) |
鐘化カネカロン
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1958年(第12回) |
全鐘紡
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1959年(第13回) |
東洋レーヨン
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1960年(第14回) |
大会中止
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1961年 |
大会休止
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年度(回) |
優勝チーム
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1962年(第15回) |
日本生命
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1963年(第16回) |
全鐘紡
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1964年(第17回) |
日本石油
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1965年(第18回) |
全鐘紡
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1966年(第19回) |
日本石油
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1967年(第20回) |
日立製作所
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1968年(第21回) |
日本石油
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1969年(第22回) |
サッポロビール
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1970年(第23回) |
大昭和製紙
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1971年(第24回) |
大昭和製紙
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1972年(第25回) |
熊谷組
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1973年(第26回) |
エアロマスター
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1974年(第27回) |
新日本製鐵広畑
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1975年(第28回) |
日本鋼管
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1976年(第29回) |
東京ガス
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1977年(第30回) |
日本楽器
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1978年(第31回) |
松下電器
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1979年(第32回) |
河合楽器
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1980年 |
大会休止
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1981年(第33回) |
電電四国
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1982年(第34回) |
松下電器
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1983年(第35回) |
住友金属
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1984年(第36回) |
松下電器
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1985年(第37回) |
本田技研
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1986年(第38回) |
富士重工業
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1987年(第39回) |
プリンスホテル
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1988年(第40回) |
熊谷組
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1989年(第41回) |
東芝
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1990年(第42回) |
熊谷組
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1991年(第33回) |
日本生命
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1992年(第44回) |
日本生命
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1993年(第45回) |
日本生命
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1994年(第46回) |
富士重工業
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1995年(第47回) |
プリンスホテル
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1996年(第48回) |
日本生命
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1997年(第49回) |
松下電器
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1998年(第50回) |
新日本製鐵君津
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